2022.APR
cast:ユーリック、レイシェント、カルミラ
宵闇に包まれる商店街の中。
黒軍服を翻して歩く男の手には、持参した時よりも嵩の増した紙束。
ゆったりとした此方の足取りを追う様に、街路灯の光が着いてきてくれるお陰で文字を読むのに差し支えは無かった。
歩きながらまた一枚、ぱらりと紙を捲ると突然黒い影に紙束が浚われた。
「───ん」
突然手の内から消えた束を探してぐるりと周囲を見回せば、宵より尚色濃い影を纏った赤毛の男が立っていた。
その手には先ほどまでユーリックが手にしていた紙束が握られている。
「これはロアコート殿。お元気そうで」
然して驚いた様子もなく、いつも通りの調子でユーリックは目を細め、柔く笑顔を作って見せた。
赤毛の男──レイシェントは無言で近付き、取り上げた紙束を男に返し『そちらも相変わらず』と皮肉を混ぜた言葉を返した。
「随分熱心な様だが、足元くらい見たらどうだ。
『また』人にぶつかるぞ」
もう何十年前か、同じ様なやりとりをした事を回顧する。
昔からの癖は直っていないのかと、レイシェントは呆れまじりの溜め息を吐いた。
「心配なされずとも、寧ろ十m先の歩行者も気付いて避けられるようになりましたよ。
誰かさんからよく鍛えて頂いたお陰で転びもしない。
──で、何かボクに御用があるのでは?」
知り合いだからと言ってわざわざ挨拶や雑談をする為に姿を見せる様な男ではない筈。
しかも此方が一人のタイミングを見計らってコンタクトを取りに来たと言う事は、相応の用件なのだろう。
ユーリックは紙束をバッグに仕舞い込み、相変わらず若いままの姿を保つ元上司の言葉を促した。
顎に指を添え、どう伝えるべきか考える。
恐らくは自分にしか捉えられていないであろう微かな違和感を。
「いや、少し気になる事が。
……最近、本国の方はどうだ」
言葉にしてみるも、意図を伝えるにはやはり足らない。
片眉を上げた黒軍服の男の顔には疑問符が描かれている。
「……魔物の方だ。
減っているとは訊いたが、未だ湧いているのだろう。
何か、変化など聞いていないか」
そこで漸く合点がいったか、ユーリックの顔に浮かぶ疑問符が感嘆符へと変わった。
ユーリックは近年の魔物の情報について、記憶し得る限りの記録を頭の引き出しから引っ張り出す。
が、特に際立った事件や事故案件も探り当てられず首を横に振った。
「いや……寧ろ最近は本当に魔物絡みの話を聞かなくなった様に思う。
言われなければ気付かなかったが、特にここ数ヵ月は全くだ」
魔物の対応も軍の仕事の一部。自身の多忙にかまけて蔑ろに出来る様な問題ではない。
改めて記録を浚ってみなければ不確定な評価ではあるが、確かに現状は異常なる平和振りだ。
「境界が切り離された影響、にしては急すぎる……此方で何かあったと?」
レイシェントは一つ頷くと、自身だけが探知し得る違和感について話し出す。
「最近、此方でも度々魔物の気配を感じる様になった。
だが、存在自体は非常に不安定なのか…それとも隠れるのが上手いのか。探ろうとしても直ぐに見失ってしまう」
モンスター、或いは闇の力を借りる者、それと近しい者、様々に気配を拾いこそすれ魔物の気配を間違う筈がないのだ。
同じものをその身の内に飼う者として。
「やはり此方に何か渡っている可能性は、あるのだろうか」
「……レヴィア君は、一時ではあるが精神的概念で、カルミラは黄泉に渡って尚も此方に浮上した。
何が送られて来ていてもおかしくはないだろうね」
魔物を身に宿す、とは如何なるものか。
ユーリックには想像が敵う筈も無かったが、少なくとも三十年もの間魔物の侵食に抗い続け、遂には屈服させた男の言葉、気配の存在を疑う事は無かった。
「あと、元上司殿の冗談はもっと面白くない筈ですからね」
にこりと笑みを浮かべ、ともかく承知したと懐からメモ紙とペンを取り出した。
「此方も何かあれば連絡しよう。貴方の連絡先を此処に。
常にふらふらしている訳でもないのでしょう?」
「……本当に相変わらずだな君は。
一応エリザ達と行動は共にしている……が、この件は未だ他言無用に」
眉間に皺を寄せ、やや粗く筆記具を受け取った。
自分の連絡先をユーリックのメモ帳に書き付け、閉じると持ち主へと突き返してやった。
双方連絡の約束を取り付けた所でユーリックは宿への帰路へと戻ってゆく。
黒服の背を見送り、此方も踵を返しかけたところを『そうだ、忘れるところだった』と声を投げて呼び止められた。
何事かと振り返れば、ユーリックは杖で支える脚を半ば引き摺る様に此方へと歩み寄る。
「数ヵ月前の事だったもので、すっかり頭の隅に追いやっていた。全く、ボクとしたことが」
本国用の通信端末内、データフォルダに保存してあった画像を表示させ、赤毛の男に示した。
「過去の研究資料をひっくり返していた時に何冊か“博士”の日誌を見付けたもので。
恐らくは在軍当時のものと思われるが……必要ならばあちらに戻り次第、貴方に送るよう手配するが」
しかし、レイシェントの反応は今一つだった。
筆跡からして、正真正銘“彼女”が記した本物である事は判ったが、怪訝に表情を曇らせる。
解せないとでも言いたげだが、黙して画像と此方の顔を順に見比べている。
尤も、この反応は予想通りではあるが。
これを預けられたのも三十年前。だが、当時の事は鮮明に思い出す事が出来た。
ユーリックはやや困った様に口端を緩める。
「貴方に見られるのは恥ずかしいと仰られていてね。論文やらと纏めてボクに預けられたのだよ」
端末の画像に落とされていた金眼がゆっくりと此方の顔へ持ち上がる。
「……君になら良かったのか」
声が出てていると気付いたのは、口から溢れ落ちた後だった。
しかも、あからさまに憮然とした色が付いてしまっていた。
黒軍服の元部下は無遠慮に吹き出し、身を仰け反らせて笑っていた。
「──いや、いや。
貴方以外の人間で、ある程度信用出来る相手なら誰でも良かったと言う意味だと思うが」
誤解を払う様に手を振って、今度は身体を折り曲げ膝を叩いている。
抑えようとも笑いが込み上げるなど、何年越しの事か。
方やレイシェントは表情を凍てつかせて身を屈めて笑っている男を見下ろして。
昔ならきっと胸ぐらを掴み上げていただろう。それでも笑っていただろうが。
漸く落ち着き、『あぁおかしい』とユーリックは顔を上げて目尻を拭った。
「あの人は貴方以外の人間にまるで頓着が無かった。
ボクは貴方の部下として顔は知って貰えていたが、名前を呼ばれた事すらない。
兎に角、ボクが持っていても仕方が無い。
研究資料なら兎も角、人の日記を覗く趣味は無いしね」
どうやらユーリックにNoの返事を聞く気は無いらしい。
無表情で不承不承頷いたところで、此方へ向かって駆けてくる微かな足音に気が付いた。
若い、青年のものか。正体はおおよそ想像がつく。逃げるように夜闇に身を移し──ふと、問いかけた。
「……桜は見ないのか」
レイバーンには未だ桜前線が届いておらず。数日で帰還するのであれば、本国にて既に絶滅した花を見る機会を逃す事になる。
だが、ユーリックは顔を綻ばせて頷く。
「年甲斐もなく夢の種子を手にしたもので。
それの萌芽と共に見られたならば、燃える花の臭いも焼ける樹の姿も拭い去ってくれるのではなかろうかとね。
楽しみは、先に取っておくことに」
語りかける相手は既に闇へと姿を溶かし、視認すら出来なくなっていたが、最後に『そうか』と短い応えが返ってきた。
その後は、自ずと宵の街路に静寂が戻るのみ。
だがそれも、青年の駆け足の音と此方を呼ぶ張りのある声で直ぐ打ちに払われた。
呆れ混じりに足音の正体を振り返る。
「毎日宿まで送る必要は無いと言っているだろう、カルミラ」
「いえ、総監。あの、赤毛の男の姿が、見えたものですから……お怪我は」
遠目にユーリックとレイシェントの姿を見付けて全速力で駆けて来たらしい。激しく肩を上下させて息を乱していた。
額を伝う汗を拭い、顔を上げると、黒軍服の男は『怪我?』と何の事かまるで解らず目を丸めていた。
「は……以前あの男のせいで大変な怪我をなされたではないですか!
また同じ様な事があっては……」
そこで漸く思い出したか、軽く指を弾いて『あぁ』と軽い感嘆符を洩らした。
「あの時君にやって貰った脱臼の処置は上出来だった。
お陰で以前より肩の調子が良くなった」
さらりと涼やかな笑みで流そうとするも、カルミラは『ふざけないで頂きたい!』と珍しく激昂を顕に此方へぶつけてきた。
ユーリック見据える青年の眼からは、レイシェントへの憎悪すら垣間見える。
一体あの男の何が気に入らないのか。改めて考えた所で、そう言えばと気が付いた。
「カルミラ、どうやら君はあの男がボクに怪我を負わせた悪人とばかり思っているのだろうが、少し誤解がある。
あれはボクの元上司だ」
「──え。元、じょう……え、どういう……」
どう見ても二人の外見年齢が吊り合わない。
いや待て、確か以前相棒が『軍の先輩』などと言っていた様な。
あの男の素性などろくに調べもしていなかったが、思い返せば確かに頷ける点も幾つか拾い上げられるか。
「いや……だとしても!
あの時俺があと少し遅れていたら、総監は怪我で身動きが取れないまま魔物に喰われていた!
その報いすら受ける事無く奴は──!」
拳が真っ白になるほどに握り締め、震わせるカルミラに対し、此方は飽くまで穏やかに、諭す様に肩に手を置く。
「カルミラ、ボクは彼に何度も、時には命さえ救われた。隊長のくせ自ら殿(しんがり)を譲らず、融通も利かず……義を通して死んだ男だ。生きてたが。
隊長としては二流だが、人間としてはけして君が思う様な外道などではない。
寧ろ呆れる程に人が善過ぎる程だ」
フォローする気があるのか無いのか。微妙に判断付けがたい言葉で、それでも真摯に諭され、やがて青年は目を泳がせ始めた。
再度、カルミラの肩を叩く。
「一応、ボクにとってそれなりに恩義ある人なのだよ。再び見える機があるのならと、自ら死地に向かってしまう程度にはね。
──ま、だからと言ってボクに迎合して態度を改める必要は無いがね。君の感情は君のものだ」
ユーリックはあっさりと話を切り上げ、黒軍服を翻して宿への道を歩き始める。
どう答えを返したものか。考えが空転するままカルミラは立ち尽くしていたが、背中はみるみる離れてゆく。
二人の間を夜闇が阻む前に慌てて後を追った。
「……総監、宜しければもう少しその、前線に立たれていた頃のお話など伺えますか。
いや、あの男の話を聞きたい訳ではなく」
今でこそ技術部門のトップに立つ男だが、かつては情報連絡員として後方とは真逆の最前線の部隊に配属されていたと聞いていた。
黒軍服はその当時から、階級や部署が変わろうと頑として纏い続けているもの。
今までは踏み込み過ぎると口にするのを憚っていた話題だが、今なら訊くことが出来る。
ユーリックは首を捻りつつ曖昧に、だが確かに頷いた。
気は進まないが、今更突っぱねる理由などなかった。
「……元隊長の話は兎も角、ボクの話など然して面白くもないと思うがね。
まぁ、宿につくまでの間なら」
若く、自分の才を認めない周囲への鬱屈から酷くひねくれていた青年期を思い出す。
どうやったらここまで真っ直ぐ育つのか、などと隣の青年との対比を密かに自嘲した。
「うわ、脚に何か……曹長か!たぬきかと思った…」
二つ並んだ陰に、やがてキャラメル色の毛玉も追い付く。
花壇の花々を凍えさす風が吹く夜道、帰路の歩みにしてはやけに鈍い二人と一匹の姿が在った。
