Prologue

床に落ちる微かな紙擦れの音で目が覚めた。
徐々に明瞭になる見慣れた部屋の景色。南の窓から穏やかに日が差し込んでいる事から察するに、もう昼過ぎなのだろう。
どうも自分は眠りが浅いらしい。仕事柄、身体に染み付いた癖なのだろうがどうせ自室に居る時くらいゆっくり眠ってしまえば良いものを。
儘ならない些細な事にうんざりして纏まりの悪い黒髪を掻きながら身を起こせば、ようやく自分がソファの上で寝ってしまっていたのだと気付く。
便利屋稼業としての事務所を兼ねたこの部屋。しかし客などそう頻繁に来るものでは無いし、表には〝Close〟の札を出している。
だが朝帰りは珍しく無いにしろ、そろそろ帰ってそのままソファで寝る癖を直さなければならないか。寝るには少々窮屈なソファで寝ていたせいで、背や肩が凝り軋む。伸びをすると共に欠伸を噛み締めた。
とりとめも無い事を眠気のもやが晴れない頭でぼんやり考えながら、己の枕になっていた黒の袖無し上着を肌に羽織る。ファスナーを上げながら音のした方向へと足を向けた。
大方、郵便でも来たのだろうか。
ドアに近付いてみれば案の定、手前に郵便受けの穴から入れ込まれたらしい封書が落ちていた。
差出人も書いていなければ宛名も無く。まして切手すらも貼られていない、まっさらな白封筒。
妙な気味の悪さに眉をひそめるが封の頭を破り開いてみる。中には紙切れ一枚が三つ折に畳まれていた。

「手紙……いや依頼状、か?」

手書きで書き綴られた依頼内容は実に簡潔なものであった。
〝レヴィア・セイン・ログリフィルと言う少女を聖都まで護衛して欲しい〟と──。
字に癖は有るが、急いてこれを書いた訳では無さそうだ。ここまではまだ理解出来る。
しかし、以下に続く金銭絡みの契約内容の表記に我が目を疑った。
──おかしい。
たかが子供一人を聖都に送り届けるだけにしては、この金額は高過ぎる。前請け金だけでもこれだけあれば恐らく一ヶ月遊び呆けたところでお釣が来るだろう。

「………」

あからさまに裏がありそうな内容に、嫌がおうにも勘繰らざるを得ない。むしろ、試されているかの様だ。
依頼状を手に、眉間に皺。しばし立ち尽くす。
だが、無駄に考えを巡らせたところで一介の便利屋でしか無い自分に出せる答えなどこの依頼に応じるか否かの二通りしか無い。それに、自分にとって今更この様な胡散臭い依頼、一度や二度ではなかった。ようやく少しづつ増えて来たとは言え、依頼を選り好み出来るほど生活に余裕が有る訳でも無かった。
となれば是非に及ばず、心を決めるのに数秒も必要無かった。
〝彼〟は嘲笑混じりに「上等じゃねぇか」と踵を返した。机上に転がしてあったペンを取り、さらりと紙上に走らせる。
ペンをそのまま無造作に投げ転がすと、椅子の背に引っ掛けてあった黒色の長衣に袖を通す。そして、足を向けた先には鞘に収まった大剣が立て掛けられている。
彼の服装に合わせたかの様な大剣、その漆黒の刀身には〝Requiem《レクイエム》〟と銘が打たれている。柄まで含めれば、彼自身の身長よりも少しばかり足らない程度の長さに及ぶ。
鞘に付いたベルトを掴んで背に負い、黒揃えの姿となった青年は自室を後にした。

誰も居なくなった部屋の中。
机上には、Zectis・Wilhelm《ゼクティス・ヴィルヘルム》のサインが記された依頼状が広げられたまま残されていた。