
一旦レヴィアと共にジルバスに戻ったゼクティスは、数日の準備期間を設けた後に聖都に向かうことにした。
聖都と言うのは現在稼働する主要六都市と、その他派生都市統括の役割を担う都市であり、別名中枢都市とも呼ばれる世界最大の都市である。
本心では一刻も早く聖都に向かい仕事を終わらせたかったが、急いては事を仕損じる。と言った所か、旅慣れていない少女を伴っての道程なのだ。万全を期して行動すべきとの判断だった。
護衛をしなければならないという前提がある為、当然ながらジルバスに留まる間、レヴィアはゼクティスの部屋に泊まることとなった。
やむを得ないとは言え、普通に考えれば思春期の盛りな少女を見ず知らずの男の部屋に泊まらせるのは流石に気が引ける。加えて、〝最低限、人が住むに困らない程度〟にしか整えられていないこの部屋は客観的に見て快適とは言い難い。
ジルバスに帰り着いて携帯端末から口座を確認したところ、恐らくは前受金であろうか。いつの間にやらこれまた随分な額が振り込まれていた。
聖都行きの準備金としても有り余る額に益々少女の背景に不穏な物を窺わざるを得ないが、そんなものは最早覚悟の上。使えるものは使わせて貰うべきである。
小規模な街とは言えジルバスにも一応は宿がある。その為、宿の部屋を借りるなり代案を持ち掛けようともしたのだが「お兄さんと一緒の部屋なら安心ですね!」などと逆に歓迎され、そんな思慮は徒労に終わってしまった。
「……守備範囲外で良かったな」
「え、何がですか?」
「……いーや別に」
ゼクティスとて節操無しではない。
手間が減ったと安心する反面、人を容易く信じられるこの性分は恐らく善性なのだろうが、この警戒心の無さは少々問題では無いだろうか。
(どんだけ能天気なんだか……こりゃ確かに近くに置いといた方が楽、か……)
ゼクティスは早速先行きの不安に駆られていた。
——————
ゼクティスが時たま書き物や武器のメンテナンス等の作業をする時に使っている椅子に脚をぶらつかせながら座っていたレヴィアが、唐突に何か思い出した様に「そう言えば」と長い袖に包まれた両の手をぽんと合わせる。
方やソファに腰掛け先刻の魔物にやられた己の傷の具合を看ていたゼクティスは、何事かと顔を上げた。
「何か忘れてると思ってたらお兄さんの名前、まだ訊いてませんでしたよね。何て言うんですか?」
何かと思えばそんな事。
所詮聖都に送り届けるまで、ほんの少しの付き合いなのだ。情を持たれても面倒であるし、名乗る必要も無いと考えていたゼクティスは「要らねぇだろ、別に」と素っ気なく言葉を返すと、視線をまた元に戻す。
当然の如くレヴィアはたちまち不満気に頬を膨らませて椅子から下り、此方にぱたぱた歩み寄って来た。ソファの背越しに身を乗り出して此方を覗き込む顔は、判り易く抗議の意を示している。
「何ですか、お兄さんのけち」
「友達でもあるまいし、護衛なんて言ってみりゃ都合よく危険を避ける為の道具や壁みたいなもんだ。ソレに名前付けてどうすんだ? 馬鹿馬鹿しい」
「違います。お兄さんは人間じゃないですか」
「例えの話だ。真に受けんな」
ゼクティスは顔を逸らし、わざと意地悪く皮肉を吐いて躱そうとするが、それでも尚負けじとレヴィアは食い下がった。
「何ですか、だいいち不公平です! 私の名前はしっかり訊いたくせに、お兄さんだけ秘密なんて。名前くらい教えてくれたって良いじゃないですか。お兄さんのけち。人でなし!」
「おい待て、そこまで言われる筋合いは無ぇぞ。そりゃ必要だから訊いたんであって……あぁもう判ったよ名乗りゃ良いんだろ名乗りゃあ」
容赦の無いレヴィアの非難を受け、ゼクティスはあからさまに面倒臭そうに頭を掻きながらも渋々名乗ってやった。
「——ゼクティス、さん。ですか」
「あぁ、後は好き勝手呼んでくれ」
やれやれこれで気が済んだろう。嘆息し、ゼクティスは再び傷の始末をどうするかとそちらに意識を戻す。
腕の傷は未だ血が滲み、乾ききっていないようだが、この程度の怪我でいちいち当て布をして包帯を巻くのも手間と血の染みた布を捨て消毒だけしておくことにした。
急に大人しくなったレヴィアをちらりと見遣るといつの間にか隣に座り、何事か考え込んでいる様子で顎に指を添え唸っている。やがて顔を上げ、此方にぱっと向き直った。
「じゃあ呼び易いように、お兄さんの事〝ゼクト〟さんって呼んで良いですか?」
「は?」
真剣に何を考え込んでいるかと思えば。
確かに先程は好き勝手に呼んでも良いとは言ったが、呼ばれた事も無い略称にゼクティスは思わず救急箱を探る手を止めて聞き返す。
「だからですね、お兄さんの名前が〝ゼクティス〟さんだから縮めて〝ゼクト〟さんです。いけませんか?」
「いや、別に……良いけどよ……」
何故縮める必要があるのか。疑問を抱きつつも好きにしろと言った手前、今更撤回をする訳にもいかない。 慣れない略称につい返事も吃る。何だか妙に気恥ずかしいと言うか、むず痒い。
ぼそりと「敬称も要らねぇよ」と付け加えると、少女の顔が一層明るくなった。
「じゃあゼクト! ゼクトで決まりですね! 改めて宜しくお願いしますねゼクト!」
レヴィアは何が嬉しいのやら。満面の笑みで当惑するばかりのゼクティスの手を取り、握手のつもりか両の手で強く上下に振った。
「はぁ……」
そこでレヴィアははたと、自分が握っている方のゼクティスの腕が怪我をしている方だと気付いて慌てて手を離す。
「あっ、あっすみません! 痛かったですよね!」
「ん? あぁいや、別に。大した怪我でも無ぇし」
てっきり痛みを我慢しているものだと思っていたが。ゼクティスは手当てを再開すると、表情一つ変えずに消毒液を染み込ませた布で傷を拭いている。その処置も、丁寧とはとても言い難い。
端から見ても鮮やかな赤色が滲む真新しい傷は痛々しいもので、見ている此方が寒気を催す程だと言うのに。レヴィアは不思議そうに眺めている。
「がっ、我慢強い……んですね?」
「そんなとこだ」
ゼクティスの生業を顧みれば、この程度の怪我などきっと日常茶飯事なのだろう。だがそれを差し引いても『我慢強い』で済む話では無いのでは。レヴィアは訝しむが、それも適当にはぐらかされる。
元より痛覚が無いゼクティスにとってはそんな事、無用な心配であった。
そして終わりとばかりに救急箱を閉じて片付けようとしたが、レヴィアに「待って待って」と慌てて止められる。
「手当はちゃんとしないと駄目ですよ。ばい菌が入ったら化膿しますし、何より治りが遅くなって痕になっちゃいます」
実際、普段から傷の手当て等ぞんざいに終らせているのだろう。殆んど目立たないものばかりだが、捲った袖から見えている腕だけでも注視すれば無数の傷痕が残っているのが判る。
「良いって、面倒臭ぇ」
「駄目です! 痛くなくてもちゃんとしないと!」
鬱陶しさを露に突っぱねて返すゼクティスだったが、レヴィアは頑として折れなかった。ゼクティスの腕を引っ張り、無理矢理元のソファに連れ戻して座らせる。
「私がやりますから」とゼクティスより救急箱をひったくると傍らのテーブルに置いて再び開いた。
鋏で綿布を適当な大きさに切って軟膏を均一に塗り、傷にあてがい、包帯でくるくる巻き付け固定して——と、あれよ言う間に処置は終わってしまった。
レヴィアは満足そうににっこりと笑顔を浮かべ、一つ頷いた。
「はい、出来ましたよ! ガーゼを変えるとき、包帯が巻きにくかったら私がやりますから。ちゃんと言ってくださいね」
「あ、あぁ。……何か、意外だな」
おっとりとした、と言うよりは間の抜けた印象を抱いていただけに、予想を遥かに上回るレヴィアの手際の良さにゼクティスは驚くと共に素直に感心していた。
「んー……孤児院で下の子のお世話をしてたら自然とこう言うの慣れちゃうんですよね。細かいお世話は年長さんの仕事ですから」
そう言えばレヴィアは数日前まで孤児院に居た事を思い出し「成る程」と言葉その侭に納得する。
「まぁ……その、有難うな」
「……! っふふ。いいえー、どういたしまして!」
礼くらいはと一言告げると、一瞬目を丸めて嬉しそうな顔でレヴィアは頷いたのだった。
それからと言うもの、レヴィアは増して積極的にゼクティスに話し掛けて来るようになっただろうか。
彼自身としては特に打ち解けた感は無かったが、レヴィアの方が馴れてきたのだろう。少女は自ら進んで料理や家事その他の手伝いも申し出て来た。
不安を感じたものの、レヴィアは孤児院で家事手伝いもしていたらしく、一通りはそつなくこなしてくれた。男が独り身でついおざなりにしがちな諸々をやってくれるのは正直、有り難い。
しかしながら、このレヴィアと言う少女。よくもまぁ愛想の無い自分相手にこうも屈託の無い笑顔を向けて来るものだ、と感心すら覚える。
少女が事あるごとに投げ掛けて来る話題なんかは恐らく世間一般からすれば他愛も無い日常会話に値するのだろうが、平素他人との関わりが希薄なゼクティスにとってはどうにも小慣れないもの。かといって饒舌に話を返す自分など、想像するだけで怖気がするのだが。
何にせよ、己に対して初対面でここまで馴れ馴れしく接してくるなど今までの経験測上、後にも先にもこの少女くらいなものだろう。人とこんなに会話を交わしたのも久方振りの事。
そしてこの賑わしさも、精々聖都に辿り着くまでの一週間程度。
これも仕事の一環、一々気にすることはないと自分を納得させた。
そしてゼクティスとレヴィアが合流して二日後、共にジルバスを発った。
ジルバスは聖都からエネルギー供給の庇護を受けている為、聖都の派生都市となる。しかし、派生都市と言ってもその供給のパイプライン一本だけの繋がりであり、けして交通網が発達している訳ではない。
街道と呼ぶその道は装甲車の重厚なタイヤが踏み均した轍に過ぎず、御世辞にも整備されているとは言い難い。そもそも都市間の交流そのものが今となっては希薄なものだ。
都市外には魔物が出る上、生活していく中で必要な事は一個都市内でほぼ全て完結してしまう仕組みが築かれているお陰で、他都市間との交易を余り必要としない。
それでも土地柄故に手に入り難い物資もある。そう言ったものは聖都政府の認可の下りた行商組合や輸送隊などが充分な装備を備えた装甲車で以て輸送を行うが、人が都市間を移動する用向きがあると言えば精々その程度なのだ。
ましてや田舎とも言えるジルバスである。都市を繋ぐ交通網はおろか、道路など整備されてるはずも無い。
ごく稀に、今回の様に他都市へ向かう用向きがあった場合。前述の輸送隊へ運賃を支払えば同行可能ではある。しかし彼らがやって来るのは一ヶ月に一度。安全性は保障されているものの巡回ルートに則って移動する為、時間が掛かりすぎる上に目的外での利用となれば運賃もやたらと高くつくのだ。
結局、原始的ではあるが今回の様に他都市へ移動する場合はゼクティスの様な護衛を雇い、自らの足で移動するのが最も安価にして効率的なのだ。
稀薄な交通事情の代わりとして都市同士を繋ぐものと言えば、交通網と反比例するかの様に発達した通信網くらいなものだろうか。
ゼクティスが所持している小型の無線端末機──携帯端末もその恩恵の一端と言える。
ゼクティスは徐に黒色の携帯端末を開くと、ディスプレイの右上に表示された時刻を確認し、閉じた。
現在時刻は十一時二十三分。
途中の宿営地を経由したとして、翌日の日暮れまでには聖都との中間地点に位置する〝アドミラ〟に辿り着けるだろうか。
「さて、グズグズしてたら日が暮れちまうな。さっさと行くぞ」
「えー、寝坊したゼクトがそれを言うんですか?」
仄かに意地悪を含んだ笑みでレヴィアが茶化した。
「うるせぇな、朝は苦手なんだよ……」
「それは昨日一昨日でよく判りましたけどね」
普段なら早くとも真昼までは寝ている為、彼にとってはこれでも頑張った方なのだが、寝坊したのもまた事実。この二日間、そして今朝もレヴィアに起こされてしまっていた。
図星を突かれ、不機嫌そうな顔で欠伸を噛み殺しながらもゼクティスは足早に先を歩き出した。
そんなゼクティスに苦笑しつつ、レヴィアもまた彼に倣い歩き出したのだった。
——————
ジルバスを発った翌日、二十時過ぎ。
少々遅れ気味となったものの、ゼクティス達は当初の予定通りジルバスと聖都の中間地点に位置する派生都市〝アドミラ〟に到着した。
この街はエネルギー供給を行っている聖都から近いとあってジルバスやサラトガ、云わば田舎都市に比べれば規模は大きく街には活気が溢れている。
日が沈んで尚、街中であれば人通りが絶えることが無い。軒を連ねる店や露店の灯りにより、趣ある煉瓦造りの通りは煌々と照し出されている。
ジルバスを出てからと言うもの、人どころか魔物ばかりと遭遇してきたとあってはその落差に若干の人酔いも禁じ得ないところだ。賑やかしいのは好みではない。だが、魔物の心配が無いのはゼクティスとしても歓迎したいものである。多少なりとも張り詰めていた警戒を和らげることが出来るか、と安堵した所に少女の弾んだ声が耳に届く。
「ゼクト、夜なのにあんなに出店が出てますよ! お祭りみたいですねぇ!」
何度か訪れた事の有るゼクティスにとっては慣れた風景ではあったが、レヴィアにとっては何処を向いても全てが目新しいものであるらしい。
日中歩き通しの疲れも忘れたかの様に、眼を輝かせながらきょろきょろと辺りを見回している。となれば、レヴィアが何を訊いてくるかは大方予想出来るだろう。
「あのー……ゼクト。ちょっとお店を見たりしても良いですか?」
やっぱり、と思いつつ後ろを振り返りながらすっぱりとレヴィアの希望を却下する。
「何言ってやがる、もう夜だぞ。今日はとっとと宿探しだ、明日にしろ」
街の中では魔物の心配こそ要らないが、夜が更ければ厄介な〝人間〟の方が増えてくる。
勿論、都市内で犯罪沙汰になれば、最悪の場合は市民権が剥奪される等の罰則が課せられる。その為、都市に在住する人間はある程度弁えてはいるだろうが、それも上辺だけの抑止力に過ぎない。
何より客観的に見て、自分が夜に子供を連れ回していると言う絵面は社会的に大変宜しくないだろう。自警団に声を掛けられてもおかしくはない。
それ故の言葉であったが、レヴィアには此方の危惧は然して伝わっていない様だ。
「明日なら良いんですね!」と都合良くゼクティスの言葉を拾い上げ、いかにも嬉しそうに顔を綻ばせている。 相変わらず暢気と言うか、何とも言えない顔でゼクティスは首筋を掻く。
「けど、一人で勝手に出てくなよ。一応護衛しなきゃならねぇんだからな」
「解ってます。それじゃあ、ちゃんと早起きしてくれますか?」
「そりゃ別問題だ」
「絶対起こしますから、絶対起きてくださいね!」
「判んねぇな」
「もー!」
適当に相槌を打ちながら宿を目指してゼクティスは再び歩き出す。レヴィアも一応は後ろを着いて来ている様だが、露店やショーウィンドゥから覗く店内の様子がどうしても気になるのか。普段と比べると歩みが少しばかり遅い。
正直に言ってしまえば歩調を合わせるのも面倒ではある。が、わざわざ言い咎める程のものでもない。
遅れ気味に合わせた歩調で、自分も何と無く街の様子を眺めて見ていた。
三十分程街を歩いていただろうか。
宿まであと百mの所で、後方から唐突に複数人の男の怒号が耳に入った。何事かと振り返れば、どうやら道端で喧嘩が始まったらしい。
おおよその予想は付いていたが案の定、ゼクティスが〝厄介な人間〟と危惧していた部類の人種であった。
夜になれば酒を提供する飲み屋が開く。酒が回るには少々早い時間な気もするが、酩酊に身を任せ徘徊する者も少なからず現れる。万一絡まれた場合、人間相手である以上魔物の様に力での解決が出来ない。そのくせ話もろくに通じない分、非常に厄介な手合である。
「っげぇ〜……」
間の悪い事に、レヴィアは騒ぎ立てる男達の向こう側で立ち尽くしていた。騒ぎか始まったのは突然であったし、丁度二人の間に間に割り込まれた形になったのだろうか。
双方から罵声は聞こえるものの、只それだけで会話らしいものは満足に交わされていない。お互い見た目は二十代初めと言ったところか。恐らくはほんの些細な事から殴り合いに発展したのだろう。大概、そういうものだ。
せめて迷惑にならない様な場所でやってもらいたいものだ、と辟易しながらゼクティスは嘆息する。
レヴィアはと言えば、目の前で始まってしまった喧嘩に戦いているのか、おろおろと目の前の男達を困り顔で交互に見遣っている。ゼクティスが『大きく迂回して此方に来い』とレヴィアに伝えようと——、
「あ、あのっ! こんなとこで喧嘩は駄目です!」
あろうことか、レヴィアは掴み合う男の間へ仲裁に入ろうとした。
「馬っ、か——!」
「あぁ? 邪魔すんな糞餓鬼! 触んなブッ殺すぞ!」
荒々しくも陳腐な脅し文句と共に、男は羽虫でも払い退ける様にレヴィアを容赦なく突き飛ばす。
「きゃっ」
小さく悲鳴を洩らし、レヴィア呆気なく地に尻餅をついてしまうが、敵意の矛先はその侭少女に向いてしまったらしい。
相手が少女だろうがお構い無しに詰め寄る男の勢いに、穏便に事を済ますのは無理だと判断する。レヴィアを連れて逃げようにも目的の宿が近過ぎる。撒くまで暫くは逃げ続けなければならないだろう。
(仕方ねぇよな、正当防衛だろこれは……)
レヴィアに手が掛かる寸前、ゼクティスは此方に向けた背後から腕を伸ばし男の喉元へフックの様に引っ掛ける。動きが阻まれ、止まった刹那の隙に背中側へ空いている左手を添え、それを支点に後方へ引き倒す。
「が、ふッ!」
完全に決まりはしなかったものの、ほぼ不意打ちであったお陰で簡単に尻餅を着いてくれた。
「んなッ……‼︎ なんだてめぇやんのか!」
「やりたかねぇよ!」
泣き言めいた怒声だった。
もう一方の男が此方を振り返り、拳を振りかぶる。呼気から漂う酒気帯びた臭いから察するに泥酔状態なのだろうが、その割りには速い拳だ。手首を交差し、受け流すと共に相手の手首と胸倉を掴む。突っ込んできた勢いをその侭利用し、背負い投げて地に沈めた。
此方は期待した以上に強かに背を打ってくれたらしい。息が詰まったのか、咳き込み直ぐには起き上がれそうな様子では無い。
その間にレヴィアの腕を引いて立ち上がらせる。
「あいたたぁ……有難うございます、ゼクト……」
生身の人間相手ではどうせ武器は使えない。鞘に収まったRequiemを背から外すと、返事代わりとばかりにレヴィアに押し付ける。
レヴィアの身長よりも長さのある大剣である。少女が抱えるには重い荷物な様でよろめいたものの、それを気に掛けてもいられない。
「レヴィア、ちょっとそれ持って下がってろ! 取り敢えず、後で説教だからな!」
「ひえぇ……」
先に引き倒した方の男が首を押さえながらも立ち上がる。興奮の為か、息が荒く眼は血走っている。理性を飛ばした男はポケットから小振りのタクティカルナイフを取り出すと、誇示する様に掲げた。僅かな光も反射させ、滑らかな光沢を持つ銀灰色のそれは形状から見ても中々の業物であると判る。
いつの間に集まってきたのだろうか、周囲の野次馬に緊張が走り、どよめきが湧く。
ゼクティスは思わず舌打ちを洩らす。けして相手の刃物に臆したのでは無い。オーディエンスの目があるとなると、どうにかして此方が飽くまでも『喧嘩に巻き込まれてしまった被害者』であることをこの場の全員に印象付けなければならないではないか。
となれば、現時点で方法は一つしか考え付かなかった。
男がナイフを構えて正面から突っ込んで来る。ゼクティスは腕を眼前で交差させ、防御の体勢を取る。幸い、得物を持ったところで所詮は素人の扱いであった。受け流そうと思えば容易に可能ではある。
だが、ゼクティスは敢えてその侭刃を受けた。
男から「へっ?」と間の抜けた声が漏れる。刺した本人が一番驚いた顔をしていた。
一瞬にして辺りが静まり返り、ばらばらと悲鳴が上がる。
ゼクティスの腕にナイフがあっさりと刺さって〝しまった〟事に動揺してか、男は漸く我に返った様子を見せる。
「はわ……さっ刺さっ……人をっ……! てめぇわざとだろ! な、ななんで避けねんだよ正気か⁉︎」
ナイフから手を離し、後退りする男の顔がみるみる青褪めてゆく。先程の威勢の良さは何処へやら、余りの動揺振りである。元々は小心な人物なのであろうか。そうでなくとも人はそう容易く人を害せる様には出来ていない。
それにしても、明らかに刺すつもりでナイフを向けた筈だが『何故避けないのか』とは。ゼクティスは大きく息を吐き出した。
「勝手な事言いやがる……ちょっとは酔いが覚めたかよ、あんた」
「そんな、そんなつもりじゃ、ホントに刺すつもりなんか無かったの! ちょっぴり脅かそうとしただけでさぁ!」
「じゃあ安易に刃物なんざ持ち出すんじゃねぇよ。
無駄に上等な代物を持ち歩きやがって……ナイフはアクセサリーじゃねぇんだ」
不味い刺さり方をしない様、調節したつもりだが、血が腕を伝いぽたぽたと地に跳ねる。ぼやきながらゼクティスは袖に留めているベルトを外し、止血の為に傷より上をベルトできつく縛った。
自分にまともに痛覚があればまた別の方法を取ったのかも知れないが、やはり被害者面をするには目に見えての実害があった方が良い。
「おい、喧嘩をしていると通報があったが、君達か? ンもぉ〜困るよぉ!」
事態が収まりつつあった時、ようやく自警団らしき制服を着た男が現れた。
のんびりしたものだと呆れていると、ゼクティスの代わりとばかりにレヴィアが率先して事情の説明を始めた。少なくともレヴィアが説明した方が自分がするより余程信じて貰える事だろう。
レヴィアの人格を含めても、初見でこの少女に対して悪い印象を抱く者は殆んど居ないはずだ。
「あの、すみません! 私があの人たちの喧嘩を止めようとして、巻き込まれそうになったのをゼクト……あの黒い人が庇ったんです。それで、怪我をして……」
「そうなの、成る程ね。大体事情は解った。取り敢えず詳しい事は彼等から聞くことにするから、君らは早く彼と病院に行くと良い。この時間でも急患ならば対応してくれるだろう」
血の気を引かせ、動揺しきったレヴィアは眼に涙を浮かべていた。その様子に警団員は気を利かせたのか、得心したと大きく頷くと病院に行くよう促した。
レヴィアはすんなり話を聞き入れられた事に安堵し「ありがとうございます!」と礼をする。
「アッサリしてんな、良いのかよ公務員」
「身を呈してこの娘を守っての、名誉の負傷……だろ? 同じ男として誇らしい限りだ。大丈夫大丈夫、後は自分に任せて行きたまえっ!」
「はぁ……ハイ。そりゃどうも」
レヴィアの与えた好印象のお陰か、大袈裟なまでに良い方向へ解釈されているらしい。
此方の肩を力一杯叩き、何とも晴々しく敬礼など向けてくる警団員に引き攣った笑いを洩らしつつ、ゼクティスは彼の言葉に甘えその場を離れる事にした。
「何か勘違いされてそうだが……まぁ良いか。っと、もう抜いて良いだろ」
「っえ……ゼクト⁉︎」
ゼクティスは未だナイフが腕に刺さったままなのを思い出し、レヴィアが止めるより先に刃の部分を持ち躊躇い無くぶつっ、と一息に引き抜いた。
血で汚れた刃先の裏表をズボンで拭うと、ナイフの表面に有る筈の無い溝らしきものに残る血を見て違和感を抱く。改めて刃を傾け表面をよく見てみると、オリジナルのものだろう。全体に見事な紋様が彫り込まれていた。このナイフが礼式用や装飾品の類いでなく、元々実戦向けを想定して作られているモデルなのは一目瞭然である。初めて握るゼクティスの手にさえ馴染むグリップにブレの無い重心、ガタ付きの無い稼働部。根元に刃毀れこそあるが、出来ればゼクティスがこの侭頂きたい位の業物である。あの輩は比喩でなく本当にアクセサリー代わりにしていた様だ。
「勿体無ぇ事しやがる……」
度し難い、と嘆かわしさに溜め息を吐きながら折り畳み、少々迷いはしたものの一先ず預かっておくことにした。
ナイフを抜いた際に少なからず血が溢れはしたものの、直ぐに治まる。幸い、思った程の出血も無い様だ。
「どうして勝手に抜いちゃったんですか⁉︎ 病院に行かないと……!」
信じられない、とばかりに慌ててゼクティスの前へと回り込む。青年はそんな少女の様子を気に留める事も無く、丁度良いとばかりに預けていた大剣を再び肩に担いだ。
「この位の怪我なら日常茶飯事だ。腱も切れて無ぇし、別に病院に行くまでも無ぇよ」
止血の為に締めていたベルトを解き、何でも無さそうに手の動きを確かめている。彼の言葉通り、動きに違和感も無く特に痺れも無い。
「でも、未だ血が出てます!」
「おい、良いって……」
ゼクティスの静止も聞かず、レヴィアは咄嗟に髪の先に結んであるリボンを解くと当て布として傷口に強く押し付け、固く巻き付ける。勿体無いかな、柔らかな薄紅色の布地にはじわじわと深い赤色が染みていった。
「……勝手な事をしてごめんなさい、ゼクト。でも放ってもおけなくて……。人が喧嘩をしてる所は、見たく無くて……」
しおらしく俯き、此方が説教に出るより先に謝る少女の態度を見ては口喧しく怒る気も起きず、ゼクティスは居心地悪く頭を掻く。
「……じゃあ一つ覚えてろ。後先考えずに動くと必ず何かしら痛い目を見る事になる、ってな」
レヴィアが損得勘定や理屈を間に挟んで行動する性格では無いのはこの数日の間、行動を共にする中で何と無く判っていた。他人の為に懸命になれるのは確かに美徳ではあるが、今回の一件を見てもかなり危うい性質である。善意や美徳による行動であっても、それに伴う痛みがある事を自覚しておいて貰わなければならない。
「取り敢えず、俺が居る内は何かあったら勝手に動くな。先ず俺に言え。じゃないと何の為の護衛だか判んねぇだろ」
「はい。……でも私も、ゼクトみたいに戦えたら怪我をさせることも無かったのにって……ちょっと、思います」
ゼクティスの言葉に頷きながらも、自分にも力があったなら、などと言うレヴィアには殊勝なものだと関心すら覚える。
先にも言った様に、ゼクティスとしては護衛など盾や壁といった道具程度扱いで相応だと思っているのだが、少女からすればそうはいかないらしい。青年には今まで縁遠いものであった為、今一ピンと来なかったが、もしかするとこれが〝優しさ〟と言う奴なのだろうか。であれば、尚更自分とは縁の無いものだ。
「止めとけ、お前には似合わねぇよ」とゼクティスは苦笑し、俯いた金髪頭を持ち上げる様に軽く撫でた。
とんだ寄り道になってしまったが、二人は付近の宿に辿り着くと漸く一時の休息を得たのだった。
─────
翌朝八時ぴったり。
ゼクティスはレヴィアに、ではなく部屋の扉をけたたましく叩く音で起こされた。
「ゼクト、誰でしょう?」
出て良いものか、と困った様にレヴィアは少々乱暴なノックをされているドアを見ながらゼクティスの肩を揺する。
彼女は早々に起きていたらしく、身支度を整え終えていた。昨夜、リボンを汚してしまった為に長い金髪は背に流しっぱなしでいつもの様に纏められてはいない。
「あー……俺が出る。……ったくうるせぇな……何なんだ朝っぱらから……」
ゼクティスの目論見ではもう少し寝ていられる筈だったのだが。寝起きというのもあるが、予想外の邪魔に不機嫌さを露に身を起こす。
長く寝てはいられるが眠りが浅い為、直ぐに起きてしまうし二度寝もし辛い。その上、今は仕事中とあって普段より更に睡眠時間は貴重なものだ。
「あ、お前は出て来んなよ」
「え、何でですか?」
「要らねぇ誤解を持たれちゃ敵わねぇ」
「よく解りませんけど……判りました」
そもそも宿の者なら用があれば内線用の連絡端末が鳴る筈。宿の者でないとしても何故部屋の前までわざわざやって来てノックなのかを訝しみつつも、部屋の扉を開ける。
「やーぁ、勇敢な青年よ良い朝だな! 怪我は? 大丈夫だった?」
「……アッハイ、どうも」
何者かと思いきや、部屋の前に立っていたのは昨晩の件の対応に当たったアドミラ自警団の男であった。昨晩と同じ様に青い制服をきっちりと着込んでいた。
この早朝から事情聴取にでも来たのだろうか。
「ウン、ご想像通り昨日の件でな。しかし安心すると良い。あの場に居合わせた者からの証言もあって君へのお咎めは無し。
本題は此処からだが、相手方は示談解決を希望。額はこの程度提示されているが……どうするね?」
此方は飽くまで巻き込まれたに過ぎない、無罪潔白なのだから当然だと心の中で言ってやる。だが、非が有る無しに関わらずこう言った後処理の手続きと言うのは面倒なもの。寝起きで跳ねる黒髪を整えるついでに頭を掻く。
「つってもな……コッチは今、聖都行きの途中なもんであんまりゆっくりもしてられねぇんだ。示談でも処理に時間掛かるだろ? たかが喧嘩だ。別に金は要らねぇから水に流しておしまい、なんてのは……」
「アッウン、済まない。もう案件として書類を通しているからそれは出来ない。無理。
示談解決で合意してくれるなら今日一日で何とか処理しよう」
「お役所仕事だな……ったく、仕方ねぇ」
自警団、とは言いつつも都市に勤める公務員である。余り融通を利かせろ、など言っては不興を買うかも知れない。先方の雰囲気からして、それ以上は食い下がることも出来なかった。
只でさえアングラな仕事が多いゼクティスにとっては元々近付きたく無い職種の者なのだ。折角好意的な対応をされているのだから不用意に機嫌を損ねるのは賢明ではない。
ゼクティスはやれやれとばかりに「判った」と溜め息を吐き出し、警団員に合意した。処理に関する説明も終わり、序でにゼクティスが預かっていたタクティカルナイフも託しておいた。
警団員の男が帰った後、背中に視線を感じて後ろを振り返ると、話を伺っていたレヴィアが死角からひょこっと顔を覗かせていた。目が合うと安堵に顔を綻ばせながらゼクティスに駆け寄って来る。
「良かったです、ゼクトが怒られるなんて事にならなくて」
「当たり前だ。つぅか、寧ろお前が怒られる立場なんだけどな?」とゼクティスはレヴィアの額に人差指を突き付ける。
「うっ……ぐぅ」
レヴィア本人としても先走った件に関しては反省しているのだろう、痛いところを突かれたとばかりに身を竦ませる。
「冗談だ」と言って軽く鼻で嗤うと、レヴィアは言い返せもせず拳を握り締めて歯軋りした。性根の悪さを自覚しつつも、この少女は面白い程に思った通りの反応をするものだ。
「ま、さっき聞いた通り、丸一日は完全に此処に足止めだ。精々暇潰しに勤しまねぇとな。街の中、見て回るんだろ」
「──え、良いんですか?」
騒ぎを起こしてしまった手前、今日の街巡りの件は流れたかと思っていたのだろう。レヴィアは勢いよく此方を振り返ると、意外そうな顔で紫瞳を丸めている。
「大した用でも無ぇが、俺も物資の補給やらで出る用事があるしな。あ、何なら別にお前は留守番してても……」
「はい! 行きます行きまぁす!」
皆まで言わせまいと大きく挙手をしながらゼクティスの言葉を必死でレヴィアが遮った。
ゼクティスの用事は直ぐに終わった為、結局この日は当初のレヴィアの希望通り、ひたすら少女の興味の向く侭街巡りに明け暮れた。
たかが街巡りと気楽に構えていたのだが、その予想はどうやら甘かったらしい。旅慣れているつもりのゼクティスであっても、付き添いでひたすら歩き回る事が思った以上にハードである事を初めて思い知らされていた。
頻りにあれは何だのと話し掛けて来ていたかと思えば突然走りだし、店の品物を何十分と眺めては……の繰返しなのだ。正直な所、護衛の名目が無ければ恐らく帰っていたかも知れない。
そして今現在は手作りのアクセサリーを並べる露店の前で立ち止まり、何とも楽しげに眺めている。ゼクティスは少し距離を置いてその様子を傍観していたのだが、レヴィアに頻りに手招きされ、仕方無く近付いていった。
隣まで来ると、レヴィアは待ってましたとばかりにゼクティスの袖を引く。男物と見られる銀の指輪の一つを指し「ゼクト、これとか似合いそうですよ」と差し出したが、ゼクティスは首を横に振った。
「いや、多分抜けなくなるから止めとく。普段から大剣なんか握ってると指の節が太くなんだよ」
「そう言えばゼクトってアクセサリーとか全然着けてませんよね?」
「邪魔になるからな」
身形に無頓着、と言う訳でも無いのだが身に付ける機会が無ければ興味も然して湧きはしない。なにより、嗜好品に手を出せる程余裕のある暮らしをしている訳では無いのが最たる理由だ。口にはしないが。
そんな雑談を交わしていると、店番がてら仕上げの研磨作業をしていた男が顔を上げる。
「全然着けないのぉ? そう言わずにさ、一つくらいどう? これとかフレキシブルだし、似合うと思うんだよねお兄さ……んッ⁉︎」
「あ? どうし……って、てめぇ!」
ゼクティスが店主の男を見遣ると、そこに居たのは正しく昨晩一悶着した相手本人であった。頬には色濃い青痣。何故か去り際に見た時より明らかに怪我が増えている気がするが、間違いない。
即座にディスプレイの台を回り込み男へ詰め寄る。男は目の前の青年がゼクティスと判るや、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり激しく狼狽えた。
「ちょちょちょ、やだ待って待って暴力良くない!」
「どの口が言ってやがる! てめぇ……人様に迷惑掛けといて昼間っから商売たぁ随分暢気じゃねぇか……! こんなとこで何してやがんだ」
「うわーたすけて! じゃなくて昨日はホントっ! 悪かっ……すいませんでした! つい酔って気分が上がっちゃってたみたい!」
レヴィアは突然血相を変えて男に詰め寄るゼクティスに目を白黒させていたが、慌てて青年を止めに入る。
「ゼクト! 駄目です! 駄目ですってば! 謝ってますから!」
「ちょっ……ほんともう、反省してっから! 勘弁してぇ!」
胸倉を掴んでこのまま罵声の一つでも浴びせてやろうかと思ったが、男は顔面蒼白で目にはうっすら涙さえ浮かんでいるではないか。逆に此方が申し訳無くなる程の狼狽振りにその気も萎える。
「~~ったく、しょうがねぇな……色々言いたいことは有るけどよ……」
此処で揉めてしまえばまた話が拗れてしまう。レヴィアの静止もあり、已む無しと掴んでいた胸倉を乱暴に突き放し解放してやった。
見た目は二十代に入ったばかりと言ったところか。男はカインセルと名乗った。
本業ではないものの、趣味でアクセサリーを自作しては時折こうして店を開いているらしく作品を見る限り、手先の器用さに関しては折り紙付きである様だ。
そしてふと、ある事を思い出した。
「そういやあんたのナイフ、自警団の奴に渡しといたけど……あんま勿体無い事すんなよ。
確かに見事な彫刻だったが、武器に施す様なもんじゃねぇ」
ゼクティスに恫喝され、パイプ椅子の上でしおらしく三角座りをしていたカインセルは顔を上げ、一瞬何の事かと目を丸めた。
そして、遅れて得心したのか「ああ、あれ?」と徐にディスプレイテーブルの裏に身を屈めると、下に納めてある鞄の中から一振りのサバイバルナイフを取り出し、ゼクティスに柄を向けて手渡す。
「うち、実家が武器工房でさ。こう言う刃物全般とか……最近は需要が減ったけど槍とか諸々作ってて。たまに聖都の軍へも卸してんだ。
昨日のは商品になんないのをオレが遊びで飾り彫りした奴。んで、それが宣伝用に持ち回ってる製品仕様の奴だから品質はソッチのが断ッ然上!」
手渡されたナイフを革の鞘から引き抜くと、やはり逸品と見るに相応しい輝きを持つ刃が覗く。大剣以外の得物としてナイフを使う事も多いゼクティスから見ても、この品質の物はそう何度も拝める物ではない。手放すのも惜しいと思える物だが、かといって己の様な辺境の街の便利屋風情が持つには分不相応な代物である。
「……まぁ、確かに昨日のナイフにしろコレにしろ、あんたのとこのが一級品だってのは直ぐ判る」
「ワ……マジ? 解ってくれる? へへッ、嬉しいな……」
「世辞を言う様な性格に見えるか?」
「うーん、見えない!」
再び鞘へナイフを仕舞い、返そうと柄を向けてカインセルへ差し出したが受け取ろうとはしなかった。
「いや、良かったらさ、貰ってよ。昨日の詫びも兼ねてさ」
「え、良いのかよ」
思いがけない言葉に思わず目を見開く。ゼクティスとしては寧ろ現金より嬉しい〝詫び代〟に僅かながら声が弾む。
「あぁ。それに、オレが作った訳じゃないけどさ、やっぱ物の価値が判る奴に使って貰いたいし。おにーさんみたいな強い人が使ってくれんなら宣伝にもなるし」
工房は主に彼の姉が両親から引き継いで運営しているらしく、カインセルはその下で手伝いをしているとの事。如何なる縁で聖都軍と繋がったのかは伺い知る所では無いが、派生都市に在る武器工房の物が軍で採用されていると言う時点で宣伝などせずとも品質は既に保障されている様なものだ。
「じゃあ尚更こんなとこで油打ってないで、帰って工房を手伝わなくて良いのかよ。忙しいんじゃねぇのか?」
「無理無理絶対無理! いっいいい今、帰ったらハリィ姉さんにマジで死ぬまで殺られっから……!」
「そりゃ自業自得だろ」
カインセルはとんでもないとばかりにぶんぶん首を振り、脳裏に甦ってきた恐怖に身を竦ませている様だった。やはり元々は小心者な気質であるらしい。酒が入っていたとは言え、こんな性格でよくも喧嘩騒ぎが起こせたものだ、とゼクティスは改めて呆れを含んだ溜め息を吐いていた。
結局レヴィアは然して買い物をしていた様子は無かったが、アドミラの探索を堪能したらしい。すっかり陽も傾き、街並みは朱く染まっている。二人は宿への帰路についていた。
今は先を行くレヴィアの後ろをゼクティスが歩いている。
「あれこれ見て回った割りに大して買ってなかったけど良いのかよ。明日にはまた聖都に発つんだぞ」
「いいんです。私は見て回るだけでも凄く楽しい思い出が出来ましたから!」
此方を振り返ったレヴィアは言葉通り、屈託なく楽しそうな笑顔を浮かべている。そう言うものなのだろうか。
「なら良いけどよ……」と首筋を掻くが、ひたすら歩き回っていただけの印象しか持ち得ていないゼクティスには解りかねた。
再びくるりと踵を返して前を向くと、レヴィアの纏められていない金髪が風に弄ばれる様に流れた。元より目に刺さる色だが、夕陽に照らされると尚更眩しく思う。
ゼクティスはいつもの癖で長衣のポケットに手を突っ込むと、くしゃりと紙の感触が手に触れる。何だったかと取り出すと、皺になった小さな紙袋であった。
(あー、危ねぇ。忘れてたな)
街巡りの際に買って渡そうと思っていた物であったが、すっかり忘れていた。
前を行くレヴィアへ大股で近付くと軽く肩を叩き、顔の前に袋を差し出した。
「……? 何ですか? これ」
レヴィアはきょとんと紫瞳を丸め、無言で差し出された袋をなすがまま受け取るも、何の事かとゼクティスの顔と袋を交互に見比べる。
「昨日、お前のリボン汚しちまったろ。適当に似た様なのにしたけど……一応コレで弁償って事で」
「え……わざわざ買ってくれたんですか?」
レヴィアとしては全くの予想外だったのだろう。尚の事驚いた顔で、改めて受け取った飾り気の無い紙袋をしげしげと眺めている。
ゼクティスとしては、一度自分の血が付いた物を返す気にはなれなかった。と言うよりは、逆の立場ならばそんな物をまた使おうなどとは思わないだろう。
「いやわざわざって程じゃねぇけど。お前だって無きゃ不便だろ」
「あの! 開けてみても良いですか?」
「お前にやった物なんだから、そりゃご自由に」
ゼクティスが応えるのを合図に早速袋に貼られたシールを剥がし、するすると中身を取り出す。先に伝えた通り、中身はレヴィアが今迄着けていたのとほぼ変わりの無いピンク色のリボンである。けして質が良い訳でも無く、目新しい物でも無い筈だが、リボンを大事そうに胸に抱いて「有難うございます! 大切にしますね!」と殊更眩い笑顔を見せた。
ゼクティスは一々大袈裟な、と苦笑しつつも「今度は汚すなよ」とだけ言っておいた。
——————
アドミラを出た後、都市外を進む道中では度々魔物に遭遇しながらも二人は順調に聖都へと近づきつつあった。このまま特に問題がなければ、翌日にでも聖都に到着する筈だ。
陽は既に西の地平に沈みつつある。
急ぎ足で進んだものの聖都に辿り着くには至らず、アドミラから聖都までの間に街は無いため今日は夜営になりそうだ。平らな岩地に焚き火場がある程度の場所だが、これでも整えられた夜営場である。
「悪ぃが今日は野宿だ、我慢してくれよ」
「大丈夫ですよ、ゼクトが守ってくれるなら野宿くらい平気です」
「はいはいそうかよ、そりゃ良かった」
適当に返事を返しつつ、ゼクティスは手早く夜営の準備に掛かっていた。
レヴィアもゼクティスの指示を受けて手伝っていたが、唐突に眼前に広がる平地にぽつんと現れた人工的な建築物の陰らしきものを見付け「あれ」と声を上げる。夕暮れ時なので像ははっきりしないが、シルエットからして自然物で無いことは間違いないだろう。
首を傾げながらレヴィアは興味の惹かれるままにそちらへ脚を向けていた。
どうやら平地続きだと思っていたが、その場所とは落差があり、こちら立っている場所はその場所へ向かうにつれ登りの斜面になっているらしい。歩を緩めずレヴィアはその侭を登っていった。間もなく勾配が終わり、丘を登りきる。そろりと向こう側を覗き込むと思わず感嘆が漏れる。
「わ……!」
眼下には夕闇に紛れながらもどうやら街跡らしい、廃墟群が広がっていた。暗がりの中で見える限りでも街中の建造物は傷み、経年の風化が窺える。
暫しその廃墟郡に見入っていると、急に服の首根っこを掴まれ後ろに引かれた。
「ぅひゃっ⁉︎」
「おいレヴィア、どこ行ったかと思えば……。勝手にフラフラするんじゃねぇよ」
どうやら眼前の光景に夢中で後ろから近付くゼクティスの足音にも気付かなかったらしい。レヴィアは思わず驚声を上げた。
「ほらゼクト、見て下さいあれ! あれは街……なんですか?」
猫の様に首根っこを捕まれたまま、レヴィアは眼前の廃墟群を指差しゼクティスに示した。
「ん? あぁ、あそこは確か〝トキツカ〟跡だ。三十年前の戦争の時に戦場になったせいで壊滅。戦いに巻き込まれて住民も殆ど死んじまって、そのまま復興もされずに捨て置かれたんだったか。昔は珍しい樹木花が自生して、それなりに良いとこだったって話らしいけど……まぁ、今はこの通り荒れて見る影も無ぇな」
「じゃあ、あそこに人はもう住んで無いんですか?」
「エネルギー供給のパイプラインも壊れちまった上に老朽化してるらしい。魔物避けの防護壁も崩れて役に立たなくなっちまってるからな。作り直すにも物資なり費用なりが馬鹿にならねぇんだろ。……それにあんなとこ、真っ当な奴なら好んで住みたがらねぇだろうよ」
先の説明から、ゴーストタウンになってしまったのだろうかと思ったのだが、ゼクティスははっきりとした結論は口にしなかった。
「どういう意味、ですか?」とレヴィアはゼクティスを見上げて問うが、それに応えることは無く話を切り上げる。
「あそこに用は無ぇんだ、もういいだろ。とっとと戻るぞ。ただでさえ夜になったら魔物が増えんだからよ」
誰も居ないのならトキツカ跡で屋根を借りて野営をした方が良いのではとレヴィアは考えたが、提案する間も無く。そして近づかない様に釘を刺されてしまった。
「解りました、解りましたから放してくださいゼクト!」
ゼクティスは一口にそう説明してやると、やはり首根っこを掴んだ侭レヴィアを引っ張って元の場所へ連れ戻していった。
頑なな口振りからして、何か理由があるのだろう。名残惜しさを抱きつつも、それ以上ゼクティスにトキツカ跡について訊ねる事は無かった。
素振りは見せないがやはり日中歩き通しの疲れが堪えているのだろう。、レヴィアはキャンプ用の寝袋に潜り込んで横になるやいなや、直ぐに規則正しい寝息をたて始めた。
理由は判らないが、火を見るのが苦手だと言ってレヴィアはゼクティスの後ろに回り込んで横になった。
方やゼクティスは己の傍らに大剣を置いて胡座をかいて座り込み、ぼんやり頬杖を突いて爆ぜる焚き火を眺めている。
ここ二日は仮眠程度しか取っていないせいでやや瞼が重い。
漸く明日には聖都に到着出来る所までやって来た。これでやっと解放される。自分は役目を果たし万々歳。──と、万事大団円で終わるとはどうしても考えられなかった。
考えない様にと努めてきたが、やはり誤魔化せない心の取っ掛かりがもやもやと脳裏に浮かんで来るのだ。
この少女を聖都まで送り届けたとして、〝その後〟の事はどうなるのだろうかと。
孤児院育ちのレヴィアに肉親と呼べる人物は居ない筈。まして頼れる者がいるのかも定かではない。里親が見付かったのならば自分の様な便利屋になど頼むまいし、レヴィア本人に隠す理由が無い。
聖都は世界中の都市を統括する役割を担う都市であり中枢機関。その内部で暮らす者は少なからず〝選ばれた者〟であり、世界の運用を担う者だ。
余りに稀有な能力を持つこの少女が、辺境の派生都市から中枢都市である聖都へ召喚されるなど、余り良い展開は予想出来ない。
依頼主の実態が如何なものであれ、聖都でレヴィアの身が今後どうなるのかなど、考えども悪い方へ悪い方へと想像が向かってしまう。
しかし、それは自分の仕事の範囲外の話だ。それ以上は関わっていい領分では無い。ゼクティスは自分らしからぬ思考をしてしまっていることに気付いて眉根を寄せ、強く瞼を閉じる。
「ああくそ、俺には関係無ぇ事じゃねえか……何考えてやがる…!」
馬鹿馬鹿しい、余りに愚か。たかが子供一人に何故そんなに入れ込んでしまっているのか。それに、今まで自分がやってきた仕事で正しかった事などあっただろうか。
仮にその悪い予測が現実の物だとして一体己如き、何が出来ると言うのか。禍が降りかかれば確と救ってやれるとでも?
甚だ分不相応、身の程知らずこの上無い。
薄く目を開け、穏やかな顔で寝入っているレヴィアを見遣る。
思い返せばこれまでレヴィアも自分が何の為に聖都に向かっているのか、最初に召喚状の話をして以後は疑問どころかその事にすら触れようとはしない。
もしかすると、解っているからこそ敢えて何も言わないでいるのか。
何にせよ、幾ら思案したところで自分には触れることの出来ない領分であることに変わりは無かった。少女の進退を如何様に案じようと所詮徒労であるのだ。
──と、突然何者かが此方を狙う気配に思考を中断し、ゼクティスは直ぐ様傍らの大剣に手を掛け腰を浮かせて身構える。魔物が出たか、或いは──。
「いや、魔物の気配……じゃねぇな、これは。となると、トキツカ跡を拠点にしてる野盗だか賊だかってところか…? わざわざ街の外まで出張ってきやがって、さしずめ俺らが獲物ってとこか。ったく面倒な……」
廃墟同然とはいえ元は都市。何も無い場所よりは魔物の出現率が僅かに下がる為、この隠れ野営地を選んだが逆に悪手だったか。
詰められているが、距離はまだある。
もし争うことになれば、少女を庇いながら戦うのは難しい。戦いに巻き込んでしまう前に安全な場所まで退かせるのが賢明だろうか。即座に判断を下すと、下火になっていた焚き火を踏み消し、眠っているレヴィアの肩を揺すって起こす。
少女は目を擦りつつも直ぐに目を覚まし、寝袋から這い出て来る。
「んぅ……ゼクト? どうかしたんですか?」
「さっきから物騒な気配がしやがる。大方俺らに気付いた賊共だろうが……まだ距離がある。俺が様子を見て来るからコレ被って、どっかに隠れて待ってろ」
「え、ね……狙われてる、って……!」
ゼクティスは自身の黒の長衣を示しながら、此処を離れる様にと指示をする。
事態を把握したレヴィアの顔から血の気が引いてゆく。今まで相手にして来た雑魚魔物ではなく相手は人間だと言う。今までの青年の戦いを見た上で、彼が便利屋として相応の実力を持っている事は承知しているが。
「ま、待ってください! それって、一人じゃないですよね? 見て来るって、ゼクト一人じゃ危な……!」
「良いからさっさと行けって。そんで、大人しく隠れて待ってろ。お前にちょろちょろ動かれる方が危ねぇんだよ。良いか、判ったな」
レヴィアは慌ててゼクティスの腕を掴んでこの場に留めようとするが、彼は一方的に捲し立てレヴィアの手を引き剥がす。そして立ち上がると、自身の黒の長衣をレヴィアに投げて寄越した。
光使いの特性なのか、レヴィアのこの金髪の色は闇の中で妙に姿を浮き彫りにさせ捉えられ易い。
これならば気休め程度だが多少なりとも夜闇に紛れられるだろう。野盗に拉致された子供が人身売買や、臓器売買の商品となって発見されるのは珍しくない。
「だ、駄目です! 一緒に逃げましょう? そんな、ゼクト一人だけ危ない目に遇うなんて……!」
レヴィアは嫌々と首を振るがゼクティスは今更何を、と溜め息を吐く。
「馬鹿、だったら何の為の護衛役だ」とゼクティスは渡した長衣をレヴィアの頭から被せて諭す。
「忘れたか? 最初に言ったろ、『守ってやる』って。それに、今逃げたところで二人纏めて囲まれちゃ意味が無ぇんだよ。それに、賊なんぞに殺られる様な俺でも無ぇ。直ぐ戻って来る」
そのままゼクティスは踵を返し、一挙動に駆け出していた。
今の自分に出来るのは、己の言葉に従い、役目に従いレヴィアを守ってやる事だけだ。そう己に今一度言い聞かせた。
トキツカ跡は確かに今や廃墟群と成り果て、打ち捨てられた地と言っても相違無いが、それについては少々誤りがある。
本来ならば殆どの者は都市内又は派生都市内と言う限られた居住区内で生活を送る。しかし全ての人間が安全を保障された都市の中で暮らしている訳ではないのだ。
犯罪を犯し、都市を追われた者。また別の事情により都市での生活が困難になった者。そういった、所謂アウトローに堕ちた者。社会からの弾かれた者はこの様な廃墟群に流れ着き、身を寄せ合う。やがてコミュニティが形成され、他者からの略奪を生業とする賊に成り下がる事が多い。
そして、ある程度の人員と武器装備を備えれば最早それは立派な武装勢力だ。
十数年前に元トキツカを拠点に活動していた組織が聖都軍により制圧されて以降は暫く落ち着いていた。だがここ数年、また密かに賊——もとい武装勢力の拠点になりつつあると噂で聞き及んでいた。故に、トキツカ跡には入らずゼクティスも警戒していたのだ。
気配は近付いたが、未だ相手の姿は見えない。
ゼクティスはいつでも対応が可能なように剣を握る手に力を込め、緊張の糸を張る。
「おい居るんだろ? コソコソしてねぇでさっさと出てきやがれ」
わざと挑発をする様にゼクティスは暮れた夕闇に向かって声を張る。
「こいつはまた、威勢の良いお兄ちゃんだ」
微かに無線機と思しきノイズが周囲から発せられる。そこでようやく一人、二人、と物陰に潜んでいた者が姿を露にした。
予想していた通り完全に此方を殺しにくる構えなのだろう。各々手にした得物をわざとぎらつかせては威嚇をしてくる。
目視が可能なだけでた四名、それ以外にもまだ後方からの援護要員で数名居る様だ。
相手も生きる為に必死なのは判るが、たかが自分一人にこの手勢は些か大袈裟なのではないだろうか。
「悪ぃが金になりそうなもんは持ってねぇぞ」
「身体ン中に詰まってんだろう? ツヤッツヤでピッチピチなのが。ソレで良い、ソレが良いのよ。それにその為り……連れも居んだろ?」
小金稼ぎの臓器目当てか、と心中溜め息を吐いたゼクティスの心情を悟ってか否か、賊の一人が下卑た嗤いを浮かべる。
「悪く思ってくれるなよ、お兄ちゃん。こちとら生活が掛かってんだ。ま、若いあんたにゃ気の毒だし恨みは無いが……。精々大人しく死んでくれや」
成る程、証拠も残さない心算らしい。それはごもっとも、至極真っ当で賢明な判断だとゼクティスはまるで他人事の様に面には出さずに頷いていた。
「じゃあコッチも命懸けで抵抗させて貰っても文句は無ぇんだな? この通り、生憎俺もみすみす殺されてやる気は無ぇんだ」
牽制の為、背の大剣を抜いて見せるが「おいおいおいこの数相手に頑張るつもりかい」と手を叩いて嗤っている。
「お兄ちゃん、頑張ったところで苦しむ時間が長引くだけだと思うよぉ? 獲物は鮮度が命……けど、その小生意気な大口が血を噴いて喘ぐ命乞いに変わるってのも、良い見物になりそうだ」
ゼクティスは唇を歪ませ軽く苦笑いを浮かべると「冗談」と呟き、蒼い光を剣に迸らせた。此方も見付かった以上は生かして逃す気は無かった。
「先ずソッチが手本に汚ねぇ血反吐吐いて、喘いでみろよ」
——————
辺りには五十の魔物を細切れにした後よりも酷い残骸と濃い血臭、焦げた肉の匂いが充満していた。
果たしてどれ程の時間剣を振るっていただろうか。ほんの数分だった気も、一時間だった気もする。疲労と蒼洸の反動により、手足が言うことを聞かなくなり始めた頃。蒼の光が尽きたかと思えば、全て終わっていた。
暫くは呻き声をあげていた者も居たが、今や地面に転がる人の影は全て物言わぬ骸と化している。五体満足の人の形を保っているなら未だ良い方か。大剣の重量の乗った斬撃をまともに受けてしまった者などは四肢が千切れ、或いはあられも無い方向に捻じ曲がり、そしてぱかりと胴が割れ中身を散乱させている者もあった。
集団としての連携には手を焼いたが、ゼクティスとて伊達に今まで独りで便利屋稼業をこなしてきた訳ではない。この程度の手合いならば幾度と無く交わしてきたのだ。
今更敗北を喫する訳が無かった。
だが、やはり人間と魔物では戦闘術の面でも精神的な面でも余りに勝手が違う。
魔物と人間を斬るのは、刃に伝わる筋肉や骨の断つ抵抗や固さ弾力等の感触だけで言えばかなり近いのかもしれない。
しかし、人と言うのは本質的に同属たる人間を斬る事を恐れる風に出来ているらしい。ゼクティスも例に漏れずその一人だった。まして人斬りに快楽を覚えるものなどそう滅多に居る訳がない。
それは最早人に非ず、化物だ。
頭では割り切って居るつもりでも本質は誤魔化せないものだ。上がった息とは裏腹に柄を握り締めたまま青白く変色し、温度を失った右手に気付いてゼクティスは自嘲気味に笑いを溢した。
「……は、何だよ今更一人前に人を斬るのがお可哀想ってか? 滑稽じゃねぇか……!」
累々と転がる死屍を見遣り、軽く頭を振ると血に塗れた大剣をずるずるとに引き摺りながら踵を返した。
人の死に際の顔と言うのはどういう形であれ何度見ても見慣れない。いつまでも網膜の裏にこびりつき、記憶に焼き付き、悪夢として幾度と無く甦るのだ。
「くそ、随分手間が掛かっちまったな……あいつが余計な事する前にさっさと戻らねぇと……」
大人しく身を隠して居るように釘を刺しては来たものの、あの性格ではするりと抜いてしまうだろう。
早急に合流してやらねばと、急いでレヴィアの元へ歩を進めた。
——————
「ゼクトは待ってろ、って言ってたけど……ほんとに大丈夫なんでしょうか……」
一方のレヴィアはゼクティスから言い付けられた通り、彼より預かった黒の長衣を頭から被り、目立たない様に適当な岩陰を見付けて縮こまっていた。
時折、遠くから怒号の様な声が聞こえてくる。闇を裂く閃光が瞬いたかと思えば、ゴムが焼ける様な嫌な臭いが風に乗って微かに漂ってきた。鼻と口を覆い、吐き気が込み上げる度に必死に堪える。
現場の惨劇を想像するだけで血の気が引いた。青年は大丈夫だとは言ったが、やはり心配なのには変わり無い。長衣を掴む手を一層強く握った。
図らずも元はと言えば自分が彼を巻き込んでしまっていると言うのに。〝光使い〟と言う力を持ちながら何も出来ないでいる自分が哀しくなる。
そもそも自分は本来ならば〝在る筈の無い存在〟、庇護される価値の無い者の筈である。
自分の命など、守る価値は無い。
勿論ゼクティスにはそんな思いなど知る由もないだろうし、この障害も窮地も彼にとっては仕事の一環でしかないのだろう。
それでも彼は一々面倒臭そうな顔をするくせに、此方の気持ちを汲んでくれた。光使いだと言う事実を確と受け止めた上で、嘘偽り無く『守ってやる』と言ってくれた。
幼い頃から常に人の顔色を見ながら生きてきただけに、レヴィアにはその言葉が彼自身から出た本心であると解った。
彼にとっては何でも無い事かも知れないが、それが自分にとってはどれ程嬉しかったか。
これまでの人生、光使いで有るが故に周囲の人間との間に横たわる溝がレヴィアには常につきまとっていた。
幾ら此方から他者に歩み寄ろうと努力をしたとしても、この力が自らに隔たりを作った。心から他人に気を許す事は殆ど出来なかった。光使いの力を知った者が、どんな眼で此方を見るのかをレヴィアはとうに知っていた。
先日まで世話になっていた孤児院も表面上繕っていたが、やはり奇怪な光使いの身を厄介と感じているのは明白であった。
聖都へ召喚要請の文書が届いた時。
差出人の身元が不明であるにも関わらず、直ぐ要請に応じる手筈を整えたのが何よりの証明である。
仮にあの文書が虚偽で、この身に何があったとしても都合良く始末出来たとの解釈しかされなかっただろう。
これは悲観ではなく、飽くまでも事実として理解しているに過ぎない。
自らの境遇に哀しみを感じない、と言えば嘘になる。
だがそれも仕方が無いこと。自分は、人とは違う。理解し難い違いを持つ者を恐れるのは人間の性なのだ。きっと、他人から見れば得体の知れない化物の様にさえ見えるのだろう。
憧れは結構。だが、常に諦観を忘れないこと。
今まで幾度と無く、何度も何度も心に刻み続けてきた。
青年と出会った森の中で、独りで待っていた時も、『此処が命の捨て場』と実は半ば諦めていた。
彼の言葉は素っ気なく聞こえるが、裏表が無い。不思議といつもそれに安心感を覚えていた。
そして改めて自己を顧みる。
この、人と一線を画して隔てる力。
一体何の為に、あるのだろうか。
「光使いなんて言っても、こういうときに役に立たなきゃ意味無いじゃないですか……」
しかし自己嫌悪に浸り、いじけ腐っている場合でもない。
レヴィアは頭を振り、無理矢理気持ちを切り替えるとそろりと立ち上がり岩影から顔を覗かせる。いやに静かだ。意を決して駆け出そうと脚を踏み出した時だった。
「ンみぃつけたァッ!」
突然背後から伸びてきた手に首を掴まれ、後ろ手に両手首を纏められるとそのまま思い切り地に叩き伏せられた。
「なっ……? ぅ゛あっ!」
固い地面に強かに身体を打ち付ける。
片手ではあるものの、思い切り首を絞め上げられ声も出せず息が詰まる。直ぐ様起き上がろうとするも片腕を捻り上げられ、更に馬乗りにのし掛かられて完全に動きを封じられた。もがこうにも、首を回すことさえ侭ならない。
「あ……やっ……はっ放し、てっ 下さッ……!」
何事か理解する間も無く続け様に頭上から声が降ってくる。うつ伏せに押さえ付けられて居るせいで姿は確認は出来ないが、どうやら複数人居るらしい。
「ほぉーん餓鬼一人! しかも金髪! どーする? そこそこ上物の部類なんでは?」
「止めとけ止めとけ。買い手はあっても最近は軍の取締が厳しいからな……売っても逆に直ぐ足が付く。どうせ金になんのは〝中身〟だけ。とっととシメて捌いちまえ」
「あ? 何だよいつもと同じ? お楽しみも無し? おもんな」と男は不服な様子でぼやく。
「遊んでんのがバレたらそれこそ殺されんぞ。完品じゃねぇと値が落ちんの知ってんだろ」
「ちょっとくらい良いだろうよ」
男は押さえ付けたレヴィアの身体の下へ手を滑り込ませたかと思うと無遠慮にまさぐられ、不快な感触にぞわりと鳥肌が立つ。
「ひ——やだ、痛っ……!」
「あー……ウン。まぁこんな痩せたガキじゃあ大して面白味も無ぇわな。確かに手間掛けるだけ無駄かぁ……ハイ。了解了解」
「良いからとっとと捌いちまえよ。騒がれたらうるせぇ」
まるで物の処分を相談するかのようなぞんざいな会話に恐怖を覚え、一気に血の気が引き身体に力が入らない。
怖い、怖い、怖い。
呼吸も儘ならず、蛇の様に身を這う恐怖心に身体が震え、歯の根が合わずカチカチと鳴っている。
「い嫌だ……まって、待っ、たっ……たす……!」
声を出して助けを乞おうにも、恐怖と焦燥に阻まれそれすら侭ならない。
「あーも煩っせぇな、大人しくしろ」
「なに、───ッつ‼︎」
荒く髪を掴まれ、少しばかり頭を持ち上げられたかと思うと二、三回思い切り固い地面に額を打ち据えられた。
脳を揺らす衝撃に視界が眩む。ぶつけた箇所に熱く痛みが広がるが、首が絞まっている為、僅かに呻き声が漏れるのみだった。
「……っう……ぐぅ……あッ……!」
「あぁゴメンね。手が滑った」
切れた額から血が流れ、右目を赤く塗り潰す。一分も容赦の無い力に、この侭では確実に殺されると確信した。
だが、頭の片隅に残った冷静な自我がふと考えた。
〝ここで居なくなってしまえば、もう彼を自分のせいで危険に巻き込むことはなくなるのでは〟と。
こうなったのも、全ては自分のせいなのだ。
異端と知りながらも、淡い期待を抱いてぐずぐずと死を選べなかった意気地のない自分のせい。
そんな自分の都合に彼を巻き込んでしまったのだ。故にこれも、この痛みも、単なる自業自得。
「あららぁ怖いのォ? ンン〜怖いかぁ〜そうだよなー痛いよなー! いやぁ君、凄く良いねその目! けど安心しな、直ぐ楽にしてやるからねお嬢ちゃん? なんての、天にも昇る夢心地? って奴!」
「あーもうお前のが煩ぇな、とっとと捌いて片付けろや。なにお前、そう言う趣味だっけか?」
「んだよ、この娘の人生も一度きりだぜ? 生きてる内にちょっとでも楽しんでやんなきゃ可哀想だろ? なぁ」
男の嗤い声は恐怖と眩む意識に揺らされ随分遠退いて聞こえるのに、冷たい刃擦れの音だけは耳元ではっきりと聞こえた。狙いを定める様に首筋に刃先がぴたりとあてがわれる。
「さってと。相方が煩いのでそろそろお別れの時間。下手に暴れんなよー手元が狂って逆に苦しむ事になるからな。俺等の住処を変に触れ回られても困んだよ。見ちまったのが運の尽き、諦めな」
「────っ!」
押し当てられた刃が更に食い込み、皮膚を裂いて鋭い痛みが走る。いや、痛みと言うよりは熱に似ている。
この刃で一気に首を掻き切られるのかと思うと、更なる痛みに襲われる恐怖に怯え、固く眼を閉じた。あぁやるならば早く、早く一思いにやって欲しい。
だがその時やっと、いつの間にか頬が濡れていた事に気付いた。
どうやら表面では自己の生を否定してみても自分は思っていたより生きていたいらしい。
まるで〝普通の、人間みたい〟にだ。
「うあ…ぁ……いっ、いや……嫌だああぁ‼︎ 助けて! お願いします助けて殺さないで‼︎」
気が付くとがむしゃらに、みっともなく叫んでいた。
「何だ急にうるッせぇな、黙れつってんだこの糞餓鬼が!」
レヴィアの声に苛立った男は一旦ナイフを持ち直し、束で側頭を殴り付ける。そして再び刃を下に向け、首に力任せに突き立てんと腕を振り上げた。
手段を選ぶ余裕も無く、レヴィアも無我夢中で洸淅を発動しかけたところで風が直ぐ頭上で唸った。
次の瞬間には首の圧迫感が外れたかと思うと、潰れた蛙の様に漏れた男の声。と、肉に何かが刺さる様な鈍い音。
締め付けられていた気道が急に解放された為、身体が酸素を欲してレヴィアは激しく咳き込んでいた。頭を殴られたせいか、涙で滲んだ視界がぐらぐらと揺れている。
「な、何が……。ひっ!」
レヴィアは眼に飛び込んで来た惨状に、思わず引き攣った悲鳴をあげる。
身体にのし掛かっていた重量も無くなり、何とかがたがたと震える腕に力を込め漸く身を起こした。後ろを振り向くと、霞む視界の中に男の頭を地に縫い付けるように大剣が突き立っていたのだ。
男の頭は惨たらしくも頭蓋が割れ、原型を留めず潰れてしまっている。
頭を潰されて尚も男の両手が弱々しく宙を掻いたが、直ぐに力尽きてばたりと地に投げ出された。
「あ……あれ、あれはなに……」
カチカチと噛み合わない歯が鳴っている。
目の前に晒される凄惨な光景、この事態に混乱し、呆けた思考でそれでも考えた。そして、あれは確かゼクティスのRequiemでは無かったかと思い出す。
「なっ……! てめぇあいつらはど、うっ……! ……ぐぶ ゴェッ」
喚く声に首を回せば、もう一人も急所を仕留められ血泡を吐き出しながら地面へ沈んでいるところだった。
いつの間に現れていたのか。夜闇に紛れて判然としないが、手に血塗れのサバイバルナイフを持った男が立っていた。この男が一瞬にして二人も殺したのか。
「あ……や……」
今のレヴィアにはそれがとても恐ろしい者に見え、思わず後退っていた。
「嫌、嫌、死にたくない死にたくないお願いします死にたくない、死にたくない……」
男が此方を振り返り、目線を合わせる様にしゃがみ込むと突然両肩を掴まれる。
レヴィアは反射的にびくりと身を縮こまらせ、ぎゅっと固く目を瞑った。
「っ⁉︎」
「レヴィア、怯えんな。俺だ。遅くなった」
努めて落ち着きを払った、聞き馴染んだ声に漸く我に返る。恐る恐る目を開くと、此方を覗き込んでいたのは最早見慣れた青い瞳であった。
敵ではないと判ると、身体を強張らせていた緊張も解けてゆく。
「……あ……ゼク、ト……?」
「おい、お前頭割れてっ……! 大丈夫か⁉︎」
対照的にゼクティスはレヴィアの怪我に気付いたのか、険しく表情を変える。返り血が跳ねたその顔には余裕こそ無いが、どうやら彼自身に大きな怪我は無い様子だった。
レヴィアは思わず深い安堵の息をつく。
「ゼクト……そっか、無事……だったんですね……良かっ……」
「あっ、おい!」
そこまでがレヴィアの限界だった。身体から急激に力が抜け、ゼクティスに向かって倒れ込む。極度の緊張から解放された意識の糸は切れ、あっという間に遠退いて行ってしまったのだった。
「………」
脈は早いが、正常の範囲内。額の傷と首元に薄く皮膚が裂けた程度の傷を確認した。 明かりが乏しい下では確証は無いが、様子を見る限りでは特に命に関わるような怪我では無さそうだ。
額からの出血は多く見えるが、顔の出血ならばこの程度の量は大した事は無い。既に血は止まり、乾き始めている。
ゼクティスは携行用の治療道具のセットを取り出す。両膝をついて地面に座り込む形でレヴィアを支えたまま、血を拭いてから手早く手当てをする。
手当てを済ませ、涙の筋が残るその横顔を暫し見下ろしていた。
意識を失う程の恐怖だったのかと、悔恨の念に苦々しく表情を歪めた。改めて自覚する。とてもでは無いが、やはり自分は他人の責任迄負える程の器は持ち合わせては居ないのだ。
だからこそ、平素から人と関わるのを嫌っている。
「あぁ情けねぇ……。ガキ一人守れやしねぇ、か」
ゼクティスはRequiemを死体から引き抜き、回収する。みしりと軋む頭蓋の音と糸を引く血糊に不快そうに眉を潜めた。
そしてレヴィアを背に負うと、そのまま聖都の方角へ向けて歩き出した。
またいつトキツカを拠点とする賊が追ってくるかも判らない為、早くこの場を逃れなければならない。次に追っ手に阻まれれば対処は困難を窮めるだろう。
そうなれば『今度こそ』である。
現在時刻は深夜一時四十二分。
休み無く歩けば、夜明け頃には聖都へ着けるだろうか。
