
先に駆け出したのは、緑髪の少年の方だった。
分厚い双剣を翼の様に広げて構え、何事か意味を成さない声をあげながら真っ直ぐに屍人形を従えた少女へと向かって行く。
応じてクルシュケイトも動く。鮮やかな青の眼には冷酷さが宿るばかりで、いつもの彼女の明朗な雰囲気は影も見当たらなかった。
携えたメイスで眼前のシージスを指せば、掃討目標を定めたレギオンがそれぞれ大刀を、槍を振り翳す。
目の当たりにしても尚、信じ難い光景だ。ゼクティスは子供の戯れでは、などと一瞬疑ってみたが、場に満ち満ちた殺気にその考えは容易く退けられた。
刃と刃がかち合う寸前、シージスとレギオンの間に身を滑り込ませると大剣でシージスの双剣を、狂いなく突き出されるレギオンの槍を掠める程度に身を捻って受け流し、ゼクティス越しのシージスに当たる寸前で掴んで止めた。脇腹が裂け、鮮血が散る。
大刀を持ったレギオン——ギルトが断頭刃の如く獲物を振り下ろす。舌打ち一つ挟んだ呼吸で大剣を握る右手に更に力を込め、振り上げざまにシージスを弾き飛ばした。
耳障りな金属音。
寸での所でギルトの大刀を受け止めるのにも成功した。だが安堵の息を吐く間もなく、背後から突然有り得ない熱量と橙の光を感じ、顔だけで振り返る。
(魔法か!)
体勢を立て直したシージスは、圧縮した熱エネルギーを双剣に付加し刃を一瞬で赤熱させる。その滾る赤は今のシージスの眼光に重なった。
「邪魔をぉッ……しないで下さい‼︎」
「クソッ──この馬鹿が!」
唸る様な叫びと共に突き出される双剣。
双剣と槍を受け、半ば無理矢理大刀を受け止めていたゼクティスはまともに防御する余裕などとうに無かった。それでも致命傷だけはと未だ大刀の圧力が掛かる大剣を退き、振り返りざま大剣——Requiem《レクイエム》の三連の飾り刃で受ける。
その際に大刀の刃で肩から背にかけて切られたものの、傷は浅い。真っ二つにされなかっただけ御の字か。しかし刃が擦れたその刹那、圧縮されていた熱エネルギーが一気に開放される。
「なッ……」
眼を見開くのがやっとだった。
気が付けばゼクティスの身体は、派手な爆発音の余韻を伴って三mは吹き飛ばされていた。地に叩き付けられる直前で不恰好だが受身を取り、ふらつきながらもどうにか膝を支えに体勢を立て直す。
外套の強化炭素製の繊維が幸いしてか。爆炎に巻き込まれた割に大事には至らなかったが、双剣を受けるために振るった右腕はそれでも二の腕から手の甲にかけて赤く爛れていた。まるでゴムが焼ける様な、嫌な匂いだ。無痛の体質でなければ今剣を握っていられるのも怪しかっただろう。
知った顔だからと油断をしていた訳では無いが、ここまで手酷くやられるとは思わなかった。ゼクティスは眩む視界を正す様に手の腹で頭を打ち据え、首を振る。
「この、馬鹿餓鬼共! ンな夜中に回りの迷惑省みずに何やってやがる‼︎」
叩き付けられる様な青年の怒声に、二人は思わずたじろぐ。
「クルシュ、お前こんなとこで暴れたらどうなるか判らねぇ訳じゃねぇだろ。そんで、シージス。なんだってお前がここに居るんだ。クルシュとやりあって、なんだってんだ」
子供とは言え、クルシュケイトとて愚かではない。教団内で騒ぎを起こしたその後の事を考えていないとは思えなかった。だが彼女はゼクティスを睨み据えると、負けじと声をあげた。
「ッ……邪魔すんな便利屋! なんも知らない奴が、気安く首突っ込んでんなよ!」
「は……?」
余裕無く返ってきた答えにならない答えに更に眉を歪めて困惑する。一方のシージスは苦し気に唇を噛んで眼を伏せていたが、顔を上げると此方に剣を突き付ける。その眼に余裕などあろう筈も無い。
「お願いです、ゼクトさん。今だけは何も言わず見逃して下さい。無関係だろうが、これ以上邪魔するなら僕は貴方だって殺す覚悟です」
(何がどうなってんだ……、何が何だかさっぱり判らねぇ)
冷酷な殺気を纏った静かな声音。少年の纏う雰囲気は昼間の穏やかなものとは打って変わって、同一人物であるかすらも疑わしく思う。
少なくとも、二人揃って冷静さを欠いているのは確かだ。
「ゼクト!」
「エリザか」
混濁する思考の最中、背後からの呼び声に振り向けば、どうやらレヴィアが連れてきたらしいエリザベートが駆け寄って来ていた。得物は備えているが、いつもは高い位置で纏めてある長い金髪も今は下ろして背に流していた。
彼女は腹や肩に傷を作ったゼクティスを見るなり軽く苦笑する。
「レヴィアに呼ばれて来てみれば……全くこれは、面倒な事になってるな。それになんだその様、随分と二人に苛められたみたいだな?」
「後から来てうるせぇよ……何だか知らねぇが兎に角あいつら、コッチの話は聞く耳持たないときてる」
舌打ち混じりなゼクティスの答えを聞き、ふむとエリザベートは一呼吸置くとゼクティスの背を叩いて歩き出す。
「シージスはともかく、クルシュは尚更お前の言うことなんて聞かないだろうよ。
クルシュは私が何とか宥めるから、お前はシージスを頼む。
さっきこの中庭一帯をレイの影の空間で閉じ込めた様だから、多少暴れても構わないらしい」
軽く周囲を見回してみれば成る程確かに。空も、建物の影も闇に塗り潰されてしまっている。それでも互いの姿ははっきりと視認出来るのは奇妙な錯覚の様だ。
「……りょーかい。〝躾〟して首根っこ掴んで捕まえて来てやる」
「あぁ、加減を誤るなよ」
わざとらしく気怠げに返された応えに頷き、一言注意を添える。エリザベートはゼクティスの脇を通り抜け、そのままクルシュケイトに歩み寄り、距離を詰めて行く。得物に手を掛ける事もなく、警戒心を露にすること無くいつもの調子で、歩調で無防備に寄って行く。
「え、エリザ姐さん……」
「さぁクルシュ、レギオンを引っ込めてこっちへ来るんだ」
「でも……」
にこやかに手を差し出す彼女の語調は、確かに上辺こそ穏やかだろう。だが、その翠の瞳に浮かぶのは冷徹怜悧な光そのものだった。
忘れていた訳では無いが、エリザベートは若年の女性の身でありながら少将の地位にまで上り詰めた傑物である。仮に命知らずに彼女に反抗するとして、先ず意志の根から潰されよう。
「お前に銃口なんて向けたくはないんだが、なぁ?」
また一歩エリザベートが踏み込んで来る。裏を返せばその言葉は最後通告にも等しい意味を持っていた。知らぬ内に半歩退いた足が竦んでいた。
おぞましい眼だ。相手に対する情があろうが、彼女の意に沿わないなら躊躇わず撃つ。そう告げる眼だ。
悔しさに歯噛みし、シージスの方を見遣る。しかしクルシュケイトは諦めた様に肩を落とした。
「わ、判ったよ……姐さん」
俯き気味にそう言うとクルシュケイトはレギオンの臨戦態勢を解いた。
その返事にエリザベートは満足気に一つ頷くと、クルシュケイトの手を取る。
「勿論お前からもシージスからも事情を訊かせて貰いたいところだが、あれでは落ち着いて話など出来ないだろうし、あの子はゼクトに任せて今はここを離れよう。……導師も、随分心配してたぞ?」
目を伏せたままのクルシュケイトを振り返りながら、早足で彼女の手を引く。
(心配される価値なんて、あたしには……)
心で呟いた言葉を声に出る寸でのところで抑え、代わりに唇強くを噛む。
ただ、子供故の己の無力さが、守られているままの現実が歯痒かった。
一方でゼクティスは、クルシュケイトがエリザベートに連れられるのを横目で確認すると、再びシージスに向き直る。
「さぁ、次はお前の番だ。大人しくついて来て貰うぜ」
しかしシージスは尚も剣を下ろす気配は無く、忌々しげに此方を睨め据えて頑なに首を振る。
「どうして……何で僕の邪魔を……! ……僕、言いましたよね。邪魔をするならあなた達も殺す覚悟だと。それを今更撤回するつもりは、ありません」
「お前が何を思ってこんな真似してるのかなんざ知った事じゃねぇが……こんな必死になるって事は昼間言ってた話とクルシュが関係あるってことか?」
自分の故郷を滅ぼした犯人を探す為に旅をしている、と。ゼクティスは第壱都市に来る道中、彼が話していた事を思い出す。
解せない。それは七年も前の話である。クルシュケイトがその件に関与しているとは、第三者の立場とて考え難かった。
「…………」
「黙ってるって事は図星か?」
沈黙を肯定と受け止めゼクティスは続ける。
「でもそれは七年前の話だろ、仮にあいつがやったってんなら何を根拠にっ——!」
耳障りな甲高い刃擦れの音。
言葉の終わりを待たずにシージスが瞬時に距離を詰めて斬り込んで来たのだ。寸でのところで反応し防いだものの、容赦の無い突きに肝を冷やす。
「おい! 少しは話を……」
そこでシージスの茶の双眸と視線がかち合う。
「根拠なんて、『犯人は死霊使い』。あのレギオン達がやったんだ。それだけで充分! だから、お願いですからっ……邪魔しないで下さいよ……!」
何かに憑かれた様なその眼に寒気すら覚えた。
復讐を己への免罪符にし、例え誰を殺めようと厭わないなどと。恐らくこの少年はとうに目的と手段が入れ替わってしまっているのだろう。
「……クルシュが自分から教えてくれたんです。
『憎いんなら殺してみろよ』って! だから、他の人が横から入る余地なんて無いんです!」
クルシュケイトが自らを仇だと言ったというのか、甚だ巫山戯た話だとゼクティスは憤る。
「んな馬鹿な事があるか! 嘘みたいな話をまんまと鵜呑みにしやがって」
「嘘かほんとかなんて、もう僕にはどうだって良いんだ! ……ならゼクトさん、僕を止めるって言うならこの気持ち、あなたが受け止めてくれるんですか!」
「ああやるってんなら上等だ。好きなだけ相手してやる。但し、泣いても知らねぇからな!」
ゼクティスは既に傷んでしまった己の外套を剥ぎ捨て、大剣で真っ直ぐに少年を指した。
レイシェントの能力によって隔絶された空間は、外目からは空間内部の様子を伺い知ることは出来ない。
本来ゼクティスとシージスが居るべきその場所には何も無く、ただ僅かに空間位相をずらしたことによる水面の様な景色の揺らぎがあるのみである。
これはアルザラの街での戦闘でレイシェントが使用した影の空間の応用で、適用範囲を拡げる代わりに空間同士の遮断率は格段に落ちてしまう。だが、少なくともこの騒ぎを隠す程度であれば充分な目隠しだ。
ノクサス、レヴィア、レイシェントは内部に居るはずの四人が戻って来るのを待っていた。
いつもは黒服と外套で一部の隙間無く全身を包んでいるレイシェントも、今は上着一枚羽織っている程度の軽装である。彼の身体は魔物の因子が融合している為、日光には弱いが夜はそんなことも関係ないらしく平然としている。
エリザベートが影の空間の中に入って早数分。
彼女からくれぐれも外で待っているようにと釘を刺されたレヴィアは不安の為か、落ち着き無くレイシェントへそちらの方向へと視線を行ったり来たりさせている。そんな胸中を察してか、レイシェントは一つ息を吐く。
「……心配せずとも、エリザならば上手いことやってくれるだろう。むしろ適任だ」
「わ、解ってます! それは解ってます、けど……」
「……解っていても心配。か」
声を返したその刹那、肌を撫でる夜風が微かにざらついた。己にとってはとうに馴染んだ感覚だ、これは。よく知っている。しかし、何故ここに。不可解な事象に、僅かにレイシェントは眉をひそめた。
半端に言葉尻が切れたままだったのが気になったのか、ノクサスが背中越しに声を掛けた。
「レイシェント君、どうかしたかい?」
「導師、いや……」
振り返った先に立つ藍髪の男のその背後、目視によって最早疑心は確信に変わる。
躯の軸が定まらずぐらりゆらりと蠢く濁った金色の双眸が浮かぶ影法師の姿──魔物だ。
レイシェントは思考を巡らすよりも先に身体が動いていた。
眼前のノクサスとの立ち位置を入れ換える様に彼の肩を掴んで押し退け、空間の裏側に仕舞っていた大鎌を引き出し、携える。一息で魔物との距離を詰め、逃げる猶予も与えず大鎌を振り上げる。そしてその遠心力と得物の重量に任せ、脳天目掛けて垂直に打ち下ろした。
たかが小物一体、躯ごと潰す程度ならば充分な威力である。呆気ない、だが確かな手応え。地に突き立った大鎌の刃。
肉が潰れる様な生々しい、不愉快な音と共に真っ二つに割れた魔物が派手に酸化色の血液を飛び散らせた。
「い、一体何が……」
突然押し退けられたノクサスは一連の事柄について行けず、ただただ驚いていたもののレイシェントの前に出来た赤黒い血溜まりに気付くとようやく事態を把握した。レヴィアも同じく気付いたらしい、喉の奥で引きつった悲鳴を洩らした。
「れ、レイさん……! まさか、それっ……」
「ああ、魔物だ。都市の、しかも施設の内部にまで現れる様になっているとは……。導師、これは以前からか?」
レイシェントの問いにノクサスが苦い顔で頷く。
「……あぁ、つい最近だよ。隠してた訳じゃないが、大体一年程前から此処にも魔物が現れ始めてる。今のところ出るのは夜の間だけだけれど……、うちの衛士もやられたどころか、民間の怪我人も出てる」
「成程……厄介この上無い。それにまだ居るな……ざっと十体前後か」
「——え、判るのかい?」
「……魔物には、馴染みが深いもので」
ノクサスやレヴィアには未だなりを潜めている魔物の姿は見えていない様だが、レイシェントだけは過敏に気配を感じ取っているのだろう。不快に表情を曇らせる。
「そんなに……市街区の方は大丈夫なんだろうか……。やれやれ全く……聖都に次ぐ防衛機構を備えた鉄壁の都市も今は昔って事か……参ったね」
「今がおかしいんです。きっと、境界が崩れかけているから……。いや、それより危ないですから早くノクサスさんは中へ逃げた方が良いです!」
自身にも魔物の気配が迫っている窮地に立たされているにも関わらず、まるで他人事の様なノクサスの口振り。彼の安穏とした雰囲気に絆されかけたがレヴィアは我に返り、慌てて屋内に退くようノクサスを促す。
だがノクサスは動く気配すらなく、それどころかレヴィアに柔い笑みを向けた。
「有難うレヴィアちゃん。折角心配してくれてるところ悪いけど、部下の不始末を人に任せて放っては行けないよ。それに、多分もう……」
ノクサスはちらりと赤毛の男を見遣る。
「あんたの察しの通り、囲まれている」
視線を受けたレイシェントは一つ頷き、思わしくない事態を告げる。
夜闇は魔物の姿を覆い隠す。レヴィアと共に逃げたところで、死角から幾らでも襲撃出来るだろう。能力で魔物に優位が取れるとは言え、姿無き敵からの攻撃全てに対応することなど出来ないだろう。彼の希望通り、このまま魔物に取り囲まれた中心に留まるのが最適解と言える。
しかしノクサスは窮地など顧みず、飽くまで余裕の構え。軽く肩を竦めた。
「……だってさ。こうなれば退くに退けないってとこだね。でもまぁ、俺が見込んで信頼した君らだ。今後も命を預けさせてもらわなければならない機会が巡ってくるだろう。そこでだ、是非とも君らの力を期待させて貰いたいんだけど、構わないかな?」
「……回りくどい言い回しは無用だ。実力を図りたいなら、勝手にそこで此方の働きを見ておけば良い。私達をどう判断をするのかはあんた……導師次第だ」
素っ気も愛想のひとつも持ち合わせないレイシェントの言葉にノクサスは肩を竦めて『無駄口だったかな』と苦笑する。
レイシェントは此方に背を向けたまま、レヴィアへ声を投げる。
「しかしこの数、流石に私一人あの空間遮断を展開した上に君達を庇いながら相手をするのは骨が折れる。レヴィア、君には洸晰がある。盾を張り、導師と共に身を守るのに専念して……」
「レイさん、私だって皆ほどじゃないですけど、戦えます。覚悟もっ、もう出来てるつもりです! 私ひとりだけ下がって見てるわけには、いかないんです!」
「何を——」
全く予想していなかった彼女らしからぬ鋭い反論に思わず振り返る。だが、少女のその眼を見れば心情を悟るのは容易であった。紫瞳に映る光は、覚悟の色。
レイシェントは、金の瞳を細める。
(成程、守られるのにも飽く頃合いか……)
レヴィアとしては今までこの様に戦闘になる度に前線から退けられていたのが歯痒かったのだろう。己の無力を突き付けられている様で。
寧ろこの少女の性分を鑑みれば、自分の代わりに他の者が傷付く事の方が余程耐え難いのだろう。そう考えれば納得であった。
レイシェントは一つ頷くと、唇の端を緩める。
「そうか。……では、戦力として当てにさせて貰う。だが無理はするな」
レイシェントは血に塗れた大鎌を一回転に振りかぶって血振りを済ませ、そのまま肩に担いで構え直す。この大鎌——catharsis《カタルシス》は片腕で振るうに余るある大きさではあるが、結局どう使うかは最終的に使い手に委ねられる。基本、右手一本で振り回す彼にとって肩に担いだ起点が一番馴染んだ構えなのだ。
方やレヴィアも髪を纏めているリボンを外すと臨戦態勢に入る。
少女は祈りを捧げる信徒の如く祈り手を組んで目を閉じると、脳内で自身の洸晰を変化させるイメージを形作る。
今回は敵の数が多い。元々戦闘技術が高い訳では無いのはレヴィアも自覚しており、両腕二本を刃に変えたところで直ぐに詰んでしまうのは目に見えていた。技術も経験も足りないのであれば手数で補えば良い。至極単純な話だ。
やがてレヴィアは洸晰の造形変化を完成させる。今回は髪を形作る洸晰を使った為、本来なら腰下まである髪は首筋が覗くまで短くなっていた。代わりに彼女の周囲には全部で十本の金色に輝く剣が浮いていた。
一本一本が独立個体となる為、操作は相応に複雑になるが出来る出来ないなど言っては居られない。そもそも操作のイメージをし易くするために腕を残したのだ。
本当は怖い、今すぐにでも逃げ出したいという思いが一切たりとも無かったと言えば嘘になる。だが、レイシェントに大見得切ってまで戦うと宣言した手前もう後に退くなど有り得ない。
「私なら大丈夫、……大丈夫です」
外したリボンを祈り手に握り締め、自己への暗示を唱える。早鐘を打つ鼓動を奥歯を噛んで抑える。戦う覚悟は出来ている。その意志には一辺たりとて偽りは無いのだ。
深く、意識を研ぎ澄ます。
光使いは、ゆるやかに静かに腕を挙げた。
「な、何だ。これは……!」
クルシュケイトを伴って戻ってきたエリザベートは、中庭の風景の余りの変わりように一時言葉を失っていた。
辺り一面の草原は血の色に染め上げられ、真っ黒な魔物の死屍が累々と転がっている。魔物は殺してしまえばやがて血液共に霧散して消えるものだが、こうして屍が残っていると言うことは未だ絶命して間がないのだろう。事実、自分が此方に戻ってくるまで、そんなに時間は経っていない筈だ。
はっと我に返ると、エリザベートは急ぎ駆け足でノクサス達の元へと向かう。
「導師! これは一体……なっ……⁉︎」
エリザベートはノクサスの傍らに座り込んでしまっているレヴィアに気付く。
「どうしたんだレヴィア! もしかして怪我をしたのか⁉︎」と慌てて片膝を付いてノクサスと同様にしゃがみ込む。
先刻は三つ編みにしていた金髪も今はばらばらに解けてしまい、汗ばんだ頬に乱れた髪が張り付いていた。
「え、エリザ……そんなに心配しなくても私は大丈夫ですよ。怪我なんてしてませんし、ちょっと慣れないことして疲れただけですから!」
見た目にも明らかに疲労を滲ませ、肩で息をしている。だが幼馴染みを安心させようと、レヴィアは「おかえりなさい」と殊更明るい笑顔で迎えた。
エリザベートは「本当か?」と再確認しレヴィアがこくこくと頷くのを見ると、ようやく余裕無く強張らせていた表情を溜め息と共に緩めた。
「エリザベート君、周りを見て判っただろうけど魔物が現れたんだ。何せ頭数が多くてレイシェント君だけではとても手が足りなかったからね。レヴィアちゃんも頑張ってくれたんだよ。悪い、心配かけたね」
「そうでしたか……! いや私としたことがてっきりレイが判断を誤ったのかと勘違いするところだった……」
どうやらエリザベートはレイシェントを責める気満々だったらしい。相変わらずの過保護振りだとレイシェントは面には出さず密かに辟易する。こればかりはノクサスの隙の無いフォローに感謝せざるを得なかった。
さて、と一つ間を置き、ノクサスがおもむろに立ち上がる。
血に染まった草を踏み締め歩み寄る先には、距離を置いて俯き立ち尽くしたままのクルシュケイトが居る。
ノクサスは、いつもと変わらぬ穏やかな声音で名前を呼ぶ。
「クルシュ」
「導————」
掌が頬を張る乾いた音。
一瞬、時が止まった様に空気が凍った気がした。
クルシュケイトもこうなることは覚悟していたのだろうか。張り飛ばされた頬を押さえる事も無く、固く目を閉じたままじっと耐え、直立不動を保っている。
暫しノクサスは、感情の色を隠す眼鏡越しからクルシュケイトを見下ろしていた。だがやがて、ゆっくりと屈んで視線の高さを合わせると、小さな肩を引き寄せ腕の中へと強く抱き寄せた。
「あれほど先走るなと、生き急ぐ様な事はするなと言ったのに……! これはお前一人が抱える業じゃない。頼むから……俺の寿命を縮める様な真似をしないでくれ」
その声はまるで親が子供に言い聞かせるかの様な慈愛と、そして自責の悲哀が滲んでいた。
背に回された手から伝わる微かな震えが、ノクサスの心底からの言葉で有ることを肯定していた。クルシュケイトは男の肩に顔を埋めたまま歯噛みし、一層強く掌に爪を食い込ませる。
「でも、でもあたしは! ……あたしは、自分が間違った事をやったとは思っちゃいない! これはあたしが蹴りをつけなきゃなんないんだから!」
「そう……。やれやれ……本当にお前は、気負い過ぎると言うか……生き難い子だね」
ノクサスは困った様に小さく苦笑だけを洩らす。ぽんぽんと軽く頭を叩いてやると、クルシュケイトを腕の中から放し、少女の手を開いた。握り過ぎた両手は白く血の気を失い、爪が食い込んだ掌は薄く血が滲んでいる。
ノクサスはスラックスのポケットから取り出した白いハンカチを乗せて手を握らせた。クルシュケイトは困惑顔でノクサスと己の掌を見比べると、思わず突き返そうとする。
「い、要らないっての。こんなのっ……!」
しかしノクサスは意に介さず、寧ろ返せない様にと掌にハンカチを巻き付け固く結ぶ。
「遠慮なんてお前らしくもないね。貰える物は貰っておくものだよ。さぁ、戻ろうか。
こうなった以上、あのシージス君って子と皆が揃ったらちゃんと腹を割って全部話して……それから、先の事も話し合わないとだ」
「……っでも……そうしたら……」
「大丈夫だよ、誰もお前から離れて行ったりはしないさ。前にも言ったろう? お前の力はお前を縛り付ける為の枷じゃない。クルシュや他の誰かを守る為に与えられた贈り物なんだ。俺も……〝彼女〟も、お前が力に囚われてしまう様な事は望んでない」
ノクサスはクルシュケイトの手を両手で包み込み、眼を逸らさずに言い聞かせる。
少女の〝死霊使い〟の力。もといそれによって操作されるレギオンには、クルシュケイトの手に渡るより以前に根深い曰《いわく》が染み付いている。
クルシュケイトが如何にレギオンを狂い無く操作し、間違いの無い使い方が出来たとしても、彼女にはその曰からの無音の脅迫から逃れられないのだろう。ともすれば呪いとも称せるが、反してこの力はクルシュケイトにとって揺るがぬ誇りでもある。その相反する想いの均衡を何とか保ちながらクルシュケイトはこれまでレギオンと付き合って来たのを、ノクサスはよく知っていた。
人の魂を動力にレギオンを従えると言うこと。それは、未だ十代そこらの子供が抱えるには余りに重すぎる重責である。出来れば少女自身に関わりの無い曰、になど囚われないで欲しいと思ってはいるのだが。
「大丈夫。それにお前の方がよく解ってはずだよ、皆いい人だって」
「……導師……」
ノクサスはクルシュケイトが僅かに頷くのを認めると「よし」と笑い立ち上がる。そして少女の手を引いて新しい仲間の元へと歩き出した。
(しかし、そう上手くいくものかな……)
眼鏡の奥の瞳にほんの一瞬翳った不安の色に気付く者は誰も居なかった。次の一瞬には再び強い意志を写していたからだ。
(いや、清算しなければならないんだ。〝私〟が。全てを。やってみせるさ、〝エレナ〟)
もう何合しただろうか。ゼクティスが横薙ぎに振るった大剣はシージスの双剣に受け止められ、橙の火花を撒き散らす。
「ちッ……」
少年とは歴然とした体格差がある。そのまま体重で押し込み、体勢を崩してやるのは容易く思えたが甘い見立てだった。
更に踏み込もうとした瞬間、足元の温度が急激に奪われていくのを感じ、咄嗟に身を引きに転じる。足元の水分が通常では有り得ない速度で凝固したかと思えば、鋭利な氷筍となって地表から突き上げた。ゼクティスは寸でのところで飛び退き、串刺しを免れた。
先程からこんなことの繰り返しであった。
只でさえ捌くに厳しい双剣での攻撃に加え、魔法と言うおまけまでまで付いているのだ。如何せんシージスの手数が多過ぎて、接近戦では対処するのに精一杯。中々此方からの攻撃に転じることが出来ない。かといって態勢を立て直そうと距離を取ればそれこそ魔法の良い的になる。
双刀を振るっているかと思えばその間に魔法を練っている。双刀の間隙を魔法で埋めて来る、といった具合の戦闘の組み立てである。遠近自在の射程を持つ少年の得物は、例え一人ではなく複数人で相手をしたとしても非常に厄介なものだろう。
戦術の最適解だったとしても、鍛錬無くして実現出来ようものか。一体どれ程苛烈な死線を越えれば、僅かこの年齢で此処までの技術に到達するのだろうか。
それもシージスの中に渦巻く憎悪——報復心に由来するものだとでも言うのか。何にせよこの少年、とんでもない化物だ。
感心する間も無くまた少年が距離を詰め双刀を叩き込んでくる。
一斬一突に全霊の殺意を刃に映し、肉と骨その奥の命を喰らいに掛かるその様、言うまでもなくシージスは此方を殺しに来ている。それに対しゼクティスは殺すのではなく、飽くまで無力化するのが目的なのだ。やり辛い事この上無い。このままではジリ貧必至。
ゼクティスは一層深く眉を寄せ、顔を歪めた。
「何なんですかさっきからその緩い攻め方。舐めてんだか何だか知りませんが、手加減なんて温い事しないで下さい!……殺す気で来てくれないと、こっちだって後味悪いじゃないですか!」
かく言うシージスに決定的な一打は無いものの、此処までの渡り合いの中で確実にゼクティスの刃は届いている。事実、彼の衣服には至るところに血が染みていた。
表には出していないが、終始間隙も許さない程に刀を振るっているのだ。かなり体力も消耗している筈。
だが彼は自分の身体が動く限り、戦いを止める気は無いのだろう。もしかすれば四肢の一本落としたところで無駄なのかも知れない。
「一人前ぶって大口叩いてんじゃねぇクソガキ! 上手く隠してるつもりだろうが、息上がってんのが見え見えなんだよ」
「──ッ! るっさい……煩い! さっさと……黙って、殺られろッ‼︎」
図星を突かれたか。途端シージスは激昂し、再び双剣を構えて斬り込んで来る。
もう思考する余裕も無くなっているらしい。シージスの振るう双刀の軌道には段々と精密さも失われていた。大きく口を開いての呼吸も、隠しきれなくなっている。
腹目掛けて突き出された刀をぎりぎりで躱し、それに大剣を振り下ろせば衝撃に握力が堪えられずシージスの手から得物の片割れを叩き落とすことに成功した。
だが背を取られる前にシージスは更に姿勢を落とし、進行方向そのまま転がる様に受身を取り反転。二、三歩後方へ距離を取ると、ゼクティスへ向けて魔法による火球を一気に三つ作る。
避けられるか。いや、三つの火球は確実に此方の逃げ場を塞いでくるだろう。難しいか。
僅かにたじろいだゼクティスはふと、足元に目を落とす。先刻脱ぎ捨てた黒の外套が目に入る。先刻も火球の攻撃を受けた際にも引火して燃え広がらなかった事から、多少の耐火性があるのだろう。
存分に風を送り込まれ、轟々と火勢を増した球が放たれるのと同時に外套を剣先に引っ掛ける。酸素を喰らって螺旋の軌道を描き、迫る火球の進路を阻むように眼前に投げつける。
耐火性を持った素材の外套は、ゼクティスの思惑通り火球を受け止めた。炎に巻かれ拡がる外套にお互いの視界が一時阻まれる。
魔法による攻撃が失敗したと悟ったシージスは、隙を突かれる前に左手に残った刀で外套を横一文字に斬り飛ばす。が、それは迂闊だった。
外套越しに現れたのは、今まさに大剣を振り下ろすゼクティスの姿。
「あ……」
対して、此方の懐はがら空きだ。
黒髪の隙間にちらと見えた青年の青の眼と、直後に視界を染める己の身体から噴き出す朱色の景《かげ》。これは何だと理解する間に、灼け付く様な鋭い痛みが身体を襲う。シージスは膝から崩折れ、両手を地に付いた。
「——ふッ! ……うーううぅ……ぐッ……う……!」
激痛を堪えようと踞り、くぐもった声が漏れる。熱く痛む胸の辺りを強く押さえると、溢れた血が指の間を伝い落ちていった。
「シージス! クソッ……言わんこっちゃねぇ!」
この時ばかりは完全に攻撃の有効射程に入ってしまった。咄嗟に退きはしたものの、噴き出した血の量にゼクティスの背筋が冷える。
直ぐに屈んで少年の刀を手離させると、肩を掴んで踞った姿勢を起こして傷を診た。斬った手応えはほぼ無かった。と言う事は掠める程度で致命傷に至る傷では無いはず。いや、そうである事を願う。
幸いにして傷は浅い、が範囲が広く出血も多いらしい。シージスの衣服はみるみるうちに深い血色に染まっていた。何にせよ、直ぐ処置をしなければ不味い状態であるのは明らかであった。
先ずはノクサスに訊いて、医療施設にでも連れて行かなければ。ゼクティスは迷わずシージスを肩に担ぐ。装備品が有るためか、見目より重く感じる。だが体型自体はレヴィアとほぼ同じくらいであるため苦ではない。
なるべく揺らさぬ様にと注意を払った。
「ぜ……ゼクト、さん……」
「ちょっと辛抱しろよ、病院かどっかに連れていく。お前に話を聞くまでに勝手に死なれちゃ困るからな」
「…………」
間もなく教団施設に併設された医療局に運び込まれる頃には、シージスの意識は既に無くなっていた。
——————
シージスが再び眼を醒ましたのは、三日後の事だった。
ゼクティスと交戦した際の傷は、見目には大きな物だった。だが傷自体は浅く、処置が早かったお陰で命に別状は無かったのだ。
中々目覚めなかったのは、溜まっていた疲労が要因であったらしい。
真夜中で〝目隠し〟もあったとは言え、あれだけ派手に争ったのだ。一夜にして荒れ果てた中庭の有り様に不穏な噂が拡がりつつあった。その説明として、あの晩の一件は魔物の出現への対応、そして侵入者の対応を行ったとノクサスは公表させた。
当の〝侵入者〟であるシージスの扱いは、ノクサスの図らいにより現状はただの子供故の悪戯による不法侵入と言うことになっているらしい。
しかし、聖都には敵わずとも此処は主要都市の中枢機関である。そんな場所に子供が悪戯で教団の施設内へ侵入したなど、些か無理のある話ではあるのだが。
ならあの怪我は、と流石に医療局側に不審がられたが、そこはノクサスが上手く口八丁と地位を盾に誤魔化し押し通した。医療局側のスタッフも概ねそれで納得したのかさせられたのか、それ以降は此方を訝しむ気配は感じられない。
導師の肩書きはやはり伊達では無いらしい。
しかし、出来ることならばシージスの目覚めを待たずとも、早急に今回の事の経緯を説明して貰いたかったものだが。ノクサスは頑として、「あの子が目を醒ましたらね」との一点張りを崩さなかった。
そして三日後。ようやくシージスの意識が戻ったとの報せを受け、彼の病室にゼクティス達は集まった。
流石にシージスは横になったままであったが、やはり居心地悪そうに窓の向こうに視線を向けている。方やクルシュケイトもまた同様に目を伏せたままだった。
「さて、シージス君……と言ったね。初めまして。俺はここの教団と都市を預かっているノクサスだ。宜しく」
「……は、はい……」
ノクサスはあくまでもいつもの調子で、柔和な笑顔をシージスに向ける。
シージスは視線は合わせないものの特に反抗的な様子は感じられず、出会った当初の様な穏やかな心根の少年に戻って居るようだった。
「さて……どこから話せば良いかな……。シージス君、君は魔操士の一族の出だと訊いたけれど本当なんだね」
シージスは「……ええ、本当です」と一つ頷くと、ぽつぽつと身の上を語り始めた。
「僕は昔、リシュリと言う辺境の地で魔操士が暮らす村に住んでいました。都市や派生都市とは繋がらず、機械なんてほとんど無くて、自然ばっかりの田舎の村ではありましたがそれでも皆で平和に暮らしてたんです。
……でもっ! 七年前、突然だれかに殺され……みっ、皆……家族もッ……僕達が何をしたって……!」
皆まで語るに叶わず、シージスは包帯が巻かれた腕で顔を覆い嗚咽を漏らす。シージスにとって自身の生まれ故郷が、知人友人家族が全て理不尽に奪われたのだ。幼い心に深々と打ち込まれた杭は容易くは抜ける筈がない。それどころか腐り、傷を膿ませ憎悪と言う汁を垂れ流し続けているのだろう。
齢十四程度の少年が抱えるには余りにも、辛い。
そして本来彼が持つ優しさ故に尚悲しむのだ。
「何が起こったのかも判りませんでした……。お父さんとお母さん、そして……お婆ちゃんが身代わりになって何とか僕を逃がしてくれました。日にち感覚も判らず必死に走り通して振り返ったら、村は……火の、海……で空は真っ黒に……染まってた。地獄みたいな場所に、変わってた」
嗚咽を漏らすシージスに、ノクサスは静かに「有難う」と頷く。
「成る程な……そこまでは、判る。けど、何だってそれとクルシュが関係ある?」
ゼクティスが答えを急く様にノクサスに尋ねた。
「……うん、順を追って話そう。
七年前と言えばまだ前任の導師が教団を指揮していた頃だ。その頃は特に教団の異端思想が激しくてね。実のところ魔操士は確かに少数ではあったけれど、シージス君の村だけではなくもう少し沢山居たんだそうだ」
しかし人間と言うものはかくも愚かなもの。いつもの穏やかな笑みを浮かべるノクサスの表情には、日暮れの様に影が差してゆく。
「彼らの扱う魔法を恐れて魔操士を異端者と称して駆逐していったのさ。他所の都市から来た君らも、一度は聞いた事があるんじゃないかな。俗に言う、悪魔狩りと言うやつさ」
かつて教団は、悪魔狩りと称した武力制圧を行っていた過去がある。
表向きは魔物と同等、それ以上に人間にとって驚異となり得る化物の殲滅であったが、実際は無抵抗の魔操士達を一方的に掃討していたのである。
勿論、魔操士側も一方的に殺されるのを潔しとするはずもなく度々教団側と魔操士側で争いになった。しかし元々数が少ない魔操士が抵抗したところで敵いはせず、彼らはその数を確実に減らしていった。
そして七年前、最後の魔操士達の砦となり殲滅の対象となったのがシージスの村であった。
「最後の弾圧作戦の時、新任衛士として一人の教団衛士が参加していたんだ。〝人形使い、エレナカスト・サニア〟」
「……あたしの姉さんだよ」
それまで沈黙を続けていたクルシュケイトが、ぼそりと口を開く。その先はノクサスが引き取った。
「彼女はクルシュと似た様なもので、人の形をしたものを操る術に長けたひとでね、出来ることならばその力を生かして魔物から人を守りたいとレギオンを作ったんだ。だが、不本意にもその能力を買われて人を殺める側に回ることになった」
しかし元より殲滅作戦に乗り気では無かったエレナカストはレギオンを使う気など無く、まだ試作段階のそれをそのまま連れ立って出発した。
だが、その判断こそが誤りであったのだ。
「動かないと踏んでいたレギオンが勝手に自立行動を始め、暴走してしまった。当時レギオンは三体居て、一体は魔操士によって破壊されたものの、たった三体のレギオンが瞬く間に魔操士の集落を壊滅させてしまった。
——凄まじい戦果だ。対してこちら側の損害は無し。当時は英雄扱いされたさ。しかし、その事でエレナ……彼女は罪の意識からから心を病んでしまい、自害した」
虐殺の罪に潰されようと、せめてこの悪魔狩りの異常性に気付いて欲しいとの願いもあったのだろう。だが、声無き死は後に遺される者達に何も伝わりはしない。汲み取れたのは、余程彼女に近しかったほんの僅かな者だけ。
飽くまで教団側は異端者弾圧への正統性を保つ為にエレナカストの自害はけして表沙汰になること無かった。うやむやの内に揉み消され、飽くまで病による突然死とされた。
「当時の俺は余りに無力だった。先見《さきみ》の眼を持って生まれたために次代の導師として期待されてはいたものの、只の教団と言う組織の傀儡《かいらい》でしか無かったんだ。俺も日々多くの血が流れるのを、黙って見ている事しか……出来なかったんだよ」
何と情けない事か。自らこじ開けた傷の痛みと、無力感への憤りにノクサスは唇を噛み締めた。
魔操士の掃討が完了した翌年、新しく中枢都市聖都のトップとして任に就いた現皇帝が教団の排他的な姿勢を改めるべく異例の教団への介入を行い前導師を解任。
次代の導師として後に控えていたエイミール・ウェルジット──現在のノクサスを新しい導師として第壱都市のトップに据えたのが全ての事の顛末である。
「……そして俺は二度とこの様な悍ましい歴史を繰り返さないよう、教団の組織改革から何から考え得る限り徹底的にやった。幸い、旧教団内でも疑問を抱く者は少なくなかった。
それでも、何度も生死の綱渡りをする程度には恨みを買ったさ。けれど、君の仲間やエレナの命に報いるには……全然、安過ぎる」
暫し病室には沈黙が流れた。
誰も、何も口には出来ず、只々今話された事実を受け止めている様だった。
無音にぽつり、「じゃあ」とシージスが虚ろに言葉を漏らす。
「僕の仇なんて、もう何処にも居なくて僕一人がずっと空回ってたってこと……?」
静寂の中、シージスは乾いた嗤いを洩らしていた。
やがて溢れ出す感情に取り憑かれた様に、己の身体も省みずに包帯の巻かれた半身をのろのろと起こす。何を思ったか。シージス自身にも解らぬままに、彼はばね仕掛けの如くベッドを飛び出し、ノクサスの襟に掴み掛かった。
「じゃあ、僕の今までの復讐の為に身を削って心を焦がしてきた時間は! 全部無駄だったって事ですか‼︎ 一体何なの! なんだったの、僕の! これまでは‼︎」
強く掴んだ襟を力任せにがくがくと揺さぶる。慟哭めいたシージスの叫びにノクサスは僅かも狼狽える様子は無く、ただ黙してその悲嘆を我が身に受け止めていた。
不味い、とゼクティスは咄嗟に身を乗り出し、少年の左肩を掴んでノクサスから引き剥がすと再びベッドに無理矢理押さえ付ける。シージスの上半身に巻かれた包帯に鮮やかな朱色が滲んでいたのだ。
「おい止めろ暴れんな! 傷が開く!」
「——ッ、いぃっ……!」
幾ら大事に至らなかったとは言え、傷口は広いのだ。シージスは再び蘇った皮膚を裂く痛みに顔を苦悶に歪めた。
「落ち着け! 誰もお前の事を否定する気も無ぇ、まして肯定する気も無ぇ。勝手に自分独りで決め付けんじゃねぇよ」
「復讐したって何も返って来ないなんて解ってた! ……せめてけじめが欲しかったんだ……じゃないと、永遠に先に進めなかった……でも、なら……僕はどうすれば、良いの……!」
シージスはゼクティスを睨め据え、尚も声を荒げたがそれ以上の言葉に詰まる。やがて凝り固まっていた膿が溢れるかの様に止めどない涙が頬を伝って落ちてゆく。
少年にとっては生きる意味を奪われたに等しいのだ、隅まで理解してやれる訳でもないが解らなくも無い。
乱れて皺の寄った襟を正そうともせず、項垂れた緑髪を見詰めていた。
おもむろにノクサスは漫ろに長い外套を引き摺りながら、ゆっくりシージスの寝台の脇に歩み寄る。そして少年の目線に合わせる様に屈んだ。
「シージス君、俺……いや〝私〟はこの都市を与《あずか》る導師として、二つの責任を果たさなければならない」
「責任……?」
訝しむシージスにノクサスは「そう」と一つ頷く。
「一つは我々教団が君から大切な物を全て奪ってしまった責任、そして……今回の騒ぎの発端となった君の処分を決める責任だ」
「——!」
眼鏡越しのノクサスの眼には、先程までの苦悩もいつもの柔さも無かった。逸らすことを許さず此方を射抜くそれは、今や完全に第壱都市を統べる統治者の眼だ。
シージスへの処分、事情が事情とは言え本来ならば教団施設に勝手に立ち入った事自体が禁を破る行為なのだ。酷ではあるが、上に立つ者の意見としては当然の対応だろう。
「……解ってます。これは全部僕一人の身勝手。でも唯一生き残ってしまった僕が復讐を捨ててしまったら、皆の無念の向かう先は……? それが怖くて、気付かないふりをしてた」
抱えた頭を振りかぶり、ノクサスの陰に隠れる様に佇んでいるクルシュケイトを指の隙間から見遣った。
「もう……もう、ほんとうに誰でも良かった。七年ですよ? 誰かのせいにして楽になってしまいたかった。感情の置場が欲しかっただけ。早くけじめを付けて、解放されたかった。身骨まで灼かれるやり場の無い気持ちに。
僕の独りよがりで、何の責任の無いクルシュに刃を向けた。下手をすればとんでもない間違いを犯すところだったんです。……謝って済むことじゃ、ありません」
だがクルシュケイトは、それは違うと頑として首を横に振る。
「は──、一人で勝手に思い上がんないでよ。あんたの為じゃない。あたしはあたしで身内の不始末に蹴りを付けたかった。優かった姉さんが死んで尚も恨まれてるなんて、嫌だったって、だけ」
「クル、シュ……っ、ごめん……」
子供故の不器用さ故か、否。
ノクサスは眼を伏せ、僅かに俯く。
大人が作り出した大きな業に年端もいかぬ彼らが巻き込まれ、負わされ、喰われかけたに過ぎないのだ。彼らが負うには重過ぎた荷だ。そして常に身勝手な業に巻き込まれるのは、弱い立場にある子供達である。
歪んだ感情の形で噛み合いぶつかってしまったこの事態。一番避けたかったはずなのに、回避することは叶わなかった。この〝千里眼《clairvoyance》〟の先見を以てしても、曲げる事を許されない〝絶対事象〟。
御大層な肩書と、先を視る眼を持ちながら何度己の非力を呪えば済むのか。ノクサスは思わず自身の頬を張り叱咤したくなる心中を抑え、顔を上げた。上げた視線の先でシージスの瞳を捉える。
少年の身体が僅かに萎縮した様だったが、もう眼を逸らすことは無かった。
「この都市を預かる者として君に処分を言い渡す。
——この第壱都市への、無期限駐留と就業奉仕。これが、君への〝処分〟だ」
「⁉︎ それって……」
訳が判らないとでも言いたげな、シージスの困惑しきった顔。
通常ならば都市内で罪を犯せば相応の禁固刑の後に都市を追われるか、それでなくとも都市からの永久追放は確実のはず。非情ではあるが、それが法と言うもの。しかし導師は自分に都市を出ず、此処に留まれと言う。
此処を追われたところで、元々各都市や街を転々と彷徨っていたシージスにとっては元の生活に逆戻りするだけである。尤も、以前とは違い達すべき目的も叶えたい望みも潰えての放浪になるが。
「どうか君の居場所を、帰る場所を此処に作らせてくれないかい? ……それが、〝俺〟が君に果たさなければならない責任だ。我々が君から奪ったものは余りにも大きい。愚かしいが返したくとも返す術も無い。幾ら鎮魂の祈りを捧げたとしても、遺された者には少しも届きはしないだろう。だから、せめて。……勿論君が良ければ、の話だけどね」
ノクサスはようやく己が身に纏わせた険を解き、どうかな? とまたいつもの様に穏やかな語調で首を傾げる。眼鏡越しの菫の眼は、告げた言葉に二心の無いことを確と物語っていた。
「わ……解ってるんですか……。た、確かに直接の関係は無いかも知れないけど、貴方は僕の故郷を滅ぼした教団の一人で……」
「うん、そうだ」
「また同じ様に、こ、今度は貴方に刃を向けるかも知れなくて……」
「そうだね、判ってる」
喉の筋が引き攣り、声が震える。
辛うじて絞り出す皮肉一つ一つにノクサスは柔く穏やかにそして受け止める様に頷いた。
「我々が生んだ業は当然無かった事になんて出来ないし、まして……君に赦して欲しいなんて口が裂けても言えない。もし仮に何かあれば、その時はその時だと思っているよ。皆、覚悟の上だ」
そう言って、ノクサスは破顔する。
この男は見透かしているとでも言うのだろうか、自分が真に求めていた物を。二度と手に入らないと諦めるも、やはり納得出来ずに足掻いて他人のせいにして誤魔化した物を。
「……それも〝千里眼〟ですか?」
千里眼に人の心理まで視る力は無い。しかし導師はどうだろうね、と敢えて曖昧にはぐらかした。
だがノクサスには解る気がした。何と無く似ているのだ。初めて会った頃のクルシュケイトに。
ほんの数年前。クルシュケイトが未だ自分の直属の部下でも無く、見習いの衛士だった頃の事である。
彼女は姉譲りの操作術の才を持っている為、戦闘衛士としては年不相応な程に優秀であったが、こと協調性には欠けていた。魂を操ると言う特性から自身の力を忌み嫌い、自ら他人を遠ざけ周囲から孤立していたのだ。
そのせいか元々修練や座学もサボりがちで、よく図書館の奥に隠れては時間を潰すのが日課だったらしい。幾ら注意をしても聞く耳を持たずと言ったところで、教官らも常々手を焼いていた様だ。
皆と席を並べて修学するくらいならば、とほぼ独学で教本を読み解き、教官を無理矢理納得させ敢えて放置させる状況を作った様だ。
ノクサスはたまたま図書館で隠れてサボっているクルシュケイトに会ったのだ。
開口一番に「おっさん、誰?」と睨まれたのには流石に面食らったが。
まさかその少女が、かつて片想っていたエレナカストの妹だとはその当時露とも思わなかったが、興味本意で色々と話し掛けてみるなかで言葉の端から心の内を垣間見た。真に孤独を好む者などいるものか。子供ならば尚更だ。当時の彼女もまた、居場所の無い迷子であった。
今のシージスの眼は当時のクルシュケイトとよく似た淋しい迷子の眼をしているような気がするのだ。
「──それで?お前はどうすんだ?」
「僕は、……」
答を急くゼクティスの問いに、シージスは言葉を詰まらせ眼を伏せる。言い渡されたのが命令である以上、拒否権など無いのは無論承知の上だがそれでも躊躇う。
——良いのだろうか、と。
「そう難しく考えるな、使えるものは使う。利用出来るものは利用する。その程度の気構えでいれば良い」
エリザベートは背後に立つレイシェントを振り返り、更に同意を促す。
レイシェントもまたようやく此方に聞こえる程度の声だったが「そうだな」と頷き呟いた。
「皆さん……!」
遠かれ近かれ寝台を囲む六人を其々見比べ、眼の奥が熱を帯びる。強く眼を閉じ、何とか堪える。再び開いた眼に浮かぶのは、意志の込もった強い光。
「……判りました。こんな僕でも此処に居て力になれるのなら、皆さんにも迷惑かけたぶん頑張ります」
纏まりの悪い言葉ではあったが、シージスは半身を起こして居住まいを正すと宜しくお願いします、と一礼をした。
——————
ノクサスとの面談から、早数時間が経っていた。
暮れ泥む紫色の空には既に僅かに満に足らない朱色の月が昇ろうとしていた。どうやら眠っている二日の間に満月を過ぎてしまったらしい。
改めて仲間となった面々も出払い、シージスは自分以外誰も居なくなった病室でぼんやりと窓に切り取られた空を眺めていた。
「〝仲間〟……かぁ」
不意にぽつりと、半端に開いた唇から呟きが洩れていた。
顧みれば、故郷を炙り出されてからというものずっと独りで過ごしてきたシージスにとってゼクティス達は初めて出来た仲間であった。家族ほど密接でもなく、友人ほど気易いものでもない。自分以外頼る者が居なかったシージスにとって、新しく現れた彼らの存在はかくも奇妙なものであった。
まして自分は彼等と刃を向け合ったのだ。事情は何であれそれでも尚、彼等は一度は敵対したシージスと言う不穏分子を仲間として受け入れた。否、受け入れてくれた。
ノクサスとてシージスを教団に置くのは責任故と言っていたが、普通に考えればたかが子供一人。助けたとて然したる利益も無いし、まして天地ほど身分の差が有るにも関わらず、あの男は出来うる限りの誠意を以てシージスへの対応をした。
もしかするとノクサス自身も何かしら私情を抱えていたのかも知れないが、何れにせよまるで奇跡の様な話ではないか。
「……うん、頑張らなくちゃ」
けして遺恨が消えた訳ではない。だが、自らを暗澹に置き続ける過去の傷から抜け出せるよう手を差し伸べた彼らの想いを蔑ろにしてはならない。シージスはひとり、強く頷いた。
そして今、訪れたのは信じ難いほどに穏やかな一時である。ゆっくり寝台の上で微睡むなどいつ以来だっただろうか。
しかしその一時の安寧を引き裂く様に無遠慮な病室の引戸を引く音。勢いが付き過ぎてレール金具の悲鳴が混じる。振り返って先に在ったのは、仏頂面に食膳の盆を持ったクルシュケイトの姿だった。
「ぅひゃあ! びっくりしたぁ……、クルシュか。えっと……どうしたの?」
「見ての通り、飯持って来てやったんだよ。まだ点滴が良いんならソッチにするけど?」
流石に意識が戻ったにも関わらずこのまま点滴というのは辛い。
容赦の無い言葉にシージスは慌てて礼を言うとクルシュケイトから盆を受け取った。主食が粥の軽食ではあったものの、数日振りのまともな食事は胃に染み渡る様だった。
食事の間、クルシュケイトは盆を下げる為か。椅子に腰掛け、床に届かない脚をぶらつかせながらシージスの食事が終わるのを待っている。
「……あの、クルシュ」
食器が鳴る音だけが響くこの部屋の沈黙に耐えかね、遠慮がちに声を掛けた。クルシュケイトは「あん?」と柄悪く応える。
ようやく解ってきたが、特に不機嫌な訳では無くどうやら多少粗っぽいこの受け答えが彼女の癖らしい。
「ええと……その、クルシュは……。僕がここに留まることは嫌じゃないの?」
既に決まってしまった事ではあったがシージスは一つ残った危惧を思い、躊躇いがちに問う。クルシュケイトもまたシージス同様、複雑な心境下にあるはずであり自分の存在は過去の古傷の象徴ではないのか。それが唯一引っ掛かっていたのだ。
しかし、クルシュケイトは嘲笑する様に「は」と笑いを洩らす。
「何であたしが嫌だって? ……言っとくけど、あたしは別にあんたを仇だ何だとかは思っちゃいない。むしろ憎んでたのは馬鹿な考えを持った此処の大人達だよ。大人が要らない争いを起こしたせいであたしの姉さんは意味も無く巻き込まれて……死んだんだから」
少女の言葉は段々と怒気を孕んでゆく。過去に負った傷はクルシュケイトとて大きいのだ。頭で解っていても思い出せば今も憤怒が沸き上がってくる。
「ごめん……でも、それならどうして今もこの教団に?」
率直な疑問だ。普通ならば陰惨な思い出があるこの場所を離れたいと思うのでは無いだろうか。
クルシュケイトはどう言えば良いのか迷い、薄紅色の髪を掻く。
「あー……アレだよアレ。今日のあんたと同じ様なもん」
「僕と? ……って、もしかしてノクサスさん?」
一見不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、唇を尖らせる。きまり悪く逸らされた顔。その頬には赤みが差し、落ち着き無く一回頷いた。シージスはあぁ、と得心したように苦笑した。
「……なんていうか狡いんだよ、あのおっさん。ひとが一番求めてる言葉を寄越してくれる。何が何でも理解してやろうって躍起になる。赤の他人だってのに」
「とんだ人たらしなんだよ!」と自棄糞気味に喚くクルシュケイトにシージスは思わず吹き出した。そうか、彼女もまた自身同様あの男に救われたのか。故に教団から縁を切ることも無くに未だ此処に留まれているのだ。
「笑ってんじゃないっての」
「ごめん、でも……そうだね。確かに。ふふ、狡いひと」
傷に響くがどうにも込み上げる笑いは止まりそうも無い。
「だけど、本当に良い人だからクルシュも好きでノクサスさんの傍に居るんだね」
今の話を聞く限り、常に他者を寄せ付けようとせず刺々しい気性を露にするクルシュケイトであってもノクサスに対しては心を開き全幅の信頼を置いているのであろう。大概の事は笑って受け流す様なノクサスの寛容な性格も有るのだろうが、そうでなければ尚の事側付きなどやっていられないはずだ。
シージスの言葉にクルシュケイトは「んなっ!」と思わず声を上げて椅子を蹴って立ち上がる。突然の事にシージスは驚き、眼を見開く。
「ど、どうしたの?」
「え……あ、あたしは別に団体行動が向かないからってあのおっさんの側付きにさせられてるだけであって好きで居るわけじゃ……っていやそうじゃなくてあーもう何言ってんの! 馬ッ鹿みてぇ」
「へ? あの、クルシュ? 僕、何か変なこと言っちゃった?」
「別に、何もっ!」
動揺を露にし、耳まで赤くなったクルシュケイトはどうにも居たたまれなくなる。空になった食膳の盆に目を付けるとかっさらう様に持ち上げ、そのまま早足で扉に向かった。
何をそんなに慌てているのか。よく判らないまま見送ろうとしたが、小さい後ろ姿にシージスは危うく忘れかけていた言葉を投げる。
「待ってクルシュ! ……あの……これから、宜しくね」
「んあ? あぁ……」
クルシュケイトはくるりと振り返ると、皮肉たっぷりに口角を上げて笑った。
「此方こそ、精々宜しくしてやろうじゃねぇの」
——————
かの騒動から約二週間が過ぎた頃。
シージスの負った傷は痕こそ残ったもののほとんど癒え、もう日常生活への支障は一切無いように見える。已むを得なかった事とは言え、傷を負わせた本人たるゼクティスは正直な所気が気ではなかったのだ。
傷が癒えると、先ずゼクティス達へ先日の言葉通り、教団の〝手伝い〟をしたいと相談し申し出た。その〝手伝い〟の内容とは夜間の都市内の哨戒、つまりは都市内で頻発している魔物の出現への対応である。その意向はクルシュケイトを通して直ぐにノクサスにも伝えられた様だ。
「確かに君への処分として、就労奉仕だとは言ったけど……」と最初こそ返答に渋ったノクサスであったが、シージス本人の強い希望を受たのもあり、条件付きで何とか了解を得る事が出来た。
「解ってると思うけれど、魔法の使用はしない様に。君が魔操士だってバレちゃいけないって理由も勿論あるけど、何より街中で使って二次被害を起こしちゃ不味いからね」
「了解ですっ!」
張りのある声を執務室に響かせ、シージスは揚々と胸を叩いて見せる。
彼の実力であれば魔物を相手に戦うのは問題無いのは既に知った所であるが、やはり子供に戦いを要求するのは本意では無いのだろう。ノクサスは眉尻を下げながらもシージスの溌剌とした返事に「助かるよ」と礼を告げる。
彼は腰を上げるとシージスの身柄を押さえた際、密かにノクサス自身が預かっていた双刀を本棚の裏側から取り出して来た。
「それじゃあ、これは返しておかないとね」
不法侵入の上、凶器まで持っていたとなれば擁護も儘ならない。だがこんなものを廃棄する訳にもいかず、一時的にノクサスが預かっておく事になったのだ。
だが、ゼクティスに手入れを頼んで来たあたり、元より早々にシージスへ返すつもりだったのだろう。継ぎ接ぎの合皮で巻いただけの鞘もついでにゼクティスの手で新調されていた。
生まれ変わった様な自身の双刀に目を丸めながら受け取ると腰のベルトに元通りに提げた。見目は変われどやはり中身は馴染んだもの、安心感さえ抱く重みだ。
「あ、でも、ノクサスさん」
「何だい?」
「僕、結構ここの建物の中とか普通に歩き回ってるんですけど……大丈夫なのかなって」
右目の回りに彫り込まれた刺青に触れながらシージスは数日前より抱いていた懸念を口にする。七年前まで魔操士と教団は殺し合いを演じていたのだ。結果的に魔操士側が敗れてしまったものの、魔操士と言う存在にへ敵意を抱く者が居ない訳が無いのではないか。
「確かにね、起きた過去は変えられない」とノクサスは頷く。
「あれから教団内人員の再編もあって、相当数の人員が入れ変わってはいる。が、君ら魔操士の事を知らない人間ばかりになった訳じゃないし遺恨が消えた訳じゃない。君の心配はもっともだ。だけど——」
「だけど?」
「君が心配してるより、シージス君って結構見た目普通の男の子だよ。こうして話してるだけだとちょっと判らないね」
「ええ? そうかなぁ……」
くすくす笑いながら話すノクサスに腑に落ちない、とシージスは首を捻る。
そこに背後から「あぁ確かに」と同意の声。それはシージスに付き合ってノクサスの執務室に来ていたゼクティスのものであった。
「多分本気で戦わねぇ限り、お前が声を大にして魔操士だの言っても信じられねぇだろうな」
「何ですか、ゼクトさんまで」
意地悪く揶揄され、むすっと膨れ顔でシージスはゼクティスを振り返るが、その視線を受け流す様に頬杖を突いた顔を逸らした。
「まぁまぁ」とノクサスは二人を宥めつつ苦笑いを漏らす。
「君を教団に引き込んだ時点で、俺にとってのシージス君は〝魔操士〟である以前に仲間だと思ってる。君の戦力としての協力を見込んで期待してた訳じゃない。が、手伝いを申し出てくれたのは素直に嬉しいし此方も助かるよ」
ノクサスは腰掛けていた椅子から立ち上がると身を乗り出し、机越しにシージスへ「宜しくね」と右手を差し出す。
少年もまた応える様に慌てて手を差し出すと、ノクサスは力強くその手を握った。
線は細いが、シージスのものより大きな手をよく見ると判や万年筆のインクで至る所汚れている。長年染み着いた汚れは洗った所で落ちないのだろう。指先はインクの色が皮膚に沈着してしまっている様に見えた。
シージスの視線に気付いたノクサスは「あぁ、ごめんね。付いちゃったかな」と握った手を放した。
「あ、いえ! そんなつもりじゃ」
「最近はデジタル入力の文書も増えたけど、全部が全部そう言う訳にもいかないし」
立ち上がった序でに伸びをしながら、ノクサスは首を回したり指を鳴らしたりと凝り固まった間接を解す。
「上座で呑気にふんぞり返ってるって訳にもいかねぇか。導師様もご苦労なこったな」
「はは、高見でふんぞり返って指図するだけの指導者なら別に俺じゃなくても良いね」とノクサスは皮肉を含ませながらも笑う。
シージスは相も変わらず所狭しと積み上がる膨大な書類により、片付かない導師の執務室を改めて見回す。
書類の中でも処理の優先度の高いもの、既に目を通されたもの、シュレッダーに掛けて廃棄が必要なものなどクルシュケイトが選別して整理してはいる様だが、それでもこの有り様である。クルシュケイトが片付けている分、最初にこの執務室に入った時よりマシにはなっているが大差は無い。
「俺は君らの様に現場に行って戦えないし、指揮すら出来ない木偶の坊だ。その分、此処で俺が出来る事を頑張らせて貰ってるんだよ」
立場上、自ら直接戦いには赴かない導師ではあるが彼にとっては恐らく此処が〝戦場〟なのであろう。
「実際に身体を張って戦ってる君らと比べれば、ずっと楽な仕事だよ。別に事務仕事が嫌いな訳じゃないし」
だがシージスはノクサスの言葉に「いえ」と首を横に振ると導師を見上げる。
「きっとこれはノクサスさんにしか出来ない大事な仕事ですよね。だったら、僕は僕にしか出来ない事で頑張ります」
「……有難う。哨戒とは言え、最近は大きな怪我をして帰って来る衛士も多い」
「くれぐれも、気を付けて」と念押すノクサスにシージスもまた確と強く頷いた。
丁度その時、示し合わせたかの様なタイミングで執務室の扉が手荒くノックされる。このノックの癖を思い浮かべる人物は二人と居ない。声を聞くまでも無くノクサスは「クルシュかい?」と応えた。
予想通り、現れたのはノクサスへの追加の書類と思しき紙束を抱えたクルシュケイトであった。少女はゼクティスの顔を見るや表情を苦々しく歪め「あー、なんか狭ッ苦しいと思ったら」などと当て付けがましくぼやいてみせた。
「……イチイチうるせぇな、クソガキ」
「何、用が無いんなら外出てなよ便利屋。シゴトの邪魔だっての」
「言われなくても用が済みゃ出てくわ」
「こーらこらクルシュ、ちょっかい出さない。ゼクティス君も乗らない」
クルシュケイトから書類を受け取りながらノクサスは溜息混じりに少女を諫める。当のクルシュケイトは「はーい」などとまるで気の無い返事を適当に返すと、スイッチを切り換えた様につらつらとノクサスへの報告と書類についての注釈を始める。
——と言っても、ぞんざいな口調である事に変わりはしないが。
「……んで、コッチが東区A一一のインフラの補修と改修の見積もり。二十八日までに確認して返答だけど訂正があるなら二十四日までにってさ。そんでー……」
ノクサスは身を屈めてクルシュケイトが指し示す書類を覗き込みつつ、相槌を打っている。少女に従う訳ではないが、これ以上は単にノクサスの仕事の邪魔になるだけか。長居すべきでないだろうとゼクティスはシージスと共に執務室を後にした。
一通りの報告や伝言を済ませた後、クルシュケイトは「あぁ、そうそう」と思い出した様に柱時計を見遣る。
「今日は都外警備班の定期報告日だけど、また二十一時過ぎになるってさ」
ノクサスは了解、と頷くと「まぁ、時間は当てにならなそうだけどね」と肩を竦めた。
「……文句言うつもり無いけどさ、おっさんが直接報告を受ける必要ってある? 誰かに仲介させた方が良いと思うけど」
クルシュケイトのこの提案は今回が初めてではなかった。
〝都外警備班〟と言うのは立場はゼクティス達の様な客員衛士と近い。但し、第壱都市に籍を帰属出来ない、或いは帰属させるに値しない傭兵で主に構成されている。要は互いの利の為だけに協力させているに過ぎない外様の者だ。
「レヴィちゃん達の事は……まぁ、その……事情も事情だし、あたしも信用しても良いかって思うから別に良いけどさ。けどあの連中は……」
ノクサスの意向とは言え、その様な不穏な存在と導師を直接対面させるのは部下として当然ながら苦言を呈さずにはいられない。
「彼らは俺の代わりに最前線で此処を守ってくれてるんだ。ただでさえ人手が足りなくて苦労させてる。その程度の誠意も見せられないなんて、俺の導師としての信用に関わる」
ノクサスは自分の椅子に深く腰を下ろし、眼鏡をずらして眉間を押さえながら、まるで予め用意してきた回答を読み上げる様に応える。
「彼らは故郷や思想に帰属しないし、まして統制された軍隊でもない。俺達とは所詮利益だけの間柄、此方が見限られればそれで終わりだ。だから、出来る限り俺個人としての信用と信頼による繋がりが欲しい。だから、なるべくなら直接対面して話を聞きたいんだよ」
その上、魔物への対処は現在の最重要課題である。より現場に近い者の、人伝てではないリアルな状況を訊きたいと言うのも具体的な理由の一つだ。
「此処に限った事じゃない。今は出来る限り人間同士、手を取り合っていかなきゃ明日は無いと思わないと。そんな理想論も現実にしてかなきゃいけない局面に来てるんだよ、俺達は」
ノクサスは眼鏡を掛け直し、背凭れに預けた身体を起こすと「その為にも、報告は俺が直接聞く。良いね?」とわざとらしい笑みをクルシュケイトに向けて机から身を乗り出す。
「……あーもう、はいはいそーですか」
結果は見えていたもののやはり部下の心配も甲斐は無く、呆れるほどに仕事熱心な上司にクルシュケイトは大袈裟に溜め息を吐き出す。
「ははは、心配してくれて有難うクルシュ。俺は大丈夫だよ。それに、俺には優秀な護衛も居るから怖いもの無しだしね」
「心配とか! そんなんじゃないっての! その……そう! 効率が悪いって言いたかったんであって……」
「あれ、そうかい?」などととぼけながらもにこにこと笑顔を張り付けたままノクサスは首を傾げる。クルシュケイトは「うっざ! おっさんまじうっざい!」などといつもの暴言を吐いていた。
「うーん……あっれぇ? こんなとこあったかなぁ?」
時刻は二十二時を回ろうかと言う頃。
本来ならばとうに交代の為に教団施設へ戻らなければならない時間なのだが、シージスは自分に割り当てられた地区の地図を懐中洸灯で照らしながらうんうんと唸っていた。
「ええと……最初はここの通りを入ってこう曲がったでしょ? それで……うーん、こんな建物あったかなぁ……。って言うかもうこの辺、建物すらないんだけど……。ええ何これ……?」
巡回コースを示す赤線を指で辿るも、どうにも現在位置と一致しない。どうやら何度か魔物を相手にしている内にすっかり位置を見失ったらしい。やがてシージスは地面に広げた地図をくるくると回しだす。飽くまで居住区の、割り当てられた一区画のみの地図である筈だが、今の彼にはこれが世界地図にすら見えた。
「もう! この街おんなじ様な道と建物ばっかで判らないよ!」
都市内の限られた土地を最大限に有効活用する為に計画的に区画整理された街並みは逆にシージスを酷く苦しめた。
教団の建物は群を抜いて巨大なお陰でシージスが今いる場所からも視認出来るものの、不思議な事にそこを目指そうとしても最終的にまた同じ場所へ戻ってしまうのだ。むしろ段々と遠ざかってしまっている。
無論、森でゼクティス達と遭遇した時の様に誰かに助けを求めるのも一つの手だと民家の扉を数件叩いてはみた。だが、魔物が出没する様になってからは戒厳令が敷かれ、住人は皆張り詰めた警戒心で気が立っているのだろう。返ってくるのは無音か怒声ばかりで無情にも誰一人シージスに救いの扉を開くことは無かった。
「うぅ……やっぱり誰かと一緒に来てもらえば良かったぁ……」
今や居住区からも離れてしまっており、都市の周囲を囲む様に造られた外堀──外縁河が植えられた木々の間から見えている。堀の向こうは都市防護壁、つまりは都市の果てが見えているのだ。
地面に両手膝を落とし、がっくりと項垂れる。
実は出る前にゼクティスから「絶対迷子になるだろうから俺も着いていく」と申し出られていたのだが、張り切った勢いのまま「平気です!」などと突っぱねて一人で出てきてしまったのをシージスは今更ながらに悔いていた。
嘆いていても仕方が無い。シージスは立ち上がると、取り敢えずはまた教団施設を目印に向かってみる事にした。先程失敗したルートとは別のルートを進むよう心掛ける。
だが数歩も歩かない内に、耳障りな鉄錆びを擦る様な唸りが耳に届いた。
「またっ……!」
シージスは反射的に剣を抜き、両手に携える。
これで二時間の内に五度魔物と遭遇した事になる。やはり都市の内部に居るとは思えない頻度だ。今のところ手子摺る様な魔物は出てはいないが、だからと油断するつもりは毛頭無い。幸い現在位置は居住区から離れてはいるが、けして近付けさせてはならない。
シージスは神経を張り巡らせ、どの方位から飛び掛かられたとしても対応出来る様にじっと魔物の出方を待つ。
だが、期待に反して魔物は急激な速度で地面から生え出す茸の様にむくむくと姿を成しながら現れた。それはやがて第壱都市付近の森で会ったものと同じく身の丈三mほどの人形の姿を取った。
「ええ⁉︎ これ、あの時と同じッ……!」
剣を構えたまま、シージスは思わずたじろぐ。
何せこれは第壱都市に入る前、ゼクティス達と共に五人で相手をしたものと同形の魔物である。先の個体とは違って装甲は着いてはいないが、それでも一人で渡り合うには手に余る事くらい判る。
だが、現れてしまった魔物に背を向けて退く事も出来ない。シージスは足ごと地に杭を打ち込む様に踏み締める。
「倒すまでは出来なくても、ここで足止めくらいはしなくちゃ……!」
早くもノクサスとの約束をふいにしてしまう事になるのは申し訳無いが、魔法の使用も辞さないつもりで戦わなければ此方の命が危うい。シージスは即座に魔法を練り上げ、魔物の足下に氷筍を発生させる。
魔物の反応は存外鈍く、地面から突如生え出した氷に脚が串刺しに縫い付けられる。一時的でも動きを封じる事に成功したのを確認すると、右手に持つ剣を手槍の如く投げ付ける。しかし剣は魔物の剛腕に容易く弾かれ、明後日の方向へ放物線を描きながらくるくると飛んで行った。だがこれは端から噛ませのつもりで放ったもの。既にシージスは魔物の懐深く、互い射程内に踏み込んでいた。
胴を裂かんと両の手で握った剣を渾身の力で腹に突き刺し、真横に引く。傷口を締め付ける魔物の身に剣が捉えられ掛けるが、ぶちぶちと身を引き裂き、剣を振り抜いた。
がなる魔物の慟哭が、鼓膜をつんざく。
これは相当な痛手の筈。少なくとも人間ならば確実に致命傷である。「やった」とシージスは思わず声を洩らす。——が、次の瞬間には苦悶に変わっていた。
視界はぐるりと反転し、少年の身体は木葉の様に宙を舞う。三m程飛ばされたところで地に落ちた。魔物の腹を切り裂くまでに隙が出来てしまったのだ。そこを、殴り飛ばされた。
「あ、がッ……ふ、うぅ……うッ……!」
外傷は無いが、鳩尾を抉られたダメージは内部器官を侵し、シージスは団子虫の様に縮こまる。呼吸も儘ならず、開きっぱなしの口の端から唾液に混ざった血が溢れた。
「なんッ……でぇ……‼︎」
生理的な涙で視界は歪むが、それでも魔物を見据える。魔物は腹から粘性の高い血を派手に吹き出してはいるが、未だ余力充分。足を氷から引抜き、此方へ迫ってきている。何故あの有様で動けるのか。
倒れている場合じゃない。とシージスは剣を右手に握り直し、左手を支えに上半身を無理矢理起こす。
「に、逃げなきゃッ……!」
シージスは奥歯を噛み締める。今となってはもう遅いが、判断を誤ってしまった事を痛感していた。やはり一人では荷が勝ち過ぎる手合であった。今度はみっともない自身の無様に涙が滲んでいた。
しかし悲嘆に暮れる間も無く、背後からまた別の唸り声を聞き、視認するまでもなく咄嗟に地面を横に転がる。一瞬までシージスの頭が有った場所の地が衝撃に揺れ、浅く抉られた。
「もう、一体……⁉︎」
無我夢中で膝を立て、覚束無いながらも走ろうと試みるが、受けた痛みは少しも和らいではいない。手をつきながらふらふらと十歩程駆けた所で、また顔から地面に倒れ込んだ。
「──っつぅ〜! ……ぅえ……?」
地に落ちた目前の視界に入り込んだものにシージスは声を洩らし、視線を上げる。それは、明らかに灰色のブーツに包まれた人間の脚だったのだ。
いつの間に現れたのか、そこには白基調の戦闘装束とおぼしき服を纏った男が立っていた。男は此方を見下ろしている様だが、目深に被ったフードのせいで顔立ちは判らない。
シージスはその男に対して奇妙な感覚を覚え、つい声を掛ける。
「えっ、と……あなたは……?」
「何故こんな時間に子供がうろついてる。ヒーローごっこなら、家でやれ」
男は明瞭にシージスへ非難を寄越した。
その内容よりもシージスは感じた違和感の方に気を取られる。目の前に立って、はっきりと見え、言葉も解る。だが、この男からは生物らしい気配が感じ取れない。鍛練により周囲の空気、波紋と同化している、と言う類いではない。
そこに居るのに、居ない。まるで良く出来た立体映像でも見せられている気分だった。
「あの……」
「聞こえなかったか? 子供は帰れ、と言ったんだ。お前が何者だろうが子供を斬る趣味は無い、今の内にとっとと失せろ」
口調は飽くまで静かに、抑えられてはいたが明らかに苛立ちが含まれていた。シージスはそれ以上、男への疑問も問えず大人しく口をつぐむしか無くなった。
男は短く溜め息を吐くと腰の剣を抜き、脇に装着した鞘に収まった小刀の柄を口に咥えて引き抜いた。そこでようやく、彼の右袖の中身が無いことに気付く。
「あ、待って——!」
シージスでさえ手に負えなかったのだ。片腕だけの者に始末出来る相手ではない、と言う彼の忠告は口にするまでもなく杞憂に終わった。
どうして片腕で、あの細い剣でそんな芸当が出来るのか。ものの数分で頭と胴体を切り離された魔物は、呆気なくその巨躯を地に沈めてしまったのだった。
「お前が教団の? 馬鹿を言え、冗談は通じる相手を選んで言うんだな」
「ほんとです! ほんとなんですってばぁ! ノクサスさんに言って貰えれば判ります!」
訊けばこの男、第壱都市の周辺地域──つまり都外の警備を請け負っている者らしく、今日は月に一度の定期報告の為に入都したのだそうだ。であれば目指す場所は同じ。これは僥倖とシージスは男へ事情を説明し、同行を乞い願ったものの、当然信じられるわけが無かった。だが、今のシージスには教団以外に帰る場所など無いのだ。
この男に皆まで信じられずとも構わないが、せめて教団施設までは連れて行って欲しい。とシージスは男の上着の裾を掴んで放さず必死に食らい付き、懇願した。結果、男は根負けた様に不承不承頷いた。と言うよりは頷かせた、が正しいか。
「あぁもう解ったから放せ。いつから教団は託児所になったのやら……」
「有難うございます! 有難うございます〝クラン〟さん!」
クラレンス、と名乗ったその男はフードの下で眉間を押さえながら呆れ混じりに溜め息を吐く。しかし泥塗れの顔で礼を言い、何度も頭を下げるシージスに対しそれ以上の責め句を重ねる事は無かった。
「案内はしない。着いてくるなら勝手にしろ」
そう言うとクラレンスは踵を返して早足で歩き出す。
先の戦闘での痛手が残るシージスだったが、この機会を逃しては教団施設への途は閉ざされたも同義である。身体の奥にしつこく残る痛みを堪え、懸命に後を追った。
余談だが、「因みにクランさんって、怪しい人じゃ無いですよね?」と何の気無しに問い掛けた余計な一言のせいで後を追うのが更に険しくなったのは、シージスの自業自得だろう。
第壱都市は教団の建物を起点に扇状に街が広がっている。シージスが居た居住区は教団から最も近い地区だったが、何せ都市の端まで来てしまっていたのだ。迷わず、急いで戻ったとしても一時間余りの時間を要した。
彼らが戻った時には、日付が変わろうとしていた。
本来ならばとうに寝室に入って休んでいるか、執務室に籠っているはずのノクサスだが彼はエントランスで戻って来たシージスを出迎えた。ノクサスは言われなければ導師と判らない程の軽装であったが、側にはやはりレギオンを伴ったクルシュケイトが側付らしく付いている。
「あれっ、ノクサスさん!どうしてこんなとこに?」とシージスは目を丸める。
クルシュケイトは「馬ァ鹿、決まってんでしょ」とあからさまに刺々しい不機嫌を眉間に表し少年を睨み付ける。だが、どう言うことかと訳が解らずノクサスとクルシュケイトの顔を交互に見比べる。
「戻って来てくれて良かった! いや、あんまりシージス君の帰りが遅いから心配でね……。
交代で出たゼクティス君達に君を捜すのをお願いしてたんだよ」
ノクサスはクルシュケイトとは対照的に安堵で破顔する。そう言う事か、とシージスは漸く事を理解し青褪めながら頭を下げた。
「すみません! 言い出しっぺなのにノクサスさんに心配掛けちゃって……」
「良いよ良いよ、シージス君が無事で良かった。そもそも初めての街なのに端末も持たせないのは俺も迂闊だった。今度用意させよう。ゼクティス君達には連絡入れておくから、今日はもう休んで。ちゃんとメディックの所に寄るんだよ」
しょぼくれてすっかり落ちてしまったシージスの肩を軽く叩きながら、ノクサスは休息を言い付ける。
「はぁい……。明日ゼクトさんから何か言われそうだなぁ……」
ゼクティスへ啖呵を切って出ていった手前、余りに格好の付かない結果になってしまった事を改めて悔いる。それも今更仕方が無いとシージスは一つ頷くと、背後を振り返る。中に入らず入口に立ったままのクラレンスへ向かい頭を下げた。
「クランさん、助かりましたー! 有難うございます!」
少年の口から出た名前に「えっ」とノクサスは意外そうに目を見開き、彼の視線の先を追う。それでようやく気付いたが、確かにそこには薄汚れた白装束の男が立っていた。
方やシージスはノクサスの驚いた様子を然して気にするでも無く、言い付け通り休息の為に部屋へ駆け足で戻って行った。
「やぁ〝白鴉《しろがらす》〟。今日は君が来たんだね」
横目でシージスを見送りつつ、ノクサスはクラレンスへと歩み寄った。
「……意外だね、君が人助けなんて。礼を言うよ」
首を傾げ、笑みを浮かべながらノクサスは右手を差し出すがクラレンスが応じる気配は無かった。だが、判っていたかの様にノクサスはあっさりと無用の手を下ろした。
千里眼など使わずとも、彼がフードの奥からどんな眼でノクサスを見ているのかはおおよそ察しが付いていた。
「……偽善だって思うかい?」
薄氷の笑みを張り付けたまま、敢えてノクサスから真意を突く。
「他に行き場の無い子供だろう。大体の事情は聞かずとも判る。だがな」
「社会へ出る為の真っ当な教育を与えられもしないのに、年端もいかない子供を従順な兵士として飼い慣らし育て上げる。生活は保証されるけれど、現状のままだと彼の将来は戦う道以外開かれはしない。確かに、大いに偽善だね」
今の都市にシージスの様な子供を受け入れ、普通の子供と同等に教育を与え、将来を選択させてやれる程の余裕は無い。だが、兵士として雇うのであれば話は別だ。
実力があれば、将来的に都市を守る忠実な僕となり得るであろうし、人員は常に欠かれてゆく。一時でもそれを補えるのならば此方にとっては即時的な利益となる。
苦境から掬い上げた恩義は、都市の為に尽くす忠義と言う枷となる。それが純粋な子供であれば尚更だ。
「そんなつもりじゃない、なんて言う気は無いさ。事実だからね。都市を預かる以上は慈善なんてやってられない、出来て精々偽善だよ。まぁでも、やらぬ善よりやる偽善、とか言うだろう?」
「業深い事だな、導師」
「俺は聖職ではあるけど聖人じゃないからね、良いとこ偽善者がお似合いさ。それに、今後どうなるかはあの子次第。俺達が此処で議論しても仕方無いよ」
ノクサスは開き直る様な調子で言うと、どこか得意気に笑った。
「……まぁ、俺の様な得体の知れん輩まで迎えるあんただ。答えは知れていたか」
「君の様に記憶が無かろうと、うちでちゃんと働いてくれるなら誰でも歓迎なんだけどね、本当は」
「綺麗事を言えた身分ではないが、戦力として使う以上、別の道も示してやるのもあんたが負うべき責任だ。戦い以外の道も教えてやらなければ、連鎖する」
「重々承知の上だよ」と答えた後、ノクサスは急に表情を険しいものに改めると声のトーンを落とし、クラレンスに報告を促す。
「──それで、都市外の魔物の様子は?」
「少しずつだが先月と比較してもやはり増えている。大型のものも以前より出現頻度が増したな。さっきも都市内で大型を見た。片付けはしたが、夜は戒厳令に加え念の為に対象区域を立ち入り禁止にした方が良いかも知れん」
「そうか……、それは他の皆にも意見を訊いて考えてみよう」
ノクサスは「有難う」と頷きながらクラレンスへ礼を告げる。
「聖都からは未だ何も公表は無いのか」とクラレンスは問う。だが、ノクサスは苦渋に表情を曇らせ「済まない……未だ具体的な話は、何も」と首を振った。
現場で死力を尽くす者たちへ、何も手土産となる報告を告げられないのはノクサスとしても心苦しい限りだった。
暫しの沈黙の後、クラレンスは「判った」溜息を吐き出して踵を返した。
「皆終わりの無い戦いに疲れている。次は良い報告を期待している」
淡々と、だが導師の肩に敢えて預けるよう重く告げ、クラレンスは夜闇へその身を溶かす様にしずかに消えゆく。
後に残されたノクサスは、気配すら呑み込んでしまった夜闇の中を暫し見詰めていた。
