ベリゾンに集う

2022.MAY

cast:ゼクト、レヴィア、エリザ、レイシェント、カルミラ

この時期、灯篭流しが催されるナイオンへの経由地として天狼の宿は混み合うだろうと踏んでいたのだが、先に着いていた仲間から部屋が取れたと聞いて一先ずは安堵していた。
金髪の少女──レヴィアは自らの脚として此処まで共に駆って来たフェザー南瓜なるモンスターを厩に預け、宿へと入って行く。

次なる心配は連絡で聞いていた義兄の容態。
仲間達が集まっている筈の客室のドアに手を伸ばし──中から派手に何かが倒れる音が響いた。
ノックも無しに慌ててドアを開くと、先ず目に飛び込んだのは床を転がる義兄の姿。
次に、痛みを払う様に手を振る軍服姿の幼馴染。そして黒髪の青年と、隅に赤毛の男の姿を確認した。

「あの、一体何を……だ、大丈夫ですか!」

全く状況が解らず目を白黒させながら、とにかくレヴィアは義兄に駆け寄った。
だが、間髪入れずに女軍人の怒声がカルミラへ叩き付けられ身を竦める。

「捨てる為に拾った命ではないだろう!
貴様こそ精一杯生きる努力をしなければならないと、未だ解らないか!」

殴られた頬だけでは無いだろう。カルミラはまた蘇る痛みに顔を歪ませながらも義妹の手伝いを辞して、自ら身を起こし立ち上がる。

エリザベートは椅子の背を掴み、脚を組んでどかりと腰掛ける。未だ眉間には深い皺が刻まれていたが、怒声を重ねるつもりは無いのだろう。
この失態の重さ、咎は当人が既に充分味わっている筈だ。
天井を仰ぎ、長い長い溜息を吐き出す。

「……説教終わり、よく生きていた。
全く、数週間振りに会ったと思ったらこれだ。笑ってやるどころじゃない。奴も何をやっているのだか……」

エリザベートは頭痛を催したかの様にこめかみを押さえ、椅子の背凭れに身体を預ける。

思いのほか呆気なく終わった懲罰にカルミラは無言のまま目を丸める。

「意外そうな顔をするな。部下の気持ちも汲めずに何が准将だ」

カルミラは『左様か』と、殴られたとは思えないほど涼やかな顔で乱れた服を整え、背筋を伸ばして椅子に腰掛ける。
顔色は憔悴こそ伺えたが、紫の片瞳は既に毅然と先を見据えている様に見える。

「お手柔らかな対応、痛み入る」

殴られた痕を気にするでも無く、わざとらしく殊勝な態度で頭を下げて見せる青年に『嫌味を言える元気があるならなお結構』とエリザベートは苦笑気味に口端を歪めた。

レヴィアは困惑気味に義兄の様子を窺う。
確か重傷と聞いていたのだが、思っていたよりは元気そうな。怪我を負ってから二週間経っているとは言え冷や汗一つかいておらず、我慢しているとも思えなかった。

「ええと、その。割り込みます。
……お兄ちゃん、元気です?」

いや違う、これでは間抜けなご挨拶だ。案の定『はぁ?』と顔を顰める義兄に慌てて首を振り、改めて訊ねる。

「傷、結構大きかったって聞いてたんですけど……もしかしてだいぶ治ってます?」

あぁ、そういう事。それで漸く理解出来たとカルミラは数度頷く。

「以前と同じだ。傷が開かないよう俺が操るエーテルを使って塞いでいたところ、回復が早まった。未だ痛みはするが、少なくとも開く心配は無い」

俄に信じ難いが、時として生命さえ形作るエーテルの力だ。見括っていた訳では無いが、此処まで手厚く使用者に作用するとは思っていなかった。
或いは彼自身がこの地で身に付けた技術の賜物か。

知らず知らず張り詰めていた緊張の糸が切れ、少女は膝から崩れ落ちた。

「ううぅぅよかったああぁー……!
……っう、お兄ちゃんの馬鹿!間抜け!どじっ子!単純軟弱水色石頭ー!」

「……すま──おいこら何だ最後のは!!」

「ハイハイハイ、床に這い蹲るな床に。ほらレヴィア、起きろ起きろ」

喜んでいるのか怒っているのかもよく判らないが、ゼクティスは床に突っ伏して義兄の悪口を羅列している少女に近付くと、脇を抱えて立ち上がらせる。
そのまま椅子まで誘導し、肩を叩いて椅子に押し込んだ。これで良し。

「……それで、本題だが。先せ、魔物が見付かった以上は討伐に向かう……んだよな」

曖昧に語尾を濁す青年にエリザベートは何か悟ったか『当然だろう?』とまなじりを上げる。
個人的感情を抜きにしたとしても、彼女によって過去にもたらされた災いやこれからもたらされ、振り撒かれるであろう不幸の芽を摘んでおくに越した事は無い。
これはこの場の誰しもが大前提として据える共通認識である。

この場に居る面々が、その認識の下に揺らぐ事無く動くのであれば、今度こそ彼女を討伐せしめる事も敵うだろう。
だが、ゼクティスは敢えてそこに一石投じてすげ替えなければならないのだ。
少女が座る椅子の背を握る手の裏に汗が滲む。此処で腹を括らねばまた後悔する事になる。
意を決して口を開いた。

「俺はあの人、先生を討伐するんじゃなく対話での和解に持って行けねぇかと思ってる」

カルミラ以外の三者は三様に息を飲み、客室内の空気は一気に張り詰める。
予想通りであるが、エリザベートはその中でも最も剣呑な怒気を迸らせた視線で此方を刺し貫いていた。それは、迂闊に口を滑らせれば先ず自分から始末されかねないと確信を持てる程度の眼光であった。

「あの、ゼクト。それは……」

だが、先に口を開いたのは少女の方だった。
此方を見上げる大きな紫瞳はやはり動揺に揺れている。
エリザベートの表情を窺うと、『言いたい事があるなら言ってみろ』と翠眼が語っている。ゼクティスは、眉唾をひとつ飲み込む。

「……無茶言ってんのは百も承知での意見だ。
けど、俺にとっちゃあの人は魔物である前に俺の身内。
あっちじゃお互いロクに言葉を交わす事も無く目的が違うってだけで殺し合って、結局何も解らず終わっちまった。

けど流転の先で未だ物語が続いてるって言うんなら……今度は、今度こそは、俺の納得いく結末にしたい」

そしておもむろにカルミラは椅子から腰を浮かせ、ゼクティスとエリザベートの間に割って立つ。

「我々を滅ぼさんとした怨敵相手にこの様な腑抜けた願い、身勝手な戯言、狂言だと思っているだろう。
だがその上で、俺からもこの男への共感を請いたい。──この地でしか成らない物語を先んじて綴った者として。
例え異端の分岐でも、夜明けを望むものにはもたらされるべきではないだろうか」

「………」

エリザベートは顎に杖をついて押し黙った侭。
二人の青年を見据えていたが、やがて顎を支えていた手は茶金の髪に埋もれ、ぐしゃりと掻き乱す。

「そうも言われたら……ああくそ。
本国への報告もとい言い訳、お前達も考えるなら協力してやろう。だがな、レヴィアはどうなんだ。
今回ばかりは、お前の意見こそ尊重されるべきだと思うが?」

「えっ、あ……」

皆の視線が一斉に少女の元へ向く。
思わず身を縮ませるが、たった今言葉を通した青年らの眼差しも、此方の意志を押さえ込もうとするものではない。飽くまで許容の構えを示している。

かつて奪われ、今は鋼鉄のものに変わっている右手を見詰め、内に閉じ込めている感情を改めて探る。
だが、この傷は人としての生を勝ち得た誇りであり、痛みや悲しみ、怒りや憎しみなど微塵も無い。顔を上げ、黒髪の青年に柔く笑いかける。

「……私も、先生とお話してあげた方が良いと思います。多分、ゼクトの言葉なら届くと思いますから」

何処か確信めいた少女の言葉にゼクティスは疑問符を浮かべるが、わざわざ問うことは無かった。

かつてリオと交わした応酬は直後のダメージによって断片的になってしまっているが、この青年とその他の人間とは──境界の重要部品である自分も含めて線引きが為されていた様に思った。
彼女にはゼクティスの他にも世話をしていた子供達が居たと言っていたが、その子供達も皆魔物化し捨て駒になったと聞いている。
何故、彼だけが生かされたのか。その答えが単に“師弟”と言う間柄だけにあるとは思えなかった。

レヴィアがリオに抱くとすれば、あの報復心と再び対峙する事への恐怖だった。僅かに手が震え、慌てて抑え込む。
友人も、恐れず過去との対峙に一人で臨んだのだ。此処で尻込みしてしまっては合わせる顔が無いではないか。

『此処に残った方が』と言いかけたゼクティスの口を塞ぐ様に、やけに明るい声で遮った。

「大丈夫です!私も一緒に行きますからね!
フェルカに防御盾は必須でしょう?」

何だか妙に気を遣わせてしまった気がする。
その上、少女の言葉の頼もしさたるや。
これではどちらが保護者だか判らないではないか。軽く溜息をつきつつも、背凭れ越しに綿の詰まった猫耳頭をわしわし撫でた。

「有難うな。
……その猫耳、煽ってると思われなきゃ良いが」

顔を上げたところで、視界の端に赤毛の男が映る。気配すら消し、事の成り行きを傍観しているだけなのだろう。まるで腕を組んだ彫像の様だ。
そう言えばこの男の意見どころか声すら未だ聞いてはいない。

「レイ、ずっと黙ってるがあんたは何か文句の一つも無ぇのかよ」

レイシェントは水を向けられて漸く考える素振りを見せた。

「……魔物が魔物の処遇に口出しするのはな」

ただ一言呟き、皆の合意に沿う意を示した。謙虚と言うか、卑屈と言うか。だが、素直に協力してくれるならばそれで結構。
ゼクティスは懐からリオが残したと思われるスコアラの破片を取り出し、赤毛の男に差し出す。

「この通り、汚染されたのか真っ黒になっちまってるが……多分、これが先生が落としたスコアラだ。コレで居場所を辿れるか?」

「……ん、貸してみろ」

レイシェントは千切れたストラップを摘んで部屋の灯りに翳してみる。スコアラの色ならば多少なりとも光を透かすものだが、この黒色は光を食らっているかの様に深く、暗い。
結晶からは、それを染めたであろう者の気配が滲み出している。あのパンの様な猫が持っていたタオルケットに残留していた魔物の気配と同じ波長、しかもよりはっきりと色濃い。

「……これだけはっきりしていれば、活性化したエーテルの中であっても主を探るのは容易い。
──では、私はこれを使って目標を探そう。居所や様子など、何かしら判ったら報せる。だが……」

スコアラの欠片をポケットに仕舞い込みつつ、レイシェントは躊躇いがちに視線を揺らした。

「地下迷宮に潜ってモンスターを餌にしているのなら、正気で居る確率は低いと思う。
最終的な目標が対話であれ……一戦交える覚悟はしておいた方が良い」

皆、一筋縄でいかない事は言われずとも解っているのだろう。声の代わりに無言の頷きで一様に応えた。
レイシェントはそのまま踵を返し、ドアノブに手を掛けたところで『あぁそうだ』とおもむろにカルミラを振り返った。

「……猫が心配していたぞ」

たじろいで身構えていた青年にその一言だけ告げると、部屋を出て行った。

「……は?猫……?」

わざわざ立ち止まって何を言うかと思えば。
部屋を出た足音が聞こえなくなるまで、カルミラは半端に口を開いた間抜け面を晒していた。
若干拍子抜けしてしまったが、別れ際の猫の様子を顧みれば自ずと良心が激しく痛み始めた。

「曹長……済まない、俺が不甲斐ないばかりに……」

カルミラは、愛深きかの猫を想いを受け取り、肩を落とす。ふらりと傍のテーブルに手をついたかと思えば、そのままずるりと膝から崩れ落ちて突っ伏した。
演技かと疑いたくなる程に大袈裟なリアクション。だが本人は、言うまでもなく至って真面目なのだろう。

「……なぁ、あんたそんな猫好きだったっけか……?」

曹長曹長と情けなく呻きを洩らす男にかつての軍少佐の面影は無く、偏屈だが妙なところで繊細で人間臭いただの青年だった。

「猫を飼えば解る。奴等は知らず知らずの内に此方の心に入り込み、占拠するのだ。
……だが、これではいかんな。俺も気合いを入れ直せねば」

ちょっと鼻を啜って顔を上げ、引き気味の義妹を振り返る。

「レヴィア、少し付き合え。
俺のエーテル操作の鍛錬ついでにお前の技術も見てやろう」

自らがそうであった様に、レヴィアの洸晰操作術もまた自己流の筈。時折力を使っている所は見ているが、事細かな戦闘技術まで把握している訳では無い。

「え、ええ~……」

少しと言いつつスパルタ指導が待っているのでは。あからさまな苦い顔のレヴィアに『良いから付き合え』と再度告げる。

「魔物に対して最も有効打たり得るのはお前の洸晰なのだ。盾役だけでは無く、攻撃手として回らなければならない可能性も出て来る。
そうなれば俺が代わりに盾を張らなければならん。良い機会だ」

『逃げるなよ』と念押して先に戦闘場に向かう為にカルミラも部屋を後にした。止める間もなく出て行った男に、ゼクティスは何度目か判らない溜息を吐く。

「まぁでも、あいつの言う事も尤もだ。
先生の鎧は俺の蒼洸でさえ容易に受け付けねぇ。コッチ方面でお前をあんまり頼りにしたくは無ぇけど……あいつの言う通り。いい機会だと思うぜ」

この兄妹が互いに技術を磨き合うなど、今回の様な事でも無ければ叶わないだろう。
青年からも『行って来い』と両肩を叩かれ、レヴィアは重い腰を上げ、不承不承立ち上がる。

「んぐ……解りました。
ううぅ、出発前に全部体力持っていかれなきゃ良いんですけど」

「暗くなる前には宿に戻って来いよ」

やや足取り重く『行ってきまぁす』と部屋を出た少女を見送ると、部屋にはゼクティスとエリザベートだけが残った。
仇敵との邂逅を前にして仲間が一同に会し、緊張の糸が張られたのは一時。今となってはかつての同総会の様な和やかさすら漂っている様に思う。
それだけ、この地での出来事や思い出は精神的な支えとなってくれているのだろうか。
だとしたら、常に心の隅で鬱屈とした思いを抱えながらも漫然と過ごして来た時間はけして無駄ではなかったのだろう。

「……可笑しいものだ。以前は私がお前を巻き込む側だったのに、今や立場が逆転している。
こうなった以上、お膳立ては任せておけ。確りやれよ」

濃紺のコートの肩を揺らし、くつくつと喉を鳴らして笑っていたエリザベートは青年の肩を叩く。
『じゃ、一服してくる。準備が出来たら呼んでくれ』と言い置いて彼女もまた部屋を出て行った。

「……いや、準備とか諸々の手配とか……あーハイハイ成程な、俺が全部やるってか……」

一週間後、先に出立した男から報せが入る。
その後、一組のフェルカがナイオン方面へと旅立つ姿がベリゾンの街で見受けられた事だろう。