2025.August
cast:ゼクティス、リオ
時刻は宵口、星明かりのみが夜闇に瞬く暗がりの中。
或る野営地には焚き火が一つ灯るのみで、傍に在るのも黒揃えの輪郭が一つのみ。
ゼクティスは地べたに胡座をかいて頬杖をつき、焚き火の番人をしているもののさざめく虫の音の他に生物の気配など無く、段々と集中が切れてくる。
「⋯⋯、⋯⋯」
その内うつらうつらと船を漕ぎだした身体は時折大きく傾ぎ、その度かぶりを振って身を立て直しているだろう。
今宵も変わらずなだらかに時が順行してたところ、青年の背後で夜を浸らせる闇が音もなく凍結する。紫色の斬光にて裂かれ、割れた境界の向こうから現れたのは紫色の魔剣を携えた一人の女。
「⋯⋯」
魔剣を携えた女──リオは丸まったまま微動だにしない黒い背を暫し冷ややかに見詰める。
それまで頻りに奏でていた虫のさざめきが潮が引く様になりを潜めてゆく。やがて最後の一音も潰えたその刹那、無防備な背に向かって一閃が投じられた。
斬り裂かれた気流が悲鳴を上げるのとほぼ同時、鋭く乾いた音色が夜闇の虚空を震わせ、遙か高くにまで響き渡った。
散らした火花を大剣の鏡面が弾いて朱く煌めく。その向こうでは、握った柄越しに青の双眸が女を睨め付けていた。
「……いい加減まともに人を起こせねぇのかよ、先生」
目覚ましが手荒いのは昔から変わらずではあるが。こめかみから冷や汗が伝い落ちるに合わせ、ゼクティスは盾にしていた大剣をゆっくりと下ろした。
「とうに起きているくせ、人を無視するからですよ、ゼクティス。わざわざ此方から貴方の元に出向いてあげたと言うのに」
全身針むしろの如く殺気を放ち、気配を露わにして御丁寧に近付いてやったと言うに。
親切を無下にした当然の応報であるとばかり、淡々とした口振りでリオはくるくると魔剣を回して弄んでいる。
不意打ちを凌がれたにも関わらず、未だ納刀する気配は無い。それはさて置いて、何故今日は魔物の右眼を覆い隠さず露にしているのか。此方を揶揄う為の殺気を浴びせて来てはいるものの、闇の中に灯る金眼は不必要なまでに緊張を煽る。
ゼクティスは訝しみながらも余裕を示す様に構えを解き、大剣は握ったままにしておく。
「コッチは別に呼んじゃいねぇよ。
……で?わざわざ俺のとこに出向いて来たからには用があるんだろ」
然したる用も無く姿を現しては人を虐める趣味を持つのは承知の上であるが。だとしても、大なり小なり口実の持ち合わせくらいはあるだろう。
問われれば、弄ばれる魔剣の回転がぴたりと静止した。
リオは違い色の双眸を黒揃えの青年へと向け、口を開いた。
「なに、たかが隠居の挨拶ですよ。突然消息を断っては“要らぬ心配”されてしまいそうですからね。
そうですねぇ⋯ナイオンを越えた最果ての地でも目指してみようかと」
そこならおいそれと人の手は及ぶまいと、まるでちょっとした引越しの様に語っているが、彼女の顔から取り払われた覆面と共に、括り紐に下げられていたスコアラも既に失われていた。
「……そうかよ」
師を見据えたままの双眸が微かに細まる。
軽薄な口調から余計な意図など感じられはしないが、恐らくは今生の別れを告げに来たのだろう。
心中などろくに語らぬ師であるが、弟子なりに多少の解像度は備わっている。特に、真の繋がりを知った今や尚更。
知らずの内、ゼクティスの喉奥が鳴り嗤いが転げ出た。
「まじで親失格だな。そのくせ情はあるってんだから、滑稽なもんだ」
そして己の奥底から滾々と染み出しているこの寂寞こそが最たる滑稽。嗤って地均せとばかり、ゼクティスははっきりと口端を持ち上げ、歪めた。
「世迷言を……私は胎を貸してやっただけど言ったはずですよ。この──馬鹿弟子」
冷笑に満載の呆れを乗せて尚、刺し返す言葉は鋭利になり切れてはいなかった。
──らしくない。
舌打ちを鳴らし、珍しく女は眉根を強く寄せて儘ならなさへの苛立ちを露わにした。
軽くかぶりを振って無為に介在する心の機微を払って蓋をすれば、双眸の温みは残滓もさっぱり消え失せる。
「私はそう言う無駄話をしに来たのではありませんよ、ゼクティス。
失せる前に貴方の身体の事を伝えておかねばと思いまして。──と、言ってもあの男から粗方聞いてはいるでしょうがね」
己の身体の事、と聞けばゼクティスの視線が真っ先に向かう先は己の左手だった。己が炉であり、自身が窯である象徴。
「あぁ、複製体……ただの写しであるこの身体は元々の寿命が短いんだってな。限界まで長く見積もっても四、五十年。
ソレに加えて度々使ってきた自己精錬のせいで魂は更に削がれちまってる」
保ってあと何年であるかなど、検討がつかない。
しかし語る青年の顔は実に淡々と冷めたもので、どこか遠くの他人事の引用だ。
「長く見積もって、あと十年前後でしょうね。
ついでに複製体である貴方の遺伝情報に継承能力は無い。つまり何処にも繋がれず、何処にも遺りはしません」
だが、それも青年には既知の情報であったらしい。「思ったより詰んでる」と自暴自棄に走るでもなくただ嗤うに留まった。
その態度がけして楽観ではなく、確と理解しているだけに流石に溜息を禁じ得ない。今ばかりは明確に憐憫の情が藍眼の縁に浮かんでいた。
「……その左腕を手放せば、もう少し長く生きられるやも知れませんが?」
しかしゼクティスは躊躇いも未練も無く、静かに首を横に振る。左腕を覆うグローブを外してやれば、蒼く根を張る蒼洸結晶の侵食が進み、青痣塗れとなっている腕が露になった。その上至る所から鮮やかな血が滲んでいる。
「あんたでも文字通り、手を灼く代物だ。器を無くした蒼洸をどうやって処理するよ。
“炉”の部品として俺の中に組み込んでおくのが一番安全なのは、あんたが一番解ってる筈だろ」
制御機関である大剣含め、現状この形が最も安定している状態なのだ。不用意に切り離したところでこの劇物に触れられる者は誰も居ない。
「俺の身体が朽ちる頃には体組織と融合して不純物まみれ。ソレでようやくこいつは使い物にならなくなる」
それに、と淀みなく事実を連ねる唇が僅かに緩んだ。
「……コレで護れたものもある。
安心しろよ、こいつは墓まで持っていく。後処理が不安なら確認しに来れば良い。
どうせあんたは、俺より先も生きるだろ」
遥か古からの確定事項の再三確認の様に、整然と話す口振りに怨恨など微塵も無く。半魔でさえも怖気を抱かせるには十分だった。
「全ては既に了承済み……ですか。貴方にしては随分とまぁ、聞き分けの良いことで」
だが、実にらしくもある。この青年は昔から自分自身の存在に執着しない。奇しくもこの点は世界に尽くす使命を与えられたかの管理者の性質との類似を見出していた。これを彼が自覚しているとは思えないし、指摘したところで否定するのは目に見えているが。
リオはしばし沈黙の後、一つ指を立てた。
「……大サービスです。一つ、愚かな貴方にアドバイスを授けましょう。
──己を大事になさい」
突然何を言うのかと思えば。
冷厳たる鬼の如き師らしからぬ真っ当さにゼクティスはひと時言葉を失い、面食らう。
「……あんたもたまには人並みの事言うんだ──ッデェ!!」
目にも止まらぬ速さで飛んできたのは真っ正面からの正拳突き。不意をつかれた上、余りの衝撃に受け身すら取れず無様に背中から地面に倒れ込んだ。
「愛の鞭ですよゼクティス。確と味わいなさい」
昔とまるで変わらないやり取りに懐かしいなどと思えば、つい口元が緩みかける。この様な間抜け面を見せてなどやるものか。リオは素早くゼクティスへ背を向けると、刃を一閃振り抜いた。
紫色の光芒が描かれれば来訪時と同じく、夜闇よりなお昏き次元の裂け目が再び口を開けていた。
どうやら、之にて終いなのか。
眩む視界の中で、ゼクティスは声を上げた。
「──先生!
……有難うな」
しかし師は後姿ですら判り易く、大仰に首を傾げて見せた。
「……はて、聞かなかった事にしましょう」
仮にも仇なした者に礼などと。
愚か愚かと宣いながら、師の姿は狭間の向こうへと消えて失せた。
斬り払われた静寂に新たな風が渡り、一つの幕をもたらした。
後に残るのは先程と変わらず、焚き火の傍に青年が一人。やがて何事も無かったかのように再び時は順行を始め、夜を奏でる虫の音が満ちるだろう。
※リオ撤退ソロール
