「まぁ……そう美味い話があるわけ無ぇんだよなぁ……」
誰へとも宛なく呟く声。ジルバスの街の片隅、ゼクティスは早々と途方に暮れていた。
先ずは依頼状にあったレヴィアとか言う少女と合流しなければならないはずなのだが、生憎あの依頼状には少女の外見的特徴や合流の方法すらも書かれていなかったのだ。
相手方にしてみれば請けるか請けないかも判らない依頼、当然と言えば当然なのだろうが。
よほど用心深いのか、いい加減なのか。何れにせよ、途方に暮れているこの現状に変わりは無い。外に出て小一時間程待ってみたが、今のところ何も変化は無し。
あの封筒を投げ入れられてから自分が表に出るまでに然程時間は経っていないはず。加えて、あの依頼状は手書きではあったが形式は一応正規の書式に則って不備無く作成されていた。故にゼクティスは金額は兎も角、これは“依頼”であると信じたのだ。
質の悪い悪戯にでも乗せられ引っ掛かったのだろうか。だとすれば、とんだ笑い者ではないか。とっとと自宅へ踵を返すべきだろうか。脳裏にそんな考えさえ顔を覗かせ始めた頃だった。
唐突に、頭上を鳥が飛び去ったかと思えば眼前鼻先を掠める様に上から下へ。何か軽いものが、ひらりと落ちて行く。
「あ?」
足元に目を落とせば、裸で畳まれた真新しい紙切れが一枚落ちていた。拾い上げ、中を見てみれば、また先程の依頼状と同じ筆跡の手書き文字があった。ゼクティスは眉間に皺を寄せ、その字列を追った。
そこには確と、少女との合流の手筈と外見的特徴が書かれていた。もっと欲を言えば、ここまで待たせたのなら写真の一つでも用意して貰いたかったものだが。
伝達するにしろ、通信技術も充分に発達したこのご時世に紙媒体を鳥に届けさせるとは。随分とアナログな方法を使うものだ。アンティーク趣味でも無い限りは好んでこの様な手段は取るまい。
考えられる最たる理由としては通信記録を残したく無い、と言ったところか。よほど証拠を残したくは無いのだろう。
(飽くまで姿は見せねぇ、ってか……)
物陰から監視でもされているのかと周囲に注意を向けるも、恐らくは上手く溶け込んでいるのだろう。周囲に此方を気にする気配などまるで感じない。
やれやれ、とゼクティスは姿の見えない気味の悪さを感じつつも紙の内容を記憶し、折り畳んだそれを細切れに破り捨てると指定された場所に向かう為に早足で歩き出した。
「しかし、何考えてやがんだ……ったく、こう言うのはとっとと片付けるに限るな」
指定された場所は、ここジルバスと隣街サラトガの中間地点、つまり街の外であった。
防護シェルターに守られている街の外には人を始め、生物を襲う〝魔物〟で溢れている。そんな場所に子供が一人、一日でも放置されて無事で済むはずがない。
面倒な事になる前に合流してやった方が良いだろう。此処までこの依頼に対しての信頼性は薄いが、万一事実であれば——ゼクティスは一抹の焦りを覚え、更に歩みを早めた。
聖都までせっせと死体を運ぶのは御免だ。
——————
ジルバス~サラトガ間の距離は約二十㎞。派生都市同士の距離としてはかなり近い。隣接していると言って良い距離であり、徒歩でも一日で辿り着けるだろう。
だが、問題はその道程に現れる魔物にある。
ジルバス~サラトガへの道中はほとんどが高い崖に挟まれた山道になっている為に道は狭く、更に影を好む魔物にとっては都合の良い棲家となっている。
「相変わらずこの辺はやたら魔物が出やがるな……まぁ、俺には関係無ぇが……よッ!」
魔物が出るとは言え、この道を何度も行き来した経験のある彼にとっては庭も同然だった。
ゼクティスは正面から飛び掛かってきた魔物を大剣〝Requiem〟で横一閃に薙ぎ払い、道脇の崖に叩き付け、留めに魔物を崖に縫い付けてやるる様に大剣を突き立てた。
影を寄せ集めた様な朧な姿で、遺す中身など無いくせに、手に伝わるのは肉と固い背骨を断った確かな感触。身から溢れるのは人間のものよりずっと黒ずんだ、どろりと粘性のある酸化色の血液。
乾いた岩石の壁に放射状の血痕を作ると、魔物は絶命したのだろう。そのまま動かなくなった。
剣を引き抜くと共に、酸化色の血に塗れた魔物の死体がどしゃ、と重く濡れた音をたてて地に落ち転げる。
歩行を遮る死骸を道の端へ蹴飛ばす。続け様に左右から黒い塊が二つ、濁った黄金色の眼をぎらつかせて飛び掛かって来た。
鼓膜に塗り付けられる様な唸り声に、ゼクティスは顔をしかめた。舌打ち一つに引き抜いた剣を再び、今度は地に突き立て両手を開ける。
「あぁクソッ、こちとらてめぇらの相手してやるほど暇じゃ無ぇんだ!」
飛び掛かってきた魔物の、恐らく首に当たる部分を左右に一体ずつ両手に掴むと渾身の力を込めて岩壁に叩き付ける。
ごきりと頭蓋が砕ける様な重く、鈍い感触が直に両手に伝わる。無惨に頭がひしゃげ、ぬるつく血を垂れ流し出した魔物は肢体から力が抜け、だらりと動かなくなった。
「汚ぇな……金になる様なもんは何も落としやがらねぇくせに、血だけは良く出しやがる」
掌に残った血液にゼクティスは不快さを露に顔を歪めると、思わず長衣に擦り付けて手を拭っていた。
この様に、街の外へ一歩足を踏み出せば我が物顔で蔓延っている魔物であるが、彼らついては不明な点が多い。
例えば、見た目は実体すら朧気な影法師のくせに斬った感触は人間の様な肉と骨の手応えが。かと思えば絶命して暫くすれば屍は土壌に還ることも無く霧散して消えてしまう。
生きている者を発見すれば見境なく襲い、容赦無く殺傷に及ぶが、かといってその屍肉を餌にするわけではない。魔物に高度な思考能力があるとは考えられてはいない。従って、『殺す為だけに殺している』と言っても過言では無いのだ。むしろそう言う〝性質〟なのだろう。
食物連鎖の環からは完全に逸脱した異端のもの。
生物としての定義すら当てはまらない存在、それが魔物だ。
「ったく……やけに賑やかになったもんだな。
前はもう少し通り易かったのによ。魔物共、やっぱり増えてやがる」
ぼやきながらもまた一体、魔物の胴を狙い澄まして斬り飛ばす。上半下半に分かれた魔物は錆びた金物を擦り合わせた様な断末魔をあげ、暫しじたばたと踠いていたが、やがてぐったりと動かなくなってゆく。
払っても払っても粘性の高い魔物の血はこびりつき、剣を汚し続ける。次第に切れ味の鈍るそれをうんざりと眺め、背の鞘に納めると舌打ち混じりに一人ごちる。
鏡面の様な光沢は失われ、すっかり鈍く曇ってしまった剣を手入れをしてやりたいところだが、生憎とそんな暇は無い。
焦りからくる体感もある。が、事実ここ数年は特にゼクティスの言葉通り、魔物の発生率は異常なまでに上がっていた。
一体一体は大した力を持っていなくとも、数が増えれば始末する手間も比例して増えるのだ。
もう少しペースを上げなければ不味いかも知れない。ゼクティスは更に歩を早め、先を急いだ。
「おいおい……ガキどころか人っこ一人居ねぇじゃねぇか。クッソ、やっぱ遊ばれてんのか?」
軽く息を上気させつつ、ゼクティスは指定されていた場所に辿り着いた。しかし、周囲には人影どころか気配すら無いではないか。
この場所は丁度、両街の中間地点に位置している。
今までの道に比べれば山肌から突出した高台になっている為、日当たりは良好。日光や光を何よりも嫌う魔物が日の高い内に此処に現れる事は余り無い。
今までの狭い山道に比べれば多少なりとも開けており、道中の小休止程度ならば丁度良い場所なのだ。但し、森に囲まれ標高も上がっているこの周囲は天気も変わり易く、長居には向かない。
道沿いには今までと同じく岩壁が聳えるが、反対側は良く言えば眺めの良い、悪く言えば命の保証の出来ない落差のある崖となっている。
まさか遅かったのでは、とゼクティスに一抹の不安が過る。
いや、或いは自分が早過ぎた可能性もあるか。とすればもう少し先に進もうかと考えた時。おもむろにに周囲が薄暗くなり始めた。
空を見上げれば、厚い雲の塊が陽光を遮っていた。
気付けば鉛色の雲が増えており、どうやら天気が崩れ掛けてきているらしい。そう言う予報は出ていなかった筈だが、どうやら日光の恩恵はここまでの様だ。
「参ったな……曇ったらまた出るじゃねぇか……アレが」
〝アレ〟とは無論、魔物の事。
やがて予測通り、何処からともなく呻き声と共に湧き出す黒い影にやっぱりか、と溜め息を吐く。ゼクティスは背の鞘に納めた剣を抜き、再び身構えた。
一、二、三……と堰を切った様に次々現れる魔物の気配を声には出さず数えていってはみたが、二十を越えたところでそれも止めた。埒が明かない。
「詰まりの取れた下水かよ、性懲りも無ぇ……」
ぼそりと呟いたところで早速殲滅に掛かる。魔物は大小問わず、影を渡り容易く空間を飛び越える能力を備えている。見付かった場合、人間の脚で魔物の追跡を振り切るのは難しい。
この連中を武力を持たない一般人の元へ引き連れて行く訳にもいかない。
現れるや、魔物は鬼気としてゼクティスへ迫り、飛び掛かる。先の魔物の血で曇りきった大剣の切れ味の鈍さに辟易しながらも、半ば得物の重量に任せ切り潰す様に魔物を仕留める。
只でさえ歪な体躯が更に形を歪められた状態で息の根を止められ、地に累々と転がってゆく。
「ああくそ、全然減りゃしねぇ……どうなってんだ」
倒しても倒してもいずこから湧き出てくる魔物に流石に手詰まりの感を覚え、ゼクティスは剣を盾に一旦後方に退がって距離を取る。
いくら倒したところできりが無い様なら馬鹿正直に相手などしてはいられない。体力のある内に撤退戦に切り替えるべきか、早々に見極めなければ。
(ん……?)
僅かな思考の間、そこでようやく気付く違和感。
魔物の数は相変わらず減っていないが、何か様子がおかしい。ゼクティスは試しに構えを解き、敢えて誘うように無防備を晒す。だが、奇妙な事に仕掛けてくる気配が無かった。
戦意が失せたか。否、好戦的な性質を持つ魔物相手にこんな隙を見せようものなら喜んで飛び掛かって来るものなのだが。先程まで絶え間無く飛び掛かって来ていた魔物が、嘘の様に大人しくなっているではないか。
それどころか魔物共はゼクティスと同じく一様に後退し、押しくらまんじゅう宜しくじりじりと一ヶ所に集まり固まっていっている。
やがて三mはあるだろうか。目を凝らせば一体一体各々蠢いているのを見て取れるが、殆ど黒い塊と錯覚するほどに密集する。その様相は、最早遠目から見れば巨大な一個生物を形成していると言って過言でないだろう。
まさか、とゼクティスに一つの考えが浮かぶ。
やがて密集した魔物の塊の内部からごきり、ごきりと枝を、否。骨を折るような鈍い音が聞こえてくる。
憶測に過ぎないが恐らく、間違いないだろう。
「融合してやがんのか……⁉︎ ッ……おいおい冗談じゃねぇ!」
ゼクティスは余裕無く口元を苦笑めいて歪ませると、左手の手袋を外す。
その手の甲には、本来人間には有る筈の無い物が血管の筋に従い、皮膚に根を張るように付いていた。
彼の瞳と合わせたかの様な揃い色の蒼い結晶体。ゼクティスはそれを、かつての師の言葉を借りて蒼洸《そうこう》と称している。
「ホント、面倒かけやがる……!」
ぼやきつつもゼクティスは右手に携えていたRequiemを左に持ち替えたところで、左手の結晶体から蒼の光がばちりと弾ける。光は瞬く間に溢れ、迸り、左腕から刀身の先まで一気に疾り纏わりつく。
蒼の光を迸らせた大剣はその色を鏡面の様な刀身に弾き、血糊の曇りなどまるで無くなったかの様に鮮烈な輝きを放っている。
持ち主たる彼自身もこれについて知り得ることは僅かなのだが、この蒼洸は非物質ながら質量を持つものに対して圧倒的な破壊力を発揮する性質を持つ。
原理としてはこの蒼洸が物質を形作る〝情報〟に直接入り込み、分子同士の結合を焼き切り構造を破綻、解体させている。
それ故に、蒼洸の前では例え金属だろうが魔物だろうが物質としてかたちを維持することは出来ず、材質関係無く対象は破砕されるのだ。
但し蒼洸同士は反発し合う性質を持つ為、破壊出来ない例外と言えば蒼洸を持つ使用者本人くらいなものだろう。まるで冗談じみた、手札で言えばジョーカーの様な力だ。
蒼い光を伴ってゼクティスが駆け出す。
始末に負えなくなる前に片をつけてやる心算だった。
詰まる間合い、振るえば刃が届く距離にまで差し迫る。眼にも蒼を疾らせ、魔物の頭に狙いを定める。
「〝コレ〟まで使ってやるんだ。精々良い死に様、晒せよ」
集合体であった筈の魔物は、最早一個体として全く別の貌をつくりあげていた。すっかり様変りしたその巨躯は、間接の方向も数も曖昧で貌は余りに奇形且つ醜悪。だが、その身体の部位一つ一つは人間のそれによく似ていた。
まるで人間を出鱈目なジクゾーパズルの様に雑多に繋ぎ合わせた様な容《かたち》だ。
普段とは逆の左に剣を持つ為、軌道を逸らさぬよう柄に右手も添え下段から蒼い斜の軌跡を描いて斬り上げる。
蒼洸を纏った剣戟は斬った感触すら手に伝えない。
だが、空を斬った様な虚しさもない。
刃は確かに魔物を捉えたものの、寸前で跳躍し回避されたため魔物の腕1本を浚う程度に留まる。
跳躍した魔物は一旦此方の間合いから完全に逃れようと言う魂胆なのか、岩壁に張り付いた。逃した事に思わず舌打ちを漏らす。
「逃げやがったか……デカい図体のくせ、良い動きしやがる」
余りに滑らかなその切断面から、一瞬遅れて酸化色の血液が派手に噴き出す。灰色の岩壁や地面をみるみるうちに赤黒く染め、苦痛に悶え暴れるせいで周囲にも鉄臭い血雨を降らせる。
ゼクティスも全身に血を浴び不愉快そうに髪に付いた血を払う。
「あぁくそ、面倒臭ぇ。さっさと終わらせてくれればお互い楽なのによ」
蒼の眼を細めて、ゼクティスはうんざりと独りごちながら大剣を構え直す。
「今度こそだ。諦めて大人しく殺られんのがせめてもの価値だ。そうだろ、化物」
腕を切断された苦痛と、憤怒に狂った魔物が地響きと耳障りな叫喚を連れて此方を殺傷せしめんと迫って来る。
正直な所、余裕ぶった態度をみせるゼクティス自身も後が無かった。
この蒼洸は強力ではあるが、無制限に発動していられるものではない。出力の調整にも左右されるが蒼洸を発動していられる時間など精々長く見積もっても数分程度。その後丸一日は使用が出来なくなるだけでなく、身体にも〝大きな反動〟が返って来る。
これで仕留められなければある程度の〝覚悟〟をしておかなければならない。
先の一刀で腕一本奪っては居るが、それだけで優位を覆す事が出来る体格差ではない。
勝負は一瞬、一か八か。賽の目程度の些細さで取捨が分かたれる命のやり取り。そこに慈悲や情など挟み込む余地があろうものか。
幸いにも魔物は、馬鹿正直に真っ直ぐ此方に突っ込んで来る。頭を上手く潰せれば一撃で仕留められるだろう。否、これで仕留めなければならない。
人一人裕に噛み砕けそうな顎に捕らわれるその瞬間を見極め、渾身の力で魔物の口内に剣を突き立てた。
蒼洸が魔物の身体組織を破壊し、断裂させる。彼の意図する通り魔物の躯は水風船の様に膨れ、ずるりと血糊の糸を引く剣を抜いて飛び退くと、血液と脳漿を八方に撒き散らしながら弾け飛んだ。
勢いよく中身を撒き散らした為に飛沫が此方にも掛かる。
間も無く頭を無くした魔物の巨躯が音をたてて崩折れた。 その時、蒼の光は既にゼクティスの大剣から残滓も残さず消えていた。
咄嗟に後方へ飛び退きはしたものの、口内に頭まで突っ込まんばかりに剣を奥に突き立てていたせいでゼクティスの全身──特に上半身はまるでペンキを浴びせられたかの様な有り様になっていた。
腕を振って血雫を払い、取り敢えず服の袖で顔を拭うがそれでも血と脳漿塗れの酷い姿なのは変わり無い。
「うっえ……気持ち悪ィ……」
質の悪い仮装の様なものだ。スプラッタの喜劇でもこんな吐き気を催すほどの生々しい血臭までは再現出来まい。恐らく今の自分なら、大の大人でさえ竦み上がるだろう。
「ほんッと面倒ばっかだな……。どうすんだこれ……人と会うったって考える限り最悪の格好じゃねぇか」
鬱陶しく振り払おうとするが、粘性の高い魔物の体液はべったりとしぶとく付着している。それでも、魔物の血液ならばその内霧散して消える筈だが、どの程度の時間で消えるのかまではゼクティスの知るところではない。
そうこうしている内に、肌に張り付いた髪が血で固まりつつあるのが判る。
依頼を請ける前途の片道だけでこの様な戦いを繰り広げる羽目になるとは。多難では収まらない。溜め息と共に、嫌味なほど眺めの良い景色に目を向けた。
——仕方の無い事だろう。
一瞬の気の緩みだった。絶命したとばかり思っていた魔物が背後に音も無く迫っていた事に、ゼクティスは全く気付いて居なかった。
頭を喪くしたはずの魔物の腕が水平に薙ぎ払われたのにようやく気付いたのは、張り飛ばされるコンマ数秒前。
ほぼ脊髄反射で左腕が動き攻撃を防ごうとするも、踏み込みを利かせる余裕も無くあっさりと吹っ飛ばされてしまった。
身体が枯れ木の様に宙を舞う感覚。
事態を把握した時には既に己を支える足場は無い。重力に従って下方へ引かれ始めるも、させじと先程まで自分の立っていた場所の岩壁に満身の力を込め剣を突き立てた。
「クッ……!」
右腕に自身の体重による負荷が掛かるが、何とか柄を掴む手を離さず持ち堪える。今ゼクティスの身体は、岩壁に突き立った剣を支えとして宙にぶら下がっている状態だ。
左腕に刻まれた裂傷から滴る血雫が風に流され、眼下の景色へと吸い込まれる。
下方には森が広がっているが、ここからまともに落ちてただでは済まないだろう。
「冗ッ談じゃねぇぞ……頭潰されて生きてるなんざ魔物の範疇越えてんだろ!」
ゼクティスの反応が辛うじて早かった為、ぶら下がっているのは足場の直ぐ縁。この程度なら登れなくも無いが、蒼洸を使った反動と負傷により、左腕はまるで鉛を吊り下げたかの様に重く痺れている。右腕一本で時間を掛けて登るしか無いか。
尤も、それは邪魔が無いと言う前提での話なのだが。
魔物は負わされた傷の恨みとばかりにゼクティスのぶら下がる足場の縁に迫り、高く拳を掲げる。
そして、そのまま無慈悲に鉄槌の如く降り下ろした。
「は……⁉︎ マジか……!」
ゼクティスのぶら下がっている崖を砕き崩すには、充分の威力だった。
剣が抜け、砕けた瓦礫が降り掛かる。再び重力に引かれ落下を始める身体。先程のように剣を突き立て、加速度を殺そうにも岩壁はもう届かず。両腕とも限界であった。
此処で命を落としたとして、何と陳腐な死に様であろう。出来るのは、己にありもしない運が巡るのを駄目元で願うのみか。
深緑の中に吸い込まれながら、自嘲気味にそんなことを考えていた。
——————
遠く何処からか、柔い声が頭の中に木霊して響いてくる。未だ幼さの残る少女の声の様に思えた。
「お……さ……! お兄さん‼︎」
一定の間隔で身体を揺すられる感触と、繰り返し投げられる声に沈んでいた意識がゆるゆると引き揚げられる。
ぼんやり虚ろな意識のなかで薄く眼を開けると、此方の顔を心配そうにじっと覗き込む少女の顔があった。
見た目は十代前半、半ば程だろうか。腰下まで有るのだろう、随分と長い金髪に大きな紫色の瞳。声色同様に幼さはあるものの、整った目鼻立ちをしていた。
ゼクティスが眼を開けたのを確認するや、少女の表情がぱっと明るいものに変わる。
「……えーと……。あァそうか成る程……冥土かぁ」
半死半生の虚ろな声が洩れた。
人気の無い森の中の光景には余りに場違いな少女の姿である。冗談抜きに天国から遣いでも来てしまったのかと、目覚めたばかりのはっきりしない頭では現実だか非現実だかの分別も付かなかった。
少女は一瞬きょとんと眼を丸めたが「もう! 確りしてください!」と遠慮無く此方の頬をぺたぺたと叩く。そのお陰でゼクティスは今度こそ完全に意識を取り戻し、頬を叩く手を鬱陶しく払いのけた。
「違います、冥土なんかじゃありません。お兄さん、ちゃんと生きてますよ!」
思いの外大事無さそうなゼクティスの様子に安心したのか、少女は嬉しそうに顔を綻ばせながら自分が落ちて来た時の事を話す。
「でも良かった。物凄い勢いで川に落ちて来て……動かないし血塗れでしたから、私も最初はほんとに死んでしまってると思ったんですよ」
「かわ、川……成る程な……」
「ほんとに、良かったです。お兄さんが無事で」
どうやら自分は運良く充分に水深のある川に落ちて来れたらしい。
それでもかなりの高さから水面に叩き付けられた筈。だが目立った外傷と言えば、魔物から貰った物で、その他は擦り傷程度の物ばかりだった。見た限りでは四肢の骨折も無さそうだ。
外套に強化炭素繊維が織り込まれているとは言え、自身の頑丈さに感心するやら呆れるやら。
そして川に浮き上がったところを、この金髪の少女が岸まで引き揚げたのだと言う。お陰で溺死も免れたらしい。見れば確かに少女の腰から下の半身や、やたらと長い髪は己の身体と同じくすっかり濡れてしまっていた。
勿論助けて貰った恩。感謝はするが、こればかりは何よりも自分の悪運の強さに驚くばかりだった。ゼクティスは濡れて顔に張り付く髪を適当に掻き上げつつ礼を言う。
「……悪ぃな、助かった。ほんと」
「いいえー」
人懐こい少女の笑みにつられ思わず口元が緩む。
しかし、いや待てと疑問が浮かぶ。何故こんな所に少女が一人で居るのか、まさかとゼクティスは酷く重い身を起こして少女に向き直る。
「なぁ、お前——」
少女に名前を訊こうとしたところで、突如として降った轟音に遮られた。
どうやら、先程頭を潰した魔物が未だ執念深く此方を探し回っていたらしい。
「──っひ」
「クッソ……しつけぇな、未だ生きてやがったのか!」
少女が身体を強張らせ、喉の奥でくぐもった悲鳴を漏らす。先程までの人懐こい笑顔は消え、その顔からは血の気が引き恐怖のものにとって変わる。
どうやら見た目通り中身も年端もいかない少女そのままらしい、この異形を見ては当然の反応といえる。
「あ、あ……あれは……まもっ、魔物、なんですか……?」
少女にとっては初めての遭遇らしい。反射的に、恐怖に怯えた様子でゼクティスにすがり付く。
「あァ、さっき俺をあの崖の上から叩き落とした糞野郎だ。危ないからお前は下がってろ、巻き込んじまう」
舌打しつつもゼクティスは素早く辺りを見回し、少し離れた場所に己の得物を見付けると少女の手を解き、駆け出すべく立ち上がろうとした。
「——は……? 何だとッ……!」
蒼洸を使用した反動と、先程落下した衝撃が未だ響いているのか。身体が軋み、力は入らず言うことをきかない。やはりあの高さから落ちて何ら身体に支障が無い方がおかしいのだ。無様にも膝から力が抜けて崩折れてしまった。
侭ならない身体に苛立ち、更に舌打ち一つ。このままではまずい。懸命に、這う様に剣へ向かいながら、取り敢えず少女だけでも逃がさなければと声を荒げる。
「おい、何ボーッとしてんだ!てめぇはさっさと走ってどっかに逃げろ!」
ゼクティスの鋭い声に少女は「へっ⁉︎」と驚声をあげる。
「で、でもお兄さんはっ……どうするんですか⁉︎ その様子だと怪我で動けないんじゃあ……!」
「馬鹿かお前……ンな時に他人の事なんざ気にしてる場合か!」
どうやらこの少女、絵に描いた様なお人好しらしい。恐怖ですっかり青ざめた顔をしているくせにゼクティスを置いては逃げられないと首を振る。
この執念深さから鑑みて、自分が息絶えるまで魔物は少女を追いはしないだろう。それまでは足留めになれる。走って逃げさえしてくれれば彼女は生存出来る可能性があるのだが。
背後に迫る足音。こうしている間にも、無頭の魔物は血を滴らせながらどんどん距離を詰めてくる。
魔物──もとい、化け物の余りにおぞましい有り様にとうとう少女は眼を見開いた侭、完全に地面にへたり込んでしまう。
「……嫌だ……! こっちに来ないで……来ないで、下さい‼︎」
「なッ……!」
少女が長い袖に包まれた両の腕を無我夢中で前に突き出したその時、突然腕が金色に輝きを放つ。
その目映さに思わず眼を逸らすと背後でドス、と言う何かが肉に刺さる鈍い音。
やがて、巨躯が地に沈む地鳴りと断末魔の叫びが続いた。
光が収まった頃を見計らって眼を開けると、少女の袖は肘から先の中身が無くなっていた。
「お前、その腕は……ッ⁉︎」
ゆっくりと後ろを振り向けば、先程まで此方に迫ってきていた魔物の巨躯が金に輝く刃によって背から貫かれ、地に縫い付けられていた。
魔物は狂った様に叫び声をあげながら暫くじたばたと刃の下で地を掻きむしりもがいていたが、段々とその声も小さくなってゆく。やがて今度こそ絶命したのか、魔物はそのまま動かなくなった。
(何なんだありゃあ……! まさかこのガキがやったってのか……⁉︎)
今この瞬間に一体何が起こったのか、事態を掴むことも侭ならずゼクティスは只驚き尽くしていた。こんな芸当が出来る人間が居るものか、と。
しかし、この少女の腕から発せられた金色の光に魔物を刺し貫いた金色の刃。どう考えても関連付いていないとは思えない。
「あの……だっ……大丈夫、ですか?」
彼女自身、震えてすっかり涙声のくせに此方を案じて来る。ゼクティスはそこで漸く、我に返った。
「お前一体……いや」
今の金の光について訊こうとしたところで、言葉を切る。否、先ず訊くべきはそれではない。
「お前……、名前は何て言うんだ?」
強ばった面持ちで訊ねた。
少女は何の事か解らず『え?』と訊き返す。もう一度『名前だよ』と告げると慌てて数度頷き、震えで上手く回らない口で名を告げた。
「……れッ、〝レヴィア〟です。〝レヴィア・セイン・ログリフィル〟……」
やはり、思わず掌で顔を覆う。依頼状にあった名前と同じだった。
どうやら、思った以上の厄介事に巻き込まれたのかも知れない。ゼクティスは、今更ながら察していたのだった。
「うひぃ……まさかあんな魔物が出るとは世も末だなぁ……。一時はどうなる事かと思ったが。あの蒼の光と言い……思った以上にやってくれるじゃねぇか、便利屋君。
精々頑張って足掻いてくれよ、役者さん方」
森の暗がりに紛れる陰、呟いた男の声は彼の像と共に森の深みに吸われていった。
——————
ゼクティスを襲っていた身体の軋みが緩み、ようやく立ち上がれる様になった頃。日は既に随分と傾いていた。
レヴィアと名乗った少女は暫くは気が動転したまま、此方の言葉一つ一つに過敏に反応し怯えた様子を見せていた。魔物に襲われた恐怖、にしてはやけにゼクティスへ注意を向けていた様にも思えた。
しかし、荷の回収の手伝いなどを頼む内に少しづつ落ち着きを取り戻していった。
動ける様になったのならば、早々に此処を去らなければ。先刻の様にまた魔物に襲われては対応する術が無い。
先程はこのレヴィアの不思議な力で運良く魔物を倒すことが出来たが、そもそも彼女は本来戦いとは無縁な一般人。とても戦力として当てにすることは出来なかった。
取り敢えずはまたジルバスに戻って態勢を整えなければ、レヴィアを聖都まで送り届けるなど出来はしないだろう。
「くそ……やっと大分マシになってきたか。早いとこジルバスに戻らねぇと不味いな……」
ゼクティスは剣を杖がわりに身体を支えると、地を踏む感覚を確かめつつ歩き出した。未だ少しばかり痺れは残るが、動けない事もない。どうやら歩く分には何ら問題無さそうだ。
我が身の負傷よりも、護衛相手に出鼻からこの醜態を晒してしまっている事の方が余程堪えていた。深々とした溜め息が洩れるのを抑えることは出来なかった。
「お兄さん、もう動いて大丈夫なんですか? ほら腕だって、血が出て……怪我してるじゃないですか」
慌ててレヴィアがゼクティスを支える様に寄り添い、じっと此方をを見上げてくる。
「大した事無ぇよ」と返してやるも納得いかないのか、少女は尚も視線を外そうとはしなかった。
「本当ですか? 無理してるんじゃないですか?」
勘繰るような少女の声音から頑なに目を逸らす。
正直、他人から心配されることに慣れていないゼクティスはどう返して良いものかと言葉に詰っていた。
「しつけぇ、大した事無ぇって言ってんだろ。人の心配なんかするより自分の心配してろ。それに、もう二時間もすれば日が暮れる。悠長に休んでる暇なんざ無ぇんだよ」
煩わしいと、此方を支えようとするレヴィアの手を払い解き、痺れも意に介さず先を歩き出す。
元々愛想の欠片も持ち合わせない質だ。まるで素っ気の無い冷めた返しにレヴィアは一瞬不服そうな、呆れたような顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
本心は、レヴィアの問いに対するはっきりとした返答は己には出来かねる、と言うのが正直なところだった。
そもそもゼクティスには物心ついたときから痛みには無縁の身体だった。
ある種の神経障害なのだろう。無痛症などとも言うらしいが、とにかく触覚や温度変化は問題なく感じることが出来るのに対し、痛覚に関しては全く以て疎かった。
まるで痛覚だけを遮断されているような感覚なのだ。そのお陰で多少の怪我でも無理をすれば普通に動くことが出来るものの、そのせいで怪我が悪化する事も少なくない。
よって自分では自分自身の状態を正確に判断する事が出来ない為、本当に〝大丈夫〟なのか。自分自身で判断を下す事は出来なかった。
暫く二人は言葉を交わす事なく黙々とジルバスの方角に向かって歩き続けていた。
時折此方の顔を覗きながら隣を歩いていたレヴィアが「それにしても」と声をあげて沈黙を絶った。
「お兄さんみたいな若いひとが私の護衛だなんて、ちょっと意外でした」
「……頼りない、って?」
先程の状況を省みれば、そう思われても仕方が無い。皮肉っぽく応えるゼクティスに、レヴィアは首を振って「違います」と苦笑する。
「傭兵さんって言うと……あ、お兄さんは便利屋さんでしたっけ。
とにかく私のイメージだともっとこう、なんと言うか怖そうなひとだと思ってたんです。……でも、安心しました。同年代くらいの優しそうなお兄さんで」
「……は? 優し…って誰が」
ゼクティスは己の耳を疑い、思わず聞き返した。自分にはおおよそ無縁な言葉が聞こえたと思ったのだが、気のせいだろうか。
だが少女はさも当然の如く「誰って、お兄さんが」と即答する。
つい先程の辛辣な返しをもう忘れたのだろうかと困惑する。又はとんでもなく前向き思想か楽天家なのであろうか。
ゼクティスからしてみれば人をおちょくっているとしか思えない台詞だが、柔く微笑むレヴィアの表情からは冗談の色などは微塵も伺えない。あまりに度し難いが、どうやら本気らしい。
「お前……人を見る目無ぇって言われるだろ」
「えー酷い、本当にそう思ったんですよ? もう、お兄さん素直じゃありませんね」
ゼクティスの小馬鹿にした台詞を非難しつつも、レヴィアは相変わらず何処か楽しそうに笑いを漏らす。
先程までの魔物に怯えた様子はすっかり見る影もなく、それどころか上機嫌で此方に話し掛けてくる。この少女に警戒心と言うものは備わって居ないのだろうか。
能天気と言うか変な奴だ、とゼクティスは心中密かに溜め息を吐いた。
そもそも少女と自分は初対面のはず。この様に蟠り無く親しく話し掛ける神経が彼にとっては何処までも度し難いものだった。
「実際、さっきだって──」
「あぁもう阿呆らしい。勝手に言ってろ。それよりお前、何であんなところに居たんだ。 と言うか、よくココまで来れたな」
「あんなところ?」
何の事か判らなかったのか、レヴィアはきょとんと紫眼を丸めて小首を傾げる。
本来ならば、少女との合流場所は魔物と対峙したあの山道だった。何故道すら拓かれていない崖下の森に居たのかが引っ掛かったのと、満足に戦うことも儘ならない筈の少女が魔物に襲われた形跡も無く無傷で居られたのかが何より疑問だったのだ。
そこでレヴィアはようやく合点がいったと頷いた。
「上の山道は危ない魔物が出るかもしれないからって、下の森のルートで行くことになったんです。危ない魔物っていうのは多分さっきの大きな魔物だったんでしょうね。
で、途中までは他の……案内のひとが一緒に来てくれてたんです。それで、後でちゃんとした護衛のひとが来るから此処で待ってる様にって言われて」
「……ははぁ、成る程な。まんまと嵌められたって訳か、くそ。……で? その〝他の人〟って言うのはお前の知り合いか?」
あくまで想像の域を出ないが、恐らく自分の力を量る為にわざと自分をあの化物の方へと向かわせたのだろうか。ゼクティスは顔も姿も判らぬ依頼主を思い、忌々しげに顔をしかめた。
「いいえ? 知らない人です。顔はあんまり見せてくれなくてよく判らなかったんですけど……少なくともお兄さんよりもっと背の高い男のひとでしたね」
「ふーん……」
「名前とか訊いてみたんですけど、秘密だって言って教えてくれませんでした。悪い人じゃなさそうでしたよ」
最後の一言は信用に至らなかった。だが、聖都に連れて行くのに名前も教えないとは。その男もゼクティスと同じ雇われ者だろうか。しかし依頼主である可能性も拭いきれない。
何にせよ、どう依頼主の像を勘繰ったところで自分は金で雇われただけの身である事実に変わりは無いのだ。自分は自分の仕事を粛々とこなせばいいだけのこと。それ以上は求められては居まい。
薄気味悪さは否めないが、詮索するだけ徒労である。そう、割り切るしかなさそうだ。
——となると、あの事も。
「……お兄さんは、訊かないんですね? 〝あれの事〟」
まるでゼクティスの思考を先読みしたかの様なレヴィアの台詞に表情を曇らす。
「……さっきの、光の事、な……」
少女が操り、魔物を一撃の元に絶命せしめた黄金色の光。
敢えて〝それ〟に関して考えることを避けていたのだが、やはり目を瞑るには大き過ぎる疑問であった。
しかしこれ以上知ってしまえば過干渉になる。
〝依頼主が何を目的として、常軌を逸した力を持つこの少女を聖都まで連れて来させるのか〟
それはただ単に、一介の雇われ便利屋の立場でしかないゼクティスが知るべき事では、知って良い事では無いのは明瞭であった。
脳内を巡る相反する考えに我ながら困ったものだと辟易。黒髪をぐしゃりと一掻き、口を開く。
「言っとくが、俺は金で雇われただけであって赤の他人のお前が何者だろうが俺には一切関係無ぇ。それに、厄介に首を突っ込むのは御免だからな。面倒の種は無いに限る」
「厄介……。成る程……ですね、そう言うことですか」
ぎこちないながらレヴィアは「納得しました」とやけに聞き分け良く頷く。辛辣としか言い様の無いゼクティスの言葉を聞いても、少女は笑顔を保ったまま崩すことは無かった。
だがこれも本音、変に此方に信頼を持たれても、招く結果は救いようの無い共倒れの道。お互いの為にもいつでも切り捨てられる様に一線を引いておくべきなのだ。
だが、ゼクティスは更に続けた。
「だから、〝お前がうっかり何かを言ったとしても俺には全く関係無い〟って事だ」
——暫し、沈黙の間。
レヴィアは青年の言葉に僅かな引っ掛かりを覚え「んっ?」と首を傾げてゼクティスに向き直る。
ゼクティスは前を向いたままだったが、ちらと視線を此方に見遣る。きょとんと呆け顔のレヴィアは、改めて頭の中で今のゼクティスの言葉を反芻する。
「あ」
漸く言葉の意図を察し、レヴィアは思わず吹き出していた。
「お兄さん、屁理屈も良いところですよ! ほんとに、素直じゃ無いんですね」
「うるせぇ、屁理屈も理屈だ。筋が通ってりゃ問題無ぇ」
しかし、筋を通しても罷り通らないのが屁理屈である。顔には出すまいと堪えてはいるが、我ながら子供の様な屁理屈を吐くものだと、ゼクティスは軽い自己嫌悪に浸っていた。
「じゃあ、ここからは私の一人言です」とレヴィアは意味を成さない前置きをして話し始めた。
「私は物心ついた時からあんな風に、身体の一部を光に変えて動かす事が出来てて……。
聖都からの召喚状が来て知ったんですが、〝光使い〟って言う種類の人間なんだそうです。
その光使いは身体の殆どが純粋な〝洸晰《こうせき》〟の繋がりだけで出来ているので、さっきみたいに身体の一部分を別の形に変えて操ったりすることが出来る……んだそうです」
(純粋な洸晰ばかりで……? そんな人間が……)
洸晰と言うのは正しくは硬質自由乖離可能型組成発光性記憶媒体分子と呼ばれ、この世界に於けるありとあらゆる物質を構成する最小単位であり、情報を核とした不可視物質である。
又、この星を循環する半永久的なエネルギー機関でもある。
通常ならばこの洸晰に情報が付随することで原子になり、又は元素となる。しかしレヴィア曰く、彼女はまっさらな洸晰で自らの身体を形作っており、あまつさえそれを己の意思のみで変化させる事が出来る。それを、〝光使い〟と呼ぶらしい。
「その、放っておくには危ない力なんだって……書いてありました」
俄には信じ難い事であるが、少女は身体構造の改変から再構成までを目の前でやってのけたのだ。その事実は受け入れざるを得ないだろう。
唯人と呼ぶには余りに常軌を逸している様に思えるが、人間性に富んだレヴィアの様子を見れば非人間であると否定も出来ない。
「少なくとも、光使いなんて世界のなかでもきっと私だけだと思いますけどね。私自身、最近までこれが一体何なのか判りませんでしたし。
召喚状は聖都から届いた事しか判りませんでした。けど……きっと、聖都には私の事を知ってる人が待ってるんでしょうね」
或いはレヴィアの血縁がいるならば家族にも光使いないし、それと近しい能力を持っている可能性は考えられなくもない。だが、思い出してみればレヴィアは元々孤児院に居た身だったはず。
同情してやる気など無いが、恐らくその力のせいで両親の手には余ると預けられたか、捨てられたかで間違いないだろう。とすると、家族が光使いである可能性もほぼ無くなるのではないか。
それに孤児院ならば養子縁組の斡旋もしているはず。しかしこの歳になっても里親と縁が得られていないのにも、超常的な異能を持つ事情を考えれば納得した。
つい、唸る様な呟きが思案に耽っていたゼクティスの口から洩れる。
「……光使い、か……。……初耳だが……」
これでも便利屋と言う、専ら請負人の様な仕事を生業にしている以上、流れてくる情報や噂には過敏であったし精通している方だと思っていた。だが、こればかりは本当に初めて耳にする言葉であった。
孤児院側が上手く隠していたのだろうし、彼女自身も隠していたのだろう。そんな奇妙な力を持っている少女が、何度も訪れた事もある隣の街に居るなど聞いた事も無かった。
ゼクティスは改めてこの少女が持つ秘された力の大きさを感じ、戸惑いを覚えていた。
「あの、や、やっぱりおかしい、ですよね。こんなの……。良いんです、お兄さんが信じられないのも仕方無いですから! 大丈夫です!」
眉間に皺を寄せ、険しい顔で真剣に考え込むゼクティスの様子にレヴィアは慌てて否定する様に掌を左右にひらつかせ、冗談めかしてわざとらしく上擦った声をあげる。
だがゼクティスは「いや」と首を横に振った。
「お前が光使いだってんならそれで良いし、何だって構やしねぇよ。何にせよ、俺の今回の仕事はお前の護衛だ。
聖都に着くまではお前がソレを使わなくて済む様にちゃんと〝守ってやる〟よ。それで問題無ぇな」
その言葉に取り繕った跡など、微塵も窺えなかった。
まさか此方がこの様な突飛な話を、此処まですんなり受け入れるとはレヴィアも思っていなかったらしい。逆に面食らった顔で「あ、え……!」と言葉を詰まらせ、紫眼を見開いて戸惑っていた。
「しっ信じて、くれるんですか……?」
「そんなに驚くことか?」
ゼクティスしては別段疑う要素の無い説明を聞き入れたに過ぎなかったのだが、と首を掻く。何より、自分自身も蒼洸などと言う人智を外れた力を持っているのだ。他人の体質をとやかく言える身ではなかった。
ゼクティスの事情を知り得ないレヴィアにとってはやはり不思議で仕方が無い。おずおずと口を開くと「だって……変とか、怖いとか思わないんですか?」と改めて訊ねた。
「まぁそりゃ……一般常識の範疇を超えてるけどな。けど実際、目の前であんなの見せられてんだ。信じるも疑うも『そんなもんだ』って納得するしか無ぇだろ。
それにお前が何だろうが、お前の護衛をするのが俺の仕事だ。その事には変わりは無ぇしな」
「そう、ですか。……その、まさかちゃんと信じてくれるって思わなくて。びっくりして……。
……でも、でもお兄さん、一人言に返事しちゃ駄目ですよ」
事も無げに話すゼクティスの態度にレヴィアは戸惑いを隠し切れない様子であったが、何が嬉しいのか楽しいのか。次第にくすくすと小さく笑いを漏らすと、改めてゼクティスの正面に回って向き直る。
「うん……うん! お兄さんが私の護衛で良かったです! それじゃあ聖都まで、宜しくお願いしますね。私の〝護衛さん〟」
頭を下げつつそう言って、少女は殊更目映い笑顔を向けた。
そんな風にして、光使いの少女と聖都までの短い旅が始まった。
