猫とタオルケット

2022.APR

cast:猫の曹長、レイシェント

「ン”ン……」

誰ぞ供のニンゲンに連れられてか、随分と使い込まれたタオルケットを咥えたキャラメル色の猫が宿の食堂へ入って来る。
周囲の客の視線などお構い無し。足取りはとぼとぼと、顔は俯き、いつもは澄んでいる緑の瞳には暗い影が落ちている。
猫は真っ直ぐに海が見えるテラス席へと向かうと、迷うこと無くある席へ飛び乗った。
そのままテーブルの上に力無く横たわると、咥えて来たタオルケットを手繰り寄せて抱え込む。

久し振りに姿を現した冒険者猫に気付いたのか、続々と顔見知りの野良猫達が集まって来る。
恐らくは野良猫集会のお誘いなのだろうが、キャラメル猫はテーブルの上で丸くなった侭。話し掛けられても対応する元気は無いらしい。

それからニンゲンの体感で一時間程経っただろうか。困り顔のウェイターが猫が占領する席へと近付いて来た。

「お客さん……お客さんかな?困りますよ。何も頼まないのにずっと居座られちゃあ」

「ンー……」

頭上から降ってくる声に片目を開けると、猫はのっそりと億劫に起き上がりブルル、と身体揺すった。
するとテーブルの上にゴロゴロと黄色い結晶が転げ落ちる。大小様々だが、中には大きく丸い“宝玉”クラスも。猫は宝玉拾いが得意であった。
何処にこんな、何故猫が。
狼狽えるウェイターなど意に介さず、溜息の様に鼻息を鳴らすとまた猫は丸くなった。

「ちょっとちょっと、チャージ料にしては多いですよ、お客さん」

ウェイターはまた困り顔。仕方無く彼は数百エーテル分だけ取ってまた屋内へと戻って行った。

──数分後、先程のウェイターが皿を持って戻って来た。ほんのりと湯気の立つそれを猫が占領するテーブルの上に置く。

「……お客さん、いつも水色の髪のご主人と一緒にいましたよね。あのご主人は?」

かつては猫の餌係、もとい主人のカルミラは以前この宿を拠点としていた。猫がマークンメイルにてカルミラと出会って以降は彼の部屋に勝手に潜り込み、眠るようになっていた。
朝早くから猫に起こされ、朝食を摂りに降りてくる常連客をウェイターは覚えていたらしい。
皿には、よく猫用にと青年から、用意を頼まれた焼き魚のほぐし身が盛られていた。

「……」

猫はだんまり。餌にも反応を見せず、ぼんやりと海を眺めている。
ウェイターは首を傾げて小皿に白身を取り分け、残りは集まっていた猫達に差し出した。

「常連さんでも、残したら罰金ですからね」と告げ、猫の席から離れて行った。

──また十数分後、テラス席へ新たな来客が現れる。
ピーク時間も過ぎたか、人も疎らだ。
来客は陽光に愛されたこの街の風景には少々不似合いな、顔色の悪い赤毛の男。

レイシェントはテラスを見回し、テーブル一つを堂々占領するキャラメル色の毛玉を発見して近付いた。
この猫、名前は確か何と呼ばれていたか。

「……君は確か、あの男の猫だったな。
名前は…パン、だったか。
──何故君から魔物の気配がする?」

普段なら陽の高い時間帯に行動する事は控えるが、この時は事情が違った。まして眠っている猫に無遠慮に近付き話しかけるなど。
微かにだが、丸まっている猫から肌をざらつかせる気配が漂っていたのだ。レイシェントはこの地に存在しない筈の魔物の気配を辿ってやって来たのだった。

恐らく宿の厚意であろう餌は手付かず。
新年会でも見せたあの元気は何処へ行ったのか。ひとりで居るのも、こっそり主の元を離れて散歩と言う訳でも無いのだろう。
椅子を引いて腰掛けるとグローブを外し、猫を撫で始めた。

「……ナン……ん」

この匂いはご飯がオイシイ人。
知り合いニンゲンの気配にやっと猫は顔を上げると寝返りを打って、身体を撫でる手に頭を擦り付けた。

その拍子に、抱え込んでいたタオルケットがテーブルがずるりと落っこちた。

「ンワワッ……!」

途端、先程までの緩慢な動きが嘘であったかの様に慌てて身を起こし、テーブルの下を覗き込む。
跳ねる様に飛び起きた猫にレイシェントは目を見開いた。

「待て、パン。拾ってやる」

猫は寒がりと聞いていたが、初夏も近いこの陽気でも寒いのだろうか。
タオルケットを拾い上げ、広げて埃を払おうとした時、点々と血痕が染みている事に気が付いた。こびり付いた血から魔物の特有の気配がじわじわと滲み出てきた。
どうやら自分はこれに引き寄せられたのだろう。

「パン、この血はあの男のものか?──ッ待て、どうした」

訊ねて振り返ったところで、丸い猫が早く返せと言わんばかりに突然レイシェントの腕に飛び付いて来た。

「ンぅ……ヴヴヴヴヴヴ」

猫は毛を逆立て、牙を剥いて低く唸りを上げている。けして振り落とされまいと爪を食い込ませ、タオルケットを取り返そうと必死に短い前脚を伸ばしている。

「大丈夫……大丈夫だ、誰も君のものを奪いはしない」

レイシェントに宥めすかされ、猫は何とかテーブルの上に戻されるがやはり唸り声は止まない。力一杯押さえ込んでいなければ、今度は顔に向かって飛び掛って来るだろう。
タオルケットは腕に掛けたまま。爆発しかねないほど膨らむ猫を言葉で諭し、頭から丁寧に根気よく撫で捏ね続ける。

そうする内に段々と、少しは落ち着いてきたか。或いは怒り疲れたか。猫は前脚を畳んで、再びしょんぼりと座り込んだ。

「……よし、良い子だ」

出来るならば洗濯してやりたい所だが、この執着振りでは難しだろう。天日に干してやれば、付着した魔物の残留粒子も消え失せるだろうか。
微かであるが、人間よりもずっと小さな体躯の猫には毒性として作用しかねない。

人間の目から見ても猫は悲しげに目を閉じているように見える。元気の無さの要因はこれだけでは無いだろうが。
すぐ側の柵にタオルケットを掛け、自分も椅子に腰掛け直した。

「あの血……もしかすると、主人の怪我で落ち込んでいたのか。
だが君が病気にでもなれば、今度は主人が嘆くぞ」

「フンン……」

猫は柔いきな粉餅の様に脱力し、ぺたりと天板に溶ける。また頭を丁寧に撫でられ、鼻先に白身を差し出された。

「………」

怪我をした水色頭からはあのこわいニンゲンの匂いがした。自分がやっつけられていれば怪我をしなかったかも知れない。
こんな役立たず猫、置いてけぼりでも当たり前。
カルミラと別れて以降、猫の頭にはその考えばかりがぐるぐると回り続け、ご飯の事を考える余地さえ失っていた。
そして、とうとう顔をテーブルへと突っ伏した。

「………」

鼻先に持っていってやっても臭いを嗅ごうともしない。無理矢理食べさせても吐き出してしまうだろう。
他人の猫とは言え、こうなってしまった原因の一端は此方の世界から流れて来た魔物にある。であれば尚更放っておくことも出来ずレイシェントは軽く溜息を吐き、摘んだ白身を皿に戻すとまた猫を撫で始めた。

──さて、どうしたものか。
椅子の背に凭れた所で、スコアラが鳴っている事に気が付いた。
レイシェントは発信者を確認して応答べきか迷ったが、全く切れる気配が無い。仕方無く着信に応じた。

スコアラから発せられる音声はノイズ混じり。それでも明瞭に『遅せぇよ!』と怒れる第一声が飛んで来た。声は、黒揃えの青年──ゼクティスのものであった。

「……何だ、今取り込み中だが……海猫の宿だ。猫のパンと共に居る」

「猫のパン……?ってあぁ、カルミラの……いや猫と居て何が取り込み中だよ。
コッチは先せ……魔物が現れたりして大変だったっつぅに……」

呑気な男だ。などとゼクティスは黒髪を掻き回す。
兎に角この男から通話を切られる前に、手短に説明と用件を伝える為に口を回しかけたところ『この猫も魔物に遭遇したのか』と逆に問われ、面食らう。
魔物絡みとは言え、余程切迫しなければ自ら発言など無きに等しい男だ。

「あ、あぁ……その事も含めて──」

青年は、先日の一件を掻い摘んで説明し始めた。

 

「……概ね経緯は判った。一旦ロイス辺りで落ち合おう」

後は合流後に話せば良い。
『じゃあベリゾンで』の言葉を最後に通話を終え、スコアラを仕舞い込むと再びテーブルの上に溶けた猫に目を落とす。

人伝にざっくりと説明された経緯であったが、この猫の主の行動はかつての自分を顧みさせた。
帰らなければならない場所があるにも関わらず、身を捨てなければならなかった理由。自ら盾となり、業火を一身に受けなければならなかった理由。

「……主人は君を捨ててなどいない。
人は我欲だけで死の恐怖へ立ち向かう事など出来ない。すぐ傍に、後退の脚を止める存在があったのだろう。
──ならば尚更、元気な顔で待っていてやれ。
怒って良い。愚かと誹られても、それだけで報われる者が居る」

レイシェントはもっちりした頬を両手で持ち上げ、語り掛けた。

魔物の金眼であるが、人の痛みを知るこの男の目はひどく優しい。瞳を覗き込まれ、猫は緑の目を丸める。
声を聞いている内に不思議と、暗い闇の底で逆立っていた気持ちが撫で整えられる様に落ち着いてゆく。一回、二回とゆっくり瞬きを繰り返して、猫は天板に溶けた身体を持ち上げ直した。

「………ゥン」

小さな返事にレイシェントは頷くと、もう一度魚の焼き身を鼻先に差し出した。
猫は匂いを嗅ぎ、わし、わしとゆっくり咀嚼して飲み込むと、ぐりぐり頭を撫でられた。

「ンン……ゥマ」

「……よく食べられたな。良い子だ」

首筋を掻いて、今度は皿ごと差し出してみる。猫はにゅ、と首を伸ばしてまた匂いを嗅ぐとゆっくりと食べ始めた。

やがて皿が空になると、再び身体を転がしてお昼寝体勢に入った。
いつもに比べれば食べる量は少なかった筈。それでも、こころなしか最初よりも穏やかな顔で寝息をたて始めた猫にレイシェントは目を細めた。

もうタオルケットも充分に陽を浴びただろう。
太陽の香りフカフカ仕上げのそれを丁度良い大きさに畳むと、眠る猫の下に敷き込んでやった。

「ふワ……」

いつもより大きいが、冷えた手が身体を撫でる。
西日が注ぐ陽だまり、香る潮風、耳を擽る潮騒。そしてお気に入りのタオルケットに包まれる。
猫はすっかり安心しきった顔でタオルケットを揉み始める。
やがてお迎えが来るまでは、悪夢にうなされる事もなくすやすやと眠っていた事だろう。

空いた小皿もお気遣いのウェイターがそっと片付けてくれたに違いない。