04

執政府へ向かうゼクティスを見送り、その後もレイシェントは夜が明けるまでひたすらに魔物の対応に当たっていた。
疲労は相応に溜まっている筈なのだが、夜の間は身体の重さなど全く感じない。幾ら大鎌を振るえど、苦ではない。まるで子供の頃に戻った様な軽さと活力が身体に満ちていた。

やがて空が白み始めた事に気付き、グローブの甲で顔に跳ねた返り血を拭う。携帯端末を取り出すと、ディスプレイの時計は午前11時を指していた。

「……」

静かに眉間を寄せ、二つ折の携帯端末を閉じて再び仕舞う。
長く吐き出したのは落胆の溜め息だった。
夜を喚ぶとされる月詠を取り戻したのだから、直ぐにとは言わずとも多少の変化が起こる事を期待していたのが。

戦えと言われれば幾らでも戦い続けよう。
しかし何事にも許容量、限界がある。例え自分一人が此処で魔物を狩り続けようと、完全に廃滅させる事など出来はしない。
魔物が居なくならなければまた今回の様に人的被害が出る。それに従って復興に遅れが生じる。

黄泉は既に切り離した。後は魔物側の最後の足掻きに耐えられるかどうか。

根本的な解決法を持たないこの身では、ただ焦燥に駆られながら追われる様に魔物を屠る事しか出来ない。
その現実にレイシェントは自らの力とは裏腹に無力感さえ覚えていた。

焦燥に駆られる要因は解決法が無い事だけではなかった。

(そろそろか……)

すっと黄金色の眼を閉じると、途端にぐらりと脳がひっくり返されるかの様な目眩に襲われ平衡感覚を失い、やがて立っていられなくなる。
いつの間にか地に膝をつき、多少治まった頃には只でさえろくでもない顔色から更に血の気が引き、額から冷や汗を流していた。
つい先程までは然して重さを感じていなかった大鎌すらも持っていられなくなり、早々に空間の裏側へ押しやる様に片付ける。

数日前から夜明けが近くなるといつもこの様だ。
夜は何の問題も無く活発に動けるのに対して、昼は重病人の様に殆んど身体を動かす事が出来なくなってしまっているのだ。
故に、エリザベート達の元へ姿を見せる事も出来なくなっていた。

魔物混じりの身体になって陽光を忌避する体質になった事は自覚していたが、ここまで顕著な症状で現れてはいなかった。精々陽の下では倦怠感を覚える程度だった。

もしや、と仮説を考えなくも無いが敢えて避けている。その仮説の正誤を自分では判断する事は出来ない。まして仲間内にもはっきりとした答えを示す事が出来る者が居る訳でもないし、打ち明ける気も無かった。
現状のまま、黙って自分が出来るだけの事を努めて行っていた方が生産的だろうと思ったのだ。

発作的な目眩が弱まるのを待って、動かない我が身を運ぶ為にずぶりと闇に身を投げ出す様に溶かした。

────

影を渡り、再びレイシェントが姿を現した場所は軍基地の敷地内に在るものでは古くに造られた墓地であった。
黒い慰霊碑が建てられ、均一に墓標が並んではいるが手入れが充分に行き届いて居ないのか。舗装されていない場所は雑草が伸びきっており、植えられた木も剪定されず日当たりが悪い。
特に此処は無縁墓地の区画になっている為、進んで人が近付く事など滅多に無い。

聖都の中で数少ない寂れた場所だが、今のレイシェントが陽の光と人の目から逃れるには最も適した場所であった。

息も荒げながら湿って腐食の進むベンチへふらふらと近付くと背凭れに手をつき、半ば座面に倒れ込む様に腰掛ける。
レイシェントは暫しぼんやりと墓地の景色を眼に写していた。

(もしかしたらこの中に私の墓も……)

ふとそんな事が頭を過った。昼間の避難場所として偶々この場所を見付けただけで、じっくり見て回る気は無かったがこの環境を見るに、恐らく数十年前に造られた墓地郡である。
そして自分は三十年前の戦争で死亡と扱われている筈。探してみるのも一興かも知れない、などと自嘲気味にぼんやり考えた。
そのままうとうとと抗い難い強烈な睡魔に襲われ、泥濘へ引きずり込まれる様に意識を沈めた。

ここ数日のサイクルならば日が落ち始める迄目を覚ます事は無い筈だが、何者かが此方へ近付いて来る気配を感じて目覚めた。

陽は昇りきって、僅かな昼の恩恵をもたらしている。
気分は優れない侭であったが、多少はましになった気がする。視線だけ上げ、周囲を伺うと勘付いたとおり人陰が此方へ近付いていた。
日向に居るせいで姿がはっきりと見えないが杖をついているのか歩き方、足音が不自然だ。敵意は無さそうだが、此処は一応軍基地内、小言でも言われる前に退散した方が良いだろうかと考えたが如何せん鉛の様に身体が重い。
身じろぎ一つとっても億劫な今のレイシェントは、なるようになれば良いと投げやりな思いで再び眼を閉じた。

不規則な足音は舗装された石畳から草を踏む音へ変わる。そして、案の定此方の前で立ち止まったがレイシェントは尚も眼を開けようとしなかった。

その人物は喉の奧を鳴らして笑うと狸寝入りはお見通しだとばかりに声を掛けた。

「おやおや、昼間にお見掛けしないと思ったらこんな所に。休息には少々陰気過ぎやしないかね?」

自分の事を知っている、男の声だ。仲間ではないが、最近何処かで聞いた声だった。はて、誰だったかろうかと眼を開け、今度こそ顔を上げた。

「あんた、は……」

「その折は、どうも」

僅かに微睡んだ眼を見開く。そこに居たのは黒軍服を肩から羽織った白髪混じりの髪の男だった。
自分が正気を失っていた時にエリザベートと共に洸晰精製施設に現れた男だったと思い出す。施設で別れた後に傷を負ったのだろうか、片腕は布で吊られて固定され、脚にも歩行補助の器具が装着されていた。

この状態でわざわざこの場所まで歩いて来たと言うのか。柔和に笑みを浮かべてはいるが前述の件を思い出せば後ろめたさに目を逸らした。

「あぁ、貴方が気に病む事は何も。非正規ながら寧ろうちの兵士より働いている事は伺っている」

男は困った様に眉尻を下げる。
確かエリザベートからは『総監』と呼ばれていたが、この男は何者だったか。あの状況下では名を訊くことすら侭ならなかった。

「いや……そう言えば、名前を訊いていなかった。あんたは……」

「自分の墓を見る気分と言うのは、如何なものかね?ロアコート“元大尉”殿」

「……!」

男の名を訊ねようとした所で、嘗て負っていた軍での階級を唐突に示され遮られた。
身元を調べられたにしても30年前に消息を絶ち、生死も不明である一兵士と自らを結び付ける物が残っているとは考えづらい。以前とは風貌も変わってしまっていると言うのに。
動揺に瞳が揺れるが、飽くまで知らぬ振りを装う。

「……わざわざ調べたところ、申し訳ないが私にそんな階級など……」

だが男は穏やかな声音のままで「いいや、わざわざ調べるまでもない」とゆるやかに首を振った。

「むざむざ使い捨てられた兵士の名など、三十年も前の戦火に朽ちた無名の兵士など、まして非道の業に飲まれたモルモットなど、歴史を語る記録の隅にすら残りはしないだろう」

「……あんたは、一体……」

明らかにレイシェントの事情を把握しきっている台詞であった。男の言う通り、自分の記録の仔細など残っているはずが無いのだ。

「唯一残っているとすれば、惨めに生き長らえた者に焼き付けられた記憶の中だ。『そうでしょう?大尉殿』」

──そこでようやく一人の古い知り合い、かつて部下として共に戦禍の中を駆けた者の名が記憶の海から引き揚げられる。
信じられない、とレイシェントはぽかんと半端に口を開けていた。

「……エイレンフェレス“少尉”か……?」

三十年振りに使った呼び名であった。
当時二十代にも満たなかった若者の姿を思い出す。ユーリックは応える様に片唇を上げ、嫌味の強い当時の笑みを再現して見せると完全にレイシェントの記憶と重なった。
ユーリックは年甲斐も無く、悪戯が成功でもしたかの様に快活に声を上げて笑った。

「はっはっは、まさか覚えて御出とは!いやはや全く、貴方は相も変わらず良い顔で驚かれる!」

レイシェントは項垂れて深々と溜め息を吐き出すと、頭を抱えながら視線だけユーリックへ寄越す。

「一体いつから……」

「エンデュランス君が貴方のフルネームを口にしてね。忘れるはずがあるまい、ボクが前線にいた時代の最後の隊長殿なのだからね」

失礼、とユーリックはレイシェントの座るベンチへ近付くと距離を取って腰掛ける。そして眼前の墓石郡を指して問う。

「──三十年振りの帰還報告(debriefing)が自分の墓の前とは。気分は如何かね?“大尉殿”」

「そうだな……随分長く、掛かったものだ」

今更聖都へ、ましてや軍へ帰るつもりは無かったのだが、こうして戻り嘗ての部下に出会すとは。奇妙な縁が繋がったものだ。

「……ええ、それはそれは随分と待たされましたとも」

「死んだ人間を待っていたと?」

エリザベートの口から自分の名が出ただけで、どうして自分が生きているなどと思えたのか。レイシェントに疑問が浮かぶ。

軍から戦死者として存在を隠匿された身なのだ。恐らく前線から回収された時点で戦死者名簿に登録されたはずだ。
当時から頭の切れる男だったが、若かった彼がそれを暴く手段などあろうものか。
加えて半魔の、人造亜種の身になって生き永らえているなど現実主義者のこの男からすれば鼻で一笑される話だ。

だが、ユーリックの方こそ意外そうな顔で「おや、博士から聞いておられないと」此方を見遣る。

「何?」

「アルザラ付近の研究施設へ貴方の搬送を手伝ったのはボクだったのだがね」

「……は、記録にそんな事は……」

そんな事は初めて聞いた。と言うよりはイレインが遺していた日誌や記録にはユーリックの名など一度も登場していなかったのだ。
レイシェントはあの研究施設に在った書籍や記録はアナログ、デジタル媒体問わず隅まで何度も読み返しているのだ。見落としなど考えづらい。
だが、思い返せば記録は研究施設に着いて以後からのものでそれ以前の記録は一切遺されていなかった。
そしてそこに『聖都』や『軍』のワードは不自然な程に存在しておらず、飽くまで『自らが関与した実験計画』の様に曖昧に表現が暈されていた。
彼女の来歴を知るレイシェントは問題なく内容を補完して読む事が出来たが。

そこまで思い至った時、ユーリックは成る程と顎に指を添えて頷いた。

「『記録』ね……そうか。それでは、貴方の意識が戻った時、博士は……」

「……」

ユーリックの言わんとする言葉を引き受ける事が出来ず、喉を詰まらせる。眼を所在無く泳がせた後、黙した侭伏せた。
解り切った事柄をわざわざ口にする事も無いと、ユーリック構う事無く続けた。

「恐らく、後の事を考えて居られたのだろう。
万一あの研究施設が軍に抑えられ、歴史の汚点を暴露される様な記録が残っていれば潰されかねないと」

やはり、頭の回転の早い男だ。此方の数少ない言葉からでも十分に納得に足る仮定を導き出すとは。

「……何故、危険を承知でイレインに手を貸した?そちらに利は無いと思うが」

「命を拾われた事を恩義と思う程度の人間性はボクも持っているもので」とユーリックは自嘲をたっぷりと込めて嗤う。

「貴方を戦地から回収はしたものの、その後息絶えたと言われて納得した。回収した時、未だ息があったのがおかしな位だったのだから。
墓前に挨拶の一つでもしておこうと此処に来た時に博士から事情を聞いてね。驚いたものだ」

当時のやり取りを思い出してかユーリックは灰色の眼を細め、目映い陽の差す霊園を眺める。

「ボクらの行った作戦は膠着した戦線を突き崩す事に成功した。博士が関与していた強化兵の実践投入を待たずして終戦への駒を動かすに至った。
……もし此方側が勝利を納めたとして、人道に反する強化兵実験を行っていたと世に知れれば戦火は再び燃え上がるだろう。
実験台は貴方の様な戦死者だ。被害者遺族が敵に回り、今度は聖都内で内戦が起こりかねない」

その当時、一刻も早い実験の破棄と隠滅を迫られていた。無論、実験体は一人残らず焼却処分となった。
「尤も、成功体など居なかった様だがね」とユーリックは首を横に振る。
皆、魔物の因子に対する拒絶反応や侵食により人とは到底呼ぶ事の出来ない化物や廃人となったのだと言う。

「だが、貴方は未だ実験の最初期段階の施術しか受けておらず、多少なりとも蘇生の可能性があった。だが……」

「処分を、命じられたと」

レイシェントの言葉にユーリックは静かに頷く。本来ならば、自分も例外なく炉に焚べられてとうの昔に灰になっていたであろうと。

レイシェント自身、ある程度の経緯は把握していたつもりだったが、当時イレインが如何な思いで過ごしていたかを知る術は無かった。
それでなくとも、想像するだけでも心臓が裂かれる思い、いっそ本当に裂けてしまえばと自棄になりもした。

「……それまで計画の中心だったとは言え、貴方の処分に反対する博士の言い分などただの我儘だ。周囲にあの人の味方など居なかった。
……それでもと、当時の技術総監の権力に縋り、身を穢してまで守ろうとした……が、それも限界があった」

此処でイレインに会った時、ストレスによって別人かと見紛う程に疲弊していた。
かつて、ただの一兵士であった自分にさえ屈託無い笑顔で接し、憧憬を抱かせていた女性と同一人物であるとは到底思えなかった。

「呼吸器官が弱いというにボクの煙草を欲しがるものだから、困ってしまったよ」とやや強張った苦笑いを洩らした。

「……」

「そこで詳しく事の成り行きと事情を聞いて、貴方と共に博士をアルザラへの逃亡を幇助させて頂いた……と。
そう言う、経緯だよ」

ユーリックが知り得る限りの話を終え、二人の間にはしばし沈黙が流れる。
徐に懐から紙巻きの煙草を取り出して口に咥えると、火を点け悠々と吸い始めた。
絶え間無く吹く風に揺れる木々の葉擦れがざわめく心情から洩れる言葉の代わりとばかりに場を浸す。

「……随分と、世話になった様だな。私も、イレインも」

どう返すべきかと散々悩みはしたが、結局凡庸白痴な言葉しか口にすることが出来なかった。

「貴方に命を救って頂いた礼には、到底及びませんがね」とユーリックは皮肉っぽく片頬を持ち上げて嗤う。だが、直ぐにその作り笑顔も失せ、口は開けど言葉を躊躇せながらもぽつりと呟いた。

「……むしろ、ボクは貴方に軽蔑されるべき人間だ」

「……何?」

「博士との別れ際、ボクはあの人の聖都での研究資料を纏めて預かった。
──他に託せる者も居ない。処分するも、利用するもボクに委ねるとね」

それが一体どうしたのかと問いかけた所で、煙草を持つ指が震えている事に気付く。レイシェントの頭の中でようやく途切れていた線が繋がった。

「まさか、イレインの研究を元に光使いを完成させたのは……!」

レイシェントはユーリックに向き直るが、彼は頑なに前方を向いたまま煙草を吸っている。長い前髪が邪魔しているせいで今の表情を窺うことは出来なかったが、静かに一つ頷いた。

「……世界の余命を伸ばす為と、ボクなりに大義を以てやった事だ。例え誰に──それこそ、ボクが創った子供らから外道と謗られようと構いはしない。
……唯一呵責があるとすれば、信頼され託されたこの研究の、もう少しましな使い方を見出だせなかった事か」

何と言葉を返すべきかと迷いはしたが、訊くべき事は明らかであった。「後悔は」と、ただ一つの設問で事足りた。

ユーリックはゆるりと首を回して此方へ向き直ると、雨上がりの夕凪の様な笑みで「有りはしません。一片とも」と答えた。

「有るとすれば学者としての力量不足位なものだ。ボクが命を賭して臨んだ使命に、後悔などと言う惨めなものは存在しない」

それに因って生み出されたものが如何な末路を辿ったかなど、訊いた所でレイシェント以上に彼自身が自覚をしている事だろう。
それを踏まえての言葉であるはず。

「言っておきますが、創ったものに対する責任を放棄する気も毛頭無い。それも含めてボクの使命だ」

「……ならば私の口出しする事は無い。その事実だけ受け止めておく」

普通ならば自らの行いに対する責任の取り方云々と能弁垂れて然るべきなのだろうが、そんな安い理屈をこの男が解っていない筈が無い。故にただ、黙して頷くだけで充分だった。

「相変わらず、物分りの良い上官殿だ」とユーリックは吸い差しの煙草を携帯灰皿に捩じ込み、眉尻を下げながら苦笑した。

─────

いつの間にか陽が傾き始め、短い昼の時間が終わろうとしていた。
夜になるには未だ間があるがユーリックは「さて」とベンチに立て掛けた剣を杖に立ち上がる。

「長く休憩を取り過ぎた。そろそろボクは戻らせて頂く。
……貴方も、こんな所で休まず中に入られては?非常時とは言え、此処よりはましな場所くらい用意出来る」

終始脱力し切った此方の様子を見てだろう。
単純に厚意からの提案である事は解っていたが、レイシェントは首を横に振った。
やはり軍の施設は居心地が悪いか、と言われればそれも違うのだと首を横に振る。

迷いはしたが、誤魔化しが通用する相手では無いかと早々に諦め、自らの身に起こっている体調の異様な落差について話した。

「……成る程。夜は何ら問題無く……むしろ活発に活動出来るのに対し、日中はほとんど動けないと……それは、まるで……」

「魔物と同じ様に、だ」

僅かに躊躇った言葉をレイシェントが容易く引き取り、ユーリックは眉間に皺を寄せる。

「……いつからかね?」

「数日前からだ。最初は気のせいかと思っていたが、段々と症状が顕著になっていっている」

「………」

顎に手を添え、長い溜息を吐きながら思案する。だが、思案するまでもなく聞いた瞬間から彼の身体に起こっている変異に対する予測は立っていた。

「……安定していた融合率の均衡が崩れ、魔物化が進んでいる……と言ったところ、だろうね」

解っていたつもりでも、心の何処かで否定を求めていたらしい。やはり、と影を落とす心とは裏腹に、身体はユーリックの意見を肯定するかの如く夜が近付くにつれ再び力を取り戻しつつあるのを感じていた。
宿主の意志とは無関係に身体は夜を求め、依るべき安息としている。

魔物化が進めば言わずと知り、この身を主導する人間性も侵され欠かれゆく。そうなれば再び人に対して牙を剥く化物と成り果てるのだろう。
あの時はエリザベートによって抑えられたが、今度は違う。力を増した今の状態で再び暴走を始めれば、死を以ての討伐されない限り始末は出来ないだろう。
人としての終焉、その刻限が迫っている。最早これは否定し様の無い、明確な事実であった。

「…………」

「貴方の実験記録を読んでこそいるが、魔物とヒトの人造亜種はボクの研究の範囲外だ。……残念ながら、ボクからの対応策は」

ユーリックは上辺の平静を保ってはいたが「何も」と口にした時、こう言う時に限って何一つろくな策を講じられない事実を自らに突き付けられ頬を引き攣らせた。
表情を悟られまいと明後日の方向へと顔を逸らした。

「……そうか」

そもそも人工的に魔物の因子を投与され、現在まで安定して生命活動が出来ていた事例など他に存在しない。むしろ今まで人として意志を保っていた自分こそイレギュラーだったのだ。
考え様によっては、無理矢理先延ばしにされた“来るべき時”がようやく恙無い歩みを始めたに過ぎないのだ。

「君でも、そう言う時があるのだな」

「これは、意地の悪いことを仰有る。ここぞとばかりに仕返さないで頂きたい」

眼を細め、冗談を含んだ声色でレイシェントが皮肉るとユーリックは困惑混じりで苦笑した。

「──君は、人造亜種の実験記録を把握していると言ったな。
ならば、実験体がどの様に処分されたか知っているか?」

「……いや、それは」

ユーリックは口元を押さえ、言葉を吃らせる。レイシェントは自らの抑揚の乏しい口調が語弊を呼んだかと服の襟首を下ろした。首元も顔と変わらず血色の悪い色であるが、それだけに深く刻まれた傷はひどく目立った。
ユーリックはどういう意図かと表情を訝しめる。

「……研究施設で目覚めた後、死ねないものかと何度か自分でも試した事がある。
……だが、この通りだ。首を掻こうが心臓を潰そうが、痛みに悶えるだけ悶えて元通りに治ってしまう」

尤も、それはかつての事であり、今や投げ遣りな自殺願望は無い。
だが、時が来れば自らの手で始末を付けなければならないのだ。方法があるとするならば知っておかなければならない。

この様な後始末を、誰かの手に委ねるなど出来はしない。自らの矜持として許し難かった。

「そんなもの、自分でやる必要は無い」

「……君なら自分でやれ、と言うと思ったが」

「最期くらい誰かに預けようとは思われないのか」

「遺される者の痛みを、焼けた鉄で殴られる様な痛みを預けろと?」

後に取り遺される者に与えられる痛苦は知っている。知り過ぎている。
けして逃避を許さないそれが如何に心を削ぎ、心を潰すか。

「……」

ユーリックは口を噤むも、浮かぶ表情には『そう言う事ではない』のだと、反論の意が見て取れた。
レイシェントは少々勢い任せに言い過ぎたと一つ、伏し目がちに息を吐き出す。

「……解っている。
だが、私の遺志を預けたいと思う者に、要らん痛みを遺したいとは思わんだろう。そう言う事だ」

「ボクは兎も角、エンデュランス君辺りが許さないのではないかね」

「だろうな」と容易く想像のつく結果を思い、額を押さえながら溜息を吐き出す。
だが、それで良い。
既に墓石に名を刻んだ者が、前時代に取り残された亡霊が今更この時代に遺すべきものなど有りはしないのだ。

「何が『だろうな』だ。
私の居ない所で解った風な口を利いてくれるんじゃない」

唐突に飛んできた声にレイシェントは思わず肩を跳ねさせ、ユーリックは慌てた様子で背後を振り返った。

何故此処に、しかも丁度示し合わせた様なタイミングで。
ユーリックへ目配せすると『自分も全く気付いていなかった』と口には出さず小さく首を横に振って応える。

「失礼、立ち聞きなど無粋な真似はしたくなかったのですが……。
全く姿を見せなくなったと思ったら。そうかそうかそう言うことか」

狼狽えた二人には構わず、怪我人とは思えない歩調、大股で真っ直ぐ此方へ向かって来る。
墓石群に敷かれた石畳を抜け、ユーリックの側を横切り、レイシェントの目の前でぴたりと脚を止めるとずい、と顔を寄せる。

「見縊ってくれるな。お前がどう思っていようが私は、私達は仲間だ。
仲間の生殺与奪くらい預かれず何が仲間か」

「聞いていたのだろう、そんなものを人に預ける気は無い」

そんなろくでもない痛みを負わせる為に、まして自らの不始末の後片付けを任せる為に此処まで行動を共にしていた訳ではない。
レイシェントはエリザベートの視線から逃れる様に眼を逸らすが、逃すまいと襟首を掴む。

「私はな、折角命を拾ったなら、確り生き返って欲しかった。生きた意志を繋いだ上で幕を引くまで。それが命に対する責任だ。
勝手に独りで死なれてはお前を引き込んだ意味が無いんだよ」

「それは、……」

それこそ勝手なと思うも、拾った命に対する責任と言われてしまうと喉まで出かかった言葉は自然と飲み下された。

「安心しろ。幸いな事に、わざわざ総監に訊かずともお前の止めの刺し方は私が既に知っている」

だから、とエリザベートは一呼吸置いて続けた。

「もう少し此方に預けろ、お前が負うものを。残った時間を魔物を屠るだけの者として生きるのではなく、人として余生を使え。
私が悔い無く、最期を見届けられる様に」

「……私は見せ物ではないのだが」

一方的に言いたい事を言って満足したのか、ようやくエリザベートは襟首から手を離した。
やれやれ、と出会った時から相も変わらない傲岸さにレイシェントは額を押さえていた。

エリザベートは紫色に暮れ始めた空を仰ぎながらいつも通り、涼やかな表情で嘯いた。

「お前の人生を私に魅せたのは、お前だろうに」