2022.APR
cast:カルミラ、リオ、ゼクティス
「少し慎重に来過ぎたか。思いのほか山越えに時間をかけてしまったな」
登山用の装備を詰めたバックパックを背に、水色髪の青年は漸く山道を抜けたと見て汗を拭う。
陽は既に地平へと沈みかけ、数多の灯が流れるアストラル川の輪郭が眼下に浮かび上がりつつあった。
一旦荷を下ろして中身を探り、中から淡青色のエーテル灯を取り出す。
道中に立ち寄った街で見掛けてあらかじめ購入しておいたものだった。
「うむ、傷は入っていないな」
薄闇の中でエーテル灯を起動させ、輝度を調整してランタン代わりに周囲を照らし出す。光はチラつきもなく均一に広がってゆく。
夜道に備えて違い色の片目を隠す眼帯も外し、カルミラは満足気に頷く。荷を背負い直してエーテル灯を抱えた。
「オクタグレンで買って正解だったな。エーテルの質が良い」
ここまでの道中、道を照らし出してくれた光は一人旅の身には何より心強いものだった。
流してしまうのは少々勿体無い気もするが、それが本来の用途だ。
細やかな願いを託し、届けて貰わねばならない。
体内エーテルのコントロールも上手く出来ている。昨年の様に姿が変わる事もなかった。万事順調。
疲労の溜まる脚を奮い立たせ、煌めく川に向けてなだらかに続く斜面を下り始めた。
─────
それから幾らも経たない内、上流付近を歩いていたところ。
エーテル灯を流すには岩が多過ぎる為、観光客の姿を見るには早い筈だが、川辺に佇む人影を捉えて立ち止まった。
「……!」
ただの観光客の一人ならそのまま通り過ぎていただろうが、赤く濁ったカルミラの片目にその人影は余りにも鮮明に宵の闇の中で浮かび上がっていた。
この眼は光を捉えず、闇を見通す。映す像があるとするならこの眼と由来を同じくするものだ。
その場に荷を下ろし、ライフルケースから愛用の長銃を取り出し、弾を込める。
身を屈めて少しずつ距離を詰めてゆくと、段々と輪郭が明瞭になってゆく。どうやら女のシルエットらしい。
まさか、そんな馬鹿なと、浮上する可能性を否定しつつも正体を確かめるべく脚を止める事は無かった。
「何です、先程から物騒なものを向けて。
誰だか知りませんが、挨拶も無しに無礼と思いませんか」
息を殺して近付いていた筈だが、容易に気取られた。女は腰の刀の束に手を添え、いつでも抜刀可能な構えを取る。
ならば身を潜める必要も無しとカルミラは立ち上がり、銃を胸の前に携えたまま堂々近付いてゆく。
刀の間合いより手前で脚を止め、射殺さんばかりの眼光で眼前の顔を睨め付けた。
流転を経ようとも、この顔を忘れる筈も無い。
そして右目が写す、ごく僅かな魔物の気配。この大陸に於いてはモンスターも、狭間の中でも見る事の無かった赤黒い幻煙が目の前の存在をかつての仇敵と断定していた。
「貴様、こんな所で何をしている。
此処は貴様の居るべき地獄ではないぞ」
此方の殺気に応えたか、眼帯の女は束を握る。
だが、此方の言葉の意味は理解出来て居ないのか、据えた目の上の眉をひそませた。
「……貴方、私の何を知っていると?
生憎と、貴方に銃口を向けられる覚えはありませんよ。
早急に収めるのが得策かと。貴方に怪我をさせない保証は出来かねます」
飽くまで落ち着きを払った、冷静な口調。
だが、それがカルミラの火種となった。
「忘れてしまっただと……?
ふざけるな災禍の喚び手、リオ・グレイシス!貴様、よくも俺の妹を───!!」
しらばっくれているのか、それとも本当に記憶を無くしているのか。忌むべき仇を前にして、それを考える余裕などあろう筈も無かった。
魔物の急所である頭部に狙いを定め、間髪入れずに五発撃ち込む。
川のせせらぎと、風の音のみが満たすこの丘の静寂を、雷霆の如き銃声が打ち砕いた。
この間合いで外す筈は無い、が──突然カルミラの身体が後方に飛び、背中から地面に倒れ込んだ。
「なッ……!」
星が瞬き始めた空が視界に広がる。
反射的に身を起こしかけ、そこで漸く鳩尾に鈍重な痛みを知覚した。侭ならない呼吸に喉が震え、奇妙な音ばかりが洩れる。
『馬鹿な』とは発音出来なかった。
循環を失った空気が肺の中で暴れる。
「ッぐ、う……!ぬぅッ…!!」
カルミラは無我夢中で両手を眼前に翳し、身を守る虹彩の盾を幾重にも展開した。
それとほぼ同時に、がち合う金属音が響く。盾で隔てられた鼻先には、鈍く光を弾く紫刀の切先が迫っていた。
「貴方、私の何なのですか。何故私の名を?
──いえ、今は……その前に少し、お仕置をしなければ。その後で、ゆっくりお話を聞きましょう」
リオは刀を持ち上げ、再度盾に突き立てる。
洸晰に勝るとも劣らない硬度で精製した筈の虹彩の盾は、激しい音を立てて粉々に打ち砕かれた。
(やはりあの剣に光使いの盾は通用しない)
盾が有効であったなら、厄なる手がレヴィアに届く事も無かった。あのおぞましい刃が届く事も無かっただろう。
やはりあの紫刀には黒髪の青年が持つ蒼洸には及ばずとも、防御を融かす力が備わっている。
カルミラは地を転げ、不利の体勢から逃れる。
出鱈目ながら呼吸の道を取り戻し、荒ぐ息を必死に整え銃を構え直す。
酸素不足で視界は霞むが、右眼が魔物の気配を捉えている。
「止めなさい、危ないでしょう……!」
地を突き刺した侭の状態から握り直し、地面ごと裂いて剣を振り上げる。
土塊が宙を舞ったが、カルミラは既に刃の射程外。精々目眩しにしかならない牽制の一振。
だが、紫色の軌跡はそのまま標的に向けて闇を疾った。
「───ッに!」
軌跡から派生した剣戟はカルミラの銃身の横面を殴り、銃弾は空の彼方へ放たれた。
「……今、何が」
放ち手であるリオすら目を見開いていた。
だが呆けてなど居られず、好機と見て間髪入れずに一刺、二振と連撃を仕掛ける。
逆に好機をふいにさせられたカルミラは、驟雨の如く叩き込まれる連撃にほぼ直感で対応する。視覚はほぼ意味を成さない。
盾は容易く砕かれはするが、刃を捕える事は出来る。捕える事が出来るなら、軌道を逸らす事も可能だ。
辺りには砕かれたエーテルの虹彩が舞い、やがて大気に溶けてゆく。
この驟雨の中にほんの一瞬の間隙さえ見出せれば。
時節により増幅されたエーテルはカルミラに味方をしていたが、それと同時に制御処理にはいつも以上の負荷を強いられていた。
──針穴に糸を通す様な。
カルミラは正に言葉通りの集中を要求され、
答えた。
意地として、決意として、頑なに穿たれなければならぬ報いとして。
斬撃と共に迫るリオの身体に、捩じ込まんばかりに銃口を押し付け、引鉄を引いた。
当たったのは左胸より少し上。鎖骨の下から人間と同じ様に血が噴き出した。
撃たれた反動で身体が仰け反り、そのまま倒れるかと思われたが、リオはたたらも踏まずに衝撃に耐えた。
「……やぁってくれましたねぇ」
銃声の残響で麻痺している筈の鼓膜へ、怨嗟の声が擦り付けられる。
もう一発、今度は頭を。カルミラが引鉄を引くも、今のが最後の装弾であった。
まずい、と頭に過ぎった頃には既に朱が舞う宙を見ていた。同じくして極限まで張り詰めた集中も事切れ、視界が回転した。
為す術も無く、重力に従ってカルミラの身体は地に引かれ、沈んだ。
「よ、くも……俺の……」
斬られた胴はプロテクターと弾薬盒に守られ、傷は浅いものの範囲が広い。失血性ショックを起こすには早いが、眼の焦点は定まってはいない。どうやら能力行使の反動で動けもしないらしい。
助けも呼ばずに放っておけば息絶えるだろう。
だが、リオもライフル弾で身体を撃ち抜かれている。このまま見逃してやれる程、彼女は寛容な性質では無かった。
「貴方、危険人物ですね。私が、今此処で始末を付けておかなければ……」
灼けた鉄を捩じ込まれる様な痛みに表情を歪め、銃創から手を離して剣の束を握り直す。
倒れたカルミラの横に立ち、首元に切先をあてがった。
「さようなら、名も知らない少年。
亡骸はせめて、アストラルの流れに委ねましょう」
───どこかで風が唸りを上げた。
脊髄反射で身を翻し、出来うる限りの跳躍でカルミラの傍らから退いた。
先程までリオが立っていた場所には、漆黒の大剣が突き立っていた。
滑らかな光沢を持つ大剣の表面には、僅かに蒼の雷光が疾っている。
「……これ、は……」
「てめぇ今何をしようとしてやがった……!
そいつは二度と殺させねぇぞ──失せやがれ!!」
闇の中から吠えるような怒声が響いた。
纏う衣服の色のせいか、星明かりでは姿は見えず。長い裾を蹴って此方へ駆けて来る足音にリオはまた表情をしかめた。
「お仲間ですか、全く……名残はありますが、厄介は御免です」
リオはそのまま踵を返すと、闇へ潜る様に姿勢を落として丘を駆けた。
「──今の声、何処かで……何処で……なぜ、」
「逃げやがったか……まぁ良い、好都合だ。
カルミラ、何やられてんだあんた。一体何が……」
登山道から僅かに垣間見た、幾重にも展開された虹彩の盾。まさかとは思ったが本当にこの青年が戦っていたとは。
ゼクティスはカルミラの傍らに跪き、エーテル灯で照らして傷の具合を診る。
「息は確りしてんな、荷物漁るぞ。応急処置の道具何処だ」
自分が持ち合わせている医療道具では足らないと判断し、カルミラの荷を探る。この男の性格からして十分過ぎる程の備えはしてある筈。
ゼクティスの予想通り、数人分はありそうな止血剤や包帯、晒し布を見付けると、傷にあてがい雑だろうが構わず兎に角カルミラの身体に巻き付ける。
処置の間、遠のいていた意識が少し回復したか。虚ろな、だが何かを伝えるべく懸命に此方の青眼を見据え、口を動かす。
「……は、今何て」
「あれは、来訪者……災禍の喚び手、リオ・グレイシスだった。、
俺の右眼が、奴が持つ魔物の気配を……微かに捉えた。間違い無い」
ゼクティスは思わず『馬鹿言え』と嗤いかけ、だがこの男の怪我の理由を察して奥歯を噛んだ。
巻き終わった晒し布を結ぶと、周囲に散らばった荷物を集めて来る。ゼクティスは自分の荷と合わせて背負い、肩を貸してカルミラを立ち上がらせた。
「はぁ、何と無様な……何と言うかな、あいつは」
「……レヴィアの為に怒ってくれたんだろ。俺も一緒に話す」
『要らん事を抜かすな』と脚を踏みつけられ、それにまた文句を言いながら丘を下りる。
眼下のアストラル川には、天井の星空を写した様に数多のエーテル灯が煌めいていた。
久方振りの一人旅を終えた青年はさぞやばつの悪い声色で、漸く到着の一報を相棒へと入れた事だろう。
