2020.JUN
cast:カルミラ
ゆら、ゆら、と身体が揺られている。何処か遠くの彼方から波の音が聞こえていた。
意識は黒く塗り潰れ、漆黒の海の中を宛もなく彷徨う。
還るべき此岸を弾かれたそれは『漂流物』、ただの残骸であった。
漂流物はいつの間にか、或る行く先の船に掛かったらしい。
それは船員により船倉に引き揚げられた。
手透きの者らが集い、漂流物と呼ぶには少々厄介な形をした『もの』の処遇に惑っている。
『どうする?』だとか『参ったな…』だとか、船員達の困惑の言葉が頭上で交わされる。
無理もない、その漂流物はずぶ濡れて尚血が染み着きボロになった軍服を纏っていた。血の気が失せ切った顔の半分は蒼白く、古びた陶器の様にひび割れているのだ。
夏だと言うのにこれは体温すら氷の如く喪われている。
どうやら海で漂う死体を拾ってしまったらしいと。船員達は顔を見合せ、困り果てていた。
これをぞんざいに海に放り棄てて、祟られたのでは堪ったものではない。
このものの由縁は知れずとも、この地のしきたりにて弔い、『あちら側』へ送ってやるべきだろう。
船長だろうか。この船を仕切る男の声に従い、腕を組んでいた男達は頷いて残骸となったそれを抱え上げた。
そこで、途絶えていた筈の意識が深層より引き揚げられた。
まるで雷に打たれたかの様な熱が身を貫き、身体が跳ねる。
突然ばちりと見開かれた双眸に驚いた男が思わず手を離し、持ち上げられていた身体が床に叩き付けられた。
だが、覚めやらず蒙昧に鈍い脳では自分の身に何が起こったのかすらも解らない。
───何だ、ここは。
霞むばかりの視界を巡らせると、たじろぐ男の脚の隙間から長銃の形が見えた。
あれは何だったか。
考えるよりも先に四肢を動かし、這いずり、まるで縋るべきよすがの様に手に掴んでいた。
掴んで漸くこれが身に馴染んだ長銃であると気付く。
───そう、そうだ。これは、おれの銃。
聴覚がまともに働き始めると、男達の口から発せられ、この身に降り掛かる言葉が怒号であると気付いた。
銃に掛けた手を引き戻し、力の入らない億劫な身体を叱咤しながら肘を立て、半身を起こして両手を挙げて無抵抗を示す。
違い色の瞳は虚ろを映したまま。
身に染み着いた規律がそうさせていた。
乗船客も全員降りて久しく。
今日の便は全て終わったのだろう。船着き場を歩くのは船の世話をする者が僅かばかり。
やがてふらふらと、銃剣を杖代わりに頼りながら船から1人の青年が降りてきた。
脚の感覚が酷く鈍く重い。
が、こうして歩いていただろうと頭で歩き方を脚に教えながら歩を進めた。
船からは、手を貸そうとはせずただ怪訝に見詰める船員達の姿。
彼らの厚意を自ら辞したのもある。が、それよりはこの厄介者が失せるならば早くそうしてくれ。と言う思いが主だろう。
船着き場を数分も歩かない内に脚が縺れて石畳に倒れ込む。
近くに手を延べる人影など居ない。
尤も居たとして、己の気質によりはね除けただろうが。
近くにベンチを見付けると、儘ならない身を起こして今一度倒れ込む様に腰掛けた。
ベンチに腰掛けてから気付いたが、どうやら先客がいたらしい。
キャラメル色の毛玉が慌てて逃げてゆく後ろ姿を視界の端に捉えたが、今はそれを気遣う余力は無かった。
小一時間ほど船着き場近くのベンチに凭れ、西日に照らされる海をぼんやりを眺めていた。
ゆっくりと、思い出す様に深呼吸を繰り返すと、慣れない潮の香りが鼻腔を満たした。
不思議と不快感は無い。
前を通り掛かる者は居たが、自分の─血塗れたぼろを纏った風貌を見ては皆一様に目を背けて早足で立ち去った。
奇異の視線を然して気に留めるでもなく、陽がじりじりと海に近付くように少しずつ、少しずつ我が身を顧みた。
「おれは……カルミラ……カルミラ・イングレンス……軍……聖都軍、少佐で……。
俺の、使命は……」
おもむろに腰に提げられたガンホルダーに手が伸びる。
中に入っていたのは、自分の名を刻み特注で制作を頼んだ連装銃。
最後の記憶からほんの少し前までは新品であった筈だが、死線を渡った今や血糊で酷く汚れていた。
虚ろな眼で、じっと掌に乗せた銃を見詰め、やがて空を仰いだ。
「……どうして俺は、生きている?
此処は一体、境界は、レヴィア、は……」
ああ、と冷えた身体から声が洩れた。
「……還る事さえ許されずに、弾かれたのか、俺は……」
この世界に、沸き上がったこの疑問の数々を答える存在は無い。
それを悟れば、理解は早かった。
還るべき場所から爪弾かれ、かつての縁も結えぬであろうこの場所に辿り着いた己は何をすべきか。
「……貴方の言葉を、此岸から弾く呪詛などにはしない。
あれは飽くまでも解放の、俺の……標だ」
手の中の連装銃の重さを確める様に握り締める。
そして心を空虚に侵そうと鎌首をもたげる無力感を敢然と打ち払うべく、立ち上がった。
「……進まねば。
例え一時の微睡みの目覚めであっても四肢が動くのならば、意志が続くのならば、この身が壊れるまでは」
焼ける様な西日に差された身体は漸く熱を取り戻した。
遥か水面に煌めく光に目を細め、やがて踵を返した。
この棄て損ねた生が残り火だとて、無為に絶やしてなるものか。
流れ着き、新たな此岸に揚がった漂流物が新たに生を成す為に。
