2021.OCT
cast:猫の曹長、カルミラ
方々忙しなく走り回る餌係に追い付けなくなったか、ほんのりと甘やかな香りを漂わせる人の流れに誘われたか。
ナポレオンハットを被った猫が木箱の上、南瓜ランタンを押し退けてぽつねんと座り込んでいる。
「ナン」
一声鳴けば、置物ではなく本物の猫だと気付いた人間が歓声をあげて撫でてゆくが、それだけ。
触るだけ触って見返り無しとは躾のなっていないニンゲンめ。
てゆーか、熊と水色頭はホントにどこ行った。
憮然とした表情で毛繕いをしていると、潮風の香りが鼻先を掠めた。
「ンワ……」
だいぶ歩いたつもりだったが、意外とあの浜の近くまで来てたのかも?自分、やるじゃん。
ドムッと地に降りると、潮風の香りを頼りに歩き始める。が、直ぐに障害にぶつかった。
見上げれば、かつては派手なペンキで彩られていたであろう古びた扉。
隙間から微かに潮風が吹き出しているが、回り込める場所も隙間も無い。まして猫がニンゲン用の引き手を引ける訳もなく。舐めてんの?
「ンワー」
悔しさで爪を研ぎ始めると、扉は軋んだ音を立ててゆっくりと開き始めた。
「ンー……」
奥に道が続いている様だ。
こんな道あったっけと考えるが、そもそも夜に入り江に続く森を通った事は無かった。
臭いを確かめると、やっぱり覚えのある海の香り。行ったれ行ったれぃ。
目印、と言うよりはマーキングの為に扉に頭を擦り付けるとささくれ立った木目に帽子が引っ掛かってしまった。
「ンワ……ワ……!」
軽く頭を振れば、帽子は直ぐに外れた。
首が絞まらない様に外れ易く括られていたらしい。そのままひょいと境界を飛び越えると、背後の扉が音を立てて固く閉ざされた。
……ビックリしたじゃん。
奥地から漂う臭いを確かめながら、赤月が照らし出す道をぬしぬし進む。
途中、草を食みながら。マーキングもしながら。
いつもは水色頭の肩で移動していた為、長いと感じた事は無かったが猫の脚では歩けど歩けど入り江の臭いが一向に近付かない。
「ンー……」
猫は、とうとう道端の木の根を枕に寝転んだ。これだけ歩いて眠くならない訳がない。だって猫だぞ。
うつらうつらし始めると、いつの間にか目の前に三本脚が立っている事に気付く。
顔を上げると、それは三本目の脚を頼りに歩く腰の曲がったニンゲンの姿であった。
「ンワー」
緑色の目を丸めるが、警戒するでもなく挨拶代わりの一鳴き。猫にとっては暫く振りに見た、とあるニンゲンの姿であった。
すっくと身を起こし、撫でられ待ちの姿勢を取るものの三本脚は何故か此方を無視して道を進み始めてしまった。
何さ、“いつもなら”ワッシワッシ撫でるやんけ。
太陽に焼けた様に熱く、心地好いその手で。
今日の気分は散歩なんかな。
猫は三本脚の横に着いて再び歩き始めた。
赤月の光に染まる森の中、三本脚と四本脚が並んで長い影を伸ばして揺らす。
途中の小川を猫は何とか一息に飛び越えるが、三本脚は脚も濡らさずそのまま進んで行った。うらやま。
“いつもは”うるさい筈の三本脚、今日はやけに静か。
猫は何故か鮮明に、一年程前の──港町の景色を視ていた。
かつて船着場近くのベンチの下は唯一の縄張りだった。ぶっちゃけ喧嘩が弱すぎてそこしか居場所が無かったとか……。
やっと我が城を見付けた所に現れたのがこの三本脚。
朝から日暮れまで退く事はなく、まじ鬱陶しい三本脚。
一番細い脚に噛み付いてやったが、何故かげらげら笑われ次の日からはあんまり美味しくない餌を持って来る様になった。
つまり、最初の餌係?
いやいや、あそこは自分の縄張り。あれはショバ代。
三本脚はけちだった。
噛み付かない様にしても、縄張りを共有させても腹をモッサモッサに撫でさせても家には入れてくれなかった。
寒い日や嵐の日は何故か納屋の扉が開けられ、奥にヌクヌク毛布が用意されてたから入って寝たったくらい。
その内散歩に飽きたのか、三本脚は船着場のベンチには現れなくなった。納屋も、ずっと開きっぱなしになった。
たまに納屋に侵入してはいたものの、でもやっぱり自分の縄張りはあのベンチの下。
ある日、船から不気味な三本脚が降りてきた。かの三本脚より若いくせに歩くのが下手くそで、フラフラで、一番細い脚なんて尖った金属。
そんな奴がベンチの上に倒れ込んだものだから、噛み付くことも出来ずに逃げ出した。、
あ、多分あの時に、そう。
『自分の知ってる三本脚はもう終わった』って『もう来ない』って。ずっと陽の昇らない夜みたいなものになったと思った。
「ナン」
そこからここまで、お人好し掴まえたりして何とかやって来た。
やがて、入り江を見下ろす崖の上に出た。
海にはやはり煌々と、巨きな赤月の光が注いで青い筈の海を朱に染めていた。
浜への急斜面を三本脚は滑る様に平気で下る。
何だ、結構足腰元気じゃん。
「ナン」
森で聞こえていた不気味な笑い声はいつしか消え、只静かな漣だけが入り江を満たしていた。
あのテント、取っちゃったのかよ。
ハンモックも無くなってるし。
浜の真ん中までやって来ると、すとんと座り込む。
どうやら三本脚は座る気は無いらしく、海へ顔を向けた侭、動かなくなった。
三本脚の顔を見上げるが、暗いせいでよく見えない。
前はニンゲンの顔とか覚える気、無かったから今見ときたかったんだけど。
「……ナン」
三本脚は今も夜?
濃い影で潰された口がぼそぼそと動いた気がした。
残念ながら猫にニンゲンの言葉は解らない。熊餌係が居れば何と無く伝えて貰えたかも知れないけど、あいつも迷子だもんなぁ。
「ンー……ンワ」
ここ、今の縄張り。……ちょっと違うけど、まぁ似てるからここで待っとけば水色頭も熊も帰ってくるっしょ。
多分あいつらも、ここが縄張りだもんね。
キャラメル色の丸い猫は、辿り着いた入り江の浜でゆったりと尻尾を振り始めた。
─────
人伝に訊いた目撃情報を頼りに探し歩き、とうとうロイス地方にまで来てしまった。
よもやあの猫が迷子の末、こんな場所まで独りで辿り着くとは感心するやら自らの不注意を嘆くやら。
前方には祭りの賑わいと灯りが見え始めていた。
「この辺りで饅頭の様な猫を見たとあったが……」
飼い主たるカルミラは迷子の猫を探す為、祭りの装飾が施された道をランプで照らしながら注意深く進む。
やがて古びたハリボテ扉の下に見覚えのある帽子を見付けた。
それは、人間が被るにしては余りにも小さなナポレオンハットだった。
帽子を拾い上げてひっくり返せば、裏には茶色い猫毛が張り付いている。落とし主は明らかだった。
「………」
扉に手を掛けて引くと、大袈裟な程に軋んだ音を立てて開く。
秋夜の風より尚冷えた風が扉の向こうから吹き込み、頬を撫でた。
「全く、厄介な場所に迷い込んでくれたな……」
やれやれと嘆息しつつ腰の軍刀を抜き、扉の前に突き立てる。飾り物の軍刀であるが、見覚えのある者が見れば目印になるだろう。
一度だけ深呼吸にて息を整え、扉を開け放つと狭間の境界を越えた。
表と同様、足元にランタンは灯されているものの、視界を塗り潰す様な闇に阻まれる。
通常ならば三m先まで照らせる灯りも吸われて行く様だ。
ならばと眼帯を外して歩み始める。
「……やはり狭間のものは此方の方がよく見えると言う訳か。
さて、深部まで行っていないと良いが」
眉しかめて歩き始める。正直、猫を見付けたとして戻って来られる自信は無いが、進まない理由になり得る筈もない。
猫の名前を呼びながらひたすら、ひたすらに歩き続けた。
鼓膜に擦り付けられる様な亡者の笑いが頭の中で木霊する。
実際に聴覚が拾っている訳ではない為、耳を塞ごうがこの不快な幻聴を止める事は出来ない。
「……あの枯れ森の方がよほど静かだったな……曹長!」
此方でも似た様な狭間の地に立ち入る羽目になるとは。堪らず自嘲の笑みを浮かべ、幻惑を与える声を祓う様にまた声を上げる。
───何処かで、小さく、下手くそな猫の鳴き声が聞こえた。
それと共に懐かしささえ覚える潮風が鼻腔を抜けた。
「……海、海まであるのか。この境界は」
更に草木を掻き分け奥へと進んだ。
森を抜ければ、その先は見慣れた地形の入り江が広がっていた。
だが、自分達が汗を流して直した桟橋は朽ち果てた姿で鮭灯台も建ってはおらず。そこは偽物の入り江だった。
だが、この地が再現されていると言う事はきっとこの入り江を知る者が居る筈。
崖下へと続く斜面を駆け降りて、赤月が照らす浜へと走った。
「曹長!」
浜の真ん中でぽつんと座り込む饅頭めいた猫を見付けると、有無を言わさず抱き上げた。
「ナウン」
方や猫は突然抱き上げられて緑眼を丸めているが、自分を捕まえているのが水色餌係と解ると呑気に一鳴き。
「ンワー……ンン?」
そうだ、三本脚を紹介しなければ。
猫は辺りを見回すが、ずっと隣にいた筈の者は既に影も残さず消え失せていた。
