第五章 もう一人の光使い

アルザラの宿の一室、四人は今後の予定を話し合う為、テーブルを囲んでいた。
雪山へ向かう前、既に一度世話になっていた宿と同じ宿である。しかし前回と違い、レイシェントの存在が一人増えている事に驚いた様子ではあったが、流石に客商売を弁えていると言った所か。深く尋ねる事もせず快く人数相応の部屋を提供してくれた。
宿側の好意であろう。部屋のテーブルには茶葉とティーセット、加えて数種類のジャムが用意されており、レヴィアが嬉々と率先して淹れる用意を始めた。
紅茶にジャムを合わせると言うのは寒冷地帯の地理ならではの習慣であるらしい。ゼクティス達には馴染みの無いものであったが、どうやらレヴィアはこの組合わせがいたく気に入った様であった。備え付けの湯沸し器で湯を沸かし終えると、壁の時計と茶葉の入ったポットを交互に窺いつつ蒸らしの時間などを上機嫌で確認している。
そんなレヴィアを横目に、荷物を粗方整理し終えたゼクティスが「さて」と話を切り出す。

「首尾よく町まで戻って来れたのは良いけど、これからどうするよ」

「そうだな……。今までは運良く軍の目を撒いて来られたが、もう各地に情報は行き渡っているだろう。流石にこれ以上は無闇に逃げ回るのは厳しいだろうし、後ろ盾が欲しいところだ」

言ってはみたものの、そう都合よくお助けヒーローが現れるほど容易い現実があってたまるものか。テーブルに肘を着いて組んだ手に顎を乗せ、エリザベートが溜息を吐く。
だが彼女は今後の事とはまた別の事について思案していた。

「にしても疑問なんだが……そもそも何故軍は〝光使い〟という兵器を作ろうとしたのか。色々と仮説立ててはみるが、やはりよく解らない」

レヴィアは各々の前にソーサーに乗せたカップを並べ、均等になるように紅茶を注いでゆきながら話を聞いている。
エリザベートの言葉の意図が判らず、レヴィアは「どういう事ですか?」と首を傾げた。

「レヴィアの光使いの能力を上手く利用出来れば、戦力になるのは間違いない。最硬の盾と最鋭の剣を思考のみで自在に操作出来るんだ。使いこなせさえすれば、対人間同士の戦いの場合、並の者など相手にもなるまい。
けれど、いくら基礎の理論が確立しているとは言えわざわざ戦時中の実験記録を掘り返して……、効率も悪ければ請け負うリスクが大き過ぎる。制作を主導した現技術総監は私の知る限り、形に拘ってリスクを顧みないなどと言う愚策は犯す人物じゃない」

エリザベートの言葉に、彼女の言わんとする事を感づいたのかレイシェントがふと口を開いた。

「大砲や爆弾などのただの兵器としてではなく、〝光使い〟と言う人の形として創らなくてはならない理由があったのでは、と?」

「私はそう思ってる。公になれば後世まで非人道の謗りを受ける事になるだろう。そうなれば中枢都市たる地位も危ぶまれる。だがそこまでして得なければならない〝リターン〟の中身。やはりそこが肝だ」

「兵器であるなら機械でも良かった、と……。私が人の形をしている理由……ですか」

レヴィアは僅かに目を伏せ、スプーンで掬ったジャムを湯気を立てる紅茶の中でくるくる泳がせ溶かしながら呟く。
あの黒軍服の男ならば全て答えられるのだろうか。だが、これ以上に人ならざる者であるとの答えを突き付けられたとしたら。果たして自分は耐えられるのだろうか。「……何にしろ、これ以上は詮索しても検討が付かねぇな」と話題を打ち切る様にゼクティスはティーカップの一つに手を伸ばして中身を呷る。

「連中が何考えてるかはしらねぇけど、どうせろくな事は考えてねぇんだろ……ん?」

ふと窓に視線を向けると、街の様子に違和感を抱いた。雪山へ向かう前に立ち寄った時は喧騒とは無縁な、閑静な街と言った印象であったはず。
違和感は漠然としたもので、正体を掴むには至らない。何事かあったのかとゼクティスは椅子から立ち上がると窓に近づき、外の様子を覗き見る。

「ゼクト? どうかしましたか?」

「いや……何かやけに外が騒がしくねぇか?」

ゼクティス達が今居る部屋は二階。一望とはいかないが、ある程度町の様子を見渡す事が出来る。催しが始まった、と言った様な陽気な賑やかしさではない。嫌な予感を感じた。
窓越しに眼に写ったのは、逃げ惑う人々とそれに追い縋る黒い影の軍勢であった。

「あれは、まさかッ……!」

「ああ間違いない……魔物、だな」

レイシェントが険しい表情で呟いた。街中には闇を押し固めたかの様な貌《すがた》の魔物で溢れていた。魔物は道を歩く者へ見境無く攻撃を加え、抵抗する間も無く一人二人と倒れてゆく。雪の残る通りはみるみる内に人の血で汚れていった。
この光景に釘付けられている間に、いつしか街には異常事態を報せるサイレンの音が鳴り響いていた。

「おいおい此処だって一応は派生都市の中だろ、此処の防護壁はどうなってんだ……」

「北の最果ての街だからな、もしかすると不具合が出ているのかも知れん」

「やっぱ魔物に苦労してんのは、田舎都市なら何処も一緒か」

人々の平穏を守る生命線である魔物避けの防護壁の不具合など、本来あってはならないトラブルだが主要都市から離れた派生都市ではメンテナンスが充分に行き届いていないのも珍しくはない。
ゼクティスの居たジルバスでも、一部が故障し防護壁の機能が弱まってしまった際には魔物を追い払う為に人員が割かれた。ゼクティスも手が空いていた場合はその対処の手伝いに赴き、小金を稼いだものだ。

「それも一体だけではない、複数群れを成しているようだ。しかも連携して。大量に湧く事はあっても魔物が組織立って街を襲う等、初めて見るが……」

「最近じゃ珍しくも無ぇよ」

好き勝手に街を蹂躙してゆく魔物へ忌々しげな視線を送りはするものの、動こうとはしなかった。状況には憤るが、動くのは賢い選択では無い。

「何だと⁉︎……不味いな、これは未々被害が出るぞ……!」

だが、エリザベートは魔物と聞くや椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。そのまま椅子の背に掛けてあった軍服の上着を羽織り、双銃に手を掛ける。彼女はそのまま真っ直ぐに、大股で部屋の扉へと向かっている。

「ちょっ……!あんた、まさかあれ片付けるとか言わねぇだろうな!」

「何寝呆けた事を言っている……当然だろう! 住人を助け避難させなければ!」

ゼクティスはいよいよ慌てて「待て待て待て!」とエリザベート前に躍り出て肩を掴んで制止する。

「街中に魔物が出たってんなら確実にここらに駐留している軍が動くだろ! 今、変に目立った行動して軍の連中に見付かったらどうすんだ!」

ゼクティスとて、人が目の前で無惨に殺され魔物に食い荒らされる現場を傍観するのは耐え難い。だが此処は聖都軍の駐留地である。自らの立場を省みれば、今出て行くのは無為に危険に危険を重ねるだけの行動であるのは明らかだ。

「現状、その駐留軍が対応出来ていない! この状況で最優先すべきは人々の命だろう!みすみす見逃せと? いいや無理だ断じて出来ない! 私は先に行くからな!」

元軍人とは思えない程に合理性から逸脱した至極真っ当な、眩しい程に真っ当な意見である。
有無を言わさぬ口調でゼクティスの制止を振り払い、エリザベートは踵を返すと部屋を出ていってしまった。

「あーあ……ったくホント鉄砲玉だな……人の話なんざ聞きゃしねぇ! コレだから嫌なんだよ……」

頭を掻きつつ「仕方無ぇな」とゼクティスはレイシェントと視線を交わすと、互いに心得たと頷き合った。

「俺らも行くぞ、っと……。レヴィア、お前は此処に居ろよ」

この場に留まる様に言われたレヴィアは少しばかり不満そうな顔を浮かべていたが、ゼクティスの考えを察し渋々「はい」と頷いた。

「解りました。私、ここでちゃんと待ってますから。でも……無茶して怪我なんて、しないでくださいね」

戦力として有用とは言え、レヴィアの武器である光使いの力をこの様な人目に付く場所で使うのは宜しくない。今回自分に出来る事は無い、と彼女なりに理解しているのだろう。ぎこちなく微笑んで、只此方の身を案じる言葉だけを寄越した。
ゼクティスはレヴィアの金髪頭に手を置いて軽く撫でると直ぐに踵を返した。

「んな心配しなくても、たかが小物の群れを片付けるだけだ。少しばかし数を減らしたらとっととと戻って来るから、大人しくしてろよ」

「……はい!」

念の為、一応最後に一言少女に釘を刺してからゼクティスも適当に自前の長衣を羽織り、大剣を携えると急ぎ部屋を出た。

レイシェントはいつの間にか先に宿を出ていたらしい。入口でゼクティスと合流し、共にエリザベートを追った。

響く連弾の銃声、硝煙の匂いに心地好さを覚える。
銃声が鳴る回数と同じだけ魔物の頭からは血が吹き出し、空薬莢が地に跳ねた。撃ち出した弾丸を数える事も無く身体で覚えた感覚により、マガジンが空になった事を察するとリロードする。
エリザベートは既に町の外へと続く大通りで魔物との交戦に入っていた。そこに少し遅れてゼクティスとレイシェントが合流し、三人で掃討に取り掛かった。
魔物は四足歩行の形態を取っていた。例えて言うなれば狼のような姿をしていたが、通常の狼よりも一回り以上は大きいだろう。
動きも素早く、厄介な敵に違いは無かったが所詮三下の魔物、そう手こずる事は無かった。それよりも厄介なのは未だ退避も侭ならず右往左往と逃げ惑っている住人たちだった。
突然の事態に誰もが混乱しているとは言え、余りにも対処が鈍過ぎる。
もしや、街の中には魔物など侵入しない等という腑抜けた考えからの防衛体制の軟弱さなのだろうか、だとすれば平和呆けにも程がある。
少しばかり数を減らして後は街の対応に任せて退けば良いと考えていたが、この様子では暫く敵うまい。 ゼクティスは苛立ちながらも飛び掛かって来る魔物の頭蓋を真っ二つに叩き割る。
駆け回る魔物の耳障りな唸り声に混じってまた人間の悲鳴が耳に入る。声の方向に従って見回すと、逃げ惑った末に追い込まれたのだろうか。母子らしき二人組が数体の魔物に囲まれ、既に食らい付かれている。

「まじか……クソッ!」

泣き叫ぶ声を目標にその方向へ一直線に駆けた。集る黒い塊を蹴散らし小間切れより尚悉く、肉片と血溜まりに成り果てるまで切り刻む。
完全に息の根が止まった魔物の死骸を退かすと、集っていた魔物の中心には血塗れの母子の姿が在った。母親が庇っている子供の方は未だ五つにもならない幼子であろうか。
血に塗れているが殆どはゼクティスが刻んだ魔物の血だ。見たところどちらにも致命傷は無さそうではあるが、声を掛けた。

「おい、未だ生きてるな? 歩けるか」

「子供が……子供が魔物に噛まれて……血が、血が止まらないの……! 助けてっ……助けて……!」

母親は気が動転しているのか、顔面は蒼白。見開かれた目の焦点が虚ろである。
不味いな、とゼクティスは舌打ちを漏らすとしゃがみこんで目線を合わせた。

「落ち着け! 見てくれは出血が多いだろうが傷は浅い。死ぬ様な大した傷じゃねぇ。が、魔物からの傷は治りが悪いから余分に体力を奪われる。とっとと逃げて治療してやらねぇと……そのガキ、マジで手遅れになるぞ」

「そ、そんな……。いや……どうしたら!」

「グズグズしてたら手遅れになるっつってんだ! 早く行け‼︎」

「あ……は…っはひ、……はいぃ……っ!」

ゼクティスの恫喝で漸く我に返ったのか、母親は首が取れんばかりに何度も頷いた。腕を掴んで無理矢理立たせると、自身も怪我をしている事すら忘れたかの様に全速で何処かへと走り去っていった。
その背を見送りつつゼクティスは溜め息を吐き出す。恐らく、魔物すら初見だったのだろう、都市内の生活しか知らない一般人ならば充分考え得る。
都市の中だけで生活が出来る環境がほぼ整っている現代では寧ろ魔物の恐怖を知る者の方が少ないのだ。
あの恐慌振りも、当然の反応であると言えよう。
ゼクティスは気を取り直す様に再び剣を携え直すと、再び集まって来た魔物へ斬り掛かった。
——ひたすらに、無心に戦っている間にも疑問が浮かんだ。

手近な魔物は粗方片付けたのだろう。「首尾はどうだ」とエリザベートが路地から姿を現し、ゼクティスが相手にしていた魔物を片手間に一体撃ち抜く。実体の濃い魔物ならば透過される事もなく、着弾の衝撃で魔物は頭を吹き飛ばされた。

「——妙だと思わないか?」

ゼクティスは一旦剣を血振りすると、再び眼前に構え直す。

「あ? 何がだ?」

妙と言うべき項なら既に頭の中で乱立している。『何が』と言うより『どれが』と言うべきだったか。

「いくら〝都市〟の中では無いとはいえ人間の居住区域に魔物が入り込むとは……。強力な力を持った魔物ならば、居住域まで侵攻するのも頷ける。だが精々こいつらは三下、多少湧いて出たところで人間にこうして殲滅されるのがオチだ。だから雑魚ばかり深く侵入して来ないはずなんだがな」

魔物として格上の力を持つ個体がごく稀に、人間の領域深くまで侵攻して来る事例は過去に存在するが、非常にイレギュラーな事態と言える。エリザベートは三年前に聖都で発生した侵攻を例に挙げた。
前例はあるものの、頻発している訳でもない。記憶を浚っても、ゼクティスには今回の様な侵攻は経験した事が無かった。

「まぁな……。実際、街に入り込んだ魔物を見んのは初めてだ……っと!」

思考の不意を突かれ、横から飛び掛かかろうとした魔物の腹を蹴り飛ばす。ゼクティスは冷汗をかきつつ、容赦無く真っ二つに頭部を斬り潰して止めを射してやる。
地に飛び散る赤黒い血液と、黄味を帯びた脳漿にゼクティスは不快に顔をしかめる。
辺りをぐるりと見渡し気配を探るが、耳に届くのは冷たい雪混じりの風の音ばかり。どうやら周囲の魔物は残らず倒してしまったらしい。

「やれやれ、やっと終わったか……」

「此方も片付いた」

声の方へ振り向くと、血の付いた大鎌を担いだレイシェントが歩み寄って来ていた。彼は大鎌を血振りし、軽く掲げるとそれは何処へともなく黒い霧となって風に巻かれ霧散する。
——恐らく研究施設跡の幽霊の噂の正体は魔物ではなく、この男だったのだろう。
憚るでもなく披露された手品めいた芸当に、ゼクティスは「便利そうだな、ソレ」と言っておいた。
レイシェントの得物は持ち歩くには大物であり、何より目立ち過ぎる。同じく大きな得物を四六時中背に負っているゼクティスにとっては羨ましいものだ。

「ん? ……ああ、嵩張る長物だからな。これ一本なら人外の力で空間の裏へ畳んでおける」

空間の多層分離化、それは〝何処からともなく現れる〟魔物が共通して備える空間操作能力である。
存外この男、自身の魔物の能力を忌み嫌うばかりではなく、それなりに共生出来ているらしい。事も無げに説明すると、レイシェントは「それにしても」直ぐに話題を切り替えた。

「暫く外に出ない間にこの様な騒ぎが起こるとは……。魔物の活発化が異常な様だな」

「ああ、お察しの通り。戦闘要員を確保しておいて正解だった」

エリザベートは肩を竦め『いやぁ助かった』などとわざとらしくレイシェントに愛想の良い笑みを寄越した。赤毛の男が返したのは沈黙のみだったが。

「にしても、結局俺等が全部片付けちまったじゃねぇか……。駐留軍が居たんじゃなかったのかよ」

「訊いたところによると、此処は聖都からの派遣駐留軍が守備を管轄しているんだが、数日前に駐留軍の遠征訓練があったらしくてな。それで大多数は街を離れていたと。私達にとっては好都合だったと言う訳だ」

「何の為の軍だよ」

「お陰で見つからずに済んだんだ。言ってやるな」

本来の職務を全う出来ないどころか謀反人に奪われるとは何と不甲斐ない。元同僚としては複雑な気分だった。

「狙い済ましたタイミングで現れたのも気になるがよ…まぁいい、取り敢えず騒ぎになる前に戻ろうぜ。あいつも待ってるだろうし」

ゼクティスが宿に戻ろうと、二人を促し、宿の方向を顧みる。だが此方に近付いてくる集団の姿に気付くとゼクティスは思わず呻き声を洩らした。

「……げ」

恐らくあの集団こそがが先程話したアルザラの町に配属されている聖都の駐留軍であろうか。濃紺の軍服を着た者達がこちらに向かって来ていた。あの者達に此方の面が割れてないことを祈るが。

「……おい、どうするよ」

「上手くやり過ごせないかな」

「……私達が魔物を始末した以上、良くも悪くも目立ってしまっている。
此処で逃げても不自然だ、難しいだろう」

彼らは街の状況を確認するでもなく、はなから此方が最優先目標であるかの様に真っ直ぐにゼクティス達へ向かって近付いて来た。人数はおおよそ三十名と言ったところか。ざっと見た限り、若年の兵士達を中心に構成されている様だ。
兵士達は通りを塞ぐ様に隊列を拡げて歩みを止めると、その中から部隊長と思しき軍服を纏った青年が前へ歩み出る。

「魔物が出たと報告があった為、急ぎ戻ったら既に片付けられてしまっているとはな……貴様らは?」

淡青色の髪に紫色の瞳。若く活力に満ちた顔立ちは整っているものの、左頬には不似合いな傷が大きく刻まれている。年齢はまだ二十代前半か、二十代に差し掛かったばかりといったところ。だが、容姿にそぐわず此方を見据える眼差しは、一切の隙を許すまいとするかの様に剣呑であった。
若くとも隊を率いるに値する人物である事は容易に推し量れた。

「ああ……えーと…何だ、傭兵だ。傭兵、旅の。偶々この騒ぎに出会したもんで」

ゼクティスは咄嗟に思いついた適当な嘘を吐く。しかし、それは余りにも無意味だった。

「ほう、それは御苦労だったな。協力を感謝する、とでも言っておこうか。〝ゼクティス・ヴィルヘルム〟殿。それに、裏切り者のエンデュランス少将」

ゼクティスは密かに舌打ちを漏らす。どうやら最初から気付かれていたらしいが、エリザベートの軍服を見られた時点で虚偽も無意味だったかと遅まきながらに思う。

「忌々しい外道の分際でも、使い様によっては魔物も役に立ってくれるものだ」

「外道はどっちだ……まんまと炙り出されたって訳かよ」

あの魔物の侵攻は自然発生のものではなく、彼らの策によりけしかけられたものだったのか。此方が対処するであろうと見越してなのだろうが、一般人にも被害が及んでいる事を思えば憤りを覚える。

「いやぁ、お気付きでしたか〝イングレンス少佐〟。流石、小賢しい策を労せられる。聖都軍人の恥との謗りも厭わないか」

「は。軍を裏切り、積み上げ守るべき秩序を自ら乱した者の台詞とは思えんな」

割って入ったエリザベートも同意か、芝居がかった口調で揶揄する。だが、少佐と呼ばれた男は然して堪えた様子もなく涼やかな顔を張り付けている。

「知り合いか?」

「ふん、有名人だからな。齢二十一にして一気に今の地位を手に入れた現在一番の有望株さ。
長銃だけに留まらず多岐に渡る銃の使い手として、新勢力になるであろう銃撃部隊の育成を一任されている比類無き精鋭……そうだろう? 〝カルミラ・イングレンス〟少佐。尤も、小佐の肩書きは部隊を率いる為だけの物としての意味合いが強いらしいがな?」

「民衆に媚び売るプロパガンダとして擁立されただけの貴女ほどでは無い、エンデュランス〝元〟少将」

エリザベートは嫌味をたっぷりと含ませた語調でカルミラが得ている評価を述べるが、対するカルミラも唇を歪め、喉を鳴らして笑いを漏らす。相応の皮肉を返して来たかと思うと、一瞬にして表情を険しい物に改めた。

「そこまで俺の立場を理解して貰っているならば話は早い。こちらの用件は貴様らから速やかに光使いを回収し、そして脱走を幇助した貴様らを豚箱に放り込む事だ。俺の志を示す礎となれる事、泣いて喜ぶが良い」

しかし、エリザベートは飽くまで強気な態度を崩さずに余裕の笑みさえ浮かべている。

「立派な顕示欲は評価に値するがな、少佐。——断る、と言ったら私達はどうなるかな?」

「そうだな、極めて、〝極めて重大な〟公務執行妨害だ。悪いが……命の保障は出来かねる」

カルミラの言葉を合図に周囲の兵士達が半数ほど散開し、残りの者は此方を包囲する様に一斉に隊列を形成する。一人一人が予断無く銃を構え、数多の銃口が獲物を逃すまいと鈍い光を弾いて此方を睨み付けている。仮にこの場を逃れられたとしても、散った兵士達が逃亡を阻害して来るのだろう。

「何れにせよ、光使いに関わった時点で貴様らの殺処分は確定。死期が早まるだけに過ぎん。……禁忌の存在たる光使いがもたらす不幸を呪うが良い」

ゼクティスは思わず乾いた笑みを漏らす。

「あんなこと言ってるぜ。どうするよ……コレ」

「決まってる、全員のしてでも逃げるんだ」

「あー……面ッ白くねぇ冗談」

やはりこうなるか。抵抗もせずに大人しく銃殺されるなど冗談では無いが、抵抗するに値する程の勝機も無い。ゼクティスは大剣を構えつつ、溜息混じりにぼやいた。

「先の勧告を聞いて尚抵抗とは、賢明ではない選択をするものだな。まぁ良い、街には戒厳令を敷いた。巻き込むことも有るまい。演習としても丁度良い機会だ」

その言葉通り、いつの間にか街には戒厳令を指示する放送とサイレンが響いている。
カルミラは愚かしい判断だと蔑んだ眼で此方を見遣り、数名の兵士達に「光使いを探せ、威嚇射撃までは許可する」と別行動を指示した。

「おい待て、小佐! 威嚇射撃だと…? レヴィアに傷一つ付けようものなら……!」

「元聖都軍人らしからぬ発言だな、エンデュランス殿? 我等が貴き公務を妨害する以上、覚悟の上ではないのか。かつての英雄がたかが小娘一人にこうも狂うなど……堕ちたものだ。益々、救えん」

そして腕を掲げると残った兵士達にも号令の合図を下す。

「我々が光使いを見付けるまでの間は相手をしてやろう。抵抗するならば存分に足掻くと宜しい、此方も容赦はしない。……では、戦闘開始だ」

アルザラを覆う灰色の寒空に、銃声が鳴り響いた。
 

三人は、各々でアルザラの町中を舞台に兵士達を相手取っていた。固まっていて混戦になっては『どうぞ撃って下さい』と親切な的として穴だらけにされるのみ。取り囲まれた状況であったが、エリザベートが抜かり無く持っていた催涙閃光弾のお陰で一瞬の隙を突くことが出来た。
大人数対少人数の戦い故に町の細い路地や障害物を利用し、常に動き回りつつ殆ど不意打ちの様に一人一人打ち倒すより他無かった。だが、訓練を重ねた兵士が容易く隙を作る訳も無い。
エリザベートが「まるで命懸けの鬼ごっこだな」と漏らしたのも無理は無いだろう。そもそも無謀な手合いで有ることに変わり無かったが。
思わしくない状況に辟易しつつも、エリザベートは一兵卒の自動小銃等とは比にならない精度と連写速度を持つ銃の腕を遺憾無く発揮し、退き時を窺っていた。
しかし、エリザベートは兎も角レイシェントが得物の都合上、予想外の苦戦を強いられていた。大鎌はリーチこそ長いが長銃の射程に敵う筈もなく、また完全に気付かれずに不意を突くのは困難を窮める。かと言って体術のみで相手取れる人数でも無い。
一先ず民家の屋根の陰で身を潜め、作戦を練る為に暫しの時間を稼ぐ。
レイシェントはちらちらと粉雪を降らす薄曇りの灰色の空を仰いでは渋面を浮かべた。

(せめてもう少し暗くなれば……)

彼自身の影を操る能力は光の下、闇の足らない状況では使えないという短所がある。
現在時刻はおおよそ十四時を過ぎた頃か。
いくら雪雲に空が覆われているとはいえ、繰れる程の濃い闇を生み出す事は出来ず拾い上げる事も出来ない。
形勢を逆転させるにも、影を行使できる程の暗所が必要である。此処は人々の密集する都市内、比例して建造物もまた密集している。故に全く無いことも無いのだが。
問題は暗がる袋小路へ出来るだけ多くの敵兵を上手く誘い込めるか否か。
レイシェントは額を押さえ、逡巡するが他に妙案は思い付かなかった。

「骨が折れそうだが……仕方ない」

已む無しと独り呟きつつ大鎌を空間の裏側へと仕舞う。屋根の端を蹴ると、わざと敵兵が集まっている場所を狙って一息に地上へ降り立ち、大いに身を晒す。
突如として現れた男に一瞬怯んだのも束の間、兵士達が小銃を彼に向け照準を合わせると、一斉に射撃を開始する。

「……此方だ」

雪崩を打って襲う銃撃に身を晒しながらも、澄ました顔でレイシェントは直ぐ様踵を返す。さぁ捕まえてみろとばかりに路地の一つにするりと入り込んだ。人一人が通れる程度の細い道を駆け抜ける。
背後より兵士が檄を飛ばしつつ追って来るのを、足音と銃声で確認する。
高い建物に挟まれたこの路地ならば、多少なりとも影を繰って行使する事が出来よう。だが、完全に姿を眩ませて兵士から逃れてしまってはわざわざ自身を囮として誘い込んだ意味が無い。
飽くまで相手に勝機があると認識させておかなければならない為、致命的な軌道をなぞる弾は避け、身体の表層を霞める程度の弾は敢えて受ける。焼ける様な痛みが皮膚をなぶるが無視。殺せる可能性を餌として与えておけば、兵士の気を削ぐ事は無いだろう。
やがて四方を背の高い建物に囲まれた、少しばかり広い空間の行き止まりに辿り着いた。殆ど陽の差し込まない場所なのだろう。湿度を好む苔が一面に生しており、黴臭い。

「此処ならば、十分か」

予め上から確認はしておいたものの、辿り着くまでに五〇〇mは疾走したのだ。久方振りの全速力に息を弾ませながらレイシェントは呟く。
そして、彼に追い付いた兵士達は間合いを取りつつ徐々に取り囲んでゆく。思いの外釣れてくれた様で、たった一人を捕らえるにしてはいやに多い手勢が集まっていた。
その中でも指揮を預かったと見られる副隊長らしき男が、嘲るように口元を歪ませる。
相手は既に身体のあちこちに血を滲ませた手負いの姿、この袋小路。追い詰めたも同然の構図である。

「自ら檻に飛び込むとは愚かな男だ。今楽にしてやる。——撃て!」

温情の欠片も無く下される号令。レイシェントに向けられた幾多の銃口が火を噴く。耳をつんざく銃声の音。

「光使い以外の生死は問わないと、隊長の命だ。戦果無くしては隊長の恥、確実に仕留めて始末しろ!」

逃げ場の無い閉所で無慈悲に、執拗なまでに銃弾の嵐が一身に注がれる。鼓膜を破らん限りの銃の轟声が炸裂し続けた。
だが、いつまで撃ち続けようとも銃弾が獲物を穿つ事は無かった。
取り囲んでいたはずの男の姿は幻であったかの様にいつの間にか何処へともなく消えていた。そして兵士達が放った銃弾は地面を抉り、又は材質不明の黒い槍によって悉く宙に縫い付けられていた。

「檻に飛び込んだのは、そちらだったな」

急激に濃さを増して行く周囲の闇の中から聞こえる低い男の声。兵士達の間に動揺が広がる。
そして、優劣覆された状況を理解する間も無く、彼らの周囲は不気味に纏わり付く闇に包まれた。

「……呆れる程に勉強不足だ。もう一度、兵法を基礎からやり直すべきだな。まぁ、化物相手に兵法も無い、か」

「……クソッ! 何がどうなって……無線も通じんだと——!」

副隊長が苛立たしげに喚くも、闇に潰された視界が彼らの晴れる事は無かった。

「足止めが限界か……。急いで町を出た方が良さそうだ」

レイシェントは段幕に変えていたその身を元に戻し、眉を寄せる。徐に銃弾によって裂けて血が滲んだ衣服の隙間を見遣る。痛みの余韻は後を引いていたが、その身に受けた傷は痕も残さず既に消えていた。

(人外の回復力は相も変わらず、か)

この回復力は己の強みではあるが、闇に身を窶した者の証でもある。この身の頑丈さには辟易させられている筈だが、助けになっている事実に心境は複雑なものだ。
兵士達を影の空間に捕らえる事には成功したものの、これもいつまでもつか判らない。大方一時間保てば良い方だろうか。

「全く……、煩わしいものだ」

レイシェントは再びゼクティス達と合流すべく、踵を返して駆け出した。

 

一方のゼクティスは、カルミラと対峙する形にあった。
大剣を振るうゼクティスに対し、カルミラは銃身に刀が着いた長銃、所謂〝剣銃〟を得物に易々とゼクティスの大剣を躱している。
彼らの周囲には恐らくゼクティスにやられたのだろう、はたまたエリザベートの銃でやられたか。負傷した者や気絶した兵士達が無様に転がっている。
だがこの男は違う。小隊を率いて現れただけあり、並みの兵士とは明らかに一線を画す立ち回りを演じていた。カルミラは大剣の攻撃を往なしながら口元に薄く笑みを浮かべた。

「は、やはり〝漆黒の便利屋〟の名は伊達ではない様だな! そうでなくては面白く無い!」

「誰が付けやがったンなダセェ呼び名! てめぇを殴り飛ばした後で殴りに行ってやる‼︎」

ゼクティスは苛立ちを露にしながらも、確実に喉元を狙って突き出される刃を首の動きだけで躱す。
ゼクティスは突き出された剣銃の銃身を左手に掴み、カルミラの動きを阻むとその脇腹に向かって剣を薙ぐ。しかし、確実に当たると思われた刃は何か固い物に食い止められた。

「な……‼︎」

ゼクティスは思わず、驚愕に目を見開いた。
彼の剣を阻んでいたの、は掌よりも一回り大きいサイズの〝金色に輝く光の盾〟。
それはまるでレヴィアが洸晰によって作り出す盾の様な。

「金の光…洸晰、だと……⁉︎ てめぇもまさか…〝光使い〟か……?」

「ふん、易々我らの機密を知るなど忌々しい。ああそうだ。但し、出来損ないの……なッ‼︎」
カルミラはゼクティスの腹に思い切り蹴りを入れ、彼がよろけた隙に剣銃を持ち直し、一気にゼクティスの懐まで入り込むと、わざとと急所ではなく彼の右肩へ深々と刃を突き刺した。そしてそのまま躊躇い無く剣銃の刃を九十度回して傷口を抉ると、赤く濡れた刃を引き抜いた。
灰色の石畳に鮮血が散る。
「どうだ美味いか、俺の剣の味は」

「……ッ! やりやがったな……っ‼︎」

ゼクティスは大剣を水平に薙ぎ払い、カルミラとの間合いを取る。
傷を庇う様子も無くカルミラを睨みつけ、再び剣を振り上げたゼクティスにカルミラは感心したように呟いた。

「ほぅ……噂は本当のようだな」

「あ?」

意味が判らずゼクティスは怪訝に眉を潜める。

「聞いているぞ。貴様には痛みが欠如しているそうではないか。それ故どんな敵でも悪鬼の様に微塵の躊躇い無く殺す事が出来ると。その傷で直ぐに動ける者など、常人ならば有り得ない」
すると、ゼクティスは「そりゃまた酷ぇ噂だな」と嘲るように鼻で笑う。

「随分な言い様だが……たかが便利屋風情の人間の事なんざよく知ってんな。ああそうさ。でもな、身体はまるっきり普通の人間のソレと変わり無ぇ。悪いがさっさと終わらせてくれねぇか? ……あんたをのして、訊きたい事も出来たしな」

彼の右肩に開いた穴からは今も生暖かい血液が体外へ流れ出て、既に腕を伝い地に雫が跳ねている。目で確認しなければ怪我の程度が如何程かなど判らないが、この出血量である。放置すれば最悪肩から先が壊死しかねない。
更に早急な状況の終了を求められている。

「その態度、いつまで保つやら。出来るものなら精々やってみるといい。……おっと」

不意にカルミラが左耳に手を寄せる。今まで意識していなかったが、彼の左耳には小型の通信機が装着されていた。
カルミラは頷き「よくやった」と短い言葉を相手に返すとゼクティスに視線を戻した。

「気の毒だが、幕を引いたのは俺達の様だ」

「何だと? ……ッまさか!」

その言葉が何を意味するかを察せないほど愚鈍でも無く、血の気が引く。ゼクティスは慌てて宿の方向を振り返った。
思わずゼクティスは空いた左手で顔を覆っていた。
案の定、と言うべきか。そこには兵士に左右から銃口を向けられ連行されて来たレヴィアの姿があった。エリザベートもレイシェントも間に合わなかったとは。いや、悉く阻まれたのか。
少女はゼクティスの姿を認めると、たちまち泣きそうな顔に表情を歪ませた。

(何かあったら一人でも逃げるように言っときゃ良かったか……)

今更ながら己自身の危険予測の甘さが悔やまれた。
——こうなったら蒼洸を使ってでも——、

「……レヴィア……」

(——何?)

大剣を左手に持ち替えようとしたところで、ゼクティスは微かに聞こえた声に振り返る。
そこでカルミラと目が合った。一瞬、心なしかぼんやりとした様子だったが、直ぐに眉根を寄せ表情を改める。
図らずも発動を躊躇ったせいで、両脇から銃口を突き付ける隙を与えてしまった。仮に発動出来たとしても、剣を振るう手を潰されては意味が無い。

「最初に言ったが俺達聖都軍に刃を向けた以上、公務執行妨害に当たる。この場で銃殺刑に処してやりたい所だが……貴様は出来るだけ生け取りにしろと命ぜられている。無駄な抵抗はしない事だな」

銃で脅してその状況に持ち込んだのはどちらだ、とゼクティスは舌打ちすると共にカルミラを睨みつけた。カルミラはそんなゼクティスを尻目に、兵士達に撤退の指示を出し始めた。

(しかし何だ? さっきのは……)

彼に対する多少の違和感を感じつつも、これからの事を考え、絶望的な気分に苛まれずには居られなかった。
これが、一ヶ月振りの聖都への望まぬ帰還となってしまった。

——————

アルザラでの戦闘から早数週間。
ゼクティスとレヴィアは聖都軍基地の留置場に一時的に収容される事となった。当然ながら部屋は分けられ別々である。
連行された先の軍基地にエリザベートとレイシェント、二人の姿は無かった。彼等は恐らく、合流は危険と判断し一足早く町を離れた様で、幸いにして捕縛は免れていたらしい。
その判断は正しい。
寧ろ幼馴染みの情からレヴィアに入れ込んでいるエリザベートが独断専行し暴走しないかどうかの方が気掛かりだったのだが、流石にそこまで盲目的では無かった様だ。だが彼等が敵の手から逃れたとて、この警備の厳重な施設からの脱出の手引きなど内部からの助力が得られない限りは到底望むべくもない。

「どうしたもんか…」

呟けど、頭を抱える事しか出来ない現状のみが伴だった。

 

「また、戻って来ちゃいました……」

前回入った研究棟の部屋とは別室ではあるが、構造も設備の配置もほぼ同じ。レヴィアは見覚えの有る白基調の殺風景な部屋を落ち着き無く見回し、落胆すると消え入りそうな声で呟いた。
アルザラの宿に立ち入られた時の事を思い出す。
光使いの力が有ろうと、所詮は子供。威嚇射撃をされた上で銃口で牽制されてしまえば竦み上がる。まして相手は訓練を積んだ軍人である。例え此方がどれだけの有効手を持っていようと戦闘に於いては雲泥の差があるのだ。
抵抗する事も侭ならず身柄を押さえられてしまったのだ。
仮に身体が動いていたとして、人を傷付けるとなればやはり躊躇ってしまっていただろう。
今回も自分の失態でゼクティスに迷惑を被らせ、しかも怪我まで負わせてしまった。
洸晰を操れさえすれば扱いも慣れた為、自分一人でもこの部屋の壁を破ることは出来るだろうが、あちらも二の轍を踏む筈もなく。この両手首には腕輪の様な装置が取り付けられている。これは洸晰の流れをその場に留める働きをするものであり、対魔物に有用という事で武器等によく用いられる技術である。
洸晰の動きを留めると言う事は其即ち、洸晰の流動を操る光使いの力を抑えられるということ。
早い話が光使いの無力化である。
いよいよ本当の意味での役立たずになってしまった。余りの惨めさに容赦無く心が打ちのめされ、潰されてゆく。

「ゼクト……大丈夫、かなぁ……っ」

漏らした呟きと共に眼に溜まった涙が一滴、不意に溢れ落ちる。
しまった、此処で泣いては卑怯にも程がある。慌ててレヴィアは袖口で眼を押さえて引っ込め引っ込めと強く念じる。
例え無力で何も出来はしなくても、気丈でいなければならないのだ。でなければ尚の事あの青年に顔向けが出来なくなる。
心の中で、自分は大丈夫だと暗示の様に強く言い聞かせた。

数時間は経ったろうか。
やがて微かに錠金具の落ちる音がしたかと思うと、静かな部屋に軽いノックの音が響いた。来客だろうか。
ひりつく眼を動かして視線を上げる。返事はせず、警戒心を露にじっとドアを見据えた。
ドアを開いて現れたのは既視感の有る顔。前回此処に来たときにも会ったあの黒軍服の壮年の男——ユーリックだ。
広くもない寝台の隅で膝を抱えて丸くなったままのレヴィアの姿を認めると、確かにと言った風に頷いた。

「おでこの怪我は治った様だね。まぁ、一ヶ月以上も経っているなら当然か」

ユーリックはレヴィアの居る寝台から距離を取って壁に立て掛けられていたパイプ椅子を開いて置くと、ソファにでも身体を預けるかの様にゆったりと腰掛ける。

「久し振り……いや、お帰りと言うべきか? レヴィア君。外の世界はどうだったかね。若さ故のやんちゃは大いに結構、だが家出ばかりされては困って仕舞うよ。……まぁ、あれだ。御機嫌如何かな。御嬢さん」

穏やかに語り掛けて来るも、心を開く気には微塵もなれない。レヴィアはふいっと眼を背ける。
「……良いわけ、無いです」

「……うむ、それは正論。ごもっともだ」

ユーリックは大真面目に頷く。逆に、本当に解っているのかと疑いたくなる程の仰々しさである。

「……、どうして……」

「ん?」

「どうして私を……〝光使い〟を……創ったんですか。それに、人工物ならどうして、心なんて残したんですか……。貴方が創ったんですよね。……私を」

前回会った時には何も言及は無かったが、輸送される道中に光使いの開発を推し進め主導したのはこの男と聞いた。
ならばこの問いに答えられない筈がない。
ユーリックは僅かの動揺も無くまるで他人事の様な口振りで「ああ、如何にも。ボクが創った」と大きく頷いた。
レヴィアの中で苛立ちが膨れ上がり、頭の中で糸が切れた様な音を聞いた。

「……っ道具なら、道具らしく創れば良かったのに! どうして〝私〟なんですか! どうして人間そっくりになんて創ったんですか! どんなに似せたとしても、近付いたとしても……人間モドキなのに……。本物の人間になんて…、っ……なれやしないのに‼︎」

光使いと言う、通常人より線引きをされた存在であるレヴィアが今まで表には出さず抱えてきた劣等感。その起源であるユーリックを前にして、感情をぶつけずには居られなかった。
だが、ユーリックは静かに天井を仰ぎ「心など必要無い、か。随分と卑屈な事を言う」とまるで他人事の様に呟く。

「……それは愚問、実に愚問だよレヴィア君。君が君と言う個の人間として今此処に居るのは〝君が必要だったから〟。その問いに答えるにはこの結論で充分完結すると思うがね」

責める様な、憎しみさえ込めた視線を一身に受けながらも、ユーリックはやはり平然と答える。

「それは……!聞きました、けどっ……」

「君が納得出来ようと出来まいと、それは露程の問題ですらない。どの様な過程を辿ろうと運命は全て必然の元に収束されるものだよ。必然無くして歯車は回らない。
——おっと、……残念ながら講義をするには少々時間が足らない様だ」

ふと思い出した様に懐から取り出した時計を確認すると、ユーリックは椅子を畳んで立ち上がり、ドアへと向かう。

「数日の後になるが、君に会って貰いたい人物が居てね。既に会っているかも知れないが……」

「会って貰いたい……? それは……」

「まぁ兎に角、済まないがもうしばらく待っていてくれたまえ。今日ボクはそれだけ伝えに来たに過ぎないのだよ」

「ま、待って……待ってください! 未だ訊きたい事が……!」

「悪いが、ボクは君が抱く疑問の解へ御丁寧に導いてあげられる時間など持ち合わせてはいない」

そのままドアの向こうへ姿を消そうとする男を慌てて呼び止めるが、ユーリックは半身で振り返ると首を横に振った。

「安心したまえよ。今、君が立っているのは既に台本の用意された舞台の真ん中、もう逃げる事など出来はしない。望もうと望まざろうとも、直ぐにその疑問の答えは君の元へ導かれよう」

一方的にそれだけ言い置くと、ドアは再び重たい錠の音と共に閉じられてしまった。

「…………」

明言を避けているのか何なのか。結局あの男からは曖昧な言葉しか残されなかった。
それに〝会って貰いたい人物〟と言うのは一体何者なのか。既知の者ならば勿体ぶらずに名前を出す筈。
もう他に軍関係者の知り合いなど居ない。いや、未だ幼かった記憶の中に閉じ込めているものがあるのだろうか。
本当に、自分は一体何の為の存在なのだろうか。
確たる存在意義を得られれば、明言されれば、この人か物かも判然としない曖昧な自己を確立する事が出来るのだろうか。
例えそれが、如何なものであったとしても。
頭を掻き乱す疑問と悩みは、ただただ募る一方である。

 

「あれ……総監? もう宜しいのですか?」

「ん? 何がかね? 用はもう済んだが」

思いのほか早い戻りに、部屋の外に控えていた部下──アイザック・ハルタミアが持参していた書類から顔を上げ、呆気に取られた様子でユーリックに確認する。
彼はユーリックとは違い、如何にも技術開発部の人間らしく分厚い眼鏡を掛け、白衣を纏った判りやすい出で立ちである。
灰碧色の髪に鳶色の眼。初見ではぼんやりと冴えない印象を与えるが、これでも己の次席を務める技術大佐。ユーリックが確と信頼を以てその技術と能力を認める人物である。
このユーリックは光使い──レヴィアを創った張本人、つまりは生みの親の様なものもう少し込み入った話になるのではと彼は予想していたのだが。

「あぁ、いや……いつもなら書面や口頭の報告で済まされるものを、わざわざ総監自ら確認に赴かれるのは珍しいなーと思ってたもので」

しゃがんで壁に背を預けていたハルタミアは裾を払い、書類をファイルに仕舞いつつ立ち上がる。
あぁ、とユーリックは得心した様に相槌を打った。

「あんな様だが、一応は今後の世界の中核と成りうる存在であり、ボクの使命を懸けた傑作だ。流石に自分の目で確認しない訳にはいかんだろう。創ったものへの責任だよ」

「そうなんです? 久し振りに此方へ戻って来たことだし……私はてっきり直接お話しされたいのかと」

「まさか、ボクに情でも湧いたのかと思ったかね?」

「えと……あはは、うん。それは確かに考え辛いですねぇ。まぁ、万に一つの可能性として有り得るかなと思っただけです」

違うのか、と言いたげな顔を浮かべたが、直ぐに愛想笑いを作って上司に迎合し取り繕った。
昔から馴染みの有る部下である。お互いに取り扱い方法は心得ている。

「人間らしく見えるだろうが、あれは飽くまで人間によく似た作り物だ。あれとボクは飽くまで被験体と科学者。それ以上に語る事など無いよ」

「左様ですか。それは失礼しました」

ユーリックは皮肉った笑いを漏らす。これで話は終わりと、一方的にこの話題を打ち切ると部下を置いて先に背を向けて歩き出していた。

(人工物とは思えん感受性……、厄介なものだ……)

額を押さえ、やれやれと小さく吐き出した彼の溜め息に気付く者は無かった。

自身の執務室へ向かって廊下を進みつつ、「ああそうだ」と後ろについてきていたハルタミアを肩越しに振り返る。
「どうしました?」とハルタミアが首を傾げながら応えるのを確認すると、ユーリックは再び進行方向へと視線を戻す。

「あれと一緒に連行されて来た黒服の青年が居たろう。あの青年に関して、少々興味深い事が判ったよ。出来れば此方側に引き入れたいところ……寧ろ、此方側の方に居るべき者だ」

「黒服の……あー、確かに居ましたねぇ」と顎に手を添え、考える素振りをしながら青年の記憶を掘り返している様だ。

「彼の処遇については恐らく殺処分になるだろうって話を聞いてたような……。光使いに関わったばっかりに可哀想だなぁなんて思ってましたけど、彼についても調査するべき事があったんです?」

ユーリックが興味を抱く程の要因を探し出すには至らなかったが、これまでの付き合いからこの上司が何を考えているのかは概ね勘付いた。

「あぁでもその感じ。総監、また何か良からぬ事を考えておられるんでしょう? 怖いなぁ」

「失敬な。ハル君、ボクを何だと……確かに、悪巧みがボクの仕事だがね。冗談はさておき、後でその旨をカルミラに伝えておいてくれたまえ。ボクからも処分を待つ様、話を通しておくと」

茶化しながらも苦笑するハルタミアを軽く嗜め、ユーリックは頼んだと彼に向かって片手を挙げる。

「ええ? ちょっと、そのくらいご自分で伝えれば良いでしょうに……、ええ判りましたよ」

ハルタミアは仕方無しに携帯端末を懐から取り出す。
やや呆れ混じりな彼の様子には気に留めず、ユーリックはそのまま執務室への途を歩いて行った。

一方のゼクティスはこの数日、脱出の策を講じれないかと考えてはいたが当然ながら彼の大剣や上着まで、仕込んでおいた装備も一式奪われてしまっている。今のところ有効性のある手立てを思い付いてはいなかった。
レヴィアを此処から連れ出した時には内部事情に詳しいエリザベートの手引きで上手く出し抜けたが、そもそも聖都のセキュリティは伊達では無い。そう何度も上手く行く筈も無い。
もう何度目か。ゼクティスは留置場の殺風景な部屋をぐるりと見回し、やはり何度目か判らない溜息をついた。
袖の無い上服の肩口からは、清潔そうな白い包帯が覗いている。先の戦いでカルミラの銃剣にやられたものだ。傷は思っていたより深く、肩を完全に貫通していた。
腱を斬られなかったのは幸いであるが、数週間経った今でも生々しい傷痕が残っている。不本意ながら、安静を強いられていたお陰で順調な回復をみせてはいるが。
痛覚が無い、というのは戦う上では確かに痛みと言う枷に捕らわれず便利ではあるものの、人一倍に意識しなければ怪我に気付かず治療が遅れてしまう事もざらにある。
あと少し無理をしていれば、片腕が使い物にならなくなっていただろうと処置を施した軍医からは告げられていた。であれば、蒼洸を使い損なったのは正解だったのか。
この様で正解も何もあったものでは無いが。
そして、手には脱走防止の為のセンサーの入った腕輪がはめられている。無理矢理外そうとしたりすれば途端に通報される仕組みにでもなっているのだろう。

「クソッ……、あいつらいつまでこんなとこに入れとくつもりだ……」

捕縛された時、生け取りを命じられていたとの言葉も気になっている。田舎都市の便利屋など、生かして留めておく価値があるとは思えないが。
忌々しく一人ごちた時、不意に部屋のドアが重苦しい鍵が落ちる音と共に開かれた。

「——あ?」

顔を上げると、そこには淡青色の髪の青年が数人の兵士を引き連れて立っていた。
自分達を此処に入れた張本人の登場。元より雷雲を抱えたかの様な表情のゼクティスであったが、元凶の登場に雷が弾けかける。しかし、真っ先にこれは確認しなければと一片の理性で口を開いた。

「……あいつ、レヴィアはどうした」

「貴重な実験体だからな、丁重に〝保管〟している」

物として扱うのが当然の様な、一切淀みの無いカルミラの返答にゼクティスは一層の侮蔑と嫌悪を深める。

「じゃあ何だ、少佐殿自らわざわざ負け犬の顔拝みに来たってか? 悪趣味なこった。ああ何だ。それとも、俺らを出してくれる気にでもなったか?」

だが安い挑発に乗るような男でも無く、当のカルミラはゼクティスに冷ややかな視線を向けると、「目を開けたまま寝言が言えるとは、便利屋とは随分と器用らしい」などと踵を返し背を向けた。
カルミラは背中越しに言葉を投げる。

「……別室で話がある。さっさと来い」

「はぁ?なんだそりゃ。どうせ拷問したって効きゃしねぇんだ。此処で話せば良いだろ」
「無駄口を叩くな、黙って従え。それともまた俺に刺されたいのか? ふん、だが貴様の様な愚鈍な脳と思考の持ち主に俺が手を下すなど……あぁ……考える事すら虫酸が走るな」

「……二度とその口開け無ぇ様にして貰いてぇか。素手でもその細い顎を砕くくらい訳ねぇぞ」

頭に血が上り、ゼクティスはゆらりと立ち上がるが、回りに控えた数人の兵士達によって呆気なく阻まれた。苛立たしく舌打ちし、兵士を横目で睨むとゼクティスは彼等の手を荒く振り解いた。

「……で? 俺と何の話がしたいって? クソ悪趣味な小佐殿とまともに会話出来るとは思えねぇがよ」

当然だろうが、無頼極まるゼクティスの態度が気に入らないのだろう。カルミラは不快を露わに眉をひそめる。
それでもアルザラで相対した時は未だ嫌味を返して来ていたものだが。カルミラは無言のままゼクティスに完全に背を向けると何事か呟きながら、固い床に軍靴を響かせ歩いてゆく。

「……全く度し難い……何を考えておられるのか……。こんな賊同然の輩を……」

「おい、何をぶつぶつ言ってやがる」

ゼクティスは両脇を兵士に固められながらカルミラの後ろをついて歩いていた。
「煩い、耳障りだ。少しも黙っていられないのか? やはり蛮愚に言葉は通じないと見える」
元来からの性質もあるのだろうが、今は特に虫の居所が悪いのだろう。カルミラはゼクティスの言葉に耳を貸す様子など微塵も無く、前を見据えて歩いている。
想像したくも無いが、大方この男と解り合う事などこの先一生掛かっても不可能だろうと確信していた。

窓の一つもない廊下を十分ほど歩かされたろうか。然して気にしていなかったが、自分の歩いている廊下に陽が差し込んでいる事に漸く気付いた頃。
「着いたぞ。中で大人しく待っていろ」と淡白に告げられ、有無を言わさず扉の中にゼクティス一人だけが押し込まれる。
直ぐに固く閉ざされてしまった扉を振り返ると、天然の木目がその格調を思わせるものであった。聴取室や面会部屋、と言った趣きではない。
扉に向かって怒鳴るのも無様なもの。仕方無く、言われるがまま大人しく部屋で待つより他ないか。
どうやらそこは軍会議室の様だった。先も言った通り『話』とは尋問を想定していたのだが、当てが外れて怪訝に眉をひそめる。
五十人収容しても尚余裕があるだろうか、広い部屋の中央には円卓が置かれており、左右対称十二人分の椅子が置かれている。
壁には何かの資料──主に何処ぞの施設見取図や聖都周辺の地形図等が所狭しと貼られている。
だが、そんな物より真っ先に目に入ったのは、最早見慣れた金髪の少女——レヴィアだった。
少女にはサイズの大きい椅子の上で俯いて小さく身を縮こまらせていた。この距離から表情などは窺えないが、見違う筈も無い。
カルミラの口振りとも相まり、検体として人並みの扱いを受けて居ないのではと危惧していたのだが。変わり無く再びその姿を見ることが出来た事に、ゼクティスは少なからず安堵していた。

「レヴィア!」

ゼクティスは無意識の内に少女の名を呼んでいた。
レヴィアはその声で漸く彼の存在に気付いたのか、弾かれる様に俯かせていた顔を上げた。

「あっ……ぜ、ゼクト……⁉︎」

何処か呆けた様子の少女の隣へ、ゼクティスが早足に歩み寄る。
数日振りに見た彼女の顔には、よく眠れていなかったのだろう。眼の下に隈を作り、濃い疲労の色が見て取れた。

「っと……その、大丈夫か?」

自分でも意識しない内についそんな言葉が、口を突いて出ていた。動揺し切ったレヴィアの紫瞳は見開かれた瞼の中に忙しなく揺れる。

「あ、はい……。ゼクト……その、わたし………私のせいで……ごめんなさ……っ」

レヴィアは言葉にしようと懸命に口を動かすも、その紫色の瞳にじわりと涙が滲みだす。完全に喉に閊えてしまったのか、その眼を伏せ再び俯いてしまった。少女の華奢な肩が小刻みに震えていた。
ゼクティスは居心地悪く纏まりの悪い黒髪に手を突っ込み、荒っぽく掻き乱す。

「あー判った判った。要らねぇ気を遣うんじゃねぇよ。らしくも無ぇ」

「でもっ……でも私のせいでゼクトは、怪我までして……!」

瞳を滲ませたまま此方を見上げ、レヴィアは首を横に振る。
恐らくこの少女の性格からして、自分を巻き込んでしまった、などと思っているのだろうか。自分の事には無頓着な割りに、こう言う事に関してレヴィアはやけに気にする傾向がある。
やれやれと嘆息。ゼクティスはレヴィアの頭に手を置くとやや粗く、くしゃくしゃと少女の長い金の髪を乱した。

「馬鹿かお前、何を勘違いしてんだ。これは俺のヘマ。お前が謝ってんじゃ無ぇよ。筋違いだ」

「でも……っう、でも………えっ……」

「『でも』じゃねぇ。だから、お前は泣かなくて良い」

「……うん……」

レヴィアは頭に手を置かれ俯いたままこくりと頷くと、服の袖で顔を拭っている様だった。
再び扉が開かれた音にゼクティスは首だけ回し、遅れて入室してきたカルミラを振り返った。

「───で? 話ってのは何だ? こんな風にわざわざ別部屋まで移動して……」

するとカルミラは付き添いの兵士に部屋を出て行くよう指示し、ゼクティス達とは円卓を挟んで反対側の位置に立つ。
そして、一つ間を置くと淀みの無い口調で話し始める。

「貴様にも理解出来るよう単刀直入に言ってやろう。貴様ら……この場合、特にゼクティス・ヴィルヘルムだが……貴様を助命し聖都軍に降らせてやろうという方向に話が進んでいる」

「え……?」

レヴィアから思わず呆け声が洩れ、怖々ゼクティスを見遣る。
ゼクティスは彼の言葉の意図が解らず、眉根を寄せる。青眼は殺気すら立ち込め、カルミラを睨《ね》め付ける。

「……随分と馬鹿げた事言ってくれんな……。散々俺達を殺す気満々で追い回してたってのによ。今度は掌返してコッチ降れたぁ随分と調子が良いじゃねぇか。てめぇ等……本物の馬鹿だろ」

「貴様に馬鹿呼ばわりされるとはこれ以上無い屈辱だが……まぁ良い。その卑賤で蒙昧な脳では困惑するのももっともか」

ゼクティスの怒気を孕んだ暴言もカルミラは呆気なく流すと、続けた。

「解り易く言ってやろう。要は我々聖都軍は手駒として貴様を欲している。是非は貴様次第だが……まぁ、選択の余地などあるまい。生殺与奪の権限はこちらが握っている。生かして貰うだけ有り難いと思うことだ」

「……っ、その前に説明する事が山ほどあるだろ! 何でてめぇら軍は光使いを必要としてる。大体、訳が判らねぇ。
わざわざ〝光使い〟なんてまどろっこしい兵器を作り出したのか、何故仲間にしたって何の利益も無い俺を誘うのか。あーカルミラつったか? てめぇが何で洸晰を扱えるのか。
そして——」

ゼクティスは一旦言葉を切り、自分を落ち着かせるように深呼吸する。

「てめぇ等軍は一体こいつで〝何を〟するつもりだ?」

元より剣呑であったこの場の空気が、一層に張り詰める。
——目の前にいるこの男は、自分と同じく洸晰を操れる。
ゼクティスの口から明かされた情報にレヴィアの驚きは余りあった。ただ、何も言えずに目を見開くのみだった。
それでもと、辛うじて言葉を紡ぎ成した。

「ぜ、ゼクト……今、何て。このひとも……?」

「言った通りだ。コイツはお前と同じ様に洸晰を操って俺と戦って見せた」

青い瞳で鋭く睨み据えるゼクティスの視線を、カルミラは眉一つ動かさず受け止めている。
やがてカルミラは口角を持ち上げ、堪え切れずに喉の奥から笑い声を漏らす。

「おい、聞いて——」

「ただの雇われ便利屋と聞いていたからな頭の足らない凡愚かと思っていたのだが……。どうやら過小評価し過ぎていたか。具体的な疑問を持てる程度の知能はある様だ。
まぁ、良い。我々に協力してもらうとなれば知っていて貰わなければならない事ばかりだ。至極面倒極まりないが……話してやろう」

カルミラはそう言い置いて、淡々と語り始めた。
「ここ数年、魔物の活動が目に見えて活発化しているのは知っていると思うが、先のアルザラの件を例にとってみても、だ。年々も行動範囲が広がっている上、狂暴化している。此処聖都も例外では無く、三年前魔物によって甚大な被害を被っている」

魔物は非生物ながら何処からともなく現れては人間等を無差別に襲う無秩序、無制御、無統制の破壊概念。
発生源は判明しておらず、出現地点も時期も煩雑化している。その為、現状の対策としては現れてはその都度倒していくしかない。

「しかし、最近になってだが……魔物が現れる際、僅かに空間の捩れが発生することが判った。——と言っても、此方からは干渉も出来ない程の綻びに過ぎん」

だが〝干渉〟は出来ずとも〝観測〟することには成功した。

「……貴様は、この世界に於ける〝創世神話〟を知っているか?」

全く予想外のタイミングで水を向けられ、ゼクティスは思わず『は?』と気の抜けた声を上げる。何故、神話の話などを差し込むのか。

「まさか、知らんとは言うまい?」

訝しげに眉を潜めるゼクティスに、カルミラは揶揄を含めてた語調で首を傾げる。

「いちいち癇に障らなきゃ気が済まねぇのか……! 神話って言ってもそんなもん、ガキの時分によく聞かされるおとぎ話だ。そのくらい知ってる。
——昔は人と神が天地を分けて暮らしてて、ある日突然神同士が戦争を始めたんだろ。……なんか、黄泉の神が操られたかなんかで」

ゼクティスは拙いながらも、創世神話の概要をざっくりとかい摘まんで語る。
古来より語り継がれて来た神を取り上げた伝記の様なものであり、おとぎ話として古くから親しまれて来た物語。
説明が苦手な彼にとっては、その様に周知の内容をわざわざ話すのも煩わしい。

「……で、その戦争で人の方にも悪影響が出たってんで神は二つの領域……人側と神側か……ソレを一つにして自分らはどっかに引っ込んだって話だろ?」

「……ふん、概ねその通りだ。黄泉から〝闇なる意志〟とやらが漏れ出したのが元凶らしいがな」

辿々しいながらも間違いなく概略を浚えた事が不満だったか、カルミラは真偽も不確かな内容に無理矢理注釈を加える。
解せない、という風にゼクティスが「何で今そんな話を」と言及しかけたところで、言葉が途切れた。

「いや待て、黄泉? 漏れ出す、何が、何の? 〝境〟から……。————ッ!」

虚ろ気に言葉を零したその時、ゼクティスの左手の甲に一瞬電気を流されたかの様な痛みが走った。
〝それ〟はゼクティスの脳裏へ唐突に去来する。
擦り切れのレコードの如く幾度と無く視た夢、或いは白昼夢。
既視感さえ憶える〝情報〟がフラッシュバックの如く焼き付けられていた。

(この感じ……。〝また〟——)

頭を抱えて項垂れたゼクティスは、隣のレヴィアでさえも聞き取れない程小さく、判然としない声で呟き続けていた。

「——……おい。おい、どうした」

「——あ? あぁ……」

カルミラの呼び掛けで幾らか自我を取り戻す。怪訝な視線をその身に受ける中、自分でもよく判らないままゆっくりと口を開いていた。

「……まさかと、思うが……〝境界〟が崩壊し始めてる……? ……それでアッチとコッチの均衡が崩れて……それで魔物の出現が頻繁になってるってことか?」

「——! 貴様、何故それを……!」

カルミラはゼクティスの呟いた〝境界〟の言葉に反応し、驚きを露わにする。
直感的にしまった、と思ったが辛うじて面に出す事は抑えた。背に汗が滲むも、ゼクティスは奥歯を噛み締め、堅く無表情を貫いた。
まさか今の言葉が何の根拠も無い〝思い付き〟で口を滑らせたものだなどと、誰が信じるものか。

「貴様如きが〝境界〟を知っているだと……? 仕入れた経路など碌な物では無いだろうが、何処で得た情報だ?」

だが、カルミラの問いにゼクティスは口を噤んだまま、けして答えることは無かった。ただただ、冷たく不快な汗がじっとりと背を濡らしていた。出来るならば今直ぐにでもこの場から姿を眩ませてしまいたいと思う。
追及して余罪が増えたとて、処分できない事に変わりは無い。情報の出所が何処であるかなど、然して答えを期待はしていなかったらしい。「意地汚い便利屋の情報源など、訊いたところでろくなものではないか」とカルミラが直ぐに話を戻した事に、ゼクティスは独り密かに安堵していた。

「……境界の崩壊。つまりはそう言うことだが、未だ憶測の域は出ない」

「ええと……あの……すみません。きょう、かいって……?」

端から見れば得心した様子で語るゼクティスとは正反対に、今まで二人の話を聞いていたレヴィアが聞き慣れない言葉に首を傾げる。
当然とも言えるレヴィアの問い。下手に口を滑らせる訳にもいかず、ゼクティスは些か気まずく言葉を詰まらせる。

「……そうだ。そう、だったな……普通は、知らねぇよな」

「貴様の口から説明してやると良い。少なからず境界を知っているのだろう?」

カルミラからも促され、頭痛をもよおす。どうしたものかと躊躇うもゼクティスは意を決して口を開いた。

「……〝境界〟ってのは、文字通り境目の事だ。そう、この世と……黄泉のな。
この二つは共同体みたいなもんで切り離せねぇが、勝手がまるで違うせいで〝境界〟で線引きして分けられてる。……っつても、結局は次元がずれてるから直接干渉は出来ねぇが」
「ふん、貴様如きが随分と詳しい事だ」

「……」

ゼクティスの説明とカルミラの持っている情報は合致していたらしい。軍服の青年はそうだな、と頷く。迷ったところで、今更無知を装ったとしても無駄と諦めた。
厄介なもので〝こう言う時〟は半ば自らの意志とは関係無く、話す事で情報を完全なものにしようとするのだ。

「しかし、我等の予測がもし正しいのであれば、境界は確実に崩壊する」

じゃあ、とレヴィアは青ざめた表情で呟き、ゼクティスを見上げる。
ゼクティスは僅かに眼を泳がせながらも動揺を押し隠し、控えめに説明を加える。

「……境界が崩壊すれば黄泉と混ぜこぜの混沌だ。具体的にどうなるかは判らねぇが」

「知れた事、魔物の元となる闇の意志がなだれ込む。だがそれは、ただ蒙昧な意識集合体でしか無く、それだけでは世界崩壊の直接的要因にはなり得ん」

ゼクティス自身は終始不思議な感覚を覚えていた。
恰かも元より得ていた情報を話している風ではあるが、飽くまでこれは唐突に脳に焼き付けられた真新しいもの。しかし、天啓じみた〝情報〟は既に彼に馴染んだものとして続く言葉を与えていた。

「魁になる〝先導者〟が要る。都合の良い身体、〝器〟が必要だ。器……そう、空の……〝ゼロ〟の器だ」
「ゼロの器か、正に。だな」

カルミラは皮肉っぽく唇を歪めて笑うと、一つ頷き言葉を紡いだ。

「穢れ爛れた闇なる意志の器。境界に据えられ、今や魔物の受け皿と成り果てた〝番無し人形〟No.0《ゼロ》。境界の崩壊と混沌の来訪は、これによりもたらされるだろう」

レヴィアは聞き慣れない言葉の応酬に理解が追い付く筈も無く、困惑を禁じ得なかった。
しかし、それよりも。少女は自分と同じく何も知り得ないと思っていた筈のゼクティスが〝境界〟に関しての情報に必要以上に精通している事に、大きな違和感を抱いていた。カルミラが驚愕していたのも然り。たった今情報開示された境界、曳いては世界の真の構造を知り、確信している者などそう居はしない。
これは一体どういうことなのか。
だが、レヴィアはその疑問を口に出す事は出来ないままでいた。
カルミラは冷静な、だがどこか熱を帯びた声で話を続ける。

「ともかく、我々はこの世界の形を保ち、そして維持させる為に何としても境界の崩壊を止めなければならない。それが現状打てる手立てとして最良の方法であると考えている。
つまりその布石……要として作られたのが〝光使い〟だ」

カルミラはレヴィアを一瞥し、しかし直ぐにまた視線を背ける。

「世界の、崩壊を止める為の要……光使い……。わ、私が、ですか?」

自分は兵器として創られたものとばかり思っていたが、否であると言う。
代わりに明かされたのは世界崩壊を止める為の役割だなどと。余りに突飛な事実に実感などある筈もなく、まるで絵空事。自分にそこまでの力があるとは思えず、レヴィアは遠慮がちにカルミラに問う。

「……可能だ。光使い唯一の成功体である、貴様ならばな」

カルミラは再びレヴィアに向き直ると、この時初めて同じ紫色の視線が交わった。

「あっ……」

鋭い眼差しにたじろぐも、その眼に既視の色を見て少女は瞠目した。
確信と呼ぶには余りに漠然としているが、間違いない。自分はこの眼を知っている。
〝私は、この人を知っている〟
己の奥深くに埋没し、失せ去られていた古い記憶が喚起される。
それは自身にとって一番忌まわしい時代の記憶だ。
軍の研究施設と言う籠の中に作り出され、苦痛を伴う反応実験と投薬、そして調整の毎日を繰り替えしていた幼い頃。当時はそれに疑問すら抱く事も無かった。
あの場所で創られた光使いは、一番最後の自分を含め十人。
いずれも例外無く、物の様に扱われた。そしてその殆どは不完全な身体故の機能不全で亡くなったか、力の制御が出来なかった為、処分されている。兄姉達は培養槽の中から出ることも無く、一人また一人と減っていった。
レヴィアの心理状況を読み取ったかのようにカルミラは目を細め、「いや」と先刻の言葉を訂正する。

「〝俺達、光使い〟だったな」

「う、うぅ……!」

耳の奥で、脳内に巡る血流が脈打つ音。細めた眼で此方を見下ろす青年の顔を必死に見上げるも、果たして彼が何を思っているのか。推し量ることは敵わなかった。
驚きの中、心の何処か片隅で納得していた。脳の理解とは別に、直感的に解っていた事と言った方が正しいか。
古い記憶の復活に呼応する様に、次々と埋もれていた記憶も蘇ってゆく。

「あ、そんな、まさか……!」

想起されるのは、十一年前の研究施設の爆発事故。
何故幼かった自分が無事に逃げ出す事が出来たのか?
普通ならば、あのまま炎に焼かれて死んでいてもおかしくなかった筈。
あの時、肺腑を灼く盛る炎と身を切る瓦礫の中を力強く自分の手を引き導いた誰かが、確かにいた。手が離れても、走り続けろと背を強く押した手は。
それは〝誰〟であったか?
そこまで思考が辿り着けば、後は容易に解は導き出された。

「お兄、ちゃん……?」

虚に発せられた言葉が自分のものと気付くまで数秒の間があった。レヴィアは動揺し、思わず自分の口を押さえていた。俄に信じ難かったが、確かにこの男の事を〝兄〟と呼んだ。
かつてとまるで同じ様に。

「……ようやく思い出したか、レヴィア」

カルミラのその言葉が、全ての記憶に対する肯定の意を示していた。
そうだ、そうだった。何故今まで忘れてしまっていたのだろう。自分はこの男の事をかつて兄と呼び慕っていた。彼は、最後に残った兄であった。
そして彼もまた、同じ境遇の自分を事有るごとぶっきらぼうながらに励ましてくれていた。幼かった己にとって、無二の兄の存在だけが数少ないの心の支えの一つであったのだ。

「どうして……」

余りに唐突な再会の形に、自分は嬉しいのか哀しいのか驚いているのかそれすら判らず、レヴィアの思考はただただ混迷を窮める。
混迷の濁流に浮かぶ様に疑問が湧くも、まとまらないままに流されて行く。
掌の震えを隠す様に、握った両手を胸に抱えた。

「おにい……って、お前やっぱりこいつと同じ……」

「ああ、俺はレヴィアと同じく軍の研究施設で創られた、九番目の光使いだ」

ゼクティスの言葉にカルミラは静かに頷く。

「あんたも光使いだってんなら、別にレヴィアに拘る必要は無ぇだろう」

「先日言ったろう。俺はそれと違い、光使いとしての力は不完全だ。それと同じ程の大質量の洸晰を操る事は出来ない。——境界と接続するには、足りない」

カルミラは口惜しげに自らの掌を見詰め、拳を握り締めた。
九番目、という事はレヴィアより前に生まれた光使い、それ故の兄かとゼクティスは一人心の中で頷いた。しかし、解せない点が新たに生まれてゆく。

「じゃあ、何だってあんたはこんな連中に大人しく協力してる? あんたも光使いだってんなら、自由も無く駒として良いように利用されてるって事だろ。軍を恨んでねぇって言うのか?」

「駒、だと? ふん、浅はかな事だ。……何れにせよ、貴様にそこまで話す義理は無いな。貴様如きに俺の意志が理解出来るとは思えん」

言い寄るゼクティスを、カルミラはあっさりを一蹴する。
そのままカルミラは立ち上がると、ゼクティスに改めて決断を迫った。

「さぁ、貴様の質問には全て答えた。次は俺が答えを聞かせて貰う番だ」

「何言ってやがる!」と、見下されるのは癪だとばかりにゼクティスも椅子を蹴って立ち上がる。テーブルに拳を打ち付けて身を乗り出すと、カルミラの襟首を荒く掴んだ。

「今の話を聞いた上で、俺に協力しろって? 正気か! 肝心な所ははぐらかしやがって。『要』なんて体の良い言葉使おうが、要は〝人柱〟だろうが!」

「——! ……ひとばし、ら……」

より具体性を持った言葉で表された事実に目を見開いた。それは刃物にも似た鋭利さで、レヴィアの脳へ突き刺さる様に冷たく浸透してゆく。

「……兄妹の情として、折角言葉を選んでやっていたのにな」

カルミラは口角を吊り上げて嘲笑し、更に追い打ちを掛けるかの様に「そもそも光使いは人ではない」とまるで他人事の様に嘲った。

「気に入らないのなら結構。だが、折角の温情を蹴るつもりか? ——尤も、貴様程度の人材、俺は惜しくは無いがな。寧ろこのまま始末出来る方が喜ばしい」

襟首を掴まれたまま、カルミラは涼しい顔を崩すこと無く嘯いてみせる。
元より此方に分が無いのは百も承知ではある。相変わらず少しも好転しない状況に嫌気がさす。
例えこの場凌ぎの、表面上の協力だとしても冗談では無い。この男の言葉が真実ならば、レヴィアがみすみす世界崩壊を食い止める人柱として利用されるのを手伝えと言われているのだ。
ふざけるな、とこの男の横っ面を殴りつけ突っぱねてやりたいところだが、状況が状況である。下手を踏めば、自分は兎も角レヴィアの身が更に危うくなる。今此処で反抗するのは得策ではない、と頭では理解していた。だが、それでも。
腹立たしさに歯噛みし、握り込んだ拳が震えた。
「ゼクト」と気遣わしげな声でレヴィアが此方を見上げ、そっと名を呼ぶ。

「私は……大丈夫、です」

「………」

光使いの真実、人柱としての命運をを突き付けられ、顔色が優れないのも無理は無いだろう。震えをどうにか抑え込みながらも、自身の身を差し置いてまで心配されるとは、何と情けない事だろうか。
例え一時でも此処は折れざるを得ないとゼクティスは不承不承決心し、漸くカルミラの襟首からゆっくりと手を離した。

「ッくそ……!」

判った、と言いかけた言葉は突然の轟音に遮られた。

「————⁉︎」

考えるより早くカルミラとゼクティスは反射的に椅子を蹴り飛ばすと、ゼクティスは咄嗟に隣のレヴィアの腕を掴んで自分の方へと引き寄せる。そして音の方向から庇う様に抱き込んだ。
腕の中でレヴィアが小さく悲鳴をあげる。
部屋の入口が周囲の壁と共に派手に破壊され、辺りには粉塵が白く舞い上がった。

「……ッ何事だ! 何が起こっている!」

「知るか! 訊きてぇのはコッチだ‼︎」

「貴様に訊いてはいない!」

やがて粉塵の向こう側に二つの人影を認める。粉塵が収まるにつれ、その姿が徐々に露わになった。
そこには、薄紅がかった白銀の鎧を身に纏ったニm近い長身の騎士らしき者が、整然と佇んでいた。体型からして男女の差は判る。一人は大刀を、もう一人は槍を携えている。顔は、鎧と同じく白銀の面で覆われている為に表情は読み取れない。

「何だ? あいつら……。人間、じゃねぇよな。あんたのとこのじゃねぇのか?」

ゼクティスは横目でテーブルを挟んだ向こう側に居るカルミラを見遣る。

「いいや。少なくとも、このように襲撃同然に侵入してくる無作法者など知らんな!」

カルミラは壁に立て掛けてあった自らの得物を掴むと躊躇い無く、二度銃声を鳴らした。だが、それは相手の大刀によって易々と阻まれ跳弾が壁を穿つ。

「クソッ……並みの反応速度ではないな……防がれたか」

カルミラは再び長銃を構え直す。
だが、まるで距離を無視したかのように彼の眼前には槍を携えたもう一方の騎士が既に迫っていた。ゼクティスでも全く捉えられず、まるで瞬間移動でもしたかのような錯覚を覚えた。

「な——!」

「カルミラ!」

声に出すのも侭ならず、カルミラは目を見開くのがやっとだった。
気が付いた時には、振り上げられた槍をまともに受けて軍服を纏った身体は容易く吹き飛ばされていた。カルミラは部屋の壁に身体を強かに打ち付けられる。

「カッ……あ……」

床を揺らす程の衝撃。並の人間が無事では済むまい。敵ながらゼクティスの顔から血の気が引いた。

「そんな——お兄ちゃん!」

そのまま床に倒れ込んだカルミラは再び起き上がろうと腕に力を込めるが、打ち所が悪かったのか起き上がる事なくぐったりと動かなくなった。
レヴィアは思わずゼクティスの腕を解いてカルミラの元へ駆け出しかけたが、青年に肩を掴まれ引き止められる。

「馬鹿、危ねぇから離れんな! ……あの程度でくたばるんなら少佐なんてご大層な呼び方されちゃ居ないだろ」

「でも! ゼクト…………っ!」

レヴィアは滲んだ眼で此方を見上げ、悔しげに唇を噛んで居たが納得はしてくれたのだろう。言い返して来ることは無かった。

(にしても……冗談じゃねぇぞ……)

ゼクティスは少女を背中の方へと押しやり、身構えるも丸腰ではどうすることもできない。
「レヴィア、洸晰は……」と問いかけるが、少女は申し訳無さそうに首を横に振る。
考えてみれば当然だが、どうやら何らかの形で光使いの力を抑えられてしまっているらしい。となれば以前の様にレヴィアの洸晰の剣を借りることは出来ない。まして、退路は塞がれている。

「クソが……どん詰まりかよ……!」

二体の騎士は予想通り、次はこちらとばかりにゆっくりと足音も無く迫って来る。いや、その騎士達には足音をたてる足が無かった。

腰回りを守る鎧の下より伸びているべき足は無く、ただ少しだけ宙に浮いて滑るように移動していた。

「ぜ、ゼクト……これは……魔物、なんですか?」

すぐ後ろからレヴィアの声。ゼクティスの服の背を掴んで隠れつつも恐る恐る顔を覗かせている。

「さぁな……何にしたって最悪だ。良いからお前はそのまま下がってろ」

騎士からは目を逸らさず、悪態混じりにレヴィアに答える。
やがて騒ぎを聞き付けた兵士達の声が遠くから聞こえてくる。するとその物音に反応してか、騎士は突然弾かれた様に此方に迫ったかと思えば手を伸ばし、ゼクティスの首を掴む。

「何…うぐっ……!」

そのまま締め上げられるのかと思ったが、動きを押さえる為にただ掴んでいるだけの様だった。引き剥がそうにも、まるで掴んだ手の形のまま固まってしまっているかの様にびくともしない。
殺す訳でも無し、全く意図が読めない気味の悪さに苛まれる。しかし、掴んでいるだけとは言え気道が圧迫され酷く息苦しい。

「ゼクトっ! あっ、やっ!……は、放して下さい!」

その隙にレヴィアももう一体の女型の騎士に引き剥がされて抑えられ、身動きが取れなくなっていた。
万事休すかと思った刹那、確と固定された首の筋に注射針の様な物が刺さる冷たい感覚を覚える。痛みこそ感じる事は出来ないが、皮下に染み広がるものに寒気を催す。何をされたのか、等と考える間も無く思考が真白く塗り潰される。
そしてそこからのゼクティスの五感と記憶は、一切断たれたのだった。

——————

いつの間に意識を手放してしまったのだろうか。それすらも曖昧な状態でゼクティスの意識は唐突に再覚醒した。目に飛び込んで来たのは、眩しい程に澄み渡る青空。
手足に多少の痺れは残るものの、首の圧迫感はもうなかった。

「クソッ! いつの間に寝てやがったんだ俺は!」

余りの景色の変わり様に、空間転移でもしてしまったかの様な気分である。少しの間ゼクティスは意識を手放していたらしい。
ゼクティスは己の失態に恫喝し、がばりと半身を起こして周囲を見回す。
目の前には明らかに都市の中とは違う草原の風景が広がっていた。信じ難いが、濃い草と土の臭いからしても未だ夢現と言う訳でも無いらしい。

「……ああもう次から次に訳判んねぇ……っつか此処は……まさか聖都の外、か……? どういう事だ、さっきまで軍基地にいたはず……」

不思議な事に、手首に取り付けられていた警報装置も外されている。
後ろを振り返れば、高い壁に囲われ、威圧感を放つ聖都の遠景と——〝白銀の鎧を纏った騎士人形〟の姿。視角に入り、漸く気付く。
余りの気配の無さにゼクティスの心臓が跳ねた。

「コイツっ……‼︎」

反射的に立ち上がり、騎士から距離を取る。
〝それ〟はゼクティスの姿を追う様に顔を動かしはしたが、それだけで武器は下ろしたまま直立不動。得物を構えようとする様子も無い。暫し警戒したまま対峙していたが、騎士はやはり何をするでもなくただただ案山子の様に立っているだけだった。
自分の身体を見る限り、意識の無い間も何かしら手出しされた訳でも無さそうだ。飽くまで此方を害するつもりは無い、と言う事なのだろうか。

「……気味悪ぃ奴だな」

ゼクティスは警戒を解くと、溜め息混じりに呟いた。
隙間の無い兜や脚の支えもなく宙に浮かぶ身体もそうだが、何より不気味なのがこの人の形を模した騎士から生物らしさが一切感じられない所だ。
魔物ともまた違う類いのもの、寧ろ雰囲気としては無機物——機械に似た印象さえ抱く。
兎に角、コミュニケーションも取れない、これ以上手出しする気が無いのなら退散するのが賢明だろう。相変わらず此方は丸腰のまま、またこれに捕らえられては逃れる術が無い。
そろそろと騎士から離れつつ、ふと脳裏にある記憶が過る。何か大事な事を忘れているような気がしてならない。

「そうだ、レヴィアはどうなった⁉︎」

レヴィアもこれによく似た者に捕まえられていた筈。ならばレヴィアを連れた筈のこの片割れも近く居るのではないか。
ゼクティスは慌てて踵を返し、レヴィアを探してやらねばと駆け出そうとした。
その時であった。

「おん、やっと起きたかよ。ったく呑気なもんだね。ま、でもあの薬の量なら早い方か」

不意に背後から、粗い口調にそぐわない可憐な声が耳に届く。

「あ?」

聞き間違いでは無かった。振り返ればそこには、いつの間にやら見慣れない少女の姿が在った。
年齢は恐らくまだ十代も前半だろう。淡いピンク色のふんわりと癖のある髪に鮮やかな青の瞳。少なくとも外見的には愛らしい少女であった。
迷子かとも思ったが、今はこの少女に気を回せる程の余裕は無かった。

「誰だお前。悪ぃけど今忙しいんだ。ガキに構ってる暇なんざ……」

「あ? ガキィ? ガキだって?」

軽くゼクティスがあしらい踵を返しかけた瞬間、少女が眼光鋭くゼクティスを睨み据えた。その表情は、何処かのガラの悪いチンピラを彷彿とさせた。

「はー! 折角あたしが態々あのクソッタレな場所から二人纏めて助けてやったってのに、礼の一つもねぇの⁉︎ あーあクソ! ほんとクソ!こいつは助けなきゃ良かった! 見殺しときゃ良かった!」

自分とてお世辞にも丁寧な言葉遣いとは言い難いが、多分この少女よりかはましな筈だ、とゼクティスは軽く当惑した。しかし、散々に喚く少女の言葉を反芻し気になる点を見つける。

「えぇ……いや……え? お前今『二人纏めて助けてやった』っつったか?」

「はん、そう聞こえなかったんなら耳鼻科行きなよ」

すっかり少女の機嫌を損ねてしまったらしい。彼女はゼクティスと視線を合わそうともしない。
(面倒臭ぇなこいつ……)

苦手なタイプだなどと心中溜息をつきつつ、ゼクティスは気を取り直して少女に話を聞こうと試みる。私情を挟んでいる場合ではない。今は状況を確認するのが最優先だ。

「って事は、俺と一緒に居たレヴィア……金髪の奴が居たろ。あいつも此方に飛ばされてんのか?」

「あの金髪のかわいこちゃん? 勿論居んよ。ついでに言うと、赤毛のおにーさんと金髪美人のおねーさんもね」

「……は?」

一瞬何を言って居るのか判らずゼクティスは間の抜けた声を上げる。
言及しかけた時、少女の後ろから見知った影が三つ近付いて来る。それで、少女の言葉は虚偽では無いと証明された。
影の内の一つ、レヴィアは此方の姿を認めてか。急に駆け出したかと思うと体当たりの勢いで嬉しそうに顔を綻ばせながらゼクティスに飛び付いて来た。

「ゼクト! 良かった、元気そうですね!」

「なっ⁉︎ ちょ、危ねぇっ……!」

不意打ち同然に抱き付かれたせいで二、三歩たたらを踏んでよろけるが、何とか踏み留まって勢いを受け止める。自分が無事だったのだから当然とは言え、レヴィアも特に大事ないと見て安堵していた。

「レヴィア……と、エリザにレイ……? 待て待て何がどうなって……判ったからお前は離れろって」

ゼクティスは一先ずレヴィアをひっぺかすと見事に勢揃いした面子を順に見て、この状況の説明を求めて少女を見遣った。しかし、少女の代わりに答えたのはエリザベートだった。

「久し振りだなゼクト。何だ、てっきり軍に可愛がられているかと思って心配したが……普通に元気そうだな? 面白くない」

「ただでさえ神経擦り減らしてたんだ。勘弁してくれ、縁起でも無ぇ事言うんじゃねぇよ」

「良かったな、と言ってるんだ私は。実はお前達が連れられた後、この娘が現れてな。お前たちを逃がすのに協力して貰ったんだ」

ゼクティスに歩み寄ったレイシェントはいつの間に奪い返したのやら、手に持っていたゼクティスの装備一式を持ち主に押し付け、エリザベートの説明を引き取った。

「……交換条件付きでな。私達ニ人ではどうにもなりそうになかった。背に腹は変えられんと、悪いが私とエリザの判断で決めさせて貰った。
——あぁそうだ、お前とレヴィアに付けられていた妙な機械は私が先に外しておいた。何やら通信電波を飛ばしているようだったのでな」

意外にもレイシェントは機械品に明るいらしく、いとも簡単にあの警報装置を外してしまったらしい。事も無げに話す淡々とした語調は、いつも通りに。

「あ、あぁ……成程。まぁ、事の経緯は何と無くは解ったけど……。結局、こいつは何なんだよ?」

ゼクティスは未だにむすくれてそっぽを向いている少女を指差す。
すると少女は振り返り、いかにも面倒臭そうに名乗った。

「こいつってさぁ……あたしはクルシュケイト・サニア。今はヴァスティロード教団の衛兵神官として任務中。目的はあんた等の任意同行。って事で、一緒に来て貰うから」

一挙に並べ立てられた少女の情報と行動目的。ゼクティスは咀嚼しきれず言葉に詰まる。

「教団……任務? おい、レイ。これは……」

「言っただろう、交換条件だ。軍に連れて行かれ、あのまま捕まっているよりはましだ」

レイシェントにも思うところはあったものの、秤にかけた結果だと寄せられた眉間が語る。

「はぁ……成る程、まぁた連行されんのか……」

安堵に気を緩めたのも束の間、ゼクティスは、げんなりとうなだれた。