辿り着いた先は、飾り気など何も無く無機的な廊下の中で一際目立つ木製扉の前であった。“技術総監執務室”と札を付けられた扉を見上げ、ありもしない威圧感にレヴィアは思わず尻込みしかける。
自らを取り巻く状況は変わり、最早逃げ隠れする理由など無い。とはいえ、扉の先で待っているであろう人物を思うと気分は憂鬱そのものだった。
そんな少女の心境などお構い無く、躊躇い無しにハルタミアは扉を軽くノックしたのち「失礼します」とアンティーク調の引手に手を掛けた。
「し、しつれいします……」
白衣の男は扉を開いたまま『お先にどうぞ』と手の振りで促され、レヴィアは恐る恐る室内へと足を踏み入れる。この部屋の主、ユーリックは扉から真正面、奥に設えられた机で紙の書類とデスクトップ端末に向き合っていた。灰色の眼が此方へ一瞥を寄越すと手を止め、ディスプレイ端の時計を確認する。乱雑に広げられていた書類を軽く纏めると、椅子の背に掛けた黒軍服の外套はそのままに立ち上がった。
「思っていたより早かったね。まぁ、座りたまえよ」
ハルタミアの想像通り、すんなりここまでやって来るとは思ってなかったらしい。ユーリックは執務机に手をついたまま、片脚を庇うように伝い歩きながら部屋の壁際に揃えられた応接用のソファセットを示す。肘掛けを確と掴んで身体を支えながら腰を下ろした。
「あの……足、どうかしたんですか?」
「年を取ると些細な怪我でも堪えるものだ。気にせずとも宜しい」
傍目から判る程度に難儀していた割に大したことはないとすまし顔の答え。それ以上口を開く様子も無く、どうやら追及されたくはないのだろう。レヴィアは言われるに従って大人しくソファへと歩み寄った。
硬い廊下の床とは違い、質の良い絨毯が敷かれているのがまた居心地の悪さを助長させる。機嫌など窺いようの無い男の顔を盗み見ながら、やたら広々としたソファの真ん中にこじんまりと腰を落とした。
ふかふかとクッション性の高いソファは身体を包み込む様に身体を捕え、沈めて来る。まるで逃すまいとされている様で、強ばった身体には恨めしいことこの上無かった。
「今更猫を被る必要もあるまいに、随分としおらしいことだ。今後光使いの軍務利用は不要だと放棄した件は君の耳にも入っているだろう」
「それは、聞きましたけど……」
ならば何故自分を此処に呼び付けたのか。皆まで口にするのは憚られるが、少女の視線が訴えている。
ユーリックの方も今更外面を取り繕う必要も無いとの考えか、愛想笑いの欠片も浮かべてはいない。
「……ま、警戒するのも当然か。──ハル君」
自嘲の台詞すら淡々と、温度は乗らず。入口で傍観者の様に控えていた男の名を呼ぶと、彼はひとつ頷いてキャビネットへと向かう。その上に置かれていたのは、一抱えほどの硬質な金属ケースだった。
テーブルの上に下ろされた銀色のそれは、目の前の男の存在も相俟って物々しい雰囲気を纏っている。
「そ、それは」
直感的に嫌な予感しかしない。逃げられる訳もないが、怖気付いて引いた身がソファの背もたれにぴったりと張り付く。
「そう構える必要は無い、言ったはずだよ。今更君をどうこうしようとは思っていない」
ここまで臆されればさすがに溜息も禁じ得ない。勿体ぶっても仕方が無いとユーリックはケースの留め具に手を掛け、中身が此方へ向くように開いた。
ケースから現れたのは、黒色の金属で出来た右腕──義手だった。
「これは一体……腕、ですか?」
「あぁ」
目を丸めて驚くレヴィアに構わず、ユーリックはケースの中から義手を持ち上げると直接テーブルの上に置いた。サイズからしても少女に合わせて作られていることが見て取れる。
「片腕だけでは何かと不便だろう。欠損があれば補修するのは、制作者として当然の務めだ」
「ど、どうして……だって私は貴方たちの意志から外れて、役目も果たせなかった不良品……でしょう?」
疎まれ、唾棄されこそすれ助けの手を延べられる筋合いは無いだろう。度し難さに困惑し、首を横に振る。狼狽える声が震える。
だがユーリックは「馬鹿なことを」と、やはり冷淡の下に一蹴する。
「卑屈も程々にしておきたまえ。光使いはボクの創り出した最高傑作、生涯この事実が覆ることは無いだろう。何せ、君らは自らの意志でボクが定めた定義を覆した。
ただの道具に、そんな事が成し得るものかね」
「──は、え……?」
目の前の男から出たものとは思えない台詞に面食らい、目を丸める。『最高傑作』と評したか、この男は。自ら使命に背を向け、期待を裏切った制作物へ。
「た、確かに私は光使いとして、消耗される部品としての運命からは逃れました。……でも、その結果を評価すべきだなんて、肯定すべきものだなんて……私は思えません」
「では、君がもたらしたこの結果は“不正解”だったと?」
「それ、は……」
そう問われれば益々迷ってしまう。この先も人としての生を綴ってゆきたいと願ったのは自分であり、その願いは叶えられた。けして無価値ではないが、願いの下に敷かれた土壌は大いなる犠牲だ。けして己の力ひとつで掴んだものなどではない。
答えに窮して沈黙が流れるが、ユーリックはレヴィアの反応を然るべきかとも内心で頷く。
「ふむ、言葉の使い方が悪かったか。
ボクは不正解が無価値だとは思っていない。むしろこの世は膨大な誤りの堆積だよ。誤りは正せるともされるが、その大半はとうに手遅れだ」
学者の身からすれば、誤りなど日常茶飯事。人よりも多く可視化された状態で常に目にしているもの。
両膝に肘をつき、組んだ両手の上から眼前の光使いを見据える。
「……そもそも君ら光使いが生まれた事すら、この世の摂理と倫理に照らし合わせればいずれも不正解だ。だが、断じて無価値などではない。
故にボクは君らへの責任の放棄はしない。制作者としての務めは果たす」
それが、この義手を作った理由。この男の思想の一端を垣間見る。
レヴィアは滑らかな黒色の表面に目を落とし、おずおずと手を伸ばして触れる。見た目通り、冷たく硬いその感触にぞくりと寒気が背を伝う。
「私にも、私が選んだ道の責任を負えと?」
少女の紫瞳が眼前の男を見据える。だがユーリックは即座に、あまりにもあっさり「いいや」と首を横に振った。
「そんなことを命ずる権利など、ボクには無いよ」
「え」
そう言う話をしていたのではなかったのか。急に梯子を外された気になり、思わず気の抜けた声が洩れた。
困惑しきりの少女に対し、此処に来てユーリックは初めて口元に笑みを浮かべた。それはいつもの、社交辞令的な安い作り物の仮面などではない。
「言ったろう、君は既にボクの定めた定義を覆した。ボクの想定図に描いた舞台の中に君は居ない。
最早君は運命の歯車でも、何でもない。君が持つのは、他者からの意志により与えられた使命に生きる為の身体でも、意志でもない。君のものだ。
──ただ一人の人間として、自由に世界を生きたまえ」
義手を置くテーブルを指先でとん、とひとつ叩き「これはその餞別代わりだ」と付け加えた。
欺瞞や詭弁など微塵も介在しない言葉はまるで解放の祝詞のよう。あまりの似つかわしくなさが却って信憑性を生んでいた。
「……散々光使いの運命に縛り付けてきたひとが、随分好き勝手なことを言ってくれますね」
「何を言うかね。ボクは妥当な評価と処遇を下したつもりだよ」
「わるい人です……ほんとに」
「ふむ、それも妥当な評価と言える。何せボクは悪の科学者そのものだ」
閉じ込めていた鬱積の蓋が開けられ、解き放たれ、堰を切る。強く俯いたレヴィアが長い袖口で顔を覆う様子など、まるで見えていないかの様にユーリックは飄々と嘯いた。
「……この先君が如何な道を辿るにしろ、全ての責は自らが負うことになる。心して臨むように」
「解ってます。……解ってるつもり、です」
今の自分はようやく自らの足で立てるようになった赤子も同然。道も不確かな暗闇の中へと赴く思いだが、幸いなことに独りではない。目指すべきものも、手を差し伸べる者も在る。
『生き残ってしまった』と呵責の咎ばかりに打たれていたが、此処に至って今更ながらに幸福を見出していた。どうやら自らの手で視野すら塞いでいたらしい。
「ま、今はそれで良しとすればいい」
ユーリックはおもむろに義手へと手を伸ばし、腕との接続用パーツを外す。
「こいつは腕部から君の脳内……Luminous Mindへ直結させることが出来る義手だ。接続可能なのは確認済み、シュミレーションで動かした限りでは生身と遜色無い」
全身が脳内コンピュータへの接続端子の様な光使いの身体だからこそ可能なレスポンス性と動作の再現性を持つと言う。無論、異物を装着する以上これを自分の身体として違和感なく動かせるようになるには多少の訓練が必要だろうが。
しかし、脳に接続と言われれば生理的な拒否反応で背筋にぞわりとした悪寒が走る。
「そっ……それは、痛いやつではないんですか」
恐れと警戒心を露わに男の手元を睨む少女に、ユーリックは可笑しく喉を鳴らす。
「ク、ック……四六時中装着して生活するものだよ。その辺りも考えて設計してある──そうだろう?ハル君」
「うん?あぁ、はい」
どうやら設計担当はハルタミアであるらしい。白衣の男は唐突に水を向けられ、ぼんやりと目を丸めていたが頷いた。
「んー……しいて言うなら、慣れない内は腕との接合部が擦り剝けるかも?くらいかな。LMとの接続負荷の方は総監が日夜調整に調整を重ねたお陰で許容値の下限まで抑えられたと。確か、そうでしたよね?」
「……まぁね。ボクが手掛けておいて半端物を渡す訳にもいかんだろう」
まるで制作の裏側で積み重なった多大なる苦心の成果であるかのような言い草に、ユーリックの表情が曇る。暗に『余計なことを言ってくれる』と判り易く表れていた。きっとこれは、気付かない振りをしていた方が良いのだろう。
レヴィアは素直な風を装って「なるほど」と頷いたつもりだが、口元から覗く揶揄の綻びを完全に隠せてはいなかった。
「……とにかく、君の身体に悪影響を及ぼす設計ではないと保証しておく。後は実際に装着した状態での反応精度を確認し、最終調整を行って仕上げるのみだ」
「……」
考えるまでも、迷うまでも無く義手無しに生きてゆくのは難しいだろう。しかもこれは光使いたる自分専用、恐らくこの二人にしか制作不可能な一点物。これ以上の品質は存在し得ない。
忌避や躊躇いが無いと言えば嘘になる。だが、この贈り物を受け取ることもまた先へと歩みを進める為に必要な勇気、なのだろう。自らに言い聞かせ、引き結んだ唇を解いてレヴィアは確と頷いた。
「……分かりました、宜しくお願いします」
「よろしい、では取り付けを始めよう」
─────
遮音性に優れた技術総監執務室の中で聞こえるのは空調の風の音と、黒軍服の男の指が端末のキーボードを叩く音のみだった。
ソファテーブルの上に置かれたラップトップ端末からは細いケーブルが伸び、その先の端子はレヴィアの新たな右腕に挿さっている。黒い義手の手首部分の外装の下には、Luminous Mindへの同機用システムへ接続する為のインターフェースが備わっているらしい。
つまり、目の前の男が操作する端末からレヴィアの脳へアクセス出来る状態にあるということ。現在はLuminous Mindへ『この義手を新たな腕として認識しろ』と言う命令を書き込む作業であるらしいが。
「ユーリックさん、まだですか……!」
「寝ていて良いと言ったろう。むしろその方が助かるのだがね。もし何かの拍子に光使いの操作が走れば、此方の端末に負荷が流れ込んで来るのだから」
ただの情報端末とLuminous Mindの演算処理では何万倍もの能力差がある。光使いの能力行使の負荷が誤ってユーリックのラップトップへとフィードバックされてしまえば記憶領域は容易く吹き飛ぶんで端末はお陀仏だ。
この端末とて特別品であるし、容易く代替など用意は出来ず、最悪の場合何もかも全て初めからやり直しとなってしまう。まるで地雷原の中での作業しているかの様だと言いながらも、やはりこの男は涼しい顔で端末と睨めっこをしている。
「っむ、無理ですよ……ずっと頭の中で何か這い回るみたいにざわざわしてるんですから」
「ふぅん、それは興味深いね」
携帯端末に掛かって来た通話に応えながらも手は止めず。あまつさえ、レヴィアの泣き言にも生返事だ。
特に痛みがある訳でもないが、キーボードを叩く音に合わせて頭蓋の中に入り込んだ虫が歩き回っているかのような感覚に襲われているのだ。吐き気など、体調に影響を及ぼすほどではないが不快であることに変わりは無く、ひたすらそれに耐えている状況。しばらくはキーボードの音がトラウマになりそうだった。
そもそも眠っていて良いと言われたとして、こんな場所で呑気に眠れるような図太い神経は持ち合わせていない。どうせ聞き届けられないであろう文句は歯軋りを伴う唸り声となって口端から洩れ出していた。
通話を終えたユーリックが端末をベストの裏ポケットへ仕舞い、キーボードから手を離した。
「……仕方無い、少し休憩にしようか。そのケーブルは外さないように」
「うぐぐ、まだ掛かるんですか」
「君が要ると言ったのだろう。我慢したまえよ」
ユーリックはまた腕を支えにソファから立ち上がると、執務室に留まって自身のラップトップ端末と向き合っている白衣の男へ紅茶の用意を指示した。
「私はお茶汲み係じゃないんですが」
「わざわざ他の者を呼びつける訳にもいかないだろう」
「全く、不味くても文句言わないで下さいよ」
ぶつくさ文句を垂れるハルタミアを後目にユーリックは自身の執務机へと戻る。彼は椅子に腰掛けるでもなくデスクトップの端末を確認する。一つ二つ操作をした後、箱型の物体を手にまた応接ソファへと戻って来た。
「ああは言うが、ハル君はボクの次に紅茶を淹れるのが上手い──紅茶で良かったかね?」
「は、はい……だいじょうぶです……」
端末と繋がったままだが、操作を施されていない間は不快感から開放される。ただでさえこの部屋に来て以降、緊張しきりの状態だったレヴィアは完全にソファへ身を任せていた。最初こそ恨めしかったソファの柔らかさだが、疲労感の前ではひたすらに心地好い。
休憩を告げたはずのユーリックが再び端末を弄り始める。外付け用の記録デバイスだろうか、執務机から持って来た箱型のそれを端末に繋ぐとキーボードを不意に叩いた。
キータッチの音に反応し、反射的にレヴィアの身体がびくりと跳ねる。が、此方への操作ではなかったのか、不快感などは襲って来なかった。やはりと言うか、どうやら既にトラウマになっている。
此方の過敏な反応に驚いたのか、ユーリックも目を丸めていたが「失敬」と詫びる台詞の裏で隠し切れない忍び笑いが表れていた。
「充分に成熟したLuminous Mindのお陰か、これでも想定していたより拒絶反応が出ていなくて驚いているのだがね。この調子でいけば、最終調整は今日中に終われそうだ」
「こ、これでも、ですか……?」
順調な作業進捗に男はにこやかなご機嫌顔。
幼少期の記憶を掘り起こせば、この調整作業は相当な痛みを伴うものであったような。それと比べられれば確かに、大した事など無いようにも思えるが。
嫌悪感との葛藤に渋い顔をしていると、頭上から「淹れましたよ、感謝してどうぞ」と声が降る。
わざとらしくユーリックのラップトップ端末を押しやって、二人分のティーカップとシュガーポットの乗ったトレイを置いた。
「あ、有難うございます。……ハル兄、さん」
「ん、どういたしまして。おまけにお菓子どうぞ」
久方振りに使ってみた呼び方だが、やはりぎこちなくなってしまった。だが、お茶汲み係に使われ若干の不機嫌面を作っていたハルタミアの顔を崩す効果くらいはあったらしい。
レヴィアの前にポケットから取り出した個包装のクッキーを置いて踵を返した。残った湯でインスタントコーヒーを淹れる白衣の後ろ姿からは、微かに鼻歌が聴こえていた。
慣れているのか、些細な仕返しなど意に介さず。ユーリックはティーカップが取り易い位置へトレイを移動させ、端末の位置を正すとディスプレイが見えるように此方へ向けた。
「休憩ついでに君に一つ、折り入って“相談”がある」
「相談?命令とか要請ではなくて、ですか?」
「未成年で軍属でもない君にそんなものを下すほど無法ではないよ。実際、飽くまでも相談の域の話だ」
かつてはその無法を罷り通していたのだが、ユーリックはやはり涼やかな顔を張り付けたままティーカップを持ち上げていた。方やレヴィアは怪訝な面持ちで角砂糖を四つほど落とし、混ぜている。
此方に向けられたディスプレイを見遣れば、複数開いたウィンドウの各々におおよそ理解出来ない文字列がびっしりと表示されていた。
「現在ボクらは境界が切り離された後の世界のあと始末をやっているところなのだがね……」
世界の現状に対する唐突な説明の始まりに困惑はしたが、腐食地帯の発生にしろ夜域の拡大にしろ、原因の一端が自分にあると思えば聞き流すことなど出来はしない。
現在、ユーリックはエリザベートを介して送られて来る第壱都市からの調査結果を元に、使用不能になった月詠の修復に取り組んでいるとの事だった。月詠が修復出来れば皇帝の権限の下、歪められてしまった昼夜の均衡を正せるはず。
「とは言え、相手は神の威光が残る神話時代の遺物だ。魔法含め、人間向きではなかった技術や能力などのほとんどは失われている。
……ごく一部、図らずも復元されたものもあるが」
灰眼を向けられれば、否が応でも勘付く。レヴィアは居心地悪く身を竦ませた。
「私たち光使い、ですね?」
「その通り」
光使いの能力はかつて神巫が行使していた能力に類似している。時代は異なれど、生きる世界は同じ。かつて神に近しい者の技術も、人間の技術に合わせて再解釈することも可能なのではないか。
ユーリックは再びディスプレイへと視線を戻し、延々と続く文字列を指し示す。
「これは導師殿が月詠から読み取った構成情報だ。これで未だ十分の一ほどらしいが、解析する為に纏めて持って来て貰った」
エリザベートが“報告”として第壱都市から持って来たものはこれだったらしい。接続された記録デバイスの限界容量まで書き込まれているらしく、幾らスクロールしても果ては見えない。
「構成情報、って……?」
「君で例えると、君の身体を形作る為に脳内のLMへ書き込んである情報の事だ。導師殿の“眼”は、あらゆる事象を情報として観測することが出来る。
それを文字列化すると、こうなるらしい」
「これがノクサスさんが今見ている世界のかたち、なんですね」
文字と数字と記号がまぜこぜになって並んだものを見てもレヴィアには全く理解が出来ないが、ユーリックにはこれが千里眼の仮想視界として認識出来ているらしい。文字列を追う目からは好奇が窺える。
以前ノクサスの眼と同調し視野を貸したことはあるが、これほどの情報量がなだれ込んで来ていたと思うと改めて戦慄する。
「でも、これをどうするんですか?情報があっても月詠が使えないんじゃ……」
意味が無いのでは、と懸念を表すレヴィアだがユーリックは「いいや」と即座に首を振る。
「“器”に拘る必要は無い。月詠を神器たらしめているものは、魂などという不確定で不定形のものではない。
死霊使い曰く、魂と言うインクによって書き刻まれた意志だ。つまり、明文化された意志をそっくりそのまま新たな器に写してやれば代替品として機能する可能性もあるのでは、と考えている」
「……私が人柱の代わりとして創られたように、ですか」
「あぁ、その通り」
淀みなく答えるユーリックの目には微塵の狼狽も無い。この男の自認としては問題解決の為の策を考案したに過ぎず、まして今回手掛けるのは神器の復元。『代替品』と言う単語に忌避感を抱いているのは、きっと自分だけなのだろう。
“相談事”の本題の気配を悟り、先んじてレヴィアから訊ねる。
「その、代替品を作るとして私に何の相談があるんです?」
「ふむ、中々聡い。
月詠からサルベージした情報を利用するにはコード化してやらなければならない。現段階でのこの情報群は、一単語ごとに切り分けられている状態なのだよ。それでは、正しく意味を持った文章として成立せず、何の効果も発揮しない」
コード化とはこの膨大な単語のピースを組み合わせてひと繋ぎのパズルを完成させる作業のこと。勿論手作業ではなく、コンピューター内での演算処理に頼っての作業になるが。
「しかし御覧の通り、この膨大な情報群を再構成し直すには時間が掛かる。これが十分の一だとして、大まかに見積もっても悠に一年以上は要するだろう。永夜の為にただでさえ環境は悪化の一途を辿っている。
──そこで君の脳、Luminous Mindの能力を借りたい」
「私にそんな難しそうな作業が出来るとは思えませんけど……」
「いいや、むしろ適任ですらあると思っているのだがね。
無意識だろうが、君は情報を読み取る力に長けている。それに君のLMの処理能力を借りるだけで、具体的な操作は不要だ。
そして何より──復元されたコードを書き込む先は同じくLMだ」
「……」
驚きよりも納得が先に現れていた。
義手とLuminous Mindの接続シュミレーションをしたと話していたが、自分はそれに立ち会ってなどいない。負荷数値の検証に何を使っていたのかなど、少し考えれば判ること。
朧気に生じてした疑念が確信に変わったことで、レヴィアの表情は一気に澱んでいた。
「今回使用する物は人の頭に埋め込むような物ではない……が、やはりLuminous Mindを利用すること自体に抵抗があるかね」
「……はい。すみません……」
この期に及んでこの光使いの意向を無視してまで強行する気など無いのだろう。ユーリックは軽い溜息一つで汲み取って見せた。
「構わんよ。万が一、億が一の可能性と考えての“相談”だ。それに、これ以上世界の厄介事に君を関わらせるなと言われている様だしね」
本人の強い意志で問題に踏み込んで来るなら、と途方も無く薄い可能性に賭けての相談。惜しむ様子など微塵も見せず、元より破談前提であったと軽薄な物言いでディスプレイの向きを戻す。
「……こんな相談、エリザに知られたらまた怒りますよ?」
「……エンデュランス准将に?あぁ、そうだね。彼女に知られてもまずそうだ」
どうやらユーリックの頭の中の登場人物にエリザベートは不在だったらしい。では誰からの進言なのか。レヴィアは訝しむが、男は曖昧な苦笑で誤魔化すばかり。
追及すべきかどうかと迷う内に「では、作業を再開しよう」と休憩時間の終わりをにこやかに告げられてしまったのだった。
─────
研究棟から出る頃にはすっかり陽も暮れていた──と言ってもこれは永夜の影響で、時刻は十六時を過ぎた頃だ。
無事に取り付けられた新しい右腕は見た目にこそ違和感はあるものの、光使い専用との肝入りで誂えられたただけあり驚くほど滑らかに、思い通り動いてくれる。むしろ、長らくベッドの上ですっかり鈍ってしまった身体の方が重いくらいだ。
軍本部を出て目指す先は第二階層に在る軍営マンション、エリザベートの部屋。
見送りを付けるかと提案をされたはしたが、表向きは一般人の身分であるし悪目立ちしてしまうと断った。焦る必要も無し、慣れるべき道でもある。レヴィアは長い袖で義手を隠すと、無理のない早さを念頭に向かうことにした。
無理はしない、と決めてはいたが階層間エレベーターとなると話は別だ。階層間は道路で繋がってはいるものの、利用率は此方の方が圧倒的に高い。鞄のベルトを握り締め、ほぼ満員のエレベーター内の息苦しさに目を伏せる。
右腕──袖の中に隠れている真新しい義手の硬い感触に、先刻の話が脳裏に蘇る。
本当に断るべきだったのだろうか、と。
世界の現状に対して『もう巻き込まれたくはない、光使いとして関わりたくはない』と言うのが正直な思いであり、それに基づけば穏当な答えだ。だが、原因の一端を担っている自覚もある。周囲は自分に責任を覆い被せまいとしてくれているが、果たしてそれにみすみす甘んじて良いものか。
光使いの制作者であるあの男も、彼なりに善しと判断に基づいた行動と手段を取っていることは理解しているつもりだ。それだけに、これは自由に基づく選択などではなく我儘ではないかと考えてしまうのだ。
悶々と考える内、第二階層への到着を告げるアナウンスに顔を上げた。
(とにかく今は目先のことに集中しないと。先ずは新しい生活に慣れるところから……)
エレベーターのドアが開き、人々が一斉に歩き出す。ほぼ押し流されるように乗降ホールへ出ると、道順を確認すべく携帯端末を取り出した。
「ぉわっ!たっ……!」
乗り降りする人々のの密集地帯の中で歩調を緩めたせいだろう。背後から強い衝撃を食らい、手の中から端末が飛び出した。大きく体勢を崩したが、何とか転ばずに踏み留まる。
恐らく先を急いでいたのだろう。擦れ違うように「すみません」と、誰のものもと判らぬ声が遠ざかって行った。こちらも遅れて詫びを返したが、恐らく既に相手は彼方の先だろう。
「あいたた……これが都会の人混み……」
この密集した人の流れの中で突然立ち止まろうものならこうもなろう。エリザベートからも注意を受けていたろうに。
よろけつつ人の波から外れ、呼吸を落ち着かせる。が、手の中から飛んで行ってしまった携帯端末の存在を思い出すと慌てて雑踏の中へ目を凝らす。
「どこまで行っちゃったんでしょ……蹴られても判んないでしょうし〜……やっちゃいました」
身を屈めてみるが、一度見失ってしまったものを見付け出すのは難しい。一旦諦めて人混みが落ち着くまで待つべきかと肩を落とした。
しかし、しゃがみこむレヴィアの前に見覚えのある携帯端末が現れた。否、差し出された。
「へっ?──あ、有難うございま……」
反射的に礼を言いながら差し出した両手の上に、ぽとりと端末は返された。角に傷は入ってしまったが、滑らかなフロアタイルのお陰で他に目立った傷は無い。
「怪我、だいぶ治ったみてぇだな」
「──えっ」
鈍い身体を立ち上がらせる最中に掛けられた声は囁かだったが、喧騒の中でもはっきりと届いた。慌てて顔を上げると、目の前にいた“黒い陰”は磨かれたタイルを靴底で鳴らし、飛び込むように雑踏の中へと紛れてしまった。
追ったとして、人混みに揉まれて先程の二の轍を踏むことになるだろう。戻って来た携帯端末に視線を落とし、握り締めた。締め上げられたかのような心臓が狭苦しさに暴れ、呼吸も浅くなる。
「私は、何を……」
頭の先からさぁ、と血の気が降りてゆく音を聞いた気がした。ふらふらとエレベーターホールの壁に背を預け、みっともなく青褪めているであろう顔を覆う。
レヴィアが再び落ち着きを取り戻した頃、エレベーターはとうに第一階層へと出発した後だった。ホール内にごった返していた雑踏も姿を消していた。
俯いたままレヴィアはゆっくりと歩き始め、端末を開いた。呼び出したのは地図ではなく、連絡先一覧。その中には、万一の不調や義手の不良に備える為に登録したユーリックの連絡先が追加されていた。
(……ずっと戦ってたのに。私が眠っている間も、ずっと)
自分が巻き込まれただなどと、よくもそんな事が言えたものだ。あの青年こそ、最も難を被っているはずなのに。
「ごめんなさい、でも」
届かない赦しを乞うように、祈り手を組んだ中に収まる端末を額に押し当てた。
彼こそ自分が安穏に浸ることを切に望んでいたのだろうし、それを咎める者など誰も居はしない。それでも、踏み越えなければならない。今はまだ遠い己の望みに手を伸ばす為に。
大きく深呼吸し、半ば無理矢理心を凪へと引き寄せるとユーリックへの通話回線を開いた。数コールの後、彼は応答した。
『何かあったのかね』
「……すみません、もう一度詳しくお話を聞きたくて。
“模倣神器・義剣『天照』”のことについて」
端末越しの声色でも男は何かを悟ったか。
しずかに『よろしい』の一言だけで応えると、光使いの少女へ次なる面会の日程を告げた。
