荒涼の野営地

2022.MAY

cast:ゼクティス、カルミラ

ダンフラジア地方を抜け、山の景色は増して荒涼としたジョイア地方特有のものへ移りゆく。

ゼクティスは後ろから着いて来ている筈の男を折々振り返り、先に野営地に辿り着くと早速火を起こして腰を下ろした。

「……意地張らずにやっぱ手ぇ貸した方が良かったんじゃねぇか?傷が開いても知らねぇぞ」

薪に火が移り、安定して燃え始めた頃。
漸く丘を登って野営地に辿り着いた男を振り返って、ゼクティスは火に掛けていたポットを持ち上げた。

「そんな急いで病院から出て来る事無かったのによ」

右肩に掛けっぱなしの荷を下ろし、カルミラは地に崩れる様に座り込む。
火の粉を散らして煌々と燃える焚き火に照らされてなお、その横顔は青白い。

「馬鹿を言え、貴様の手を借りるなど…。
それに、あれが此方に来たと言うのに呑気にいつまでも寝ていられるか」

水筒を取り出して、残していた中身を一気に飲み干す。またふらつきながら立ち上がると、給水所へと向かった。

本来であればもう一週間は安静が必要な身体であったが、無理を押して病院から出て来たらしい。
肩から脇腹を裂く傷は抜糸すら済んでいないが、傷は自らの力で無理矢理塞いでいる状態だ。

常に力を行使し続けるのがどれ程の負荷であるのか。ゼクティスには解る筈も無かったが、カルミラは『丁度良い鍛錬だ』と自戒とも取れる声色で嗤って見せた。

「それで、其方は何か行方を掴めたのか」

荷の中から固形の簡易糧食と缶スープを取り出し、脚で挟んで片手で開け始める。やはり意地でもゼクティスの手を借りるつもりは無いらしい。
やれやれ、と溜息を吐くと黙って二人分のコーヒーを作り、湯気の立つマグをカルミラの前に置いた。

ゼクティスは懐を探ると、ストラップの千切れたエーテルを取り出して示す。
スコアラ用に形成されたと見られるそれは無惨に割れ、澄んでいたであろう色もタールに漬け込まれたかの様に黒く淀み、濁っていた。

「一人で探索出来そうなとこまで潜って見付けたモンだ。一瞬だけIDの端が読めたから、ギルドの名簿で『リオ・グレイシス』の名前を出して称号したら一致した。
……どうも、だいぶ深く潜ったらしい」

結晶の変色を見るに、エーテルは魔物の養分の代替としても利用出来たのだろう。であれば、傷の回復は勿論魔物としての力も回復している可能性は充分に考えられる。
万能物質とは言え、相変わらず理を容易く超越して来る自由度の高いエネルギーに眉間を押さえた。

「あの人が地下迷宮に行くっつってたのは、本能的に力を得ようとしてたか……無傷でそのまま向かわれてたら……」

「………」

カルミラは黙したまま、缶を開け終えて携帯コンロ台に乗せる。
此方に寄せて置かれたコーヒーマグに気付いて僅かに眉をひそめてゼクティスの顔と見比べたが、そのまま口元へ持ち上げた。

「結果的に先生を迷宮の中に留めとく時間は稼げたが……何だってあんな無茶したんだよ。らしくもねぇ」

頑なではあるが、元来理性と節制の塊の様な男だ。傷付けられた矜恃が有ったとは言え、玉砕も厭わず無策に敵に向かうなど、現場を目の当たりにしても俄に信じ難い。まして同じ過ちを二度も繰り返すなど。

「俺が考え無しに突っ込んでやられて、あんたが『馬鹿が』って言うシナリオなら寧ろ納得出来るけどよ」

カルミラは僅かに視線を彷徨わせ、錆び付いた唇をこじ開ける様に訥々と言葉を紡いだ。

「……紛れも無く私怨はあった。
だが、相手は千年掛けて人間に怨みを募らせ身の内に育て上げた魔物だ。記憶が蘇れば、真っ先に狙われるのは誰だ?その次は?」

「……俺達。次は……自分と、親しい奴」

『そうだ』とカルミラは頷く。
コーヒーに映り揺れる自分の顔を見て、かつての夜を思い出した。
リオは、目的を達する為に最も障害となるであろう縁者から真っ先に排除しようと動いた。
自分は気紛れめいた彼女の判断で生き延びたに過ぎないのだ。

「……築いたもの、守るべきものを二度も踏み躙られて、奪われてたまるものか……!!
また、此処でも───ッ、……!」

強く、軋む程に奥歯を噛み締める。
マグを持つ手が震えるが、左肩に走る痛みに身体を折り曲げた。喉奥からくぐもった──嗤い声が洩れ出す。

「クッ、クク……結果的に、奴らを俺達の問題に巻き込まずに済んだ」

『支払った代償に釣りが来た』と無理矢理口元を歪め、肩を揺らしてみせる。

「……良かったって顔かよ、ソレが」

呆れを込めた溜息を盛大に吐き出す。
血の気の薄い顔色に色濃い目元の隈。夜な夜な報告書を書いていたと言うが、果たしてそれだけなものか。
カルミラが本国宛に預けていた封筒に、然したる厚みなど無かった。

「……いちおう、貴様が来るのは判っていた、登攀の道中で気付いていたからな。加えて今は俺の“盾”がある。
魔物の気の大きさも随分と弱々しかった。
完全に無策だった訳でも無い。が……つくづく俺は運が無い」

頭を抱えて項垂れるが、結果的にこの様である事に変わりは無い。
それに加えて運などと言う言葉を持ち出すとは我ながら情けない。『下らん言い訳だな』と首を振り、暗澹たる忸怩を塗り重ねるだけの悲嘆を払った。

うらぶれた姿に同情など抱くことは無かったが、カルミラの言葉にいや待てと片眉を上げる。

「俺が来るのが判ってたなら、何でもう少し待てなかったんだよ。
諸々加味したところで無茶な事に変わりないのは判んだろ」

「……では訊くがな。焚き付けもせずに貴様は奴と刃を交えられたか?
躊躇った結果どうなったか、貴様が一番解っているだろう」

「……」

冷徹な声音でゼクティスを詰める。今度は此方が過去の失態に表情を歪める番だった。
そしてこの話の流れ。此処からどうして『リオと和解に向けて対話する』などと話を持って行けたものか。
他の仲間も説得しなければならないが、自分こそ無策なのではと思わずにいられなかった。

──が、いずれ切り出さねばならない事。
胸ぐらを掴まれるか蹴倒されること覚悟で口を開いた。
しかして先に口を開いたのはカルミラの方であった。

「……あれと対話するつもりなのだろう。
貴様に策と呼べるものなど期待してはいないが、何か考えはあるのか」

「は──、何で……話聞いてたのかよ!」

ゼクティスは瞠目し、思わず間の抜けた声を宵闇に響かせた。
カルミラは首を横に振ったが『そう言うと思っていた』と、怒りも侮蔑も、呆れすらなくただ静かにコーヒーを啜る。

「解り易いのだ貴様は……。
あれに未だ人間性があるとして、それに如何程の期待が出来る?
此方では随分安穏と過ごしていた様だが、それだけが奴の枷たり得るのか?」

携帯糧食の包みを破り、コンロ台からスープ缶を降ろして中身をぐるぐるかき混ぜる。
答えに詰まる青年を急き立てるでも無く、食事を始めた。

「俺ははなから勝つ算段の無い戦はしない。
生憎と玉砕趣味など持ち合わせてはいないからな。
……だが、貴様の望む対話とやらが成立し、損害を出さずに済むならば俺も望むところだ」

随分と聞き分けた口振りで淡々と食事を進めるカルミラの横顔を覗き見て、ぽかんと口を開けている。
ゼクティスはまるで狐に摘まれた気分であった。

「……あんたはソレで気が済むのか?」

「既に奴には一発弾をくれてやった。正直、奴が奪っていったものの対価には到底足りんが……取り立てる資格があるのは俺ではない」

ただ寝台に伏せって腐れていた訳では無いのだと、橙色の火を寂しげに見詰めてまた一口。ブロック状の糧食を齧った。

「……正直、あの人を言葉で何とか出来るかと言わて、そんな自信は何処にも無ぇよ。
けど、今度こそ。もう巡ってくるなんざ思っても無かった二度目のチャンスなんだ。
……どうやったって、逃したく無ぇんだよ」

今度こそ、と語気を強め、ゼクティスは願いを込める様に、或いは掴む様に拳を握る。
ふいに、左腕を軽く小突かれた。顔を上げると、カルミラはスープ缶に視線を落としたまま、拳を此方に突き出していた。横面ばかり見せていた顔が此方を向き、紫の片瞳が真っ直ぐに青眼を見据える。

「ならばヴィルヘルム、必要なのは貴様の覚悟だ。
貴様に頑として揺らがぬ意志の有る無しに依って後に待つ結果も千差に分かれよう。
問題なのは、貴様が真に志す道が何であるかだ。
──望む道が見えているのなら、進め」

この地でしか成らない願いがあるのなら、果たせなかった後悔があるのなら、尚更手放すべきでは無い。

「俺にも未だ潰えぬ願いがある。落とせない星がある。俺が先へ往く為にも、果たせ。貴様の願いを」

いつか聞いた、背を蹴っ飛ばされる様なこの台詞。まるでかつて辿った道のリバイバルの様ではないか。
ゼクティスは思わず破顔し、肩を揺らした。

「カルミラ。そこまで言うんならこの厄介事、最後まで付き合えよ。途中で折れるのはナシだ。
……問題は、エリザをどう言いくるめたもんか……」

寧ろ其方の方が厄介かも知れない。
かの女軍人の、烈火の如き気性を思い出して深々溜息をついた。
カルミラ、と声を掛ける為に振り返ると隣の男はいつの間にか食事を終え、いそいそと寝袋に入っていた。

「いや敵の攻略の為に力は貸すが准将は知らん、貴様が頑張れ。ではな」

「おいふざけんなこの野郎!だから相棒から呆れられるんだよてめぇも一緒に殴られやがれ!!」

先程とは打って変わって余りに呆気なく突き放して来る男にゼクティスは立ち上がり、寝袋に収まった身体容赦無く転がし始める。

「喧しい!大体殴られる前提で交渉に臨む馬鹿が何処に居──痛たたたた!俺は怪我人だぞ丁重に扱えこの木偶が!!」

「うるせぇこの馬鹿、このまま丘の下まで落っことしてやろうか!」

夜も更け、空にはあの川で見た様な星が瞬き始める。
荒涼とした風が吹き抜ける二人だけの野営地には、『馬鹿』と罵り合う青年らの不毛な応酬が暫く続いていた事だろう。