
ゼクティスを辛うじて出し抜き、月詠を得たリオはレヴィアの身体を抱えて境界の中枢へと進んでいた。
時は来た、駒は揃った。後はNo.0を解放すれば、己の満願は成就される。
別れ際のゼクティスの一撃により深い傷を負い、裂けた鎧の下からは黒く淀んだ血がだらだらと流れ落ちている。彼女自身の身体一つさえ支えるには重く、引き摺るように歩みを進めていた。如何に自分が頑強なる魔物の身を持っていたとしても、此処では回復する術も無い。
唐突に、視点ががくんと落下する。レヴィアを抱えた状態では受け身を取ることもままならず、無様に床へ倒れ込む。
どうしたのかと、自分でも何が起こったか判らず倒れたまま背後へ首を回して振り返る。視線の先、左脚の途中からぽっきりと折れた脚部が転がっていた。
「……仕方、無いですね……」
リオはわざとらしく落ち着きを装う溜め息を吐いてDIABOLOSを抜く。両腕を支えに上半身を起こし、右膝を立てる。そして、ふらつきながらも刀を杖代わりにどうにか再び立ち上がる事に成功した。
かつての弟子に痛め付けられ、自分の脚で立つ事さえ儘ならなくなるとは。何と惨めな様だろうか。
だが、リオが浮かべているのは自嘲よりも歓喜の笑みであった。
「もうすぐ……もうすぐですよ〝セイル〟。あと、少しで貴方を解放してあげられる……」
沸き上がる嗤いを洩らし、譫言の様に呟きながら境界の中枢へと無我夢中に歩き続ける。何も考えてはいけない、疑ってはいけない。千も万も億も越えるほどに唱え続けた言葉を、今また鎌首もたげる雑念を押し潰さんと呪詛の如く唱える。
例えNo.0を解放したとして、あれは中身の無いただの人形。
──解っている。
例え全ての人間を滅したとして、渇望するものは得られずこの身へ還るものは何も無い。
──解っている。
例え世界を維持しようと、それは〝彼〟の望む世の形ではない。それどころか、最も望まざる未来である。
──解っている。そして、何より——
「貴方はもうとうの昔に私の手の届かない場所だ! 私が死そうとも、貴方に死添うには私の魂は魔物に穢され尽くされている‼︎ 私は──」
今の我が身は自身が散々に忌み疎んだ人間よりも余程おぞましく、汚ならしい存在である。
千年隔て様ともけして忘れて得ないかの者の笑顔が、瞼の裏に去来する。
この世界を守って欲しいと託された願いも、いつしか人への憎しみで埋もれてしまった。その裏切りから始まった。あらゆるものを淘汰し、下瞰し、ひたすらに滅びを乞い願う自分は、最期まで人を愛した彼の者とは今や永劫届かない対極に位置している。
我が身ぞ災禍であれと、唱えながら進んできた道の先に立っているのだ。
「私の世界は、とうに……壊れている……。貴方と共に、壊れて……」
また一歩、DIABOLOSを強く床へ突き立て先へ進む。
リオはまた背後を振り返った。
道程に滴った黒い血は、霧となって霧散してゆく。魔物は、世界を死へ導く為の道具でしか無い。その様なものの死が、いずれ死に行く世界に何かを遺すなど、まして世界に還るなど許されるはずがない。
「なら……せめて、貴方への想いを遂げて逝かせて下さい……セイル」
それが今まで行き永らえるに至ったリオの意志。導き出したものが、如何に堕ちた選択であったとしても。
「……貴方は優しいから、きっと、私を許さないでくれるでしょうね」
彼は知っている事だろう。それが唯一にして最もリオが恐れ、慙悔を抱く報いであると。
——————
旧時代の宮殿の様な廊下の左右に壁は無く吹き抜けており、辛うじて残っているぼろ切れの様な段幕が境界に吹き荒ぶ黒い淀みの風に弄ばれる様にたなびいている。境界の空に渦巻く風は、鉄錆に似た臭気を絶えず運んでいた。
リオを追い、ゼクティスらが進む廊下には夕陽より濃い朱色の光が射し込んいた。それより外。眼下には時折稲光を疾らせる青鈍色の雲海が広がっている。
降り注ぐ光の色は夕陽に似てはいるが、その光源は宙に浮かんだ赤銅色の月である。赤く灼けた月が浮かび上がらせる景色を幻想風景と評すには余りに悪夢じみていた。
「これがこの世の裏側かよ。死んでも願い下げな陰気さだな」
「悠長な事は言っていられない。表の世には既にあの赤月が現れ、魔物が溢れ始めている」
カルミラの言葉に「冗談じゃ無ぇ」とゼクティスは表情を歪めると、廊下を駆ける脚を早めた。
「早急に片を付けなければならない。急ぐぞ」
吹き抜けの廊下は大きく弧を描いている。足場より下は雲海により構造が伺えない為、宙に浮かんでいるかの様な錯覚を覚えた。〝空中回廊〟と言う表現がぴたりと当てはまるのではないだろうか。外を見遣れば、彼方に位置する回廊の終着点の外観が伺い知れた。
尖塔が幾つも連なった城が雲海に浮かぶ様に聳えている。その背後には、城が辛うじて遺すなけなしの建築美さえ台無しにする様な黒の塔、否。余りに表面が滑らかな外観から、ポールとでも称した方が適切かも知れないものが天地を繋ぐ様に存在していた。
境界の現世と黄泉を繋ぐ“境界”の中枢部である。
「あれが……か。確かに、何と無く見た憶えがある気がするな」
ゼクティスの記憶の中には一応、皇帝ジェノブロウの写しとして皇帝の血族に共有された境界の情報が存在する。うっすらと、朧気にではあるが、この一場面には夢で視た様な既視感を憶えていた。
実際目の当たりにして既視感を得る程度の情報など、何の役にも立たないものではあるが。
「恐らくあれが現世を繋いでいる接点、云わば地獄門の様な物だ」
「地獄門……」
カルミラの言葉を反芻し、左手の甲が痺れを伴って微かに痛む。瞬間的に脳裏に情報が焼き付けられる感覚。ああそうだ、とゼクティスはまた一つ境界について思い出す。
「そう、そうだ。人柱って要が有って、境界としての機能を完全に果たしてる内は未だ調節弁が付いてる。が、No.0が無くなっちまえばあの見た目のまんま、あっちとこっちを繋ぐ便利なパイプになるって訳だ」
例えるならば人柱が解かれた境界は、蛇口の壊れた水道管の様な物である。
カルミラは端から知った風に話すゼクティスを横目に、あからさまに深々と嫌味を含んだ溜め息を吐く。
「特異点の情報……それがあれば、この惨事に至るより早く対応出来ていたのだろうにな……」
「馬鹿言え。コッチだって最近まではこの情報が本当かどうかも判らなかった。肝心のジェノブロウは口外すら出来ねぇんだ。今更無茶言うな」
「飽くまで仮の話だ。一々真に受けるな、馬鹿め。世界の核心に至る情報が容易く手に入れられる訳があるまい」
この期に及んでもやはりカルミラは相変わらずと言った所か、ゼクティスの言葉に対しての返しは欠かさず刺を仕込んでいる。しかし今は逆に、その気分を害する口振りこそが肩に重くのし掛かる気負いを無くしているのだから、正に〝世も末〟と言って相応しいのだろうとゼクティスは心中で皮肉めいていた。
ようやく廊下の最果て、終着点である大扉が前方に見えた。やはり古びてはいるが、見た目からも明らかに重厚堅牢である事が見てとれる。
ゼクティスは背に負ったRequiem《レクイエム》を抜くと「急ぐだろ?」とカルミラより一歩前へと踏み出した。
「ああ、火急の用事だ」
「なら」とゼクティスは脚にブレーキを掛けて踏み留まると、左手に持ち変えたRequiemを背面へ思い切り振り上げ、構える。漆黒の刀身は蒼い光を纏い、ばちりと閃光が爆ぜる。
ゼクティスは軽く片側の口角を上げ、一言。
「ノックは無しだ」
下段から掬い上げる様に振り抜かれたRequiemは蒼い軌跡を描き、床を削りながらそのまま大扉を呆気なく両断し、破壊した。
元より蝶番も腐食し、劣化していたのだろう。両断された上部が先に外れて床へ落下し、下部に残った部分も蹴飛ばしてしまえば呆気なく通り易く入口が拓いた。
回廊と同じく、壁が存在すべき面には石柱が立ち並ぶのみで吹き抜けとなっている。経年からの劣化なのか、そもそもこの場に時間と言う概念があるのかすら怪しいが、施された彫刻や装飾などは悉く崩れてしまってはいる。
内装は外観に相応しく〝城〟と呼ぶに相応しいだろう。損傷を経て尚余る豪奢な造りは、この場に収められた人柱がかつて何者であったのかを顕著に表しているかの様であった。
舞い上がる粉塵は吹き抜ける風により直ぐに浚われた。
その先に、佇む人影。ゼクティスは眼を据え、その人影を睨め付ける。
「御丁寧に、待っててくれてたのかよ。先生」
漆黒の鎧姿、やはりリオであった。しかしその佇まいには、覇気を孕んだ凛々しさはもう無かった。
左側の脚部は折れてしまったのか。足りない脚の代わりに、刀を杖の様にして身体を支えている。
「私は、貴方に……帰りなさいと、言ったはずですが……?」
再び合間見えた彼女には、最早こうして立っているだけの体力すら残されていない様だった。冷淡だがよく通るアルトの声音は掠れている。先程、去り際に放ったゼクティスの斬撃は確かにリオを捉えていたらしい。
「全く……貴方と言う人は、言う事を聞かないにも……程がある」
彼女が鎧として纏う外殻は兜部分は半分に割れ、身体を守るものも肩から大きく裂けている。割れた鎧から覗くのは影法師の如く朧気な魔物の身体。外目から、どの程度の傷を負っているのか、表情からも読み取る事は難しいだろう。だが、足元に染み拡がっていた血溜りが今のリオの状態を明確に表していた。
「あれでまだ俺達の前に立ちはだかろうとするか……。精神力だけは、見上げたものだな」
カルミラが唸る様に呟いた。
あの出血量である。彼女が如何に早く回復出来たとしても、この状態で戦えるはずも無いのは明白である。しかし死が彼女の枷になどなりはしない事も解っていた。負傷を理由に大人しく引くなど望み薄な願いではあるのは承知の上。
だがそれでも、とゼクティスは大剣の刃先を差し向けてリオへ退場を促した。
「先生、コッチは引く気なんざ毛頭無ぇってのは解ってんだろ。もう相手するだけ無駄だって。そこを、退いてくれ」
蒼い眼を眇め、言葉とは裏腹にゼクティスは束を握る左手に一層力を込める。
「俺はレヴィアを連れて帰る。相手があんただろうが、もう邪魔させねぇ」
窮地に追い込まれた敵が如何なる牙を剥くか。ましてその相手が人の仇敵として歴史に爪痕を残した竜騎士であるならば、一分の隙も許されない。
だが、あろう事か彼女は面の下でふふ、と薄ら嗤った。
「そう心配せずとも、大丈夫です。私の役目は……もう終わりました」
その時、何処からともなく風を切る重音を伴って〝何か〟が飛来した。
それはブーメランの様に回転を伴って弧を描き、あろうことかリオを強襲した。傷物とは言え、頑強な鎧を纏っているはずの身体は蟻が爪弾かれる様に容易く真横に吹っ飛んだ。
「な──!」
何処から飛んで来た。
余りに突然の事に思考が追い付かず、息が詰まり声が閊える。目だけでもゼクティスは地を跳ね、石床を滑るリオの姿を夢中で追う。白灰の床に、まるで墨を引いた跡が残った。
次に捉えた彼女の身体は、床の縁ぎりぎりで落下せずに留まっていた。床を外れればその下はほぼ垂直の崖である。
「先生!」
何が起こったのか。今の攻撃はゼクティスやカルミラによるものではない。それ以外、明らかに第三者からのものであった。
先程までリオが立っていた筈の場所まで視線を引き戻す。その先、その奥の階段を経た檀上には真白〟の姿が在った。
〝光臨〟していた、とでも表現してやった方が相応しいだろうか。ゼクティス達の前に姿を現していた〝それ〟は余りに直喩が過ぎる表現にならざるを得ない程に、異質な存在である事は直感で理解できた。
あれは確かにこの場に存在している。だが相対して尚も現実味の無い〝それ〟はまるで数次元隔てた先に在るものを目にしている様な、錯覚じみた感覚に見舞われていた。
ゼクティスは自ずから意識無く、口を動かしていた。
「人柱人形《sacrifice doll》、No.0《ゼロ》……!」
古代の神職を模した、幾重にも布を重ねた紅白の衣装を身に纏い、頭頂近くで結い上げられ逆立つ長い銀髪は装飾にすら見える。しかし一見着飾られてはいるが、衣装の隙間から除く肢体の色は血色無く青褪めた上に痩せており、顔面に至っては醜くひび割れ、右目側に穴が開いている。その顔には人並みの表情も生気も宿してはいない。
大きく弧を描き、舞い戻った巨大な得物をNo.0は一部が結晶化した細い腕で容易く掴んで受け止める。先程の風切り音の正体は恐らく断頭刃と呼んで差支え無い、主刃に重なる様に組まれた曲刃を持つ見目にも凶悪なあの大刀であろう。
あの大刀が本当に細腕から放たれたのだとすれば、並の人間ならば肩から腕が外れていてもおかしくはない。自らが潰されかねない重量にも関わらず、あれは自在に操っている。
人形はぐらりと身体を揺らし、頭を抱え——怪音波とも呼べる叫びを上げた。鼓膜に杭を射し込まれる様な、思わず耳を塞ぎたくなる声である。口元を黒のマスクで覆われて尚、耳を劈く声は一体何処から発せられているのか。
その声に呼び寄せられてか、周囲から微かにぱちぱちと静電気が爆ぜる音を聞いた。
「まずい──何か来るぞ!」
瞬間、真白に光が爆ぜ、視覚を奪う。
屋内にも関わらず、落雷に匹敵する稲妻が轟音と共に縦横無尽に迸った。
辛うじて高圧電流の直撃は免れたものの、一時的に余波を受けた腕の感覚が麻痺し、指先が痙攣する。
「おいおい……馬鹿力な上に魔法まで使えんのか! ったく、無茶苦茶な……冗談キツ過ぎんだろ!」
「まともに喰らえば間違いなく黄泉送りだ。全く以て、センスの無い冗談だな」
No.0の身体は、元はと言えば神なる上位者の血を色濃く残した初代皇帝のもの。それを鑑みれば、魔法などと言う芸当を披露出来ても不思議では無いのだろう。
しかし同じ魔法であってもシージスが使っていたものとは威力も効果範囲も桁違いである。ふざけたものだと歯噛みし、ゼクティスは今一度Requiemの束を確と握り直す。
「……けど、コレを何とかすりゃあ先は拓ける。そうだな?」
ゼクティスの目配せに、カルミラも頷く。
「此処であの人形を止められなければ全てが水泡に帰し、全てが闇に沈むのだ。今の世に惜しむものが一つでもあるならば、意志有る限り、抗うまで!」
「泥臭ぇ人の意地の見せどころってか……上等だ。じゃ、中身空っぽの人形になんざ、負けらんねぇな」
相対して改めて認識する。このNo.0は生物と言う枠組みからとうに逸脱してしまったものであると。あれは殺衝動が人の形で動いているに過ぎない。確かに、あの存在を見た目だけで称するには〝人形〟と言う言葉がしっくり来た。
人間の形を模した化物である。
No.0は檀上から大きく飛び上がると、落下の加速度を伴って大刀と共に突っ込んで来る。
斬られはせずとも、まともに受け止めて無事で済むはずも無い。刹那の判断で着地点を予測し、衝突の寸前で前方へ踏み込み擦れ違う様に直撃を躱す。
背後を取った。踏み込んだ足を軸に身を翻してRequiemで斬り上げるが、精々No.0の纏う白い外套が裂ける程度に終わる。
舌打ちする暇もなく、並外れの反応速度で続け様に大刀が振るわれる。距離が詰まった状態で繰り出される攻撃はぎりぎりで受け流すのがやっと、と言った所か。
それも、カルミラによる後方からの援護射撃あってのもの。連装銃からの弾をまともに受けても苦悶の呻き一つ上げず、果たして効いているのかは判らない。
闇中の獣の如く、煌々と赤く光を灯す不気味な双眸には一欠片の人間性すら映す事は無い。身を銃弾で撃ち抜かれ、斬られ、身体を損傷したとて一切怯む様子が無い。
しかし微々たるものではあるが、ダメージの蓄積としての認識はあるのか。やがてNo.0に変化が起きる。肩口に付いた金の装飾からぱきぱきと小枝を折る様な音と共に、一対の真白い羽根が渦巻きを解く様に展開する。
「羽根まで、生やしやがるか……何でもアリかよ」
宙から金切声をあげながら魔法を打つその姿に、さながら神か天使との対峙を彷彿とさせるが、その超常に抱くのは畏敬や崇敬などではない。ただの狂気に満たされた、純然たる化物一個体としての悍ましさである。
幸い飛行能力は無い様だが、羽根を模した機関は数秒間の滞空を可能にしていた。大きく跳躍して高所からの強襲は隕石落としかの如く石床を抉る。その衝撃たるや、余波に巻き込まれるだけでも十分な痛手となり得る。
集中を切らすこと無く暴乱な攻撃を見極め、掻い潜るばかりで決定打への糸口が掴めずにいたが、それでも一つ光明を視る。
度重なるカルミラの銃撃にも怯む様子など無いが、それでも予備動作の最中でタイミング良く着弾すればその衝撃で攻撃を阻害出来る様だ。流石と言うべきか、元々使用していた長銃から離れた、ましてあの様な奇形の銃に持ち変えてもカルミラの銃撃精度の高さが劣る事は無い様だ。
それでも、No.0の攻撃をいなすだけで体勢を崩されてしまうのには変わり無い。反撃に転じたいが正直、攻撃を見切るだけでも精一杯である。
得物が巨大なだけに、自ずと動きは大振りになる。であれば普通なら振り上げの予備動作の際に懐の防御が薄くなるなど、多少の隙が出来るはずなのだが。だが、身体機能を限界まで引き出すNo.0の運動能力はそのデメリットすら容易くカバーする。
武器を使っている事こそ、此方へのハンデだとでも言わんばかりである。
〝Oblivion〟の刻印の入った白銀の断頭刃は蒼洸を纏ったRequiemによって磨耗してはいるようだが、損傷は精々刃毀れ程度に留まっている。それに、あの大刀が多少壊れた所で鈍器としても充分な重量がある。
万一半端に破壊し損ねて此方に隙が出来ようものなら次撃の対処は難しいだろう。やはり武器を破壊するよりは、直接的に本体への確実な攻撃を狙っていくしかない。
「くそ、埒があかねぇ。出来るか判んねぇが……やってみるしかねぇか」
今し方思い付いた案で、通るかなど判らない。だが、大剣——得物を使っての反撃の隙が無い以上、攻撃の手法をよりシンプルに、単純化しなければならない。
ほぼ際限無く蒼洸を使えるとは言え、此方の体力は有限だ。
ゼクティスは一旦Requiemを元の右手に持ち変えると、忽ち剣を包んでいた蒼の光が消える。
「おい、ヴィルヘルム! 何をしている!」
「うるせぇ! 援護しっかり頼むぞ!」
ゼクティスは感触を確かめる様に、空けた左手を握ったり開いたりをしながらカルミラに余裕無く指図する。
唯一と言っても過言では無い蒼洸を何故解くのか、カルミラには意図が掴めない。
苛立ちを露に「やはり馬鹿の考える事は解らん……!」と言いつつカルミラは丁度|空《から》になった銃弾のリロードを即時に済ませ、最良の発砲の瞬間に備える。
そして、No.0が大刀を振り抜く為に後方へ腕を引いた瞬間、狙い済ませて引き金を引いた。
連結したバレルより撃ち出される連弾はカルミラの狙い通りの箇所、狙い通りのタイミングでNo.0に着弾。ほんの一瞬ではあるが、その衝撃に身を硬直させる事に成功する。
僅かに生まれたコンマ以下の隙にゼクティスは剣を振るうでも無く、空の左手をNo.0の懐へと突っ込ませた。そして、掌を陶器の様に冷えた身体に押し付ける。
「人形なら人形らしく、少しは大人しくしやがれ!」
怒声と共に、ゼクティスの左手から強烈な蒼の光が弾けた。
普段はRequiemを媒介として制御し、発動させている蒼洸を彼自身の身体から直接発動させたのだ。ゴムが焼ける様ないやな臭いが、鼻腔を舐める。
「あッ、づ……!」
ゼクティスは思わず苦悶の呻き声をあげ、即座に左手を引くと、庇う様に後方へ飛び退った。
表情を歪めつつも顔を上げ、改めてNo.0を見遣る。人形もまた、今の衝撃を受けて大きく後方へ弾かれていた。
糸に吊り上げられる様に上半身を起こす。
ゼクティスの左手が触れていた箇所——No.0の右肩は大きく抉れ、腕は手に至るまで縦方向に半分裂けていた。
半分の太さになった腕をさ迷わせ、尚も大刀を持ち直して立ち上がろうとする。だが、流石に得物の重量に耐え切れなくなったそれは肘から千切れ、大刀はがらんと乾いた金属音と共に床へ落ちた。No.0はただ、腕の残骸と共に石床へと落ちる大刀を無感情に目で追っていた。
しかし、たかが片腕が欠けた程度。些かも問題では無いとでも言う風に左手で拾い上げ構え直す。
思わずゼクティスは舌打ちを漏らし、軋む程に歯噛みした。
「っクソが! 威力が足んなかったか……」
額に脂汗が滲む。
Requiemを介さず発動させた蒼洸により、ゼクティス自身も左手に火傷に似た傷から血を滲ませ、爪も数枚割れていた。剣を握れないほどの傷ではないが、今まで通り大剣を操るのは難しいだろう。耐性を持ち、直に蒼洸結晶を抱えた身であってもRequiemと言う安全制御無しで発動した反動には逃れられない様だ。
しかし端からそんな事は覚悟の上。ゼクティスとしてはほぼ捨て身の攻撃のつもりであった。だが、それに対する戦果にしては不充分であったのだ。
「何を考えているのかと思えば、蒼洸の直撃ちとは無謀な……単純な貴様らしい。だが、有効手ではある様だな」
「正直かなりキツいが……あと一発くらいなら、何とかやれそうだ」
あの少女も、既に腕一本奪われたのだ。己の腕一本くらい迷わず潰して見せろと、臆する心根を叱咤する。カルミラの声に首だけ振り返り、頷いて見せた。
「ならば」とカルミラが応え掛けた時、鋭い声が割り入って来た。
「──いいえ、無駄です! もう止めなさい!」
その声はリオのものであった。
堅固な魔物の装甲故か。No.0の大刀の直撃を受けて尚、未だ辛うじて生きてたらしい。リオは何処か虚ろな、乾いた嗤いを洩らしながら顔を上げ、残っている片腕を支えに半身を僅かに起こす。
「……ご覧の通り、人柱の交換も済み……地獄門の鍵は完全に開き……結果、No.0も……無事、解放出来ました。貴方の持って来てくれた月詠の……お陰でね」
彼女は、自身が望んだ事は全て叶ったと嘯く。しかしゼクティスにはどうしても解せなかった。
「あんなの、中身空っぽの理性も何も無ぇただの化物じゃねぇか! あんなもん引っ張り出して、自分はやられて血塗れのその様で! あんたは本当にこれで満足だってのか⁉︎」
瀕死であるにも関わらず「満足だとも‼︎」とリオは狂気すら孕んだ声でゼクティスへ高らかに応えて見せた。
「人は……成す術無く、魔物と言うわけの判らないものによって悉くに屠られ、世は綺麗に浄化される。……世界は無に還され、生まれ変わるのです。
仮に境界の新しい人柱の接続が完全に確立し、稼働出来たとして、所詮出来損ないの半端な部品ごときにどれ程魔物の流れが抑え込めるものか!」
リオは、飽く程永い時を生きておきながら今更貪欲に何かを得たいなどと望みを抱いている訳では無かった。
人であれ、物であれ何かを手に入れれば早かれ遅かれ必ず亡くす喪失を味わうだろう。 喪失による絶望は心を削り、疲弊させる。疲弊した心では健気に希望も期待も抱けはしない。
もし、自分の命数が人並みであったなら、未だその心を削り取る摩擦にも耐えられたのかも知れない。
それでも尚、今更何かを求めようとするならば、死に向かう為の充足感。憎悪を抱いてきた全てのものに対する報いを以て得られるであろう、ほんの一瞬、儚く空虚な満足だ。
ただそれだけが、永い時の中を生き、疲弊し切った彼女の心が唯一求めた対価である。
「No.0を止められたとしても……もうどうにもならない……。無駄です。全てが無駄。全てが……無意味」
リオはここまで幾度と無くゼクティスに言い聞かせて来た様に、諦めろとぎこちなく首を横に振る。そして今一度懸命に顔を上げ、ゼクティスを正眼に捉え、見据えた。
「だから……貴方が身を削る必要は、もう無い。貴方が無為に傷付かなければならない謂れは……何処にも、無い」
「先生……?」
リオの体力などとうに尽き果てているはず。それでも彼女は膝を震わせ、黒い血を鎧の隙間から止めどなく滴らせながら立ち上がる。
「本当に……どうしてそんな風に、頑張り屋になってしまったんですかね……。全く、私の知らない内に」
立ち上がりはしたものの、姿勢が保てず覚束ない脚がふらふら一歩二歩とたたらを踏む。
「……矛盾して聞こえるでしょうが……貴方を巻き込む気は端から無かった。私が脅せばあっさり引くと思っていたんですがね……。親の心子知らずとは……よく言ったもの……とんだ、計算違いですよ」
ほとんど独り言の様な消え入りそうな声で、リオは自嘲の嗤いに肩を揺らしていた。
そこでようやく、わざわざ立ち上がっていたリオの意図に気付いた時にはもう遅かった。先程まで足場の縁ぎりぎりだったが、今やその足元に支えとなる床はもう残されていなかったのだ。
「おい!」とゼクティスが叫んだ所で止まるはずも無く。ぐらりと空を仰ぐ様に大きく傾いだリオの身体は重力に捉えられ、引かれていった。
「先に地獄で、貴方の結末を見ていてあげましょう。ゼクティス」
——————
…… Luminous Mind Restart.It has no problem with all system.
It is residently resident as “Light player” as automatic defense function.To link with the defense system of the boundary, I will do.
──────
リオが身を投げた場から首を回してようやく視線を戻す。
怒りとも哀しみとも形容し難く、ない交ぜに掻き乱された精神を歯噛みして抑え込む。
あれだけNo.0に対して忠を尽くした彼女の最後を目の当たりにしても、やはり心無い人形は只々虚ろな眼を宿したままであった。
(あんたにとって〝これ〟は一体何だった……いや〝誰〟だったんだ。そして……)
滲む様に沸き上がる問いも、最早答える相手の居なくなったものだと気付き「くそ」とゼクティスは一層強く歯噛みする。
「おい、人形。……いよいよてめぇの味方をする奴も居なくなっちまったな。お寂しいもんだろ」
No.0のその身に纏っていた真白い衣装も今や襤褸の如く千切れ、焼け焦げ、赤黒く汚れていた。姿を現した時に抱いた様な上位者に似た威光は今や感じる事は出来ない。
喉が裂けんばかりの金切声をあげながら、傷に塗れた身体で断頭刃を引摺りまたも襲い来る。
やはりこの人形を止めるには、破壊しか無いのだろう。
左手は使い物にならなくなってしまった。どうにか右手のみで大剣を支え直す。
今や全身を斑なく襲う痛みを緩和しようと酸素を求めて呼吸はすっかり荒くなっている気力で誤魔化し続けてきた体力も限界近い。これ以上戦いを引き延ばす訳にもいかないとゼクティスの五感全てが警鐘を鳴らしていた。
「これで本当に最期だ、キッチリ逝かせてやる」
白と黒の刃がかち合うその刹那、僅かにNo.0の左眼がゼクティスから逸れた。それが一体何を察したものなのか、と思考に及ぶ前に真正面に在ったNo.0の身体が突然、滑る様に真横に移動した。
瞬間、眼前で閃光と炸裂音が爆ぜた。
「──ッ⁉︎」
後方へ弾かれる様に倒れこんでいたと、気付いたのは肘を床へ打ち付けた時であった。何が起こったのかと視認しようにも、間近で強烈な閃光を眼に食らったせいで視界が利かない。
「何だ、今のは……!」
またもNo.0の魔法か何かあろうかと思ったが、直前の挙動は明らかに他方からの攻撃を避ける為のものであった。
額に引き攣る様な、刃物で切った時に似た痛みを感じ、顔へ手を当てると右半分がぬるつく液体で濡れていた。先程の衝撃を受けた際に何かで切ったのだろうか。拭っても直ぐに溢れ、だらりと顔を伝い落ちた。
視界は戻りきらないが、呑気に倒れ込んでいる訳にもいかず、ゼクティスは咄嗟に身を起こそうとする。だが「未だ伏せていろ!」とカルミラの鋭い声が耳に届き、ぴたりとその場に留まった。
「さっき貴様に刺さりかけたのはレヴィアの洸晰だ!」
「レヴィアの……? おい、どういう事だ!」
「境界と繋げられた事で、恐らくあの愚図めの光使いの力が防衛システムの攻撃手段として利用されている! 俺でも全ては落とし切れん。迂闊に動けば全身串刺しだぞ!」
右目は額から流れる血で塞がれているが、残った左目の視力が少しずつ戻って来る。
境界の中枢が有ると思しき最奥からは、見覚えのある金色の光を放つ刃が機銃掃射の如く注いでいた。確かにそれは、洸晰によって形作られた物だと直ぐに判った。
「この局面で厄介な……!」
とんだ邪魔が入ったとカルミラが忌々しく顔を歪める。今無闇に動くのは、降り注ぐ硝子の雨に自ら身を晒すのと同義。明らかな自殺行為でしか無く、賢明ではない。
だが、渋面を見せるカルミラとは裏腹に、ゼクティスの口元には薄く笑いが浮かんでいた。
「いや……これは……。多分あいつは『今だ』っつってる」
「は、正気か貴様……!」
敢えて立ち上がるゼクティスの視線の先には、洸晰の刃の攻撃を断頭刃で弾くNo.0の姿が在った。絶対的な硬度を持つ洸晰の刃を受ければNo.0の身体とて痛手無しでは済まないのだろう。
此方にとっても、No.0にとってもこれ程厄介な牽制は無い。ゼクティスは、今この瞬間が好機と見るより他無かった。
暫し怪訝な顔でゼクティスを睨み付けていたカルミラであったが、舌打ちを一つ。ショットガンを収めると、背に負っていた銃剣を手に持ち変える。
「……良いだろう。但し、俺が魁だ。下手を打つのは許されんからな、貴様は確実にあれを仕留めろ」
「当たり前だ」
互いに目配せを交わし、先んじてカルミラが駆け出す。続いてゼクティスもNo.0の側面へ回り込む様に向かって行く。No.0は此方の接近に気付くと、降り掛かる洸晰の刃を打ち払うのを止め、盾の代わりに地に突き立てた。
二、三歩進み出て頭を押さえつつ、天を仰ぐと身を震わせながら捩らせる。
(また来やがるか!)
それは先程、雷の魔法を喚んだ時に見せた予備動作と同じものであった。あれはNo.0本体に近いほど密集して落ちる。至近距離で発動させられれば回避する術が無い。
だが、今やこの身は射ち出された矢の様なもの。特攻一択の決意が揺らぐことは無かった。
「このまま突っ込む!」とカルミラは真正面からNo.0と相対する。数秒後には銃剣の刺突が入る位置まで迫った時、人形の喉から耳を劈く奇声が発せられた。
光が閃き、稲妻の轟音が吼える。
ゼクティスはNo.0との間に落ちた雷の幕に阻まれ、一瞬足止めを食らったが直ぐに立て直す。
「クソッ! 鬱陶しい……‼︎」
次撃が来るかとゼクティスは予想したが、初撃に続く雷が襲い来る事は無かった。
No.0を見遣ると、その首元からは銃剣のブレードの切っ先が突き出し、身体は硬直している様に見えた。カルミラが上手く懐まで迫り、喉を潰してくれたのか。
「流石は少佐様、良い仕事しやがる……!」
「……ヴィル、ヘルム! 早く止めを指せ‼︎」
此方からはNo.0の陰になって姿が見えないが、カルミラからの血を吐く様な怒声が届く。
今や自らの血で真っ赤に染まり切ったRequiemの柄を渾身の力で握り、上段からNo.0の背に深く突き立てた。剣を通して手に伝わってきたのはごりごりと、まるで脆く劣化したコンクリートを割くかの様な硬い感触であった。
「コレで、終いだ! 塵も遺さず砕けちまえ‼︎」
言葉通り、これが最後であると裂帛の気力で以て蒼洸を疾らせた。Requiemは蒼い光を迸らせ、突き刺さった部分から噎せ返るほど酷く焼け焦げた匂いを発しながらNo.0の身体を破壊してゆく。
これで打ち止めと、剣から発せられた蒼い光は直ぐに消える。だが、注ぎ込まれた蒼の残滓は侵食する様にNo.0の全身をじわじわと這い伝う。最早この状態から蒼洸の破砕作用を逃れる術は無い。それはゼクティスの目から見ても明らかであった。
今際の際の足掻きか、No.0の首がぐるりと一八〇度反転し此方を向いた。後を追う様に身体も此方を向き、剣の柄がゼクティスの手から離れた。
此方を見据えるNo.0の顔からは下半分を覆っていたマスクも剥がれ、眼に灯っていた赤色も、今や弱々しいものであった。首からは刺さったままの銃剣がぶら下がり、身体にはRequiemの刃が飛び出している。
だが、やはり人形の身体からは血の一滴も流れ出てはいない。傷口からは代わりとばかりに黒色の粘液がどろどろと滴っていた。
「あ……か、は……ぁ」
此方へと一歩足を進めると、がくんと急激に人形の身長が縮んだ。否、Requiemが刺さった箇所からいよいよ瓦礫の様に崩れ始めたのだ。
No.0はもう一歩足を踏み出し、残っている左手を懸命に伸ばしてゼクティスの首を掴んだ。その拍子に身体がまた崩れ、Requiemが身体から抜け落ちる。首を掴む力も殆んど残っていないらしく、圧迫感は無い。No.0はゼクティスに凭れ掛かって、辛うじて崩れかけの身体を支えている状態である。
「……い、お……」
「……あ?」
今まで獣の様な呻きや唸りしか発していなかったNo.0の口が、初めて言葉を紡ぐ様に動いていた。酷くノイズが混じった声だ。
「せせ……か、いを……ぼ、ぼくは……がガ……、僕が……。僕はコこで……、永久に……永遠に、世界を救い続けル。僕が、世界を、終わらせハシナい……」
だがやはり眼は何処をも、如何なるも捉えてはいない。譫言の様なものだった。
恐らくこれは未だ人としての人格の有ったNo.0が持っていたであろう、遥か過去に抱いていた思い。
虚実無く発せられた言葉であろうが、それは確かに意志の伴ったものであった。
滅びや喪失、未来の消失に抗う人の本質はいつの時代も共通し、不変のものである。
「……あんたのやり方で救われ続けるには、時代が……世界が変わり過ぎたんだよ」
上位者と親《ちか》いとされたNo.0とて千年先の、まして自らの意志が闇に喰い潰され負の遺物として疎まれる哀れな未来など視えはしていなかったろう。
善悪の概念無く、ただ有りのままに世界が移ろうた結果に過ぎない。
やがてNo.0の眼からは完全に穢れの赤色が喪われ、支えにしていたゼクティスの身体から滑り落ちる様に石床へがらがらと崩れる。
一二〇〇と余年、この世界に捕らわれ続けた身体はようやく最期を迎え、崩壊したのだ。
戦闘が収まった為か、いつの間にか洸晰の攻撃も止んでいた。
「ようやく、止まったか……」
「あぁ、大往生にもほどがあんだろ……ったく」
カルミラの言葉に頷きながらRequiemを拾い上げ、床に投げ出されたNo.0の遺骸を見遣る。その時、ゼクティスの首を掴んでいた左手がべったりと真新しい血で汚れているのに気付いた。
人形であるNo.0に出血は無い。ならばと慌てて自分の首を手で触れてみるが、血は付いていたものの傷らしきものも痛みも無かった。では、これは誰の。
そこに至ってようやくカルミラの姿を振り返った。
「おいカルミラ、ソレ……!」
途端、足元から全身が急速に冷えてゆくのを感じた。ただでさえ余力の無い身体へ加重が掛り、まるで鉛の血液でも流しされているかの様な感覚だった。
カルミラは如何にもばつの悪そうな様子で、汗の滲んだ顔を背ける。
「カルミラ!」
落ちる様に床に膝をついたカルミラは片腕で腹を強く押さえていた。押さえた腹には大きな赤黒い染みが広がっており、それは軍服の裾にまで及んでいる。例え知識が無くとも、これが致命傷である事は恐らく素人目にも明らかであろう。
幾らこの場で処置を施したとしても、甲斐無く無為に終わる事は容易く予見出来る。
「ぜろを……を、始末出来た対価としては……安いもの、だろう」
「馬鹿かよ……! あんたがッ……‼︎」
ゼクティスは口にしかけた言葉を寸での所で飲み込んだ。結果が変わらずとも口に出して認めてしまうのは耐え難かった。
カルミラは湿った水音混じりの咳を数度繰り返すと、耐えかねた様に障気避けのマスクを外してかなぐり捨てる。からんからん、と乾いた音を立ててマスクは地を跳ねて明後日の方向へ跳んでいく。内部に溜まっていた吐血が、足元に血溜まりを作った。
膝を立て、無理矢理くの字に曲げていた身体を起こし、カルミラは此方の目を見据えて睨み付けた。
「ヴィルヘルム」と名を呼ばれて我に返れば、ゼクティスはただただ棒の様に立ち尽くしていた。
赤い足跡を残しながら、一歩ずつ引き摺る様にカルミラはゼクティスに近付いてゆく。
「なにを……、間抜け面で呆けている。貴様には未だやるべき、事が……残っているだろうが」
擦れ違い様に此方の襟首を掴んで、連れ立たそうと強く引く。瀕死の有り様の彼の何処にそんな力が残されているのかと思えるが、それも一瞬の事でずるりと襟を掴んでいた手が落ちる。
そこでようやく、硬直が解けたかの様にゼクティスは身体を動かした。
沈みかけたカルミラの身体を支えて肩を貸すと、再奥に据えられている境界の中枢機関へと向かうべく歩き始めた。
「……悪ぃが、俺には境界の扱いなんざ判らねぇんだからな。……頼むから、未だくたばるんじゃねぇぞ」
「……は、貴様に借りを作るとは……。今後一生涯の不覚だな」
カルミラなりの冗談のつもりだろうが、センスが無いにもほどがある。「弩下手糞かよ」と声音では嗤ってみたつもりのゼクティスの顔は、蝋で固められた様に強張ったままであった。
境界の中枢機関までは実測距離にすればたかが数十mの移動であったが、今の彼らの体感にしてみれば数十㎞にも感じられた。
祭壇に似た壇上へと続く階段を上りきると、奥まった先に重厚な石扉が現れる。
恐らくリオが先に開いていたのだろう、扉には彫り込まれた窪みの形に沿う様に月詠が嵌められていた。扉は外観とは裏腹に、自動ドアが開く様にあっさりと左右に音もなくスライドして二人を中へと迎え入れた。
内部は外観通り円形の空間になっていた。
先程の中世的な景観とは打って変わって無機質にして機械的であり、あちらこちらに半透明のディスプレイウィンドウが文字列を流しながら忙しなく飛び交っている。現代の技術でも到底再現不能な、さながら電子仮想空間と表現するに相応しい場であった。
上下は果てなく続いており、金属とも石材ともつかない材質の硬質な床が浮島の様に拡がっている。
これが人工物ではなく、かつて全盛であったNo.0自身の力によって創り出された創造物かと思うと、如何にあれが超常的な存在であったかを改めて思い知らされる。
「……よかった……間に、合ったか……」
「……? 何か言ったか?」
弱々しい吐息に紛れたカルミラの言葉は、ごく微かに消え入るほど。訊き返そうとしたものの「いや」と短く打ち消された。
カルミラがゆっくりと力無い腕を持ち上げ、中央の台座の上に据えられた直方体の黒い塊を指差した。高さ三m程の、闇を凝り固めた様な黒い塊は滑らかな表面に時折直線的な紋様を不規則に浮かび上がらせながら静かにそこに座している。
「判り易いことだ……あれが核だろう」と指し示すカルミラの息はか細く、紫の眼も明らかに濁りを深めていた。肩に掛かる重みも段々と増している。それに比例して焦燥が募った。
「って事は……レヴィアは、あの黒いやつの中か? どうすれば良い」
「恐らくな……あの黒箱の、足元まで俺を連れて行け」
カルミラの指示に従い、ゼクティスは彼の身体を床に下ろすと中央の台座に凭れさせて座らせる。そしてゼクティスもカルミラの前に膝をついてしゃがみこむと、言葉を待つ。
肌は蒼白に色を変え口を中途半端に開いた、彼らしからぬ顔だ。恐らく意識を保っているのもやっとなのだろう。
だがカルミラは虚ろに濁った眼でゼクティスを見据えると、確と腰の軍刀の柄を握り、引き抜いた。それを眼前に差し出されるまま、訳も判らずゼクティスが軍刀を受け取ると、一言。
「おれを、殺れ」
「——……は?」
一瞬空耳かとも思ったが、何度反芻しても同じ言葉である。意図が理解出来るはずも無く、逡巡していると「聞こえなかったか、殺せ」と再度言い放たれる。
「放っておいてもどうせ死ぬ者に……。罪悪感も無いだろう」
「ばっ、馬鹿か! そう言う事じゃねぇ! 殺せと言われて訳も解らずハイそうですかなんて二つ返事出来るか‼︎」
激昂するゼクティスにカルミラは「面倒臭い男だな……」と呆れた様に呟いた。
「これを壊すにしても、先ずは接続されているレヴィアを切り離さなければならない。ちから任せに引き剥がしたところで……、ひかりつかいの核である脳が境界の制御ネットワークと同化している。戻ってくるのはNo.0の様な人形……いや、ひとの姿も保てずに洸晰が拡散して消滅するだろう」
要を欠いた中枢を残した境界は崩壊し、黄泉域と現世が切り離せないまま繋がってしまう。
「……それで、どうしてあんたが」
「さいわいここは境界のネットワークの中。おれの意識を同調させた洸晰をウィルスの様にばらまいて、きょうかいとの接続を……解除、させる」
「最期の賭けだ。うまくいくかは、判らんが」とカルミラはまた苦し気に表情を歪ませる。いずれにせよ自我意識を洸晰へ移すには、肉体から自我を完全に断絶させなければならない。
つまりこの最後の作業に於いては、肉体からの精神の剥離が必要となる。詰まる所は肉体的な死が最も単純明快にして手っ取り早い方法。
そして不完全とは言え、カルミラも光使い。例え一時的でもその身体を使って境界を支える事は可能だろう。そこまで聞いて、ゼクティスはようやく気付いた。
「あんた、まさかはなからそのつもりで?」
「……」
カルミラは言い淀んでいるのか、或いは乾いた唇を動かす事さえも最早億劫なのか。だが微かな呼気と共に「おれたちは」と再びゆっくりと口を動かし始めた。
「なんの為に……生まれたと思う? ほんの一時でも世界を支える楔となる使命を果たす為か? ……それとも、己が内に出でたこの意志を人と等しく輝かしきものとして、従い全うする為か?
……解らんのだ。俺にはどちらも正しく思える。だから、兄妹に使命を分けようと、考えた」
カルミラは深く息を吸い込むと口角を上げ、いつもの不遜な態度に相応しい笑みを浮かべた。
「……誉れ高い使命は、この兄にこそ相応しいものだ。……そうだろう?」
「……。やっぱあんた、あいつの兄貴だな」
二択を迫られた時、最後には自らの身を犠牲にする選択を取ると言う性質が共通するとは。光使いとしての根元的なものか、はたまた人間として培ってきた彼らの価値観によるものか。何れにせよ、厄介な所が唯一似るとはとんだ皮肉ではないか、とゼクティスは苦笑する。
だが、それにももうカルミラは応える事は無く、目を開けているのも億劫になっている様だった。
「……納得したなら、もう良いだろう。いい加減……らくに、してくれ」
「──ッ、…………あぁ」
絞り出す様な掠れ声で懇願するカルミラに、ゼクティスも頷くより他無かった。これ以上、無為に苦痛を引き伸ばすのは酷であった。
押し付けられた軍刀を右手に持ち直し、カルミラの肩を掴んで狙いが擦れない様に支える。左胸に当てた刃先から懸命に脈打つ心臓の鼓動が伝わる。これを、今から刺し止めるのだ。
奥歯を噛み締め、必死に震えを堪え、力を込めようとしたその刹那。突然、瀕死の筈のカルミラの腕が跳ね上がった。剣を握るゼクティスの手首を掴み、信じ難いほどの力で自らへ引いた。
然したる業物でもない軍刀でも、人の身体を貫くのは容易かった。
掠れて尾を引く呻き声を上げたカルミラの鼓動は、急速に間隔が遠退いていく。対してゼクティスの鼓動はひどく早鐘を打っていた。
全身からだらんと力が抜け、項垂れたカルミラの口から小さな笑い声が洩れ聞こえた。
「か、カルミラ………」
「……これで、俺も……お前と共犯、だな」
それはまるで、悪戯でも成功した子供の様な笑い声だった。
「貸し序でだ……レヴィアの事を頼む。あれは、……どうしようもない……愚図、だからな……」
「——はっ、はっ……! はぁ……はぁ……」
多分、必死で何かから逃げていたんだと思う。
いつの間にこんな所へ来てしまったのだろうか。周囲を見回して、幾ら目を凝らしたところで道も景色も見えはしない。ただただひたすらに、真っ暗闇の中に取り囲われていた。
急に不安になり、立ち止まって自身の両手を見ようとしたが、色濃い闇はそれすらも見せてはくれなかった。耳を澄ましても、無音。
「ここ……どこ……?」
幼い頃からそうであった。闇が、夜がひどく恐ろしかった。
もしかしたら、そのうちこの暗闇に自分がどろどろと溶けて消えてしまうのではないかそう思うと立っているのも怖くなって、しゃがみこむと膝を抱えて背を丸めた。
こうすれば、自分の心音が確かな存在を示す様に鼓動するのが伝わる。
消え去る事は無かったが、いつも不安や寂しさを感じた時はこうしていれば少しだけ安心出来た。
どれほどそうしていただろうか。
「何をしている」
突然背後から声を掛けられ、びくりと身を竦ませる。
恐る恐る振り返ると、淡い黄色の光を灯した洸灯ランタンを持った十歳前後の少年が佇んでいた。
飾り気の無い白い服を纏った淡青色の髪の少年は、口をへの字に曲げていかにも不機嫌そうに紫色の眼を細めている。
無意識の内にその少年を「お兄ちゃん」と呼んでいた。
「何をしている、と訊いているのだ」
少年は年不相応の口調でもう一度問う。
恐らく探しに来てくれたのだろう。それも、必死で。よく見ると白い服は至るところ埃に塗れ、うっすら灰色に汚れていた。
正直に言えば、きっと怒られる。でも、誤魔化ところで怒られるのはどうせ一緒だ。迷った末、咄嗟に「かくれんぼ」なんて言ってみた。
少年は腕を組んで眉間に皺を寄せていたが、「ふん」と嘲る様に鼻を鳴らした。
「中々の隠れっぷりだったが、甘い。この兄を出し抜くには至らなかったな」
予想に反して怒声を浴びせられる事も無く、自信満々に胸を張る少年に思わずきょとんと眼を丸める。
少年は組んだ腕を解くと「さぁ、帰るぞ」と此方に手を差し出した。
その姿に安堵して、此方もゆっくり手を伸ばしかけたが、直ぐに引っ込めて「やだ」と首を横に振った。
「もどったらきっと先生に怒られる……。そしたら、もっと痛いちょうせいとか、増やされるかも……」
「何を言う」
徐々に涙が滲む声にも少年は動じる事は無く、容赦無く此方の服の首根っこを掴んで無理矢理立ち上がらせた。そして再び向き合うと手を差し出す。
「お前のような愚図一人ではどんなに無礼に無礼を重ねるかわからん。それに、先生へもろくな釈明が出来るとは思えない。俺も謝罪に付き合ってやろう」
「……ほんとう?」
「くどいぞ、この兄に二言は無い」
少年の顔と目の前に差し出された手を暫し見比べていたが、小さな少女はようやくその手をおずおずと握り返した。
「……うん」
ああそう言えば、ずっと忘れていたけれど。
〝お兄ちゃん〟はこの後にこんなことも言っていた。
『俺たちはけして血を分けた兄妹じゃない。だけど、運命と言う血の繋がりにも値するものを分けている』
ごめんなさい。
忘れるな、と言われていたんだけれど。
『だが、お前は思い出しただろう。』
──────
ALERT!:Connection forcibly canceled.
──────
突然視界一杯に真っ赤な文字列が躍る。
瞬間、暗闇の幕が引き裂かれる様に光が全てを満たした。
──────
本当にこれが正しかったのか。これで良かったのか。
しかし他に自分に何が出来るわけでもなく。善悪の判断が付くわけでもなく。
ゼクティスはただ、完全に息絶えたカルミラの遺体の前で膝をついたままぼんやりと、生乾きの血でべたつく掌を見詰めていた。
慌ただしく辺りを飛び交う半透明のディスプレイウィンドウは真っ赤な警告メッセージを貼り付けて喧しくサイレンを鳴らしていたが、そんな物を気に留める事すら無かった。
唐突に、周囲の光源達がちらちらと瞬いたかと思うと一斉に消え失せ、境界内が暗転する。
「……何だ?」
ゼクティスはようやく異変に気付いて咄嗟に立ち上がると辺りを見回す。しかし暗転は一時的なもので、直ぐに光は甦った。
警告のメッセージを貼り付けて飛び回っていたディスプレイウィンドウ達も、すっかり元の挙動に戻っている。
重金属が擦れる音を聞き、境界の核である黒箱を見遣ると縦一閃に一条の光の亀裂が疾っていた。圧縮された空気が漏れ出すのに似た音と共に、亀裂から箱が左右に開かれた。
割れた黒箱の中から弾き出される様に現れたのは、紛うこと無きレヴィアの身体だった。
「レヴィア!」
境界から接続が解かれたとは言え、意識の無いままのレヴィアは受身を取る術も無い。
ゼクティスはばね仕掛けの様に立ち上がると、台座へ駆け寄る。
地に叩き付けられるより先にどうにかゼクティスが腕を伸ばして受け止めたものの、彼も体力を消耗しきっている。落下の勢いによろめいて背中から倒れ込んでしまった。
「っ痛ぇ……。おい大丈夫か! レヴィア!」
レヴィアの身体を支え、打ち付けた腰をさすりながら半身を起こす。その時、触れた肩の異様な冷たさに驚いた。
冷えて強張った少女の身体は、此方にぐったりと背中を凭れたまま身動ぎ一つせず。まして閉じられた瞼は、開かれる気配すらない。
それもそのはず。今のレヴィアの姿はと言えば衣服を血で汚し、右腕は半分足りていない有り様なのだ。まして応えもしない相手に大丈夫か、などと訊く方が野暮か。
「ッ……!」
カルミラの言っていた通りならば、レヴィア特有の自衛能力が働いているはず、なのだろうが。改めて見ても凄惨なレヴィアの状態に、疑念を抱かざるを得ない。
ゼクティスは少女の細い首筋に恐る恐る二本指を押し当てると、冷え切った肌の奥からごく微かに。だが確かに、間延びした薄弱な脈が感じられた。
「よかった」と気付けばそんな声が漏れていた。
これまでの歩みはけして無駄では無かった。ゼクティスは思わずレヴィアを強く腕の中に抱くと、深々と安堵の溜息を吐いて項垂れた。
ほんの少し離れていただけだが、腕の中で微かに香る陽だまりの様な髪の香りは、やけに懐かしく思えた。
「……カルミラ、あんた本当にやりやがったんだな」
ゼクティスはカルミラの遺体を見遣る。
勝手な所感であるが、カルミラの表情は当然だとでも言う様にいつもの高慢めいたものに見えた。
だが、悠長にしても居られない。
口を開けていた核は綺麗に閉じられ、再びのっぺりとした立方体に戻っていた。人柱を奪われて尚、黄泉を繋ぎ続ける黒箱をゼクティスは忌々しく見上げる。
境界が自壊を始める前に中枢機構の核を破壊する。最後の大任が残っているのだ。
「あれをぶっ壊してやれば、もう帰れる。後少しだ……ちょっと、待ってろよ」
ゼクティスは一旦レヴィアを床に横たえ、あちこち悲鳴をあげている身体を立ち上がらせた。
彼自身もけして軽傷である訳でもなく、ほとんど気力で身体を引き摺り回している様なもの。それでも休んでいる暇など秒すら無い。一刻も早く全てを終わらせなくてはならない。
ゼクティスはRequiemを引摺りながら、台座に足を掛けて再び上ると核の前へと立つ。
逸る心を抑える様に深く息を吐いた。
両手で持ち上げたRequiem振り上げ、その切っ先を核の滑らかな光沢を持つ表面へと突き付ける。
「……行くぞ」
意を決し、呟いた。
蒼の光が小さく弾けたかと思うと、瞬間、眼も開けて居られないほどの光が迸る。
全ての存在に等しく破砕をもたらす、蒼の光である。
血を吐く様な叫びが喉の奥から吼え出される。
黒箱の表面に蒼いひびが入り、Requiemの切っ先が僅かに食い込む。流石に硬い。少しずつ、少しずつだがひびは広がってゆく。
ここまで最大の出力を保ったまま、長時間蒼洸を発動させ続けたことなど無い。
左手からは次々に血が吹き出し、瞼の裏に閃光が散る。全身が砕かれる様な痛みに、半ば意識が飛びそうになるのを必死に堪える。
それでも、やらなければならない。
これこそ己が徹すべき意志として。
「──ッ、とっとと壊れろ……!壊れろ、壊れろ、壊れろ、壊れろッ……!
こんなもん、全部壊れて、消えて、無くなっちまえ‼︎」
裂帛の叫びと共に、刃が深々と突き立った。
ひびは蜘蛛の巣の様に放射状に走り、全面に至ったそれは深い亀裂となった。
ゼクティスは突き立った剣を真横に捻ると、斬り払う様にそれを引き抜いた。
蒼の光は、軌跡を残しながら静かに収束して行く。
一二〇〇と余年この世界と暗部を繋げてきた境界の最期はかの人形と同じく、まるで永い時を経て風化したコンクリートがぼろぼろと崩れゆく様な、虚しい終焉であった。
「──、……ぐッ……! くそ……!」
蒼洸を使い過ぎた弊害か。ゼクティスは酷い頭痛と嘔吐感に襲われ、まともに立っても居られずRequiemを地に突き立てる。
柄に額を押し当てて体重を預けると、碌に詰まってもいない胃の中のものを全て吐き出し、荒い呼吸をひたすら繰り返した。
「……ぜ、く……と……?」
儚く消え入る様な、だが確かに聞こえた声にゼクティスはゆっくりと首を回して振り返った。
振り返った視界の先に在ったのは、微かに眼を開けて此方に手を伸ばすレヴィアの姿。苛む頭痛に視界すらも朧気に歪んでいたが、幻覚などではなかった。
「……、……ッ……!」
頭だけ起こした体勢の苦し気な顔で、それでも必死で何かを伝えようと口を開いているが、言葉どころか声にもなっていない。
「これ……ヨリ……排除……に……りま、す」
「レヴィア……? 意識が……、戻った、のか……?」
何を言おうとしているのだろうか。ふらつきながらもゼクティスはレヴィアの元へと踵を返した。その瞬間、見開かれた少女の瞳は、No.0のそれと似た深い赤色に染まっていた。
「だめ、こないで——‼︎」
「……は」
どういうことか、とゼクティスは眼を見開く。
ようやく聞けたその言葉を理解する間も無く、どん、と前から軽く突き飛ばされる様な感触。此方から何かにぶつかるでもなく、触れられてもいないはず。
ゼクティスは自身の身体を見下ろすと、そこから細長い金色の光の刃が生え出していた否、突き刺さっていたと言う方が正しいか。そこからじわじわと生暖かいものが染み広がってゆくのに気付いた頃、ゼクティスは遂に重力に屈する様に膝をついた。
「あ……! あぁ、あ……」
レヴィアは声にならない嗚咽を洩らし、瞼の縁から次々滴が溢れ出す。
「こんな……いや……違う、ちがうッ……!」
ゼクティスの身体には洸晰の刃が刺さったままであるが、一度は崩折れた膝を再度立て直す。無様に這いずる様な格好でどうにかレヴィアの元まで辿り着くと、その前に座り込んだ。
ゼクティス自身に思考する余地など無く、大した意図が有った訳ではない。ただ、こうしてやらなければならないと身体が勝手に動いていた。
「いや……! わたし、わたしは……!」
ゼクティスはおもむろに手を伸ばし、「このくらい、大丈夫だ」と嗚咽にむせぶレヴィアの金髪頭をわしわしと乱雑に撫でた。
聖都で別れる前、迎えに行く約束をする前、そう言い聞かせた時の様に。
「レヴィア……よく、頑張ったな。心配すんな、今は休んでろ」
ゼクティスの声に、レヴィアは俯かせていた顔を僅かに上げる。ほんのいっとき、彼女の瞳を染め上げていた赤色は直ぐに消え失せ、元の紫へ色を戻した。
そして、それと共にレヴィアの瞼は再び閉じられ、意識を暗濁に沈めた様だった。
「くそ、境界に繋げられた時の名残、か……」
虚空を仰いで呟きつつ、ああそうだ。早く此処から退散しなければと、ぼんやり思う。
どうしたものか、とゼクティスの意識とは無関係にその瞼は閉じられてゆく。
自分の身体が地に向かって傾いでゆくのには、もう気付かなかった。
——————
赤銅色の月に侵されたその夜。
聖都が普く悪夢に閉ざされた一夜が明けたのは正午過ぎ、十二時〇五分の事だったと後に記録されている。
その暁は穢れた夜を裂く浄化の一閃、地獄門を打ち壊す暁光であった。
