03

「……やはり駄目だ。深く潜られたか、もう僅かの気配も感じない」

レイシェントは首を横に振り、深々と溜め息を吐き出した。
ネイエリエが姿を消した後、クラレンスはまたもいつの間にやら姿を眩ませていた。幸か不幸か通報は届いていたらしく、事後処理は駆けつけた兵士らに任せる事にした。
猟奇的な現場を目の当たりにした兵の中には気分を悪くする者や冷静で居られない者も居たが、恐らくは粛々と片付けられ身元確認も儘ならないまま雑多に弔われるのだろう。今この階層間エレベーターを止める訳にはいかないのだ。
事態の説明を終えたゼクティスはレイシェントと共に彼女を追おうと数時間聖都内を歩き回ったが、如何に彼が意識を研ぎ澄ませてネイエリエの気配を探ろうともただの魔物と出会すのみで、残滓の痕跡さえ見付ける事も出来なかった。

レイシェントは傷を負っていたはずだが、流石の回復力と言うべきか。痕は残っているものの、ネイエリエに斬られた傷は既に綺麗に塞がっていた。
陰鬱な顔でゼクティスは手に持った装飾剣に目を落とす。その手に持っていたのは、件の月詠であった。
粗方拭き取りはしたものの、浴びた血糊で薄紫の刀身は酷く曇り切っておりべたついている。かつてジェノブロウの側に携えられていた時の様な優美な輝きは一切消え失せていた。

ネイエリエが持っていたのだろうか、彼女が消えた場所にこの剣だけが残されていたのだ。
首尾良く手に入った様に見えるが、まるで此方が捜していた事を知っていて敢えて残されていた気もする。まるで作為された贈り物だ。
事実、この剣が置かれた床には御丁寧に血でリボンの形が描かれていた。

仮に月詠が意図してもたらされたものだとしても、あれだけの死者を出した上での成果としては余りにも、釣り合わない。責め咎を受ける謂われはないが、元凶をみすみす逃したのだ。
責任を感じずには居られなかった。

「……それで?お前はどうする、ゼクト」とレイシェントが此方を振り返る。
ゼクティスに病院に戻る意志が無いとは言え、月詠を持ったまま聖都から去る訳にもいかない。
かといって、レイシェントに預けられる様な代物でもない。迷いはしたが、仕方無いと半ば強引に自身を頷かせる。

「……一旦執政府に行って、ジェノブロウにどうにかコイツを預けて来る。俺が持ってたってどうにも出来ねぇし」

その答えにレイシェントはそれで良いと頷く。

「……その後は」

「解ってんだろ、あいつ……ネイエを捜して、俺が殺す。あいつは俺が始末をつける。必ず」

仕留め損なった自責もあるが、かつての縁者として自らが決着を付けなければならない。濁った瞳にも、鈍い光がゆらりと灯った。

「……」

「此処には来ねぇって言ってたし、何より俺が一番の狙いだ。取り敢えず聖都からは離れる事になる」

寄り道が出来たとは言え、最終的な意向は変わらず聖都から離れようとはしていたが今度は真っ当に理由がある。
レイシェントは最初に再開した時の様に反論する事も無く「そうか」とあっさり諾した。

「……ならば、此処で別れだな」

妙に間を置いてレイシェントがぽつりと呟いた。
ゼクティスと違い、彼は当分聖都を離れる気は無いのだろう。魔物の探知に優れた彼が居れば、とも思わなくも無いが今の聖都の現状を鑑みてもレイシェントの存在が必要なのはこの場所の方だろう。
自身の問題に巻き込む道理も無く、自らの手で決着をつけねばならないとなればむしろ好都合だ。

「まぁ、当分の間はな」

「私が言う事でも無いが……あまり気負い過ぎるな。盲目になる」

「……そりゃ、あんたの経験則か?」

「私が言う事でも無い、と前置きしたろう」

先刻の厳しいものとは打って変わった態度だと思いゼクティスは揶揄してみるが、レイシェントはいつも通りの無表情で淡々と返す。
端から見れば口調は一本調子で冷淡にも見えるが、長い付き合いになったゼクティスには確と変化を感じ取れる。
どうやら随分と気遣われてしまっている様だ。やれやれと嘆息し「ご心配、どうも」とゼクティスは頭を掻いた。
レイシェントは踵を返すと、擦れ違い様に軽くゼクティスの肩を叩く。

「日はまた昇る。夜は、いつか明ける」

どちらへともつかない言葉を残し、レイシェントはまた闇の中に身を窶した。何に向けたものか、などとわざわざ真意を問うまでも無い。
ゼクティスもまた執政府へと足を向けていた。

─────

時刻は六時を回ろうとしていたが、やはり朝が来る様子は無い。
この長夜は月詠を取り戻すだけで良いと言う訳でも無いらしい。多少なりとも期待していなかった訳でも無く、幾何かの落胆を覚える。

「小僧」と不意に聞き覚えのある声が掛けられる。
周囲を見回すと、ほんの数mの距離にクラレンスが近付いて来ていた。
油断などしてはいないしむしろ魔物への警戒の為、気を張っていたつもりだったのだが。やはりこの男の気配はどうやっても捉える事が敵わない。
何処へ消えていたのかと尋ねると、軍の方へ階層間エレベーターでの惨状を連絡していたとの事だった。

「その様子では、そちらの収穫は無かったか。まぁ、当然だろうな」

魔物の気配に過敏なレイシェントが居たとてはなから期待はしていなかった、と言ったところか。深層に潜ってしまった魔物を再び見付けられるとは彼も思ってはいなかったらしい。
クラレンスに再会したついでに丁度良いと、先刻抱いた疑問を問う事にした。

「あんた、さっき『リオ』って先生の名前を言ってたな。先生とも知り合いだったのか?」

「は、先生。あの小娘が先生か」とクラレンスは口の端を歪めて笑いを洩らすが、直ぐに表情を改めて頷く。

「一応。……と言っても、正直大した事は覚えてはいない。
恐らくNo.0(ゼロ)の存命時に何度か顔を合わせた……ような気がする」

随分と曖昧だな、と訝しむとクラレンスは「仕方無いだろう?」とわざとらしく肩を竦めた。

「彼方側へ記憶を縛っていたNo.0(ゼロ)が消えてから段々と戻ってきてはいるが、完璧とは程遠い。曖昧にならざるを得ん」

「戻って……?あんたまさか、記憶が無かったとでも?それにしちゃ……」

記憶が無いにしてはジェノブロウとの対面時には随分堂々と対峙し、話していた様に見えたが、とゼクティスは思う。
クラレンスはフードに覆われた己の頭を指先で叩く。

「まだまだ欠損は多いが、身の上を話すのに不自由は無い。それにあの場で曖昧に言葉を濁すのは宜しくないだろう。
当然だろうが、現皇帝は俺を信用してはいない様だしな」

不完全な記憶を頼りにジェノブロウに対してあれほど不遜な態度で話していたとは。だとしたら随分な胆力だとゼクティスは感心したくなる。
だが、思い返せば彼は早々に自身の事に関しては話を切り上げていた。無用な詮索を嫌ってかと思っていたが、そういう事かと納得する。
但し記憶が朧気とは言え、虚言を言ってはいない。とクラレンスは最後に付け加えた。

「しかしあの剣、DIABOLOSは確かにリオが持っていた剣だ。
確かセイル──初代皇帝のセイレネスが連れていた子供だった」

「あぁ。先生はNo.0……初代の皇帝の為に動いてた様だし、よっぽど強い結び付きがあったんだろうってのは俺でも解った」

そこで、境界内でリオと対峙してからずっと心中に根を張っていた疑問を思い出す。
クラレンスに訊いた所で解る事でも無いかも知れない、と躊躇いはしたが、ゼクティスは問わずには居られなかった。

「その、初代皇帝……セイネレスか。そいつと先生はどういう関係だったんだ?」

「何だ、本人には訊かなかったのか」とクラレンスは意外そうにフードの下の眼を見開く。

「……んな事訊く余裕なんざ、無かった」

そう言って眼を伏せたゼクティスの様子に、おおよそクラレンスは察する。
一方的に痛い目を見せられ、ろくに対話する猶予も与えられなかったのだろう。尤も、最終目標への障害であり排除しなければならない相手と感傷に浸り対話するなど愚行でしかない。その事も理解した上での結果だろう。

「あの二人の間に何があったかなど、俺も詳しくは知らんが、単純に表現するならば“主従”が妥当だろうな」

「主従関係?それだけで……」

ゼクティスは怪訝を露に眉を寄せた。
果たしてセイネレスに遣えていたと言うだけで、人類を廃滅させんばかりの復讐心を生み、実行するに至るものだろうか。少なくともゼクティスが知るリオは理智の上の打算を積んだ上で現実主義な思考を行動基軸としていた。

「生憎と俺は奴から除け者にされていた身でな。兄と言えど余り突っ込んだ事は解らん」

「……」

しばしフードの下に隠れたクラレンスの顔を見詰めていたゼクティスはやがて「そうか」と短く呟いた。
後は推して知るべしと言ったところだろう。それに、幾らかリオと近しい人物とは言え、この得体の知れない男から聞き出す様な事でも無かったか。

「それで、月詠は無事戻ったんだろう。お前は使えないのか」

クラレンスはゼクティスの持つ月詠を顎で示す。彼がジェノブロウの写しならば或いは使えるのではないか、と言う意味での言葉であろう。
身の上を知ったとて有難がる事など無かったが、ましてそう都合の良い身体でもない。ゼクティスは首を横に振る。

「大方これを使えるとしたらジェノブロウだ。そう言うもんなんだろ、これは。
何ならあんたの方が使えるんじゃねぇのか?」

「無駄だろう」

ゼクティスは試しにクラレンスへ月詠を差し出してみる。
皇族の生体情報を識別すると言うのであれば、むしろこの男の方が可能性は有るのではないか。結果は既に見えている様なものだが、ものは試し程度の軽い気持ちだ。

「月詠と言うのは皇帝と言う孤独な存在に添う為の剣だ。唯一皇帝のみ行使権が……ッ!?」

どうせ何も起こりはしないとクラレンスも手を伸ばし、月詠の束を握りかけた時。突然電流でも流された様にその手が跳ね、反射的に後ずさった。
手を渡り損ねた月詠は、乾いた音を立てて地面へ滑り落ちた。

「どうしたんだよイキナリ……」

「い、いや……済まん……」

予想外の事にゼクティスは眼を丸くしている。
だがそれはクラレンスにとっても同じらしい。平静を保とうとはするが、彼の顔はフードに隠れていても判る程にはらしくも無く動揺していた。

「……月詠に触れた時、何か閃光の様な……光が弾けて一瞬視界が奪われた」

「閃光?」とゼクティスが返した事から、今のは自分にだけ視えた幻覚かと知る。
僅かに躊躇いながらも、彼は落としてしまった月詠へ手を伸ばし、今度は確と掴んで拾い上げる。

「……ッ……これ、は……」

束を握り、険しく眉を寄せ苦し気な表情を浮かべる。しばし月詠を見詰めていたが、やがて疲労感を滲ませながら首を振ると押し付ける様にゼクティスへ返した。

「おい、どうしたってんだよ」

「……俺にも解らん……。ただ、これを手にすると映像の様なものが、目の前に現れる。
だが、今視えたものは全て黒く塗り潰されていて何が何やら……」

空いた手で額を押さえながら、彼だけに視えたと言うものを話す。尤も、具体的な情報を得られたと言う訳でも無いらしいが。

「……だが一つ判った。大方月詠は黄泉域に晒され、一度魔物どもの手に渡って無理矢理行使させられたせいで穢れを受けて正常に機能しなくなっている」

「穢れ?」

「そうだな、現代に合わせて言うならば……コンピュータがウイルスやバグに冒されている様な状態だ。
それで起動すべき機能が動かず俺に視せようとしたものも黒塗りになっていた、と」

ゼクティスはあぁ成る程と頷くと同時に、この男が思いの外柔軟な例えをして来たことに感心していた。
千年単位の時を越して来たとは言え、この男なりに現代に順応し生きていると言うことか。

「じゃあ、このままジェノブロウに返しても意味は無ぇってのか?どうやったら元に戻る……」

「何れにせよ、一度主に返した方が良い事に変わり無いな。少なくとも俺達が持っていても意味は無い」

クラレンスは既に元の落ち着きを取り戻していた。彼は先んじて確かな足取りで執政府への道を歩き始める。ゼクティスもまたそれに遅れぬよう続いたのだった。

────

今回の一件で執政府は現在軍本部と併合した共同対策本部の拠点となっている。平時から駐在している職員に加え、軍装の兵士が絶え間無く右へ左へと行き交っている。

最初はその中の一人を適当に捕まえ、取り次ぎを図った。
しかし、流石に皇帝まで直ぐに取り次げる人間がその辺を歩き回っている訳も無く、声を掛けられた者には困惑顔で「しばらく待って欲しい」と言い置かれるばかりだった。
加えて、先刻起きたネイエリエによる大量殺戮の一件で調査や対応に追われているのもある。ようやく魔物の脅威が落ち着き始めた矢先の出来事に再び混乱を投げ込まれた状況なのだ。
ひたすら待たされる羽目になったとしても、此方への対応としては相手にされないよりもずっと親切なものだ。

諦めて大人しく待つより他無かった。が、これでは埒があかない。

「あんたは直接ノクサスなんかには取り次げないのか?」

「導師は今、皇帝と同等の保護対象者だ。そして今の俺の立場は下級兵どころか雇われものの傭兵。
立場が違い過ぎる。勝手に招兵部隊に紛れて来ただけで、正式な要請を受けた訳でも無いしな」

「俺達より付き合い長いって言ってたじゃねぇか……当てになんねぇな」

「勝手に当てにするな」

直接ジェノブロウへ取り次ぐ事が難しいなら多少は繋がりのあるノクサスへ、と思ったのだがそれも難しいかと、床に座り込んだ体勢で頬杖をつく。
不本意ながら今回の件で面識が出来たのを口実にして手っ取り早い連絡先でも訊いておけば良かったか。少なくとも月詠の件が片付くまでそうしておくべきだったろう。
どうしたものか、とゼクティスはおもむろにポケットから携帯端末を取り出し開いてみる。

「あ、そうか……」

数少ないアドレス一覧が記録された画面を見て思わず気の抜けた声が洩れた。
恐らくこの状況下であっても退屈を強いられているであろう都合の良い取り次ぎ相手を思い出し、ゼクティスは回線を繋いでいた。

─────

約十分後、ゼクティス達の前へ姿を現したのはクルシュケイトであった。
レギオン達はノクサスの元へ置いて来たのであろう、姿を見せたのは彼女一人であった。

「未だ寝てると思ってたのによ、いつの間に出歩いてんだっての便利屋」

欠伸を噛み殺しながら「何処で勝手に野垂れ死のうと知ったこっちゃないけどさぁ」などと相変わらずの不機嫌面で口では悪態をつきながらもやることは確とやってくれたらしい。
あっさりとノクサスへの面会許可、及びノクサスからジェノブロウへ連絡をとって貰う様に話を付けて来た。

「にしてもさ、どーいう組み合わせなの。あんたら、知り合いだっけ?」

道中、クルシュケイトは此方を振り返って指差しながらゼクティスとその後ろをついて来ているクラレンスを見遣る。
一応説明しておくべきかと思ったが、この時ばかりは『黙っておけ』と言う無言の抑止圧を背に感じたため「成り行きで一緒に動いてるだけだ」とだけ返しておいた。

時刻は七時前。
夜明けは来ていないにしろ早朝の時間帯であったがノクサスはとうに起きていたのか、導師の衣装ではないものの、既に身形を整えて椅子に腰掛けていた。やはり目元は包帯で覆われてはいたが、前回の負傷直後の様子と比べれば白んでいた顔色も元に戻っていた。

「ゼクティス君!よく来てくれたね」

見えてはいないにも関わらず何故判ったのか。此方が声を掛けるより先にノクサスは口角を上げて声を掛けてきた。
「もう直ぐジェノも来るだろう」との言葉通り、十五分程待った所でジェノブロウも現れた。
尤も、ノクサスとは対照的に、ゼクティスが先刻まで寝台の上に居た事を知っているジェノブロウは余り良い顔をしてはいなかったが。

「あー……、呼び付けて悪ぃ」

「それは構わないが……まぁいい。それで、何かあったのかね?」

詫びを入れるポイントが違うとは知りつつも、一言入れておく。
ジェノブロウは軽く溜め息をついたが、それだけだった。彼もゼクティスが周囲の言い付け通り大人しく療養に勤しむとは思えなかったのだろう。
ゼクティスは「あぁ」と頷くと携えていた月詠をジェノブロウへ差し出した。
まさか、とジェノブロウは眼を見開き途端に表情を強張らせた。

「これは……!」

「あんたも知ってるだろうが、さっき階層間エレベーターに居た人間がネイ……魔物に皆殺しにされた。
その魔物を追い払った後にコレが残ってたんだ。取り敢えず本物かどうかを見てくれ」

「あの現場に居たのか、よく無事で」

「……何も出来なかったけどな」

ゼクティスの手から血糊で汚れきってしまった月詠を受け取ると、照明に翳しながら角度を変えつつ暫し眺める。

「……確かにこれは月詠だ。しかし……」

自らの手にようやく戻った剣を前にしてもジェノブロウは眉をひそめたまま、表情は晴れない。
どうやら、本来の使い手であるジェノブロウにも当然の如く解る様だ。

「やはり、あんたにも月詠の声は届かないか」

「やはりとは?」

クラレンスの声にジェノブロウは彼を振り返る。
先程、彼が月詠を持った際に起こった出来事、そして月詠を冒していると思われる穢れの事を掻い摘んで説明した。
だが、ジェノブロウは月詠を冒す穢れよりも別の点に反応していた。

「待て、月詠が貴方にヴィジョンを視せようとしたと?」

「あぁ、それで月詠の機能不全と穢れに気付いた。……本来、現皇帝のみが行使権を持つ月詠が何故俺に反応したかは知らんが……」

「……クラレンス、貴方はこの月詠の事を何処まで知っている?」

ジェノブロウは不意にクラレンスへ問う。
ある程度訳知り顔で話してはいるが、この男にも把握しきれていない所があるのだ。
クラレンスは顎に指を添えて少し考える素振りをしてから事も無げに答えた。

「神話時代からの遺物。夜と虚無を喚び込む鍵でありその権限はその時代の皇帝に委ねられる」

これが模範と言わんばかりの明解にして簡潔な答えであった。その先へ言葉を続ける様子は無いと悟ると「そうだ」とジェノブロウは頷き、更に続けた。

「この月詠は皇帝を唯一たらしめる為に常に共に在り、補佐をする“使命”を担っている。
その使命は単なる武器や道具として与えられたものではない。
“神”の道具としてではなく、“人”に寄り添う為に宿った意志がもたらしたものだ。
だからこそ、この月詠は定められた者にのみ応える」

「この剣にも考えがあるって事か?」

「自立的思考が可能と言うものではないが、月詠が応えるか否かは剣に宿りし意志により選定される」

「つまり?何が言いたい」とクラレンスは今一つジェノブロウの話に要領を得ていない様子で首の後ろを掻く。

「……月詠に宿るのは、この神器を人の手に降ろした者の意志だと言われている。……“アイレシア・リーヴァ”」

「なに……?」

ゼクティスには全くの初耳の名であったし、ノクサスにも思い当たるものでも無いらしい。
だが唯一クラレンスだけは途端に瞠目し、顔色を変えた。

「馬鹿を言ってくれるな、皇帝よ。
その剣の中に千年以上前の人格が封じられ続けているとでも?」

「初代皇后にして、母を知らぬ我ら皇帝達全ての母たる者。その母を介して子である我らは世界の理、或いは情報を遺伝の如く継承する」

曰く、月詠の継承の際には“アイレシア”の存在を強く認識させられるのだと言う。
尤も、それが彼女の生ける意志か或いは遺された遺志かは現使用者であるジェノブロウにも判然としない様だが。

「アイレシアの名を知っているなら、覚えがあるのだろう?」

フードの下から覗く口許を見るだけでも、彼が歯噛みし苦虫を噛み潰した様な顔をしているのは窺えた。長い沈黙のあと、ぼそりと一言口を動かした。

「……アイラ……」

「……私に応える事が出来ない状態にあっても尚、貴方には反応した。
それほどまでに強く、何か伝えなければならない事があったのだろう……心当たりは?」

「……」

フルネームではなく略称が出たあたり、この男の穴だらけの記憶の中でも強く在る者なのだろうか。
しかしクラレンスは額に指を押し付け、口許を自嘲の形に歪めると引き攣れた嗤いを洩らしていた。
そして「検討も付かんな」と顔を上げ、違い色の眼を覗かせた。

「……だが『アイレシア』『アイラ』。その名を聞いて思い出したよ。
それは神巫(かんなぎ)の使命から逃げ、兄と共に俺と故郷を捨てた女の名だ」

「使命を……?」

その声色は先程までの落ち着いたものとは打って変わって憎悪を露に、吐き捨てる様なものだった。
怨嗟を滲ませる言葉を向けられるとは予想だにしていなかったのだろう、ジェノブロウは眼を見開く。

「神巫とは、現在の都市に使われる防衛壁の技術が出来るまで“代わり”をしていた。
星孔……クエーサーから噴出する洸晰を使い、瘴気や魔物を弾く防壁を創る者だ。アイレシアは生まれながらその大義を負っていた」

洸晰を使い、護りの壁を創るとは。それもまたセイレネスの様に前世代の人々に残されていた神世代の恩恵と言うやつなのだろうか。
先天的なものか人為的なものかの違いこそあれ、それはまるで光使いの力ではないかとゼクティスは思う。
当時の神巫に課せられた使命とは、一年周期で各地に点在するクエーサーを巡り防護壁を張り直す事だった。

「俺達兄弟は幼い頃から彼女の使命を近くで見てきた。ひたむきに尊い使命を全うする姿に憧憬の念もあった」

だが、とクラレンスは憤りを露に語気を強める。

「俺がそこの小僧と同じ位の頃だ。セイレネスが初めて護衛に参加した巡礼で“あれ”は姿を消した。
奴等が戻るのを信じて待っていた連中は、最終的に安全圏がクエーサーから半径一kmまで狭まり、決死で故郷を捨てて他所へ逃げるか、或いは狭い檻で怯えながら生きるかの二択を迫られた」

アイレシアに伴っていた護衛が悉く殺され、死体で見付かった事はクラレンスの元へも届いたが、その死体の中にセイレネスとアイレシアのものは無かったのだと言う。
魔物に襲われたのだとして、もし彼らが生き延びているのなら何としても無事に連れ戻さなければならない。と彼は意を決して故郷を出た。

「だが、奴らは端から故郷を捨てる気だった。当時最も瘴気の汚染が酷く、元凶とまで言われていたこの地を目指していた。
余計な護衛を殺し、俺を含めた全てを裏切ってまでな!」

クラレンスは長きに渡る眠りから鎌首をもたげて蘇ってしまった醜い憤りに握った左手を振り下ろし、虚空を殴り付ける。
まるで忘れていた古傷から突如として鮮血が吹き出すに似た痛みが胸中を襲っていた。

「くそ、こんな記憶なら……忘れていた方が楽で良かった」

おもむろに、後世にある現代にアイレシアの名はどの様に伝わっているのかと、クラレンスは問うた。
ジェノブロウは逡巡しつつも応える。

「そうだね……我々にとって初代皇后は、情報をもたらし使命を支える者でしかない。
彼女自身についての記録、或いは記憶は残されてはいない……と言うよりは在位期間が余りに短かった為に残すものが無かった。と言うべきか」

皮肉の一つでも返すのかと思ったが、クラレンスは静かに眼を伏せ「そうか」と応えたのみでその後は押し黙ってしまった。
裏切りの結果として今日の中枢都市とまで呼ばれる様になった聖都の基礎を築いた功を実際に目の当たりにしているのだ。憎悪は抱けどその実、胸中は複雑なのであろう。

「神巫か……皇后アイレシアが光使いに似た……洸晰を操作する力を持っていたのなら、連綿と情報を伝えられると言うのも考えられる。
洸晰には情報媒体としての側面もあるからね」

ジェノブロウはノクサスへと視線を動かすと、盲目の筈の導師はその動きが見えているかの様に「そうだね」と頷く。

千里眼(clairvoyance)の探査能力の補助としてレヴィアの洸晰を使った事例が一番近いだろうか。あの時は網目の様に張り巡らせた洸晰へ意識を投影させた。
これこそ洸晰に意識を乗せる事が可能であると言う証明だ。

その時、何を思い立ったか「そうだ!」とノクサスが突然声を上げる。

「ジェノ、月詠を俺に貸してくれないか?
月詠の中に宿った意志……いや洸晰が穢れに冒されているなら、俺の“眼”で観測するのはどうだろう。そうすれば、穢れを払う方法も掴めるかもしれない」

「は?いやでもあんた、もう見えないんじゃ……」

いきなり何を言うのかとゼクティスはノクサスを振り返る。だが、問題無いとでも言う様に口元はいつもの笑みを形作っていた。

「視力が無くなっただけで千里眼(clairvoyance)自体は健在なんだよ。
視覚的に見る事は出来ないけど、情報を視る事は出来る」

むしろ視覚が無くなった事で事象観測の精度は上がっている。とは言うものの、そもそも彼の視力を奪ったのがその千里眼(clairvoyance)なのだ。
ノクサスは手を差し出して月詠を寄越すよう促すが、ジェノブロウも素直に頼むとは言えないのだろう。眉根を寄せてノクサスの顔を見詰めるばかりで渡そうとはしない。

「月詠を冒すのは黄泉の穢れだ。視るだけとはいえリスクが予想出来ない」

だが、ノクサスもけして手を引こうとはしなかった。

「ジェノ、俺なら大丈夫だ」

「駄目だ。そう言って君は視力を失った。
一都市を統べる導師の身柄を預かる者としても……友としても、認める事は出来ない」

「……参ったね、じゃあどうするんだい?」

ジェノブロウは頑なに首を横に振る。ノクサスは差し出していた手で困った様に首筋を掻き、首を傾げる。

「……せめて、前回の様に“補佐”を付けるか……」

「補佐、ね……」

「何にせよ、目の前の解決策に安易に飛び付くのは危険だ」

ノクサスは明らかに納得はしていない様だったが、これ以上彼を酷使して万が一の事があればノクサスの意志とは無関係に第壱都市との関係は崩壊するだろう。
月詠はこのまま預からせて欲しい、とジェノブロウは言葉を括った。
気付けばクラレンスはまたもや姿を消していた。また必要になれば現れるのだろうが、あの話を聞いた後で、未だ此方に協力する気は有るのかは解りかねた。

─────

ジェノブロウと共に部屋を出た途端、ゼクティスは勢い付けて振り返り、詰め寄った。

「さっきの“補佐”ってのは、レヴィアの事か?」

低く、押し殺した声でジェノブロウに問う。
先程はノクサスの手前、平静を装っていたがゼクティスはジェノブロウの“補佐”の引っ掛かりを覚えていた。
レヴィアが回復すれば、今度はまた別の事に利用されるのではないか。例え利用ではなく、協力であったとしても、大事であれ些事であれ、もうこれ以上レヴィアに厄介事に関わらせたくは無かった。
方やジェノブロウは一つ息を吐くと飽くまで落ち着きを払った侭、ゼクティスの肩に手を置く。

「あれは一つの例だよ。気に障ったなら済まない」

「俺は良い。けど……」

自分でも過剰に反応し過ぎている、と自覚し動揺する。伏せた眼を彷徨わせ、逡巡しつつもジェノブロウの青眼を真っ直ぐに見据えた。

「あいつの目が覚めても、もうこれ以上はあんたや軍の思惑で振り回さないでやってくれ。
そりゃ、あいつにしか出来ない事はあるんだろうし、出来る事があるならやろうとするだろうが……。
けど、あいつは軍人でもなけりゃ政府の人間でもない。ただの一般人だ」

「もう、充分だろ」と静かに、だが強い声音でジェノブロウに嘆願した。

「……それは、彼女の護衛としてか、それとも君個人の頼みかね?」

何とも答え難い質問をするものだと、ゼクティスは心中で舌を打つ。やはりこの男とのやりとりはどうも苦手だ。やや投げやりながら、それでも確かな意志として告げておく。

「……両方だよ」

詰め寄られたままの体勢ではあるが、ジェノブロウは満足げに目を細めると「解った」と笑みを浮かべた。
レヴィアを戦いに関わらせないように。こんな事、自分が口にする資格など無いのだが、それでもとゼクティスは再度「頼んだ」と念押す。
敵うとも思ってはいないが、やはり最後までこの男が舵を取るばかりだったかと溜め息を吐いた。

─────

ゼクティスが第三階層の執政府を出てから聖都のゲートを潜る頃、ようやく空は青く白み始めていた。

「……やはり駄目だ。深く潜られたか、もう僅かの気配も感じない」

レイシェントは首を横に振り、深々と溜め息を吐き出した。
ネイエリエが姿を消した後、クラレンスはまたもいつの間にやら姿を眩ませていた。幸か不幸か通報は届いていたらしく、事後処理は駆けつけた兵士らに任せる事にした。
猟奇的な現場を目の当たりにした兵の中には気分を悪くする者や冷静で居られない者も居たが、恐らくは粛々と片付けられ身元確認も儘ならないまま雑多に弔われるのだろう。今この階層間エレベーターを止める訳にはいかないのだ。
事態の説明を終えたゼクティスはレイシェントと共に彼女を追おうと数時間聖都内を歩き回ったが、如何に彼が意識を研ぎ澄ませてネイエリエの気配を探ろうともただの魔物と出会すのみで、残滓の痕跡さえ見付ける事も出来なかった。

レイシェントは傷を負っていたはずだが、流石の回復力と言うべきか。痕は残っているものの、ネイエリエに斬られた傷は既に綺麗に塞がっていた。
陰鬱な顔でゼクティスは手に持った装飾剣に目を落とす。その手に持っていたのは、件の月詠であった。
粗方拭き取りはしたものの、浴びた血糊で薄紫の刀身は酷く曇り切っておりべたついている。かつてジェノブロウの側に携えられていた時の様な優美な輝きは一切消え失せていた。

ネイエリエが持っていたのだろうか、彼女が消えた場所にこの剣だけが残されていたのだ。
首尾良く手に入った様に見えるが、まるで此方が捜していた事を知っていて敢えて残されていた気もする。まるで作為された贈り物だ。
事実、この剣が置かれた床には御丁寧に血でリボンの形が描かれていた。

仮に月詠が意図してもたらされたものだとしても、あれだけの死者を出した上での成果としては余りにも、釣り合わない。責め咎を受ける謂われはないが、元凶をみすみす逃したのだ。
責任を感じずには居られなかった。

「……それで?お前はどうする、ゼクト」とレイシェントが此方を振り返る。
ゼクティスに病院に戻る意志が無いとは言え、月詠を持ったまま聖都から去る訳にもいかない。
かといって、レイシェントに預けられる様な代物でもない。迷いはしたが、仕方無いと半ば強引に自身を頷かせる。

「……一旦執政府に行って、ジェノブロウにどうにかコイツを預けて来る。俺が持ってたってどうにも出来ねぇし」

その答えにレイシェントはそれで良いと頷く。

「……その後は」

「解ってんだろ、あいつ……ネイエを捜して、俺が殺す。あいつは俺が始末をつける。必ず」

仕留め損なった自責もあるが、かつての縁者として自らが決着を付けなければならない。濁った瞳にも、鈍い光がゆらりと灯った。

「……」

「此処には来ねぇって言ってたし、何より俺が一番の狙いだ。取り敢えず聖都からは離れる事になる」

寄り道が出来たとは言え、最終的な意向は変わらず聖都から離れようとはしていたが今度は真っ当に理由がある。
レイシェントは最初に再開した時の様に反論する事も無く「そうか」とあっさり諾した。

「……ならば、此処で別れだな」

妙に間を置いてレイシェントがぽつりと呟いた。
ゼクティスと違い、彼は当分聖都を離れる気は無いのだろう。魔物の探知に優れた彼が居れば、とも思わなくも無いが今の聖都の現状を鑑みてもレイシェントの存在が必要なのはこの場所の方だろう。
自身の問題に巻き込む道理も無く、自らの手で決着をつけねばならないとなればむしろ好都合だ。

「まぁ、当分の間はな」

「私が言う事でも無いが……あまり気負い過ぎるな。盲目になる」

「……そりゃ、あんたの経験則か?」

「私が言う事でも無い、と前置きしたろう」

先刻の厳しいものとは打って変わった態度だと思いゼクティスは揶揄してみるが、レイシェントはいつも通りの無表情で淡々と返す。
端から見れば口調は一本調子で冷淡にも見えるが、長い付き合いになったゼクティスには確と変化を感じ取れる。
どうやら随分と気遣われてしまっている様だ。やれやれと嘆息し「ご心配、どうも」とゼクティスは頭を掻いた。
レイシェントは踵を返すと、擦れ違い様に軽くゼクティスの肩を叩く。

「日はまた昇る。夜は、いつか明ける」

どちらへともつかない言葉を残し、レイシェントはまた闇の中に身を窶した。何に向けたものか、などとわざわざ真意を問うまでも無い。
ゼクティスもまた執政府へと足を向けていた。

─────

時刻は六時を回ろうとしていたが、やはり朝が来る様子は無い。
この長夜は月詠を取り戻すだけで良いと言う訳でも無いらしい。多少なりとも期待していなかった訳でも無く、幾何かの落胆を覚える。

「小僧」と不意に聞き覚えのある声が掛けられる。
周囲を見回すと、ほんの数mの距離にクラレンスが近付いて来ていた。
油断などしてはいないしむしろ魔物への警戒の為、気を張っていたつもりだったのだが。やはりこの男の気配はどうやっても捉える事が敵わない。
何処へ消えていたのかと尋ねると、軍の方へ階層間エレベーターでの惨状を連絡していたとの事だった。

「その様子では、そちらの収穫は無かったか。まぁ、当然だろうな」

魔物の気配に過敏なレイシェントが居たとてはなから期待はしていなかった、と言ったところか。深層に潜ってしまった魔物を再び見付けられるとは彼も思ってはいなかったらしい。
クラレンスに再会したついでに丁度良いと、先刻抱いた疑問を問う事にした。

「あんた、さっき『リオ』って先生の名前を言ってたな。先生とも知り合いだったのか?」

「は、先生。あの小娘が先生か」とクラレンスは口の端を歪めて笑いを洩らすが、直ぐに表情を改めて頷く。

「一応。……と言っても、正直大した事は覚えてはいない。
恐らくNo.0(ゼロ)の存命時に何度か顔を合わせた……ような気がする」

随分と曖昧だな、と訝しむとクラレンスは「仕方無いだろう?」とわざとらしく肩を竦めた。

「彼方側へ記憶を縛っていたNo.0(ゼロ)が消えてから段々と戻ってきてはいるが、完璧とは程遠い。曖昧にならざるを得ん」

「戻って……?あんたまさか、記憶が無かったとでも?それにしちゃ……」

記憶が無いにしてはジェノブロウとの対面時には随分堂々と対峙し、話していた様に見えたが、とゼクティスは思う。
クラレンスはフードに覆われた己の頭を指先で叩く。

「まだまだ欠損は多いが、身の上を話すのに不自由は無い。それにあの場で曖昧に言葉を濁すのは宜しくないだろう。
当然だろうが、現皇帝は俺を信用してはいない様だしな」

不完全な記憶を頼りにジェノブロウに対してあれほど不遜な態度で話していたとは。だとしたら随分な胆力だとゼクティスは感心したくなる。
だが、思い返せば彼は早々に自身の事に関しては話を切り上げていた。無用な詮索を嫌ってかと思っていたが、そういう事かと納得する。
但し記憶が朧気とは言え、虚言を言ってはいない。とクラレンスは最後に付け加えた。

「しかしあの剣、DIABOLOSは確かにリオが持っていた剣だ。
確かセイル──初代皇帝のセイレネスが連れていた子供だった」

「あぁ。先生はNo.0……初代の皇帝の為に動いてた様だし、よっぽど強い結び付きがあったんだろうってのは俺でも解った」

そこで、境界内でリオと対峙してからずっと心中に根を張っていた疑問を思い出す。
クラレンスに訊いた所で解る事でも無いかも知れない、と躊躇いはしたが、ゼクティスは問わずには居られなかった。

「その、初代皇帝……セイネレスか。そいつと先生はどういう関係だったんだ?」

「何だ、本人には訊かなかったのか」とクラレンスは意外そうにフードの下の眼を見開く。

「……んな事訊く余裕なんざ、無かった」

そう言って眼を伏せたゼクティスの様子に、おおよそクラレンスは察する。
一方的に痛い目を見せられ、ろくに対話する猶予も与えられなかったのだろう。尤も、最終目標への障害であり排除しなければならない相手と感傷に浸り対話するなど愚行でしかない。その事も理解した上での結果だろう。

「あの二人の間に何があったかなど、俺も詳しくは知らんが、単純に表現するならば“主従”が妥当だろうな」

「主従関係?それだけで……」

ゼクティスは怪訝を露に眉を寄せた。
果たしてセイネレスに遣えていたと言うだけで、人類を廃滅させんばかりの復讐心を生み、実行するに至るものだろうか。少なくともゼクティスが知るリオは理智の上の打算を積んだ上で現実主義な思考を行動基軸としていた。

「生憎と俺は奴から除け者にされていた身でな。兄と言えど余り突っ込んだ事は解らん」

「……」

しばしフードの下に隠れたクラレンスの顔を見詰めていたゼクティスはやがて「そうか」と短く呟いた。
後は推して知るべしと言ったところだろう。それに、幾らかリオと近しい人物とは言え、この得体の知れない男から聞き出す様な事でも無かったか。

「それで、月詠は無事戻ったんだろう。お前は使えないのか」

クラレンスはゼクティスの持つ月詠を顎で示す。彼がジェノブロウの写しならば或いは使えるのではないか、と言う意味での言葉であろう。
身の上を知ったとて有難がる事など無かったが、ましてそう都合の良い身体でもない。ゼクティスは首を横に振る。

「大方これを使えるとしたらジェノブロウだ。そう言うもんなんだろ、これは。
何ならあんたの方が使えるんじゃねぇのか?」

「無駄だろう」

ゼクティスは試しにクラレンスへ月詠を差し出してみる。
皇族の生体情報を識別すると言うのであれば、むしろこの男の方が可能性は有るのではないか。結果は既に見えている様なものだが、ものは試し程度の軽い気持ちだ。

「月詠と言うのは皇帝と言う孤独な存在に添う為の剣だ。唯一皇帝のみ行使権が……ッ!?」

どうせ何も起こりはしないとクラレンスも手を伸ばし、月詠の束を握りかけた時。突然電流でも流された様にその手が跳ね、反射的に後ずさった。
手を渡り損ねた月詠は、乾いた音を立てて地面へ滑り落ちた。

「どうしたんだよイキナリ……」

「い、いや……済まん……」

予想外の事にゼクティスは眼を丸くしている。
だがそれはクラレンスにとっても同じらしい。平静を保とうとはするが、彼の顔はフードに隠れていても判る程にはらしくも無く動揺していた。

「……月詠に触れた時、何か閃光の様な……光が弾けて一瞬視界が奪われた」

「閃光?」とゼクティスが返した事から、今のは自分にだけ視えた幻覚かと知る。
僅かに躊躇いながらも、彼は落としてしまった月詠へ手を伸ばし、今度は確と掴んで拾い上げる。

「……ッ……これ、は……」

束を握り、険しく眉を寄せ苦し気な表情を浮かべる。しばし月詠を見詰めていたが、やがて疲労感を滲ませながら首を振ると押し付ける様にゼクティスへ返した。

「おい、どうしたってんだよ」

「……俺にも解らん……。ただ、これを手にすると映像の様なものが、目の前に現れる。
だが、今視えたものは全て黒く塗り潰されていて何が何やら……」

空いた手で額を押さえながら、彼だけに視えたと言うものを話す。尤も、具体的な情報を得られたと言う訳でも無いらしいが。

「……だが一つ判った。大方月詠は黄泉域に晒され、一度魔物どもの手に渡って無理矢理行使させられたせいで穢れを受けて正常に機能しなくなっている」

「穢れ?」

「そうだな、現代に合わせて言うならば……コンピュータがウイルスやバグに冒されている様な状態だ。
それで起動すべき機能が動かず俺に視せようとしたものも黒塗りになっていた、と」

ゼクティスはあぁ成る程と頷くと同時に、この男が思いの外柔軟な例えをして来たことに感心していた。
千年単位の時を越して来たとは言え、この男なりに現代に順応し生きていると言うことか。

「じゃあ、このままジェノブロウに返しても意味は無ぇってのか?どうやったら元に戻る……」

「何れにせよ、一度主に返した方が良い事に変わり無いな。少なくとも俺達が持っていても意味は無い」

クラレンスは既に元の落ち着きを取り戻していた。彼は先んじて確かな足取りで執政府への道を歩き始める。ゼクティスもまたそれに遅れぬよう続いたのだった。

────

今回の一件で執政府は現在軍本部と併合した共同対策本部の拠点となっている。平時から駐在している職員に加え、軍装の兵士が絶え間無く右へ左へと行き交っている。

最初はその中の一人を適当に捕まえ、取り次ぎを図った。
しかし、流石に皇帝まで直ぐに取り次げる人間がその辺を歩き回っている訳も無く、声を掛けられた者には困惑顔で「しばらく待って欲しい」と言い置かれるばかりだった。
加えて、先刻起きたネイエリエによる大量殺戮の一件で調査や対応に追われているのもある。ようやく魔物の脅威が落ち着き始めた矢先の出来事に再び混乱を投げ込まれた状況なのだ。
ひたすら待たされる羽目になったとしても、此方への対応としては相手にされないよりもずっと親切なものだ。

諦めて大人しく待つより他無かった。が、これでは埒があかない。

「あんたは直接ノクサスなんかには取り次げないのか?」

「導師は今、皇帝と同等の保護対象者だ。そして今の俺の立場は下級兵どころか雇われものの傭兵。
立場が違い過ぎる。勝手に招兵部隊に紛れて来ただけで、正式な要請を受けた訳でも無いしな」

「俺達より付き合い長いって言ってたじゃねぇか……当てになんねぇな」

「勝手に当てにするな」

直接ジェノブロウへ取り次ぐ事が難しいなら多少は繋がりのあるノクサスへ、と思ったのだがそれも難しいかと、床に座り込んだ体勢で頬杖をつく。
不本意ながら今回の件で面識が出来たのを口実にして手っ取り早い連絡先でも訊いておけば良かったか。少なくとも月詠の件が片付くまでそうしておくべきだったろう。
どうしたものか、とゼクティスはおもむろにポケットから携帯端末を取り出し開いてみる。

「あ、そうか……」

数少ないアドレス一覧が記録された画面を見て思わず気の抜けた声が洩れた。
恐らくこの状況下であっても退屈を強いられているであろう都合の良い取り次ぎ相手を思い出し、ゼクティスは回線を繋いでいた。

─────

約十分後、ゼクティス達の前へ姿を現したのはクルシュケイトであった。
レギオン達はノクサスの元へ置いて来たのであろう、姿を見せたのは彼女一人であった。

「未だ寝てると思ってたのによ、いつの間に出歩いてんだっての便利屋」

欠伸を噛み殺しながら「何処で勝手に野垂れ死のうと知ったこっちゃないけどさぁ」などと相変わらずの不機嫌面で口では悪態をつきながらもやることは確とやってくれたらしい。
あっさりとノクサスへの面会許可、及びノクサスからジェノブロウへ連絡をとって貰う様に話を付けて来た。

「にしてもさ、どーいう組み合わせなの。あんたら、知り合いだっけ?」

道中、クルシュケイトは此方を振り返って指差しながらゼクティスとその後ろをついて来ているクラレンスを見遣る。
一応説明しておくべきかと思ったが、この時ばかりは『黙っておけ』と言う無言の抑止圧を背に感じたため「成り行きで一緒に動いてるだけだ」とだけ返しておいた。

時刻は七時前。
夜明けは来ていないにしろ早朝の時間帯であったがノクサスはとうに起きていたのか、導師の衣装ではないものの、既に身形を整えて椅子に腰掛けていた。やはり目元は包帯で覆われてはいたが、前回の負傷直後の様子と比べれば白んでいた顔色も元に戻っていた。

「ゼクティス君!よく来てくれたね」

見えてはいないにも関わらず何故判ったのか。此方が声を掛けるより先にノクサスは口角を上げて声を掛けてきた。
「もう直ぐジェノも来るだろう」との言葉通り、十五分程待った所でジェノブロウも現れた。
尤も、ノクサスとは対照的に、ゼクティスが先刻まで寝台の上に居た事を知っているジェノブロウは余り良い顔をしてはいなかったが。

「あー……、呼び付けて悪ぃ」

「それは構わないが……まぁいい。それで、何かあったのかね?」

詫びを入れるポイントが違うとは知りつつも、一言入れておく。
ジェノブロウは軽く溜め息をついたが、それだけだった。彼もゼクティスが周囲の言い付け通り大人しく療養に勤しむとは思えなかったのだろう。
ゼクティスは「あぁ」と頷くと携えていた月詠をジェノブロウへ差し出した。
まさか、とジェノブロウは眼を見開き途端に表情を強張らせた。

「これは……!」

「あんたも知ってるだろうが、さっき階層間エレベーターに居た人間がネイ……魔物に皆殺しにされた。
その魔物を追い払った後にコレが残ってたんだ。取り敢えず本物かどうかを見てくれ」

「あの現場に居たのか、よく無事で」

「……何も出来なかったけどな」

ゼクティスの手から血糊で汚れきってしまった月詠を受け取ると、照明に翳しながら角度を変えつつ暫し眺める。

「……確かにこれは月詠だ。しかし……」

自らの手にようやく戻った剣を前にしてもジェノブロウは眉をひそめたまま、表情は晴れない。
どうやら、本来の使い手であるジェノブロウにも当然の如く解る様だ。

「やはり、あんたにも月詠の声は届かないか」

「やはりとは?」

クラレンスの声にジェノブロウは彼を振り返る。
先程、彼が月詠を持った際に起こった出来事、そして月詠を冒していると思われる穢れの事を掻い摘んで説明した。
だが、ジェノブロウは月詠を冒す穢れよりも別の点に反応していた。

「待て、月詠が貴方にヴィジョンを視せようとしたと?」

「あぁ、それで月詠の機能不全と穢れに気付いた。……本来、現皇帝のみが行使権を持つ月詠が何故俺に反応したかは知らんが……」

「……クラレンス、貴方はこの月詠の事を何処まで知っている?」

ジェノブロウは不意にクラレンスへ問う。
ある程度訳知り顔で話してはいるが、この男にも把握しきれていない所があるのだ。
クラレンスは顎に指を添えて少し考える素振りをしてから事も無げに答えた。

「神話時代からの遺物。夜と虚無を喚び込む鍵でありその権限はその時代の皇帝に委ねられる」

これが模範と言わんばかりの明解にして簡潔な答えであった。その先へ言葉を続ける様子は無いと悟ると「そうだ」とジェノブロウは頷き、更に続けた。

「この月詠は皇帝を唯一たらしめる為に常に共に在り、補佐をする“使命”を担っている。
その使命は単なる武器や道具として与えられたものではない。
“神”の道具としてではなく、“人”に寄り添う為に宿った意志がもたらしたものだ。
だからこそ、この月詠は定められた者にのみ応える」

「この剣にも考えがあるって事か?」

「自立的思考が可能と言うものではないが、月詠が応えるか否かは剣に宿りし意志により選定される」

「つまり?何が言いたい」とクラレンスは今一つジェノブロウの話に要領を得ていない様子で首の後ろを掻く。

「……月詠に宿るのは、この神器を人の手に降ろした者の意志だと言われている。……“アイレシア・リーヴァ”」

「なに……?」

ゼクティスには全くの初耳の名であったし、ノクサスにも思い当たるものでも無いらしい。
だが唯一クラレンスだけは途端に瞠目し、顔色を変えた。

「馬鹿を言ってくれるな、皇帝よ。
その剣の中に千年以上前の人格が封じられ続けているとでも?」

「初代皇后にして、母を知らぬ我ら皇帝達全ての母たる者。その母を介して子である我らは世界の理、或いは情報を遺伝の如く継承する」

曰く、月詠の継承の際には“アイレシア”の存在を強く認識させられるのだと言う。
尤も、それが彼女の生ける意志か或いは遺された遺志かは現使用者であるジェノブロウにも判然としない様だが。

「アイレシアの名を知っているなら、覚えがあるのだろう?」

フードの下から覗く口許を見るだけでも、彼が歯噛みし苦虫を噛み潰した様な顔をしているのは窺えた。長い沈黙のあと、ぼそりと一言口を動かした。

「……アイラ……」

「……私に応える事が出来ない状態にあっても尚、貴方には反応した。
それほどまでに強く、何か伝えなければならない事があったのだろう……心当たりは?」

「……」

フルネームではなく略称が出たあたり、この男の穴だらけの記憶の中でも強く在る者なのだろうか。
しかしクラレンスは額に指を押し付け、口許を自嘲の形に歪めると引き攣れた嗤いを洩らしていた。
そして「検討も付かんな」と顔を上げ、違い色の眼を覗かせた。

「……だが『アイレシア』『アイラ』。その名を聞いて思い出したよ。
それは神巫(かんなぎ)の使命から逃げ、兄と共に俺と故郷を捨てた女の名だ」

「使命を……?」

その声色は先程までの落ち着いたものとは打って変わって憎悪を露に、吐き捨てる様なものだった。
怨嗟を滲ませる言葉を向けられるとは予想だにしていなかったのだろう、ジェノブロウは眼を見開く。

「神巫とは、現在の都市に使われる防衛壁の技術が出来るまで“代わり”をしていた。
星孔……クエーサーから噴出する洸晰を使い、瘴気や魔物を弾く防壁を創る者だ。アイレシアは生まれながらその大義を負っていた」

洸晰を使い、護りの壁を創るとは。それもまたセイレネスの様に前世代の人々に残されていた神話時代からの恩恵と言うやつなのだろうか。
先天的なものか人為的なものかの違いこそあれ、それはまるで光使いの力ではないかとゼクティスは思う。
当時の神巫に課せられた使命とは、一年周期で各地に点在するクエーサーを巡り防護壁を張り直す事だった。

「俺達兄弟は幼い頃から彼女の使命を近くで見てきた。ひたむきに尊い使命を全うする姿に憧憬の念もあった」

だが、とクラレンスは憤りを露に語気を強める。

「俺がそこの小僧と同じ位の頃だ。セイレネスが初めて護衛に参加した巡礼で“あれ”は姿を消した。
奴等が戻るのを信じて待っていた連中は、最終的に安全圏がクエーサーから半径一kmまで狭まり、決死で故郷を捨てて他所へ逃げるか、或いは狭い檻で怯えながら生きるかの二択を迫られた」

アイレシアに伴っていた護衛が悉く殺され、死体で見付かった事はクラレンスの元へも届いたが、その死体の中にセイレネスとアイレシアのものは無かったのだと言う。
魔物に襲われたのだとして、もし彼らが生き延びているのなら何としても無事に連れ戻さなければならない。と彼は意を決して故郷を出た。

「だが、奴らは端から故郷を捨てる気だった。当時最も瘴気の汚染が酷く、元凶とまで言われていたこの地を目指していた。
余計な護衛を殺し、俺を含めた全てを裏切ってまでな!」

クラレンスは長きに渡る眠りから鎌首をもたげて蘇ってしまった醜い憤りに握った左手を振り下ろし、虚空を殴り付ける。
まるで忘れていた古傷から突如として鮮血が吹き出すに似た痛みが胸中を襲っていた。

「くそ、こんな記憶なら……忘れていた方が楽で良かった」

おもむろに、後世にある現代にアイレシアの名はどの様に伝わっているのかと、クラレンスは問うた。
ジェノブロウは逡巡しつつも応える。

「そうだね……我々にとって初代皇后は、情報をもたらし使命を支える者でしかない。
彼女自身についての記録、或いは記憶は残されてはいない……と言うよりは在位期間が余りに短かった為に残すものが無かった。と言うべきか」

皮肉の一つでも返すのかと思ったが、クラレンスは静かに眼を伏せ「そうか」と応えたのみでその後は押し黙ってしまった。
裏切りの結果として今日の中枢都市とまで呼ばれる様になった聖都の基礎を築いた功を実際に目の当たりにしているのだ。憎悪は抱けどその実、胸中は複雑なのであろう。

「神巫か……皇后アイレシアが光使いに似た……洸晰を操作する力を持っていたのなら、連綿と情報を伝えられると言うのも考えられる。
洸晰には情報媒体としての側面もあるからね」

ジェノブロウはノクサスへと視線を動かすと、盲目の筈の導師はその動きが見えているかの様に「そうだね」と頷く。

千里眼(clairvoyance)の探査能力の補助としてレヴィアの洸晰を使った事例が一番近いだろうか。あの時は網目の様に張り巡らせた洸晰へ意識を投影させた。
これこそ洸晰に意識を乗せる事が可能であると言う証明だ。

その時、何を思い立ったか「そうだ!」とノクサスが突然声を上げる。

「ジェノ、月詠を俺に貸してくれないか?
月詠の中に宿った意志……いや洸晰が穢れに冒されているなら、俺の“眼”で観測するのはどうだろう。そうすれば、穢れを払う方法も掴めるかもしれない」

「は?いやでもあんた、もう見えないんじゃ……」

いきなり何を言うのかとゼクティスはノクサスを振り返る。だが、問題無いとでも言う様に口元はいつもの笑みを形作っていた。

「視力が無くなっただけで千里眼(clairvoyance)自体は健在なんだよ。
視覚的に見る事は出来ないけど、情報を視る事は出来る」

むしろ視覚が無くなった事で事象観測の精度は上がっている。とは言うものの、そもそも彼の視力を奪ったのがその千里眼(clairvoyance)なのだ。
ノクサスは手を差し出して月詠を寄越すよう促すが、ジェノブロウも素直に頼むとは言えないのだろう。眉根を寄せてノクサスの顔を見詰めるばかりで渡そうとはしない。

「月詠を冒すのは黄泉の穢れだ。視るだけとはいえリスクが予想出来ない」

だが、ノクサスもけして手を引こうとはしなかった。

「ジェノ、俺なら大丈夫だ」

「駄目だ。そう言って君は視力を失った。
一都市を統べる導師の身柄を預かる者としても……友としても、認める事は出来ない」

「……参ったね、じゃあどうするんだい?」

ジェノブロウは頑なに首を横に振る。ノクサスは差し出していた手で困った様に首筋を掻き、首を傾げる。

「……せめて、前回の様に“補佐”を付けるか……」

「補佐、ね……」

「何にせよ、目の前の解決策に安易に飛び付くのは危険だ」

ノクサスは明らかに納得はしていない様だったが、これ以上彼を酷使して万が一の事があればノクサスの意志とは無関係に第壱都市との関係は崩壊するだろう。
月詠はこのまま預からせて欲しい、とジェノブロウは言葉を括った。
気付けばクラレンスはまたもや姿を消していた。また必要になれば現れるのだろうが、あの話を聞いた後で、未だ此方に協力する気は有るのかは解りかねた。

─────

ジェノブロウと共に部屋を出た途端、ゼクティスは勢い付けて振り返り、詰め寄った。

「さっきの“補佐”ってのは、レヴィアの事か?」

低く、押し殺した声でジェノブロウに問う。
先程はノクサスの手前、平静を装っていたがゼクティスはジェノブロウの“補佐”の引っ掛かりを覚えていた。
レヴィアが回復すれば、今度はまた別の事に利用されるのではないか。例え利用ではなく、協力であったとしても、大事であれ些事であれ、もうこれ以上レヴィアに厄介事に関わらせたくは無かった。
方やジェノブロウは一つ息を吐くと飽くまで落ち着きを払った侭、ゼクティスの肩に手を置く。

「あれは一つの例だよ。気に障ったなら済まない」

「俺は良い。けど……」

自分でも過剰に反応し過ぎている、と自覚し動揺する。伏せた眼を彷徨わせ、逡巡しつつもジェノブロウの青眼を真っ直ぐに見据えた。

「あいつの目が覚めても、もうこれ以上はあんたや軍の思惑で振り回さないでやってくれ。
そりゃ、あいつにしか出来ない事はあるんだろうし、出来る事があるならやろうとするだろうが……。
けど、あいつは軍人でもなけりゃ政府の人間でもない。ただの一般人だ」

「もう、充分だろ」と静かに、だが強い声音でジェノブロウに嘆願した。

「……それは、彼女の護衛としてか、それとも君個人の頼みかね?」

何とも答え難い質問をするものだと、ゼクティスは心中で舌を打つ。やはりこの男とのやりとりはどうも苦手だ。やや投げやりながら、それでも確かな意志として告げておく。

「……両方だよ」

詰め寄られたままの体勢ではあるが、ジェノブロウは満足げに目を細めると「解った」と笑みを浮かべた。
レヴィアを戦いに関わらせないように。こんな事、自分が口にする資格など無いのだが、それでもとゼクティスは再度「頼んだ」と念押す。
敵うとも思ってはいないが、やはり最後までこの男が舵を取るばかりだったかと溜め息を吐いた。

─────

ゼクティスが第三階層の執政府を出てから聖都のゲートを潜る頃、ようやく空は青く白み始めていた。