2022.MAY
cast:ゼクト、レヴィア、エリザ、レイ、カルミラ、リオ
先行してアカシア地下迷宮の探索を行っていたレイシェントからの連絡を受け、ベリゾンにて待機をしていたゼクティス達は早急に現地へと向かった。
ナイオンに入り、先ずはレイシェントと合流しなければとスコアラを鳴らしたところ、彼は何処からともなく現れ一行と合流を果たした。
アカシアに向かう道すがら、レイシェントは大まかに自らが見聞きした内部の状況を仲間達に説明してゆく。
「概ね予想通りと言うか……このスコアラと同じ波長を辿ると、至る所モンスターの真新しい死骸が転がっていた。
負った傷の回復の為にしては随分と、食い散らかしている様だ」
食われていなかったのは無機質的な身体を持つオドゥくらいなものか。それも何体かは倒され、残骸が地に転がされていたが。
恐らくはモンスターが体内に宿すエーテルを養分に代えられると気付いたか、単に歯止めが効かなくなっているのか。
リオは深層深くに潜っている様だが、今やそれも意味を成さない程に魔物としての気配は大きく膨れ上がっていると言う。
「今まで微かに、何度か魔物の気配を感じる事があった。意識して探らなければ気付けない程に微かな気配だった。
だが、この奥に潜むのは完全に力を取り戻した全盛の魔物。……自我も、危ういかも知れない」
地下迷宮の入口時点で、魔物の臭気は強く立ち込めているらしい。魔物の因子を体内に取り込み、同居しているレイシェント以外には判らないが、無表情が常の男の目元には皺が寄せられている。
カルミラは眼帯を捲り、赤く濁った右目で地下迷宮の内部を見回す。
左目だけで見ていた時とは一変、レイシェントが感覚的な臭気として捉えていると思われる魔物の気配が、赤く色付いた霧の様に下層から立ち昇ってきているのが視える。
薄暗い迷宮の中であれば眼帯を取った方が良いかと思っていたが、これでは進んでゆく内に視覚が潰されてしまうか。
「……しかし、千年もの間魔物でありながら人として生きていた者が、今更喰い過ぎて自我を崩すなど……そんな事が有り得るのか?」
だとしたら随分と間抜けな。カルミラはずらしていた眼帯を直し、長銃を抱え直した。
「ダメージを負った状態で餌を口にして、漸く空腹に気が付いた……と言った所だろうか。
例えば……そうだな、エーテルジェムの一件は其方も聞いているだろう。
モンスタージビエなどに含有される程度のエーテルでは然して人体に影響を及ぼしはしないが、高濃度のエーテルを体内へ一気に取り込めばただの人間も化物へと変貌する」
頬に添えた指で拍を打ちつつ説明を聞いていたエリザベートは『成る程』と一つ指を弾いた。
「あぁ、つまりだ。
暫く酒を呑んでいなかった者が空きっ腹で急に考え無しに呑んだものだから一気に酔いが回って自制が利かなくなっていると」
「……そう言う事だ」
『何だその例えは』と口を挟みたくなるが、それも面倒とレイシェントは白けた眼で適当に頷いておいた。
「……最悪の酔っ払いの相手、か……」
ゼクティスは歩きながら、帰路の道標の為に発光する小さなエーテルを等間隔に落として行く。
話を聞いている限り、どうしても戦いは避けられない。しかも自我すら危ういと。ゼクティスはげんなりと、苦々しい顔で額を押さえた。
レヴィアはと言えば、至る所に落ちているモンスターとも人ともつかない骨や、闇の中から聞こえてくる唸り声に怯えて幼馴染の軍服を掴んでぴったりと身を寄せている。
南瓜の仮面を被っているならともかく、素面での迷宮探索は少々堪えるらしい。
リオが散々に食い散らかしたお陰で、一時的だとしても襲ってくるモンスターが少ないのは幸いか。
時折現れるモンスターも、エリザベートとカルミラの飛び道具でのお陰で殆ど接敵前に追い払う事が出来た。
今までギルドに属して数々の依頼をこなしてきた仲間達にとってこの迷宮は初めて足を踏み入れる場ではない。
惑う事無く先へと進んでゆく彼らの姿を見て、レヴィアはこれでは駄目だと頭を振って顔を上げた。足でまといになる為に同行した訳では無いのだ。
進むにつれ、迷宮の闇は濃さを増してゆくがそれでも負けじと強く前を見据えて歩く内に自らを苛む恐れも消えていった。
───約一時間は歩いたろうか。
レイシェント曰く、目標は未だ深部に潜っていると告げられる。
「随分とまぁ深くまで……出る時の事考えてねぇのかあの人……。
──そういやカルミラ、お前何でわざわざ軍服なんか……普段の装備のが動き易いんじゃねぇのか?」
ゼクティスのぼやきに合わせたように銃声が響き、宙を飛び回っていたモンスターをまた一体撃ち落とされた。
カルミラは空になった銃に弾薬を装填しようと取り出したところで、漸く振り返った。
普段ならば、冒険者活動向きにポーチの配置などを最適化したタクティカルベストや外套を身に着け、見栄えなどは彼にとって二の次三の次。
だが今は、かつて軍籍に在った時と同じく──しかも真新しい佐官軍服を身に纏っている。
「………」
カルミラは無言で弾薬の装填を済ませ、一仕事終えた長銃を肩に預ける。一分の無駄も、隙も無い一連の所作は、元少佐の風格を仄かに醸していた。
「……俺も弔ってやらねばならん。死の選択肢を自ら選んだ、かつての俺自身を」
かつては光使いとしての使命と自らの正義に仕え、遂には殉じた『カルミラ』は既に過去のもの。
気紛れめいた運命の分岐の先に流転し、先を往かねばならないこの身が抱え続けるには引き摺る程度に重い荷だ。
「つまるところは自らに対するけじめの様なもの。この出で立ちに、かつての聖都軍人として仇敵を討ち果たしてやろう、などと軽々しい大義の様なものは無い。
──ふん、安心しろ。衣服を変えた程度で俺の力は陰りはしない」
口端を持ち上げ、不遜な笑みを浮かべるとこれみよがしに軍服の裾を翻して堂々歩き始めた。
「……強がってんのか、まじで自意識高いのかよく解んねぇな……」
或いは半々、が最も正しいのかも知れない。
ともあれ虚勢であろうが、後退など忘れてしまったかの様に迷いの無い足取りは、淀みに鈍りかける此方の脚を否が応でも進ませる。
「つぅかあんた後衛だろ。俺より先歩いてどうすんだ」
「貴様が鈍いのだ。図体ばかりでかくて脚は短いと見た」
「……お前達、そこの通路から下層が見えた。要らん口を叩くならまとめて下に落としてやろうか」
直ぐに口喧嘩を始めようとする青年二人を窘め、エリザベートは闇に隠されている深部を覗き込む。
未だ潜るのだろうか、とレイシェントを振り返る。
今まで勝手知ったるかの如く迷宮内を先導していた男は時折立ち止まり、慎重に気配の方向を探る様になっていた。
「……先程から魔物の気配が迫り過ぎて距離感が掴めなくなっている。……近い事は確かだ」
彼にとって大河の真ん中で溺れかけながら湧き出る水の音を聞き分けろと言われている様なもの。
カルミラはまた眼帯をずらし、右目で周囲を見回す。
彼の闇を視る視界は今や完全に赤く染まった色濃い靄で潰されてしまっていると言う。
となれば、下層へ続く道を選びつつ虱潰しに歩き回ってゆくしか無さそうか。
───だが、ゼクティスが溜息をつく必要も無く、彼等は目標の地へと辿り着いた。
ある通路に入った時、恐らくは獣のものと思われる血臭が鼻腔にまるでべったりと擦り付けられる。
どうやら開けた空間に出たらしい。エーテル灯を掲げて周囲を照らせば、息絶えたばかりのモンスターの死骸が幾つも転がっている。
上層からの光など届かない迷宮の深層。ぬばたま闇のその中心で尚黒く、影が蠢いた。
「レヴィア、照らせるか」
手持ちのエーテル灯で全体を照らし、正体を確認するには光量が足りない。ゼクティスは隣に居る少女に目配せし、光を以て陰を顕に炙り出すよう指示する。
「……っ、はい」
レヴィアは息を呑み、広間全体の様子が判るよう宙に光子を舞わせる。
光を当てられ、人の気配に反応したそれは亡霊の様にゆらりと立ちあがり、此方を振り返った。
「………ヴ……ヴッ、ヴヴ……」
沼底から響く様な、嗚咽にも似て酷く濁った声を洩らす。
微かな光を弾く艶やかな黒鎧は、自らが狩ったであろうモンスターの血に濡れている。
兜によって隙間無く隠された面からは表情など読み取れるはずも無く、座りの悪い首がゆらゆらと揺れる。
どう見ても正気が収まっている姿には見えないが、紛れも無くこれはかつて敵として邂逅したリオの姿。ゼクティスは彼女に向かって一歩踏み出した。
「……先生だろ?俺が判るか」
此方の声に反応したか。重たげに首をもたげると、何の予備動作も無くゼクティスに向かって突進して来た。
彼女の手元、闇の中で紫色の鈍い光がちらと煌めく。
───駄目か。
唇を噛み、背に負った大剣の柄に手を伸ばす。だが此方が抜剣するより紫刀が振り抜かれる方が速いだろう。
退かねば受けられないと見て脚を下げ──突如眼前に淡青色の壁が現れる。
これが何かと理解するより間も無く、それはリオの刀を確と受け止めた。氷にも似たその盾は、刀を受け止めただけではひびも入っていない。少なくとも光使いが作り出すものでは無かった。
背後を振り返ると、既に戦闘態勢の間合いを取ったカルミラが手を掲げていた。
「行け、退く必要は無い。奴の攻撃は“俺達”が捌く」
「俺達、って……」
結晶盾の向こうで黄金色の光が弾けたかと思えば、攻撃を受け止めたであろう乾いた音が幾重にも重なって響く。
また首を回せば、カルミラとは別方向に駆け出していたレヴィアが手を掲げて洸晰を操っているのが見えた。
恐らくは兄からの指示か。少女は戦闘の様子が俯瞰出来るよう、崩れている瓦礫を登って此方に向かって手を振った。
あの位置なら、狙われない限り攻撃が飛んでゆく事も無いだろう。
「私の自己領域で、此処の空間位相を少しだけずらした。多少暴れられても迷宮が崩れる事は無い」
背後から肩を叩かれ、其方を振り返れば今度は大鎌を肩に担いだ赤毛の男。
エリザベートも弾丸をスタン効果のあるものに換装して、脇に回り込むべく駆け出した。
後は自分がリオを止め、正気を取り戻すだけ。
剣を抜くと同時に耐久性が限界に達した淡青色の結晶盾が打ち破られ、砕かれる。
そして叩き付ける様に振り下ろされる暴力的な紫刀を漆黒の大剣で以て受け止め、弾き返した。
これだけでも腕に激しい痺れが走る。少なくとも、人間が振るうに許された膂力では無い。
「ってぇ……取り敢えず、先ずはあの剣を手離させる。あれが一番厄介だ」
初撃が弾かれるとリオは虚空を撫で切り、紫刀が描いた軌跡から発生した十の刃が間髪入れずに飛んで来る。
だが、防御に剣を握り直すまでも無くそれらは派生刃の軌道上へ正確に展開された盾に悉く受け止められた。
カルミラの正確無比な操作技術は知っていたが、レヴィアまで同等の技術を身に付けて居たとは。
「正攻法で剣が奪えるとは思えない。切り落として構わないか」
「───ッ、先生の事だ。どうせまた生やすだろ!」
五対一とは言え、リオを相手に温い手は選んでいられない。僅かに逡巡するも、余裕無くレイシェントに向かって頷いた。
「判った。奪えたら私が空間の裏に隠す」
「あぁ任せた」
短く応え、また横っ面を殴り付けられる様に振るわれた刀の一撃を受け止める。
動きは無駄が多くまるで冴えの無い、彼女らしからぬ剣だが制御を失い純然たる力のみに依って振るわれる剣もまた厄介なもの。
駆け引きすらも存在せず、弾き返しても喰らい付かんとする獣の様に追いすがり、間隙を許さず剣を振るい続ける。
エリザベートのスタンバレットで姿勢は崩せるものの、嵐の様に注がれる攻撃の中、僅かに息がつける余暇が生まれる程度だ。こうも張り付かれると仲間との連携が取りづらい。
自力で反撃を狙うも、隙間に剣を捩じ込ませたところで硬質な黒鎧ににべもなく弾かれてしまう。
どうしたものか。歯噛みして、ふと──頭上から覆い被さる様な影が現れた。
それは、上方から大鎌の槍穂で以て串刺しにすべく現れたレイシェントのもの。
今正に攻撃を受けようとしていた半端な姿勢から無理矢理に飛び退き、転がる様に膝をつく。
「あっぶねぇ……!」
危うく巻き込まれかけたが、死角から突然現れた大鎌にリオも対応出来なかったか。振り抜いた刀は切っ先を掠めるに留まり、そのまま大鎌の下敷きとなった。
「ギッ……!ギギッ、ギッ……!」
レイシェントにより大鎌で押さえつけられているものの、魔物は全力で足掻いて抜け出そうとしている。潰されかける蛙の様な声で啼き、本来彼女が有するアルトの声音とは似ても似つかない。
「ゼクト、剣を奪え。此方は押さえているのがやっとだ……!」
「───!……解った」
珍しく切羽詰まった男の様子に、悠長に躊躇っている猶予は幾許も無いと知らされる。
大剣を左手に持ち替えると、目覚めたかの様に蒼の光が雷光の様に爆ぜ、漆黒の刃に疾る。
深呼吸と共に剣を振り上げ──重量に任せて振り下ろした。
本体から切り離された手首から先は地を跳ね、転がる。主の元へと戻るより先にレイシェントにより回収され、空間の裏へ隠された。
果たして今の彼女はどの程度痛みを感じているのか。拘束から開放された魔物は悶えるでも、傷を庇うでもなくただ唸り、またゆらりと立ち上がる。
おもむろに右腕を持ち上げると、たった今奪われた右手が全く元通り、綺麗に生えだした。
「再生に補給も必要無しか……」
空間の裏に隠すのは半ば博打であった。空間の裏側で主を失った剣が暴れているのが判るが、今のところ此方の支配領域を破って出て来る気配は無い。
だが、どの程度この化物の剣を自らの領域内に抑え込んでおけるものか。
所詮は借り物の半端な能力、打ち破られるのは時間の問題だ。
振るう得物を無くした魔物は背が割れ、新たな武器を生やして伸ばす。それは、骨を接いで作られた鞭の様に見える。
「……やっぱ、あいつも喰ってたか。じゃなきゃあの状態で生き延びられる訳が無ぇ」
それは、以前の彼女には備えられていなかったものだった。ゼクティスは苦く表情を淀ませ、呟いた。
久し振りに蒼洸を使った左手、グローブの裏には血が滲んで濡れていた。Requiemを介した上で発動させたにも関わらず反動がきている。
やはり、後遺症により反動ダメージは以前の比ではなくなっていた。これ以上蒼に頼り続ければいよいよ壊れてしまうだろう。
そうなるには、まだ、まだ早い。どちらが壊れても、壊しても意味は無いのだ。
喉の筋が強張り、唾も飲み下せず引き攣れる。ゼクティスは大剣を右手に持ち替え、構え直した。
「………」
黒鎧を砕く有効打である筈の蒼の光をあっさり収めた様子を見て、カルミラは眉間に皺を寄せる。その理由は此方も承知していたが、物質組成すら無視して情報解体を行う蒼洸無しで魔物の牙を折れるものか。
カルミラは腕に着けたスコアラを口に寄せ、リオを挟んで広間の真反対に居るレヴィアに声を飛ばす。
「レヴィア、やれ。狂気の殻を砕くのはお前だ」
『えっ、ちょっ……!』
義妹の返答も待たず一方的に通話を終えると、引鉄に宛がっていた右手を前に翳して防御盾の操作に全ての意識を集中させる。
つまりは『防御は此方がやる。攻撃に回れ』と言う事だろう。だが常に動き回る対象へ向けて、しかも傍にいるゼクティス達を巻き込まずに攻撃するとなれば、一点突破の光剣を確実に撃ち込まなければならない。
自分の戦法の基本、手数で敵を追い込んでゆくやり方では駄目だ。だが、悠長に迷っている時間は無い。迷えば皆窮地に追い込まれる。
───『私』がやらなければ。
主観の状況に動揺する自分自身を、客観から見る冷静な自我が無理矢理に動かす。
レヴィアは防御に割いていた洸晰を全て手元に喚び戻し、高く掲げた指の先に一本の光槍を創り出した。
「……今度は、私が助ける番──!」
眼下の戦い、その渦の中心に確実に撃ち込むべく目を凝らして黒い姿を追い続ける。きっと兄ならば確実に、迷い無く撃ち込めるのだろうが“ただのレヴィア”に狙撃手の様な芸当が出来る訳が無い。
下手を打てば、機をふいにするどころか仲間を傷付ける。その恐怖が奥歯を鳴らす。
ほんの少しでも止まってくれたなら。
あぁ、もう。何て情けない。
ゼクティスの視界の端から、金色の光が注ぐ。
結晶盾の防御を掻い潜ってくる骨接ぎ鞭を捌きつつリオの側面へ身体を滑らせ、立ち位置を変えるとその背後にレヴィアの構える光の槍が見えた。
───退くべきか、いや。
エリザベートのスタンが足元に入った瞬間、ゼクティスは剣を投げ捨ててリオに手を伸ばし、羽交い締めにした。
「どうだ!コレで狙えるだろ!」
「え、待っ───!」
照準がぴたりと合った瞬間、槍は放たれた。
ゼクティスもろとも貫いてしまうのでは、と考えるよりも限界まで張り詰めた弦が解き放たれる方が先だった。
待ってと手を伸ばしても、槍はエーテルの推力に乗って真っ直ぐにリオの身体へと吸い込まれる。
そして光は闇を祓う様に、その中心で炸裂した。
一点に集約され、炸裂した光は一時迷宮全体を昼間の様に明るく照らした事だろう。
尤も、その中心では視覚を真白に塗り潰し、光が収まるまで皆の目を暫く役立たずにしたが。
暗所でしか能力を行使出来ないレイシェントの業は強制的に解除され、空間の裏に仕舞われていた紫刀も此方側に放り出されて地を滑った。
音を頼りに追って拾い上げるが、刀の方には主に由来する力の波長などは消え失せている。今やただの陳腐な色付き刀と化していた。
未だ色覚はとち狂っているが、段々と周囲の様子が見え始める。ゼクティスは何故か尻餅をついた格好で座り込んでいた。
咄嗟にあちこち身体を叩いてみる。それなりに負傷も覚悟していたのだが、拍子抜けする程に外傷は増えていない。
痛むのは、蒼洸の反動を負った左手くらいなものか。
「ゼクト!何て無茶するんですか!大丈夫でしたか!?」
レヴィアは長い金髪を揺らし、血相を変えてゼクティスの元へと駆け寄って来る。
「いや、俺は何とも……」
顔を上げると、目の前には黒鎧を砕かれた魔物の中身──リオが倒れていた。
傍に寄って、様子を見る限り外傷などは見当たらない。上手く鎧だけを剥がしたとでも言うのだろうか。
レヴィアもまたゼクティスの背後から、肩越しに顔を出してリオの様子を窺う。
僅かばかりの怯えはあるが、その目は仇に向けられる様なものではなく、単に彼女の安否を心配するものだった。
当人は、自分がやってのけた事が如何に奇跡じみているのかなど解っていないのだろう。
驚きを込めて、リオとレヴィアを順に見た。
カルミラ、エリザベートもゼクティスの近くに寄って来る。
「……拘束は」
未だ緊張の面持ちで長銃をを握り締めるカルミラにゼクティスは必要無いと首を横に振る。
「レヴィアの放った洸晰の一撃で、魔物として蓄えたエネルギーは全て消し飛ばされたのだろう。
私の業も全て解除させられた」
リオから感じる魔物の気配は微弱なものへ戻っていた。少なくとも先程と同じ様に暴れる事は出来ないだろう。
「仇を前に何もするなとはな……此方が拷問を受けている様だ」
二人の青年と交わした約束の手前、銃はホルスターの中へと既に納めている。
自制心により必死に押さえ付けているものの、報復心は止まず。下瞰する翠眼は憎悪に揺れている。握り締めた掌、黒手袋の内側には血が滲み始めていた。
「……何です、人を囲んで剣呑な。
私の首を刈り取たいのなら、今を於いて他ありませんよ」
仲間の声を割る様に聞こえてきたのは、気怠げなアルトの声音。リオは仰向けに倒れた格好のまま、違い色の眼がゼクティスへ達へ向けられていた。
「記憶を喪くしたって聞いてたが、思い出したのかよ。……先生」
「……せんせい?」
誰が、誰の?
リオは呆けた様に眼を丸めたが、目の前の青年の口から聞く呼称にはいやに懐かしさを憶えた。
此方を睨み付ける様に細められる生意気な青い眼差しを暫し受け止める。
リオは、ぼんやりと虚ろな眼を宙に彷徨わせる。
──やがて口元に薄い笑みを浮かべた。
「あぁ……えぇ、えぇ。いま、やっと。
そうか、貴方でしたか。また一段と可愛くなくなりましたね、ゼクティス」
「……誰のせいだと思ってやがる」
鼻頭に付けられた傷痕をなぞり、顔を歪ませる。
かつての弟子の存在を思い出せば、そのまま連鎖的に記憶の蓋は解放されていった。青年の元に集った面々を見れば、また笑みを浮かべた。
「おやおや、お揃いで……光使いさんと……出来損ないの方まで。ならば尚更。
私の首を刈るなら今の内ですよ。嘘偽り無く、腕一本動かせませんから」
弱い魔物ならば光に触れただけで消滅しかねない程の弱点なのだ。
黒鎧が受け止めたとは言え、レヴィアの光槍を正面から受けておいて直ぐに動けるダメージである筈が無い。それに加え、魔物体として暴走していた反動もあるのだろう。彼女は僅かに指先が動くばかり。
正真正銘、満身創痍の躰でありながら皆の気を逆撫でて焚きつけようとする師に呆れ混じりの溜息を吐いた。
「頼むから煽るな。俺の努力が台無しになる。
──今あんたが動けねぇのは、俺を庇ったせいだろ。理性も無しに、滅茶苦茶に暴れてたくせによ」
「……何の事やら」
すら、と眼を逸らしゼクティスから視線を外す。
雑な誤魔化しにまた溜息を吐き出す。これではどちらが子供か判ったものではない。
「とぼけやがって。
……これまでの記憶は」
「今は、少々混濁していて……まるで夢から醒めた気分です」
記憶の扉が崩れ落ち、過去の事象が一気に記憶野へとなだれ込んでくる。現在に至る時系列を組むには時間が必要だが、ここ数ヶ月で得たものは自分のものとは思えないほど燦然と色付いている。
「……山を越え、海を見て、冒険者として依頼をこなして……人の暮らしに溶け込んで、まるで普通の……は、はは。これが“私”の記憶ですか。
なんと、滑稽な……私は随分と楽しい夢を、視ていた様です」
安穏たる夢を視る事を許される存在でない事は、自分自身が最も理解している。
ゼクティスの周りに控え、ただ此方のやり取りを見ているだけの仲間達はどの様な思いを抱えて自分を見ているか。想像するには余りに容易く、また度し難くもあった。
「私を悪と謗り、糾弾し、廃するのが最も円く収まる方法でしょうに……貴方達こそ、私の行いを忘れてしまったのですか?」
リオは一人一人、順に眼を向けた。
「……私は貴様と同じ魔物混じり。私が手を下す権利は無い」
「私は──我々は、そいつに世界を救われた借りがある。
私達が怒りを飲み込んでそいつの望みが叶うなら、溶岩の熱も飲み下そう。そう易々と踏み倒せる借りでもないからな」
「かつての報復心を相手にしてやるほど暇では無い。俺には、進まねばならない先がある」
「……私は、あなたと正面から向き合って得られたものもあります。そして、今は前に進めてる。
過去の傷に怯えて、拒絶して、蹲ってたら一歩も進めませんから」
皆、単に迎合している訳では無い。各々の言葉を聞いて概ね解ったと言う風に眼を細めた。
「何と言いますか……皆さん“お利口”ですね」
「あんたはどうなんだ」
千年余の時間をかけて報復心を育ててきた世界の仇役に、未だ牙を剥く意志は有るのだろうか。
ゼクティスは詰める様に問うが、それこそ愚問とリオは嘲嗤う。
「貴方達に容易く打ちのめされる様な者に何が出来ると。私はとうに御役御免の存在ですよ。
そんな者に一体何を期待するのです?」
「俺はただあんたに用があって此処に来た。
魔物なんぞ引連れて都市を落とそうとした仇役なんかじゃなく、呑気に俺の先生なんかやってたあんたにだ。
ただ、話を聞かせて貰いに来た」
何故、遍く悉くの廃滅を望んだ彼女が唯一自分の生存に固執したのか。その答えを得る為だけに彼は仲間を説き伏せて巻き込み、迷宮の深層に潜り、制御の効かない魔物を殺す事無く無力化させたと言うのか。
「……それだけの為にこんな面倒な事を……流石、呆れる程のお馬鹿さんですねぇ」
「そりゃ、あんたの弟子だからな」
『おやおや』とリオは盛大な溜息をつき、やたら重たい腕を持ち上げて顔を覆った。
「兎に角、一旦上に戻る。こんな深くに入り浸ってノンキに話し込んでモンスターに囲まれるのは勘弁だ」
有無を言わさずゼクティスはリオを負うと、出口へ向かって歩き始めた。
皆もそれに続いてゆく。
「赦すと言った訳では無いが……まぁ、赦される気なんぞ毛頭無いのだろうな、くそったれ」
釈然としないが、今更前言を撤回する訳にもいかない。エリザベートは茶金の髪を掻き回して唸ると、耳聡くリオが振り向く。
「赦しを請わせたいならいつでも相手になりますよ、軍人さん。貴女はとても遊び甲斐がある」
「……だから、煽るの止めてくれつってんだろ」
師の軽口に胃を痛めながらも、地上へ登る足取りは軽い。じきに外から射し込む陽光が見え始めた事だろう。
