第四章 凍し追憶

聖都からの脱出劇を経て、派生都市を経由しつつゼクティス達は当面の目的地であるアルザラを目指し北へ北へと進んだ。
本来ならば北方は第壱都市の管轄下に入るのだが、中には聖都が管轄している派生都市もある。アルザラもその中の一つであった。
目的地は兎も角、そう言った聖都管轄の派生都市は避けてルートを選ばなければならなかった為、時折野営も行いながら進んで行く事になった。
一番ペースの遅いレヴィアに合わせる、と言うのは暗黙の了解ではあったが口にせずとも当人は理解していたのだろう。心配は無用とばかりに、けして二人から遅れる様な事は無かった。
旅程は予想よりも順調であったものの、追手を常に警戒しながらの旅路だ。アルザラに到着する頃にはかれこれ一ヶ月近く経過していた。

現在は絶え間無く雪が吹き荒ぶルクスブルク地方の山岳地帯。
山の中腹部分をくり抜いて造られ、既に使われなくなって久しい研究施設に三人は在った。
白く凍てついた隔壁を三枚程くぐった、薄暗い通路の中。頼り無く点滅を繰り返す八光灯の黄味がかった明かりはお世辞にも十分とは言えず、ぼんやりと辛うじて金属の建材剥き出しの通路内を浮かび上がらせている。
床には恐らく数十年分の埃が積もり、あちこちには蜘蛛の巣が張り、機能を停止した通気ダクトからは時折鼠の走り回る足音が微かに聞こえてくる。
レヴィアは頭からすっぽりと被っていた防寒着のフードを取り、服に積もった雪を溶ける前に払い落とす。

「や、やっと……着きましたね……」

彼女はやや疲れを滲ませながらも隣のゼクティスに紫色の瞳を細め、笑い掛けた。
彼も同じく頭や黒ずくめの衣服に積もった雪を溶ける前にと雑多に払い落とす。

「これで外れだったら……ほんと冗談じゃねぇよ」

「今から此処を調べようと言うのに、端から後ろ向きでどうする。まぁ、外れだったらその時はその時さ」

「人をこんなとこまで連れて来させといて能天気な……」

愛用の双銃であるSofia《ソフィア》の点検をしていたエリザベートは、皮肉めいたゼクティスの言葉など然して意に介さず適当に応える。

この研究施設は光使い生成の理論の原型を構築した生物学者、イレイン・リグレット博士が晩年過ごしていた場所らしい。記録を遡れば、元々は天文台として建設された施設であった様だ。
そして時の流れに従って持ち主が変わり、用途が変わり、正式に記録されている内で最後に所有し使用していたのはウィンザーツ・リグレットなる気象学者であったそうだ。だが、以後に娘のイレイン・リグレットにそのまま所有権が引き継がれていたのだろう。彼女が研究施設として暗に保有していたのだそうだ。
とはいえ、元々の情報源も心許ない上にこの様に険しい山岳地帯に本当に研究施設があるのかどうかさえ怪しいものである。
しかし他に辿るべき物も無い。望み薄であろうと三人は光使いの情報を何かしら得られれば、と此処にやって来たのだった。

淡い緑色の非常灯が僅かに照らすのみの薄暗い通路を歩き続けて十五分程。
時折思い出した様に現れる急勾配の階段を、足元に目を凝らして降りながら進んで来た入り口付近にはエレベーターらしきものがあったものの、メンテナンスもされておらず老朽化が進んでいた為に利用は出来なかったのだ。
度々小部屋が見付かりはするが、錆びて朽ちた棚の残骸が残されているのみ。今のところ、有用な物は何も見付けられずにいる。
風が無いだけでも外界より余程マシだが、それでも凍てつく空気に吐いた息は白く凍る。
この辺りになると、生きている非常灯すら疎らで、深まる闇の中に三人分の足音のみが通路の中で無機質に反響する。携帯端末の光で足元を照らしてはいるが、それでも頼りない。

「なんだか、静か過ぎて不気味ですね……。幽霊が出るなんて噂もあるんですよね? 真っ黒な人影を見たとか……」

逸れないようにとエリザベートの外套の背中を掴んで歩いていたレヴィアが、怯えた様子で街で聞いた噂を思い出す。
アルザラで聞いた話では、都市の外れに在るこの場所は滅多に人が踏み入る様な場ではないが、年に数回は訪れる者が居るのだと言う。
尤も、その目的と言えば殆どレヴィアの言う〝噂〟を確認する為の肝試しなのだそうだが。レヴィアの言葉に先頭を行くゼクティスが応える。

「馬鹿言え、居るとすりゃ魔物くらいなもんだ。だったらむしろ幽霊の方がマシかもな。……それより……」

言葉を切り、ゼクティスが首だけで後ろを振り返る。向けられた視線に応える様にエリザベートが、「どうした?」と尋ねた。

「いや、何と無く考えてたんだけどよ……どうしてその、イレインって奴はこんな所に居たんだろうな。元は軍の研究機関に所属してたんだろ? わざわざこんな街中ですらない弩辺鄙な場所に居付くなんてよ」

エリザベートは確かに、と口元に手を添え、首を捻る。
聖都でホワイトカラーに就いたと言えばこの世界の大半から羨望を向けられるに違いない。当時は戦禍の最中であった事情を顧みれば、裏方仕事と言えど気楽な仕事などでは無かったろう。しかし都市から外れた寒冷地獄の雪山の中へ転ずる気など、気でもふれない限りはそうそう起こるものでもない。

「あぁ、まぁな。初めて聞いた名前ではあったが、学者の間では生物学の歴史の針を大いに進めた権威と高名であったそうだし……。
此処でその後の消息が途絶えたと記述していたのは現技術総監。性格は一癖あるが記録資料につまらない嘘を書く様な人じゃない。裏は取れていると思うが、そうだな……。何か軍から身を隠さなければならない理由があったんだろうか?」

────その時。
耳元で突然風切り音が唸った。しかし、切り裂かれた筈の風はいつまでも流れない。
まるで〝闇そのもの〟が移動したかの様な、奇妙な感覚だった。
魔物かとゼクティス、エリザベートがそれぞれに武器を構える。
私も、と慌ててレヴィアが両腕を前に挙げかけた時、突然ゼクティスから言葉無く伸ばされた手が彼女の腕を押さえていた。

「ゼクト……?」

きょとん、と不思議そうに目を丸くしたレヴィアがゼクティスを見上げる。

「人間かも知れねぇ。未だ相手の正体が解らない以上〝ソレ〟は使うな。前にも言ったろ」

首を横に振り、抑えた声でゼクティスが諫言する。
一瞬目を見開き、失念していたとばかりにレヴィアが慌ててこくこくと頷く。
この力こそ自分達が追われる由縁。可能性は低いが、万一相手が魔物ではなく人間で少女が光使いということが知れれば、忽ち軍に伝わってしまうかもしれないのだ。相手が判らずその可能性が捨てきれない以上、用心するに越した事は無い。
その時、暗がりの通路の奥で闇が意志を持ったようにざわりと蠢いた。
瞬間、傷付き破れた蝙蝠の羽に似た暗赤色の槍が五本、振るわれた鞭のように次々雪崩を打って襲い掛かる。
エリザベートが即座に反応した。槍を狙い、立て続けに三度の引き金。銃声と共に瞬く赤燈色の閃光。
きっちり銃声の数と同じだけの槍が、まるでぼろ屑のように途中から千切れ飛び、速度を失い宙を舞う。だが、不満そうに舌打つと眉をひそめた。
いつもならば全て打ち落とせていたろうに、暗闇のせいで思う様に正確な射撃が出来ないのだ。

「ち、反応が遅れる。狙い辛いな」

残る槍は後二本。
ゼクティスは一歩前に踏み出し、黒い刀身の——Requiemと銘打たれた大剣を振るう事なく、斜めに構えた状態からそのまま盾にして槍を受け流す。
軌道を反らされた槍が天井や壁を穿ち、破壊された建材の欠片が降った。目標を全て外した槍は、恐らく本体があるであろう闇の中へ巻き戻る。

「な、何ですか……今の?」

背後に控えているレヴィアにゼクティスは舌打ち混じりで応える。
「さぁな。けど攻撃してくるって事は少なくとも味方じゃあ無いんだろうよ」
闇の中でまた風切り音が唸る。

「来るぞ!」

エリザベートが鋭く叫ぶのと同時に、再び先程の槍が先程同様雪崩を打って襲い掛かる。だが、先程とは明らかに比べ物にならない程の大質量。退こうにも、狭い通路に逃げ場は無い。

「逃げれない、となると受けるしか無ぇかッ……!」

全てを防ぎ切れるとは思えないが、大剣を平に構えた。

「ゼクト! 駄目です、危ない!」

咄嗟に少女が叫ぶと共にゼクティスを押し退けて前に立つ。

「何やって……馬鹿、退がれ!」

「レヴィア! いけないッ……!」

エリザベートの制止も聞かず、レヴィアは槍の群れが眼前に迫り来るなか腕を前方へ伸ばすと、それに呼応するかの様に金色の光が辺り一帯を普く満たした。
容赦無く注がれるはずの衝撃はいつまで経ってもやって来ない。
十秒ほど待って、ようやく光が収まる。
槍は全て、何処からともなく現れた金色に輝く盾により受け止められていたのだ。盾が現れた代わりにレヴィアの右腕の肘から先の袖は中身を失い、地に向かって垂れていた。
ゼクティスと初めて会った時にも行使してみせたこの力、光使いの能力である。自身の身体を構成する洸晰を使い、同質量の絶対的な硬度を持つ別の物質を作り出す。勿論、本体であるレヴィアは人間としての形を保たなければならないと言う前提がある為、使える洸晰の量には限界があるが。
この一ヶ月、度々魔物を相手に練習している内に少しずつだがレヴィアはこの力を使いこなせる様になっていった。
攻撃は全て防がれ、レヴィアの大事無さそうな様子にエリザベートは良かった、と心底から安堵の息を吐いた。
そこで敵に初めて息を呑む、生物らしい気配が生まれる。
洸晰の盾が発する光によって、ようやく敵の姿が露になるが、それでも〝それ〟が何なのかは判然としなかった。
敢えて表現するならば、血色のぼろ段幕が朧に渦を巻いている、と言ったところだろうか。余りに異形。一見魔物の一種かとも思ったが、それにしては妙に違和感があった。
本体から突き出た槍がぎゅるりと急速に巻き戻り、また本体に溶け込む。
レヴィアも展開していた盾を解除し、腕を元の形に戻す。敵は今のレヴィアの力を見てか、続け様に仕掛けて来る事は無かった。
その行動にも違和感を覚える。先の攻撃にしても、ただの魔物にしては正確に攻撃を絞って来ていたのだ。
静かな殺気は感じられるが、魔物の様な狂気的なものではない。明らかに魔物では持ち得ない理性によって制御されたものであると、ゼクティスにはそう感じ取れた。
光源が失われた事により、通路が再び闇に侵される。レヴィアは恐る恐るゼクティスを見上げると粛と謝った。

「ゼクト、すみません……つい」

「あー……いや、でも正直助かった」

頭を掻きながらゼクティスは礼を告げる。
レヴィアが咄嗟の判断で盾を展開していなければ、危うく蜂の巣の有り様になっていたことだろう。
駆け寄って来たエリザベートはレヴィアの両肩を掴むと、怪我の有無を確認する。そして心配を露に嗜める。

「全く、肝が冷えたぞレヴィア……! 余り私の寿命を縮めないでくれ」

エリザベートは「仕方ない」と一つ息を吐いて肩から手を離す。

「この際だ。レヴィア、この辺りを照らしてくれないか? 照準が定まらなくてな」

「おい、何がこの際だ」

「どうせ今のでレヴィアの力はあちらにばれている。なら、今更隠す必要も無い。今はこいつをどうにかする方が先決だ。お前も解ってるんだろう、あれはただの魔物じゃあないって事を」

「まぁ……そりゃあ、な」

「なぁに、始末してしまえば問題無いさ。何れにしろ、あれが生き物であるならば必ず物言わぬ骸に還る。そうだろう?」

背筋が冷えるような笑みを浮かべたエリザベートに更に正論で丸め込まれ、最早何も返せず言葉に詰まる。
彼女はそんなゼクティスを気にも留めず得物の双銃を構え直し、肩越しにレヴィアを振り返ると、先程とは打って変わって優しくにっこり微笑む。

「じゃあ、頼んだぞ。レヴィア」

彼女は、再び闇の中に身を翻し銃声を響かせた。

遣り場の無い憤りを吐き出すようにゼクティスは苛立たしげに一つ白い息を吐く。

「あーぁ……。まぁそういう事だ。照明係、宜しく頼む」

「は、はい! 頑張ります!」

「確り盾も張っとけよ」

如何な役であれ役に立てる事が嬉しいのか、ゼクティスとは対照的に張り切ってレヴィアが返事をする。少女が空を仰ぐ様に両手を広げると、周囲には硝子の破片の様な黄金色の光子が舞い始め、また周囲の景色を闇より浮かび上がらせる。
迷いを吹っ切る様にゼクティスは大剣をくるりと一回転させ、肩に担ぐと地を蹴って駆け出した。
五秒足らずでゼクティスは容赦無く打ち出される槍の軌道を見極めてかい潜り、敵の本体まで一気に距離を詰める。加速の勢いを剣に乗せ、そのまま垂直に振り下ろす。
だが、本体を切り裂くはずの剣は思いもよらず空を斬り、金属の床を割る。

「───ッ……⁉︎  何ッ……!」

届く宛を失った剣に引かれ、勢い余って前方に倒れ込みかけた時咄嗟に左足で踏み込む。それでも尚勢いを殺せずに一歩二歩とたたらを踏んでようやく止まる。
何が起こったのか、と顔を上げると段幕に似た本体は引き裂かれたように二つに別れ、斬戟を避けていた。

「避けられた……いや、すり抜けやがった、だと……?」

二つに別れた段幕は流れるような動きで上昇し、ゼクティスの頭上で再び一つの塊になる。そこでようやく気付く。攻撃を避けようのない射程距離にまで近付いてしまっている事に。まずい、と思った時には既に遅し。

「ゼクトめ……馬鹿が、突っ込み過ぎだ!」

エリザベートは急遽Sofiaのマガジン排弾を総連射式に切換え、ライフル並の威力を持った銃弾の雨が段幕を襲うが全く効果が無い。こう言う手合いには対魔物用に特化した特殊加工弾でなければ攻撃対象を捉えられないか。忌々しく舌打ちをする。
生憎と今は通常弾の持ち合わせしか無かった。
避ける間も無く、無情にも段幕が頭上から容赦無い槍を雨と降らせる。

「ゼクトっ‼︎」

操作に慣れていないせいか、思い通りに洸晰の形成の切り換えが出来ない。レヴィアの盾もゼクティスの元へは間に合わないか。

「——ッ……くそがッ‼︎」

自棄気味に怒声を放つと、大剣を縦横に閃かせ出鱈目に槍を斬り飛ばす。
エリザベートが双銃の弾幕にて援護するものの、それでも防ぎきれなかった槍がゼクティスの長衣を切り裂き、時に鮮血を飛び散らせる。
その時、突然光の帯が鞭打って闇を疾り、ゼクティスに攻撃を浴びせる槍を弾き飛ばした。
盾を張って防ぐ事は諦めたレヴィアが能力を使って攻撃したのだった。光により血色の槍は脆くも悉く弾かれた。しかし、突然の攻撃よりもゼクティスは別の点に対して驚いていた。

(俺やエリザの攻撃は殆ど効かなかったのに……、偶然か?)

弾き飛ばされた段幕が遠くの床へ、どさりと落下した音が聞こえた。どうやら随分吹っ飛ばされたらしい。

「う……」

闇の中から微かな呻き声が聞こえたかと思うと、段幕は再び黒い風となって襲って来た。

(……試してみるか)

ゼクティスは一つ頷き、心配そうに此方に駆け寄って来る少女を丁度良いと手招いて呼び寄せた。

「レヴィア、あれにどうにかもう一度攻撃を当てられるか? 俺が注意を引き付ける」

「え?で、でもゼクト怪我して……!」

レヴィアは至る所に血を滲ませるゼクティスの身体と顔を見比べ、此方の身を案じる。
しかしその心配も無用。痛みには無縁のこの身だ。斯様に浅い傷など、彼にとって怪我の内には入らない。

「この程度、どうってこと無ぇよ。じゃあ頼んだぜ」

「あ、ゼクトっ……!」

止めるも虚しく、一方的にそう言い置いてゼクティスは駆け出して行った。仕方なくレヴィアは言われるがままに攻撃の機会を待つ。
日々鍛錬を重ねているとは言え、まだまだ戦闘経験の浅いレヴィアは洸晰の操作に慣れているとは言えない。形を形成するにも瞬時にとはいかず、攻撃も百発百中成功という訳にはいかないのだ。

「全く、どうなってるんだあいつの身体は。あの怪我で怯みもしないとは……。だが、奴も私と同じ考えということか」

エリザベートの形の良い唇に不敵な笑みが浮かぶ。彼女は双銃を一旦腰のホルスターに仕舞った。その代わり右手には、通常の刀剣よりもやや短い細剣を構える。まるで中世の騎士の如く正眼に据え、振り払うと駆け出した。
聖都軍支給の細剣である。然したる業物では無いが玩具と言うわけでもない。

「ゼクト、私も加勢してやる」

ゼクティスに立ち並ぶ形で、鋭くしなやかな斬撃を繰り出す。僅かな隙も生むことは許さず、容赦の無い連撃を与えてやる。

「何だ、あんたも剣が使えたのか」

今まで使っている場面が無かった為、エリザベートの剣は飾りかと思っていた。ゼクティスはエリザベートを脇目に関心の声を洩らす。

「少々、嗜む程度にな。一介の軍人ならば剣の扱いくらい、こなせて当然さ」

「『元』な」

「全く……どうしてそうお前は一言余計かな」

実を言うと刃物の扱いはエリザベートが少年兵の時分に身に付けたものであったが、それとなく誤魔化す。思い出した所で良い気分はしない記憶だ。
お互い軽口を叩きながらも間髪無く剣を振るい、虚空に黒と銀の剣呑な光を重ねる。
処理が間に合わないのだろう。血色の段幕は回避と再生の合間を縫って更に槍を打ち出すも、明らかに先程よりも精度が落ちている。
やがてとうとう再生が追い付かなくなってきたか、見た目には正真正銘ぼろ屑と化してしまっていた。
ゼクティスが「今だ!」と合図すると同時にエリザベートとは逆方向に跳び退く。狙う一瞬、一か八かでレヴィアが光を纏う刃に変えた腕を振るう。
確かな質量を捉える、手応えがあった。
闇が光に押し退けられるように血色の段幕が千切れ飛んでゆく。
そしてそのまま腕を振り抜くと幕と共に、〝何か〟が残光に吹き飛ばされた。今度こそ、その正体が露になった。
暗中に舞い上がる粉塵の中で人影がよろよろと立ち上がるも、それは胸を押さえ、苦しげに呻く。

「な……人間……⁉︎」

ゼクティスは思わず驚きの声を上げる。
粉塵が徐々に晴れてゆくとそれに従って佇む人影の容姿も明らかになっていった。

男の見た目は二十代半ばかそれを過ぎた頃。身長はゼクティスよりも少し高いくらいだろうか。暗赤色の長い前髪から僅かに覗く肌は、日に当たっていないせいなのか不健康に白い。顔以外の露出は無く、赤い縁取り、黒を基調とした服。肩からは白い外套を引っ掛けている。
異形の姿で異能の力を披露していた割に、見目は人間の容姿と何ら差は無かった。

男が黒皮のグローブに包まれた右腕を頭上に掲げる。それに応じる様にどこからともなく先程の段幕の切れ端のような物が掌に集まり、それはやがて大鎌を形作った。
男の身長ほどはあろう黒と赤、滑らかな光沢を放つ大鎌である。それを右手に提げると、佇む男の姿が瞬時にして残像の如く掻き消える。
瞬間、空間などまるで無視してゼクティスの眼前に現れた。刹那の判断でゼクティスは大剣を逆手に持ち身体の前に滑り込ませる。
耳を突く甲高い金属音。
確実に首を撥ねる形で突き出された鎌を、寸での所でゼクティスの剣が受け止めていた。
───あと、一瞬遅れていたら。
そんな想像に、じわりと背中に冷たい汗が流れる。
男はゼクティスを金色の眼光で鋭く睨み付け、軽い舌打ちを漏らす。
右足で地を蹴り、身体を一歩分引き戻し再び鎌に体重を乗せ打ち下ろす。得物を振り回すには狭い通路の中で、一切不自由無く自在に大鎌を操りゼクティスと剣戟を交わす。金属音が幾重にも重なり合い、凍てつく空気を渡って反響し、共鳴して歪な不協和音を奏でる。
ゼクティスもどうにか応戦してはいるものの、場所の狭さ故に思うように防御から攻撃に転じる事が出来ない。
ただでさえ狭い場所である。此処まで接近戦に持ち込まれてしまってはエリザベートやレヴィアもゼクティスを巻き込む可能性がある為、迂闊には手を出せない。
そしてこれが計三度目の鍔ぜり合い。
この距離が詰まりきった間でようやく届く声量で、低く抑えた声が呟いた。

「……こは……」

「あ?」

「……ここは、貴様らが気易く立ち入って良い場所ではない」

『去れ』と男は言葉少なに言い捨てる。何だ喋れるのかとゼクティスは鼻で嗤った。

「邪魔するってことは、この先に何かあるって事だな?」

「貴様らが期待する様な物は、何も無い」

男は僅かに眉間に皺を寄せ、否定した。

「そりゃどうだか、行ってみなきゃ判らねぇだろ。意地でも通らせてもらうぜ。——レヴィア!」

「え、はい⁉︎」

唐突に水を向けられ、レヴィアは慌てて返事をする。

「取り敢えずこいつをどうにかして動けないようにしてくれ! お前なら出来るだろ!」

「えっあの、でも……私が? ど、どうやって⁉︎」

レヴィアは困惑の声をあげるが、男の方はゼクティスの考えを察したのか、後方へ大きく跳躍し距離を取る。ゼクティスは呆れたように長い溜息をつく。

「お前……今まで見てて解らねぇのか?」

「え、——あっ!」

レヴィアは遅れてようやくゼクティスの考えを察する。あの男はゼクティスやエリザベートの攻撃は避けられるが、どういう訳か自分の攻撃は避ける事が出来ないらしい。
故にレヴィア以外の攻撃ではどうやっても決定打になり得ないということ。そこまでは、解った。
しかし自分とあの赤毛の男の間にはゼクティスが居る。彼を巻き込んでしまう可能性がある上に、対象は常に激しく動いている。

「でもどうしたら……」

策を講じようにも、レヴィアは当惑するばかりだった。だが、代わりにエリザベートが策を思い付いたらしく耳打ちする。そして、少女に尋ねる。

「これならどうだ?」

「……はい、やってみます!」

少女は逡巡するも、力強く答えた。

ゼクティスはまた大鎌と刃を交わし、離れる。再び男は地を蹴───れなかった。

「なッ……⁉︎」

金色の双眸が驚愕に見開かれる。
いつの間に仕掛けられたのだろうか、男の身体は幾重にも重なり合った金糸の投網に絡めとられ、完全に動きを封じられていた。抜け出そうと投網の中、男はもがくが絶対的な強度を誇る洸晰の糸は切れる筈もない。
ゼクティスは「上手いことやるもんだな」と唇の端を上げ、おおよそ思惑通りと薄い嘲笑を浮かべる。

「やっぱてめぇのその妙な力、何故かあいつの技だけは抜けられないみたいだな」

男は押し黙ったままゼクティスを睨み据える。
ゼクティスの顔から笑みが失せ、青の眼からは一片の情も消えていた。右手に握った漆黒の大剣を静かに振り上げ、冷徹な声音で一言。

「これで終いだ。悪く思うなよ」

大剣をそのまま袈裟斬りの形で振り下ろした。

「待って! 駄目ですゼクト‼︎」

叫びに似た少女の声と共に、突然何かがゼクティスの脇を疾り抜ける。動くことが出来ない筈の男の身体が浚われる様に後方に飛び上がった。
赤毛の男にも何が起こったのか判らず、ただ驚いていた。彼の身体には、金色に輝く触手のようなものが巻き付いていた。
男の右肩から左脇腹までを両断する軌道にあった大剣は、僅かに肩を掠めて虚しく空を斬る。

「な……」

剣を振り抜いた体勢のまま、ゼクティスは憤然と振り返った。

「おいコラ、なに邪魔してんだ!」

振り返った先、少女の右腕は肘から数本の触手に枝分かれ、それらは赤毛の男の身体に向かって続いていた。
早足でレヴィアに歩み寄り、激昂するゼクティスだったがレヴィアは一切怯む事は無かった。寧ろ、少女は珍しく怒りを露に言い返す。

「ちょっと待ってください! そんなことしたらあの人、ほんとに死んじゃいます!」

「は……馬鹿か⁉︎ 向こうは完全に俺らを殺ろうとしてやがった! もし、仮にここで生かして後から面倒な事になったらどうすんだ!」

「でもっ……だからって、事情も聞かずに殺すなんておかしいです! あのひともきっと何か理由があって……!」

「知ったことか!」

空いている左手で自分よりもだいぶ背の低いレヴィアの頭を掴み、指をぎりぎりと食い込ませる。見た目は地味だが、それなりに痛い。
レヴィアの声にエリザベートが慌てて止めに入る。

「こら、ゼクト止めないか大人気ない! それとも頭に鉛玉撃ち込まれたいか……ん?」

その時、後ろで何かがぶつかった、寧ろ叩き付けられたような鈍い音と共に小さく声が聞こえた。

「待て待て手加減してるって、そんな気易く人の頭に銃口を向けるんじゃねぇ!」

つい先程まで散々硝煙を吐き出し、火薬の臭いを纏わせる双銃の片割れをエリザベートは青年の頭に容赦無く押し付ける。流石に慌ててゼクティスはレヴィアの頭から手を離した。

「……あ? どうかしたか?」

だが己の後方に視線を向けるエリザベートに気付き、何事かと彼女の視線を追う。頭を掴まれた痛みでちょっと涙目になっているレヴィアもまた、それに倣う。

「っぁあああ⁉︎」

真っ先に声をあげたのはレヴィアだった。
恐らく先程の音は、レヴィアがゼクティスに抵抗して暴れた際に触手に拘束された男が壁かどこかに思い切り叩き付けられた音。
レヴィアは完全に洸晰の制御を失っていたらしい。
三人の視線の先で、打ち所が悪かったのか、男はぐったりと地面に倒れ伏していた。

——————

戦いが収まり、一時間が経とうとしていた。
余程強かに頭をぶつけたのだろう。件の男は未だ気を失ったまま、目を覚ましてはいない。
それはそれで都合が良いと先へ進めば良いのだろうが「私たちのせいで気絶させてしまったんですから、放っておく訳にはいきません」とはレヴィアの言。頑なに動こうとせず、介抱すべきと訴える少女にエリザベートもあっさりと折れ、律儀に付き合ってこの男が目を覚ますのを待っているのだ。
彼女達が動かないのならば、ゼクティスも単独で離れる事は出来ない。

「この人、大丈夫でしょうか……」

レヴィアがもう何度目か判らない台詞を呟く。
元より先に襲い掛かって来たのはこの赤毛の男の方である。同情する道理も義理も有りはしないのだが、その度エリザベートが「大丈夫だ」「心配するな」と肩を落としてうなだれる少女を励ましていた。

「それより、こいつ一体何者なんだろうな。さっきの影を使った技なんか他じゃ見た事無ぇし……眼も」

少なくともこの男が普通の人間ではない事は明らかだが、見目にも違和感があった。
黄金色の虹彩を持つ瞳は仄かに光さえ帯びており瞳孔は人間のそれと違い、縦細く縮小していた。
〝黄金色の眼〟、それは魔物の眼を彷彿とさせる色であった。

「気味悪ぃったら無ぇ」

嫌悪を露にゼクティスが呟いた所でエリザベートが短く、白い息をつく。

「何故こんな所に居るのかも気になるな。雪風は凌げるとしても街からはかなり離れているし、施設自体も旧い。人がまともに暮らして行ける環境とは思えないが……」

「起きたらこの人から話を聞いてみましょうよ。何か判るかも知れませんし」

「何か知ってたとしても、そんなあっさり答えてくれるもんかよ……」

少女の呑気な応えにゼクティスは呆れて溜息をつき、冷たい鉄壁に顔をしかめつつも背を預ける。

「でも、悪い人じゃないと思うんです。本当に殺すつもりなら、最初の攻撃で皆やられてしまってたと思うんです」

「……偶々だろ」

レヴィアは偶に聡い所がある。ゼクティスも一理ある、とは思ったがその程度で一々相手を慮って対話に臨んでいてはキリが無い。
付き合っていられない、と言いたい所だが自分一人この場を離れたとして他に行く宛も無い現状に言葉を飲み込まざるを得ない。

(ほんと、根っからのお人良しっつぅか……)

理解出来る部分も有りはするが、無駄と切り捨てる事を良しとしない。レヴィアの非効率な思考は、おおよそ自分とは対極的なものだった。
そんな奴に何だかんだで付き合っている自分こそが、存外一番お人良しなのかも知れない。損な役回りを負ってしまっている、と心の中で一人密かに自嘲した。

やがて赤毛の男から微かに呻き声が聞こえたかと思うと、ようやくその瞼が開く。
レヴィアが「起きましたね!」と歓喜の声をあげ、そして恐る恐る訊ねる。

「大丈夫ですか? その、ぶつけた所で痛い所とかありませんか?」

「………ッつ」

男は身じろぎ、ゆっくり起き上がると頭を押さえ、僅かに顔をしかめた。
やはり派手に打ち付けていたらしいが、幸いにも大事には至らなかった様だ。中々目を覚まさなかったのも、精々脳震盪でも起こしていたのだろう。

「あぁやっぱり……。頭をぶつけてたんですね……本当に、ごめんなさい」

レヴィアは悄気た顔でがっくりと落ち込む。看せて欲しいと手を伸ばしかけたが、男は戸惑いつつ結構だとレヴィアをやんわり制した。
そんな少女の様子に、男は怪訝に眉を潜める。

「……どういう事だ。何故、君が私に謝る。武器を取り上げる訳でも、拘束する訳でもなく……何のつもりだ?」

「何のつもりって……怪我人を心配してるだけです」

「………?」

全く以て邪気の無い顔で、さも当然の様にレヴィアが返す。
益々訳が判らないといった風に、男は更に眉間の皺を深めた。

「あー……こいつ、そういう奴なんだ」

ゼクティスの言葉に男の顔は明らかに納得してはいなかったが、その口振りからおおよその意味合いを汲んだのだろう。それ以上の言及は無駄だと判断したのか、この少女の行動に関しては何も言わなかった。
代わりに男は、レヴィアに別の質問を寄越した。
「君が先程使っていたその能力……まさかとは思うが……光使い、と言うやつか?」
三人の間に一様に驚きが伝わる。

「いっ今、光使いって言いましたか⁉︎ 私の事、何か知ってるんですか⁉︎」

「やはり光使い……。完成、していたのか……」

男は頭を抱え、深い溜息をつく。
突然エリザベートが男に詰め寄ったかと思えば、遠慮無く肩を掴む。そして、真っ直ぐに翠瞳を向ける。

「何を……」

「私達はその事について此処まで情報を探しに来た者でな。些細な事でも良い。知っている事があるなら教えて欲しい」

そこで始めてエリザベートの軍服に気付いたのか、男が目を見開く。

「待て。その軍服の形、まさか聖都軍の……貴様は軍の人間か。生憎と、聖都の軍人に話すことなど何も無い」

「いいや、心配せずとも今はただの裏切り者。脱走兵の身だ。軍を見限り、既に縁を切っている。……その様子だと何か、軍に恨み事でもあったりするのか?」

「…………」

長い沈黙。言葉は無くとも十分な答えであった。

「成る程な、軍絡みで訳有り。と言うわけか」

何も答えない代わり、男は苦虫を噛み潰したかの様な顔をしていた。余程答えたく無いと言うことだろう。
しかし、やがて男は表情を改めると静かに立ち上がった。またも無表情を張り付けたままに口を開いた。

「……そちらの事情は判った、付いて来るといい。この先で私が答えられる事ならば全て答えよう」

こうもあっさりと男から情報を引き出す路が開かれるとは思っておらず、ゼクティスは「まじかよ」と言葉を洩らす。

「わざわざこんな雪に埋もれた山奥まで来たと言う事は、例え私が断った所でそう簡単には諦めまい。もう追い払うのも面倒だ」

「あぁ勿論だ。物分かりが良くて助かる」

「だが、期待はするな」

皮肉をたっぷりと含ませた語調でそう言うと、男は踵を返す。そして暗闇と冷気が支配する通路を奥へ向かって迷い無く進んで行く。
三人もまた、それに倣い歩き始めた。

(これも、何かの因果なのか……)

呟いた声は誰にも届くことなく、虚しく消えた。

——————

道中に男はレイシェント・ロアコートと名乗ったが、長いと感じたか「じゃあレイさんですね!」などとレヴィアが勝手に略称を決めていたのは、想像に難くないだろう。
本人から然したる反応は返って来ず。気にも留めては居ない様だったが。

「レイさんはいつからここに居るんですか?」

レイシェントの隣を歩きながらレヴィアが訊ねる。男は記憶を手繰るように視線を宙に向け、彷徨わせる。

「さぁ……? 気が付いた時にはここに居た。……よく覚えてはいない」

「そんなに前から居るんですか?」

「そういう感覚は無いが……恐らくはそう、なのだろう」

先程からずっとこの調子だった。何かにつけて、レヴィアはレイシェントをあれやこれやと質問攻めにしている。情報収集と言うよりは、他愛無い雑談に近い。
この光景、ゼクティスには身に覚えがあった。青年は、すぐ前を行くエリザベートに声を掛ける。

「随分楽しそうだな……っつうか、良いのか? あれ放っておいて」

「初めて会う人間に興味があるんだろう。あの娘は基本的に人懐こい娘だ。あの男からももう敵意は感じられないしな。警戒心を解かせるのにも打ってつけだ」

「成る程……にしてもあいつ、律儀なこったな。俺ならとうに飽きてるぞ」

事実、レヴィアと出会ったばかりの自分がそうだった。

「それはきっと性格の問題だろう。心配しなくても別にお前に律儀さは毛程も期待していない」

「そこまで言うか……」

実際レイシェントは、直ぐに答えられる質問に対しては一つ一つ丁寧にに答えてやっていた。彼が終始無表情であることを除けば、先程の戦闘を忘れるくらいに和やかな光景であることには間違い無かった。

やがて暗闇の中から唐突に通路を進む四人の目の前に分厚い鉄鋼の隔壁が現れた。入口にあったものとは違って固く閉ざされており、容易く開く気配は無い。

「あ? 行き止まりか?」

「少し待て」

レイシェントは皆を手で制して、隔壁の脇を手探りで触り始めた。そして直ぐに、壁に同化するように隠された操作盤の場所を探り当てる。
僅かな引っ掛かりに指を掛けて開くと、操作盤が露になった。ディスプレイの下にある数字キーを順番に叩き、手早く二三四桁のパスコードを入力し終えると、ディスプレイに『認証』の文字が踊り、静かに隔壁が開いた。

「入口の物はエネルギー供給のラインは生きているが管理系統が駄目になっててな、ロックが掛からないから直ぐに開いてしまう。……因みに後二枚ある」

「後二枚のもそんな面倒なコード入れなきゃなんねぇのか?」

ゼクティスが面倒臭そうに尋ねると、レイシェントが振り返り事もなげに言う。

「いや、次の隔壁は今の倍。最後のは更に倍の九三四桁を入力しなければ開かないようになっている」

「何だそれ……」

「心配するな、やるのは私だ。全て記憶もしている」

結局、レイシェントがコードを全て入力し終えるまでには十五分程の時間を要した。
最後の隔壁が金属が軋む駆動音と共に左右に開くと、八光灯の黄味を帯びた白い光に照らし出された空間が現れた。何かの計器や機械、配線が部屋の大部分を占領していた。
壁には天井まで届く本棚が据え付けられ容赦無く本が詰め込まれていたが、すっかり年単位の埃が溜まっており、劣化も激しい様だ。
三人は、奥へ続く部屋に案内された。その先は生活区画になっており、仮眠室などがあるらしい。据わりの悪い古びたテーブルが置かれた部屋、一先ずそのテーブルの思い思いの位置に落ち着いた。
壁や床など所々建材が剥き出しになっており、この施設自体随分長い間放置されていた事が伺える。だが、この部屋に関しては現在も使われているのだろう。最低限の居住環境は整えられており、先程の部屋とは違い掃除もなされているらしく埃の一つも見当たらなかった。

レイシェントが三人に向き直り、一呼吸置いて口を開いた。

「……さて、先ずは何から訊きたい」

そう問うレイシェントにゼクティスが「その前に」割り入る。

「一つ確認したいんだが、ここが生物学者のイレイン・リグレット博士……とやらが使ってた施設ってのは本当か?」

その問いに短く一言「確かに」とレイシェントが頷くと、此処に来た前提の情報がデマではなかった事に安心した。
するとレヴィアが身を乗り出し、待ち切れないといった様子で声をあげる。

「レイさん! わた…光使いの事について何か知ってたら教えてくれませんか? そもそも何の為に、〝私達〟が創られたのか、知りたくてここに来たんです」

「……? 『私達』だと? 光使いは君だけではないのか?」

レイシェントが訝しげに表情を曇らせた。男の問いに、エリザベートが補足を加えた。
「レヴィアが完成するまでに九人の実験体いたらしい。いずれもその後どうなったのか、末路は不明になっているがな」

そういうことか。とレイシェントは納得したように呟き、頷く。

「元々の光使いの原理はイレインって人が最初に創ったんですよね? どうしてその人は……」

「彼女が創った、とは少し違うな」とレイシェントは首を横に振り、静かな声で遮る。

「……彼女は、かねてより〝人間の定義〟とは何なのかを追究していた。人と魔物の類似点に着目した彼女はそのニつの境界……どこまでが人で、どこからが魔物なのかをずっと研究し続けていた。ただ純粋に、探究心に従って。その副産物として多くの人体生成の基礎理論を生み出していった」

——イレイン・リグレット

公文書に残されてこそいないが、恐らく生物学に関しては今なお世界最高と評される科学者である。
彼女の研究スタイルは他の研究者とは明らかに一線を画していた。
解剖や人体実験が欠かせない生物学の分野で、ただの一人も実験体を生み出さずして推考と仮想実験のみで彼女は新しい理論を次々と構築していった。
『机上の虚論』と、彼女の展開する理論は時として余りにも突飛で、それらに触れた同業者は皆一様に彼女を謗《そし》り、嘲った。
しかし、他の研究者らによってそれらの理論は証明され、何人も分け入る余地の無い、正に〝完璧〟なものであると。生物に於ける真理を描く為のフラクタルであると評された。
だが、彼女はけして傲る事無くひたすらに研究に明け暮れた。
誰かが彼女に問うた。
『貴女にはこれだけの理論を構築する頭脳がありながら、どうして自らの手で完全な物にしようとしないのか』と。
その問いに彼女は、最上級の侮蔑その美しい笑顔に乗せて答えた。
『真理に迫る程の完璧な理論を免罪符に、人を切り刻む業を犯す価値が人にあるのかしら』と。
それは、自分を含めた全ての科学者に対してのものだった。
彼女にとっての研究とは自分の欲を満たす為だけのものであって、それに他者を巻き込む事は正に愚の骨頂であり、最も嫌悪すべきものであった。
それ故、幾ら周囲からの評価を得ようと、又は嘲笑されようと彼女自身何の興味も示さなかったと言う。

『なら私は、探究に溺れて真理に弄ばれる愚者で終わっても構わない』

——だが、うねる時流はその奔放さを許すことは無かった。

「いつしかその信条も曲げられてしまった。今から……三十五年も前になるか。一二五〇年に起こった戦争によって」

一二五〇年から五年間続いた聖都と第四~第六都市間で起こった戦争を、〝四都戦争〟と呼ぶ。
〝都市〟と言ってもそれぞれの規模は国家単位である。それは世界大戦と同等だった。水面下での小競り合いならば現在でも頻発しているが、過去に起こった中では最も規模の大きなものだった。
「聖都派生都市出身だった彼女は、聖都の軍研究機関に技術士官として召集された。……断ればたちまち裏切り者ないし、間者扱いで始末される風潮だったからな」
イレインに命じられたのは、使い勝手の良いヒト型兵器の開発。
戦争は人類の技術を飛躍させ、革新的に伸ばす。だがそれはあらゆる道徳、理を淘汰し途方も無を生み出す事と同義である。
彼女が関わった研究もまた、戦争の名の下に相応しいものであった。人道倫理は紙屑も同然に価値を落とした。
軍の最高機密に関わった彼女の身柄は当然の事ながら常に監視され、勿論逃げ出す事も許されずただひたすらに研究に明け暮れた。
そして五年後、遂に一体の試作品が完成する。

「それが、私だ」

「え……レイさんも人じゃあ……」

レヴィアが口元を押さえ目を見開く。レイシェントが行使した異能の力からして概ね予想出来ていたとは言え、ゼクティス、エリザベートの二人も同様に驚いている様だった。
レイシェントは目を伏せるも、語る事は止めなかった。

「私の身体はとても人間であるとは言い難い、魔物の因子と融合した人外の身だ。しかし、私の身体に入った他生物の因子に対する拒絶反応は激しく、痛みと苦しみの余り私は長い昏睡状態に陥った。……その後はよく覚えては居ないが……結局、実戦投入はなされず戦争は終結を迎えたという」

そこまで一気に話し終えると、レイシェントは一旦心を落ち着かせるように息を吐き、顔を上げた。
「資料を見た記憶の限りでは、光使いを生成する技術の原型も恐らくその時に出来たものだ。私の様に普通の人間の身体を基礎とするのではなく、ゼロからヒトを創ろうと試みた事も有ったらしい。
——まぁ、その時は余りに問題点が多かった為に開発は直ぐに凍結された様だったがな」
本来有るべき生命の輪廻を外れてイレギュラーに人間の紛い物が生み出され、制作者の意志のみによって命の取捨選択をされる。倫理道徳を飲み込む狂気の坩堝が正気の沙汰として、尚且つ戦争の最中では数多の例でもって発生していたのだ。

「イレインは……もう居ない。故に確かめる術も無い。光使いの基礎理論を何者かが復活させたのだろうが……すまない、そこまでは」

だが、とレイシェントは顎に指を添え、考える素振りをする。

「経緯から鑑みるに、やはり私と同じ使い捨ての兵器の駒として作られた線が濃厚ではないか? だとすれば同情する」

間接的な当事者であるレイシェントの言とはいえ、それも所詮は憶測の域を出ないものである。
三十年前に打ち捨てられた物が何故時を経て別の者によってわざわざ拾い上げられたのか、仔細などやはり判らない。

「悪いが、私が光使いについて知り得ているのはその程度の経緯のみだ」

「……いや、それだけでも有益な情報だ。感謝する」

話を終えたレイシェントは早々に部屋を後にしようと部屋の出入口へ脚を向ける。だが、一旦歩みを留め、辛うじて動いている壁の時計をふと見上げる。
そしてそのまま視線を三人に移して言った。

「……奥の仮眠室は勝手に使っても構わん。余り綺麗とは言い難いが、空調は効いている。外で大人しく凍え死ぬよりましだろう」

「おや、随分親切じゃあないか?」

「……死体を片付ける手間を省きたいだけだ」

淡々とそう言うとレイシェントは外套を翻し、踵を返す。部屋を出る直前、足を止めて首だけで振り返る。

「……イレインは確かに光使いの基礎を作った。だがけして、君の様な存在が兵器となる事を望んではいなかった」

「——え?」

それ以上は何も口にせず、今度こそレイシェントは部屋を出て行った。
足音が遠のき、やがて聞こえなくなってからたっぷり六十秒、緊張の糸が切れたように三人同時に溜息。
ゼクティスはテーブルの方へと身体を向けると気怠そうに頬杖をついた。

「——で? 結局、ハッキリしたのは光使いが元々昔の兵器開発の際に考えられてた副産物だって事くらいか? つっても、一度は放棄されたんだろ? 何で戦争も終わってるってのに掘り返されたんだろうな」

エリザベートが翠の瞳を何処へともなく向け暫し思考を巡らすが、諦めた様に首を振る。

「……さぁ? 判らないな。第一、四都戦争なんてもう三十年も前の話だ。あの男が前線の兵士として活躍していたなら恐らく当時二十代半ばかそれ以上……。いくら実験とやらの影響だとしても三十年間外見年齢が殆ど変わらないなど有り得るか?」

「でも私は、レイさんが嘘を言っている様には見えませんでした」

レイシェントを庇う様なレヴィアの言葉にエリザベートは苦笑し「解ってるよ」と少女の頭を軽く撫でた。確かに、あの男が話した内容が嘘であったとしても此方を偽って何の利があろうか。
ふと、レヴィアはレイシェントの言葉を反芻し、呟く。

「……光使いは兵器なんかじゃなくて、もっと別の目的で創られた……?」

「去り際の言葉か。あの男の主観も含んでいそうだが、有り得るだろうな」

しかし結局は此処まで出張っては来たものの、然したる進展は得られない結果に終わってしまった。兎に角、とゼクティスが反動をつけて椅子から立ち上がり乱暴に髪を掻く。

「これ以上情報は期待出来そうにないならさっさと退散しようぜ。……つっても明日になるけどな」

彼はコートのポケットから取り出した黒色の携帯端末を開く。
携帯端末のディスプレイの右上に表示された時計は十八時三十七分を示してしていた。夜間の雪山の散策など自殺行為でしかない。
そこで、壁の時計が意外と正確な時間を指していることに気付いてどうでもいい事ながら驚いた。

——————

三人は持参した携行食の缶詰めを温め、ブロックフードで食事を済ませた。
身を刺す寒気に凍えることなく休息が取れた事に関しては、あの男に感謝すべきだろう。
中身が空になった缶を片付けながらそう言えば、とレヴィアが口を開いた。

「レイさんがなんでここにいるのかまでは聞けませんでしたね」

「聞いてどうする。他人事だろうが」

ゼクティスが吐き捨てる様に言うと、レヴィアは不服そうに頬を膨らませる。
「もう、どうしてそうゼクトは冷たいんですか?」

「冷たいんじゃねぇ、余計な首突っ込むなっつってんだよ。そうやって厄介が増えていくんだろうが。一々振り回されるコッチの身にもなってみろ!」

これまでの事を思い出してか、ああもう、と苛立たしくゼクティスはがしがしと髪を掻いてエリザベートを振り返る。
いい機会だ。この際に一言言ってやろうと思ったのだ。

「つーか、あんたからも何とか言ったらどうなんだ? 幾ら幼馴染みの贔屓目があろうが、こいつのお人好しは度が過ぎてんだろ」

だがエリザベートは唇の片端を持ち上げ、鼻で嗤う。達観の薄ら笑いを浮かべてレヴィアの頭にぽんと手を置いた。

「何を言うかと思えば……甘いな、それこそ長所と理解出来ずに何が幼馴染みだ。残念だが、此処にお前の味方は居ないぞ」

「んだとっ……!」

二対一。議論すら許されず、呆気なくゼクティスに黒星が付いた。
頭に血が上って何も言葉にならず、ゼクティスはただ中途半端に挙げた右手をわなわなと震わせる。そしてとうとう悔しげに歯噛みし、右手に拳を作る。動揺を落ち着かせるように、小刻みに震える手を静かに下ろした。
そのままゼクティスは大股で二人を横切って手前の仮眠室のドアを勢い良く開け、最後に一度だけ振り返る。

「言っとくが、俺は間違っちゃいねぇぞ!」

せめてもの置き土産か。捨て台詞を吐くと、力一杯にドアを閉め切った。
そんな彼の様子を始終にやにやと面白そうに見ていたエリザベートはレヴィアに向き直り、苦笑する。

「……ああは言ったがな、私もゼクトの意見は正しいと思う。他人の領域へ無闇やたらに踏み込むものじゃないよ」

レヴィアは眉尻を下げ、エリザベートを見上げる。

「……解りました。でもエリザ、じゃあその…さっきのゼクトのはわざと……?」

「ああ、少しおちょくってみた。奴め、一々面白い反応をしてくれる。遊び甲斐があるじゃないか」

レヴィアは困ったような可笑しいような、何とも言えない表情を浮かべる。

「エリザ、あんまり虐めたらゼクトが可哀相ですよ……」

「そうか? ふふ、お前は優しい子だな。うん。そうだな、気を付けよう」

これほど、信頼性に欠けた「気を付けよう」は初めてだった。

——————

仮眠室の中はその名の通り、簡素なパイプベッドが二つ並べて置かれただけでインテリアとは無縁のの殺風景な内装だった。
部屋の集塵装置が稼動しているお陰か、想像していたよりも小綺麗なものでレヴィアは素直に驚いた。そもそもこの雪山で寒さに凍えず眠れるだけで有り難いと言うもの。しかし、部屋の隅に年期の入った本が積まれていたり、何かの機械部品が転がっていたりする辺りは相変わらずだった。
一先ず二人はベッドの上に腰掛ける。——と、エリザベートは向かいのベッドの下に何かの紙片らしき物を見付けた。床に膝をついて覗き込むと、どうやらそれは掌サイズの印画紙らしい。集塵装置が生む気流にひらひらと弄ばれている。
どうやら床の建材の継ぎ目に引っ掛かり、辛うじて巻き込まれずにいたらしい。

「エリザ?どうしたんですか?」

「いや、紙か何か落ちていて……」

エリザベートはベッドの下腕を突っ込み、肩まで潜り込んだ。無事にそれを拾い上げ、表面の埃を軽く払ってやる。

「これは……ああ、写真か。一二五〇年の十二月二十八日……。今年が一二八五年だから……三十五年前か。かなり古い物だな……」

角は擦り切れ、白く折れ目も付いて所々破れている上、かなり色褪せてしまっている。本来ならばもっと鮮やかな色をしていたのだろうが。
写真には、こちらに向かって微笑む、恐らく二十代前半の男女が並んで写っていた。
男の方は、黒髪にライトブラウンの瞳を持ち、いかにも好青年といった風貌。現在の物と色こそ違えど聖都軍の軍服らしきものを着ている。その隣に寄り添うのは、赤の細いリボンで長い金髪を緩く纏め、知性的だが穏やかな碧の瞳が印象的な白衣を羽織った女性。
此方の女性が着ている白衣も、聖都軍附属の研究機関等で現在も使用されているものであった。

「聖都軍の人の制服……。ここに落ちてたって事はもしかして、この凄く綺麗な女の人がイレインさん、とか? でも、隣の人は……。
んー……顔はさっきのレイさんに何と無く似てなくも無いですけど……雰囲気が全然違いますし、もしかしたら兄弟と親戚の人とかですかね?」

「学者然としているが、そうとも限らないだろう。私もイレイン博士の事は名前だけで、顔写真は見た事が無いしな……」

彼女はふむ、と一つ間を置いて扉に歩み寄る。

「あの男、此処に長いことこの施設に居るようだし、博士とも面識があるかの様な口振りだった。ちょっと、行って訊いて来よう」

「え、え?訊いて来るって……。あ、あぁ行ってらっしゃい……」

気易い干渉は御法度ではなかったのだろうか。
止めるべきかと迷うよりも早く、エリザベートは部屋を出て行ってしまった。
レヴィアは、独りぽつんと部屋に残された。
思い立ってからの行動の早さなら誰にも負けない行動力の化身。それがエリザベートだ。

「……早く帰って来ると……良いんですけど……」

この殺風景な部屋にたった一人で残されるのは辛い。静寂に堪えきれず部屋を出たのは、それから五分後の事であった。

エリザベートは先程の古びたテーブルの置かれた部屋を抜け、最初の雑多に機械の置かれた広い部屋に出る。
自分達と話した後、レイシェントは何処に行ったのかと回りを見巡らせば、最初は気付かなかったが下へ降りる階段を見付けた。薄暗がりの中で足元を探りつつ降りていく。そして、十数段降りた所で恐らく実験室らしい部屋に出た。
先ず目に入ったのは、部屋の中央で淡く緑の燐光を放つ硝子張りの円柱——操作端末の上に乗る生命維持槽。すぐ側にはまた別の簡易型の培養槽が並んで二つ。
壁際を占領する巨大なコンピュータの横長いディスプレイには絶えずプログラミング言語と思しき文字列が流れ続け、資料らしき紙が拡げられた操作卓の前には椅子が一つだけ置かれている。そして空いた壁際にはサブコンピュータや本棚が置かれ、残った床のスペースには何らかの配線が何十本と伸びていた。
エリザベートは思わず感嘆の息を漏らした。

「ほぉ、型自体は大分古そうだが……これは……凄いな。しかもまだちゃんと皆動いてるじゃないか」

とても辺境の山奥にあるとは思えない程に充実した設備だ。一体どの様にして個人施設である場所にここまでの設備を整えたのかと疑問さえ浮かぶ。
配線ケーブルを踏んでしまわないよう慎重に、部屋の奥に進んで行く。

「ここにも居ない、か……。だが他に部屋は……っとぉ⁉︎」

床を這う配線ケーブルに足を引っ掛け、エリザベートはバランスを崩す。だが、寸での所で壁を支えにし、倒れずに踏み止まった。
我ながら驚く程に間の抜けた声だった。誰へともなく咳払いで誤魔化して、配線の沼から足を抜く。

「け、ケーブルか……全く、危ないな……。——ん?」

丁度エリザベートが手を突いた壁に、掌サイズの長方形の光が淡く灯っていた。
それが何なのか確認する間もなく、すぐ側の壁が音も無くスライドし上へと続く螺旋階段が奥に現れた。

「これは……登って良いものか……」

偶然見付けたとはいえ、ここまで巧妙に細工して隠していたのだから、何かしらこの先に重要な物があるのだろう。
勝手に入って良いものだろうか。コンマ一秒だけ律儀に考えたが、此処で引き返すのも釈然としないと言うもの。エリザベートは取り敢えず進む事にした。

「うわ……これは、また一段と暗いな……。携帯でも持って来れば良かったか……」

あの男に見付かった時の言い訳でも適当に考えながら、壁伝いに階段を一段一段確かめつつ登って行く。
程なくして階段は終わり、目の前に現れた両開きのシャッターが左右にスライドする。
突然、目を刺す目映い陽光に似た光に思わず眉をしかめ、顔を逸らす。
光に目が慣れるに従い、室内の様子が明らかになる。
「何、————」

そこには、正に〝庭〟と呼ぶに相応しい空間が作り上げられていた。三歩前から反転した景色を前に、呆けたままエリザベートは室内へ踏み入る。
天井の奥半分は空を臨む半球形の硝子の天蓋になっている。約五十m四方の広い部屋には四季折々、色とりどりの花が花壇に植えられている。
見たところ、今咲いているのは春先の花ばかりの様だ。
だが、それよりも一際目を引いたのは、部屋の中央の開けた空間に聳《そび》える一本の桜の大樹。今は無き、派生都市トキツカ周域のみ自生していた稀少な樹木花である。
その前に、ただじっと俯いて座り込んでいる男——レイシェントの姿を認め、エリザベートは静かに歩み寄る。あと三mというところまで近付いても彼は微動だにしない。寝ているのか、と口を開きかけた。

「……よく此処が判ったな」

レイシェントは顔を上げ。だがこちらを振り返る事もなく呟いた。
予想外に掛けられた声に面食らい、エリザベートは言葉に詰まりつつも曖昧な答えを返す。

「あ、ああ。たまたまだけども、な。見た目の割に良い趣味をしているじゃないか」

「…………」

無駄な雑談を交わす気は無いらしい。エリザベートが立ち入って来た事に関しても、何も言及するつもりは無いのか。だが、迷い込んだにしては悪びれる様子の無いエリザベートを訝しみ、レイシェントは改めて向き直って訊ねた。

「……私に何か用でも?」

「会話出来るじゃないか」

己が身に纏う聖都軍服に嫌悪していただけに、取り合って貰えないのではと思ったが。エリザベートは揶揄を込めて苦笑を浮かべる。
上着を探り、ポケットに仕舞っていた写真を取り出して顔の前でひらめかせる。

「写真を見付けてな。古いものだが、貴方なら心当りが無いかと思って探していた」

「写真?」

エリザベートは仮眠室で拾った事を説明し、レイシェントに手渡した。
その際に彼の背後、桜の大樹の前に簡素な墓標らしきものを見付けた。名も生没年すらも刻まれてはいないが、ただの石と呼ぶには余りに形が整ったそれはよく手入れされている様に見える。
エリザベートの視線に気付いたのか。レイシェントも一様に彼女の視線をなぞり、その先に行き着いた。

「あれは?」

彼はああ、と納得したように一つ頷く。抱かれて然るべき純粋な疑問の視線から逃れる様に目を伏せ、ぼそりと呟いた。

「……彼女の……イレインの、墓だ」

「何、イレイン氏の……?」

耳を疑い、エリザベートは思わず目を見開いた。

「本当なら故郷に帰したかったが、それすらもう失くなっている。だから仕方無く此処で眠って貰っている」

確かに彼女に関する記録や消息は此処で途絶えている。仮に変わり者——異端の学者とは言え彼女は、世界的な生物学の権威。それがこのような場所で、ごく密やかに葬られているとはとても信じ難かった。
だが、『そんな馬鹿な』と否定していてが話が進まない。ましてこの男の気分に障っては聞ける話も吐かせられなくなるのは明瞭。
訝しみはするものの、此処は一先ず何も言わないでおいた。

「……懐かしいな、ほとんど片付けたはずだが……まだ残っていたのか。この写真、何処に落ちていた?」

写真を見詰めながら、不意にレイシェントが訊ねる。この男から感情詞が出た事に内心驚きつつ、顔色一つ変えず答える。

「仮眠室のベッドの下に。集塵装置に巻き込まれかけていた。……そのニ人は貴方の知り合いか何かか?」

「いや。……これに写っているのはイレインと、私だ」

「はぁ? 何だと——おいおいちょっと待て!」

流石に今回は声を上げずにいられなかった。エリザベートが声を荒げたのに驚いたのか、レイシェントは僅かに黄金色の瞳を見開く。

「貴方とイレイン・リグレットは直接面識があったのか? だとしたら博士は面識のある貴方を実験の材料したと——」

「——それは違う‼︎」

皆を言わさずエリザベートの言葉を鋭く遮る。しかし、レイシェントは直ぐに感情を昂らせた事を恥じた様子で目を伏せる。

「あ……その、すまない。だが、彼女が私を実験台にしたというのは誤解だ」

『誤解』との言葉にエリザベートは首を傾げる。不可抗力であれ強いられたのであれ、手を下したのはイレインではないのか。

「しかし貴方は先程……」

「私は彼女の作った理論を元にこうなったのであって、彼女が実行した訳でも、指示した訳でもない」

「どういう事だ? イレイン・リグレット氏は研究機関に属して開発の先導をしていたはずではなかったか? 先程の説明と食い違ってるじゃないか」

「語弊だ。結果がそうであったと言う事だ」

数分前までの、訥々と抑揚を欠いたものとは違い、頑なに弁明を試みるレイシェントの口調は力強いものへと変わっていた。
この男は軍への恨みを募らせてはいるものの、人外の有り様になった切っ掛けを作った張本人たるイレインには反対に努めて擁護している様に伺える。
矛盾する事柄にエリザベートは眉を潜めた。

「おいおい今更語弊などと……。そもそもその写真と言い、さっきから貴方の口振りだとイレイン氏とは親しい間柄の様だが一体どういう関係だ?」

「関係、は……」

段々と距離を詰めて迫り、詰問してくるエリザベートの圧の前にレイシェントは答えを詰まらせる。深く長い溜息をつき、再び抑揚を失った声で疲れたように呟いた。

「何だか、尋問されている気分だ……」

しまった。聞くにしても些か性急過ぎたか。エリザベートは今更ながらにはたと気付く。レヴィアに他人の領域に深入りするなと言っておきながらこれでは示しがつかないではないか。

「悪かった、な。職業病というか……」

「熱心な事だ」とレイシェントは皮肉るように鼻で嗤ってみせる。

「良い、答えられる事は答えると言った手前だ。……そうだな、少し昔話でもさせて貰おうか。その方が、手っ取り早いだろう」

レイシェントは独り頷き、先刻と同じように庭園の床に座り込み、エリザベートも彼に促されるまま隣に間を取って腰を下ろした。

そしてエリザベートは、咄々と語られる話にただ静かに耳を傾けていた。

——————

「……ふぅ」

機械達が静かに駆動するばかりの静寂に上乗せられた溜息はエリザベートのもの。
彼女は庭園へ続く隠し階段を見付けた元の実験室に戻って来ていた。空気が重く感じるのは、部屋の暗さのせいだけではないだろう。

レイシェントは口下手なりに、少しずつ。自身の身に起きた事をエリザベートに語って聞かせた。エリザベートもまた、黙って彼の話に耳を傾けていた。
語られたのは三十五年前に起きた、戦争によって悉く運命を狂わされた一組の男女の話。皆が揃った前で語られた時には、客観によって省かれていた部分。レイシェントの主観による事の顛末だった。
全てを語り終えた後、レイシェントはらしくないなと自嘲気味に口の端を歪めると、改めてエリザベートに向き直った。

『……悪いが今の話は口外しないでくれるか。勿論、お前の仲間達にも』

他人のセンシティブな過去を易く口外するほど無粋ではないとエリザベートは頷きつつも、一抹の疑問を抱いた。
問い詰めてしまったものの、この様に根の深い話を他人に易々と話す男でも無いだろう。適当にはぐらかす事も出来た筈だ。

『何故話す気に? 訊いておいてこんな事を言うのもおかしな話だが、自分が無粋な侵入者と言う自覚はある』

理由を問われたレイシェントの瞳が揺らぎ、僅かに逡巡した様子を見せた。だが、事も無げに『気紛れだ。久し振りに懐かしい名前を聞いたせいもあるだろうがな』と応えた。
『これでも一応、見た目以上に年寄りだ。つい郷愁に浸ったのかも知れん』
最後に『長話を聞かせた、済まなかったな』と一方的に詫びると、レイシェントはまたエリザベートに背を向けて墓標の前に座り込んでしまった。
話は終わり。と言う事なのだろう。
仕方なくエリザベートは、そのまま静かにレイシェントを残し庭園を後にした。

そして、今に至る。

「あの男、難儀なものだな……」

口には出すまいが、哀れとも思う。
恐らく、判らないのだろう。
生存の罪の意識が凝《こご》る沼に足を呑まれ、自我を溺死させる事も赦さず辛うじて浮かんでいる。なすべき使命、生きる足掛かりも見出せず、あの男はこの場所に留まり続けている。
同情するつもりは無い。同情すべきものでもない。
運命など人によって千差に分たれ、善し悪しを決めるのは個人の独善的な価値観による偏見でしかない。——とは言え、だ。
この世に起こり得る全事象を、矮小な人間が人間のまま享受出来るものか。だからこそ葛藤し、踠き苦しみ、時に立ち止まる。
時流を動かす運命のうねり、それは不可視の災害。人の身には余り長大で抗えるものではない。乗り越えるなどと言う言葉では安すぎる。
では、何と言う。
『報復』
そう表現して然るほど〝それ〟に抗うのは恐懼すべき事なのだ。
しかしこのエリザベートと言う人間はただ流されるのを潔しと出来るような性でも無かった。仮にそれが他人であっても、である。

いつの間にか仮眠室へ向かっていたはずの足は完全に止まり、自分でも気付かぬ内にエリザベートは踵を返していた。

——————

一方、エリザベートに放置されたレヴィアはと言うと、ゼクティスの居る部屋に移動していた。
「……何でこっちに来てんだよ」

不機嫌という字をそのまま張り付けたような顔で頬杖を突くゼクティスとは対照的に、少女は「いけませんか?」とさも不思議そうな顔で首を傾げ、目を丸めている。
レヴィアは丁度ゼクティスと向かい合う形で、彼の隣のベッドに当たり前のように座っていた。
つい先程口論を交わしたばかりだと言うのに、気不味いだとかそう言う気持ちは無いのだろうか。無いのだろう。詮無い自問自答だった。

「いけねぇよ。エリザが帰って来ないならさっさと寝ちまえばいいだろ。つか、俺は寝てたのによ」

「そうしようとしましたよ! しました、けど……。あの部屋、静か過ぎて一人で居ると何か出そうで怖いんです!」

「ンなの俺が知ったことか!」

自分本位な、と思わず声を荒げる。
少女一人でこの殺風景、且つ薄暗い部屋に居て不安になるのは解らなく無いが、だからと言って此方に転がり込まれても迷惑と言うもの。だがやはり、レヴィアはゼクティスの気持ちなど然して気に留めていない様だ。或いは、わざと気に留めようとしていないのか。

「ということで、エリザが帰って来るまでここに居ることにしました」

最早決定事項とばかりに「良いですよね?」とレヴィアは柔らかに笑う。
自分の意志が何一つ反映されない世界に放り込まれでもしたかの様な錯覚を味わう。ゼクティスは思わず頭を抱えた。

「ちょっと……ちょっと待て。『居ることにしました』って何勝手に決めてんだ。良いわけねぇだろ。戻れ」

「そんな!」

確信犯としか思えないほどに大仰に驚いて「どうしてですか⁉︎」と此方を非難するレヴィアに、話を聞いて無かったのかと苛立ちつつもゼクティスは言葉を返す。

「あの、さっきも言ったけどな……早いとこ寝たいんだよ俺は。散々歩き回ったりしたせいで疲れたし。つまり、お前の相手をしてやる気は微塵も無ぇ」

「んんん……判りました。じゃあゼクトは寝てもいいですよ、私もここで寝ますかっ……痛ーっ! 痛いですよ何で叩くんですか!」

思わずゼクティスはレヴィアの頭をひっぱたいていた。少女は叩かれた場所を両手で押さえるが、ちゃんと力加減はしている。

「馬鹿か、何の為の部屋分けだと思ってんだ。お前が良かろうが俺が後からエリザに五月蝿く言われるんだよ」

常々思っていたが、レヴィアはこういう事に関しては呆れる程に無頓着だ。良く言えば彼女の純粋さと言えなくも無い。
ゼクティスにどうこうしよう等と言う考えは一切無いが、この際だ。ここはけじめとしてきちんと区切りをつけておきたいところ。しかし、当のレヴィア小難しい顔で首を傾げる。

「うーん……でも、今更だと思いますよ?」

「……ッぐ、いやそれは……」

確かに、起こり得ない事態を懸念するなど徒労だ。つい心の中で納得かけてしてしまう。
エリザベートと合流するより以前。二人で聖都に行くまでの宿では護衛をする都合上、相部屋が当たり前だったのだ。
だが、その二人旅の道程を隅から隅までの子細をエリザベートから尋問の如く吐かされたのは想像に難くないだろう。無論疚しいことなど一切無かったが、聴取の最中は余談無く得物をちらつかせる始末。
エリザベートにとっては妹同然の大事な大事な幼馴染みの様だし、百歩譲って過保護は結構。だがあれにはゼクティスも少々堪えた。あの時は冗談抜きに、寿命が縮んだ心持ちだった。
それを思い出してはまた背筋に寒気が走る。

「あの時とはまた事情が違うだろ。ほら、良いから戻れって」

諭しつつゼクティスは回れ右とレヴィアの背を押すが、頑として動こうとしない。それどころか、

「お前……、そんなに嫌か」

レヴィアによって展開された光晰の投網がドアを塞いでしまっていた。これではノブすら回せない。
彼女は無言で、だが確と頷く。此方を振り返って見上げるその表情は真剣そのもの。
光使いの力まで使うとは。とうとうゼクティスは諦めて溜息をつき「一時間だけなら起きといてやるよ……」と投げやりに言った。
その言葉を聞いた途端レヴィアは紫色の瞳をぱっと輝かせ、嬉しそうに笑いながら頷いた。

「やったっ! やっぱりゼクトは優しいですね!」

「お人好しの間違いだろ……」

そう自虐せざるを得ない。嬉しそうなレヴィアとは裏腹にゼクティスはご都合主義者め、とげんなり恨みがましく呟いた。

「そういえば、ゼクトはどうして便利屋を始めたんですか?」

一時間の在留権を獲得し、改めて隣のベッドに座り直したレヴィアは唐突に尋ねた。方やゼクティスはなるべく楽な体勢をと、ベッドに横になっていた。
「どうして……か。そうだな、仕事さえこなせりゃあ歳なんか関係無かったしな。独立して始めたのが……ああそうだ、丁度お前と同じ十五の時だったか」

「え、十五歳⁉︎  ……でも仕事の依頼とかはあったんですか?」

ゼクティスは寝そべったままひらひらと手を振る。

「いーや、さっぱり。最初の方は殆ど稼げやしねぇ。幸いしぶとさだけは自信があったし、おこぼれみたいな仕事でも何とか拾ってこなせはしたけどな」

常識的に考えて十代半ばの子供にものを頼もうなどと言う奇特な人間は滅多に居ないだろう。当時の生活はやはり困窮していたのだろうか。考えてみたが、当の本人は「生きる為に色々やった」と気の抜けた苦笑を浮かべ、事も無げに言う。
すると、レヴィアがはたと何か気付いた様に両手を打つ。

「そもそも私、ゼクトの昔の事とか何も知りません。もっとゼクトの話を聞きたいです」

「は? 聞いた所で面白くも何とも無いぜ」

ゼクティスは怪訝に眉をひそめるが、レヴィアは前のめりに「いいからいいから。聞かせてください」と興味津々といった様子で彼の言葉を促す。
どうしたものか。暫く口を噤んだまま渋っていたが、期待に満ちたレヴィアの眼差しに根負けしたゼクティスは仕方なく、適当に要領をかい摘まんで話す事にする。
ふと、彼の脳裏に懐かしい記憶の像が過ぎった。

「何かお前見てると思い出すな。孤児院暮らしの時に居たんだよ、同じくらい年下の妹みたいな奴が」

「ゼクトも、孤児院に居たんですか?」

自らの境遇と重ねてか、遠慮がちに声を落とすレヴィアに対しゼクティスは「このご時世、親無しなんざ珍しくもねぇだろ」と然して気にするでもなく応える。

「その頃は早いとこ自立したかったもんだから、輪をかけて自分本位で動いてた。年上らしく世話してやった覚えも無ぇのに、いっつも俺の後を付いて回ってたな」

「ふふ、何だかその子の気持ち、解る気がします」

「そうか?」

よく解らないと首を捻るゼクティスに、レヴィアは笑みを溢す。

「……じゃあその子、私と同い年くらいなんですね?いつか、会ってみたいです。私とその子、きっと友達になれそうだなって、思うんですけど、どうでしょう?」

「さぁ……どうだろうな。俺が孤児院出てからは顔出してねぇし、アッチもだいぶ変わったろうし」

それよりも、彼の暮らした〝孤児院〟ではより深く、強烈に影響を与えられた人物との出会いがあった。

(そういや、孤児院出たら便利屋始めるって言ってから会ってねぇな……〝先生〟に)

 

ゼクティスは十二歳の誕生日を迎える頃に自らが育った家を出た。
元々は出生の判らぬ拾い子であったと聞いていた。六歳の時に養子縁組の斡旋にてある家族の元に居たのだが、運が悪かったと言うべきか。ゼクティスを引き取ったのは孤児の養育補助金目的の里親であり、善意など微塵も無かった。
加えて、左手の甲が蒼く結晶化しているせいで申し付けられた仕事も上手くこなせず、酷く気味悪がられた。となれば、彼に課されたのは鬱憤の捌け口としての役割。
衣食住が保障されてはいたが、子供に与えられるべき真っ当な待遇とは程遠い。結局は、補助を受け続ける為に生かされているだった。
自分を人間と同等にも扱わない者の元で、どうして大人しくしてやらなければならないのか。嫌悪され、都合良く弄ばれてまで世話になる義理も無い。
自らの勝手で生き、例え独りで野垂れ死のうがそちらの方が万倍真っ当な生き方の様に思えた。
そしてとうとうゼクティスは家族の隙を見て、逃げ出す事に成功した。
自由の身だと喜んだのも束の間。やむを得ずとは言えろくな準備をせずに飛び出してしまったが為に三日目には体力も限界に達し、身を隠す為に入り込んだ暗い森の中で独り彼は倒れた。人として生きたと言うには余りにも短いものだった。

目が覚めると、彼は全く見覚えの無い部屋で無造作に床に寝転がされていた。朱い光が窓から差し込んではいたが、やけに薄暗く冷えた部屋だった。仄かに黴臭い床は固く、身体が軋んだ。
予想外の出来事に混乱しつつ、ともかく顔を上げて身を起こすと己に落ちる人の影に気付いた。
影の主は腕を組み、冥《くら》く冷淡な隻眼で此方を見下ろしていた。
肩口まで伸ばしたブルネットの髪に、藍色の瞳。黒で統一された服は、動きを制限しない様にであろうか。スカートには大きくスリットが入っていた。
だが何より、一番目を引いたのが彼女の整った顔の右側を覆う飾り気の無い漆黒の眼帯。
片眼でありながら、心の臓を貫く切先の如き眼光が放つ威圧感にゼクティス——当時はこの名では無かったが─は思わず身を強張らせた。
彼女の携えた刀剣も更に彼の恐怖を煽った。
蛇に睨まれた蛙宜しく気圧され、何も言えずに硬直しているとその女性は感情の薄い淡々とした語調で尋ねた。

『お早う、早速ですが君の名を聞かせてもらいましょうか』

そこでゼクティスは漸くはっと我に返り、立て続けに質問を浴びせた。
ここは何処だ。
あんたは誰だ。
何で俺は此処にいる。
あんたが助けたのか、目的は——……。
次々に質問を捲し立てていると、彼女の刀剣が床を打ち据える音が鋭く響き渡った。その音に彼は思わず身を縮こませた。
此方の質問に答えろ、と言う事であろう。だが、当時の彼にとっての名前とは赤の他人より勝手に付けられただけの符号の様なものであり、寧ろ疎ましい物であった。
『言いたくねぇ』と俯き、息も詰まる沈黙。やがて彼女は諦めた様に『まぁ、いいでしょう』と呟くと彼の質問に指を折りつつ簡潔に答えていった。
此処は私の家。
私はこの孤児院の管理をしている。
私が此処に運んだ。
最後は、私が〝良い人〟だったから。
などと、当て付けとばかりに矢継ぎ早に返される答えに戸惑っていると、女性は最後にこう付け足した。

『後、私の事は〝先生〟と呼ぶ事。以上です』

そう言い置くと〝先生〟は少しだけ口元を緩めて笑った。

それが先生との出会いである。
こうして彼は〝ゼクティス〟と言う架空の名前を名乗る様になり、先生と自称する女のの元で世話になる事になったのだ。
彼女は自分の経歴は一切語らなかったが、その当時は小さな教会に似た建物で一人で身寄りの無い子供達の面倒を見るなど、孤児院の真似事の様な事をしていた。
教会の修道女、と言うには格好も黒という点以外は全く修道女という概念に当て嵌まらなかった。寧ろ腰から刀をぶら下げた修道女が居るものか、と本人自ら鼻で嗤い飛ばすだろう。どちらかと言えば世捨人と言った方がしっくりくるだろうか。
今考えると色々とおかしな部分はあるが、今のゼクティスがあるのも彼女のお陰だと言っても過言ではない。
ゼクティスが独りでも生きていける力が欲しいと言えば、あっさりと『判りました』の返事を返した。それからの三年間、〝先生〟はゼクティスの望む通り生きる為の術や知恵を持ち得る限り全て叩き込んでいった。
便利屋としてやっていける程に備えた今の戦闘技術諸々や知恵も、その時に身体に叩き込まれたものである。
彼女からの教えは地獄であったが、自らの意志で動く感覚は今までとは打って変わって生の実感に満ち溢れていた。
そして、ゼクティスが十五歳になる頃に突然漆黒の大剣——Requiemを餞別として与えると、『貴方はもう立派な大人ですね。自分の力で精々生き延びなさい』などと一方的に教会を追い出され、彼女との関係は断ち切られた。
使いこなすまでには苦労したが、いくら激しい戦闘を重ねても一切磨耗する事の無いこの剣には何度も助けられた。彼女には勿論感謝している。
だが、それでも当時の彼は先生を鬼か何かと錯覚したのをよく覚えている。

 

「……とまぁ、そんな感じで世話になった先生が居て……レヴィア?」

大雑把にかいつまんで説明する間、先程までしきりに相槌を打っていた筈のレヴィアの声が聞こえなくなっていることにふと気付く。どうかしたのかと訝しんで身を起こし、隣の寝台を見遣ると、いつの間にかレヴィアは猫が丸まる様なかたちで寝台に倒れ込んで自身の腕を枕に顔を埋めていた。
まさか、と思い少女の肩を掴み起こすと案の定、規則正しい寝息をたてる穏やかな寝顔があった。

「こいつ……人に喋らせるだけ喋らせて……」

レヴィアとは対象的に、ゼクティスの顔は引き攣っていた。
試しに「こら起きろ」と軽く肩を揺さぶってみるも、起きる気配は微塵も無い。軽く頬をつねって伸ばしてみるも、やはり結果は同じ。僅かに顔をしかめただけで瞼を開けることは無かった。
思えば今日は慣れない雪山登山をして来たのだ。ようやく緊張から解放されて一気に深く寝入ってしまうのも、まぁ頷ける。
穏やかな寝顔に沸き上がる怒りも何処へやら、ゼクティスはやる瀬なく溜息をついた。
このままここで寝られるのも困る。面倒ではあるが仕方無いとゼクティスはレヴィアを横抱きに抱え上げた。
廊下に出た所で、戻って来たエリザベートと鉢合わせた。
無意識に顔が強張り、戦慄に似た緊張に心臓の鼓動が逸る。

「お……」

「言っとくが俺は無実だからな。何もしてない」

お前、と言いかけたエリザベートをゼクティスは間髪挟まず即座に遮った。

「そんなに警戒しなくても……。で? どうしたんだ、それは」

ゼクティスに抱えられたまま、目覚める気配無く呑気に眠りこけているレヴィアを見遣り、エリザベートが問う。

「ん、あぁ……」

取り敢えず今までの事を説明しながら彼女達が元居た部屋へとレヴィアを運び、寝台に下ろした。
また頭に得物を向けられまいかと肝を冷やしていたが、今回はそんな様子も無い様でゼクティスは内心胸を撫で下ろしていた。

「……そうか、それはすまない。世話を掛けたな」

「つーか、あんたもこんな時間まで何してたんだ? あのレイシェントって奴に拾い物渡しに行っただけだろ?」

今し方戻って来たのだとしたら、想像し難いがあの男と随分と話し込んでいた事になる。だが、その問いにエリザベートはただ一言、「明日になれば判るさ」と返しただけだった。

——————

──久し振りに夢を視た。

澄み切った青空の下、風を切る音がどこからか聞こえる。
振り返れば、両手で握った木切れを剣に見立て、一心不乱に振り続ける少年の姿。端から見ればただのごっこ遊びに過ぎないだろう。しかし少年の青い眼は真剣そのもので、まるで眼前に佇む像を持たぬ敵を討たんとしているかの様だ。
ああそうだ、と懐かしく眼を細めた。
幼少の頃、先生と出会うまでは何か嫌な事があると、独りで剣の稽古の真似事をして憂さ晴らしをしていた。自分が一体何者なのか、求めた所で意味の無い自問自答を重ね不安を募らせ臆していた頃の弱い自分。例え解らずとも一人で生きる力が欲しいと希っていた。
そうすればこの様にに鬱々と、忸怩たる思いに苛まれる事もないのに。
単純にして稚拙だが、これが今日に至る自分の起源なのだろう。
さて、今はどうだろうか。
幼かったあの頃から、何か変わったろうか。今、自分が戦うに値する理由とは何なのだろうか。かつての様に自らの保身の為、だけではない筈。ふとそんな考えが頭を掠めた。
その時、急速に周囲の景色が暗く色褪せ始めた。視界も段々と黒く侵食されていく。
いくら目を見開こうが擦ろうが無駄だった。
それでもと顔を上げると、いつの間にか自らの幼少期を写していた姿は別の少年へと変え、じっと目の前に佇んでいた。
視界が色も失い瞑れているせいで容姿が判然としない。何とか背を流れる色素の無い長い髪を持っている事は判った。ともすれば少女と判断してもおかしくは無いが、自身の中では明瞭に少年と認識していた。そして、何故かその存在に既視感まで感じていた。
誰だと問うと少年は自らの胸に手を当て、俯いた。そして再び顔を上げるが、問いに答える前に彼の胸から突然どす黒く濡れた刃が突き出した。
ずるりと刃が引き抜かれる。
呆気なく膝から崩折れる身体を支えようと頭では手を伸ばそうとする。が、何故か身体は言う事を聞かずぼんやりと直立不動の姿勢のまま。
地に伏した少年の口の回りは吐き出した血で黒く濡れていたが、『ぼくは』と確かに自分の名を紡ぐ様に唇が動くのを見た。
ただただ暗く、狭い視界の中で残骸と成り果てて血に沈む少年の死体をぼんやりと見ていた。
その時。
君は誰かを必ず不幸にする、と耳元で囁く声が確かに届いた。
誰だ、と問おうとするも叶わず、代わりに口からはごぼりと鮮血が溢れ出した。少年のものとは違い、自分のものは目に刺さるほど鮮やかな赤色をしていた。鉛を飲んだかの様に急速に躯が重くなる。
驚く間もなく躯は次々に刃を受け、跡形も残らない程に刻まれてゆく。
痛みや苦しみなど無い。元よりそんなものを感じる身体ではない。その代わりに襲われたのは、足掻くことさえも忘れ押し潰されてしまう程の余りに深く、重い虚無感。
末端から小間切れに切り分けられた躯が血溜まりにぼとぼと溶けて消える。血色の闇に意識は塗り潰され、底へと沈んでいく。
〝これ〟は恐らく警句だ。
完全に意識が闇に喰われるその間際、真っ赤に浮かび上がる何者かの双眸が此方を視ていた。
『君の光は何も守れない、救えない。君の全ては擬きの擬物《まがいもの》。如何なる環にも属しない弾かれものだ。あぁ、哀れな子。なんてかわいそうに』

——そこで目が覚めた。

 

「…………」

水底から浮上する様に急速に眠りから引き起こされたゼクティスは、瞬きもせずに天井を見ていた。仮眠室には自分の荒い呼吸と、通気孔のファンが回る音だけが響いていた。
呼吸が整うのを待ってから、眩む頭を押さえのろのろと起き上がると、手探りで傍らに置いてあった筈の黒色の携帯端末を掴んだ。
開いた携帯端末のディスプレイが表示する時計は午前四時二十五分を示している。
端末を閉じると、悪夢に滲んだ汗で肌に張り付いている髪を鬱陶しく払い除ける。

「……ったく、意味が判らねぇ……何だってこんな夢……」

夢は何かを暗示だと昔何処かで聞いた事があるが、それならば今の夢は一体何なのだろうか。夢の中の自分は警句と悟ったが、だとしても刻まれる必要がどこにある。趣味が悪いにも程がある。
訳の判らなさに、ただ苛立つ。

 

「——ッつ、何だ?」

不意に左の手の甲に痛みが走り、不快そうに眉を寄せる。触れてみると、そこには手袋越しの硬い感触。手袋を外して現れるのは、血管の筋に従って手の甲に張り付く三㎝程の青い結晶体。
自分にとっては最早見慣れたものであるが、慣れない痛みを訝しむ。だが見た目特に変わりは無い様だ。皮膚との境を引っ掻いてみてもやはり剥がれてくれる訳ではない。
今更何の感動がある筈もなく。暫し見つめてから再びそれを手袋で隠すと、彼は深く息を吐いた。
『君の光は光は何も守れない』とは、この蒼洸の事だろうか。これが一体何だと言うのだ。
そんな事、とうに判っているというのに。

「……胸糞悪ぃ……」

ゼクティスは片手で顔を覆い、指の間から覗く青い眼は暫くの間、ただ薄暗い虚空を睨んでいた。

——————

「じゃあ、この転送機を使えば近くの町まで行けるんだな?」

生活区画の廊下の突き当たりにある扉の向こう側。約十m四方の殺風景な部屋の中に四人は居た。
部屋の壁にはびっしりと演算機などが張り付いており、床にはファンタジー小説等で時折登場しそうな魔方陣とやらを彷彿とさせる、円形を基礎とした幾何学的な紋様が刻まれていた。
ゼクティスの問いにレイシェントは一つ頷き、答える。

「ああ、暫く使っていないが……恐らく大丈夫だろう」

「恐らくって、んな無責任な……」と腕を組んだゼクティスは呆れ顔で言った。

「一週間程前に魔物が入り込んで暴れたせいで、アルザラ近くまで繋がる地下トンネルが崩れてしまっている。今日は天候が悪過ぎて視界が皆無だ。暫く回復の見込みも無いし、まともに下山も出来んだろう。予報を見て来なかったのか、お前達」

レイシェントは機器の点検をしつつ、文句を言うなとばかりに淡々と事実を述べる。吹雪が収まるまで駐留出来る十分な物資すら持ち合わせていないゼクティス達にとって、彼の言葉は耳の痛い台詞だった。

 

「にしても、あんた本当に来るのか?」

「私の同行に何か不満があるのなら、そこの軍人に言って貰いたい」

あからさまな程に不快さを露にしたレイシェントは眉をひそめつつ振り返るが、直ぐにまたゼクティスの視線を避ける様にそっぽを向く。
軍人、と言うのは恐らくエリザベートの事だろう。
判り易く嫌味を向けられた当のエリザベートは、やれやれと肩を竦める。

「何度も言ったろう。今は軍属ですらないただの謀反人だと」

「………」

何故この男が我々と行動を共にするのか。ゼクティスからすれば寝耳に水の話だが、事の経緯は昨夜その後のこと。エリザベートはレイシェントに自分達との同行を頼んでいたのだった。
その理由としては、まず一つが少なからず『情報を持っている』事。二つ目が『戦力が欲しかった』という事。
軍を毛嫌いしている様子から、これ以降は離脱する事はあれど敵に回る可能性は無さそうだし、今後の事を考えれば確かに戦力が増えるのは助かる。
だがレイシェントにとっては何の利益にもならず、彼自身他人の事などまるで無関心な質である。元より協力する義理も理由も無い筈だ。
当然、最初はあっさり断られたそうなのだが、彼女が簡単に引き下がる訳も無く。ニ時間に渡る説得の上、とうとうレイシェントの方が折れ、渋々彼は承諾したと言うのだった。
何と言うか、この男もとんだとばっちりを食ったものだ。
ゼクティスは今更異を唱える気も無かったが、その程度の理由でエリザベートがレイシェントの同行を促したというのが今一つ引っ掛かった。

(まぁ、訊いたところで話す訳ないよな……)

諦めた様に深い溜息を吐くゼクティスに気付き、レヴィアが不思議そうに首を傾げる。
「おいゼクト、いつまでぼぅっとしてるんだ。お前も早くこの陣に入らないか」
いつの間にやら準備が整ったらしい。悩みの元凶たるエリザベートに注意され、ゼクティスは思わず舌打ちをしそうな気分になったが寸での所で堪えた。

「あーはいはい」

気の無い返事を返し、ゼクティスも陣の中に足を踏み入れる。それを合図とばかりに照明が赤に切り替わる。部屋全体から機械の駆動音が鳴り響き、やがてエンジンの中に入っているかの様な轟音と振動に包まれる。
機器の排熱により部屋の温度が上がっているのを感じた時、幾何学模様の円陣から僅かに淡い光が洩れ出した。たちまち強い光が噴き上がる。

「……なぁコレ、やっぱヤバいんじゃあ」

その光は視界を奪い尽くし、五感を悉く真白に塗り潰していった。

気が付くと、目の前にはルクスブルク山脈の麓、最北の街アルザラの風景が広がっていた。どうやら転移されたのは路地裏らしく、幸い周囲に人の姿は見当たらなかった。
北方の町だけあって、春先の四月だというのに空気は刺すように冷たく、灰色の空からは雪がちらちら舞い落ちている。尤も、雪中登山を行った後ではこの程度の寒さなど生温いものだが。
四人──正確には三人は暫くの間、今自分達に起こった事柄への驚きの余りにただ立ち尽くしていた。

「凄い……ほんとに一瞬で移動しちゃいましたよ!」

エリザベートにくっついていたレヴィアが思わず歓声を上げる。エリザベートもその言葉に同意して頷いた。

「便利な物だな……。なぁ、これはどういった仕組みなんだ? こんなものを見たのは初めてだ! まるで魔法の様じゃないか!」

エリザベートが興奮気味にレイシェントを振り返る。すると、彼は首を傾げ考えるような素振りをして、答えた。

「……私が解るのは動力配線までで、詳しい構造まで解らない。……あの部屋の床が基盤で模様が空間を強制的に歪ませる回路になっているらしい。つまりはあの部屋自体が一つの機械の様なものだ。かつてはもっと単純な構造で、〝魔旋回路〟などと言う名前で呼ばれるものがあったとか。それを参考にしたらしいが……さて、正しいかどうか……」

「へぇ、便利だな。これが普及すりゃ楽に都市間の移動が出来るだろうに」

苦労して聖都までレヴィアを護衛した事を思い出して口にせずにはいられなかった。だが、レイシェントは即座に首を振る。

「それは無理だ」

「は?」

ゼクティスが思わず間の抜けた声をあげる。

「魔旋回路の技術は元々神話の時代に作られたものと聞いている。それに現代の物理法則の解釈を入れて復活させたものらしい。それに、あれを起動させるには相当なエネルギーと施設が要る」

「エネルギー? FG《フィラムグレイン》ですか? 大体どの位の量が……?」

「そうだな……大体一回分で街一つが一日に使う分は余裕で賄えるだろうな。オーパーツと呼ぶのも憚られる、とんだ道楽の産物だ。それこそ反物質の生成でも可能にならない限りは常用化など現実的ではない」

今回の転送も、施設内数十年分の備蓄エネルギーを全て使い果たしたのだ。とてもでは無いが乱用出来る様なコストではない。ゼクティスはレイシェントの言葉に苦い顔をする。

「便利な物はそれだけリスクがあるって事か……」

概ね想定内ではあったが落胆し、ゼクティスもその場を離れる為に三人と歩きだす。
最後尾を行くレイシェントは、誰にも気付かれないよう密かに溜息をついた。

(……研究施設のエネルギー精製機構、はもう駄目だろうな……)

恐らく、今回の転送でかかった負荷のせいで元より老朽化が進んでいたエネルギーの精製及び供給機構は完全に落ちてしまった筈だ。
あの庭園は勿論、桜の樹も駄目になってしまうだろう。
かくて故郷で毎春満開に咲き誇っては〝彼女〟と眺めた薄紅色の樹木花を思い、レイシェントは僅かに俯き、眼を閉じる。
自分が目覚めた時には、まだ動いていたエネルギー機構に助けられあの樹も何とか生き残っており、また花を咲かせるようになった。それは暗闇の中に在って、唯一レイシェントが見出す事が出来た生のよすがだった。

(……前に進め、という事かな……)

レイシェントは顔を上げ、遅れつつあった歩調を戻し歩きはじめた。