第八章 集う舞台

ゼクティスらが都市内の哨戒に参加するようになり、早数週間。短期間ながら魔物との遭遇率は日増しに増え、今や武器や自衛手段も無く夜間外出をするなど自殺行為とも言える状況に変わっていた。これでは都市の中も外も大差が無い。
これでは、相応の税を払って都市に居を構える住人の不満も溜まる。このままでは、じきに魔物以外の要因による治安の乱れも現れ始めるだろう。
やはり真に対処すべき最大の問題は今後の進退、今の現状。
世界第二位の規模を持つ第壱都市ヴァスティロード教団と言えど、都市本体が大きければ抱える派生都市も比例して多くなる。主要都市がこの有り様では、派生都市の状況も似た様なもの。流れる噂話からも窺い知れた。第壱都市のみ護っていれば良い、と言う話ではないのだ。
各地へ魔物に対処出来る様人員を配備するには、現在教団が抱える衛士だけでは到底賄えない。第壱都市の中枢である教団本部からも既にほとんどの衛士が出払われ、本部に残るのは非戦闘員である事務職者や執政官ばかりである。ノクサスが人員不足に頭を抱えるのも頷けた。
都市の中は安全だと言う常識は、既に過去の遺物。このまま対処し続けられるのも、最早時間の問題である。
一刻も早い魔物発生の原因究明と対策が求められていた。

──そして更に一週間が経った頃、ゼクティスら六人にノクサスより召集が掛かった。
執務室へ入室すると、相変わらず積み上がる書類の山の間から顔を覗かせた。然して満足に休息も取っていないはずだが、数週間振りに会ったノクサスはそんな様子など微塵も感じさせない顔で「久し振りだね」とにこやかに笑った。

「何だ? 話って。わざわざ俺達だけ呼び出してよ」

こうして導師とゼクティスら六人が揃って顔を揃えたのは、シージスの件以来である。ゼクティスは挨拶も無しに用件を問う。
ノクサスは「あぁ」と心得た様に頷くと、目の前の書類の山から迷い無く紙を抜き出す。見目にも質の良さそうな紙の下部には、藍色の印が押されている。
それに目敏く反応したのはエリザベートだった。
普通、第壱都市内からの書類ならば印の色は全て紫色で統一されてある。その為、それ以外の印の色は外部からもたらされた書類であることを示している。

「その藍色の印……聖都からですね?導師」

ほんの数ヶ月前までは聖都に居たエリザベートにとって、よく見慣れた藍印であった。

「そうそう。エリザベート君、ご明察」

「聖都……⁉︎ まさか、私がここに居るって知られたんですか?」

「いや、それは大丈夫だよレヴィアちゃん。でも君にも聞いていて欲しいことだ」

聖都の文言に過敏に反応し、表情を陰らすレヴィアを安心させる様にノクサスは笑顔を見せる。更に此方に見える様にと、書類の表を向けた。
都市間の、しかも最高責任者に宛てられた物をこうも易々と他人に見せて良いのだろうか。だが、この導師の性格を考えればやはりと言うべきか。当の導師は機密保持など然して気にする様子は無い。

「あちらもこの第壱都市然り、どうやら状況は同じらしいね。未だ一部の区画だけだそうだけれど都市内外関係無しに魔物が出るらしい。……中にはその侵攻によって壊滅。立ち入りが出来なくなった区画もあるとか」

「な——⁉︎ 聖都は過去にも侵攻を受けている。対策は十二分に敷かれたはずだ! またも損害を出すなど……!」

数年前の魔物侵攻の際、最前線にて奮戦したエリザベートには衝撃的な報せであった。軍と訣別したとは言え、戦う術を持たない者を護る使命への誇りにまで別れを告げた訳ではない。
もし、その場に自分が居たならば。数ヶ月前までは聖都守護の任に就いていた身としては、ひどく複雑な心境であった。

「……それで? 内容はそれだけでは無いのだろう」

レイシェントが先を促すのに、ノクサスは頷いて応える。

「そこで、聖都はいよいよ本腰を入れ、根本的な対策に乗り出すつもりらしい。その会合を開く為、今回俺を含めた各五都市の代表に招集が掛けられたと言う訳だ」

事態の進行を思えば、少しばかり悠長過ぎる気もするが。ノクサスは声には出さず、僅かに表情を翳らせるのみに留めた。
書類の最後は『Genoblow・Liva』──現皇帝ジェノブロウによる直筆のサインで締められていた。

「これは皇帝陛下から直々の召集令。勿論俺は第壱都市を預かる者として出向く義務があるし、それに従うつもりだけれど……」

そこまで言ってノクサスは手の甲を組んだ指で小刻みに叩く。得心出来ない様子で眉根を寄せ言葉を淀ませる。
ゼクティスはノクサスの意図を聡く察し、口を開く。

「その『対策』ってのが果たして境界に据えられた楔……人柱の交換の事か否かってとこか」

「あぁ、俺達が知り得る限りの情報を元にすればね。だがあちらには要である光使いは居ない。かといって、各都市の代表者を招集するのだから策を用意していないはずも無い……どうするつもりなんだろうね」

ノクサスは人指し指の背で眼鏡を押し上げ、溜め息混じりに天井を仰ぐ。

「その、ノクサスさんの〝眼〟で視る事は出来ないんですか?」

この男は聖都の情報を得る為に己の千里眼を使い、内情を探ったと聞いている。ならば今回もそれに頼れば容易いのでは。
しかしノクサスは申し訳無さげに眉尻を下げ、苦い笑みを見せた。

「出来ればそうしたい所だけど、今〝千里眼《Clairvoyance 》〟を使ってしまうと後に差し支えてしまうからね。あれは、とっておきなんだよ」

これは後から聞いた話だが、前回ノクサスが聖都内部まで千里眼を使って探った際、極度の疲労により二日間意識が無かった上にその後もしばらくは体調不良が続いていたらしい。体調が万全に戻ったのも、ゼクティス達が第壱都市にやって来るほんの数日前であったそうだ。
幾らノクサスが千里眼の才に恵まれていたとしても、使用負荷による身体への弊害は避けられないのだ。

「出向かない事にはあっちがどう出るか判らねぇって事か」

「都市代表として俺が出向く事には変わりないしね」

そう言うこと。とノクサスはゼクティスに頷き、いざ本題を切り出すべく一つ手を鳴らした。

「そこでだ、君ら六人にお願いがある。今回の遠征に俺の供として一緒に来てくれないかい? 遠征に連れて行ける衛士が足りないって言うのもあるけど、多少なりとも事情を知っている君達が最も適任だと思うんだよ」

この導師の大胆な言動や行動は理解していたつもりだが、まさか正規の衛士を差し置いて自分達を護衛に抜擢するとは。正気とも思えず、驚きの中に呆れさえ混じる。

「おいおい、それ本気で言ってんのか? 六人、ってことはレヴィアも連れてくつもりかよ」

「あ、私も……ですか?」

「冗談を言っている様に聞こえるかい? 大丈夫、仮にバレたとしても身元が此方に有る以上あちらもおいそれと手出しは出来ないさ」

最初からそのつもりで自分達を集めたのだろう。話の流れからしても何と無く察してはいたが、的中して欲しくはなかった。
そして、此方の反応も元より折り込み済みか。ノクサスは事も無げに言ってのけた。

「けど、聖都軍なんかはまして武力行使してまでこいつを取り返そうとしてきた連中だ。そんな道理が通用するとは思えねぇけどな」

「それも見越しての君達だよ。仮にレヴィアちゃんの存在が此方にあることが悟られていて、あちらの狙い通りだったとしてもその時は宜しく頼む、と言うことで。ね?」

「んないい加減な……」とゼクティスは溜め息混じりに呆れ顔を浮かべる。
無茶を言っている様だが、このノクサスの事だ。恐らく何か考えあっての提案と慮りはするが、わざわざ敵陣の中に餌を投げ入れる真似においそれと同意出来る訳がない。
——当のレヴィアはと言うと。
「ちょっと怖いですけど、ゼクトが一緒なら大丈夫ですよね!」などと曇りの無い笑顔を此方に向けている始末。訊くまでもなく本心からの言葉なのだろう。

「馬鹿かお前、どういう理屈だよソレ」

レヴィアは兎も角、ノクサスは何を根拠に此処まで全権の信頼を預けてくるのか。今回ばかりは全く以てその意図を解りかねた。

「私は、レヴィアのそばに居てやりたい。アルザラの時はそれで失敗したからな。もし何かあったとしても、今回はシージスもクルシュも居るんだ」

エリザベートもノクサスの意向に同調し、新しい仲間に期待の眼差しを向ける。彼女のの言葉に、クルシュは青眼を煌めかせ「任せなよ、姐さん!」と口元に尊大不遜な笑顔を浮かべて見せた。こうなっては最早決定事項か。

「ええ、どうか頼って下さい。ノクサスさんや皆さんにはお世話になってるし、出来る限り僕も力を尽くしますから」

シージスもまた応じる様に頷く。
どうやら納得してないのは俺だけか。とゼクティスは心中ぼやきつつ、頭を掻いた。
ふと、先程から黙したままの赤毛の男——レイシェントが眼に入る。
平素から口数少なく表情も変わらない男である。確信は無い。が、何処か浮かない顔の様に窺えた。

「レイ、どうした? あんたも納得いかないってクチか?」

レイシェントは「あぁ……いや」と返す答えを澱ませながら首を横に振り、否定する。

「単に気が乗らないだけだ。ただの私情、異論は無い。……気にしないでくれ」

「ふぅん……」

そう言えば、初めて研究施設でレイシェントと会ったときもエリザベートの軍服を見てあからさまに表情を曇らせていたのを思い出す。詳しい事は知り得ないが、彼にとって聖都とは禍根残る地なのであろうか。
私情とだけ告げて、男はまたいつもの仏頂面を貼り付けて口を固く閉ざしてしまった。
世界の中枢たる聖都である。あらゆる思惑、感情がそこに集まり錯綜するのもまた必然と言うことなのであろうか。杞憂に過ぎればそれが一番なのだが、かといってその聖都の地で何事も無く事が進む訳がない。先程から心中に淀みが渦巻くのを感じるのだ。
余りに抽象的な表現に頼らざるを得ないが、これが〝嫌な予感〟と言うやつだろうか。
しかし、顧みれば全ての始点は聖都であり、終点もまた聖都。如何様な運命線が伸び図を描こうと〝そこ〟に帰着するのならば、これもまた逃れられぬ必然の事象なのであろう。
ノクサスは組んだ両手に顎を乗せながら、神妙な面持ちを見せる。

「ゼクティス君の危惧もっともだ。だけど此処でレヴィアちゃんにお留守番して貰っても、俺が居ない間に聖都の人間が来たら? 俺が居れば何とか対応してあげられるだろうけど、そうでなければ君達の身柄は引き渡すより他無い。
悪いけど俺も第壱都市を預かる者として、これ以上大っぴらに聖都へ反意を示してまで君達の身柄を保障しろなんて指示まで部下には出来ない。……そうなれば、君達との約束を反故にしてしまう事になる」

クルシュケイトを聖都へ暗に差し向けたのも相当の綱渡りではあった。だがそれは聖都側が未だ光使いに纏わる件は隠蔽するだろうという、見込みあってのものだ。
何かしら公に大義を掲げられれば第壱都市としての立場を鑑みると非常に抵抗しづらい。ノクサスの立場からしても、これ以上の第壱都市自体を危険に晒す真似は出来ないと言うのは当然の事だろう。

「利害の一致で手を組んでいるに過ぎないが、君達には此処の治安維持の為に働いて貰った恩がある。それを翻意にする気も無い。そうなると、やっぱりレヴィアちゃんには俺の目の届く範囲に居て貰った方が助かる」

彼の立場と個人的感情の双方を汲んだ妥協案であった。一息に捲し立て、ノクサスは軽く首を傾げると緩く崩れた苦笑を見せた。

「何れにせよ危険は常に付きまとってる。あれこれ心配し出すときりが無いよね?」

彼の言う事は一理有る。一々危険を指摘し、恐れて避けていては何事も立ち行かないだろう。
だが、それでもだ。レヴィアを敢えて四面楚歌の危険に晒す状況になる事に変わりないのだ。ゼクティスは尚も逡巡し、首を縦に振るのを躊躇う。
ふと、左手が温かいものに包まれる感触に、隣に立つレヴィアを見遣る。口元に柔く微笑みを浮かべたまま、彼女の紫瞳が此方を見上げていた。レヴィアはゼクティスの同意を乞うように小首を傾げる。その眼には、聖都への不安の色など一切映ってはいなかった。
知らぬ間に随分と信頼されてしまったものだ。溜め息一つ、ゼクティスは黒髪を掻くと口を開いた。

「……それで? いつ発つんだ?」

「おっと、乗り気になったかい?」

「レヴィアが行くんなら俺が行かないって訳にはいかねぇだろ。俺は元々コイツの護衛役として此処に居るんだしよ。——で、いつなんだ?」

不貞腐れた様にも見えるゼクティスにノクサスは「結構結構」と喜ばしく、からかうような笑いを漏らす。
そして表情を改めると、一人一人に視線を向けた。

「一週間後だ。急で申し訳無いけれど、各々出立の準備をお願いするよ」

「マジで急過ぎだろ」

心中に仄暗く立ち込めるこの予感が精々現実のものとならぬ様に、無駄だとは知りつつもゼクティスは願うばかりであった。

導師より告げられた一週間と言う猶予は余りに呆気なく、正に光陰の矢の如く過ぎ去った。
第壱都市を発つ前夜。今度はクルシュケイトに呼ばれ、ゼクティスら六人は衛士が閑談や休憩などで使う部屋に集まっていた。何やら配るものがある、とのことだった。
「おっさんは言うまでもなく準備で忙しいから出立まで面会出来ないって事で、あたしに頼まれんだけどさ。これ、皆に渡しとけって」

少女は床に置いてあった布袋を重たげに持ち上げ、テーブルに乗せてゆく。彼女の小柄な体格との差もあるのだろうが、少々重量があるらしくシージスも進んで手伝った。

「クルシュ、これ何なの?」

「あぁ? んー、見た方が早いってとこかな」

問いには応えず、その内の一つ。縛られた袋の口を手際よく解いてゆくと、現れたのは最初に此処に来た時に与えられた教団服と同じデザインの外套である。型が崩れない様、きっちりと畳まれて透明な袋に入っており、封を開くと真新しい布製品の臭いが香る。
通常の教団服も丈の短い外套がセットになっているが、対してこちらの外套は着丈が長い上に深いフードが付いていた。

「ああ思い出した、確か高官以外はあまり外部で顔を表に出さないんだったか」

「そうそう姐さん。一応これが遠征用の外套。普通の白と紫の奴なら予備が幾らでもあるんだけど、色違いの黒い奴を用意しなきゃなんなかったから遅くなったんだってさ。……つぅか、何であたしのもお揃いにすんだっての。経費が勿体無ぇったら……」

ぶつくさと口では文句を洩らしているクルシュケイトであるが、表情は何処か緩んでいる。満更でも無さそうな顔であった。早速中身を引っ張り出すと、外套を肩にあてがう。
──直ぐに着丈が長過ぎる事に気付いて「またかよ!」と思いっきり床に叩きつける事になったが。どうやら、一度や二度では無さそうだった。

 

重量があるのは装飾も兼ねた肩回りの金属プレートのせいなのだろう。フードを被ってしまえば顔の半分以上は隠れる様になっており、精々口元が覗く程度。外目からは体格差くらいでしか個々の判別は出来ないだろう。
レヴィアも長い金髪を外套の中に仕舞い込んでしまえば、下から覗き込まれない限り表情も判らない。ただ一つ欠点と言えば——被ったフードを持ち上げたレヴィアが口を開く。

「あんまり回りが見えませんね。これ」
布越しでも多少は周囲は窺えるものの、明瞭な視界は精々前方二mといったところだろうか。

「そんなもんだろ。まぁ、白昼堂々面を晒しながら聖都を歩く羽目にならなかっただけマシってとこだな」

寧ろ対策としては不充分と言わざる得ないが、仮面だ覆面だのを被っては却って目立ってしまう。これが最も妥当な隠蔽対策だろう。
どうやらクルシュケイト以外の外套に不備は見られない。各々確認を済ませて片付け、袋を抱えた。

「何事も無く帰還出来れは万々歳だが、皇帝陛下まで直々に御臨席しての会議だ。そう易々事を終えられるはずも無いだろうな」

「……善し悪しに関わらず世が動く事には違いない。気構えしておいて損は無いだろう」

エリザベート、レイシェントの言葉を最後に夜も更けたその日は解散となった。

 

「レヴィア、ちょっと良いか」

自分の部屋に戻ろうと先に廊下を歩いていた少女を呼び止める。レヴィアは先程受け取った外套を胸に抱えたまま、此方を振り返り「何ですか?」と首を傾げる。
早足で歩み寄る青年の、少し怒った様な表情を認めてレヴィアは彼の言いたいことをおおよそ察して苦笑する。

「……やっぱりゼクトは私が一緒に聖都に行くのには反対ですか?」

「こないだはああ言ったが、当たり前だろ。折角ココの後ろ楯が出来て聖都の連中からいちいち逃げ隠れしなくても良くなったってのに、まして自分から首を差し出すような真似……。ノクサスが何考えてるかは知らねぇが、お前が行く必要は無ぇだろ」

この青年の事だ。この一週間、やはり納得いかず考えていたらしい。こう言ってはまた機嫌を損ねて仕舞いそうだが、自分の身を案じて心配してくれているのだと思う。それが、堪らなく嬉しかった。

「心配してくれて有難うございます。……でも、多分きっと、私は聖都に行かなきゃいけないんです」

「は? どういう事だ?」

言葉の意味が汲めず、ゼクティスは困った様に曖昧な笑みを浮かべる少女の顔を見詰める。

「私が聖都行って何が出来る訳でも有りません。多分、大人しくここに留まっていた方が足手まといにもなりませんし、むしろ危険は少ないと思います」

第壱都市に聖都の手の者が差し向けられるかも知れないと言う、ノクサスの意見にも同意は出来る。だが、聖都で招集会議が開かれると言うのに他方に手を回す余裕などあるだろうか。可能性を考えれば些か極論が過ぎる様にも思う。

「わざわざ危険な場所に行くなんて。ゼクトの言う通りです。でも、私一人安全な場所で待つなんて……光使いとしての責任全部を捨ててしまうことになって、そのせいで誰かが苦しむ事になるんじゃないかって」

だから、その。と、どう結論を付けるべきか上手く纏まらず言葉を詰まらせる。眼を伏せ、所在無く彷徨わす。そして、躊躇いがちに再び口を開いた。

「……ゼクトは、私が光使いだってこと……どう思ってますか?」

「は?」

唐突な質問にゼクティスは虚を突かれるが、答えなどとうに出ている。今更何をと頭を掻いた。

「前にお前が俺に言った事と一緒だよ。光使いだろうが何だろうがお前はお前。光使いだとか云々以前に、俺にとっちゃただのガキ、その辺の子供と同じだ」

ガキってなんですか、とゼクティスの言い草にレヴィアは不服そうな顔をするがそれも直ぐに苦笑に変わる。表現は兎も角、やはりゼクティスは自分をけして特別な者などでは無く普通の人間、飽くまで一個人として見ているのだと言う。

「ノクサスさんも、私は私の思う様に、皆と同じ様に生きていっても良いって言ってました。けど……でも、このままじゃきっと駄目なんです。自分が光使いっていう現実から逃げるばかりじゃなくて、例え危険な事だとしても、この世界の行く先をちゃんとこの目で見届けないといけない、って……思ったんです」

多少たどたどしいなりにも毅然と話すレヴィアの表情は穏やかだが、言葉には確と強い意志が宿っている。
理不尽な使命に従う気は無いにしろ、光使いとして課されたものから目を背けてはならない。周囲の者からの優しい言葉だけを信じて身を委ねるのではなく『自分がこのまま生きていて良い世界』である確信を自らの目で見て得なければならないと思ったのだ。
ゼクティスは眼を閉じ、宙を仰ぐと長く息を吐いた。
そして、暫くの沈黙。

「……やっぱり、駄目ですか?」

「いや、なんつぅか……ほんとに、損な性格してるよな。お前も」

「それ、どういう意味でっ……ひゃ、」

言葉の意図が解らずゼクティスに訊ねるも、突然金髪をくしゃくしゃと雑に乱され、思わず驚きの声をあげる。

「判った、お前が持って来る面倒事も今更だ、精々気の済むまで付き合ってやる。一応お前の護衛役だからな。けど、頼むから無茶もほどほどにしろよ」

そう言って一方的に踵を返す青年の後ろ姿を呆けたままに暫し見詰める。しかしはっと我に返り、レヴィアは慌ててゼクティスを追うと裾を掴んで呼び止めた。

「あ? どうかしたか?」

「あの! 一つお願いがあるんです。私、お兄ちゃんともう一度ちゃんと話がしたくて……。
この間は全然話せませんでしたし、お兄ちゃんが軍に居る理由も判らないままで……」

「は——まさか、カルミラとか⁉︎」

ゼクティスは思わず声を荒げる。聖都に入るだけでも大きなリスクなのだ。カルミラと直接対面するなど自滅行為も甚だしい。それこそもっての外だと二の句を告げようとするが、間髪入れずにレヴィアが更に訴える。

「お願いですゼクト、手伝って欲しいんです! こんな事……エリザには言えませんし、無理を言ってるっていうのは十分解ってます! でもやっぱり、何も判らないままで居るのは嫌なんです! ……お兄ちゃんの考えを聞きたいんです……だって…たった一人の、兄妹なんですよ」

「……レヴィア……」

ゼクティスに身内と呼べる縁者はかつての師くらいのもの。血縁の存在を知らずとも、兄を思う少女の気持ちは解らなくも無い。
しかしレヴィアにとっては唯一の肉親であろうが、ゼクティスからのカルミラの所感はは軍に忠節を誓う一将校。密かにコンタクトを取るにも伴うリスクが高過ぎる。やはりこればかりはどうしても承服は出来かねるのだ。
──言葉に詰まる。こんな時エリザベートならばどう諫めるだろうかと己の足らない頭を憎んだ。
兎も角、一旦落ち着かせなければ。一呼吸置いてからレヴィアの肩に手を置いて目線を合わせる。

「少し落ち着け、カルミラに会うったっていくら何でも状況が悪過ぎる。各都市代表者が聖都に集まるんだ、そんな緊張状態の中で妙な動きをしたらどうなるか……」

「……ゼクト……で、でも!」

「下手すりゃ今回は俺達だけじゃ無ぇ、ここの第壱都市全体の問題になっちまう。……お前は貰った恩を仇で返すのか?」

「……! ち、違います! そんな、つもりはッ……!」

ゼクティスは鋭く眼を細め、敢えて情を無くした低い声音で脅すと、レヴィアは即座に首を横に振る。

「いいや、違わねぇな。お前が言ってんのはそう言う事だ。さっきは感心したが、言ってる事とやる事がまるで矛盾してんじゃねぇか。考え無しのただの我が儘には付き合え無ぇ」

「……あ、……ぅ……」

ゼクティスに冷ややかに睨み竦められ、とうとうレヴィアの言葉は完全に止まった。

「……すみ、ません……」

いつの間にやらレヴィアはすっかり畏縮し顔を俯かせていた。
しまったこれは、少し脅しが過ぎたかとゼクティスは顔を覆う。俯く金髪頭に手を置き、わしわしと撫でる。手を離すと、レヴィアは恐る恐る顔を上げ、ゼクティスを見上げた。

「あーっと……悪い。コッチもお前の気持ちは解らなくも無ぇんだ。ただ、さっきも言ったが如何せんタイミングが悪過ぎるし何よりリスクが高い。……まぁ、俺も……気の済むまで付き合ってやるって言った手前だ。上手いこと機会があればちゃんと協力はしてやる」

「ほ、ほんと……ですか……?」

「飽くまで機会が有ればの話だからな、期待はすんなよ」

青年の言葉を聞き、翳ってしまっていた少女の表情に再び光が差し込む。多少涙目であったものの、ややあって「はい」と柔く笑顔を浮かべて頷いた。
それを見てゼクティスは安心した反面、すっかり保護者役が板について来てしまったと内心複雑な気分であった。

「それじゃ、もう部屋に戻って寝ろ。今日はもう遅ぇからな」

「はい!」

すっかり元の明るさを取り戻した返事だった。ゼクティスはレヴィアの視線に合わせていた姿勢を起こすと、回れ右をさせ背を押した。少女はそのまま足取り軽く、部屋へと戻っていった。

「カルミラ……か。確かに、奴も何を考えてんだろうな……」

かの少佐に、聖都で窺い知った以上の真意などあるのだろうか。頑なに隠された真意が有ったとして、むしろそれを暴く事は少女を傷つける事になりはしないだろうか。
いや、己が考えたとて詮無い事。ゼクティスは闇に紛れていくレヴィアの背を見送りながら、彼女と同じ目の色を持つ若き軍人の顔を思い出し、頭を振った。

 

一方、部屋へ向かっていたレヴィアの歩みが緩み、やがてぴたりと止まる。何と無く、後ろを振り返った。彼の姿はもう見えないが、先程ゼクティスより頭を撫でられた感覚を思い出して少し唇の端が上がる。

「やっぱりゼクトは……優しい人です」

道中密かに呟いた声は、誰へ届くことも無く虚空へ吸われていった。

——————

 

第壱都市の公用車を示す刻印の入った車輌の列が入都ゲートを抜け、改めてこの聖都に足を踏み入れたところで、ゼクティスはつくづくこの地への腐れ縁を感じた。
全て捏造された身分証明を確認され、濃紺の軍服に身を包んだ出迎えの兵士の案内に従って聖都の中枢区域へ。更に数度エレベーターを乗り換えながら、軍本部を構える階層のまた上を目指す。
聖都は大きく分けて四つの階層に分かれており、階層間の距離は約三〇〇m。その上下を刺し貫く形で洸晰の精製炉が存在している。当然、上階層に行く程階層面積は狭くなり、またそれに従って位置する施設の重要度は増してゆく。
やがて辿り着いたのは第三階層。
聖都統制執政府が据えられた場所であり、〝世界の中枢〟。今回の中央招集会議の舞台である。各都市の代表が集まるだけあって張り巡らされた警備には一分の隙も無い。いつも以上に重く張り詰めた空気が漂っていた。
案内の兵士にノクサスは軽く微笑みながら「ご苦労様」と声を掛けると兵士は敬礼をし、その侭通された控え室にて待機となった。
シージスが聖都に入った時の事を思い出し、口を開く。

「聖都に入って直ぐ、西側の区域が立ち入り禁止になってましたね。あれってもしかすると……」

「ああ、例の魔物の仕業で間違い無ぇだろうな」

やっぱり、とシージスが僅かに眼を伏せる。想像していたよりも遥かに規模の大きい被害の実情を直接目の当たりにしたことで、改めて事態が窮している事を感じる。

「何せ聖都は世界の中枢。一部とはいえ魔物に侵攻を許し壊滅させられた。この事は世を揺るがすには十分すぎる程の波紋だ。聖都だけの問題に留まらないからね」

「聖都が落ちれば従って他も同様に落とされる事は目に見えている。……此処の立場としても、策を示しておかなければならんと言うのだろう」

ノクサスの言葉を引き取ったレイシェントに導師は「その通り」と頷く。

「しかしどう出るものか……半端なものを示す筈も無いだろうが」

エリザベートが眉を寄せる。その時、何処からともなく鳴り始めた微かな機械合成の音に誰ともなく顔を見合わせる。

「何の音ですか?」

「あぁ、レヴィアちゃん。ごめんね、俺だよ」

懐を探って、ノクサスが掌より少々余る大きさをした板状の携帯端末を取り出した。どうやら通信文書らしい。端末の画面を見詰め、何事か考える風に顎に軽く手を添える。そのままノクサスは随分と難しい顔で画面を見詰め続け、黙りこくっていた。

「……どうかしたのか?」

大層な内容でも書かれていたのだろうか。ゼクティスの声にノクサスはようやく我に返ると、慌ててぱっと顔を上げた。

「あ、ああ。明日の事についての連絡みたいだ。開始は十七時からで、……ふむ、どうやら会議に直接立ち会えるのは都市代表者と側近の護衛の二人だけだそうだ」

恐らくは此方に伝えて差し障り無い日程連絡のみを読み上げる。違和感を抱きはするが、ノクサスが自分達に伝える必要の無い内容なのだと言及もしなかった。
会議の際は側近一名の護衛のみ。とあらば当然クルシュケイトを示すと思った矢先、「あたしは勘弁ですよ」と自ら役目を降りた。

「会議なんていったって延々長話でしょ? 大人しく聞いてられるような質じゃないし」

「はは、それにお前の背格好じゃあ護衛と言うにはちょっと不釣り合いだしね」

敢えて触れなかった部分を突き、眼鏡の奥の眼が意地悪く嗤うのにクルシュケイトは忽ち「余計な事言ってんじゃないっての」と不満顔。
彼女の本心としては、第壱都市筆頭が子供を連れて現れたとなれば侮られる可能性もある。それを考慮しての辞退だった。それに加えてクルシュケイトのレギオンは聖都の軍事基地で一暴れした前科がある。光使い絡みの一連の騒動は徹底的にひた隠されている様で、前述の件すらメディアで報道される事は無かったが、それでも此処でレギオン達を見られるのはやはり宜しくない。
そのお陰でレギオンは今も貨物ケースの中に紛れ込ませたまま、表に出すことが出来ないでいる。

「確かに都市代表者の護衛が子供ってのは流石に格好が付かねぇか。……となると面子は限られるな」

消去法により自然と残るのはゼクティス、エリザベート、レイシェントの三名。此処はノクサスが決めるべきなのでは、と提案しかけた所でそれを見越した様に「君らに任せるよ」と軽々しく決定権を此方に投げた。

「おい、ノクサス。良いのかよそんなんで……」

「君らの事は君らの方が俺より判ってると見込んでだよ。代わりに俺は誰がなろうと口出しはしないさ」

ノクサスはわざとらしい程の笑みを浮かべ『さぁどうぞ?』と肩を竦めて此方の話し合いを促す。今に始まった事では無いが、相変わらずこの導師の態度にはやれやれと嘆息をしたくなる。

「……と言っても、どうなんだろうな。いくら外套でほとんど顔が判らないとは言え、私もゼクトも聖都で一悶着起こしている身だ。万が一を想定するとなると、私としては……」

エリザベートが視線を向ける方向に倣って自然と一人に注目が集まる。
平素ほとんど表情など変わらないくせに今に限っては眉を寄せ、明らかに納得のいかない顔をしている。

「……」

「いや……でもまぁ、適任だろうな」

「うん、ゼクトもそう思うだろう? ……と言うことで、レイ。どうだ?」

「……」

レイシェントは暫く眉間に皺を寄せたまま黙していたが、眼を閉じ一呼吸置くと諦めた様に首を縦に頷いた。

「……理屈は判るが、体よく押し付けられた気がしてならんな」

だがエリザベートは「考え過ぎだろう?」などとからりと笑って軽く流した。概ね円満に人選出来たと見て、傍観を決め込んでいたノクサスが「決まったみたいだね」と満足そうに頷いた。

「頼りにしてるよレイシェント君、明日は宜しくね」

「……了解した」

己とはまるで対称的な笑顔で差し出された右手を、レイシェントは気怠げに握り返す。
「で、後の俺等はどうすりゃ良いんだ?」

「基本的には待機だけれど……まぁ目立たない程度になら歩き回っても良いと思うよ。会議室は出入り禁止になるし、中の様子は窺えないはずだからね」

ゼクティスの問いにそう応えるとノクサスは再び携帯端末のディスプレイに眼を落とした。そこにはただ、真っ白な文書画面に簡潔に一行のみ言葉が綴られているだけであった。
『明日は、宜しく頼む』と。

(さぁ、役者は揃った。君はどう出るつもりなんだい? ジェノブロウ)

——————

「それじゃあ、行ってくるよ」

ノクサスはまるで散歩にでも行って来るかの様な、いつもの調子で此方にゆるく手を振ると控え室を後にした。
聖都に着いて翌夕方。予定された時刻に合わせてノクサスとレイシェントは案内役に従い、今日の舞台である議事堂へと向かった。
現存する第壱、第弐、第伍、第十都市、及び中枢都市の代表者が一同に会するのは至極稀な事。前例など数える程だ。少なくとも六年前に現皇帝が座についてからは、初となる中央召集会議であった。
定刻十七時。
議事堂の大扉が両手に開き、第壱都市代表であるノクサスを筆頭に第弐、第伍、第十都市代表と続き各々警護を一人伴って議事堂へ厳かに参上する。
天井と柱や扉を除く議事堂の壁は藍の段幕が吊り下がってはいるものの、ほぼ硝子張りになっており、まるで空中に在する浮島にでも立っているかの様な錯覚を覚えた。馬蹄形の机の定められた席に其々に代表が座しその脇に護衛が控える、と言った形だ。
レイシェントがふと「導師」と此方に向かって呟くのに、ノクサスが僅かに此方に首を向ける。

「うん? レイシェント君、どうかしたのかい?」

軽く百名は収容可能な議事堂に集合しているのは到底そぐわぬ数の人間。手元のマイクスイッチをONにしない限り、小声で話す程度ならば他の代表者に聞かれる心配は無い。

「現皇帝が着任して以後、表に顔を出す事は無かった様だが……あんたは知っているのか?」

五年前に現皇帝直接の指示による政治介入によって導師が彼に代替わりした、と言う話をレイシェントは思い出していた。当時の状況を鑑みるには至らないが、それでも彼が皇帝の権威を借りて導師の座を奪い取ったのは事実だ。

「あぁ、うーん……まぁ、ね。皇帝の即位は形式上、他都市全代表を証人とした立ち会いの下に行われるし、俺の導師就任を計らって貰った経緯もあるから……一応はね。何故だい?」

半端に煮え切らぬ態度だが、当たり障りの無い答えを返すノクサス。
否定は無い、と言うことはどうやら彼だけは唯一面識は有るようだが、単にそれだけの間柄でも無さそうか。

「昔から〝皇帝陛下〟はけしてメディア等で顔を晒す事は無かった。姿は見せても顔は仮面の下、例え戦時下にあっても世俗とは不干渉の存在。
あんたならば多少なりとも人格を知っているのかと、少し気になっただけだ。……ただの雑談、気にするな」

「そう」

そう言ってレイシェントは再び此方に向けていた顔を上げた。目深に被ったフードによって顔が見えない為に表情は判らないが、淡々と正面を見据えていた。

「……普通だよ」

「……何?」

前方へ視線を向け、ぽつりとノクサスが呟く。

「普通の、ただの人間さ」

「…………」

どういう意味であろうか。意図が掴めず思案しかけたところで、鈴の音が渡る様に堂内の空気が張り詰める。
やがて、最後に残された空席の奥。自分達が入ってきた扉とは反対側、藍の豪奢な扉が控えていた衛兵によって開かれる。
先に姿を表したのは側近であろうか、聖都軍を表す濃紺の将官軍服を纏った屈強な体躯の長身の男である。年齢は恐らく三十代半ばといったところか、右側だけを後ろに流した灰褐色の短髪に、厳格な表情を顔に張り付けている。軍人と聞けば誰もがこの様な風貌を思い浮かべる、鑑の様な男であった。
男は扉の脇に控えると扉の向こうに振り返り、恐らくはこれより姿を見せる自らの主君へ恭しく頭を垂れる。それに倣い、各都市の代表者も一様に起立し頭を垂れた。
程無く、扉の向こうの影より一人の男が姿を現す。〝彼〟が然るべき席に着くのを合図に一同は礼を解いた。
見目は隣に並ぶ軍服の男より若干若く思う。三十代前半と言ったところか、肩を軽く流れる程度の長めの黒髪に、理智を映した青色の瞳。白を基調とした豪奢な礼服の上からでも判るほど、その身体は鍛え上げられているのが見て取れた。

「諸卿方、此度は私の突然の招集にも関わらず応じ集まって頂き、誠大儀であった」

静寂に包まれた議事堂に朗と響き渡り厳かに染みる声。

「直接こうして御目にかかるのは初めての卿も居よう。名乗りなど不要であろうが、私が——」

成る程、この男が。

「世界統括中枢都市〝聖都〟第三十五代代表首席、ジェノブロウ・リーヴァだ」

現在この世を統べるトップ、皇帝である。

——————

 

一方、部屋に控えたままのゼクティス達は、ノクサスらが戻ってくるまでの間はやるべき事も無い。会議が終わるのをただ待っているしかなかった。

「……やっぱ同行者でも中の様子は一切見れ無いってか。終わるまでは大人しく待つしか無ぇのかな」

確実に歴史に刻まれるであろう御前会議であるが、それ故に中継される訳もない。
ゼクティスはノクサスを見送った後、戻るまでの間の退屈を思ってかやれやれと嘆息する。

「……ふむ。導師は多少出歩いても大丈夫と言っていたし、暇ならば外を歩き回ったりでもして来たらどうだ? 多少なりとも聖都の現状を把握しておいて損は無い」

エリザベートが先刻言っていたノクサスの言葉を思い出し、言葉は軽いが偵察を提案する。自分は聖都内では顔が利き過ぎる事もあり、大人しくしているつもりなのだろう。
ゼクティスは外に出る良い口実が出来たとばかりに「それもそうだな。退屈凌ぎには丁度良い」と立ち上がる。
ゼクティスは外套を羽織り、フードを被ると外への扉へ向かう。一応Requiem《レクイエム》も外套の下、腰の辺りのいつもとは低い位置に提げている。

「大人しく待ってるのも落ち着かねぇし、そうさせて貰うぜ」

「解ってると思うが、くれぐれも目立つ真似してくれるなよ」

「あぁ、何かあったらこれ鳴らして呼んでくれ。直ぐ戻るから」

振り返ってポケットの中に入れていた黒色の携帯端末を取り出してエリザベートに示し、再びポケットに収める。ついでにちらとレヴィアを見遣った。

(運良くカルミラとだけ鉢合わせ出来れば良いが……。期待は出来ねぇだろうな)

退屈凌ぎ、と言う理由も建前では無い。
あわよくばあの男と接触出来ないものかと考えていたが、都合よくいくはずが無い。所詮展望の無い一人賭けだ。
控室を出ようとした所で、不意にシージスから呼び止められ何事かと足を止める。彼は何処で見付けたか、先程まで彼が眺めていた聖都のガイドマップを広げ、よく見える様にゼクティスへ向けた。

「ゼクトさん、聖都の中って道が入り組んでて複雑みたいですから迷子にならないように気を付けて下さいね!」

「……悪いけど、ソレお前にだけは言われたく無ぇな」

この期に及んで未だに己の方向音痴の特性をまるで解っていないのだろうか。シージスは「何でッ⁉︎」と大仰に驚いていたが付き合っても居られず、呆れた溜め息だけをついて適当に流しておくことにした。
いつかは自覚してくれれば良いのだが。

 

聖都統制執政府を擁する区画を出てゼクティスは更に第三階層の西へと歩を進める。と言っても、特に当てが有る訳では無かった。唯一の目的であるカルミラを探そうにも不用意に動き回っては怪しまれる。すれ違う兵士を慎重に覗き見る程度にしか探せない。
そして、その中にはやはり見当たらなかった。
十八時前と言うことで、日中忙しなく階層内を動き回っている人間達の姿も今は疎らである。
やがて階層の果て、下階層を望める広場に辿り着いた。
立ち入りが禁じられている風でもないが、高層に在って建物などの遮る物が無いこの場所では常に風が吹く。時として強風に晒される事もある為、眺めは良くとも余り近付く者は居ないのだろう。
直ぐ手前に第二階層の端、その向こうに第一階層の景色が広がっている。下階層には既に星屑を散りばめた様に街の明かりが煌めいている。更に遠く、地平線へ眼を向ければ沈み行く日の茜色の光が刺さる。
時折、風にフードが浚われそうになるのを手で押さえて留める。

「……一旦戻るかな」

ゼクティスは下層を望む方向とは逆、背後に連なる執政府の建物を振り返り見上げた。中でも一番高い場所に在る、灯りが点いた浮島の様な硝子張りの部屋。恐らくあれが議事堂だろう。此処からでも目視で確認出来る。

「あそこが……」

「そう、今正に各都市代表者と皇帝陛下が雁首揃えて会議してるとこだ」

「——なッ……⁉︎」

突然前触れの無い第三者の声にゼクティスは見上げていた視線を戻す。その先に佇む姿に驚き、思わず声が漏れる。
いつの間に此方に気取られずに近付いたのか、そこには濃紺の軍服を纏った長身の男の姿。
レヴィアを送り届けた時とは違い、今日は円錐形の騎槍を背負っている。適当に後ろへ撫で付けた灰褐色の髪に、相変わらず緩く着崩した将官用軍服が嫌がおうにも印象に残っていた。聖都軍に於いて大将の位を与る男、カーライル・ヘルディニカであった。

「よぉ、誰かと思えば便利屋君! 久し振りだなぁ、元気だったか?」

男はぱかりと人当たりの良い笑みを開き、片手を挙げて歩み寄って来る。
あちらから見れば太陽を背にした逆光である上に、フードまで被っている。顔は見られて居ないはず。下手に応えて墓穴を掘るまいと、ゼクティスは口をつぐんだままフード越しに男を睨め据え身構える。
だが、そんな事もお構い無しにカーライルはゼクティスへ大股でずかずかと詰め寄り、無遠慮に手を伸ばして呆気なくフードを取り去ると顔を確認する。

「お、やっぱ便利屋君だな。黙ってるから人違ったかと思ったじゃねぇか。なに一人で黄昏れてんだ?」

此方の困惑を意にも介さず、カーライルはまるで友人にでも会ったかの様に肩を叩いて笑いかける。一見有効的なご挨拶にも見えるが、肩を叩く手は此方を逃すものかと告げている。

「何で……!」

「ん? 何で俺がここに居るかって? いやなに、仕事の合間のちょっとした休憩さ。あぁ違う違う、けしてサボってるとかじゃなくてな……」

まるで的外れなカーライルの受け答えに苛立ち、ゼクティスは怪訝の表情を浮かべる。

「おい。とぼけてるつもりか? 判ってんだろ、全部」

まさか聖都で己がやったことがこの男に伝わって居ないはずがない。カーライルは面食らった様に目を見開いたが、その後苦笑混じりに頭を掻く。

「やれやれ……ちょっとは再会を喜んだって良いじゃねぇか。せっかちな奴だぜ君は……。折角良い男なのに、そんなんじゃあ女の子にも愛想つかされちまうぜ?」

「うるせぇ、大きなお世話だ。……もう一回訊く、何のつもりだ?」

肩を竦めるカーライルの軽口もぶっきらぼうにはね除け、いつでも抜ける様に腰の大剣に手を掛け再度問う。応じる様にカーライルの眼からも悪ふざけの色が消える。

「それじゃ、望み通り単刀直入に訊いてやるよ。……君が此処に居るって事は、光使いのお嬢さんも来てるんだろ?あのお嬢さんはこの世界が生き延びる為の要だ。こっちに渡してくれ」

「……さぁ? 知らねぇな」

やはり、上手く潜り込んでいたつもりでも此方の面は割れて居たらしい。ゼクティスは内心舌打ちをするが、飽くまで顔には出さず首を捻り白を切る。無駄な虚勢である事は承知の上だ。

「はは……ったく君って奴は……折角穏便に済まそうと思ってたのによ」

「参ったな」とカーライルは困った顔で頭を掻いていたが、一つ両手をぱんと打つ。

「よし、判った。君にも意地ってモンがあるんだろ。先ずは俺の忠告を守らなかった仕置きといくか。……こう見えて、俺は不器用な男でなぁ? 悪いが手心は入れられねぇだろうから、勘弁してくれよ」

そう言うと、寸分前とは打って変わり、今や獣の如き笑みを浮かべた男は身の丈程もある騎槍を構える。

「いやぁ、二人の男が一人の女を取り合う……か、良いねぇ。全くドラマな展開だと思わねぇか便利屋君?」

「はは……ンなお綺麗なもんでも無ぇだろ」

思わず乾いた笑いを洩らし、役立たずになり下がった外套を脱ぎ捨てる。そしてゼクティスも腰に提げた大剣を抜き、構えた。
「ま、それもそうだな」と応えるカーライルの瞳にも、それはそれは剣呑な光が湛えられていた。

広場の地面を美しく真っ平らに舗装していた舗装タイルは今や荒々しく剥がれ、ひび割れ、捲り上がってしまっていた。
カーライルの操る得物は、主の身の丈程もある騎槍。繰る度に相応の遠心力が負荷となって身を振り回されるはずだが、そんな様子など露も無い。まるで子供が棒遊びでもする様に易々と槍を暴乱に振り回し、貫く度空気の層を突き破る連続の突きを浴びせてくる。
使い続けて此の方、傷の一筋も入った事の無いこの大剣——Requiem《レクイエム》ではあるが、流石にこの凶悪な突きを一々まともに受けていては剣が保つかどうか定かではない。
それ以前に、剣を構える腕の方が先にどうにかなってしまいそうだ。故に紙一重で受け流すも、身体を掠める槍の空気を焦がす音に生きた心地はしない。また槍を受け流した剣から橙の火花が散り、焦げた臭いが鼻を掠める。

「はっはァ、上手く躱すもんだな便利屋君!」

繰り出される槍の間隙を縫うように刃を振るうも、此方の斬撃は軌道を易々見極められ飄と流される。
「……ッち、あんた程じゃねぇよ!」

完全に遊ばれている。
舌打ちと共にまた一刺、二振と剣を振るもやはり捉えるには叶わず結果は同じ。まるで舞踏の韻を踏む調子で易々躱された。

「いつからだ!」

「んん? 何がだ?」

振り下ろされる騎槍をまた橙の火花を散らせながら弾き返す。劈く不快な金属音が耳奥に差し込まれる。
「いつから俺達がコッチに居るって気付いてた⁉︎」

或いは最初から見通されていて敢えて泳がされていたのかも知れない。だとしても果たしてその事に何の意図が有るのか、ゼクティスには皆目図りかねた。

「……さぁ? いつからだろうな?」

カーライルは肩を竦めると、困った様子で首を横に振り苦笑した。
悪童の様な悪戯っぽさはあるがどうも此方を引っ掻けようなどと言う二心は感じられない。何が本気で何が冗談なのか、元々この男から推し図ることなど難しいのだが。

「……は? 馬鹿にしてんのか?」

「そんなまさか、俺は至って大真面目だ。馬鹿にしちゃいねぇよ。……そうだな、〝あの御方〟は普く全てに目を向けて居られる」

カーライルは芝居掛かった動きで両腕を広げ、軍服の裾を靡かせて見せる。

「つっても導師殿の〝千里眼〟って意味じゃあ無い。敢えて言うならあの御方の仁徳が為す長大な視野に君達を捉えられたって事だ。ま、飽くまで俺は手足として動かして貰ってるだけさ」

随分と大仰且つ抽象的な表現。何ともこの男らしく真偽を図るのが難しい、仮面を被せた言い回し。しかし、仮にこの言葉を真として要約するとこの男は誰かしらの指示によって動いているのだろう。
それにしても引っ掛かるのが、終始ふざけた調子のこの男が確と礼を以て表現する『あの御方』。少なくともこの男の上に立つ者である事は間違いないだろう。とすると、自然と人物は限られてくるが『そんなまさか』とも思う。

「は、仁徳ね……生憎俺には理解出来無ぇな」

「なぁに、直に判るさ。──ほら! 悠長にコッチの事詮索してる暇は無いだろ便利屋君! 腕がお留守になってるぜ!」

横に薙いだ騎槍の軌跡を刻むかの様に、また舗装タイルがひび割れ地を削る。びりびりと鼓膜を震わす空気の振動にゼクティスはまた肝を冷やす羽目になった。
防戦一方ではやはり追い込まれるばかりか。

「クソッ……!」

舌打ち一つに意を決する。今まで直ぐに退けるよう一定の間合いを保って居たが、それも捨てる。叩き込むは、乾坤一擲。
低い姿勢から相討ち覚悟で一息に間合いに踏み込むと、その勢いのままにカーライルの左胸目掛け剣を突き上げる。

「——ッとぉ! 良い踏み込みだ!」

カーライルがほぼ脊髄反射で咄嗟に上体を反らし、刃を避ける。この一閃も皮膚を浅く斬り割くだけで終わる。だが、体勢は崩せた。
このまま攻めに転じようと続け様に横一文字に剣を薙ぐ。

「——だが、甘ェんだよ」

カーライルは更に地を這う様に姿勢を落とし込んで左手を着くと、腕を支点に思い切り足払いを仕掛けた。
虚を突かれ、今度は此方の足元を崩されて無様に倒れ込んだゼクティスはどうにか受身を取って立ち上がろうと膝を立てるも、頭に強い衝撃。

「がッ……!」

防ぐ間もなくどうやらまともに軍靴による蹴りを受けてしまったらしい、脳を揺らす重い衝撃に視界が眩む。更にがら空きになった腹に二、三度蹴りを入れられとうとう地に転がされるかたちで倒れ込んだ。身体をくの字に折り曲げ、激しく咳き込む。
霞む視界にそれでもカーライルの姿を捉え、睨み上げる。立ち上がろうと腕に力を込めるがそれも叶わず。ゼクティスは右腕を足で地に抑えられ、ようやく焦点が再び定まった時には喉元に騎槍の穂先が突き付けられている事に気が付いた。

どうやら口内を切ったらしい。いつの間にか舌の上には甘苦い鉄の味がじわりと広がっていた。

「……」

「……」

互いに息を上昇させたまま、無言に視線を交わす。
いつの間にかカーライルからもいつもの笑みは消えていた。崩れて前に落ちてきた灰褐色の髪を掻き上げると、まるでスイッチが切り替わった様にぱっと人好きのする笑みを浮かべた。

「いやぁさっすが便利屋君! 良い腕だな、俺も今のは本当に焦った! やれやれ……自慢じゃないが、実戦で傷を付けられたのなんか久し振りだったんだぜ?」

「よく、言う……」

ぱっくりと切れてしまった軍服の肩口の部分を示しながら快活に笑うカーライルに、ゼクティスは切れ切れの息間に辛うじて呟く。
勝敗は決した、完膚無きまでの敗北。──しかし。
このまま大人しく連行される訳にはいかないのだ。何としても此処を脱さなければならない。
爪が食い込む程に左手を握り締める。出来る事ならば〝これ〟を人前で、対人で使いたくは無かったが、そうも言ってはいられない。今も左手の甲に貼り付く蒼洸《そうこう》へ密かに意識を向ける。制御の媒体としている大剣さえ手に出来れば発動させられる。隙を見て、否。半ば無理矢理でも良い。この状況さえ打開出来れば及第点だ。
自ずから心の中で三、二、……のカウントを刻む。

「——止めときな、俺なんかに使っても勿体無いぜ」

(——悟られただと?)

声には出さずとも予想外のカーライルの言葉に思わず怪訝に眉を寄せ、眼を見開く。方や彼は口角を吊り上げ、意味深な笑いを浮かべる。
一発逆転の打開策も潰した以上、抵抗の意志無しと思ったのか。ゼクティスを押さえ付けていた脚を退け、襟を掴むと立ち上がらせる。

「悪いがこれはちょっと没収な」と当然ながらRequiem《レクイエム》は奪われてしまった。
ふらつきつつゼクティスは口内に溜まった血の塊を吐き出すと、カーライルに問う。

「何で〝これ〟の事まで知ってやがる……!」

この蒼洸の存在は仲間内であってもレヴィアにしか教えてはいないし、まして使う所すら見せてはいない。頑なに隠し続けているものだ。それを、何故この男が。
奥歯を噛み締めて忌々しく睨み上げるゼクティスに、カーライルは困った様な笑みを向け頬を掻く。

「まぁ……見てたからな。あのジルバス近くの山道で君と魔物がやりあってたのを。その蒼が一体何なのかまでは知らないが、とんでもない力だってのは知ってるぜ」

「覗き見かよ、趣味の悪ィ……。まさかあの魔物をけしかけたのは……」

レヴィアと出会ったあの山道で自分が魔物とやりあっていたのを見ていたと言うのか。
ならばレヴィアを途中まで送ったと言うのもこの男だったのだろうか。
あの時の苦労を思い返し、ゼクティスはここ嫌味とばかりに猜疑を向けるがカーライルはとんでもないとばかりに大仰に手を振って否定する。

「おいおい心外だな。馬鹿言うなよ便利屋君、あの魔物は俺も想定外だったんだぜ。元々君とお嬢さんを合流させようと迎えに行ったところで派手にやりあってたから出るにも出れず……。確かに君の力を見ておきたかったってのも正直ある。最悪、俺も加勢するつもりだったさ」

「は、どうだか……。コッチは崖から落とされてんだ。下手すりゃ死んでてもおかしくなかったんだけどな」

「こっちだってなぁ、万一にでもお嬢さんが傷物になったり輸送役が探し直しになるんじゃねぇかと冷や冷やしてたんだ」

弁明も虚しくカーライルはやれやれと嘆息し、二つ手を鳴らして話を戻す。

「はいはい、俺達に振り回される君の気持ちも解らなくは無いけどな。あぁもう日も暮れちまったな、込み入った事はちゃんと落ち着ける場所で腰を据えて話をしようぜ」

「……」

カーライルは応えない代わりに、相変わらず険しさを顔に張り付けるゼクティスの背を叩き、歩みを促す。顔上げれば確かに、洸晰の黄味を帯びた白色の街路灯が点き始めていた。

 

だが数分も歩かぬ内にカーライルが急に歩を止める。未だ広場を出ても居ない。

「……来訪者……!」

「──何?」

何事かと訝しみ、隣に立ち並んで男の顔を窺えばいつもの飄々とした軽薄さは何処かへ消え失せ、戦慄に表情を凍らせていた。

(一体何だって……)

前方を睨み付けんばかりに見据えるカーライルの視線をなぞった先。女性であろうか、闇に紛れながらも小柄な人影を確認した。
ゆっくりと此方に歩み寄って来る人影は、距離を縮めるにつれその姿を徐々に露にする。そして街路灯が照らし出す光の元へと入った時、その姿は闇を切り抜いたかの様に現れた
その姿を認めたゼクティスもまた、驚愕に眼を見開いた。
肩までのブルネットの髪に上下揃い、両脚の動きを制限しないよう大きくスリットの入った黒服に身を包み長刀を腰に提げた女性。ゼクティスは直感的にこの人物が何者であるか悟っていた。しかし人嫌いの〝あの人〟がこんな場所に居る筈が無い。まして此処は聖都の第三階層、一般人である彼女が容易に立ち入れる筈がない。
だが何より目を引く、彼女の顔立ちに不釣り合いな右眼の眼帯と己に焼き付いた記憶が疑いようも無くこの人の存在を肯定する。

「おや、誰かと思えば。こんばんは、御機嫌よう」

「せ、〝先生〟……!」

涼やかに言葉を紡ぐ唇は薄く笑みの形を作るものの、彼女の藍の片瞳に心情は写らない考えが読めないのは、やはり以前と変わっていない。

「おい便利屋君! 〝あれ〟と知り合いなのか⁉︎」

殺気を隠そうともせず、カーライルはゼクティスに詰め寄り問い質す。
まるで〝人ではない〟者を指す様な代名詞に引っ掛かりを覚えたものの、その勢いに気圧され、ゼクティスはただ首を縦に振って肯定する。

「昔世話になってた、俺の剣の先生だ。けど……」

一方的に彼女の元を追い出され、関係を絶たれてからもう四年も会っていない。その上、連絡も取ってはいなかった。カーライルが何をそんなに殺気立って居るのかは判らないが己にとっては飽くまで呼び名のまま、「先生」でしかないのだ。

「久し振りですね、四年振りですか。貴方を〝迎え〟に来ましたよ、ゼクティス。──ああそれに、そこの軍人さんも」

「あァこっちは三年振りだけどな、覚えててくれて嬉しいぜ……この化物が! 三年前もてめぇは人間の成りをして潜り込んだんだったな。
どれだけ聖都《ここ》の人間を殺しやがった。血と死臭を撒き散らした、家を踏み潰した。俺達の同胞を喰った。断末魔を生んだ——どの面提げてまた現れやがった! 今度はどんだけ壊す気だ‼︎」

地を這う様な怨嗟に塗れた重低音。矢継ぎ早に放たれるカーライルの怒声。

「また来るとは思ってたが……丁度良い……今ここで息の根止めて、てめぇの淀んだ血で贖わせてやる」

余りに信じ難い内容一つ一つに、思わずゼクティスは殺気立つカーライルの前に割って入る。

「おいちょっと待て、どういう事だ! 三年前って言やぁ確かにここが魔物か何かに襲撃されて第一階層の一部居住区域がが駄目になる被害が出たってのは俺も聞いた事がある! ……けど何かの間違いだろ! 幾ら先生が強かろうが〝たかが人間〟にそんな芸当出来る訳が……!」

「便利屋君、こいつは——!」

「あの時はぁ」

わざとらしくカーライルの言葉を遮る様に、やや声高に〝先生〟が声を上げる。

「あの時は正直私も本調子ではなかったもので。〝その程度〟で終わって仕舞いましたねぇ。
私自身、貴方達双子と後もう一人……ええと、金髪の方が居ましたかね、右脚を持って行かれて仕舞い結構な痛手を被りましたし。代わりを創るのは苦労しました。
軍人さん、貴方は私を化物と謗りましたが〝私〟相手にあそこまでの立回りを演じた貴方達こそ〝化物〟だと思いますけれどね」

「よく言う……てめぇなんぞに評価されたところで、嬉しくとも何とも無ぇがな」

まるでちょっと昔の思い出話をする様に淡々と彼女の口から是と語られる度、ゼクティスの身体を巡る血液が温度を失い、心臓が冷えてく感覚に襲われる。何か、趣味の悪い冗談でも吹っ掛けられているのだろうか。

「先生……あんたは……一体……」

「……ゼクティス、教えたはずですよ。ひとは真《まこと》の意志を以て目的を貫く時、人を捨てて化物に身を堕とすことも厭わない恐ろしい生き物だと」

彼女は何処か達観した様子で呟くと鯉口を切り、腰に提げた長刀をしゃらりと抜いた。
ゼクティスは数える程しか全容を見た事は無いが、その刀は彼女の唯一無二の得物、銘は〝DIABOLOS《ディアボロス》〟。刀身に金属特有の光沢は無く、代わりに紫苑の鈍い光を刀身に宿すのが特徴だ。

「軍人さん。私は今日、三年前に果たせなかった目的を果たしに来ました。……そしてゼクティス、その為にも貴方のその蒼洸が非常に厄介になってしまった。私としても、良く出来た貴方を壊すのは惜しいことですが、〝あの人〟をいずれ終わるのを待つばかりのこの世界の楔から解放する為にも……死んで貰います」

すみませんね、と余りにも安い詫びの言葉を寄越す隻眼は、何故か慈悲に滲んでいる様にも見えた。尤も、それは此方の甘ったれた願望なのであろうが。

「……ッ、ふざけてくれんな……! どう言う理屈だ……! 確かにあんたの言うことは昔っから曖昧で、意味が判らない事ばっかだったけど、今回ばかりはマジで訳が判らねぇ! 何なんだよあんたは! 先生ッ……‼︎」

混乱しきった頭では何一つ現状など理解出来ようはずも無く、歯痒さに喚く。それでも彼女は紫色の刃を向け、初めて声を荒げ一喝した。

「情けない、見苦しい。思考を放棄してただ喚くだけか我が不肖の馬鹿弟子! ならば、何も解らないまま惨めに死に絶えるが良い! ……あぁでも存外、何も知らない方が未練も残らないでしょうね」

カーライルは預かっていたゼクティスの大剣を抜き身のまま、合図も無く投げて寄越す。

「おい……!」

「俺は奴に借りが、退っ引きならねぇ程に戦う理由がある。最悪刺し違えたって本望だ。君が戦いたくねぇってんなら伝令役に走って貰って姿眩ませたって構わねぇさ。どっちを選ぶ、決めんのは便利屋君だ」

「……ッ、俺は……!」

彼女を真っ直ぐに睨め据えたまま、カーライルはゼクティスに決断を迫るも応えに窮して口篭もる。
しかし尚も煮え切らないゼクティスの態度ににとうとう苛ついたのか、カーライルが突然此方に向き直り、空いた左手でゼクティスの胸ぐらを掴み上げる。

「〝現実〟と向き合うのか、尻尾巻いて逃げんのか決めろって言ってんだクソガキ! コッチはてめぇの命の世話まで出来ねぇんだよ‼︎」

上辺の繕いや温い気遣いなど一切捨てたカーライルの一喝。
まるで冷や水を浴びせられ目が覚めたかの様にゼクティスの眼から迷いの色は失せ、代わりに明確に意志を持つ。此処に有る現実を刮目して見届けんと、前を向く。

「……あ? 逃げるだと⁉︎ 俺を馬鹿にすんのも大概にしろ!」

叫ぶ勢いのままゼクティスはカーライルの手を思い切り振り払うと、再び大剣を構えた。
剣の教授を受けていた頃も全く届かない相手である。カーライルと共に対峙したところで勝機など見えてはいないが、それでも向き合いけじめを付けなければ。

「……俺が勝ったら、洗いざらい教えろよ先生。あんたが一体何者で、何をしようとしてるのか」

「……ええ良いでしょう。但し、挑むのなら死ぬ気で来なさい。知っているでしょう──私の爪牙は、鋭いぞ」

——————

段幕の藍に囲まれた議事堂内。
〝皇帝〟ジェノブロウは手短に参上の挨拶を終えた後に着席。他各都市代表者もまた、それに倣い再び席についた。

「では早速、議に移らせて頂こう。先に資料にて此方に送って貰ったと思うが、確認と情報共有の為に第壱都市代表より順に自都市の魔物による被害状況を述べて頂きたい。資料内容の追述が有れば、それも併せて報告を」

目の前のディスプレイに現れた資料データを認めて頷くと、ジェノブロウはノクサスの方へと視線を向け発言を促す。向けられた視線をノクサスは僅かに眼を細め受けると、一つ首を縦に頷き、応えた。

「承知しました、第壱都市より報告致します」

ノクサス——第壱都市からの発表を皮切りにして順に派生都市も含めた被害状況を報告してゆく。
最後に、代弁としてジェノブロウの傍らに控えていた側近の男が手短に〝ソラージュ・ヘルディニカ〟の名を名乗った後、手元に携えた資料を元に、淀み無く他都市と同様に現状聖都における魔物がもたらした被害状況を述べ上げた。
いずれの都市も聞いていた通り、いやそれ以上か。細かい事例を含めてしまえば過去に類を見ない異常な件数に上っている。やはりどの都市も、防衛機能は役に立たなくなっているらしい。そもそも〝都市内に魔物が現れる〟と言うこと自体が元来有り得なかった、あってはならなかった事なのだ。

「緒卿方。言わずともお気付きであろうが、以前であれば都市内に出現することなど有り得なかった魔の輩。それが今や、我ら人類が安寧の地として住まう都市までもその穢れで脅かそうとしている。幾ら我らが抗おうと彼方は常闇より無尽蔵に湧き出る異形の徒、いずれ消耗戦になればその数に食い尽くされるだろう」

ジェノブロウは朗と通る声を堂内に響かせ、同じ場に在する者達へと隅まで届けよと訴える。

「皆、参上の途にて御覧頂いたと思われる。我が愛しき聖都の惨状を。中枢都市たるこの聖都の武を以て対抗しようと身を喰い破られ浸食される始末。この事が、何を示すか……?」

彼は鎮まる場を見据えゆっくりと視線を見巡らす。 ジェノブロウが言わんとする事は誰もが勘付いている。だがそれを口にすること自体が罪悪に等しい感覚に苛まれ、どうしても憚られる。皆等しく口を噤んだまま、開こうとはしない。
「陛下」と静かに声を上げたのはノクサスであった。

「……察しております。それは、此処に居る誰もが、いやこの世に住まう全ての人々が。このままでは、この世に我らが存在出来る猶予……人類寿命はもう幾許も残されてはいないと」

ジェノブロウとノクサスの視線が交錯する。彼は「そうだ」と神妙な面持ちで頷く。

「それを承知の上で貴方は斯様に先への道を指し示されますや? まして我々に先を見る眼を潰し、混迷の坩堝へ落とそうなど無慈悲な答を示す貴方ではありますまい」
ノクサスは先手を打って核心に切り込む。

「ノクサス殿。その答を示すには先ず、表には見えざるこの世の仕組みから説明せねばならない。……しばし、私の語りにお付き合い頂こう」

ジェノブロウは一つ呼吸を置き。続けた。

「かつてこの世は、神と言う絶対的な管理者によって守られ秩序が保たれていた。この事実は古より語り継がれている神話によって、少なからず存じ上げておられるだろう。そして、その管理者も今やこの世を手放し此処には在らず。我々の世界は創世の時より既に完全なる管理を離れ、保たれし均衡は緩やかに崩壊を始めている」

だが、不意に「お待ち下さい陛下」と他の都市代表が声をあげジェノブロウの語りを遮る。咎められることも無く発言権を許され、一礼の後に口を開く。

「神の加護は既に有らずと仰有られましたが……畏れ多くも些か穿ちすぎでは有りませんか。それが真であるならば神を指針とし調和を保つ第壱都市……ヴァスティロードの存在意義を否定する事になりましょう」

だが当のノクサスは僅かに眉尻を下げて苦笑し、「いや」と首を振る。

「御気遣い痛み入ります。しかし我らが真に信ずるは神と言う像ではなく人が賜りしその教え、一人一人の心に住まう目には見えざる良心。神を信ずれどその存在の有無で揺らぐ事はありません。
人と人との友愛の心にこそ神は住まう。心配なさらずとも火種になどなり得ない」

先の言葉を真っ向より否定する。こう言った場では些細な発言一つで国を傾かせる事もある。代表者の遮りはその事を慮ってであろう。
しかしジェノブロウはただ単純に神という〝思想〟を蔑ろにしていると言う訳でも無いはず。どちらかと言えば、今のは宗教家としてでは無く言葉狩りに対する防衛網としての台詞だ。
宗教家の頭目である導師ノクサスとて、俯瞰的に神を見る目は持っているつもりだった。それでも神を〝管理者〟と表現される事例は初めての事だった。
この世を形作りし神の存在は過去には在れど、現在には無いと。かつては神の名を借りた〝管理者〟なるものがこの世界の均衡を保つ役割を担っていたと言うのならば、今日《こんにち》に至るまでの仮初めの安寧はどのようにして得られていたのであろうか。
そう考えたとき、ゼクティスが話していた境界の話が思い当たる。
この世は干渉可能領域、不可干渉領域、絶対不可干渉領域の三域によって構成されており、不可干渉領域——境界が存在することにより境界の更に奥にある絶対干渉不可領域である黄泉との存在定義を保つ役割を果たしている。
これでも人の上に立つ身である、人間性を推し量る己の眼に疑いは持っていない。境界の情報を伝えてくれた彼らに此方を謀ろう等と言う意図は感じられなかったし、疑っていた訳ではない。だが、やはりノクサスにとって鵜呑みに信じるには厳しい話であったのだ。
ジェノブロウは「失礼」と白手袋に包まれた右手を軽く上げ、言葉足らずであったと詫びる。

「だがこれも、揺るがぬ事実なのだよ。この世の裏側と呼ぶべきか……。此方からはけして干渉の及ばない、我々からは見えざる場所には害悪を詰め込んだ世と言うものが隣り合う様に存在している」

そこが、魔物の発生源。誰も知り得ない、創世時よりこの世界が抱えた暗黒面〝黄泉〟である。

「その黄泉とこの世との境目を創り分け隔てているのが〝境界〟……謂わば地獄の釜に蓋をする役割を担っている空間だ。但しこれはけして絶対的な働きをする物では無く、非常に揺らぎ易い。蓋の役割をするには、余りに脆いのだ」

つまり、境界と言う空間を挟むのみでは黄泉からの魔を防ぎきりはしないと言うこと。
風船の様に、突けばたちまち割れてしまう程度の危うさなのだ。──ならば、

「境界には、境界そのものを支える〝柱〟がある、と……」

飽くまで此方は何も知らないと言う体を示す為、敢えてノクサスはそれが人の身で以て支える〝人柱〟であることは伏せておいた。だがその言葉にジェノブロウは判り易く反応し、含みを持って薄く笑う。

「流石、察しが良いと言うべきか。だがこの世の均衡を支えるのはただの物……無機質な建造物などの類いではない」

皇帝は一呼吸の間を置き、核心を告げた。

「世を支えるのは我等が血を分けし同胞──人間だ。つまりは、要となる人柱の献身を以てこの世の均衡と安寧は保たれている」

やはりか、と確信を得ると同時に突き付けられた否定しようの無い真実。
今まで一切公にされて来なかった事実に、その場は戦慄と動揺がない交ぜになった空気が広がる。

「一二〇〇年だ。約一二〇〇年もの間、この世界はただ一人の人間によって支えられていたのだ。しかしそれももう限界を向かえようとしている。境界が崩れ去るのに、最早一刻の猶予も無い!」

しかし、と何処からともなく悲壮の声が飛ぶ。

「人柱を以て均衡を保ちし境界であるならその崩壊を止める術は同胞を贄とし差し出す以外無いと仰有るのですか⁉︎」

境界を再び保ち直す為に一体何を差し出さなければならないのか、それを明らかにされた今となっては当然の異議であろう。だがジェノブロウはいや、と首を横に振り否定する。

「そもそも人の寿命を遥かに超えた一二〇〇年もの永きに渡る年月をただ一人の人間の身で支えて来られたのか……疑問ではないかね?」

確かに、境界の事を初めて耳にしたあの時、ゼクティスは〝人形〟……つまり空の器だと表現していたが元々は生身の人間だとも言っていた。だが境界がこの空間とは勝手が違うと仮定しても、普通の人間の身体ならば恐らく耐久性を維持出来ず呆気なく朽ちて仕舞うことだろう。
つまり、柱となるにはそれ相応の〝素材〟でなければならないと言うことだ。

「……今現在、世を支えているのは一二〇〇年前当時。この世を創りし神に最も近い力を持った者、つまり神の直子たる初代皇帝の身体だ。彼は神には及ばないが、引き継がれた創造の力を以て境界を創り出し、自らを柱として据えたのだ」

境界に据えられる柱は常に揺らぎ続ける境界の構造を保ちながら制御を行わなければならない。生身の人間が持つ脳ほど複雑にして繊細な演算機構を凌ぐものを、人工的に作り出す術を人類は未だ持たない。
ならば人類種の進化の賜物であるそれをその使うより他無い。更には創造の力を持っていた初代皇帝と言う素材は人柱にお誂え向きだったと言うことだ。

「〝創造の力〟とは、この世を構成する洸晰を意のままに操り、ありとあらゆる物を創り出す力の事を指す。つまり、人柱は〝洸晰を操作事の出来る人間〟であることが最低条件なのだ」

「……ですがそんな魔法の様な事が可能な者など、それこそ神話の世界の住人しか居りますまい……」

愕然と呟いた声は、果たして誰のものであったか。暫しの沈黙、ジェノブロウは重く口を閉ざしていたが再び語り始めた。

「……三十年前の四都戦争。勿論あの過ちを肯定すべきではないが、あれは破壊の恐怖に抗う術として創造の力を生む機会を我らに与えた。当時、ここ聖都では兵力の補完として〝武器を持たざる兵士〟の開発が進められていたのだ」

「……!」

それまで淡々と場の流れを傍観していたレイシェントが僅かに身じろぎ、顔を上げる。
〝武器を持たざる兵士〟——ヒト型強襲兵器の研究開発。それは当時、戦線の只中に在ったレイシェントが一番よく知っていた。勿論、その結果何が犠牲となったのかも。

「武器を持たざる兵士とは、自身そのものを純粋な洸晰のみで形作りその身をを武器とする人造歩兵の事であった。その当時は実現こそ至らなかったが、その後その研究を元に〝光使い〟と言う、世界を救う希望を完成させるに至ったのだ」

『希望』と言う言葉に人は弱い。如何に蒙昧でも、窮された中でそれを差し出されれば無条件にそれをよすがと信じ、縋り着いてゆくものだ。動揺のざわめきの中に、感嘆の声が混じる。
ジェノブロウの明朗な語り口とは裏腹に、レイシェントはフードの下で歯噛みしていた。

(……希望、希望だと? ……例えどんな結果が得られようが……そんなものは、全て詭弁でしかない……)

己にとっての四都戦争とは全てに於いて喪失でしか無かった。あれから何か得るものが有ったなどと、レイシェントには到底認める事は出来なかったのだ。
しかしその憤りと同時に、自分本意でしかない考えをしてしまっている事にも気付く。

(……)

所詮己は過去から這い出た亡霊でしか無いのだろうと、視線を俯かせた。
自覚するには、遅過ぎたが。

「……陛下、一つお訊きしたい。仮にその光使いとやらを柱として据えた場合、その後何年この仮初めの平穏を得られるのですか?」

おもむろににノクサスが口を開いた。他の者が呈された真実に狼狽え困惑が入り交じるなか、ノクサスは変わらず涼やかな表情で在り続けている。
ジェノブロウは返答に一瞬躊躇った様だったが、それでも落ち着きを払ったまま応える。

「……次なる未来への命数は十年。人の手によって作られた模造の魂ではそれが限度であるとの見通しだ」

仮に人柱をすげ替えたとしても得られるのは十年、世界の延命と言うには余りに短い時間だった。

「では、その命数が尽きた時にはまた同じ様に光使いの犠牲が生まれると言うことですか。……ならば、今回仮に一つの命が代償として払われても、その犠牲には何の意義が有るのです?」

「……異なことを申される。光使いの犠牲の意義を問う以前に、その存在意義を考えるべきでは無いかね?」

「存在意義?」とノクサスの片眉が僅かに持ち上がる。

「人柱と成り世界を救う為だけに創り出されたのならばそれを存在意義として、人間としての意志は否定し粛と使命に殉ずべしと?」

表向き穏やかさを保っていたノクサスの口調も徐々に速まる。皇帝と導師、二人の視線が刃を交える様に鋭く交錯した。
だがジェノブロウの青い眼には最早一切の情感など映しては居らず、機械が仕込まれたかの様にただ淡々と「然り」と頷いた。

「……!」

「次なる光使いの量産の準備は既に最終段階まで整っている。後は、彼らが真に柱と成り得るかの〝証明〟を残すのみだ。証明が成されれば、我々はまた恒久の平穏を掴むだろう」

救いの道は既に得たり、とジェノブロウの力強い言葉に代表者達は安堵と感嘆の声を洩らす。
だが、ノクサスの身に走るのは寒気すら覚える戦慄であった。
これは〝違う〟。と、その違和感の正体すら一体何なのかも定まらないままに、彼の中には本能的に否定の意志が浮かんでいた。
ノクサスは思わず俯かせた首を横に振り、改めて真っ直ぐに皇帝を見据えた。ジェノブロウが、彼が性急に短慮な答えを出すはずが無いことをノクサスは知っていた。

「……〝俺〟は〝君〟のその考えには賛同出来ないね。詰まらない綺麗事と謗られようとも俺は異を唱えよう。人類倫理の宣教者として、理想論を貫かせて貰うとするよ」

そう言ったノクサスの表情はまるで、親しい友人にでも向けるかの様なものであった。