
ヴァスティロード教団——その本拠地を第壱都市に置き、根強く人心を集めるそれは現在この世界に於いて、中枢都市聖都に次ぐ権力を持つ組織になるだろう。信仰組織を中核として据える第壱都市は別名『宗教都市』などとも呼ばれる。
教団の文言を銘打つ以上、もちろん信仰の対象とするものがある。彼らが主として信仰心を捧ぐのは、創世神話に主神として登場する〝アカツキ〟なる神である。
アカツキは黄泉とこの世を分け、今の世界のかたち、森羅万象を創ったとされており謂わば創造神とされる。神話時代に起きた神々の争いで人間の住まう地上が荒れ果てた時、初代導師である〝ノクサス〟なる人物が現れ彼が〝神の眼〟を以て人々を希望の路へと導いた事により暁の光を地上に喚んだ、と言う逸話が残されている。
尤も、古来からの創作物の凡例に洩れずこの逸話もまた、少々誇張されているらしい。
実際には、世の混迷期に於いて唯一人々の拠り所となっていた星のエネルギーの噴出孔——クエーサーを新たに発見し、ノクサスが主導してその上に都市を築いたのが第壱都市の前身であるとされている。
だが、ノクサスが千里見通すとも言われた〝神の眼〟なるものを持ち、神の恩寵を受けていたのは確かであると言われている。
その後、現在に至るまで〝ノクサス〟の名は受け継がれ、『世界に惑い、迷える人々を導き救う者』を意味する〝導師〟の称号を都市内での最高職として据え、ノクサスに恩恵を与えた神への信仰と崇拝を集めている。
各都市自体も自治を行っては居るものの、特に古くから信仰心を統べてきた第壱都市は教団と言う組織を中核に置く事により他の主要都市と比較しても確固たる地位を保ち続けている。
故に中枢都市である聖都が在ったとしても、その管理・干渉は殆ど及ばない独立性の高い都市となっている。
第壱都市迄は途中三ヶ所の派生都市を経由して三週間ほどの道程であった。
ゼクティスとしては、この道中で聖都で得た情報をエリザベート達にも共有しておきたい所ではあったが、教団の使者として同行しているクルシュケイトに果たして知られて良いものか。彼女個人は良くも悪くも正直と言うか、策士向きの性格では無い。とは言え、教団の意向が見えない限りは不用意に口にすることが出来なかった。
その意図をエリザベートらも語らずとも承知してくれているのだろう。レヴィアの身を案じていた様子を示す程度で、聖都で何があったのかと詳細を深く尋ねて来る事は無かった。
遥か前方に薄らと第壱都市の影が見えてきた頃。
その道中、クルシュケイトは自分の所属する教団について、最早馴染んで来たぞんざいな口調で粗方を説明していた。
「……つってもこの程度は一般常識だと思うけどさ」
だが異なる都市の特徴や内情など都市外に出る事の無い一般人にとっては曖昧なもの。
特に今まで他都市について知る機会がほとんど無かったレヴィアにとっては新鮮な事の様で、クルシュケイトの話にしきりに頷いている。
「しかし、こんな魔物ばっか蔓延る世の中でも未だ神様なんぞを信じるか。ご熱心なこって」
だからこそ聖都に次ぐ権限を有する規模を保っているのだが。
しかしゼクティスの言い分も然りで、信仰を守る為の教団組織は今や軍隊としての役割の方が重んじられており、全盛期と比較すれば衰退は否めない。
それでも、神なる見えざる上位者の存在によすがを見出だし、救いを求め祈りを捧げるのは人が古来から習わしてきた風習である。衰退はすれど、容易く消えることは無いのだろう。
信仰など然して興味も無いゼクティスは、話半分にクルシュケイトの説明を聞き流していた。すると、前を歩いていたエリザベートが顔だけで振り返る。
「廃れているからこそ、だろう。苦境に立たされてた時こそ人というのは何かに縋りたがる。心の拠り所を神に求めるのは最も一般的な凡例の様なものだしな」
世が荒むに従って信仰は栄えるもの、それが宗教の典型だ。
だが、巧まずして実存主義であるらしいゼクティスにとってはその〝神〟などと言う不可視にして不確かな存在に縋り付くと言うのが理解し難いのか眉根を寄せ、難しい顔をする。
「はぁ、そういうもんかね……。俺はいまいち解んねぇな。最終的に頼りになるのは結局自分しか居ねぇだろ」
「教句の一つも知らない、信仰も何も無いあんたはそうかもしれないけどさ。人間って割と単純なもんだから。頼るもんがありゃ頼って安心したいし、逆に無けりゃあ不安でしょうがない」
先頭を歩くクルシュケイトは嘲笑する様にはん、と鼻息と共に吐き捨てる。
「あたしは教戒だ教句だ何だに考えを縛られるなんて、反吐が出るけどね。めんどい」
「尊ぶべき信仰を『そんなもん』呼ばわり、か。良いのか? 大事な仕事の種にそんな事を言って」
レイシェントはクルシュケイトの余りの言い草に思わず苦笑を洩らし、前を歩く彼女に呆れた様に訊く。
魔物の因子が入っている彼にとって日光は快いものでは無いらしい。いつもならば肩に掛けている白い外套を今はフードの様に頭からすっぽりと被り日除けにしている。
クルシュケイトは「冗談じゃない!」と勢い良くレイシェントを振り返る。
「あたしはただ単に給料が良いから教団に籍置いてやってるだけ。信仰とか一切興味無いね! 他に良い条件のとこがあったらいつでも鞍替えしてやんよ。不信者だろうが真面目にキッチリお仕事してれば誰もなぁんも文句なんて言わないしさぁ」
本心からの言葉かはさておき、若干この歳にして現実に対するシビアさは一体何処から来ているのか。この少女もまた、達観するには早いながらも、苦難の多い人生を歩んできたのだろうか。
——————
第壱都市に迫り、ようやく舗装整備された街道が現れた。
街道は真っ直ぐに入都ゲートへと続いており、後は此処を真っ直ぐに進むのみ。——と思っていたのだが。
唐突にクルシュケイトは敢えて街道を外れ、都市の周囲を取り囲む様に街道脇に広がる森へ堂々と突っ込んでゆく。
「おい、何処行ってんだ。そっちは森だぞ」
「いーの、こっちで」
とは言うものの、森の中は整備されている街道と違い進みづらいのは勿論の事、魔物の巣窟となっているために普通ならば避けて通るべき場所である。
魔物は光に弱い性質を持つ。その為、日光に当たればほとんどの魔物──小物程度のものは消滅してしまう。安全を考慮して進むならば、街道を通るのが常套のはず。
「つか便利屋ぁ? 自分の立場考えてもみなよ。あんたら、聖都軍から目ェ付けられてんでょ? 言いようじゃ第一級のお尋ね者。進むならむしろこっちのが安全ってもんじゃねぇの」
それに近道だし、とクルシュケイトはあっけらかんと言ってのける。少女のいちいち人を小馬鹿にした様な言い草は癪に障るが、確かに一理ある。自分達の置かれた状況を考えればこの程度のリスクを省みてはいられない。
「いくら第壱都市の完全自治が認められてるからって、頭が聖都である事に代わり無い。それなりにアッチの人間の出入りもあったりすんの。もちろん武装解除はさせるけどさ」
「抜け道……、道は判るんですか? その、見るからに……獣道、ですけど……」
クルシュケイトの隣を歩いていたレヴィアが眉尻を下げて不安を吐露する。
「心配無用だよレヴィちゃん! まぁ、この森はあたしもよく通るし、そう手こずるような魔物も出ないしね」
レヴィアの不安を払うかの様に、クルシュケイトは清々しいまでの笑顔を見せる。ゼクティスに対する険悪な態度とはまるで真反対にだ。レヴィアの性格にはやはり毒気を抜かれるものなのだろうか、それを差し引いたとしても随分な落差ではあるが。
切り換わりの鮮やかさに、現金な奴だと乾いた笑いを漏らしつつクルシュケイトに「じゃあ、任しても大丈夫なんだな」と念押す。
「はん、疑るね便利屋。まぁ、森にはあたしのレギオンを先行させてるから、今頃雑魚はあらかた細切れに刻まれてるよ」
〝レギオン〟と言うのはクルシュケイトの遣う、霊魂を宿らせて操作し戦わせる人形の事である。
ゼクティス達が捕らえられていた聖都軍基地にて、突然乱入してきた騎士の様な人形達。あれがそうらしく、クルシュケイトは大剣を持った男性型の方を〝ギルト〟槍を持っている女性型を〝セレネ〟と呼んでいる。
このレギオンを扱えるのは教団内でも彼女だけらしく、霊魂を使役するものという意味で、〝死霊使い〟などと言う二つ名で呼ばれているらしい。幼い少女の見目には似つかわしくない二つ名であるが、レギオンの戦闘力とそれらを操作するクルシュケイトの能力の高さを目の当たりにすれば、けして過ぎたるものでは無いと納得させられる。
ゼクティス達はクルシュケイトに促されるまま、森へと足を踏み入れた。
クルシュケイトの言葉通り通り、森の魔物は斥候として向かわせていたレギオン達が粗方片付けていっている様だ。現れる魔物も疎らであったが、代わりにあちらこちらの地面や木の幹には飛び散った血痕が残っており、戦闘で場が荒れた跡が見てとれた。
此方はレギオンが取り零した分の露払いをする程度。道なりの険しさを除けば何ら苦では無かった。
この調子でいけば、恐らく夕暮れまでには第壱都市に辿り着く事が出来るだろうか。
「ンンッ?」
その時、唐突に先導して歩いていたクルシュケイトの足が止まる。
「クルシュ? どうか、しましたか……?」
クルシュケイトの隣を歩いていたレヴィアが、怪訝な声を洩らしたことに気付いてか。彼女の顔を覗き込む。
「んん〜……。いや、今レギオンの気配が、消えた……? しかも両方とか、うわまじ……? もー何なのこんな時に……」
独り何事かを呟きながらクルシュケイトは爪を噛み、苛立たしげに舌打ちする。
「ふっざけやがってェ……。多分、レギオンがやられた。大方この先、強力な魔物がお待ちかねだよ。クソ魔物の分際で、あたしのレギオンをのしてくれるなんて上等じゃねぇの……!」
「え、強力な魔物、ですか……?」
レヴィアが怯えた声音で呟いた矢先、辺りに水底を這い擦る獣の様な叫声が森の空気を震わせた。恐らく件の魔物の声であろう。ゼクティス達は顔を見合せ、頷く。
「……つまりはそいつを片付けて進むしかねぇってか、面倒臭ぇな」
ゼクティスが口ではぼやきつつもその顔に笑みを湛え、背に携えた大剣の柄を握り自ら進み出る。まるで退屈凌ぎの丁度良い獲物でも見付けたかの様に。
「ゼクト、遊びじゃ無いんだぞ」
ゼクティスは釘を刺すように嗜めるエリザベートを口角を上げたまま「解ってる」と振り返った。
「けどよ、こないだまで狭い部屋に押し込められてたんだ。少しは鬱憤晴らさせて貰ったって構やしねぇだろ」
エリザベートは簡潔にいや、と首を横に振る。
「止めてはないさ。だが勝手に独りで下手を踏まれても困ると言っているんだ」
ゼクティスは曖昧な生返事を返し——異変を感じたか。辺りを見回すと、少しばかりばつが悪そうに頬を掻いた。
「ん、どうした?」
「あー、その台詞。言ってやる相手が違ったみたいだな……。あの餓鬼、クルシュ。とっくに居ねぇぞ」
「何だと⁉︎」
ゼクティスに倣って辺りを見回せば確かに、いつの間にやら共に居たはずのクルシュケイトは忽然と姿を消していた。
「レギオンとやらが倒されたと酷く憤慨していたからな……。急ぐぞ、案内役に死なれても困る」
レイシェントの声に促され、四人は魔物の気配へと向かって見通しの悪い森を進んだ。
「つかレヴィア、お前あいつの隣に居て居なくなったのに気付かなかったのか?」
雑草やら木の根やらが足元を走り阻まれる中をお構い無しに早足で進みながら、ゼクティスは後方から着いてきているレヴィアを振り返る。
だが、ゼクティスが話し掛けた事に気付いていなかったのか、目が合って初めて反応を示す。
「……あーっと……、聞いてたか?」
「——え?……あ、すみませんちょっとぼんやりしててっ……ぅひゃあ‼︎」
余所見をした一瞬で地面を這う木の根に足を引っ掛けたのか、レヴィアが悲鳴と共に前のめりにバランスを崩した。
「馬鹿、危ねっ……!」
咄嗟にゼクティスは少女を支えようと右腕を伸ばす。
寸での所でゼクティスの腕が届いたらしく、レヴィアは彼のそれに半ば縋る様に掴まってなんとか倒れず踏み止まっていた。
レヴィアの悲鳴を聞いてか、前方から「どうした、大丈夫か」とエリザベートの声が投げられる。ゼクティスは首だけ振り返ると「大丈夫だ。先行っててくれ」と声の方向へ応えを返した。
「あの……す、すみません……」
「いや、良いけどよ……」
転んで擦り傷で済むなら良いが、この足場の悪さである。木の枝が刺さるなりで大事になる危険性もある。ゼクティスから思わず安堵の息が漏れた。
倒れる寸前までバランスを崩したレヴィアの身体を抱えて持ち上げてやると、すとんと地に下ろし立ち直させる。レヴィアはゼクティスから遠慮がちに身を離すも表情を翳らせたまま、僅かに顔を俯かせた。
果たして本人は気付いているのかいないのか。彼女は聖都を出てからはずっとこの調子で、何処か周囲への注意が疎かな様子が度々見られていた。
(一人前に、無理してんのか)
聖都であれだけの話を聞いておきながら、この小さな少女に思い悩むなというのも随分酷な話だ。同じ光使いであるカルミラの存在が判明したのも大きい。気持ちの整理が付かないのも無理は無い。
そして、その不安や悩みを隠すのがこのレヴィアの悪癖である。
仲間達の手前、表面上はいつも通り明るく振る舞ってはいるが、観察する中で不意に表情に陰りが見え隠れしていた。それなりに気にしてはいたものの、やはり案の定であったか。
ゼクティスはやれやれ、と溜息混じりで己の纏まりの悪い黒髪を掻くと、何も言わない侭突然レヴィアの手を取って再び歩き出す。粗くはあるが暴ではない。
あくまでレヴィアの着いて行ける早さで歩を進めている。
「あ、えっ? えっ? ゼクト?」
唐突な事に驚いたのか、紫瞳を丸める。レヴィアは自分の手首を掴んで引く青年の手と背を慌ただしく何度も見比べると、手間になると声をあげる。
「ゼクト、だ、大丈夫ですよ! そこまでしなくても一人でちゃんと歩けますから、離しても大丈夫です!」
だがゼクティスは聞く耳持たず。レヴィアの手を引いたまま離す様子は無い。
もしかすると、怒らせてしまったのだろうか。レヴィアの脳裏にそんな不安が過った時、ようやくゼクティスが口を開いた。
「レヴィア、今は兎に角、目の前の事に集中しとけ。落ち着いたら皆で考えて一緒に悩んで貰えば良い。……俺も、こうして手くらいは貸せる」
「え、あ………」
思い掛けずに寄越された、平素ぶっきらぼうな青年に似合わぬやさしい言葉。前を歩くその表情は全く窺えないが、何だかレヴィアには想像出来る気がして、不意に頬に朱みが差して笑みが零れていた。
「……、はい!」
この森に慣れていると言う少女の言葉は偽りでなかった様だ。道など有って無い様もの。な鬱蒼と生い茂る草木を掻き分け、ようやく四人はクルシュケイトの元へと辿り着いた。
随分と派手に暴れていたらしく周囲の木々は悉く倒され、彼女と、対峙する魔物の近辺はほぼ更地と化していた。
恐らく先程聞こえた声はこの魔物だろう。軽く三mを超えるアンバランスな人型の巨躯。頭部と思われる部分には眼のような濁った金色の光が二つ並んで浮かび上がっているのみで、それが魔物の意志や表情を写すことは無い。
ただでさえ異形の貌を晒すその身には、鉄の板を重ねた様な鎧を纏っていた。手にはまるで鉄塊と呼ぶのが相応な、棒状の武器を携えて振り回しては地を抉り揺るがし、木々を薙ぎ倒していた。
大きさと形からして重攻体区分されるの魔物だが、このように装甲を纏ったものを見るのはゼクティスとて初めてだった。
「んがー! ったくただの化物風情が妙な知恵付けやがって、とっとと潰れやがれってのこのクソ外道‼︎」
一方それに対峙するクルシュケイトは、倒されたレギオンの代わりに地面より生えだす、鮫の頭部を模した闇色の顎を複数操り応戦している。あれもまた、具象化された彼女の力なのだろうか。
しかし、魔物の身体に引っ付いた鎧が邪魔をするのか、鉄板に傷は付いているものの肝心の本体にはまともな痛手を与えられている様には見えなかった。
「クルシュ!」
死霊使いの姿を見付けるや飛び出したレヴィアの声を聞くと、クルシュケイトはこちらを振り返る。彼女は自らの操る顎を盾に、一歩二歩と魔物と距離を離して退いた。
「駄目じゃないですか、一人で行くなんて! 危な過ぎますよ!」
クルシュケイトは、予想外のレヴィアの剣幕に面食らい「う」と言葉を詰まらせる。
こうなれば、先程まで魔物相手に罵詈雑言を吐いていた様子など見る影も無かった。
「良く無事でいたものだ……。図体が大きいだけならまだしも、あんな装備付きの凶悪なもの、私だって見た事無いぞ」
案内人たる少女が無傷な事に安堵し、エリザベートは半ば呆れたような顔で呟く。対して当のクルシュケイトは激しく地団駄を踏み、歯痒さを露にする。
「そうだよ姐さん! お陰でまるで歯が立たないのなんのって!」
「さてどうするか……鎧を剥がすか、継目を狙うか……まぁ理想は前者か……って」
エリザベートの言葉が途切れ、顔が強張る。
魔物は動きを牽制していた死霊の顎達を突破し、猛然とこちらへ向かってきたのだ。耳障りな唸りをあげながら携えた鉄塊で、天を指す様に高く振り上げた。
例え直撃を免れようが、余波でも巻き込まれればただではすむまい。
「……ッやべぇな……来るぞ!」
皆へ鋭く警告を飛ばしつつ、ゼクティスは咄嗟に身構える。
──その時、何処からともなく鋭利な氷塊が弓矢の如く飛来した。
氷塊は三つ。充分な攻撃力を持った槍となるそれは容赦無く魔物の手首部分を襲い、貫くと最後に飛来した一つが止めとなって手首を切断する。
一点に集中した攻撃にバランスを崩した魔物は、切断された手首から噴出する赤黒い血を撒き散らしながら後ろへ倒れ込んだ。
一体何が起きたのか。
双方に意見を求めて目配せを交わすが、皆一様に首を横に振る。予想外の事態を把握出来ずにいると今度は聞き慣れない、年若い少年の様な声が投げられた。
「あ、貴方たち……大丈夫ですか⁉︎」
声の方向を追い、未だ倒れていない木の上方を見遣ると、青白い冷気を纏わせた右手を前に突き出したままの格好で叫ぶ少年の姿。他にも仲間は居るのかと咄嗟に視線を周囲に走らせるも、彼以外の姿は無い。
(子供……? しかも一人だと?)
ゼクティスは怪訝に顔を歪める。どの様にしてあの氷の槍を飛ばしてきたのかも判らないが、得体の知れない此方への不用意な助太刀とはどう言う意図か。彼は一息で木から飛び降りると、ゼクティス達に駆け寄って来た。
何とも珍しい、地毛なのかと疑うほど木々に馴染む鮮やかな緑色の髪に、大きな茶色の瞳。恐らく十代半ばだろうか。変声前であるのも相まって、服の間から覗く身体つきを見なければ性別を誤認しかねず。その顔には、不釣合にも右目の下に幾何学的な入れ墨が施されていた。
「あの魔物を倒すんですよね。僕もお手伝いします!」
彼は後に〝シージス・エフォート〟と名乗った。
緑髪の少年は腰に携えた二刀一対の双剣での戦闘もさることながら、最初の氷だけでは無く、炎や雷さえも喚び出して意のままに操って見せた。
彼の操る高圧の雷は槍の如く魔物を覆う鉄鎧を伝導し、魔物の本体より引き剥がす事に成功。分厚い装甲を全て剥がしさえすれば後は無防備な本体を易々攻められる。
しかし彼方も死に物狂い。鉄塊を振り回して尚激しく抵抗をするも、間隙を縫って浴びせられる刃や弾に体力を削られていった。そして、ゼクティスの大剣を深々と腹に受けたのが止めになった。
血に濡れた大剣で勢い良く腹を引き裂くと、魔物の身体は糸が切れた様に血溜まりの中に崩れ落ち、やがてゆっくりと黒い霧となって跡形も無く霧散した。残ったのは、無残なまでの破壊の痕と魔物が撒き散らした赤黒い血潮の痕。そして鼻の奥にこびり付く様な血臭のみであった。
ゼクティスは剣に塗れる血液の残滓を適当に振り払うと、背の鞘に収める。一呼吸置いて、緑髪の少年——シージスを振り返った。
「何とか片付いたな……。お前、シージスとか言ったか。悪いな、助かった」
口角を上げて礼を告げるゼクティスに、少年は素直に照れ笑いの表情を浮かべる。
「あっ……! いえ! 僕はたまたま通り掛かっただけですから。皆さんのお役に立てたみたいで良かったです」
「へぇ……成る程、じゃあ『偶然』お前は森の中を歩いてて『偶然』俺らを見付けたと」
「はい、もう偶然……え?」
そこでシージスは、自分に対する周囲の空気が何だか穏やかなものではないと気付く。
「あ、あれ……? えぇっと、僕もしかして何かまずい事言いましたか……?」
シージスは恐る恐るゼクティス達の顔を順に見回す。この張り詰めた猜疑の空気の意味がなんたるかが解っていないのか、シージスはいかにも不安げに眉尻を下げている。
残念ながらレヴィアも状況が飲み込めていないのか、似た様な顔になっている。が、今は一々それを相手にはしていられない。
「ただでさえ、人が近寄らねぇ森をどうして好き好んで歩く奴が居るかよ。それに、その……妙な力。てめぇ、一体何者だ?」
先程までの形だけの笑みは消え失せ、ゼクティスは鋭くシージスの眼を見眇める。
更に脅しを掛ける様に青年の手が大剣の束に伸びる。少年は「ひえ」と小さく悲鳴を洩らし、目にも明らかに冷や汗を浮かべた。慌てて腕を交差にぶんぶんと振りながら何の二心も無いと潔白を必死に主張する。
「ななな何者って! 僕は怪しい者じゃありません!」
「そりゃ自分で怪しいだとか言う奴は居ねぇよ」
「じゃあどう言えば良いんですかぁ!」
彼の様子を見るからに、正直言えば信疑は半々。しかし彼が追手で無い確信が得られない以上、心を許す訳にもいかない。
それに、先程彼が戦闘にて披露した術など、他では見た事がないのだ。例え彼が追手でなくとも警戒すべき相手であるのは明確である。
クルシュケイトの〝死霊使い〟など通常人が持たざる変わり種の能力を有する人間が存在するのも確かに事実ではある。かといって、世界中にそう何人も居るものではない。ましてそんな人間が呑気に彷徨い歩いているなど有り得るものか。
助太刀されたとはいえ、都合良く突然現れた得体の知れない者を大人しく放置出来る無神経さは生憎とゼクティスは持ち合わせていなかった。
シージスはゼクティスの威圧に萎縮しつつも口を開く。
「ぼぼ、僕は〝魔操師《まそうし》〟ですから、〝魔法〟が使えるのは当たり前です。その……もしかして皆さん、僕以外に見た事無いです?」
〝魔操師〟と言う聞き馴染みの無い単語にゼクティスはいいや、と首を横に振る。他の者も同様だった。
「魔操士だ? んな言葉、初めて聞いた」
「うぅぐ……そんなぁ……!」
墓穴を掘る、とはこの事だ。シージスは自らの首を絞めてゆく状況に陥っていた。
彼の戦い振りには確かに目を見張るものがあったが、どうやら中身は至って年相応。寧ろどちらかと言えば世間知らずらしい。彼から漂うほほんとした温厚な空気はレヴィアと良い勝負だな、とゼクティスはどうでも良い事ながら考えた。
こんな間抜けな刺客が居るものか。警戒を解いても構わないと判断したエリザベートはシージスへの助け船を出してやる。
「ゼクト、もう良いだろう。良い年してあまり子供を脅かすんじゃない。そんなんじゃあ聞きたい事も聞けやしない」
刃先を向けている訳でも無し、ゼクティス本人にはそこまで脅している自覚は無いのだが。完全に威圧され、縮こまるシージスを見てエリザベートが呆れた様に嗜める。
悪かった、と不服そうに眉を寄せて詫びるゼクティスを横目にエリザベートはシージスに尋ねる。
「その、魔操師とは一体何なんだ? 君の様な魔法とやらを扱える者は他にも居るのか?」
「あ、はい……。さっきも言った通り魔操師は僕の様に火とか、水だとかを自由に操れる人の事を言うんです。ええと、そうですね……あらかじめ、操りたい物の性質や特性、発生条件などの情報を自分の中の情報のプールにトレースしておいて、いざとなったら使いたい形に変換して使うんです。例えば水なら回りの空気の中の水分をぎゅっと集めて氷の槍に、とか」
シージスは、こんな風に。と腕を覆うグローブを片腕だけ下ろす。その腕には、右目の周りに刻まれているのと似たような幾何学的な紋様が手の甲を起点に刻まれていた。
情報のトレースを行うとこのように紋様が浮上し、それに準えて刺青を刻むのだと言う。
「はぁ……大したものだな」
原理を聞いたとしても、これは明らかに人智を越えた能力、文明の隔たりの先にある術である。容易く理解できるものでも無かった。
「そう言えば……確かに昔、噂程度に聞いた事がある。道具を使わず、自然の事象を操れる異能の一族が居ると。根も葉もない、ただのオカルト好きが流したものだと思っていたが」
それまで腕を組んでただやり取りを傍観している様子だったレイシェントが口を開いた。
「何だ、知ってたなら言えよ」
「不確かな情報で場を困惑させるのは本意では無い。それに私は『噂程度』と言った」
レイシェントは細い溜め息を吐きつつ、ゼクティスを横目で見遣る。冗談だって、とゼクティスはその視線を軽くいなした。
「……、詳しくは知らんが〝特別な血筋〟なのだそうだな。それ故に数も少ないとか」
「はい、その通りです。僕らは〝神族〟の血統を今に受け継いだ者ですから。……皆さんのお話を聞く限り、この世界じゃ他に僕たちみたいな人間はいないんですね……」
シージスは、見目にも明らかな落胆と共に瞳を伏せた。
神族というのは、遥か神話の時代に天上を治めた者たちの総称である。全知全能の神の手足として創造されし者であり、人間とは明確に一線を画す者。
神話の中の天地統合の際、殆どが神と共に姿を消した為に、今となっては神や神族など、お伽噺としてのみ登場するに過ぎない。神代の遺物が僅かに現存していたとしても、神族の血が地上に残っていたと証明出来る者などこの時代に残ってはいない。
今となっては神は飽くまで架空の、象徴としての抽象的存在であり、神族はその付随項目に過ぎないのだ。
しかし仮に現実なのだとしたら彼はその言葉通り、かつて僅かに地上に残った神族の血と力を受け継いだ者、という事になるのだろう。目の前の少年の印象からは随分と落差がある為、由緒ある血筋の者である事が繋がりにくいが。
「……それももう僕だけです。僕の村は、七年前に無くなってしまいましたから」
伏せられたシージスの表情に、更に暗い影に満ちる。
「どういう事ですか?」
少年の悲痛さを帯びた表情に、レヴィアは気遣わし気に尋ねる。
「滅ぼされたんですよ!何者かに!突然‼︎ 運が良かったのか……悪かったのか、たまたま僕だけは生き残りました。……僕は…僕の村を滅ぼした犯人を探して今まで旅をして来ました。それで、第壱都市にその事件と犯人に関する情報があるという事で向かってる途中だったんです」
シージスの瞳の中には一切の曇りはなく、彼が嘘偽りを言っていとは到底思えなかった。
犯人探しもだが、自分の他に同族の生き残りは居ないものかと、彼は今まで旅を続けてきたらしい。
ゼクティスは「まぁ、事情は判った」と神妙な顔で頷いた。しかし、まだ納得の出来ない事が残っている。
「けど、なんだってわざわざこんな森の中を通る必要がある?」
真偽は兎も角、話を聞く限りでは彼自身には特に疚しい事情は無さそうなのだが。唯一それだけが疑問として残った。普通の旅であるならば、街道を通れば良い話である。
「あ、……その。それは……えっとですね」
すると、シージスは言い難そうにもじもじと両の手を胸の前で遊ばせる。
「……何? はっきり言いないよ」
クルシュケイトが苛々とシージスを促し、渋々彼は続けた。
「そのー……僕は、最初ちゃんと街道を歩いてたつもりだったんだけど……。いつの間にか途中から道が険しくなって……木が多くなってきて……気が付くと森に突っ込んじゃってたというか……。道を見失ったというか……。迷った、と……いうか」
最後の方は殆ど聞き取れなかったが、この場の誰もが強く確信した。
この少年、相当の方向音痴だと。
恐らく初めて全員の意見が寸分の擦れ無く一致した瞬間であったろう。
「あ……あー成る程な、結局はただの迷子って訳か」
「ま、迷子って……! えっと……うう、ええはい……」
警戒するだけ無駄だったかと、頭を掻きつつゼクティスは脱力した。
顔を赤らめて恥ずかしそうに頷くシージスに、レヴィアがここぞとばかりに袖に包まれた両の手を打ち提案した。
「じゃあ目的地が一緒なら私達と一緒に行けば良いですよ!」
「なっ……おい、またお前は勝手にっ……!」
レヴィアの提案にシージスはぱっと顔を上げ、茶色の大きな眼に希望の光が宿る。
「もっ、もしかしてあなたたちも第壱都市にっ……⁉︎」
ああこいつは本当に面倒を呼び込んでくれやがる、とゼクティスは内心泣きたくなる。
「まぁな……けどレヴィア考えてもみろ。今、俺達は軍から追われる身だ。下手したらこっちが全く無関係な奴を巻き込む事になるかもしれねぇんだぞ」
「で、でも……」
何とか諭そうとするも、レヴィアは納得いかないようだ。
確かに迷子を独り置き去りにするというのはゼクティスとて心苦しいが、互いの為にもその提案は却下されるべきだ。しかし此処ぞとばかりにシージスが食い下がる。
「お願いします!一緒に行かせてください! 僕、このままだと一生ここから出られそうに無いんです‼︎」
「ンな大袈裟な……つぅか、多分今聞こえてたろ! こっちはお尋ね者なんだよ! 解ってんのか⁉︎」
「それでも構いません! このまま迷い続けるよりましです! この森に入ってかれこれもう五日経つんです!」
「嘘だろ⁉︎」
「ほんとです!」
お願いしますと必死に頭を下げるシージスへ今一度、落ち着いてよく考えろ、と言うものの頑として頭を縦には振ろうとはしない。
「ゼクト、お前の言う事も一理あるが、この少年にの垂れ死なれても後味が悪い。助太刀された恩もある。まぁ……そうだな、都市の入り口までなら大丈夫じゃないか?」
「——ッ……それは……」
平行線のやり取りを見かねたエリザベートが割って入り、ゼクティスを諭す。青年が言い返せずにいると、「それに、無関係な者を巻き込んでいると言うならもう既に一人、思いっ切り巻き込んでるじゃないか」と視線でその人物を示す。
エリザベートの視線を辿った先に赤毛の男を認め、ああそうだこの男も元は無関係だったなと思い出す。巻き込んだ張本人がそれを言うのかとも思うが。
「……何だその、哀れむ様な目は」
注がれる視線を感じたレイシェントは、不愉快そうに目を細めた。
ゼクティスはまたこのパターンか、と頭を掻きつつ「しょうがねぇな……」と呟いた。
「但し、都市の入り口までだからな。そっから先は知らねぇぞ」
「あっ……有難うございます!」
捻て精一杯面倒臭さを露にしたゼクティスの言葉にも、シージスは素直に感謝の為に勢い良く頭を下げた。やれやれと溜め息を吐きつつも、シージスの笑顔にゼクティスは苦笑せずにはいられなかった。
——それから数時間、六人に増えた面子で一行は森の中を歩いていた。
歪な巨体躯の魔物を倒した後も数度強襲に遭いはしたものの、然して手こずる手合いは無かった。その度ゼクティス達は容易く魔物を退け、時に魔物特有の酸化色の血液が地を汚した。
相変わらず深い森の景色は続いていたが、ゼクティス達は順調に第壱都市に近付いていた。
しかし、この穏やかな道中に似合わぬ違和感。けして不穏な、凶兆の違和感ではない。だがそれでも気味の悪いことには違いなかった。
件の魔物との戦闘が終わってからというもの、あれほどゼクティスに対しての嫌味に関してはこと口の減らないクルシュケイトだったと言うのに、今はただ黙って大人しく先頭を歩いている。
一々彼女の雑言を聞かずに済むのは確かに喜ばしい事ではあるが、こうも様子が一八〇度真反対に一変してしまえばおかしいと思うのは必定。逆に気味が悪い。
訝しんだゼクティスは、隣を歩くレヴィアに合わせて軽く身を屈めると小声で耳打ちした。
「なぁ……あいつ……クルシュ。さっきから大人しいけどよ、何かあったのか?」
するとレヴィアも此方を見上げ判らない、といった風に困惑顔で首を横に振った。
「それが……私もですね、聞いてはみたんですけど『何でもない』の一点張りで。でも、具合が悪いとか疲れたとかじゃないみたいですよ?」
「ふーん……」
レヴィアにさえ言わないとなると、最早自分が首を突っ込む余地など無いだろう。
何故かは判らないがどうも彼女は自分が気に入らないらしい。逆にレヴィアはお気に入りらしく、特に今の様にレヴィアと自分が並ぼうものなら必ず割って入ってくるのだ。
この様に彼女に蔑ろにされている身である以上、自分では聞いたところで恐らく相手にもされまい。
不意に、上着を引かれる感覚にゼクティスは振り返る。
「ええと……ゼクティスさん、あの」
遠慮がちに声を掛けたのは、例の魔操師の緑髪の少年、シージスだった。
「あぁ、お前か。ゼクトで良い……どうした?」
「ゼクトさん、その……クルシュさんが機嫌悪いのって、もしかしたら僕のせいでしょうか。僕が皆さんについて行きたいなんて無理言ったから怒ってるんじゃ……」
「は?」
思ってもみない少年の言葉に、ゼクティスは思わず間の抜けた声をあげる。だが直ぐに首を横に振り「いやいや」と皮肉めいた笑みを浮かべる。
「そりゃねぇだろ。あのクソ餓鬼の事だ、仮にそうだったとして、お前がついて来てぇって言った時点で文句の一つや二つじゃ済まねぇだろうよ。気にすんな」
ゼクティスはクルシュケイトと共にしたこの短期間で己に浴びせられた悪態の数々を思い出し、半ば苦い顔で否定した。
「そう、なんですか」
「ああ」
ならいいんだけど、とシージスは言葉とは裏腹に、尚も心配顔で呟いた。
他人事を他人事と割り切れない、お節介な誰かさんと似たような性格である。これを優しいと捉えるか甘いと捉えるかは個人の主観に委ねられるだろうが、この少年も中々難儀な性格をしているものだとゼクティスは内心密かに苦笑した。
湿気を多く含み、身体に纏わり付く様な重い空気はやがて晴れ、肌を撫でる軽やかなものに変わる。今まで日も通さぬ程天を覆っていた木々の切れ間から、ようやく人工的な白壁を進路の先に垣間見た。いつの間にか第壱都市付近にまで辿り着いていたらしい。
外目からでは高過ぎるこの壁のせいで都市内部の様子を窺う事は出来ない為、無機質な外観は聖都とそう大差は無い。
都市というのは皆同様、この様に防衛機能としての壁で周囲を囲まれている。その壁の内部は多層階に分かれ、その中に人が暮らしていくのに必要な設備・施設が一通り詰め込まれている、と言うのが基本構造だ。
しかしそれでも主要都市の許容人口には限りがある。
現在稼働する聖都含め六つの主要都市を合わせてもこの世界の人口の約四割程度しか居住区を賄うことが出来ない。よって主要都市内部に暮らす者は自然とそれなりに高位の地位の者や役職に就くものに限定されてくる。
そもそも主要都市の役割は居住ではなく星に空いた穴〝クエーサー〟より湧き出る洸晰の精製——エネルギーの生産に最も重きを置いている。
都市面積のおおよそ十分の一はエネルギー精製の炉が占めているのだ。その他は物資等の生産工場やプラント、主要都市及び派生都市を統率する執政府と自衛の為の軍事基地が主要都市内の大まかな施設内容である。
主要都市で精製されたエネルギーFG《フィラムグレイン》は都市内には勿論の事、周囲の派生都市——所謂街などへは地下を走る供給ラインを通って分配される仕組みとなっているのである。
それまで、唯ひたすらに黙々と先頭を歩いていたクルシュケイトが振り返る。
「着いたよ、此処が第壱都市……つっても正規の入口って訳じゃないけどさ」
だがクルシュケイトが口を開くより早く、シージスはいつの間にやら知らぬ間に駆け出していたのか。既にゼクティス達とは大きく離れた位置で都市の入都ゲートのある方向に一人向かっていた。
——と思えば突然何かを思い出したのか、駆ける脚に急ブレーキを掛け反動を利用し此方を振り返る。
「皆さぁん! 有り難うございました! 後は僕一人でも大丈夫ですから‼︎ 本当に、お世話になりましたー!」
一息に別れを挨拶を告げるとシージスは最後に勢いよく此方に向かって一礼。そのまま行ってしまった。入都の手続きなどは大丈夫なのかと危惧したが、あの勢いで向かって行ったからには心配無用であろうか。
「何か、なんつぅか……」
「妙、と言うか不思議な子、だったなぁ……」
半ば呆気に取られて少年の後ろ姿を見送ることしか出来ずに居たゼクティスの言葉を、エリザベートが何とか引き取った。
「……それで? 私達は何処から中へ入れば良い。まさか正面から入るわけにもいかんだろう」
レイシェントの声でようやく我に返る。
防衛機能上、非常時を除き入都ゲートは正面の一ヵ所だけとなっているが、恐らく正面入都ゲートから正規ルートで都市に入るのは難しいだろう。
先のクルシュケイトの言葉通り、幾らこの第壱都市が聖都からの干渉が少ない都市とは言え、聖都軍の息は掛かっているはず。今更素直に正面ゲートを使うとなれば、ここまで苦労して森を通ってきた意味が無い。
クルシュケイトは自分よりずっと長身の赤毛の男を見上げると、にぃ、と片側の口角を上げ悪童の様な笑みを浮かべる。
「大丈夫、心配無用だよおにーさん。ちゃんと教団内部までの抜け道、知ってるからさ。一部の教団関係者以外利用出来ないルートがあんの」
クルシュケイトの笑みにつられてか、レイシェントはそうか、と僅かに唇の端を緩めた。
「——サニア女史!」
引き続き少女の案内に従って都市への侵入を試みようとした時。突然、背後から年若の男の声が投げられる。その青年は、真白に紫の縁取りで統一された制服を纏っている。
クルシュケイトを呼んだ事とその身に纏った制服から推し量るに彼女の同僚、つまりは教団衛士の者であろう。
青年はクルシュケイト同様、導師直属の近衛衛士であると自称した。
「あん? どうしたの。まさかノクサスのおっさんから言われて迎えに来たとか?」
組織内であっても彼女の無頼振りは憚る事を知らないらしい。外見年齢からしても上司に当たるであろう青年は、クルシュケイトの無遠慮な物言いに顔を引き攣らせる。
「私はともかく……良い加減、自重を覚えろ。あの方でなければ今頃不敬罪で牢屋行きだぞ……」
と心底呆れた様に頭を抱えて嘆息した。
彼女とは全く対照的な、いかにも生真面目そうな男であるようだった。
「ああそうだ。『そろそろクルシュが戻って来る頃だろうから下まで迎えに行ってやりなさい』と仰せつかった。単独任務にも関わらず、ご苦労だったな」
労いの言葉を寄越す同僚を横目にクルシュケイトは相変わらず勘の良いこって、と彼を遣わせた者を皮肉った。
そこで何か察したのか、レヴィアが「あの、エリザ」とエリザベートの袖を引く。
「あの人が言ってる〝導師〟って、この都市の責任者……つまりは一番偉い人って事ですよね?」
「そうとも。よく覚えていたな、感心だ。ついでに第壱都市周辺地域の派生都市も導師の管轄になっているはずだったな」
それがどうした? とエリザベートが首を傾げる。
「ええと……まさかと思うんですけど、私達そんな導師さんにいきなり直接会う流れになってませんか?」
思いの外その考えはエリザベートには頭に無かった様で「え」と思わず彼女らしからぬ間の抜けた声を洩らす。
「ピンポン、レヴィちゃん大正解」
そのまま言葉を詰まらせてしまったエリザベートに反して、クルシュケイトはあっけらかんと手を叩く。
「おいおい……良いのか? そんなにあっさりと私達を導師の元へ通して」
「って言ってもねぇ。本人の意向だからさぁー」
「と言うか、そもそもいきなり導師と面会するとは聞いてないが」
「言ったら変に警戒するでしょ。こんな胡散臭い話無いじゃん」
本来、導師と言うのは滅多に表に出ることは無い。本来ならば謁見すらも難しく、そう簡単にはお目通り叶わぬ人物の筈。まさか此処でいきなり一主要都市の筆頭が出てくるとは思いもしなかった。噂では、教団員でも導師の顔を知らぬ者は多いという。
「まぁ確かに、聖都におわす皇帝様並の天然記念人物っちゃあそうだけど実際そんな身構える程の奴じゃないからさ、安心しなよ。教団の中でも導師の顔を知らない奴は多いけど、それって単に気付かれてないだけだし」
「あながち間違ってもいないが……お前、もう少し言葉を選んだらどうなんだ?」
身も蓋も無い言い様だが、曰く平素は導師としての威厳などまるで無く、その辺を歩いていても気付かれないのが実際の所なのだそうだ。
少女の不遜な性格からもたらされる評と理解しつつも、その隣の生真面目そうな同僚すら否定しないのは問題なのでは。それどころか、彼は頷いた。
「まぁその、そう言う訳です。ですが導師は思慮深さもあり、柔軟で寛容な御方であります。あまり過度に緊張なさらないで下さい。貴方たちの事も、賓客として迎える様にと仰せつかっております」
男はクルシュケイトの導師に対する揶揄を必死に取り繕いながらも、有無を言わさずゼクティス達を誘導する。
自分達の様な得体の知れない者が導師に直接会うと言うのに然して警戒心の無い二人に、少なからず疑念を抱かざるを得ない。今更ながら罠なのでは、と言う懸念さえ浮かぶ。
本当に着いて来て良かったのだろうかと一同の思考には不安と後悔の念が一斉に襲ってきていたのだった。
——————
ひたすらに走ったからか、酷く早鐘を打つ心臓が喧しい。
いや、そうではない。
焦燥にも似た高揚。血の巡りさえ鼓動に応えて脈動する感覚。
落ち着かなければ、と肺腑に溜まった息を吐き出す。
やっと、やっとなのだ。無理も無い。どれだけこの時を待っていたことか。
変に思われただろうかと、ふと先刻別れた彼らを思い返す。
しかし、頭を振って雑念を払う。
ようやく殺せるのだ、仇を討てるのだ。仇は此処に居る。居らずとも討ってやろう。
その悲願成就の為に、己の腕を血と泥と埃で塗れさせてきた。微塵の迷いも、赦してなるものか。そうでなければ————、
少年の憎悪に染まった瞳は、荘厳な様相を呈す建物に向けられていた。
「僕が生きていて良い理由なんて、これしかないんだから」
——————
ゼクティス達は、近衛守護衛士の青年に先導され都市の外から教団内部へ。裏道とも呼べぬ様な建築物の隙間を抜けた先、ようやく入り込む事が出来た。そして案内されるがままに男とクルシュケイトの後を着いて行く。
教団本部兼執政中枢部と言うだけあって施設自体の規模は相応に広大である。構造強度を上げる事が優先され、装飾も華美では無いが野暮では無く機能美として共生している。ささやかに施された壁や床を彩る繊細な紋様は、静謐なる威光を密やかに醸し出していた。
施設内の奥へ奥へと十分も歩いただろうか。
果てが白むほど長く、真っ直ぐに続く廊下の先の扉にようやく突き当たった。
細かな部分に注視すれば凝らされた技巧や素材の質の高さは見てとれるが、全体の印象としては何処にでもありそうな至って普通のデザインの片開きの扉である。
衛士の男は足を揃えて立ち止まると「此方です」とゼクティス達を振り返った。
まさか此処が導師の居る部屋だとでも言うのか。ゼクティスは己の中に抱いていたイメージのギャップに戸惑う。
「は? 此方です、って……」
「あァ、そうそう。此処が導師の部屋だよ」
クルシュケイトはそんなゼクティスの様子など意にも介さず答えてやる。
此処が本当に導師の部屋だと言うのであれば、警備の一人やニ人と言わず、もっと多く居てもおかしくはない筈。それどころか少なくとも教団施設内を行く道すがら、職員や衛士はほんの数名、指を折って余るほどの数しか擦れ違う事は無かった。出会うのは礼拝に訪れていた信者達、つまりは一般市民ばかりだ。
明らかにおかしい、とゼクティスが声を上げる間もなくクルシュケイトは敬意の欠片もなく適当に扉を叩く。否、二度『殴り付ける』と表現した方が正しいか。
「ちょっ——」
「導師ぃー。クルシュケイト・サニアただいま帰還しましたぁーっと」
そして中からの返事も待たず、まるで気兼ねの無い友人に対する様なぞんざいな口上と共に木製の扉を開いた。ジェスチャーで部屋に入る様にと促すのに従って、戸惑いながらもゼクティス達もぞろぞろと後に続く。
室内はそれなりの広さはあるものの、せいぜい個人の執務室程度か。
事実、此処は執務室なのだろう。入り口から向かって左右の壁一面には本棚が添えつけられ、隙間なくあらゆる分野の本が詰め込まれている。本棚の前には、恐らく収まりきらなかった本達が山と積まれていた。
奥には机が置かれているが、その上には書類が山脈を成す。美しい木目が自慢であろうそれは、すっかり天板を覆い尽くされていた。
その書類の山——もとい、執務机の前にはソファとソファテーブルが一組置かれては居るものの、それも机同様に書類の山と化していた。
促されはすれど、見渡す限りの書類の山に足を進めるのを躊躇うのは禁じ得ない。
——エリザベートはどうでも良いことながら、この書類の量を差し引いても多分自分が軍に居た頃に持っていた執務室の方が確実に広かった。などと考えていた。
「きったねェ! ちょっとあたしが出てる間にまたこんな散らかしてさぁ……少しは自分で整理しろって言ってんのに……」
いつもの様に、手慣れた様子で床に落ちていた紙束を拾い上げ、呆れ混じりにぼやくクルシュケイトの声に反応してか、書類の山の向こう側に何者かが動く気配。
ゆっくりと椅子を引く音と共に、一人の男が書類の山の中からひょっこりと顔を出し、姿を現した。
「いやいやいつも言ってるけどねクルシュ、これは散らかしてるんじゃなくて飽くまで効率的な配置にしているだけで……あー待ってそれはこれから見る分」
「その〝効率的な〟山を毎回自分で崩して物無くしてりゃ説得力皆無なんだって」
「あはは、それはその、代償ってやつだよ」
何ともばつが悪そうに笑う男は、見た目二十代半ばであろうか。教団の頭にしては若過ぎるのではないかと疑いたくなる。
長身ではあるが痩身、優男と言った風貌。そして細い金フレームの眼鏡越しに覗く、柔い印象の青紫色の眼。軽く後ろに流した濃紺の髪は一房だけ長く伸ばされ、碧い石の付いた金色の簪を使って適当な高さで纏められている。
ぞろりと引き摺る程の長さの真白の外套に、首元には教団の人間らしく十字が揺れ光っていた。
よく言えば親しみ易い、悪く言えば先刻の部下たちの言葉通り、威厳の欠片も無い雰囲気。確かに、普通に歩いてすれ違う程度では気付く者は居まい。
男は此処まで案内として同行した衛士とクルシュケイトに次いで、ゼクティスたち五人の姿を順に認めると、やんわりと目を細めて柔和な笑みを浮かべる。
「初めまして、君等を待っていたよ。 ヴァスティロード教団へようこそ。この俺、第二五五代導師ノクサスがそこの無礼な部下に代わって歓迎しよう」
どうやら本当に導師の部屋だったらしい。ゼクティスは面食らっている一瞬の間にクルシュケイトが即座に口を挟む。
「おい、おっさん」
「うん、何だい?」
面と向かって『おっさん』呼ばわりされたにも関わらず、ノクサスはわざとらしくにこにこと笑みを湛えたまま応える。
「無礼な部下ってのはソレ、誰の事言ってんです?」
「おや、訊かなければ分からない程お前の脳は鈍かったかい?」
後に控える衛士は頭痛を催したかの様にこめかみを押さえ、苦い顔をしているが何も言わない辺り、恐らくこの様な遣り取りは日常茶飯事なのだろう。
気さくと言えば聞こえは良いだろうが、一都市の頭取がこの振る舞いではやはり威厳も何も有ったものではない。
「いやぁ御覧の通り、口の利き方もなってなくて。お恥ずかしい」
「余計な世話だよ!」とクルシュケイトがムキになって悪態づくのをあはは、と楽しげに笑って流す。
ノクサスが表情を改めてゼクティス達に向き直ったところでふと言葉に詰まった。茶番の様なやりとりを交わしていたとは言え、僅かな間の意味を察せないほどとぼけてもおらず。クルシュケイトはゼクティス達を順に紹介した。
「すまない、出来れば応接室の方に通したかったんだけど」
挨拶もそこそこに、クルシュケイト含めた五人はソファや壁際、各々思い思いの場所に落ち着いた。
人手の少なさを訝しんでいると、詳細は未だ確認中だが丁度ゼクティス達が第壱都市に入った同じ頃、入都ゲートで何かトラブルがあった為そちらに人員を割いているのだとノクサスから説明された。加えて、出来るだけ人目に付かないよう少々遠回りのルートでこの部屋まで案内されたらしい。
尤も、元より人手不足もあるとの事だったが。
入都ゲートでのトラブル、と聞いてふと緑髪の少年の顔が脳裏に過った。そんなまさか、とは思うが。嫌な予感はするものの、同じく彼を見送ったクルシュケイトが申し出ないのであれば下手な事は言うまい。
取り敢えずは、知らぬ顔を決め込んでおいた。
「それで? あんな半ば軍に喧嘩売るような真似してまで俺等を連れて来させたんだ。とても真っ当な感覚とは思えねぇ。一体何を考えてんだ、あんたら教団は」
礼を欠いたゼクティスの物言いを意に介す事もなく「いや」とノクサスは一つ首を振る。
「教団……と言うか君等に来てもらったのは正直言うとね、俺個人の判断なんだよ」
「え、あの……それってどういう……」
当惑しきったレヴィアの声。いや、レヴィアでなくとも意図は汲めまい。
この男は、己の意思一つで自分達の様な、言ってしまえば得体の知れない者を呼び込んだというのか。
世界の中枢に次ぐ権力者の真っ当な考えであるとは、とても考えられない。
「うーん、どう言えばいいかな……俺も前々から聖都の動きが気になっていたものだからこっそりと探ってはいたんだけどね。けど相手は天下の中枢都市だ。あちらのデータライブラリに潜り込める様な技術者なんて居ないし、密偵なんかの正攻法でも上手くいかない——と言う事で、百聞は一見に如かず。仕方無しに俺がこの眼で直接〝視る〟ことにしたんだ」
語る顔はまるで無邪気な子供の様な笑顔、しかし眼鏡の奥の瞳は笑ってなどいない。むしろ鋭い光を宿す。
「私が言えた口でもありませんが、ハッキングもスパイも正攻法では無いでしょう」
「堅いこと言いっこ無しだよエリザベート君。一所懸命隠に隠されれば視たくなるのが人の性分だろう? 何にせよ、そこで俺は興味深いものを〝視た〟んだ」
縁を切ったとは言え、かつて己が忠を捧げていた組織へのスパイ行為をこうも堂々と明かされては苦く表情を歪めざるを得ない。
「あの、ノクサスさん。みる、って言うと……?」
ノクサスの言葉の意味するところが解らないのだろう。少女は紫の眼を丸めて眉を寄せ、頻りに首を捻っている。
「レヴィア、意味が解らねぇのは俺も同じだ。頭戻せ」
そのまま取れて仕舞うのではないかと思うほど傾けられた頭を、ゼクティスが掴んで正す。その拍子にレヴィアが小さく驚いた声を上げた。
そこでエリザベートが思い当たったのか「あぁ」と声を上げる。
「もしかして、それが導師のみが持ち得ると言う〝千里眼〟《clairvoyance》の事象観測、と言う奴ですか?」
「流石エリザ姐さん、物知りだね。導師、んな説明じゃ判んなくて当たり前だって」
ノクサスは反省したのかしてないのか「ごめんごめん」と笑い、クルシュケイトは溜息まじりにふん、と鼻を鳴らした。
「あぁ、そうそうその通り。俺の様に導師は便利な〝眼〟を使って遠隔地の様子を〝視る〟事が出来るんだよ。幸い聖都は世界最大のクエーサーがある。距離を隔てたとしても、洸晰の流れに同調して事象を視る俺の眼にとって好都合だ。リスク無しともいかないが」
軽く眼鏡の弦を指で叩きながら説明する。
しかしながら〝千里眼〟とは言いつつも、それほど便利な物でも無いらしい。
観測する物や対象の位置が明確に判っていなければ子細までは観測は出来ない為、広範囲を観測するには媒介とする眼に非常に負荷が掛かる。
故に、何処にあるか判らなくなってしまった様な探し物には向かないとの事である。
最後にノクサスは「まぁ、物凄く疲れるからこれは飽くまで奥の手だけどね」と軽く微笑んだ。
「ともかく、ここ一年は妙に聖都が物々しかった様だから何かと思ってね。少し覗かせて貰ったんだ。そうしたらお偉いさん方が口を揃えて言うんだ。『光使いが見付かった』と」
そして、とノクサスは一つ呼吸をおいて続ける。
「こうも聞こえた。『ようやく代替えが出来る、混沌に喰われたアレはもう使い物にならない』と。何と無くだけど、嫌な空気だったよ」
その時の事を思い出したのか、導師の顔からは先程のまでの笑みは消え、代わりにその瞳は冷厳な色を帯びていた。
「そんであたしがいきなり呼び出されて、お遣い頼まれたってワケ。ついでにストレス発散して来いって訳判んないおまけ付きでさ」
「まぁ……確かに言ったかも知れないけど……『喧嘩を売る様な』ってクルシュ、そんなに派手にやらかして来たのかい?」
「あっちの特秘を掠め取ろうって時点で喧嘩売ってんのと一緒じゃん。どっちにしたって変わんないでしょ」
あの襲撃紛いの強引な脱出劇はノクサスの観測外だった様だ。悪びれの無い語調で話す部下にノクサスは苦笑いしながら首筋を掻いた。
「ははは……まぁ、うん。それも、そうだね。ここ最近の聖都軍は何かと物騒な噂が多い。聖都に次ぐ第壱都市を預かる者として、俺も中央の真意と言うものが知りたくてね。クルシュにお願いしたと言う訳なんだよ」
最後にノクサスは何処か冗談めいた笑みを浮かべると「それに、俺の勘は良く当たるんでね」と付け足した。
自分の勘はよく当たると豪語する導師。
大層な自信家だと揶揄したくなるが、その自信の源も彼の持つ眼の力を考えれば納得出来る。無計画、突飛に見えるがその行動には少なからずも根拠があり、遠からず先を見越している。
独断専行なのも後手に回ることを良しとしない姿勢からであろう。
導師と対面して然程間は経たないものの、この男が人の上に立っていられる所以が解った気がした。
「さてと、俺も考え無しに君らを呼んだ訳じゃないって言うのは判ってくれたかな? 世界が危機に瀕する状況に有るのならば大人しくはしていられない。しかし中枢が情報を独占してひた隠しにしている以上、此方にはほとんど情報が入ってこない。多少のリスクはあろうが手段は選んでられなかった——そう言う事だ、君らの知ってること何でも良い、教えて貰えると助かるんだけどね」
語調は揚々として穏やかだが、その眼は微塵も笑ってなどいない。知れた事だが、彼も半端な冗談を言っている訳では無いだろう。
しかし、まだこの導師──延いては教団が此方の味方と決まった訳ではない。
知っている限りを話したとしても最終的にどう転ぶかは判らないのだ。迂闊な判断で口を滑らせる訳にもいかない。
ゼクティスはどうする? と、エリザベートとレイシェントを振り返る。
それまで、ただ腕を組んで傍観しているだけの様に見えたレイシェントが口を開く。
「情報を渡すのは構わんが、そちらの示す態度によるな」
「それは対価って事かい? レイシェント君と言ったか。君、顔に似合わず案外現金なんだね」
ノクサスは何処か芝居がかった笑みを浮かべ、首を傾げてみせる。
「……現金で結構」
それだけ呟くとレイシェントは肯定の意を表してか、眼を閉じ黙している。
「冗談だよ。むしろ順当だ。それは勿論、第壱都市……俺の権限が及ぶ範囲内でなら君らの身の保身はするとも」
「教団が指名手配者の幇助をする、と? 本気で言っているのか?」
「はは、指名手配って言っても別に人殺しだとか窃盗なんかの悪行でなった訳じゃ無いんだろう? 大体の事情は判ってるつもりだよ。何だったら当面の間、君らを教団内で匿っても構わないさ。聖都からの要請であっても君たちの身柄は渡さない——どうだい?」
『但し、そうなったら此処に属する人間として働いて貰うけどね』とノクサスは眩いばかりの笑顔で付け足した。
「情報ついでに労働も要求するか」
「悪い話じゃ無いだろう? 鎖に繋いで拘留するわけでも無し。中枢都市からの君達の身柄の安全と自由の保証、此方が負うリスクには見合ってると思うけどね」
ノクサスはわざとらしく不遜に言ってのけるが、確かにそれは道理だろう。
第壱都市の傘の下は、一度限り情報をくれてやった程度でいつまでも入っていられるほど安くは無い。それこそ厚顔と言うものである。
「まぁ……お恥ずかしい話だけれど正直言うと、教団も最近人手不足でね。此方としても人員が増えるならお尋ね者も大歓迎なんだよ」
「……では仮に、応じなかった時は?」
ノクサスはこめかみを掻きながら苦笑い。「あまり考えたくないけどね」と前置く。
「悪いけど聖都へ君達の身柄を明らかにした上で、聖都との情報開示への交渉材料にさせて貰わなければならなくなるね。——さぁ、それで君らは……どうする?」
先方の手札は開かれたか。レイシェントは一つ溜め息をつき「……とは言え、生憎私とエリザは話せそうな事は何も無い。後はゼクトの判断に任せる」と話の先を黒髪の青年へ振った。
レイシェントに水を向けられ、「結局俺か」とゼクティスは頭を掻く。しかし、エリザベートも意見してこない辺り、ノクサスの提案は信用する価値があると判断したのだろう。
ゼクティスは出来る限りぶっきらぼうに「ちょっと長くなるぞ」と言い置いて話し始めた。
「何でも軍の連中は〝境界〟を観測したらしくてな。なんでも、魔物が発生する時の空間の歪みからだとか言ってたか」
本来この現世と境界は空間が擦れている為、境界の事は干渉不可領域と呼ばれている。その境界が存在することにより境界の更に奥にある絶対干渉不可領域——黄泉との存在定義を保つ役割を果たしている。
近年まで創世神話として語り継がれていた世界構造の空論が、観測によって実体を得たのだ。
「でも、境界からそんなもんが送られて来てるって事は、境界の崩壊が始まってるって事だ。聖都の連中はソレを止める為の布石として光使いを創ったらしい。
ノクサス、あんたが聞いた代替えって言葉の通り、光使い——レヴィアを新しい楔に据えることで崩壊を止めようって算段なんだろうよ。要は、人柱だ」
声音こそ落ち着いてはいるもののその終始、ゼクティスは心底不愉快そうに眉根を寄せたままだった。
「何だと⁉︎」
それまで大人しくゼクティスの話を聞いていたエリザベートが思わず声を荒げて叫ぶ。勢い良くレヴィアを振り返ると「本当か」と強張った面持ちで確認をする。
「えぇと、はい。そう……みたい、です」
出来るだけ幼馴染の動揺を誘うまいと、ぎこちない笑みを作りながらレヴィアが応えるが些したる意味を成すものか。
エリザベートは度し難い事実の重さに耐えかねる様に額を押さえ「何て事だ……」とかぶりを振る。
「それじゃあ、光使いは人柱になる、それだけの為に創られたと。例え世界を守ると言う大義名分があったとしても、勝手に命を創って消費するだと? 馬鹿げている……これが人間が人間に対してやる所業か!」
「待て待て、俺に言ってどうする! 襟を掴むな!」
荒く襟を掴まれ、噛みつかんばかりの勢いでエリザベートに詰め寄られる。怒りを隠そうともせず焦がす翠眼に、ゼクティスは思わず気圧される。
「エリザ、ゼクトに食って掛かっても仕方がない。少し落ち着け」
「あぁ? ——む……済まん……」
レイシェントに宥められて我に返ったのか。煮え切らない腑に眼を眇めるも、不承不承ゼクティスの襟を放して解放した。
一方ノクサスは顎に手を添え、考える素振りをしていたかと思うと顔を上げる。
「境界、か……正直、境界なんて神話の中での事だと思ってたんだけど。本当にあったって言うのも驚きだけれどもそれに加えて崩壊か……。それが真実なのだとしたら、魔物なんて訳の判らない物が我が物顔で蔓延ってるって言うのも納得せざるを得ない訳だ」
ノクサスは菫の眼を臥せると僅かに表情を翳らせ、誰へともなく呟く。
「世界の危機じゃないか……。何故〝彼〟は俺にさえも情報を流してくれないんだ……?」
「ノクサスさん、その、境界が壊れてしまったらどうなるんですか⁉︎ 混沌に落ちるって……おに……聖都では、そう、聞きましたけど……」
カルミラが言っていた言葉を思い出しながら、レヴィアが問う。
現状でまだ境界は完全に崩壊してはいないものの、それでも隙間から溢れ出す魔物による被害は時を追うごとに苛烈さを増している。最悪、魔物によって街一つ無くなることもあるのだ。
事実そういった例は既に何度か起こっている。あの聖都でさえも例外ではなく数年前より魔物の被害が頻発していると言うのだ。
「その境界が無くなるって事はあっちに抑え込まれていた物、魔物に限ったことじゃないが……そんなのが一気に此方に流れ込んで来るんだろう」
境界が無くなった場合の様子を想像してだろう。ノクサスは嘆く様に眼を伏せて首を振り、険しい表情を浮かべる。
例え第壱都市の権限の及ぶ範囲での防衛力でも、魔物相手には四苦八苦している様な状況なのだと彼は話す。
「魔物だけでもこれ以上……桁違いに増えるとなれば、とてもじゃないけど人の住める地では無くなってしまう。いや、魔物だけで終わる訳が無い。『混沌』か。成る程、的を射た表現だね。
無限に湧き出る魔物に蹂躙されたその先に有るのは……命無き亡骸の世、と言った所かな……」
生命の温みの一切が消え去り、大地は原初に還る。
そんな、と途端レヴィアの顔が泣きそうに歪む。——しかし、それも束の間の事。次の刹那の少女の瞳には、頼りなく揺れる真摯な光が灯っていた。
「……でも……ひ、光使いの私がその楔になればそれは止められるんですよね? だって、私は……その為に生み出された、存在なんですから」
「——な……おいレヴィア! 自分が何を言っているのか解っているのか⁉︎ 境界は人理を越えた先の世界、人としての生存は絶やされる! お前にとっての死を意味するんだぞ!」
「そんなこと! 解ってます! 私はその役目を果たす為に創られた。ほんとは惜しんで貰える事すら勿体無いんです。——それに……その為に生み出されたなら……他にどう言う生き方が有るんですか?」
「止めろレヴィア!」
「でも、これが事実! 私は人じゃない……私の真実なんです!」
エリザベートは思わず激昂し声を荒げるが、十数年間抱えた先で目の当たりにしたレヴィア絶望には届かない。頭を抱えて小さな身体を縮こませる。
しかしノクサスはあくまで落ち着きを払った声音で「まぁ、そうかもしれないね」としずかに頷く。
「レヴィアちゃん、確かに君は都合よく使われる為に創られた命かも知れない。でも折角今こうして意志を持って生きているのなら、他人が示した役割や使命にみすみす殉じる必要なんて無いと、俺は思うけどね」
静然と諭すノクサスの言葉に顔を上げた先。導師が向ける笑顔はその場凌ぎに宥めすかすものではなく、偽り無い慈悲が込められていた。
「でも」と言いかけるレヴィアの言葉を遮る様に、構わずノクサスは続ける。
「君が例え何者であろうと、何か一つの使命の為に意図して創られたんだとしても、君が君らしく生きる権利は誰にも奪えないものだ。——創造主であってもね」
「私らしく、ですか……?」
ああそうだ。とノクサスは確と頷く。 この男は、普通の人として生きて行く為の不可侵の権利が自分にも与えられていると言うのだ。
命を賭して殉ずべき、尊いまでに価値ある使命があるにも関わらず。何者にも意志の介在を許さず、捕らわれずに生きるなど。そんな事が許されるなど、今まで考えた事も無かった。
「君が意志の無いお人形や機械だって事なら、使命をやり遂げるより他に存在意義は有り得ないのかも知れない。でも、君はちゃんと感情や意志を持って生きている。ただ、〝光使い〟って言う肩書きが付いているだけ。無限の選択肢と可能性を持った俺達人間と、どう変わるんだろうね?」
聖都を出てより抱えていたこころの重苦しい突っ掛かり、〝光使い〟と言う宿命を負ったが故の使命感への重責がふと軽くなった気がした。
「エリザベート君の言う通りだ。神に遣える身としては、そんな風に命を弄ぶ様な所業を見逃す訳にはいかないからね」
「導師、あんたが神のお題目出しても胡散臭いよ」
「こらこらクルシュ。一応これでも現世の神徒として最高の職なんだけどね、俺は。そろそろ慎まないと減給するぞ」
クルシュケイトの不敬極まりない言動を嗜めてはみせるが、その実然して気にする風でも無い。仮にも教団の最高権力者が神の名を翳して胡散臭いとは致命的だが、この導師にしてみればやはり些かも問題は無いのだろう。
「そう言う訳だ。我ら教団は神より賜りし信条に則り、君等の身を庇護させて貰うよ。まぁ、最初の約束通りだけどね」
しかし、レヴィアは納得いかないといった様子で今度こそ声を上げる。
「ノクサスさんの厚意は……言葉は、凄く嬉しいです。でも! やっぱり境界の事は放っておくって言うんですか⁉︎ そんなのって……ただの逃げで、無責任じゃ……」
「無論、考えてるよ。俺が言いたいのは、何も道は一つじゃないんじゃないかって事だよ。そうだろう? ゼクティス君」
「あ?」
ノクサスは含みのある笑みを閃かせ、ゼクティスに視線を移す。
「そもそも何故境界は崩壊を始めた? 何故レヴィアちゃんの様な〝代替え〟なんてものが必要なのか?過去の歴史を遡っても今回の様な事態は例が無い。ならば、その起因が必ずあるだろう。境界の仕組みに何らかの問題が生じた、とかね」
その言葉にレヴィアが何か思い出した様に手を叩き、ゼクティスを振り返る。
「ゼクト、そうです。ずっと訊きたかったんです。あの時話してた〝No.0《ゼロ》〟って何なんですか?」
「『ゼロ』? 何だいそれは。初めて聞くね」
覚えてたのか、と水を向けられたゼクティスは苦い顔で頭を掻く。ややあって至極面倒そうに話し始めた。
「〝No.0〟ってのは、今現在境界を支えてる楔の事だ。〝sacrifice doll No.0〟……さっきエリザが言った通り、境界を支える人柱ってとこか。人形って名は付いちゃ居るが、元々は生身の人間。操って動かすには最適だ。大方ソレに何か入り込んだんだろうな」
そもそも境界が創られたのは神話の時代よりもう少し後になる。
神が今の世界の原型——黄泉と現世を分けた形を最初に創り上げたもののそれだけではまだ不完全だった。
故に当時まだ神と近い力を持っていた初代皇帝が境界を創り、完全に二つの領域を分けたのだという。——しかし、境界を創る過程にて問題が発生する。
「何せ境界を創る間その身が黄泉に晒されるんだ。全く理が違う空間に触れておいて、まともでいられる人間なんざいる筈がねぇ。それで、完全に正気を失う前に創りかけの境界を無理矢理自分の身体を楔として繋ぎ合わせて、黄泉との地獄門を完成させた」
「成る程、境界の構造自体が元々不完全ということか」
レイシェントの言葉に「そう言うこった」とゼクティスは適当に相槌を打つ。
「つーかあんた、No.0の話題吹っ掛けて来るなんざ……その眼とやらで視てたのか?」
明らかに未だゼクティスが人柱として存在しているNo.0の事を伏せていると承知して先の質問を寄越した様に思える。
であれば、ノクサスは自分達が聖都軍基地に居た時から彼の千里眼で視ていたのでは無いだろうかと勘繰らざるを得ない。となれば先程までの話は茶番も同然である。
だがノクサスは「いいや」とはっきり首を横に振る。
「そんな性根の悪い事、俺がすると思うのかい? 何と無く、ゼクティス君が未だ何か言ってない事が有るんじゃないかと思っただけさ。フェアな取り引きをしようって言うのに、隠し事は駄目だよ」
悪戯っ子を嗜める様にほくそ笑むノクサスに、ゼクティスは単に引っ掛けられただけであったのかと気付いて唖然とする。
「それが性根が悪いって言うんじゃねぇか……!」
「まぁまぁ、それならそれでお互い様さ」
さぁ、とノクサスはタイミング図っていたかのような笑みを浮かべ、レヴィアの肩を叩く。
「どうだろう、別の道もちょっと見えてきたとは思わないかな」
「あー……そう言う事か。まぁ、理屈は判るけどよ」
「……え、あの、どう言うことですか?」
しかし当のレヴィアは訳が判らずノクサスとゼクティスを交互に見比べる。
「だからね、境界が不完全にしろ元々は人為的に、意図して創られたものでもある。だったら、何らかの方法で此方から境界に接触して何とかする事も出来るんじゃないかな? ……方法はまぁ……追々探すとして」
「結局考え無しなんじゃねぇかおっさん!」と後ろからクルシュケイトの罵声が飛ぶが、ノクサスの態度は相変わらず飄々としたもの。「境界の崩壊に対応する術が唯一じゃないと、可能性が出ただけでも今は僥倖だよ」と受け流す。
釈然とはしないがわざわざ返す言葉も持ち合わせないと言った所か、少女は舌打ちを打つ。
「……でもさ、レヴィちゃんが犠牲にならないって代案があんならあたしはなんだって歓迎だよ。レヴィちゃんみたいのが居なくなんのは胸糞だし、案を探すなら協力するよ」
「クルシュ……」
未だ会って間も無い少女の言葉に、不意に眼の奥が熱くなり視界が滲む。
クルシュケイトは急に恥ずかしくなってそっぽを向くが、次の瞬間には感窮まったレヴィアに半ば体当たりの様な勢いで抱き付かれていた。
「クルシュうぅ……有難うございます! そんな、そんな風に言ってくれるなんて……嬉しいです!」
「あっ、ああ当たり前だってそんな大袈裟な! ……って、ちょ、レヴィちゃん苦しい苦しい!」
二人のやり取りにノクサスは「微笑ましいねぇ」と苦笑しつつも、止める様な野暮は無いらしく傍観していた。
ゼクティスも呆れたように空笑いを浮かべていたが、表情までは判らないもののエリザベートが何故かニ人を凝視したまま微動だにしない。訝しみ、声を掛けてみる。
「なぁ……もしかして羨ましいとか思ってるか」
「それはお前だろう」
「馬鹿いえ」
ゼクティスの揶揄を冗談で躱したエリザベートは嘆息し、此方を振り返る。
「……知らなかったよ。あの子が力を持つ重責のせいでそこまで刹那的な考えをしていたなどとは……。結局、光を持つ者が一番光から遠かったとはな。……皮肉なものだ。
でも良かった。……ようやくレヴィアにも光が見えた、いや〝見せてやれた〟のかな。全く、あの導師に借りが出来てしまった」
ややあって「そうだな」と素っ気なく返したつもりのゼクティスの口角も、気付かぬ内に上がっていたのだった。
——————
宵も更け、藍染めの空には僅かに真円を欠いた月が浮かぶ。明日が満月になるのだろう。
その光は遍く存在の像を曖昧に浮かび上がらせていた。
ゼクティスは教団施設内の庭園を望む吹き抜けの渡り廊下にて、何をするでも無く宛てのない視線を虚空に投げやっている。
冷たさは残るものの、涼やかにそよいで髪を揺らす夜風が心地好い。本来ならばそろそろ夜でさえ暑さの抜けにくい季節になる筈であるが、北方寄りの地域に位置する第壱都市にはそのの気配すら無い。
こんな夜更けまで起きている者など、精々巡回の担当くらいなもので周囲には人気は無い。
ノクサスとの話し合いにより、ゼクティス達は教団を隠れ蓑とする代わりに教団が担う治安維持活動への助力を行う事で合意となった。目的も定まらず、ただ軍から追い回されるばかりだった今までからしてみれば大きな前進である。
(しっかし……)
ゼクティスは己の格好に視線を落とす。
今、彼の身体が纏うのはいつもの青いベルト装飾の付いた長衣ではなく、黒色ではあるものの白い縁取の入った外套。背には暗灰色の教団の紋が入っている。普通、教団衛士を表す団服は白地に紫の縁取だがこれは客員衛士を表す物らしい。
形だけとは言え教団に属する以上、いつもの格好で居れば不審と見られてしまう。この時間帯であれば尚の事だ。
ゼクティスとて教団に協力することに最早何の異論は無いし、納得もしている。が、こうして実際に目に見える物で示されると、何だか自分がとんでもない事をしている様で。今更ながら軽い憂鬱に心中を翳らせていた。
(今までの俺からじゃ考えられねぇな)
ゼクティスは自嘲気味に唇を歪ませる。らしくないと、自分でも思う。
こんな見返りの無い不利益ばかりの仕事、本来ならとうに放棄して姿を眩ませている筈だ。元々自分とは何の縁も無いし、付き合う義理もない。まして面倒事など平にご遠慮願いたい性分だ。
しかし、もう仕事云々などと言う範疇で動いているのではない事は判っていた。
最初にレヴィアを聖都まで送った後、何故早々に聖都を立ち去れなかったのか。まして立ち去れなかった自分に、今となっては微塵の後悔が無いのか、元を正せば単純だった。
あの少女に一人の人間として対峙させられ、不都合から目を背ける選択肢を、放棄する選択肢を奪われたのだ。レヴィアがそれを自覚しているか否かは別として、人をここまで変えるとは恐ろしいまでの強制力である。
(不都合、か……)
黒手袋に覆われた左手を空に翳す。隠されて見えないが、その甲には相も変わらず青い結晶体がご丁寧に皮膚を侵食する様に根を伸ばし張り付いている。触ってみれば、そこにあるのはやはり皮膚とはかけ離れた硬い感触。
物心付いた時から共にある。化物じみた破壊の力を持つ蒼の光〝蒼洸〟。易々と仲間にも明かす訳にもいかず、未だにひた隠しにしている状態である。
(この不都合とも、その内向き合わりゃならねぇ時が来るんだろうな)
──と、不意に廊下の奥から気配を拾う。
反射的にゼクティスの手が跳ね、念のためと持ってきておいた大剣に手を掛け緊張の糸を張る。油断するに越したことは無い。しかし、差し込む月明かりで気配の正体が露になると拍子抜けとばかりに安堵の息を吐いた。
「何だ、お前かよ」
隠そうともしない気配と敵意の無さから正体は何と無く察しはついていたが、レヴィアだった。就寝の為なのか、腰下まである長い金髪は三つ編みにされ、歩く度に合わせて尻尾の様に揺れていた。彼女もゼクティスの姿を認めて、途端に表情に明るさが増したと思えば小走りで駆け寄って来る。
「ゼクト、ここに居たんですね! やっと見付けました!」
昼間の様子から一変。憑き物が落ちたかの様に弾んだ、いつもの声色だ。
自分を探していたと言うレヴィアにゼクティスはどういう事かと怪訝に眉を潜める。
「見付けた、じゃねぇよ。もう一時回ってんだろ、何やってんだ。サッサと部屋に戻って寝ろよ」
「何だか眠れなくて、ゼクトなら未だ起きてるかと思って部屋に行ったらレイさんから『知らん』って言われたので探しに来てみました」
聖都から第壱都市に至るまで抱えていたであろう精神的重荷を思えば、誰よりも休息が必要な筈。呆れ顔のゼクティスに対して、いやにあっけらかんを首を横に振ってみせた。
「は? レイが起きてたんならあいつに相手してもらえば良かったじゃねぇか」
レイシェントもあれで律儀な性分である為、押しには弱い。加えて意外と面倒見の良い性格もしている。自分より余程良い話し相手になると思うのだが。
「あっ、それもそうですね。でも折角ゼクトを見付けられたんですから、付き合ってくれますよね!」
「勝手に決めんな!」
「えぇ⁉︎ ウゥッ……せっかく暗い中、迷いながらここまで探しに来たのに……薄情です」
何ともわざとらしくしょぼくれるレヴィアにゼクティスは面倒臭さを露に黒髪を掻く。このやり取りに既視感を覚えるのは気のせいだろうか。こうなるとレヴィアから折れる事がないのは判っていた。何のかんのと文句を付けてはしつこく食い下がるに決まっている。
「あーもう、判った判った。好きにしろよ……」
故に此方は諦めて溜め息をつくしかないのだ。
それから暫くはレヴィアの、端から見れば一人言ともとれる話に適当に相槌を打って流しながら耳を傾けていた。だが、不意に外套の端を引かれる。もしや適当に聞いていたのがばれたのかとレヴィアを見遣った。
レヴィアは黙ったまま、探る様な眼でじっと此方を見上げ、じりじりと顔が迫って来る。居心地の悪さに思わず半歩後退る。
「な、何だよ」
「やっぱり、私の話全然聞いてませんでしたね⁉︎ 酷いですよゼクト!」
「馬鹿言え、勝手に人を付き合わせといて何言ってやがる!」
案の定、察したらしい。両の手で拳を作ってゼクティスを叩き、酷いだなんだと非難してくるが、此方も負けじと「もうちょい中身のある話しやがれ」と反論する。
どれ程その不毛な応酬が続いただろうか、ようやくレヴィアも落ち着いた。というよりは諦めたらしく拳を引いた。
「もう、ゼクトですから良いですよ許します。……代わりに一つ訊いても良いですか?」
「あ?」
散々文句をぶつけて殴っておきながら一体何を許すと言うのか。正直、腹の虫は収まらないが露にするのも大人気ないと堪える。
レヴィアは少しばかり良いづらそうに視線をさ迷わせたものの、顔を上げゼクティスを真っ直ぐに見詰める。
「その、聖都でお兄ちゃんと話してたときからずっと気になってたんです。ゼクトはどうしてあんなに境界について詳しいんですか? 昨日だって、ノクサスさんさえ知らないことを話してましたし」
「——っそれは……」
「すみません。正直に言うと、この事を訊きたくてゼクトを探してたんです」
先程とは違い、真っ直ぐに此方を見詰めるレヴィアの眼には緊張の色が浮かんでいた。少女は「訊きづらくて中々言い出せなかったんですけど」と続ける。だとすれば、あの雑談は意を決するまでの時間稼ぎだったのか。
「…………」
「……ゼクト?」
明らかに動揺を孕んだ表情を浮かべるゼクティスは、言葉を詰まらせたまま。黙りこくってしまった。初めて見るその青年の表情に、レヴィアは訝しげに首を傾げる。
「あ……と、もしかして、訊かない方が良かったですか……?」
「いや、それは別に構わねぇんだけどな。……けど悪ぃ、境界の情報の事については俺にも説明のしようがねぇんだ」
いくらでもはぐらかせそうなものだが、そうはしなかった。しかして辛うじて返された青年の返答の意味を汲む事も出来ずに、レヴィアは目を丸くする。
あれだけ流暢に語っておいてこの答えだ。まぁそうなるよなとゼクティスは頭を掻きつつ、決まり悪そうに話す。
「何でかは判らねぇ、が俺の頭には昔っから当然の様に境界の……〝あっち側〟の情報が入って来る事がある。しかも一定の期間を置いて更新されていく始末だ。記憶が勝手に上書きされるみたいにな。
知らない内に知らないはずの事を知っている。……つっても境界の事を知ってる奴なんざ、滅多に居る訳でもなし。誰かに話したところでただの戯言。妄想だって流されるのがオチなんだけどよ」
それはまるで、啓示の様に。
ゼクティスは己の額を人差し指で押さえ指し示す。思い返せば境界の話をして会話が成り立ったのはあれが初めてだったなと、今更ながら改めて気付いた。この境界の情報が自分の脳が勝手に生み出す妄想や虚言癖でない事が判ったのは、果たして幸いだっただろうか。
「どうしてゼクトが……? 何かそうなる心当たりはあるんですか?」
「……あれば良かったんだけどな。あぁでも……コレがもしかしたら関係有るのかもな」
「これ、ですか?」
ゼクティスはおもむろに左手の手袋を外すと、甲に根を伸ばし張り付く蒼の結晶体を示した。
境界の情報がやって来る時には何故かいつも此処が痛む。左手の甲に埋まった結晶体は、まるで意志力を持つかの様に蒼い濃淡を内部で揺らめかせている。
仲間内でも明かしておらず、今までひた隠しにしてきたもの。
しかしこの際、レヴィアにだけでも話せる事は話しておこうと思ったのだ。
或いは、この少女にならと何かしら淡い期待をしていたのかもしれない。この結晶体、蒼洸の存在を晒した時の他者の反応など知れているはずだったのだが。
今まで敵意無くこれを見せたのも、ゼクティスの師である〝先生〟くらいなもの。その他の者は一様にゼクティスの左手を恐れ、或いは疎んだ。
握られた左手に力が入り、掌の内にじわりと汗が滲む。
結晶体が埋め込まれ、あまりに異様な状態の左手に最初こそ僅かに驚きつつも、遠慮がちにその手を取ってしばし眺めていた。そしてやはり、レヴィアはどこまでもレヴィアらしい反応を示した。
「ゼクトの眼と同じ青色で……綺麗ですね。宝石みたいです! ……あれ?でも、これほんとにくっついて……ゼクト、何なんですか? これ」
歓声をあげて宝石の様だと興味津々に眺めている。そして不思議そうに見上げられた紫色の瞳は、余りにも澄んでいた。微塵の恐怖も蔑視の色も無いことに驚く反面、ゼクティスは安堵していた。
「……案外、驚かねぇんだな。大概の奴はこれ見ると、気味悪がるんだけどよ」
「そう、なんですか? んー……でも今更こんなの、大したことじゃないですよ。私はゼクトが優しいって中身をちゃんと知ってますから。ゼクトはゼクトです。全然、怖くなんてありません」
「あ、あー……はいはい。勝手に言ってろ」
「私が光使いだって知った時、ゼクトもおんなじ事を言ってましたよ」
妙に得意気なレヴィアの笑顔に屈託などあるはずも無く、まして同じ言葉を返されるとは。一体何を恐れていたのだろうかと、途端に馬鹿馬鹿しくなったゼクティスは居心地悪く頭を掻いた。
「……〝蒼洸《そうこう》〟って名前らしい。普通、洸晰を凝縮して精錬したらエネルギー資源のFG《フィラムグレイン》になるが、ある条件下で精錬してやるとこいつになるんだとよ。……まぁ、先生の受け売りだけどな」
「蒼洸……って言うんですね。石みたいに固いですけど、痛くはないんですか?」
「皮膚が突っ張る違和感はあるが、本当にたまに痛む程度で普段は全くだな。こいつがあることすら忘れるくらいだ」
「今は痛くは無いですか?」
結晶が埋まっている手の甲を撫でながらレヴィアが問う。その部分は感触を得る為の神経が遠いせいで完全に感覚が無く、触られているのかどうかも曖昧である。
「たまに、って言ったろ。今は別に何とも無ぇよ」
しいて言うなら、撫でられている手や指先がこそばゆいくらいなものだ。相変わらずの心配性にゼクティスは苦笑する。蒼洸はまだはっきりと精錬方法は判明しておらず、理論上の存在であるはずとの事。
蒼洸は洸晰とは明らかに性質が異なり、むしろ正反対の作用をもたらす。圧倒的な破壊力を持つとされたため四都戦争の折、積極的に開発が進められたが結局は完成には至らなかったと言う。
〝先生〟曰く、『自己陶酔のロマンチストの様に、これを持っているのは運命の導きとでも思っておきなさい』と言う。つまりは彼女ですら〝判らない〟と言うことらしい。
「でもこうして俺が持ってる以上、多分無関係じゃねぇんだとは思う。結局、俺にも自分が何なのか判らねぇって事だ。まぁ……そう考えると俺の境界の情報なんかもあんまり当てにならないかもな」
手袋を嵌め直しながらそう言うと、ゼクティスは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「他の連中には言うなよ。あれこれ詮索されんのは面倒だ」
「それじゃあ、この事は二人だけの秘密って事ですね! ゼクトの事、ちょっとでも知れて嬉しいです」
まるで緊張感の無いレヴィアの笑顔に力が抜け「なんだそりゃ」とゼクティスは再び苦笑した。
この緩み切った笑顔を見たのも久方振りだったかと顧みたところで、ふと一つの気付きが脳裏を掠め、ゼクティスはレヴィアに向き直る。
「そうか……教団に匿って貰えるんなら、お前はもう逃げ回らなくても良いんだよな。ってことは……お前の旅も此処で終わり、か」
「あ、え……?」
余りにも不意を突く青年の台詞に、レヴィアはきょとんと驚いた様に紫瞳を丸めて笑顔が失せる。
聖都に次ぐ権力を持った教団、第壱都市の後ろ楯を得られたのだ。仮にレヴィアの存在が此処に有りと知られたとしてもおいそれと手出しは出来ない筈である。元々少女は戦いや争いとは無縁な環境で普通に暮らしていたのだ。ノクサスの言葉を信用するならば、完全にとはいかないものの以前と同じく穏やかな生活が期待出来るのでは無いだろうか。
「あ、いえ……えっと。そ、そっか……そうですよねぇ。何だか実感ありませんけど」
だが、当のレヴィアは声を上擦らせ、繕う様に口元を持ち上げてぎこちない笑顔を作った。しかしそれも俯き気味に伏せられてしまい、何やら寂しげな表情にも見て取れる。
その様子にゼクティスは訝しげに首を傾げる。
「……? どうした?」
「あ、ええと……そのぅ、きっと大した事じゃ……無いんですけど……。あの、ですね」
レヴィアは落ち着き無く手を遊ばせ、言葉を詰まらせていたが、恐る恐るゼクティスの顔を上目遣いに見上げた。
「それじゃあ、ゼクトも落ち着いたらその内……ジルバスに帰っちゃうかも……知れないんですか?」
「あ? 俺か?」
何を言いづらそうにしているかと思えば、自分がジルバスに戻るかどうかの心配などとは。よく判らないと疑問が浮かぶが、此処まで共に旅をしてきた自分は彼女にとっては信用出来る数少ない護衛役か。そう思えば離脱を危惧するのも納得出来るかと、ゼクティスは首を振って否定する。
「いいや。境界の事も気になるし、まぁ……一応は助けられた恩もある。どっちにしろほとぼりが冷めるまではジルバスにも戻れねぇから当分は此処に厄介になるつもりだ」
そう言うと、面倒臭そうにゼクティスは羽織っている教団服の襟を摘まんでレヴィアに示した。すると少女は先程とは打って変わって「ほんとですか⁉︎」と少女の顔にいつもの笑顔がぱっと戻った。
「じゃあ、まだゼクトと一緒に居られるんですね!」
「は……? ……ああそりゃまぁ……そうなるな。……っと」
護衛役離脱への危惧に対する安堵にしては少々、言い回しに違和感があるような。疑問符ばかりを浮かべて居ると、腰回りに柔く締め付ける感触。レヴィアが突然此方に抱き着いて来ていた。
「おい、さっきから……どうしたってんだよ、離れろって」
「——あ、えと……えっへへ……すみません、嬉しくてつい」
レヴィアはゼクティスに人差し指で頭を弾かれても彼の外套に顔を埋めたまま、言葉では謝りつつ一向に離れる気配は無い。
「何だよソレ……もういいだろ、暑いから離れろ」
こうも引っ付かれては流石に居心地の悪さに苛まれ、離れるよう促す。だが当のレヴィアは「言うほど暑くないですけど」と飄々と嘯く。
少女の性格故か、妙に懐かれているのは解っているつもりである。それにしたって何とも子供らしいと言うか、大袈裟な。半ば諦め、肩を落として呆れていると、不意に声が投げられた。
「やれやれ夜中に若い男女二人で逢い引きとは、保護者の立場としては関心しないね。いや勿論俺個人は良いと思うけど」
「あ、ノクサスさん! こんばんは!」
振り向けば、日中に見た衣装よりは軽装のノクサスが「お邪魔だったかな?」などとわざとらしい笑みを浮かべて佇んでいた。ゼクティスは尚も引っ付いたままのレヴィアを力付くでひっぺかし、悪態をつく。要らぬ勘違いをされては堪ったものではない。
「何が逢い引きだ。んな訳あるか」
「そんな心配しなくても、別に言いふらしたりなんてしないよ」
喉を鳴らし、忍び笑いを漏らしながらからかっている様子のノクサスに反してゼクティスは馬鹿馬鹿しいと頭を抱えて溜め息を吐く。
「何言ってやがんだか……。つか、あんたの方こそこんな夜中にフラフラしてて良いのかよ」
「いやなに、丁度仕事が一段落ついたからね。息抜きの散歩だよ」
ノクサスはレヴィアの隣に並ぶと「明日は満月かな」と空を見上げる。
「良い夜だ。雲が出なければ良いんだけど」
「ノクサスさん? ……もしかして何か心配事でもあるんですか?」
穏やかな口調とは裏腹に、その横顔にいつもの余裕は感じられなかった。一瞬レンズの奥の瞳がぎくりと擬音を伴って開かれたかと思うも、直ぐにいつもの笑顔を作る。
「え? あー……どうしてかな」
「その、何だか……そんな風に見えました」
「ノクサス、子供に見抜かれるとあっちゃよっぽどだぜ」
揶揄はするが、かくいうゼクティスもノクサスの機微に気付いてはいなかった。レヴィアが聡いと見るべきだろう。
「はは……これは手厳しい。いや実はね、さっきクルシュがレギオンを二体とも連れて部屋を出たのが見えたものだから。夜も遅いし気になってね」
頬を掻きつつ、ノクサスはクルシュがレギオンを連れて出た旨を話す。未だ十代も前半彼女に、深夜の巡回任務などは割り当てられてはいないはずだ。
「あの子の事だ、レギオンも連れてるなら何かあっても大丈夫だとは思うんだけれど……たまに先走る癖が有るから。君らは見てないかい?」
眉尻を下げて「困った子だよ」と溜め息を吐くノクサスの顔は、部下を心配すると上司と言うよりもまるで子供を心配する親のそれであった。
ゼクティスもレヴィアも無論見てはいないと首を横に振った。
「そうか……夜も遅いし、心配だな……何をしてるんだか」
「あいつの事、随分気に掛けてんだな。性格は兎も角、歳の割には度量があると思うけどよ」
「しっかりしてる様だけど、あの子も色々事情が有ってね。手放しにほっとけないって言うか……」
「まぁこんな時間だ、直ぐ戻って来るだろ——ん?」
何の気無しに眼下の中庭を見遣る。その時、ゼクティスは視界の端に人影らしき陰が掠めた気がした。風に揺れた植木かとも思ったが、今度は確かに小さなシルエットを二人分捉える。
「どうかしましたか?」
「いや、あそこに誰か……二人居るな、子供……いやクルシュと……」
冴えざえと輝く月夜であるが、この距離で個人を特定するのは難しい。それでもと、ゼクティスは何とか目を凝らして二人の人物を確認する。何処からともなく現れたレギオンによって片方はクルシュと判った。そしてもう片方、対峙する様に佇むのは見覚えの有る緑髪。
「レヴィア、あれ……シージスじゃねぇか?」
「えっ、あれ⁉︎ ほんとです! どうしてこんな所に……」
ゼクティスが指差す先に少女も懸命に目を凝らし、驚きながらも頷いた。
「『シージス』? あの緑の子、君らの知り合いかい?」
聞き覚えの無い名前にノクサスは眉を潜める。
「第壱都市に入る直前まで一緒に来たガキだ。魔操士って一族のな。第壱都市に用があるとは言ってたが……何だってあいつが此処に……」
「『魔操士』だって⁉︎ 本当にそう言ったのか? じゃああの子は——いけない!」
『魔操士』の単語を聞いた途端、顔色を変えたノクサスが声を荒げる。それと同時に二人の間に白刃の煌めきが散った。
あろうことか、彼らは突然教団の敷地内で戦闘を始めてしまったのだ。状況が全く飲み込めずに混乱していると、ゼクティスは突然ノクサスから肩を強く捕まれる。
「まずい……頼むゼクティス君、あの子らを止めてくれ! でないとあの子らは誤解したまま〝殺し合う〟ことになる‼︎」
「——は? 何だと……?」
ノクサス自身も混乱しているだろうが、ゼクティス達よりも状況は理解しているのだろう。必死の形相で懇願する男は導師ではなく、一人の人間の顔をしていた。ちらと中庭に視線を向ける。
一体あの二人に何の因縁が有って『殺し合う』などと言う物騒な結論に至るのか。事情を推し図るには何もかもが足りない。だが、迷って四の五の言っていられる状況では無いのは容易に理解出来た。
そうなれば回り道など煩わしい。最短の路をとゼクティスは脇に置いたRequiem《レクイエム》を掴むと手摺の縁に脚を掛け、一息に上に登る。
「ったく、訳も判らず喧嘩の仲裁かよ……後で説明しろよ!」
それだけ言うと、次の瞬間にはゼクティスは二階の高さに位置する渡り廊下から一気に地上へと飛び降りていた。
