2021.MAR
cast:レヴィア、カルミラ
すっかり使い慣れたテラス席にて、不似合いな眼帯姿の青年がノートに向かいペンを走らせている。
ノートの横には通信器となる結晶体。ノートの上半分はふくよかなキャラメル色の猫がのびのびと占領している。
「──よし、此処まで事細かに書いておけば俺でも……。
それにしても……ふん、意外だったな。お前が料理出来るなどとは思わなかった」
メモを書き付ける手を止めると、背凭れに身体を預けて腕を組む。どうやら通話中の様だ。
通信器からは少女とおぼしき柔い声が聞こえてくる。
教わっておいて尚も不遜な物言い。
流石と言うか、相も変わらない義兄の態度にレヴィアは通話先に聞こえない様、こっそりと溜め息をつく。
「一応、孤児院で家事とかお手伝いしてましたからね。
最近はよくレイさんが料理を作ったりしてるから便乗して教わったりしてるんです。
そりゃあ、あなたと比べればノンキな人生歩ませて貰ってましたけど」
何も出来ない子供でもないのだと、ここぞとばかりに嫌味を交えて言葉を返す。
「それにしても、どうして急にカレーの作り方なんですか?」
一体何処でそんな嫌味を覚えたのか。
考えたところでふと、かの黒軍服の姿が脳裏に過り、ぐぬぬと言葉を濁らせる。
「……そこまでは言っていないだろう。
一体何処でそんな物言いを覚えたやら」
軽い舌打ち。
同様を誤魔化す様にテーブルの上に伸びている猫の腹を撫でると「ンー、ナン?」と鳴き声ともつかない声が洩れた。
「あ、今舌打ちしましたね?」
「聞こえてますよ」と親譲りの冷淡な口調で告げる。
最近気付いた事だが、義兄はあの男の物言いを真似ると強く出にくくなる様だ。
「良いです。御礼はそこにいるねこちゃんの写真で良いですから」
内心くすくす笑いながら、細やかな要求を告げれば今までの罵詈もまぁ良いやと思ってしまう。
「……解った、後日“曹長”の写真でも送ってやろう」
曹長と呼ばれた猫の腹を撫でると、うねうねと身を捩ってまた伸びをする。
「カレーは……その、軍では毎週金曜日がカレーと決まっている。先日、その味を思い出して……懐かしくなった。
ただ、それだけだ」
「懐かしく……ですか。
なんだか、それこそ意外です。軍で好きだった食べ物が……思い出があるとか」
「俺とて、軍で使い潰される実験人形の様に過ごしていた訳ではない。
俺は俺で日々充実していた。他人なんぞの人生を羨む必要もないくらいにはな」
ただの人としての人生を押し付けはしたが、悲運な道を選んだつもりはない。
大真面目に話しながらも両手は猫の腹を丁寧に、伸ばす様に撫でている。
「ところであの。曹長って、もしかしてそこに居るねこちゃんの名前ですか……?
あの、もう少し、あの……」
何か無かったのだろうか。言いかけて、通話口の向こうから『ンーるるナン』と呼び名に応える鳴き声。
ああ、すっかり定着している。
レヴィアは暫し額を押さえたが、まぁ良いか……と無理矢理納得させた。
「この俺を前にして人をナメ切った不遜な態度……いや、胆力。それを評価して曹長の位を与えてやったと言う訳だ」
何度も撫でられ、すっかり艶のある毛並みになった猫を前にやはり大真面目な口調。
「……それにしても、ふふ。何だか嬉しいです。かたちはどうあれこうしてまた会えなかったらこんな話しすら出来なかったんですから」
人伝に彼の為人を窺う事は出来るだろうが、本人の口から直接話を訊けるのが何より嬉しいのだと笑みを溢した。
義妹の言葉に隻眼が揺らいだかと思えば、カルミラの猫を撫でる手が止まる。
「俺は……彼岸から座礁してきたとは言え、今更交わす言葉など無い。お前と関わる必要も無いと思っていた。
だが、繋がってしまえばこの通り、か……。全く、侭ならんものだ」
素っ気ない言葉とは裏腹に、語調は満更でもないと上向きの色を滲ませている。
それは通話越しでもよく伝わってきた。
兄の存在すら忘れて再会した時には鉄面皮を張り付けた、如何にも軍人らしい厳格な男だと思っていたのが嘘の様だ。
そう言えば、と唐突に思い出す。
「聞きましたよ、お兄ちゃん。船の勉強を一緒にして貰ったって。
ふふ、あの感じだと突っぱねたんじゃないかって心配したんですけど……ンふ……」
かの獣人の言葉通り、優しくお勉強などと手緩い想像はしていないが。いつの間に仲良くなったのやらと思うと堪えられない笑いがこみ上げる。
「おい愚図。何を笑っている。何を聞いただと?仲良くお勉強?は、馬鹿な。
言っておくが、俺は頭を下げて頼まれた(その様な事実は無い)から引き受けたのであって、決して、断じて面白そうだから便乗してみようなどと浅はかな考えがあった訳では無いからな。
くれぐれも妙な邪推はするなよ」
反射的に語気を強めて捲し立てるが、それが悪手であった気付く頃には後の祭り。
──せめて、義妹の洞察力が鈍い事を切に願ったが。
だが、そう甘い願いが通じる筈はなく。
レヴィアは笑い声が向こう側に洩れない様に必死に通信器を手で押さえていた。
急に無音になった結晶体。まるで潮が引く様に、カルミラの頭に上った熱がスゥッと下りてゆく。
通話口の向こう側を想像すると死にたくなる。いや、一度死んだ身としては冗談が過ぎる。海亀宜しく目の前の砂浜に穴でも掘って埋まってみようか。
「………はい、大丈夫です。わ、わかってます」
自棄気味な事を考えていると声が戻ってきたが、やはり不自然に震えている。その気遣いが居たたまれなかった。
「ええいくそ、満足か……。
今思えば確かに俺らしからぬ浅はかさだ。だが。間を置いて、少し解った。
俺が置かれていたのは自由とは名ばかりの宛の無い漂流。星すら見えない暗夜航路だ。
俺は恐らくあれに、灯台を視たのだろう。
いや、正しくは灯台の中で手を振る灯台守か……標かと寄ってはみたが、蒙昧な視界は変わらず、足元は尚暗く。あれに登ったところで同じものが見れるかどうか。
腕を組み、外から眺めている」
言い換えれば、灯火に寄って行った画の様なものと表した。
義兄にしては随分と抽象的な表現、いや、そう言った表現をせざるを得ないほどに確信を以て動いている訳でも無いと言う事だろうか。であるならば、
「夜明けが来れば、きっと解りますよ。多分ですけど。
……所でー、その感じだと、船。もしかして一緒に乗るんですか?」
「だっ………誰が、そんな事を言った。
ふん……お前ごときにまんまと乗せられて詰まらん事を喋りすぎたな。俺から不覚を取った事は褒めてやろう。
夜更かししていないでとっとと寝ろ。
ではな」
そのつもりである、と図星を言い当てられまたしても早口で捲し立てる。
すっかり緊張感が欠けてしまっているらしい。これ以上口を滑らせてなるものかと、強制的に通話を切った。
「……貴様は呑気なものだな……」
カルミラの視線を落とした先、先ほどと全く変わらない姿勢で伸びている猫の姿に溜め息を吐いた。
「あーひどい。切りましたね。
自分から掛けてきたくせに。
……じゃがいもの芽は取らないとって言い忘れてたんですけど……まぁ、判りますよね」
切断ノイズと共に静かになった通信器に、今や届く宛の無い悪態をつく。
それにしても本人なりの努力もあろうが、あの角の取れ方は周囲の環境や人に因る所が大きいだろう。
「……良かった」
ただ漠然と、口を突いて言葉が零れていた。
